はてなキーワード: レスポンスとは
メールだと口頭の会話とちがって、具体的なレスポンスが期待されてしまうので
ちょっとした思いつきを伝えるのに不適だ。
電話という手段は相手の時間をとってしまうのでますます都合が悪い。
ツイッターみたいな中間的なツールを仕事でも使えれば隔地者間の業務コミュニケーションが
より充実すると思うけど。
現状:いきなり高い目標や負荷の強すぎる行動計画を立てては3日で挫折してきた経験から、1日3分英語に接するといった目標に下げてみた。
ところが今度は目標の下げすぎで、全然身につかない聞き流しリスニングの日々が続いてもやった気になってしまい、反省すらしなくなった。
改善案:
学習したら、その日に何を学んだかをアウトプットすることを徹底する。
アウトプットができなければ目標が高すぎたか、やる気がないかのどちらかだ。
とりあえずこれだけやってみよう。
一字一句、完全に同意します。
あまりに同意したので全文引用します。素晴らしいです。
はてなにおいてメジャーである、気味の悪い逆からの(弱者の皮を被った強者の)レイシズム、
名誉毀損や人権侵害を平気で行う自称弱者たちの歪みきったメンタリティを見事に切っていただいて本当に感謝します
きっとこれからこいつらはてサは集団で根拠のない罵詈雑言の限りを尽くしてくるでしょう。
キチガイを相手にしない、というのも選択肢に入れておくのも悪くないと思います。
こういう事も増田でしか言えないはてな村の気味の悪い同調圧力が本当にむかつく。
────────────────────
男はケモノではありません(2)
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p2
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
さて、どういう形で、話を続けたものか、オーソドックスにブックマークコメントにレスポンスすることにする。
誤解無きよう言っておけば、私は先のid:hokusyu氏のロジックとそれを支持する人たちを人権軽視の発想であると糾弾していることを申し上げておく。
id:angmar いやだから、曽野の論が間違っているというなら予防拘禁も軽装抑止もどっちもありえないんじゃないの?/男はケモノ⇒予防拘禁のロジック批判ということなのだろうけど、どうもそう読まれる気がしない。
曽野氏の論は間違っているけれども、その仮定の条件を仮に踏まえたうえでの論理展開をしているのはid:hokusyu氏であり、前提条件が徹頭徹尾仮定の話であるのは言うまでもないことなので、現実の話として予防拘禁も軽装抑止もあり得ないのは言うまでもないことです。しかしid:hokusyu氏がその論理の中で提示した特定の集団の人権軽視をなす発想は仮定の話ではなく現実です。
id:kowyoshi あらあら hokusyu氏を叩きたいから、曽野の間違った仮設が真だとしたらなんて恥ずかしいことを…
曽野の間違った仮説が真だとしたら、が恥ずかしいこととはどういうことでしょうか?hokusyu氏を叩きたいとはどういう意味でしょうか?hokusyu氏の論理展開を批判することが彼を叩きたいことになるのでしょうか。ご説明いただけるでしょうか。
よく分からないのですが、私が「考えていない」というのはいかなる理由から導き出された推論でしょうか。その対策というのは曽野綾子を批判することでしょうか?(それなら批判しているわけですし、id:hokusyu氏も見える部分ではそれ以上のことをしているようには見えないのですが)。ご説明いただけるでしょうか。
追記:『KIM625 書いてないから』との書き込みあり。考えていないとの書き込みもないですよね。その論法で言うならばあなたはid:hokusyu氏の基本的人権軽視について何も指摘していないので、あなたは人権侵害の発想を拡大させる加害者だと思います。
id:steam_heart うーん、どうでも良いが、その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね。そして、それをして来たのが過去ですよ、と。
どうでもいいと言っている人に聞くのはなんなんですが、「その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね」....なぜ?私が指摘しているのはhokusyu氏の男性の基本的人権を軽視する発想ですが、男性の基本的人権が軽視されないと女性の人権が守れないとのお考えでしょうか?ご説明いただけるでしょうか。
追記あり:『id:steam_heart 「女性の軽装禁止」が女性の人権侵害で無いなら何?と逆に聞きたい。どちらの人権も最大限に守るということは出来ないがゆえに「獣」の部分は権利を制限される。』
どうでもいいんでしょうか、よくないんでしょうか。
むろん、権利の侵害ですよ。ただし基本的人権の侵害ではないというだけのことで。ケモノの部分というのは具体的に何を指し、その権利を制限するとは具体的に何を指しているのですか?
id:letterdust 曽野の主張は「軽装」だけでなく「深夜の独り歩きは商売女」ね。それで独身女性は自宅通勤に限定されたり残業のある総合職につくと眉をひそめられたりしたんだけどこれって「広義の予防拘禁だよね」って話はお分かり
それと男性の基本的人権を軽視する発想とどうつながるのでしょうか?
id:Francesco3 意味不明/http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091205←性犯罪が起こる要因
…。あのう。読解力を期待するだけ無駄な人なんでしょうか?性犯罪が曽野氏の言うような原因で発生すると一言でも私が言っているでしょうか。その記事をあの記事に対して持ち出す意図についてご説明いただけるでしょうか。
id:inukorori「男は獣」と「しかし私だけは獣でない」が結びつくと醜悪なロジックが生まれる好例。批判すべきは後者の論理。//なるほど複雑猫さんの危惧は当たっていた。「欲望は本能」とか言い出すやつがいるんだなぁ。
言っていることがさっぱり分かりません。曽野綾子的な意味で、論理上の仮定でなく、欲望は本能だと言っている箇所を提示してください。
id:hokusyu 1:「人権が擁護され、かつ欲望のままに生きることが許されるケモノ」という形象自体が、いかにも男性に都合がよすぎる形象。ケモノを名乗るなら人権は諦めるべき。2:女性の我慢がさらりと容認されているのが差別
id:hokusyuさんは基本的人権というものをどのように考えていらっしゃるのでしょう。私権は公共の福祉の下において制約を受けることがあります。従って、公共の福祉は程度としてはファシズム性を内包しています。その上で制約できないのが基本的人権です。この仮定の一連の話において、「男性のケモノ性が統御し難い本能に根ざす」「しかし女性の衣服や態度によって緩和は出来る」というのは仮定の条件です。現実において欲望のままに生きるケモノであって良いはずがないのは言うまでもないことです(どうしてあなた相手にこれを言わないといけないのか、とほほ)。生物的な性差に基づく不利益を緩和するために、社会的な補正として公共の福祉において私権が抑制されることは、現実の場面でもあることです。我慢は公共の福祉においては誰もがそれぞれにしていることです。
しかしその上で、基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません。私があなたを批判しているのはこの点であり、あなたのブックマークでのコメントは、これがだれぞの言うようには「誤読」ではないことをはっきりとさせました。
あのロジックにおけるあなたの発想は、公共の福祉の名において、知的障害者らを抹殺しようとするものと同様のものであるとの見解を提示いたします。
基本的人権は嫌な人、ケモノのごとき人のものであっても、絶対に擁護されなければならないものです。
id:sionsuzukaze 違くね?hokusyu氏のたとえが適切かどうかは別として、あの前提に立てば状況はなんら改善されないし、結局は性犯罪を助長さえしかねないから、あの前提を持ち出すこと自体が誤りってことでしょ。
たとえが適切がどうかは「別の話」ではありません。あの前提を持ち出すことは誤りだということについて見解が対立しているわけでもありません。あのロジックの中にあった基本的人権を軽視する発想が問題視されずに流布している点を問題視したまでのことです。
追記『id:sionsuzukaze 自分は別にhokusyu氏の潜在的排除論に同調したつもりは無いんだけどな。ただ、それが持ち出される背景を説明しただけで。まぁダイアリにも書いたけど、隔離するなら夜だけじゃダメだけどね。』
よく分からない反応。同調したとかしないとかそういう話はあなたには誰もしていないのですが。
id:manysided "男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。そしてその場合、男がケモノであるとしても、それでもなお男は人間である"君がケモノなのはよくわかった。抑えられないんじゃなく抑えたくないだけでしょ
「君がケモノであるのはよくわかった」。普通に私への人権侵害であり侮辱罪であると思うのですが。ここでは男がケモノであることを抑制し難い本能に根ざすと仮定しての論なので、その仮定において、抑制が難しい本能であるのは当たり前のことです。「男がケモノであることは抑制し難い本能である」と事実として私が提示している部分があるでしょうか。ご説明いただきたいですね。これにスターをつけているid:hokusyuさん、id:KIM625さんでもよろしいですよ。
追記:『id:manysided いや仮定じゃなく断言してるじゃん。男全般ではなく君の意識がおかしいということ。抑制が難しいならいつでもどこでもするだろうがそうじゃないだろう。そもそも君の定義する「本能」って何だ?』との返答あり。…。えっ!?断言してたっけ…。
『そもそも男はケモノではないので、曽野綾子氏のそもそもの論に無理があるわけだが、敢えてその出鱈目な前提にのっかるとした場合、男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。』
これ、どう読んでも仮定だよね?だよね?だよね?ちなみに曽野綾子氏のロジックに沿えば、抑制は出来る/出来ないのデジタルには処理されておりません。くだらない煽り要らないからさー、能書きたれてないで「ここだ!」って提示してよ。
どの部分が誤読でしょうか。ご指摘いただけるとありがたいです。
とりあえずここまで。
[続き]
id:quix_que 今回のこれが始まってから何度「襲われる女性は地味でおとなしい服装が多い」って書かれたか数え切れないけどひとつも目に入らなかったのならばその心理的フィルターをなんとかするのが先決でしょ。
あなたは日本語読解力をつけるのが先決だと思います。
追記あり。『id:quix_que これはひどい, いつまで続くのこれ? 現実にある「女は自衛のためにアレするなコレするな」の人権侵害をスルーしておいて、同じロジックを適用したたとえ話には「たとえ話でもそんなことを言うな」と猛反発ですか。そこまで自分側を正しいことにしたい?』
何なのかしら、この人。正しいことにしたいのではなく、私はいつも自分が正しいと思うことを書いています。そのうえで、修正があるならやりますが、ここでは「同じロジックではない」ことを指摘しているので、あなたがやるべきは「同じロジック」であることを論証することではないかと思われます。
id:ftmaru 健常者でマジョリティの成人男性が少しでも我慢させられそうになると大騒ぎするくせに、女・子供・老人・障害者・外国人・その他マイノリティの我慢は『ある程度はしょうがない』で済ませる人の典型。
あなたは何かの典型に人を落としこむ典型ですね。基本的には「我慢させる」ことについてはよほどの公益性と他の代替が無い限り容認されるべきではありません。ここで比較されているのは、「女性の軽装規制」と「男性の去勢を含む予防措置」です。どちらが基本的人権により深刻な損害を与えるか、分からないのだとしたら、相当なおばかさんだと思います。
id:hit-and-run 男はケモノって仮定してるのに「いや、そうは言っても人間ですから」って時点で、前提条件ぐだぐだやん。ケモノを単にメタファーとするなら駆除や予防拘禁もメタファーと解するべき。相変わらず頭悪いな(笑)
ぽかーん。ケモノってそういう意味じゃないでしょうに(笑)。男はオオカミなのよ、気をつけなさいーと言う時、男はイヌ科になるんでしょうか(笑)。最後の一文はそのままお返しします。
[続き]
id:type-100 たとえ男が獣であるのが本能であったとしても、本能は制御すべきものです。
id:type-100 ミニスカや夜歩いてるのを見ただけで女に襲いかかるような男が本当にいるならば、そいつはもう基本的人権を制限して豚箱にぶち込むしかないと思うが。獣が獣のままでいい道理はない。
本能には統御できるものもあれば不随意のものもあります。そういう男は豚箱にぶちこまれてるでしょ?実際。
id:uchya_x ミニスカのねーちゃんにムラムラするのは押さえられなくても、襲うことは押さえられるし、押さえなきゃいけない。その理屈かわからないというならそりゃケモノと言われてもしょうがない。。
ええ、その通りだと思います。
id:mo81 曽野論でも同調する論でも「女性の行動制限」に触れているのに、男性の行動制限を持ち出したhokusyu氏の論が有意に人権侵害の度合いが強い(ゆえに男性の人権軽視である)とは言えないのでは?
これは単純に文意がとれません。ごめんなさい。
id:NATSU2007 性犯罪 『女性へのレイプを防ぐ、男のケモノ化を抑制するためには、1.女性の軽装を、規制する』…先生!なぜここで、「おとなしそう・地味・清楚な服装を規制する」という結論にならないのかわかりません!
なぜ、ということに答えるなら、曽野綾子氏の仮定に乗っかっているからです。曽野氏の仮定では「おとなしそうな女性の方が被害者になりやすい」という前提がありませんので。
id:sillyfish 曽野文では「男は獣」と同時に「女は犯される性」も本質視されてる。その上で女に「夜歩くな」と自衛を求めるのだから、男も「夜歩くな」と本質への自衛を求められるのは彼女のロジックでは当然
id:sillyfish 曽野の文章は女の「夜の一人歩き」も叩いていて、批判する方は「ミニスカート」だけでなく当然それも視野に入れた上で男の「夜間外出禁止」を対応させてるんだけど。意図的に読み落としてないか。
私がリンクをつけたid:hokusyu氏の記事を読んでください。外出禁止令についてが主眼になっているでしょうか?予防拘禁を求めるのであれば、夜間外出禁止であれば男女双方に求めることが可能であるというのはその通りであろうと思います。そして予防拘禁を求めることがこの場合は、不適当であるというのもその通りです。hokusyu氏はそこを越えた身体的な人権侵害にまで踏み込んでいるわけです。その対比の発想が基本的人権の軽視であると申しているまでのことです。単なるレトリック、ではなくそれがレトリックとして成立すると思う発想があるから、そのレトリックが用いられているのです。
id:SIVAPROD ”男性の基本的人権を極度に軽視”w 笑わしよるな。 ”オトコ”が機会があれば人を刺す気マンマンで刃物持ってる(←ブログ主の主張だよな!)んならその刃物取り上げることのどこが”人権を極度に軽視”?
id:Cunliffe 『基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません』そんなことないですけどー(笑)/典型的な例は児ポ法ね。
id:PAGZIN 軽装規制と予防拘禁のどちらかでしか抑止できないのなら「男は獣」ってことになってしまうのでは?獣でない人間に対する犯罪抑止は基本的に刑罰法規による抑止でいいじゃん。
現実の話として言うならそうですね。現実の問題として言うならば、レイプ被害が実際に統計な件数よりも多数発生しているだろうということで、刑罰による抑止が充分に機能していない点です。これはそれこそセカンドレイプ的な言説によって、犯罪が単純に犯罪として処理し難いことがもたらされているのも一因だろうと思います。
id:baisemoi_bullet そう、ケモノではない。ケモノ(自然現象)ではないのだから、「女性が行動や服装を慎むべき」は通用しない。それでは「男はケモノ」と何も変わらない
その通りだと思いますが、これは私に向けたご意見なのでしょうか?
id:rinsenan 「北守は差別主義者」という意見を表明するのに「女の人権が軽視されている状況を糾弾する為に男の人権を軽視するのはけしからん」という論法を使ったから感情的に反発されてるだけ/端的に言ってデリカシーに欠ける
よく分かりませんけど、いくらなんでもhokusyuさんでも根拠も示さずに差別者扱いされてはそれこそ人権侵害なのではないでしょうか。
id:fjsk 皆そんな聖人君子じゃないんで、逆差別を受けてみろよって思うんでしょ?差別する側の声は届かん。意識して言葉を使うべき。例えばその仮定のケモノは「おとなしそう・地味な服装」を好んで襲うという事実とか、ね。
いいえ、違います。逆であろうが正であろうが、差別は差別です。ただし公益上、許認されている差別があり、公益上でも許認されるべきではない差別があるというだけのことです。
とりあえず、ここまで。
[続き]
id:tikani_nemuru_M 公共の福祉ってのは、ぶっちゃけ他者の人権のこと。だから、基本的人権が衝突した場合は調整されることになる。一元的内在制約説ね。
ええ、法律用語で言えば一元的内在制約説です、私がここで提示している考えと立場は。ただ、純粋に法律の話をしているのではなく、個々人の発想の話をしているので用語は敢えて使っていないだけです。ごく常識的な話であるのですが、比較衡量をしなければ、特定の集団の基本的人権の絶対的擁護は容易にファシズムへと転化してしまいます。ましてid:hokusyu氏らが挙げているのは、精神的自由の制約ですらない、身体的・生物的自由への制約であるわけです。
昔のワープロパソコンを持ち出してくる例は極端すぎたかなと、少し反省はしてる。
あと、なんとなく元増田の言いたい意味が分かってきた気がした。
元増田の問題提起の核は、「いわゆる家電量販店の店頭販売員なんだったら、いろいろ客にインタビューして問題点を聞き出しながら、いろんな提案をするってのが、仕事なんじゃないのか?」ってことなんだろうか。それだったら、一理あると思う。でも、元増田の最初の投稿だと、そういったやりとりを客側も拒否している(俺はこういう要求をしてやったんだから、ちゃんと探せよ?なんで探せないの?バカなの?)ように読めてしまったので、ちょっとキツいレスポンスを付けてしまった。
その辺の、いわゆる「シロートさんの真意を掴んだ要求」を見つける落とし所って、難しいですよ。元増田の要求を満たすだけなら、ワープロパソコンまで行かなくとも、倉庫で埃を被っている5年落ちぐらいの、WinXP+OfficeXP+筆まめ, メモリ512MB, ノーマルセレロン1Gみたいなパソコンでも要求を達成できるけど、いざ売った後で「遅い!」「.docx形式が読めない!」「会社のと画面や操作が違う!」と怒られるとかあるし。
かといって、無難なスペックの新製品を売ったら「高いよ!」と怒られるし。
そう考えると、「ジャパネットたかた」って、分かってる人からするとボッタ商売をしてる気がしないでもないけど、シロートさんへのソリューション提案という意味で優秀な販売店なのかもしれない。
人間、表層に見えているのが本当の姿だと思っておけば、実はそれで問題ないんだよね。表情や外見、言葉や行動は個々人の内心によって決定づけられるものなんだけど、内心そのものはブラックボックスであって詮索しても仕方ない。
いや、内心が取るに足りないものだといってるわけじゃないよ。人の内心はそれぞれブラックボックスどころかブラックホールだったり小宇宙だったりするもんだから、深遠すぎて完全解明できないのよ。また、ふたりの心がどんなに折り重なろうとしても同化することができない。
だから何かを投げかけてレスポンスが帰ってくる、その繰り返しで他人の内心という神秘に迫る試みを続け、それに面白みを感じないとおつき合いなんてやってられないんだと思うよ。
あと、
おつき合いの初期段階で見られるそれは「本気出せばこれくらいできる」というアピールで、持続性はともかく、とりあえず偽物ではないと思っとけばよし。初期段階では気を惹くのも大切な行程なので。
そのうち、そんなことしなくてもいいよね、お互い疲れるし、とかいうことで通常運転の自分と相手に戻って細く長く仲よくできるものなんじゃないかねぇ。たまには屁とか出ちゃうし。
ジャンルを変わって腐からも足を洗った現在、二次腐サイトとはおかしなローカルルールに縛られた空間だったなぁ…としみじみ思ってしまう。
二次腐ではよくある話だが、十数年前に一世を風靡した某ジャンルに、webを始めてからすっぽりと出戻りでハマり直した私は、当時書きかけで諸事情により中断したオリジナルストーリーを再度完結させるべくサイトを開設し、地道に活動していた。私が居たジャンルの版権元は、二次にそれは厳しいことで有名で、とにかく検索サイトに拾われては一大事、と先に出戻り参入していた腐友のアドバイスを参考に、私のサイトは初めからそれはもう厳重に検索避けのタグを仕込み、サーチやwebリングにもなるべく登録せず、知り合いにだけリンクを貼ってもらって運営を始めた。
徐々にアクセス数も上がってきてこちらにも少し知恵が付いてくると(笑)、それでは不十分だと言うことになって、プロバイダの無料サーバスペースから有料のものを借りて引っ越し、トップフォルダにハウツーサイトからもらってきた検索ロボ避けの.htaccessファイルまで仕込む念の入れようだった。そうこうしていると、今度はオンラインブックマーク問題とやらが出てきて、周囲の知り合いサイトの中に「知らないうちにブクマされていた」という理由で閉鎖や入室制限をするところが相次ぎ、これはえらいことになったと大騒ぎに発展した。当然私も.htaccessファイルの中にオンラインブクマサイトをいくつも追加し、弾くことに躍起になったのは言うまでもない。
そんなこんなで数年アングラ活動をして、ふとジャンルを見渡すと、顔ぶれも入れ替わりいつの間にか中堅もしくは古株の位置にいて、様々なしがらみも出来ている自分に気が付いた。やりたいことがあって始めたサイト運営の筈だったのに、いつしか沢山の妙な妄執に囚われ、ほとほと運営に疲れ果てた自分に気が付いた。ちょうどキリのいい頃合いで自作品の完結の目処が立ったので、それを書き上げて公開した後、数ヶ月の猶予を持ってサイトを円満閉鎖した。自分でも強く達成感を感じ、周囲の引き留めてくれた知り合いなんかに「また形を変えて戻ってきます!」などと感極まって呟いたりしながら、一線から退いた。
しばらくは凄い開放感を楽しみ、「ただwebをぶらぶらする」事を満喫した。知り合いの掲示板等にもたまに顔を出しながら、のんびり行きつけのニュースブログ等を読んで回るだけの日々を過ごした。
しかし、案の定それでは物足りなくなってきた私は、ちょうどその時以前から追いかけていた某漫画がアニメ化され放映が始まっていたので、それをメインジャンルに据えて、ぼちぼち日記を書きながら毎週そのアニメの感想を書こうと思い立ち、無料blogを一個借りてまったりと更新を始めた。すると、さすがは検索にかかりやすい構造のblogのこと、始めて数日ですぐにアニメのタイトルをキーワードに、検索で探し当てて感想を読みに来る訪問者がちらほら飛んでくるようになった。当然前のジャンルよりファン層も若く活気があり、レスポンスが早くてフットワークも軽く、気軽にこちらの文章にコメントをくれる。古巣のファン年齢層が高く、落ち着いた雰囲気に慣れていた私には本当に新鮮で画期的だった。
そのうち幾つか同ジャンルのblogやサイトと知り合いになり、ジャンルを回るようになると、驚いたことにそこに存在するサイト達はほぼ全て二次創作、もしくはジャンルの混在するよろず等だったにも関わらず、検索避けなど微塵も気にせず、逆にむしろ「最近検索にかかりにくくなった」と呟いているサイトまでいるではないか?!もっとも、大半がジャンル的に健全オールキャラ、CP無し、等のサイトばかりなので「私達、いけないことをしてます」と自負のある腐サイトと比べる方がおかしいのかもしれないが、とにかく私には目から鱗が落ちる画期的な出来事だったことは言うまでもない。
一度日の当たる場所に浮上してしまった私は、再び地下に潜る気など更々起きず、結局そのまま本腰を入れてblogからきちんとしたサイトに移行し、今ではそこをのんびりと運営している。ユルいサイト管理をすればするほど、しみじみとあの不思議なローカルルールに囚われた空間を、ごく当たり前に思っていた自分が不思議で、そして少し懐かしくなってくる。
ひょっとしたら、腐サイトにおける検索避けや.htaccessとは己の「疚しさ」を自分で肯定してやる為の代償行為なのだろうか?と、図らずも思ってしまった私なのだった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091111152629
ものすごい数のブクマ&ブコメがついて、ちょっとびっくりしました。
ブクマ先のエントリを書いた本人です。そのことを証明する術がまったく思いつきませんけれど。
いくつかレスポンスしておきます。
1.おれの性別が女性ではないかという疑義に対して
いいえ、おれは男性です。
2.男性ならば義務感で勃起しないはずだという指摘に対して
おれは大脳生理学には詳しくないので、この指摘の学術的な正当性についてはわかりません。しかしおれの個人的な意見を言わせてもらえば、その指摘のもとづく考えは幻想ではないかとおれは思います。少なくともおれの経験にもとづいていえば、おれの男性器は恐怖や軽蔑の対象でない相手から刺激されたり愛撫されたりすれば勃起します。もちろん、それだけでは最大にはなりません。
3.自慰でイッたりしたことはあるかという質問に対して
それは数えきれないくらいあります。
自慰には他人の肉体が欠けているためか、セックスの際に(かつて)抱いていた義務感や(かつてもいまも)配慮しているリスクを、自慰の際にはほとんど感じません。
4.文体の特徴に関する誤解に対して
前回、おれは自分の苦しんだ経験について実感を込めて語ろうとしたので、自分自身にとって生々しいと感じられることばをつかって書きました。結果的にやわらかい文体になりました。今回比較的かたい文体をとっているのは、おれがいま、広範囲ながら特定のひとびとに向けて比較的かたい話をしているからです。
なお、読者の一部の方に言っておきますが、あなたが自己投影できるかどうかという基準にもとづいておれの文章からおれの性別を判断することをこれからもやめないのなら、おれのような男性がこの世に存在することについてあなたは一生気づかないでしょうね。あなたの自閉的なおめでたさのおかげで、きっとこれからもあなたの世界は安泰です。そのようなあなたの平安をおれは心底祝福します。どうかこれからも自分の世界に引きこもったままで、決して何も知らずにいてください、決しておれに関わらないでください。
これについては弁解しません。すみませんでした。ただし削除はしません。
明らかにホッテントリになることを意図してブログを更新し続けている人のことですね。(どうでもいいけどハックルさんはもうブロガーとしては終わったね。まぁそれが本人のためにもいいと思う)
実はですね、自分も何度か増田でライフハックやら何やら駄文を書いていたりするのだけれども、
ホッテントリになることしばしばで、望夫タソの言う「上位1%の書き手」なのかなぁとうぬぼれていたことがありました。
こういう風にやると50usersぐらい、これなら1000usersぐらいブクマされる、ってんのも大体投稿する前に分かるんですよね。
ブクマゲットゲームにハマっていた時は、年間で1万以上ブクマをもらっていました。
んで、そんだけやりこむと、飽きるわけですよ。誰が知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを。などと最大のライバルを倒して悟りきった武芸者みたいになっちゃったわけですよ。
じゃあはてな村を出るかとか思って、色々と旅に出たこともありましたが、幸か不幸か、日本における「論戦好き」とかギークのコミュニティではやっぱりはてなが先をいっているところもありまして、結局舞い戻ってきたわけであります。
遠くからうんこを投げつつも定期的にブコメチェックはしているらしい池信先生や、ココログに引っ越したかと思ったらメモ日記を新たにはてなで立ち上げた最終弁当さんとか、増田の戯言にマジレスしちゃう江川達也さんとか。
んじゃなんでこんなにもはてな村とかはてブって中成功をおさめられたのかと言えば、多分に、「あるネタを肴に語り合いたい」ってみんなの欲求がまず第一であって、SBMとしての良サイトの情報共有はその次にあるんかなぁと。web2.0とかweb2.0的なサービスってんのがどんなものを指すのか不勉強な自分にはよく分からないのだけれども、ユーザー側としては2chのニュー速板とかの>>1を肴にうんこ投げたり皮肉ってみたり議論してみたいだけなんじゃないかなぁと。
言ってしまえばはてブってニュー速を総コテ化してsage機能を奪っただけなんじゃないのかな。とかなんとか、つらつらと考えているのだがよく分からない。
そんならソースのコメント欄とかでやりあえばいいんじゃね?と思うけれども、うんこを投げられる側としては記事と同じページが糞まみれになるのは嫌なわけで、コメント承認制どころか閉鎖してしまう人さえも多い。個人的には承認するしないは勝手だけれども、「コメントをはてなユーザーに限る」ようにするのは、それってブログというよりmixi化しちゃうんじゃね、ブコメができるのも結局はてなアカウントを所有する人のみだし、なんていうか、つまんないよねとは思う。
ところで、うんこに限らずブコメに返信って記事を書いた人としては面倒というか、困難というか、ぶっちゃけブコメした人ってそのあとはもうあまり見ないのでレスポンスがあってもそれっきりというか、とにかく面白くない。
結局、コメントしている側としては「コメント欄にダイブして記事書いてる人と直接あいまみえるのはちょっと怖いです><」って人や、そもそもコメントしたくともするところがないのでしょうがねぇなって感じなだけなんであって、要するに「外部のコメントサイト」が欲しいだけなんだよね。
だからこそ糞みたいな記事がホッテントリになるんだよね。ブクマしないと、コメントができないから。誰かさんはそういう特性をよく理解しているから、あえて論理を飛躍させたり、ツッコミどころを確保するといった高等テクニックを用いてじゃんじゃん釣りまくってるわけです。
そんなら、はてなラボがサイトごとにスレッドを立てるみたいなサービスも作ればいいんじゃね?とか思うこともよくある。あくまで実験的に、はてなidによる総コテハン化されたニュー速的空間を作るって感じ。無論掲示板なので、レスの応酬も可能。透明あぼんみたいな機能だって技術的に余裕でしょ?スレッドの勢いが上位になると、はてブでいうホッテントリになる感じ。
ネット掲示板ってインターネットが生まれる前から存在していた非常に古い媒体だけれども、最低限のS/N比を確保しておけば、なんだかんだ使えるものだとは思うんだけどな。もうちょっと鯖を強化する必要はありそうだけどね。今でさえ弱すぎって感じだから。
はてなidを使ってやりとりをするんだから、少なくともはてな村のブロガー様は直接その掲示板に乗り込んで、本人降臨、キチガイうんこ投げコメンター様を真正面から論駁し、吊るしあげ、鬨(とき)の声を張り上げ、今まで日本酒ちびちび舐めつつもニヤニヤしながらブコメをつけていたネット弁慶を村八分に至らしめることも可能といえば可能なので、結構面白いことになりそうです。まぁ、実際はそういったキチガイ様はidを変えて頑張りなさる可能性も高いので、そこまで大人げない行動をするのはあの人とかあの人ぐらいだろうなとは思いますが。
あ、あとAAはかなりウザいのでそこらへんは何かしら対策が必要でしょうね。
ブコメへ。
goodhome2 「上位1%の書き手なのかなぁとうぬぼれていたことがありました」 お前俺に勝っているとでも思ってるのか?俺様の増田ホッテントリ率は1.5本/dayぐらいだぜ?だぜだぜ?増田王の座は当分は譲らんぜ?
恐れ入りました。
んー、なんか違う気が。
かまってちゃん?
え、増田とかやってる時点で当たり前じゃね?
誰か・・・三行で・・・お願い・・・!
う
ん
こ
現にニュー速でもそういう方のほうが多いですよね。でも、ネウヨとかそういった類いの人種でない、本当の「事情通」みたいな人が何回も書きこんでくれる時とかもあるんですよ。そういう方々と邂逅するのがネット掲示板の醍醐味のひとつですよね。まとめブログじゃそいつから直接情報を聞き出すことなんてできない(既にスレはないのだから)ので、やっぱROM専とかまとめブログオンリーってもったいないよなと思います。と言いつつもここ数年ニュー速は通ってないんですけどね自分。
自分も、長くても200が限度だと思う。
『ブクマしないと、コメントができない』これ読んでひらめいた。いわゆる煽り系のウンコ記事をホットエントリーにあげないためには、コメントできるがブックマーク数としてカウントさせないボタンがあればいいのでは
それはいいかも。そもそもブックマークの訳語が「お気に入り」っていう日本の風習がおかしいよね。別に気に入ってねぇよ。自分もホッテントリで糞記事を見かけた時、こんな屑エントリこれ以上ageてたまるかって感じで絶対にブクマしないです。何か言いたいことがあっても。コメしたら負けかなと思ってる。
年間一万被ブクマ集めて来たならそれなりに知っていると思うが、この話は今まで食べて来たパンの数と同じくらいにわからないくらいやりとりされてきた話なんだぞ
ええ、存じております。しかしながら自分は「既出だからそれ」という考えそのものがナンセンスだと思っております。教育も、啓蒙も、その他もろもろも、ループこそが肝要だと、そう考えております。これについてはまた一つエントリが書けてしまうような内容なので、またいつか(本当か?)。
そろそろうんこが飛び交いはじめました。いやぁ、冒頭を読めば分かると思いますが、今回のこの記事は正直ブクマほしいなとかあんまり思ってないんですよ。別にすごくもないです。
これも同様、ミスリードかな。別に自分自身はあまり露骨な釣り文章書いてはいないんですよ。むしろ、実学系が多いかな?ブクマ乞食だった時期があるのは認めますけどね。タイトルとかお決まりの型みたいなのがありますからね。
VIPの人がアドレス毎の掲示板空間は作ってた気がする。正直そこまでいらないけど、ブクマメッセージに返信機能はちょっと欲しい。
diggとかは議論できるようになってるんだけどね。
コメ数は分からんけど、多分文章の内容、前提知識、長さから考えてブクマ数は50前後じゃないかなと踏んで書いた。後だしじゃんけんみたいで悪いけど、このペースだといい線いってそう。
あの、煽りでもなんでもなくて、「もうぞう」っていうのは何かのスラングですか? 誰も突っ込まないしわざわざカッコ書きだから、そうなんだろうとは思うんだけど…。
普通に、妄想は「もうぞう」とも読みます。自分の知る限りネットスラング等の意味合いはないです。ただ現代人が「もうぞう」と聞いて想起するものがあるとしたら、まぁ、アレでしょう。分かる人には分かりますが、分からない人には分からないと思う。文学少年なら一発かな。
とまぁ、現在44usersものブクマがついているわけですが、ご覧のようにこれですら返信が至極めんどいありさまです。数百とかいったら、もう絶対無理。もし批判とかされたら、うんこ投げられっぱなしは必定ですね。
ところでブコメに「増田ってわざわざ匿名ダイアリーで書いてるくせに、『俺だよ俺!あれの記事のやつ!』みたいなやつって多いよね」というような意味のものがあった気がしたんだが、ない。ブクマ外されたか、ブコメを消したのか、分からないが、それに対して言いたいことがあったので、ちょこちょこ説明してみる。
増田ばっか書いてるやつ=匿名の卑怯者(池信論法)って図式をよく見るけど、正直特定が怖いだけならば最終弁当さんや分裂君みたいに匿名(と言っていいものか疑問、ではあるが、まぁ一応)のまんまでもブログって書けるじゃないですか。だからそれはちょっと違うよなと思う。
自分の場合はというと、単純に「みんなが読んでくれるから」。
ブログってブクマが3usersに達するまでが一番大変なんですよ。でも3を超さないと「新着エントリ」に出ない。その点、増田は常に誰かしら巡回しているので、3usersぐらいあっという間、それで内容さえよけりゃ簡単にホッテントリになる。一言で言うなら、「労せずしてホッテントリをとりやすい」「ブロガーとしてのキャリア蓄積というだるい期間を省略できる」ってんのが最大のメリットなんですね。要するに気楽なんですよ。更新サボっててもなんら問題ないし。ブロガーが更新サボると村内での影響力が顕著に落ちるけどね。そんなの、くだらんっちゃ、くだらんが。
トラバ先を間違えた……。
本当はhttp://anond.hatelabo.jp/20091027000459に対するレスポンスのつもりだった。ご了承アレ。
同じく、です。
ありきたりな分析だけど、やっぱり学生時代を終えて格段に「人生の可能性」がなくなったからだと思う。
学生のうちは、のんべんだらりと過ごしていても、いつか何かしら劇的な出会いがあって人生が大きく変わり、そこから何かしら明確な人生の目標ができるかも。って、普段から強くは思わないまでも、潜在意識化でひそかにあった気がする。そしてそれが、心にある意味ゆとりをもたせていて、未来に対して希望ももてていたように思う。
社会人になってしまうと、それはもう仕事は忙しいし、現状を変えるには体力的にも時間的にもきつい。ローテーション化していく業務の中で、自分の小ささを自覚していき、そんな中で彼女もいなくて友人も少なければ、なんで生きてるんだろうって疑問に思うのは不思議じゃないよね。
…という自分語りでした。
<追記>すいません、何か元増田さんの書いていることとはズレたレスポンスになってしまってますね。。。気にしないで下さい…。
珍しく、先週今週ともに、「土日のどちらかを家から一歩も出ず過ごす」という日があった理由を考えた。
これはAmazon.co.jp: ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」: 堀江 貴文, 西村 博之: 本にあった、「お金は信頼と同義」という考え方を読んで思ったことなのだが、
まず最近、「信用を売りたい相手がいない」、ということ。そして、「得たい物がない」、ということ。
この二つが大きいのではないか、と。
もちろん、自分の周りにはリスペクトできる人がいて、信用を売り、そしてたくさんのモノを今でももらっている。
そういう意味においては、彼らの意見には賛同できるし、至極その通りだと思った。
ホリエモンもひろゆきも、彼らよりいろんな意味でレベルが高い人が、身近にいるんだと思う。
しかし、何かに秀でた人に新しく出会える環境、というのは、当たり前のことではない。
また、リスペクトできない相手に信用を売ったところで、全くレスポンスがなかったり、逆にいろいろ押しつけられ、こっちが苦労してばかりになる、ということが多々ある。
今後の自分の課題として、そういう信頼を得るに足る人間に新しく会える環境を整備するのか、あるいは手当たり次第出会いを求め、信頼を得るに足る人間を選ぶのか。
はたまた既知の人の秀でたところを探すのか。
どういう方向に進もうか、と考えあぐねるうちに、夜が更けた。
自分の分相応な相手を見つけつつ、ノブレス・オブ・リージュを遂行する。
まずは自分を見つめ直す作業からした方が良さそうだ。
ココ!
と
現実!
の境目。
の認識のずれ。
職業柄、ウチのような会社だと、朝から晩までインターネットにつながっている世界、かつその世界の話ししかしないので、あまり境目を感じることなく生活しています。
なので、自分はインターネットを使う感覚が一般の人と違うのだと思います。
一般の人は携帯メールベースの約束は約束になりますが、その約束がネットベースになると、とたんに約束そのものが消えかけます。
極端な話しですが↑
ですので、信頼性があるのだと思います。
ここ最近のネットから受ける情報の受信に社会全体が、すぐにレスポンスを返せるようになるのには、もう少し時間がかかるのだと思います。
分かるでしょ。
ネット上のコミュニケーションに対して、現実社会以上に気を使っている姿が。
mixiの日記でのやり取りが、現実社会から逸脱したような回りくどい、やり取りとなっている以上は
ネットを使っているのではなく、ネットに使われながら生活をしている
にすぎないと思う、今日この頃です。
私は結構flashについて知識がある。私が始めてトレーニングコースでflashについて言及したのが何時だったのか覚えていない。それ以来、flashはトレーニングコースの一部となっている。
しかし、トレーニングコースで人にflashについて話していても、私は実際に自身のページの中には使っていなかった。フリーランサーとして明らかに、日常の仕事において、私の顧客が使っているテクノロジーが何であれ、それを使うことを余儀なくされる。私はまだ、flashを既に使っているプロジェクトの仕事を受けていない(私は数人の顧客にflashを使ってはいかがと勧めているけれども)。
私自身のページは別だ。そのページは主に私のサイトである。最近まで、それらのどれにもflashを使わなかった。flashを使った私の最初のリリースは、なんだったろうか。始めからflashを使った新しいサイトだ。しかし、結局のところ、flashが適切である場所ならどこでもflashを使うように、遡って既存のサイトをリファクタリングしたくなることが分かった。
近年Google Mapを使い、AJAXがいかに素晴らしいかを面と向かって私に語る人々の一週間に付き合わされた。そして、歯を食いしばってリファクタリングを始める時だと決心した。
私が試みた次のサイトがフォトギャラリーのためのサイトだった。2つの理由のため、これを選んだ。第一に、それが正に見た目重視の重いサイトであるから。画像の初期読込みを別にして、このレスポンスの悪さは出来るだけ見栄えのよい画像を表示するために存在する。これは非常にflashと相性がよい。事実、flashを使うようにリニューアルすることは、トラヒック削減の主なケースだった。第二に、もっと実際的なことだった。つまり、私が知っている限り、このサイトを使っている人はいないので、私が何かを壊しても、私を罵る群衆がいないであろう。
そのリニューアルのいとも簡単さに感心したので、私はメニューに移った。この部分は、私の最初のサイトより存在していた、特別な思い入れがあった。それが特別便利とは思っていない。そのデザインは非常に基本的で、私が元々これを書いた最初のサイト以外には、どのサイトにも使っていない。私は屡々新しいテクニックを試すために、それを使用している。8月9日にバージョン2.00をリリースした(その実装の変更は、メジャーバージョンナンバーを上げることに相応しいと思った)。
昨日、私はflash使用を止める要望のRTチケットを受取った。そのチケットは、いろいろな使用(そのチケットでは、テキストベースのブラウザでの使用にも言及しているが)に対して、flashによって加わった更なるオーバーヘッドが受け入れ難いパフォーマンスの打撃になっていることを明らかにしている。
私はこれをどのように克服するか分からない。一デベロッパーとして、私はflashの使用が好きである。flashは、動的なUIのページを書くことを容易にする。私は、翌年以降年々、Webデベロッパーはflashを使っていくだろうと考えている。もし、あなたが既に充分に複雑なことを HTMLで書いているなら、flashを使っているページを使用するチャンスである。時が経つにつれて、flashに依存するページの割合は増加するだろう。しかし、小さなアプリケーションに対して受け入れ難いパフォーマンスの打撃があるならば、デベロッパーが使っていないflashを強制することはいいことだろうか?
これをもう少し熟考するまで、私の作物をflashに移動させる計画を保留したいと思う。しかし、私は他の人の意見を聞きたい。あなたがサイトオーナーなら、あなたのページでflashを使用することを考えているのか。あなたがWebサーファーなら、 flashを無理強いするページを避け始めているのか。
あなたの考えを教えてほしい。
そうだよなー。わかるんだよ。とか思いながら読んだ。
こんなことを人に公開して(しかもレスポンスを頂けて)書けるのは増田くらいなので、少し恥ずかしいけど書きたい事を全部書こうと思う。
教科書的デザインである事は普遍の美しさや安定という価値観に近づくと思い、それを追う様になった。
偏差値を高めるという表現がしっくりとくる。
自分にとって、デザインが手段か目的かということが大きくデザインの役割を決めている気がする。
作っていく事を評価されたいのか、作ったモノを評価されたいのか。
ちょっと評価されたいという意識が強すぎるのかもしれない。
教育の場ではもっと自由にやればいいんだよ、なんてよく言われるけど基礎ができた上での話だってわかってる。
知り合いで教科書的を突き詰めて、その無駄すらも排除したようなミニマルなデザインをしている人がいる。
普遍的な美しさを持ちながらも、時にはふつうと言われかねない高尚なデザインは、
自分の理想に近くて、まあそれを目指す人は沢山いて、その人にも
「君は綺麗なものは作れるけど埋もれかねない」
と突き刺さる言葉を頂いた。
対して、普遍的な価値観など考えず恣意性丸出しのデザインを貫く知り合いもいて、
そちらにも憧れるのはモノ作りをするものとしては当然だと思う。
恣意性を出すのは難しい、そして恥ずかしい。
「デザインの理由・・・作りたかったから」
「なんてバカだ」で終わらずに、「なんてかっこいいんだ」ってところまで思ってもらえないと成立しない。
と、ここまで書いて最初にも、前回のエントリにも書いたけど当然すぎ。わかってるよ。
この文章すらもつまらない自分の一部だ。だから書くのが恥ずかしいと思うんだろう。
ここで唐突に麻婆炒飯について語りだすくらいの、
そしてその話がベストセラーになるくらいの恣意性が必要なんだろう。
精進いたします。
>別に「別れを願え」というわけではなく、何故「彼女が自分と一緒にいて幸せになる」という発想ができないのだ。…
精神病でFラン大学中退した非モテが天下のリア充東大生様に勝てるかつーの…というのが初めに沸いた考えなのはまだまだって事か。
確かに馬の骨氏のことなんざ知らないからどうなるか分らない。彼女を不幸にしてしまうかもしれない。でも彼女が選んだ人だから、と盲目的に彼女を信じてる自分がいる。
逆に上述の理由で私が彼女をしあわせにできるか、と言うと世間的にはどうなのかな。Fラン中退非モテ<リア充東大生でしょう、常識的に考えて。
気概だけなら世界で一番しあわせにしてみせるし、全てをかなぐり捨ててでもそうしてみせる、ってのはあるけどそれでどうにかなったらこの世界はもうちょっとみんなしあわせになってると思うよ。
>でも非モテがネットで正直に本心を書きすぎるのは危ないよ。わかりやすい欠点にお説教が殺到してくるから。他人の説教なんかで治らないから苦しいのにね。
そうかな?
8月に入ってすぐの事、ぼんやりいつものように某マイクロブログに常駐していたら好きな人(九州在住)が何か用事で東京に来ることを知った。
九州にはこっちから行くのはなかなかできないけど、相手が東京に行るなら逢うチャンスがある。それでそれと無く逢いたいのをアピールしたらいい感じに二人で逢おうという事になった。
舞い上がったよ、そりゃ。
故あって一度振られてるけど今でも好きな人と久しぶりにあえるのだから。
で。当日都内で本当に酷い面接と普通の面接と二件面接ハシゴした後、連絡取り合って新宿駅で相手と遭遇。
あぁ・・・お会いしとうございましたぁぁぁぁぁぁぁぁ
・・・とぶっ壊れた思考は押さえ込んで至って紳士的に接していた。
しばらく新宿駅の改札内で談笑して、さてどこかでご飯食べようかと思ったところで思わぬ邪魔が入った。二人ほど。
一人は近くにいたのでその好きな人(以下「相手」)がTwitterで召還した。もう一人はよくわかんないけど「相手」の携帯に会いに行く、とメールが来たらしい
この二人が酷かった。
一人は破滅的な変人で「相手」がなんだかあこがれている人、もう一人は事もあろうに元彼(ちょっと前に別れたばかり)
・・・・・
・・・・
・・・
私はヘタレなのでそんな二人から逃げて二人っきりなんてできなくてその二人が来るのを待ってしまった。
あぁぁぁぁぁぁ
結局その二人が来るのを駅前で待って、それからレストランで食事してさらに誰か来て五人になった。
私は終始空気状態。
破滅的な変人はその変人故に会話がおもしろいし、元彼の人はイケメンリア充故に話に加わる。もう一人は「相手」と似た境遇なので話が進んでてた。
何もなかったのは私だけ。
だから、空気扱い。
愛想笑いしているだけ。
・・・・・
・・・・
・・・
食事が終わって午後9時。
「相手」は門限があるのでその日はこれでお開きになった。
レストランを出てから殆ど「相手」と会話はなかった。ちょっとふざけあって笑いあっただけ。ほんの、ちょっとだけ。
新宿駅の改札入ってみんなはJR、私は小田急だった。だから「相手」ともここでお別れ。
また逢おう、みたいなこと言って大げさにハグする仕草したら「相手」それに乗って抱きついてきた。
ほんの、数秒間の抱擁。
柔らかくて暖かい感触。
その感触が忘れられない。
中学生か私は。
それから各駅停車で帰路についたのだけど、道中うわのそらだった。
想定外の抱擁のせいもあったけど、もう一つ原因があった。
なんで、あの時邪魔もの二人待たないで無理矢理二人だけでどこか行かなかった・・・と。
実は元彼とは会いたくなかったらしい。
なんで急に会いに行くとか言い出したのか理解できない、とか実際会って話はすれど少し「距離」をおいていた元彼が理解できないとか書いていた。
それで思った。
なんで、あの時邪魔ものから逃げ出さなかったのかって。
だって好きな人と二人きりで私も幸せ、「相手」も会いたくない人を避けられて二人で幸せだったじゃないか。
破滅的な変人ともう一人には悪いことかもしれないけどそれはさておき。
後悔していた。なぜあの時そう言い出せなかったのか。
こう言う所で出てくるよね、非モテも悪い所って。
逃げるのと、逃げないの。どっちが正解なのかは今でもわからなし、モテには強引なところは必要なのかもしれない。
で、こうやって後悔してここにこれ書いてるのも非モテがなせる技だろうね。
翌日、「相手」にメールした。
近所で大きな花火大会があったからそれに誘ったのだ。
数時間レスポンス無しの末、「先約があるから」と断られたけど。
脈無いの重々承知なのに何で誘ったんだろうな・・・。
訳がわからない。
来週の半ば「相手」は九州に帰ってしまう。
もう今回逢う機会はたぶん一回しかない。「相手」が帰る直前空港で見送るとき。
おい、kawango!一般人にも感じがつかめるようにセッション管理について教えてやる
一般の人にとって一番わかりにくいのが
ということ。
「えー、うちのインターネットは常時接続だよ?」とかいう奴は蓬莱の弾幕でも食らっていやがれ。
となる。接続状態(太郎くんのお家にお邪魔している状態)というものは存在しない。とにかく毎回毎回、「ピンポーン」とやって、いちいち要件を伝えないといけない。ちなみに執事はいつも受動的。言われたことしかしない。
さて、もうちょっと高度に
ことも出来る。
好きな人はさすがに一部の友達にしか伝えられないので、山田家の執事は決められたルールに従って、「太郎の様子は万人に伝えても良いが、太郎の好きな人はマブダチにしか伝えてはならない」といった篩い分けをする必要がある。今僕らが話題にしたい「認証」の問題だ。
もちろん人間の執事なら、一度覚えれば、誰がマブダチで誰がそうでないかはわかるわけだが、現実のWebサーバーは杓子定規なので、毎回毎回「名前(ユーザー名)と合言葉(パスワード)」を聞いて、本当にマブダチかどうかを確認する。
マブダチA:「太郎君の好きな人って誰? 僕は《マブダチA》、合言葉は《おニャン子》だよ」
マブダチA:「その前は誰だったの?」
という面倒な方法をとらないといけない。
要するにページを移動するたびに(ひとつまえの好きな人を聞くたびに)、認証(マブダチ確認)を行う必要がある。
それはめんどくさいから、ある一定期間の間は特殊な記号を使って、認証を楽に済ませましょうというのが、HTTPにおけるセッション管理だ。
さっきの例え話でいくと、
山田家の執事がマブダチAの手間を考えて「毎回お名前と合言葉を言ってもらうのも面倒ですから、このバッジ(セッションID)をお渡ししますので胸に付けてください(クッキーに保存)。それを見ればわかりますから。但し、最後のお問合せから30分以上すぎたらお名前と合言葉をもう一度言ってもらいます(セッションIDの有効期限)。そのときはまた新しいバッジをあげます」となる。
大事なことは、このバッジが一時的にしか使われないものということだ。どのくらいの期限を有効とするかはその家族で決めたルールによる。いずれにせよ、バッジがあれば完全スルーであるので気をつける必要がある。
要するにセッション管理を利用することで、実はマブダチじゃない人にマブダチを騙られるリスクが増すんだ。
毎回毎回、ユーザー名とパスワードを答えるのは面倒だから、バッジでよろしくね!ってなったら、バッジをジャイアンに奪われたり、スネ夫盗み見られたり、出来杉君に気付かないうちに誘導させられたりというリスクが出てきてしまう。それを心配しないといけないんだ。
ここで、もしだよ、マブダチAが、世界で自分だけが持っている変更不可能な情報をバッジの代わりに使ったとしよう。例えばDNAだ。
執事がDNAでマブダチかどうかを判断する。簡単ログインのためにあなたはDNA情報を提供しますか?となる。山田さんの家も、佐藤さんの家も、田中さんの家もDNA情報ひとつで認証を済んでしまうような社会だ。しかもマブダチAを表すDNAはひとつしかない。よって、このDNAを1つコピーするだけでマブダチAになりすませる。hatenaもmixiもNaviTimeもDNA認証を使っているサービスは全部だ。もちろん、このDNA認証を一般のセッション管理と同じように有効期限を設定して、その都度破棄することもできるが……。それはあくまで、善意の執事の場合であって……。DNA情報と本人の個人情報をマッチングして裏でほくそえむ黒執事がいたら……ざわっざわざわ……。
しかも、DNA情報を暗号化せずによこせと言ってる奴もいるッ!な……何を言ってるのかわからねーと思うが、おれも何が目的なのかわからねえ……。オレオレ詐欺だとか、クレジットマスターだとか、そんなチャチなもんじゃねえ……。DNA情報ばら撒きというもっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。
わかったか、kawango!
amazonで参考書を買えばいいじゃない。それだったら対面で応対するプロセスなく、自身の方策例を知れる。
あと、ノートに書き出して云々と言うなら、それを実際に書き出して、相談施設に言って相談してみるのも一手。対面で口頭で対話するより、書き出したものをベースに相談する方が楽でしょ?(楽でしょ?っていうのは、たぶん自閉症スペクトラム持ちの人はそうだと思うからあえて書いた)
と、参考書を本を読んだ上で相談施設に行き、自閉症スペクトラム持ちとコメントされた人が言ってみる。
とりあえずこの本とか、本人・周囲の双方にとって、分かりやすいし読みやすい本だと思うけど。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062789566
(追記)でも、元増田の主張はもっともだと思うんだけどね。たとえば、「他人と相談しましょう」って言われても、他人に相談したところで自閉症スペクトラム・発達障害のことを知ってる人はまずいないし、そもそも、相手がそのことを理解してくれないから今の生活に苦労しているという現実があるわけで、相談したところで解決になりゃせん。それに、人にもよるんだけど、口頭で説明したり瞬時に的確なレスポンスをすることが困難で、たとえば文通とかチャットのように、少し時間的な余裕があったりする方が説明しやすい性格であることを、ふつうの人は分かってくれなかったりする。で、追い打ちをかけるように「モジモジしてないでハッキリとモノを言いなさい」とか恫喝されて、萎縮する悪循環。
こんなことを書いていると「甘え」だとか言われそうな気もするけど、仕方ないんだよ。手のない人に「手が使えないのは甘え。装具などの代用さえも甘え」と言うように、発達障害の人は足りてないものは足りてないで仕方がないんだよ。そのことを、フツーの人も分かってほしいし、発達障害の人自身も、自分の特徴を客観的に・科学的に把握しながら、努力するところは努力し、できないことはできないなりに代替手段を使ってほしい。
元増田です。
>そのプロフィールで話を作ったら、連載に至らないか「18禁でやれ」になってしまう可能性があるんじゃないかなあ。
あああっ!!
そういう視点がガッツリ抜け落ちていました。
そうですね、おそらくそうです。
(作りようによればいけなくもない、とも今思いましたが、
作者は九重りんのお色気描写一点に、そういった資源(世間への配慮や云々)を割きたかったのだろうという気もします。)
>真面目な話を絡めて「これは真面目な話なんですよ」「社会に問題を投げかけてるんですよ」という態度
なんというか、それを”保身にはしって害を為す”と形容したくなるような。
ともあれ、「フィクションとしての能天気なエロ」、とても心が高揚する、良いフレーズですね。
最近、めっきり出会うことが少なくなってしまったものだと思います。
「こどものじかん」も、そんな読後感を与えるといわれる作品であったならなぁ。
…と、ここまで書いて思ったのですが、私は「こどものじかん」の児ポ描写(の描写自体も、それが作中で意味するところも)が薄まってくれたらいい、と思っているのかもしれません。
(作中に、大人のエロ描写を増やし、その中に児ポ描写を埋めることで。)
混乱してきました。
…いや、そう、そもそも「こどものじかん」の感想を書いたのは、
・娘(1歳)もちのメスの増田に対して、「こどものじかん」を推薦するレスポンスをください!
という意図があったのです。
引き続き、ご意見を求めます。