ゲームのキャラクターに対して「コイツって耐久力重視っていうけど結局回避力と魔防が低いからクリティカル喰らいまくるしHPがデカイだけで要するに〇〇(他のキャラ)の下位互換なんだよな。そんでソイツも1キャラいればいいわけだから、つまりこのキャラには存在価値ねーんだわ」って扱いをするように他人を見てしまうことがあるよ。
そもそも自分がそうやって扱われてきたって感覚が根強くあるからさ。
Cくんは運動ができてテストが90点で性格もいいし絵や作文はコンクール常連。
AくんもBくんもなにかあれば「Cくんは凄いのにね」と比べられて育つ。
親や教師が相手なら「大人は何も分かってねえよな」で済むけど友達からの評価だってそれだ。
でもCくんは友達が沢山いるから大したことない友だちはCくんとは上手く遊べない。
Cくんと上手く遊べないってよりも、Cくんの魅力に惹かれてやってきた友達の中で序列が出てきてCくんの感情とは別に「Cくんの友達の輪」からいつの間にか排除されていく。
そうしているうちに弱い同志で寄り集まってなんとか友達関係を築き上げるけど、結局心のどこかには自分もCくんの親友になりたかったみたいな気持ちが残る。
地頭がよくて努力もできて忠誠心やモラルがあって独創性もあっての最強な人間をどの会社も欲しがるし、恋人や伴侶にだってそういう人から選ばれる。
余った人間たちの心のなかにはいつまでも敗北感が残ったままだし、分相応の人生を選んだ所で自分の才能の無さゆえの分相応であることが死ぬまでチラついてくる。
それでも、もしもその立場から蹴落とされる心配がないって思えたら幸せなんだろうな。
実際は違うだろ?
リストラの優先順位を決めるときにはどんぐりの背比べの中で少し低いやつを叩き落としていく。
転職市場にやってくれば就活のときと同じ状況に巻き込まれていく。
いつだって終わりのないラットレースを続けさせてくるのが社会だろ?
その中で安心して暮らしたいって気持ちも、何か自分なりの強みを持って認められたいって思いも、性能優先のこの社会の中でグチャグチャに踏み潰されていくじゃないか。
分かってるよ俺だって踏みつけてる方だ。
近所に飯屋が出来ても最初に食ったものが不味かったら二度といかない。
スーパーで同じモノが売ってて同じぐらいの立地なら安い方で買い物をする。
そうやって日常の中でも毎日のように弱い連中を蹴落としていく社会に加担していってるよ。
それが当たり前だって分かってるし、それ自体がおかしいとは言わない。
でも自分が蹴落とされる側にならないような「何者か」であって欲しいと願うのを笑われるのはおかしいだろ?
中二病でもなんでもなく、ただ生き残る可能性が少しでも高まって欲しいという願いだよ。
人生に対して求める当たり前の安全、安定、死なない未来に繋がる可能性だよ。
蹴落とし合う社会に加担せず全部をサイコロで決め続けるような滅茶苦茶な平等さを発揮してるやつに笑われるならまだいい。
でもそうじゃないだろ?
俺たちがお互いにお互いに対して容赦なく冷酷であり続ける側面があるからこそ、その中でも必要性が失われないでありたいって思っちゃうんだろ?
矛盾してんだよ。
笑われるべきは自分らの矛盾にも気づけないような論理的思考能力皆無人間のくせに人をそうやって笑っているお前らだよ。
裸の王様もいいところだろ?
バカだから自分がバカって気づいてないだけのくせにいつまでもデカイ声で人を笑ってるんじゃねーよ。
お前らこそが、次に蹴落とされる順番の直ぐ側にいるんだぞ?
それともとっくにバイアスが脳みそ全部に広がって、一瞬でも現実を見たら封印してた不安に理性が全部吹き飛ばされるって所まで来ちまってるのか?
そうなのかも知れねえな。
悪い……。
俺も自分の現状が不安すぎて他人に気を使う余裕がない一人なんだ。
お前も限界すれすれだったのか……そうか……悪かった。