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はてなキーワード: チャーターとは

2013-08-24

金糸と銀糸

11) スエーデン語: Mångata 月明かりが水面に輝いて道のようになっているさま

http://kyouki.hatenablog.com/entry/2013/08/23/063435

このさまを表す言葉日本にもあるよっていう話。

以前、漁船チャーターした際に、真鶴漁師の方に

太陽が海に作る道を金糸、月が海に作る道を銀糸ということを聞いた。

錦の御旗を織る糸から来た言葉だそうな。

さざ波しか聞こえない中で

水面に長く細く光の道が揺らめく様は、糸を流したようでしょうと

訥々と語る船長さんの声と目の前の光景にうっかり眠って心を奪われて

いい感じにぐだぐだになったのを覚えている。

ムンクmoonlightって絵画ハチクロで後から知って

ああ、この光景を彼も見たんだと感性が通じ合えた気がした。

スウェーデンの隣の国の人だから、というのも一因かもね。

今年はムンク生誕150周年記念だから、どこかで現物ゆっくり見る機会があればいいな。

余談だけど、満月を東に、太陽を西に湛えた光景を表す「はにはに」こそ日本が誇るべき(ry

2013-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20130704124306

ブラックバス最近(と言っても25年前くらいだから最近とは言わないか)までは芦ノ湖しか

いないような「珍しい魚」だった。

芦ノ湖でも簡単にかかるような魚ではなく、芦ノ湖の個人チャーター釣り船だと、

ブラックバス釣るなら分けてくれたら船賃はいい」

って船主がいたくらい。

なので、富士周辺の湖ではなんとか自分とこでもブラックバスを増やしてそれ目当ての釣り

を呼び込みたい、という活動が行われてた。

その後、よく知られるように「芦ノ湖に行かなきゃならんのは大変なので地元釣りたい」という

アホやバカが芦ノ湖富士五湖で釣ったのを生かして持ち帰り片っ端から放流したせいで現状のような

ことになったわけだ。

2012-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20121121135322

公共交通機関で様々な他人と乗り合わせる事に耐えられないんだったら

全座席を買うなり自分専用機チャーターするなりしろ

それが出来ないなら文句言わずに我慢して他人と同乗するか自分が乗らない事を選べ

じゃあ「赤ん坊が泣いたぐらいで物凄い騒ぎ方して問い詰めてくる変なBBA」のことも非難するなよ

変人に耐えられないならチャーターすりゃいいだろw

2011-03-22

災害時の菅直人伝説

2011-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20110317110825

いや、俺も色々胡散臭い文面だとおもうけどさあ。

「陸路を開拓」って日本語はこの文脈だと「(車両)通行可能道路を見つけた」という意味しかとれないぜ?他の部分のことか?

後、臨時ヘリポートについては、「震災以前に、被災地に臨時へリポートを偶然確保してる会社」はあった可能性は否定できない、という指摘な。

たまたま被災地支援向きの場所に臨時離発着申請してる会社があって、その会社の飛行設備が生きてて、その会社を上手く捕まえた、っていう可能性はどんだけ運がいいんだよ、とは思うけどな。「航空法違反を犯しての着陸」や「震災後のヘリポート確保」ならちょっとありえない想定だから、疑うに充分だろうけど、この元文章だけだと「震災前に既に臨時ヘリポートが確保できていた」可能性もあるから、根拠にならねえよ、ってことな

http://anond.hatelabo.jp/20110317080500をよく読んでくれよ。

指摘するなら、「もう連絡がとれていない自治体は無い」という公知の事実に反する部分を指摘してやれよ。ヘリチャーターとかしたこと無い人だと思うけど、自分が詳しく無い部分について思い込みで判断するのはどうかと思うぜ?っていうことな

2009-12-08

ライバルを蹴落とすための勉強に励み、 医学部入学後ひきこもり

中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値単位媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。

その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。

やがて医学部合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。

受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューター家庭教師バイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレ水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。

この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。

2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。

主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。

私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。

当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。

その方は、13年前に不登校ひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校ひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。

何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。

改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。

こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供自分価値観押し付けるべきではなく、子供自分価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。

さらに、自分もまた社会価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。

親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバー飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。

現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。

山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビパソコンなどの情報機器エアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。

私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。

私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。

また、今の私には大学に帰り、自分経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。

2009-11-27

第二波(ドバイショック)、来ます!

株式欧州市場に「ドバイショック」 金融株が重荷[09/11/27]


1 : やるっきゃ騎士φ ★ :2009/11/27(金) 11:49:07 ID:???

26日の欧州株式市場では、アラブ首長国連邦UAE)ドバイ首長国資金繰り危機の

波紋が広がった。

英国ドイツフランスの主要株式市場では金融株が下げを主導し、株価指数が軒並み

大幅に下落した。

湾岸諸国と取引関係が多い欧州銀の収益への警戒感が広がったほか、湾岸諸国の

大株主がいる自動車大手などの売りが優勢になり、資金を国債など安全資産

振り向ける動きが加速した。

英国市場では、FTSE100種総合株価指数終値前日比3.18%下落したほか、

ドイツ株式指数(DAX)も3.25%、仏CAC40も3.41%下げた。

スイスイタリアスペインといった各国株式相場も安かった。

この日は米国や一部を除く中東市場祝日のため休みだったため、動揺は欧州市場

集中した。

ドバイ向けの債権保有が多いとされる銀行株が全面的に売られ、バークレイズ

ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)株が8%近く下落。

スタンダードチャータードやドイツ銀行ソシエテ・ジェネラルなどの株価の下落率も

5%を超えた。

ソース

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091127AT2M2603V27112009.html

2009-10-03

国交相が日本航空ナショナルフラッグキャリアと明言。

海外金融機関の判断を捻じ曲げる為に、日本航空手形日本政府が裏書すると言ったようである。これで、日本航空の赤字は政府が幾らでも補填してくれる事になったことから、経営改善も必要ないし、OBへの年金等のレガシーコストも、これまでと同様に垂れ流しに出来る。

ナショナルフラッグキャリアであると明言した以上、大臣首相の外遊は、すべて、日本航空からのチャーター便に切り替えるとなるであろう。自衛隊運用している政府専用機は、廃止ということになる。機体と整備用冶具一式に予備パーツのストックもつけて、日本航空安値で叩き売るつもりであろう。

着々と地雷を踏んでいっている状態である。

そもそも、政府専用機が必要になったのは、スパイ対策であった。チャーター機の場合、ファーストクラスキャビン要人が集まる事から、ファーストクラス椅子の中とか、壁の中等にマイクを仕掛け、貨物室等に録音機を置き、要人の会話を全て記録し、相手の方針を前もって知ろうというスパイ行為に対し、チャーター便である限り、対応できないのである。

このため、外交目的の移動では、軍の将官移動用の機体を流用するという事が行われるようになり、ナショナルフラッグキャリアという概念は不要となっていったのである。

日本航空の機材は、中国メンテナンスを受けている。最近技術では、爪先程度の大きさのボイスレコーダーも可能であり、整備員が何時間後から録音開始という信号を、機体のメンテナンスに見せかけて送り込み、ボイスレコーダーの内部に溜まった音声信号は、現地について要人が全部降りたあとで、現地のメンテナンス要員に成りすましたスパイが近接電波受信で回収するという手段も、可能になっている。

なんでそうなっているのかという理由や事情を知らない世間知らずが、思いつきで暴走している姿は、自分に関係が無い状態であれば見ていて楽しいのだが、自国の大臣内閣与党がそういう状態というのは、本当に困りものである。官僚を使いこなすには、官僚よりも優れている事が必要であるが、これだけ失点を繰り返し、無能を晒していて、まだ官僚が従ってくれると思っているのだとしたら、かなり特殊な人格の持ち主であると考えるしかない。恥を知るべきであろう。

http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html [2009.10.2]

2009-07-22

日食の「収支」

独断と偏見により、日食への「費用対効果」を地点毎に出してみた。

◎(満足度100%)

小笠原海域のチャーター

 (おがさわら丸、ふじ丸、ぱしふぃっくびいなす号)

 ・・・皆既食の観測に成功

喜界島

 ・・・国内唯一、陸地にて皆既食観測に成功

○(満足度50%)

奄美大島北部

 ・・・少し雲が掛かったが、一応皆既の雰囲気は味わえた。

那覇

福岡

 ・・・晴天により、部分食がばっちり確認できた

大阪

 ・・・これは意外だが、雲が適度に掛かったことにより、

    肉眼で部分食が直視できるシチュエーションになったらしい。

△(満足度0%)

東京名古屋札幌等国内諸都市

 ・・・観測できなかった訳ですが、もともと費用も掛かっていないのですから、

    まあこんなものでしょう。

×(満足度マイナス100%)

トカラ列島

種子島

屋久島

上海

 ・・・高いツアー代掛けて見に行って成果ゼロ投資効果激悪。

2008-04-29

mixiにあった日記転載

聖火リレー、行ってきました。

まず皆さんにお願い。

この日記転載リンクして頂いてかまいません。

動画3つまでしか載せれないため、

動画ありと書かれたものは僕のメインページの動画にあります。

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。

Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。

町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。

僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、

彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。

善光寺参拝が終わり、街中へ。

とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。

ここで日本とは思えない景色を目にした。

出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。

警察の言い分。

危険だから」

じゃあ、何で中国人はいいんだ?

「......ご協力お願いします。」

は?

それやらせじゃん。

中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

その時の抗議の様子

この後TBSの取材が来た。

チベットサポーターの1人が、

日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。

アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」

と吐き捨てて消えた。

街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。

そこに中国人押し寄せ、罵声を浴びせてくる。

交差点中国人と僕らが入り乱れた。

突然Mちゃんが顔面を殴られた。

僕は殴った中国人ババアを捕まえて、目の前の警察に言った。

「こいつ殴ったぞ!!」

警察は何もしなかった。

ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。

警察と目が合った。

警察は何もしなかった。

ババアが僕の顔面を殴ってきた。

周りのチベットサポーターが、

「おい、警察現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」

と言ったのに、

警察は何もしなかった。

これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。

でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、

中国人が叩き落とした。

拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人

「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。

2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。

街中いたるところで抗議合戦。

救急車が来たり大騒ぎ。

僕らはひたすら抗議活動をした。

(動画あり)

雨が降ってきた。

それでも誰も抗議を辞めなかった。

中国人がかたまってる交差点を、

Tさんと旗を振りながら渡った。

沿道の中国人は蹴りを入れてくる。

とても沿道に入れず、車道を歩いていた。

警察が来て言った。

「早く沿道に入りなさい!!」

は?今入ったらボコられるじゃん。

なんで日本人の安全を守ってくれないの?

「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。

警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。

何故か中国人チベットサポーターに分けられた。

警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。

嘘だった。

ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。

聖火なんか、どこにもなかった。

目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。

こんな場所じゃ、声すら届かない。

数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。

国境無き記者団もこちら側に来させられていた。

代表がマスコミインタビューに答えていた。

(裏から撮影した動画あり)

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、

土砂降りの中僕らは叫び続けた。

この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。

MちゃんもF君も泣いていた。

こんなのってあんまりだ。

せめて伝えて欲しいだけなのに。

この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。

チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。

涙が止まらなかった。

内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。

涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。

悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。

平和だ、人権だと騒ぐ割には、

中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。

警察を使って。

帰りに携帯ニュースを見た。

聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」

聖火リレー日本人5人逮捕中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。

この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、

僕らが受けた痛みは、

彼らの悲痛な叫びは、

どこに反映されたのだろう。

警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、

そこをマスコミは撮影し、

中国人暴力を黙認して、日本人逮捕する。

これが日本のやることか?

ここは本当に日本なのか?

中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?

この国は最低な国です。

チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、

僕は彼らに謝りたかった。

初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。

これが真実です。

僕は日本政府中国以下だと思った。

弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野

そこには言論の自由はなかった。

歩行の自由すらなかった。

中国人を除いて。

追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。

報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。

動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。

マスコミの嘘つき。大嫌い。

FREE TIBET!!

追追記:コメントパンクのため、

新しい日記の方にお願いします。

また、コメントにあった質問等にもある程度お答えさせて頂きました。

2008-04-28

世界最低の国、日本転載

引用元:

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143

動画

http://www.youtube.com/watch?v=-gaVNoTy9Pg

http://www.youtube.com/watch?v=FyRyFg0WmX8

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聖火リレー、行ってきました。

まず皆さんにお願い。

この日記転載リンクして頂いてかまいません。

動画3つまでしか載せれないため、

動画ありと書かれたものは僕のメインページの動画にあります。

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。

Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。

町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。

僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、

彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。

善光寺参拝が終わり、街中へ。

とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。

ここで日本とは思えない景色を目にした。

出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。

警察の言い分。

危険だから」

じゃあ、何で中国人はいいんだ?

「......ご協力お願いします。」

は?

それやらせじゃん。

中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

その時の抗議の様子

この後TBSの取材が来た。

チベットサポーターの1人が、

日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。

アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」

と吐き捨てて消えた。

街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。

そこに中国人押し寄せ、罵声を浴びせてくる。

交差点中国人と僕らが入り乱れた。

突然Mちゃんが顔面を殴られた。

僕は殴った中国人ババアを捕まえて、目の前の警察に言った。

「こいつ殴ったぞ!!」

警察は何もしなかった。

ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。

警察と目が合った。

警察は何もしなかった。

ババアが僕の顔面を殴ってきた。

周りのチベットサポーターが、

「おい、警察現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」

と言ったのに、

警察は何もしなかった。

これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。

でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、

中国人が叩き落とした。

拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人

「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。

2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。

街中いたるところで抗議合戦。

救急車が来たり大騒ぎ。

僕らはひたすら抗議活動をした。

(動画あり)

雨が降ってきた。

それでも誰も抗議を辞めなかった。

中国人がかたまってる交差点を、

Tさんと旗を振りながら渡った。

沿道の中国人は蹴りを入れてくる。

とても沿道に入れず、車道を歩いていた。

警察が来て言った。

「早く沿道に入りなさい!!」

は?今入ったらボコられるじゃん。

なんで日本人の安全を守ってくれないの?

「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。

警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。

何故か中国人チベットサポーターに分けられた。

警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。

嘘だった。

ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。

聖火なんか、どこにもなかった。

目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。

こんな場所じゃ、声すら届かない。

数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。

国境無き記者団もこちら側に来させられていた。

代表がマスコミインタビューに答えていた。

(裏から撮影した動画あり)

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、

土砂降りの中僕らは叫び続けた。

この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。

MちゃんもF君も泣いていた。

こんなのってあんまりだ。

せめて伝えて欲しいだけなのに。

この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。


チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。

涙が止まらなかった。

内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。

涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。

悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。

平和だ、人権だと騒ぐ割には、

中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。

警察を使って。

帰りに携帯ニュースを見た。

聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」

聖火リレー日本人5人逮捕中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。

この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、

僕らが受けた痛みは、

彼らの悲痛な叫びは、

どこに反映されたのだろう。

警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、

そこをマスコミは撮影し、

中国人暴力を黙認して、日本人逮捕する。

これが日本のやることか?

ここは本当に日本なのか?

中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?

この国は最低な国です。

チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、

僕は彼らに謝りたかった。

初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。

これが真実です。

僕は日本政府中国以下だと思った。

弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野

そこには言論の自由はなかった。

歩行の自由すらなかった。

中国人を除いて。

追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。

報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。

動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。

マスコミの嘘つき。大嫌い。

FREE TIBET!!

#追記

引用元:

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143

動画

http://www.youtube.com/watch?v=-gaVNoTy9Pg

http://www.youtube.com/watch?v=FyRyFg0WmX8

2007-12-16

NHK職員平均年収1163万円、ワーキングプアを取材

2005年3月末の職員数が1万1697人

NHK職員、平均年収1163万円

NHK会長の年収3600万円

2007年12月16日 21:15??22:35 NHK総合

NHKスペシャルワーキングプア3・解決への道」

米国IT技術者の転落

正社員にして!韓国パート女性の叫び

▽英・貧困の若者に重点支援

▽対策遅れる日本

NHKスペシャル|ワーキングプアIII 〜解決への道〜

NHKスペシャル|ワーキングプア??U 努力すれば抜け出せますか

NHKスペシャル|ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜


世の中のご意見番: 『NHK不要論 32』

『Nスペ一本で家が建つ』

以前、つまり世間の目がNHKに厳しくなかった頃『NHKスペシャル』でシルクロードのような番組制作すれば、

番組制作費の私的流用で家が建つというのはディレクター仲間の常識だった。

だいたいシルクロードのような場所では経費が発生しても領収書などもらえないという言い訳が出来る。

ヘリコプター空撮や荷物運びクルマチャーター代、シェルパ雇いあげなどというでっちあげを数か月やり続けるのだ。

もちろん海外出張手当や危険地域取材手当などももらいまくるが、なにしろ使うところがない。

だいたい現地にいけば大歓迎だから食事など自腹をきることもまずない。

かくしてNスペ一本で家が建つわけだ。あきれたサラリーマンたちである。

世の中のご意見番: 『NHK不要論 45』

私の知る全てのNHK職員はカラ出張裏金づくりに手を染めている。


これまでの主な書込み(全て実名)

立花孝志を検索しました

元NHKチーフP、9億円アルバイト

NHK:磯野被告が公判で「25年前から不正流用あった」

NHK元プロデューサー、紅白ギャラ745万円も食う 出演料上乗せ、「返金を懐に」図る

きっこのブログ: 懲りないNHK

人は自分が幸福であるだけでは満足しない。他人が不幸でなければ

私たちは他人の不幸に堪えられるだけ十分幸福なのである。

2007-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20070731222124

国家への依存は嫌だけど

たとえば、イラクだっけ?ボランティア誘拐されたとき、なぜかボランティアが非難されたよね。「自己責任」とか言ってさ。日本政府は特に何かをしたわけでもなく、ちょっと飛行機チャーターしただけだし。はっきり言って日本日本人守ってないよ。守る気も無いみたいだけど。

あのような無茶なことをされたら守るものも守れないだろうがw

だいたい活動の中身が批判されたことをスルーするのはよくない。

[]http://anond.hatelabo.jp/20070731144160

国民税金払ってるけど、国家はあまり国民を守ってるそぶり見せないよね。たとえば、イラクだっけ?ボランティア誘拐されたとき、なぜかボランティアが非難されたよね。「自己責任」とか言ってさ。日本政府は特に何かをしたわけでもなく、ちょっと飛行機チャーターしただけだし。はっきり言って日本日本人守ってないよ。守る気も無いみたいだけど。

でもいきなり革命するほど短期でも実力があるわけでもないので、とりあえず選挙権投票権行使するわ。

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