昨日のよるコンビニに向かっていると、女性が独りで、すごいスピードで手話らしき行動をしながら歩いている様子を目撃した。
考え事をするのに手話が必要だったのかもしれないしとおもうと、人は言語でものを考えるという、それをわかりやすい形で見せてもらったとおもってしまって、なんかほっこりした。
勤め先だと手を出せないから困るよな
俺はそういうのはその場でやる以外チャンスはないと学んでるので全力でボコるよ
動物と同じなので一番伝わる教訓は体の痛みと恐怖だろう
舞台は生ものではあるが、見返して元気になりたいときもあるんですよ!!
借り物が作品に含まれていると、自然とソフト化の問題にはぶつかる。
とあるダンスカンパニーでは著作権の問題で公演が映像ソフトにならないことがままあるんです。
身体での音楽表現は素晴らしいのだけれど、自作の曲では、ない。フィギュアスケートや体操の床みたいな感じ。
今は慣れたし特徴だとも思う、しかし初見の時はオリジナル作品で既存曲が鳴るのにかなり驚いた記憶もある…。
何か一曲だけが上演作品の象徴になってしまうような大きな扱いではないものの、外しておけばソフト化はできようものの、やりたいことのためには外さないことを選ぶ程度の重みではあるようで。
ソフトなら見返せるのに、その作品をのちのちまでは自分と分かち合ってはもらえないようなさびしさがある。
※フェイクあり
実は自分は謎の機関に拉致されて、「人間は異世界っぽい世界に突然招かれたらどういう行動を取るのか」という実験(というかドッキリ企画?)の被験者にさせられてるだけなんだと思ってしまいそう
鴨川源二「ワシそんなこと言うとらんで」