はてなキーワード: 自殺者とは
むしろ生産性が低下するのは目に見えている。
自殺者出す研究室には行きたくなくなる→研究室運営ができなくなる→他の研究室に集中→その研究室の自殺者増加→…(ループ)
人材(学生)の扱うシステムがうまくできていないことが大きな原因で、
何もわからん学生に対して0からやみくもにさせるから、わけわからん成果しかできないわけで。
研究を始めるところから、論文を書くまでのプロセスをもっとシステマティックにして、
成果に応じて、世の中で優待されるようなシステムにすればよい。
もう少し、研究室間や大学でこの辺のシステムについて考える努力をすべき。
可能性のある人材を殺しすぎ。
大学院っていうのは、1割の優秀な研究者を選別する場所だ。1割の優秀な人がいれば、残りの9割の人間は必要ない(特に、博士課程)。科学への関心とか情熱とかは一切関係ない。結果だけが重要なのだ。大学院に進んで、結果が出せなかった9割の人が、楽に自殺できるシステムがあるとよい。そして、たくさん自殺者を出した研究室がたくさん研究費をもらう。
こうすれば、日本の科学は飛躍的に発展すると、ネタでなく、本当に思う。世の中、人余りで、大半の人間は不要なのだ。不要な人間が生きていても、他人に迷惑をかけるだけだし、迷惑をかけた本人も他人に迷惑をかけて申し訳なく思うだけ。大学院で自殺者が増えることにより、社会は不要な人材を処分することが出来、大学院生はきちんと社会にお詫びしながら死んでいくことができるので、win-winの関係を築くことができる。大学院の自殺者増加は、むしろ喜ぶべきことなのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090112165017
これみて長期不況で二極化したから派遣村が叩かれてるとか勘違いしてるウッカリさんがいるけど、http://anond.hatelabo.jp/20090112170413こういうとらば見てないのか?
今より高成長で格差の小さかった高度成長期ですら生活保護受給者が叩かれてるんだからデフレスパイラルやら格差社会のせいにするのは的外れだって。
実際自分ももっと高収入だろうが社会のせいにして税金にたかろうとする自称弱者ども大嫌いだから確実に叩くよ。
最近うんざりするほど派遣の話題が多いが派遣叩きの理由を根本から勘違いしてる馬鹿が多すぎる。叩いてるほうは自分も金がほしいからやってるわけじゃないんだよ。せこい生き方をするな!ということ。公務員叩きも同様。税金や保険料ちょろまかすような汚い手口に腹を立ててるわけで別に公務員のような身分になりたいわけじゃないから。他人に頼るばかり考えて自立しようとしない品性下劣さが決定的にだめなんだよ。
明日はわが身だからとか言うのも聞き飽きた。お前らは金なくなったら国のすねかじるようなへたれなんだろうが、誰でもお前みたいにプライドが低いと思い込むなといいたい。麻生の定額給付金が反対されるのも金さえやっときゃ庶民どもは手なずけれるとか言う浅はかな発想が見え見えだからなんだよ。自分が倒産失業して貯蓄がなくなったからといって派遣村みたいなことをする気はないし犯罪に手を染めてまで生き延びる気はない。経営者だった自分の親も会社が倒産したときは首つってきっちり責任取った。俺も同じようにするつもりだ。実際日本では毎年多くの自殺者が出てその中には経営者だったのも少なくない。怠け者は大好きだが資本家が大嫌いな左翼の皆さんはうれしくて仕方がないだろう。
あと格差が広がったら治安悪くなるからとか言うけど全然説得力なんかないんだよ。犯罪が怖いから怠け者に金やろうなんか脅しに屈してるだけだろ、みっともない。こういう奴らが北朝鮮の核ミサイルが怖いから拉致被害者は見殺しでも仕方ないとかアメリカが怖いから自衛隊が中東侵略の片棒担ぐのもやむをえないとか思うような薄汚い連中だろ?それに現実には貧乏でも犯罪なんかしない人が圧倒的多数。格差が広がったとか言われるここ数年だって犯罪減ってるし、くだらねえ脅迫使って金をせびるな!
楽しいってなんだろう。大学にいって、未来のための努力をし、院にいけるようにする。ここのどこに楽しいがあるのかわからない。やりたいことをやるわけだが、それが楽しいかは別だ。楽しみって日々の無駄に内包されてるかもしれない。
だけど無駄にはいろいろあると思う。必要な無駄と必要じゃない無駄。主に必要な無駄のなかに楽しみはあるきがする。楽しみが成り立つためにつまらないことがほかにもあるのだろうという発言はきっと典型的でそこまで非難は浴びないだろう。
必要な無駄という言葉はなかなか逆説的だと思う。息抜き、失敗などはかなりわかりやすいと思う。自分を保とうとするための利のない行動や無駄をしないために無駄を知る。それは包括的な意味で自分のために必要だ。だがその必要な無駄を行う理由のうちわけはだいぶ傾いているように思える。
少なくとも自分はそうだ。例えば自分が自分であることを保とうとし同時に向上心を持つ。そう自分に心がけるよりも、そう人に思ってもらうように心がけている。つまり社会的体裁のために無駄をしている。腹黒いともいえる。他人の非難を恐れているからだ。だけどこういう自分の考えは知られてしまえばむしろ他人から非難されるようなことで教育的道徳に反する考えだろう。でもそれが生きていくうえで不必要で無駄なことだとは絶対に思わない。他人、上司、友達、そして家族がそれを求めているか、それはNOだと思う。しかし社会はそれを求めている気がする、それをも求めていると言ったほうがいいかもしれない。
2浪ではっきしいってニート気味の僕がいる。
一応社会経験があるけどそれだけで社会を知った気になっているつもりははまったくない。匿名性を利用して自分の知識内で自分のことと訴えを綴りたい
顔色を窺って生きてきたツケがきたのだろうか、ここまでの道のりに時間と金とを失い心は荒み無意味な傷を刻み己に陶酔してきた。
ボクが人を殺したら人はボクをどうみなすのか
中学のころからいじめられ、心は荒み、一人を恐れ、学校で事件を起こし、親が離婚し、親が自殺し、受験で苦悩し自殺未遂をしたからこうなってもおかしくはない。もっと周りの人間が支えるべきだったと。
冗談じゃない。結果論にもほどがある。まったく倫理的じゃない。そう絶対的に言い切れる。
ボクは死んだらいいのに、死んでほしい、という人間はいるが自分で殺したいと思うかはまったく別の問題だからだ。一般的な例で言えば「金正日」がわかりやすいだろうか。加えて人を殺すのは嫌いだし阿呆だと思うからだ。自分の手を汚すなんてそいつに負けるのと同じだと思う。殺すしかなかったといってるようなものだ。任侠でもない限り人を殺すことに大したメリットはないと思う、現代における日本ではそうなんじゃないかな。こういった問題を常に一様化して、報道などで家庭の問題だとかいわれてもそれでそうですねとは頷けない。
短い文章にしてまとめるとみんな同じ様なことしか話していない。「家庭的問題、学校教育の問題を見直す必要がある」これをベースに意味を通すこととして必要ではない無駄な発言を蛇足しているだけだと思う。ただの知識のひけらかしでしかない体積だけを膨らました発言。もう事実を流して一言いって終わりにしてほしいと個人的に思う。こんなことを知ることに意味はあるのか、そういうことすら疑問に思う。
(一応推論だけど・・・、しかしながらこの蛇足的発言は内容ではなくもっと違った意味を求められているゆえに話される、いわば必要な無駄なのかもしれない。
こういったことを話す人はある程度の発言をてお金をもらうわけだし、報道をする人それを受信する人、社会がそれを求めているからやはり言わないわけにはいかないとは、一方では思ってもいる。)
では、ボクが芸能界に入り大スターになったら人は何て言うのだろう。たくさんの苦労を経験したから、人一倍苦労をしたからと言われるのだろうか
滑稽だと思う。
まずいじめを経験した人は世にたくさんいるし、大人になってもいやな思いはさせられるものだ。親が離婚してる奴なんてたくさんいる。自殺者は年間3万人いてそれほど珍しいことでもない。自殺したいなんて一度はみんな考える。行動に移すかどうかの違いだと思うし、後遺症もなければ病院に運ばれてもそんなにたいしたことでもない。
だからまとめてしまえばそれまでがどうとかよりも結果さえよければいいと社会は言っている。そういう声が僕には聞こえてくる。
ボクたちの道端で思われるような理想を唱える人は、人は、社会のシステムを見直すべきだと言う。もっと格差をなくし手を取り合うような社会にするべきだと。弱さを認識し互いにもっと理解しあうべきだと。命はもっと尊いものである、ボクは心のどこかでそう想っていた。
社会は俺たちの道徳を見直せと言う。そんな理想論はやめろ。おまえたちの道徳は間違っている。いいかげん目を覚ましてなにがなんでも結果を出せ。それができないのならおまえなど必要ないから死ね。ボクは頭でそうなんだろうなと思う。そしてこう求めるのも人だ。
学校では人にやさしくし結果より意気込みを褒められたものだ。だからボクはそうやって生きていけばいいと思っていたのかもしれない。
だけど決してそんなことはなかった。
そんなことはなかったんだよ。
そして、人の目を窺うような努力は要領のよいものではなかった。そして自分のために努力することさえも自分は下手だった。
残りの数年間でわかる気がする。自分の命が社会に真に価値があるか、努力が大嫌いだけど、なりたいもののためにしなければならない。今回受験で半年しかできなかった努力をのばしてみる。客観的に不可能だと思っている。センター前にこんなことしているからだ。なのに個人的には何故かできると思うからこれは駄目だなと余計に感じている。だから僕は叶うかどうかはぎりぎりわからないけれど、諦めている夢の希望を理由に生きている。人は「無理だよそんな考えでは、夢なんてかなえられない」と思うのだろう。そう思ってくれたら僕が予想した条件反射に引っかかった気分でうれしいものだ。でも、ぶっちゃけそうだろう。
僕は作家になろうと思っている。今は自分の顕示欲にすがってみるしかない。それをあと数年間の生きる言い訳にしてみて、数年後のそうじゃなかったときの十分な保険としての理由にしたい。
ヒトラーは命は弱さを許さないといった。そのとおりだと思う。必要ではない命もあるし、価値のない命もあると思う。屁理屈を言えば体は餌にはなるなどたくさんあるけどそんなことで物議をかもすようなことはしたくない。
思えばもっとたくさん殴られてくれば良かったんだ。貧乏になって心も貧しくなり、継続的な努力もできない今の自分を自認するほうがぜんぜん痛い。こんな自分以外の誰を恨めというのか。時代や社会に文句をつけることなんて、友達の近況聞いたら言っても無駄だと、みじめだと思うしかない。なんで俺は生まれてしまったのかと思う。
ただひとつ世間に甘えたいことは生きる権利よりも死ぬ自由がないことだ。
死亡志願者を月1で集団自殺する無人島でもくれれば、みんな実費でそこにいくっていうのに、拳銃がほしいのに手に入れ方がわからないのに。
ぐぐってもおとり捜査みたいなのばっかりでうかつにてがだせないよ。一括で死ねば警察の仕事もスムーズになって、失業者が多いんじゃなくて人口が多いんだよと浅はかながらそう思う僕にはとてもいい制度に思う。痛いのも高いのもいやだけどそれでも一気に死にたいと思ってるやつが3万人以上いるんだよ。ゴミが死ぬべきなのなら、ゴミに死なせやすくしてほしい。
誰かに死んでほしくないと思われればそれだけで生きている意味と価値があるなんておこがましいんだよ。
ゴミ人間は逃げては駄目だと、社会復帰すべきだと、そこまでならいいけど、それに加えて全員がそうなれるとボランティアさんがたは本気で願っちゃったりしているのかな。一人でも多くなんて思っちゃっているのかな。救えないものはしょうがないというのなら最初からやらないでみんな見捨てろよ。理想は現実じゃないんだよ。現実を見てゴミの分別しましょうよ。リサイクルできそうなものには手を加えてほしいと思います。でも駄目なものは燃やしたり、土に埋めてください。死ぬべきなんだと見えないシステムはちゃんと言っている。
話してもわからないやつがいて、殴ってもわからないやつはいるんだよ。そういうやつは特別な才覚でもない限り社会的共存において必要とされないんだよ
それなのに生きることを強要するなんて最低に卑怯だよ。そんなの本能でも理論でもかてっこないじゃないか。結局これも叶わぬ願いの他力本願で無意味な愚痴に終わってしまう。こういう考えは非人道的だと思われておしまいなんだろうな。そういう非人道てきなやつな社会的共存における不適合な人間は死ぬべきだって、生きていたって価値もないと、人を包括する社会がいってるのになぁ。
仮に生きて求められたものに応えたとき、はたして本当に僕の命を社会は認めてくれるのかな。
今までを振り返れば、本当に自分のしたい内容の仕事を目指しているか、そのためになにかをしてきたか、これからするのか、鏡をみれなくなる。青春と逃亡と勇気と決意。言葉だけ並べても平凡な人生だと思う。
これから僕は情報判断力を養えるのかな。井戸を出れるのかな。
心さえなければ人にほめられるような人間になれていたのだろうか。
ある意味ではいい案だと思うけど、それ、インセンティヴ設計で下手すると、自殺者増えるし、結局社会的なトータルコストマイナスになる危険性高し。
結局、自殺することに対して社会的な「可」な回路をきちんと与えてしまうわけだから。自殺の総数は、ほぼ確実に増える。どんだけ増えるかはわからないけど。
いろいろな意味で、マイナスのコストは結構でかい政策的決定だと思われる。
うまいこと設計したらもしかしたらうまくいくかもしれないけどね。うまくいかなかった場合の様々なリスクがでかすぐるので、おいそれとはできんよなぁ、それは。
非正規雇用になれなかった時点で、そいつの能力が低いんじゃないの?もしくはそもそもの努力が足りないか。
高校しか出てないとか、Fラン大しか出てないとか。だからブラック企業にしか就職できないし、すぐ辞める。
輸出産業の景気が良いときにたまたま増強の労働力として雇って貰ってただけじゃん。
それを輸出量の調整が原因で雇い止めされたって、そのために努力度が低かった奴らが雇われていただけ。
最低賃金を上げろとかほざいているけど、工場のマニュアル化された仕事だからインドとか中国とかフィリピンとかの人件費が安い人を連れてきて、そいつらと切磋琢磨して安い給料の仕事を取り合うくらいで十分だ。
自殺する?自殺上等。優秀でない人間のDNAを残しても無意味。自殺者が3万人から10万人に増えても仕方ないじゃん。
他人に迷惑を掛けない形で自殺させるのと、後は犯罪を起こさないように警備を強化する。
それで十分。
自己責任万歳!
http://anond.hatelabo.jp/20081219130953
竜飛岬ですか。
行ったことはありませんが
寒い地方、断崖絶壁なら条件に当てはまりそうですね
http://anond.hatelabo.jp/20081219130953
でも結局必要条件としてはhttp://anond.hatelabo.jp/20081219131403の言う内の 過去に自殺者が一定数存在する これに尽きるんじゃないの?
でも結局必要条件としてはhttp://anond.hatelabo.jp/20081219131403の言う内の
これに尽きるんじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20081219130953
なるほど
引き返せないのがポイント、と
http://anond.hatelabo.jp/20081219130953
景色がいい もしくは雰囲気が不気味
具体的な場所を知っていたらそれも
横増田だが、
ものすごい疑問なんだけど、日本、今すんごいピンチって煽られまくり、実際ピンチだと思うんだけど。
この例でそういう意見が出てくるのがよくわからないなー。
どっちかというと私学助成の削減の方が「駄目な人間は駄目なままでいい」的発想だと思うんだけど。というか、教育の予算を削減したら、もっと駄目になりそうな気がするよ…。「予算が削られた方が、創意工夫をする生徒が増える」と言いたいのかもしれないけど、ちょっと楽観的すぎるんじゃないの(何か裏づけとなる統計や資料があるのなら話はまた別だけれども)。もちろん中には貧しい中から成功してのける人間も居るのだろうけれども、それを一般論として扱うことは出来ないんじゃない?それとも、もしかして公立高校に入学できないような馬鹿はそのまま沈んでいっても仕方がない、って考えているのかな?(※1)
だとすれば、ちょっとどうかなと思うよ。どんなにアホな人間だろうと、それが社会を構成する一員であることに変わりはないのだからさ。もし私学助成の削減によって、高校を出られない人間が増えるとすれば、そうした不安定な人間が増加したことによるトラブルとコストは、最終的に社会が引き受けることになる。このことは橋下知事も「最後は生活保護がある」と主張しているから、当然の前提(のはず)だよ。仮に生活保護を付けないにしても、自殺者・無宿者・犯罪者の増加は社会全体に大きな影響を与えるよね。ここからは個人的な意見だけど、どんな駄目な奴でも、生活保護をただあてがったり、そのまま放置するよりかは、適当に働いてもらって、その給与を経済の循環に役立ててもらう方がお得だと思うな。その基礎となるのが教育じゃないかしら。
とはいえ、
みたいな言論への反感というか、「お前ら無責任なこと言うなよ…」という増田の気持ちは分からなくもないんだけどさ。諸々のデメリットを勘案した上で、私学助成の予算を削減することによって得られるメリットの方が大きい、とみなす政治的スタンスは有り得る…というのは確か。
ただ、橋下知事の言動を今のところざっと見た限りだと、その政策を実行に移した際の具体的なイメージや、その判断を行うに至る科学的根拠を示しているように見えないんだよね(※2)。知事がどう判断したか、という結果しか伝わってこなくて、なぜその判断なのか、ということがいまいちはっきり感じられない(世の中がどうの、というような話は説教ではあっても自らの判断の根拠とは言えないんじゃないか)。どうしてその政策を知事は妥当だと思ったの?道路建設に掛かる費用と比べて遥かに低い費用でしかない私学助成から積極的に削減を行う判断の根拠はどこにあるの?ということはもっと問われて然るべきだと思うのだけどなあ。
だから、この件で諸手を挙げて橋下氏支持を訴える人は、(橋下氏支持の主張を変える必要はないから)その判断に至る過程と、その根拠にもう少し目を向けるべきではないかね。高校生が泣いたとか泣かないとか甘いとか甘くないとかで政策を判断するのは、旧来の価値観とは逆の意味でセンチメンタリズムに囚われているように見える。芋畑の件もそうだったのだけれども、反センチメンタリズムに囚われるのは、結局センチメンタリズムに基づく判断と何ら変わりないんじゃないだろうか。
(※1)「努力」を判断基準にしても、どんなに頑張ったって全員が全員公立高校に入学できるわけじゃないし、相対的な学力の差によって振り落とされる人間は必ず出て来る。頭の出来にはそれぞれ違いがあり、教育に対する意欲も家庭環境による影響は大きいわけだから(所謂インセンティブディバイドの問題)。努力を定量化して評価するのは凄く難しいよね。
(※2)まあ、府民ではないので突っ込んだところまでは調べ切れていないから、もしかしたらどこかで主張はしているのかもしれないけど。もしそういう根拠となる点を知っている増田・ブックマーカがいらっしゃったらご教示頂ければ幸い。一応、府政だより・大阪府財政再建プログラム案はざっと斜め読みしてきました。
こんな記事も見つけましたよ…。この会社どうなってるの?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
カテゴリー:ニュース 作成日:2008年07月08日 12時58分 終了日:2009年07月07日 23時59分 投票:1日1回 選択肢追加不可
http://mainichi.jp/select/biz/news/20080708k0000m040159000c.html
愛知県安城市藤井町の自動車部品メーカー「アイシン・エィ・ダブリュ」の男性社員(23)が、
勤務中の同僚のいじめでうつ病になり、自殺を考えるまで追い詰められたとして
加藤智大容疑者の事件含めて、系列各社では「社内でのイジメ」が常習化しているんだと思います。
何かが、狂っているとしか思えません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何で自殺ってしちゃいけないの?生きるのも死ぬのもそいつの自由だろうが。
という疑問に対して長らく答えを出せずにいたのだが、最近になってようやく自分の中で一つの答えが見つかった気がする。
20年以上も生きていると、ぬるい人生なりに「死んでしまいたいほど辛い」という気持になったことは何度かある。
そのたびに色々な理由づけをして押しとどめてきたから今もこうして生きている。
しかし、周囲の人に自殺されるとその理由づけが弱くなってしまうのだ。
特別親しい人でなくても、たとえば職場の同僚であったり、元同級生であったり、
もっと極端な事を言えば、テレビやネットで「増え続ける自殺者の数」を目にするだけで
「俺が自殺しない理由」はどんどん説得力を失っていくのだ。
ああ、やっぱり自分で死ぬっていう選択肢は「アリ」なんだよな…と思ってしまう。
「生命は生きることが自然であり、自ら死を選んでしまうのは不自然だ」という、自分の中の常識が揺らぐのだろう。
おそらく自分に近しい人であればあるほどその力は強い。
というわけで自分の考える、「自殺をしてはいけない理由」は「自殺は周囲の人間を引きずり込む力があるから」とする。
「なぜ周囲の人間を引きずり込んではいけないのか」というと「俺が引きずり込みたくないから」です。
自分が死ぬか死なないかということは揺らいだりするけれど、そこは揺らがないのです。
そして「自分が死んだあとなら周りのだれが死んでも構わない」と思っている人を説得する言葉を、俺は持ってない。
その人にとって大切でないものを、大切にしろということはできないから。
http://anond.hatelabo.jp/20080928193044
http://anond.hatelabo.jp/20080928194215
2chの書き込み規制で構って君が増田に進出してきたようだけど、一応釣られてみる。
「300兆」は妥当な金利水準の存在を前提にして生まれた数字だと考えられるね。
なぜなら、預金金利が連動しがちな政策金利に物理的な上限が存在しない以上、
引き上げれば引き上げるほど、預金者はそれだけ儲かるはずだと考えられるから、
政策の結果への慎重な考察もなしに預金者側だけの都合を考えるなら、
「失われた」金利所得も無限大だと主張するはず。しかしそうはしていない。
つまり「300兆」と言った以上、預金の貸出先である企業や家計、あるいは政府の
体力がどれだけの負担に耐えうるかという経済予測、妥当な金利水準の存在を
前提に考えていると見なせるだろう。たとえば、貸出先である企業や家計が潰れたら
金利の払い手は誰もいなくなる。政府が負担に耐えかねれば、増税や歳出カット、
あるいは猛烈なインフレという形で、国民負担となって返ってくる。
預金は決して打ち出の小槌じゃない。
さて「300兆」理論が妥当として基準に置いている金利は、実はバブル期の高金利だったりする。
これが倒産激増で氷河期失業非正規も大量だった、平成不況の日本にも妥当する水準だったかは非常に怪しい。
むしろ現実の金利水準は、景気実勢に対して「高すぎた」(過去形だけど実は今も)というのが実際の所。
そもそも、貯蓄は高齢者の中のそのまた一部の富裕層に偏在しているわけで、高金利になれば
比較的若い世代から(給料カットや失業という形で)一部の富裕層へと所得移転が進むんだね。
それが本当に望ましい経済のあり方だったのか、カイカク路線を標的に弱者の味方とアピールに努める
野党の皆さんには、揚げ足取りに励む前に慎重に考えてほしいね。特に朝生で馬鹿を晒した枝野幸男あたり。
※公平を期す為に言っておくと、与党にも枝野らと同じような考えの持ち主がいる。
しかもその頭目らしき男が経済財政担当大臣だったりするのは何とも頭が痛い問題。