2016-03-16

自己責任というキーワードの源泉

http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2016/03/16/072339

この方に同情するし応援もするが、「責任を背負いたくない」社長を責めるのは気持ち悪い。

彼はあなた人生責任を持つべきだったの?

だってみんな背負いたくないでしょ? 事実この記事書いた人も会社経営をして正社員をたくさん雇って他人を助けようなんて、かけらも思ってないでしょ。そういうのは能力がある人の役割だって? だとすれば、派遣雇用するこの会社社長は、正社員を抱える能力がなくて、派遣を呼ぶ能力しかないんだよ。そして正社員雇用できる人間しか社長をやる資格はないというのならば、日本失業率は、おそらく今の数十倍になる。

人間には幸不幸がある。身体障碍とか事故なんかは代表的だけど、それだけじゃなくて、生活の中でのイベントや、産まれや、才能などで、人生うまくいかないってことはある。そういうのは社会が助けるべきだよ。安易自己責任とか言って切断すべきじゃない。でも、その社会に住めるのは、そういう社会を作れるのは、その能力の有無はさておき他人のそういう救助要請にこたえようと思う、そして救助できない他人を責めない参加者だよ。

いま、社会改革するために、低所得層/富裕層ってカテゴリ国民を分けて、富裕層からお金を搾り取るべきだって論がある(たか年収1000万円のこの社長富裕層ですらないと思うけれど)。すごく大雑把に言うと、URLの記事もそのジャンルだ。でも、そういう論の先鋭化って、事態を何ら解決しないと思うよ。ただ単に富裕層資金を移動するとか分散するとかの防衛策をすすめるだけだよ。だって攻撃されたら守るでしょ。政治的用語でいうと「分断」で、この分断が起きるとまずいなんてことは(少なくとも社会学の授業的には)常識だった。いまその常識を忘れたように、マスコミ政治富裕層たたきをしているのは、ポピュリズムしかないよ。叩けば叩くほど自己責任論が蔓延するだけだ。

年収200万円の人は400万円を叩き、400万円の人は800万円の人を叩き、800万円の人は都内土地持ちを叩き、都内土地持ちの人はそれでも幼稚園に入れないと行政を叩き、資産10億の人は収入管理会社資産を移して社会から透明化する。

結局さ、世界中人間は、みんな、嵐の暗い海の中で、泳いでいる状況なんだよ。苦しいし泣き言も言いたくなるよね。でも、そのなかで「あいつの背中にしがみつけ!」ってしがみつかれたら、どんなパワフルな人間だって、おぼれて死ぬよ。他人に殺されたくはないでしょ? 記事でいえば、ある民間人社長に、鳴き声を上げる民間女性人生を救済する義務はない。救済しようとしたら破滅するでしょ。年収1000万あるんだから社員十人に100万ずつ分け与えろとか山賊の言い分だよ。だからしがみついてきそうな人に「自己責任で泳いでくれ」っていうんだよ。「助けたくないんじゃなくて、殺されたくない」んだ。

国の福祉制度設計は、そういった「民間で背負おうとすると、背負った荷物に殺されてしまう」ような案件に対して作られてる。でも、それにだって限界はあるって理解すべきだ。これは政権がどこの誰だろうが全く関係ない。だって「嵐の暗い海の中で泳いでいるみんなが持ち寄った寸志」である税金がその予算的な源泉なんだから、その社会全体が救える以上のものは、やっぱり救えないんだよ。

非正規社員はいえ、雇用を作ってる社長は、その分だけ社会に貢献はしてるはずだ(パワハラとかはこの際ノイズなので横に置く)。非正規雇用なので、社会保険とかを払ってないというのはあるかもしれないが、雇用を作るってのは賃金を支払ってるわけで、その分被雇用者所得税消費税も支払う人間になる。消費者として社会で居場所ができるってことだ。

そういう他人を責めて、しがみつけなかったことを恨む参加者存在が、この社会に「自己責任」って言葉蔓延させているんだよ。残念だけど、この記事方向性は「自己責任という言葉を増殖させる風潮」そのものだ。

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