はてなキーワード: いやなかんじとは
https://shonenjumpplus.com/episode/4856001361485816367
なんで家に持って帰って食べないの?
この作品の理解や優れた言語化や思いやりにあふれたぬくもり空間は、あくまでも級友だけの話なの?
増田って本当に適当に書いてもリプつくのね。あったけえあったけえ。
自分は「こういうこと感じちゃう私はおかしいんだ。もうこの漫画楽しむ資格がない」
皆蟻蛾塔
tomoya_edw 俺は不快じゃないから「他人」とか「みんな」の中に入れないでね。個人が嫌なのは別にいいし、作中の別の人物なら嫌がる奴も注意する奴もいるだろうよ。でも、あの場はそうじゃなかった。リアルと同じくもう近寄るな
なんだこのひと。いやなかんじだな。
ほんとにこの漫画読んでるのか?
【タイトル】どくしょかんそうぶん○○をよんで
わたしは、このほんのだいめいをみたとき、とてもいやなかんじがしました。
なぜいやなかんじがしたかといえば、それはなにかみえないきょだいなちからがうごいたからだとしかわたしにはおもえません。とにかく、とてもいやなかんじがしたのです。
よみすすめるにつれて、それはかくしんにかわりました。
まず、ものがたりのぼうとうで、しゅじんこうがああいうこうどうをとるとはゆめにもおもいませんでした。
まさか、かようなてんかいになるとはわたしのみじかいじんせいけいけんからはそうぞうもできず、ほんをよみながらおもわずのけぞってしまいました。ちょっといいすぎました。
そして、ものがたりのちゅうばんは、さくしゃのいいたいことがおぼろげながらもみえてきました。
そのおぼろげな、きりのようなもののなかでいっぴきだけ、ひらひらとまうモンシロチョウをとらえようとするかんかくにもにた、げんそうてきかつ、げんふうけいてきなたいけんは、わたしをいわゆるぶんがくのがけっぷちにつれていってくれるような、こわくて、むりょくなたいけんでした。
ああ、このいやなかんじはこういうことだったのだなあとしみじみおもい、そのよるおかあさんに
「おかあさんってこわいものあるの?」
ときいてみたところ
「おかあさんはおまんじゅうがこわい」
といっていたので、つぎのひおかあさんをこわがらせようとおまんじゅうをおこづかいでかってきて、そっとちゃぶだいにおいておいたら、おかあさんは
「ああ、まんじゅうがこわい! こわい!」
ととてもこわがって、あわてて食べてしまいました。おもしろかったです。
それはさておき、わたしはいつもこくごのテストで「さくしゃはなにをおもっていたでしょう」とか、「さくしゃのきもちになってかんがえなさい」というもんだいがとてもにがてです。せんせいもごぞんじですよね。
だって「しめきりまにあわない」とかぜったいおもっているのに、せんせいはこのこたえじゃまるはくれませんよね。
せんせいはよく
「ひとのきもちになってかんがえなさい」
とわたしたちにおっしゃいますが、せんせいはわたしたちのきもちになってかんがえたことがあるのでしょうか?
ちなみに、このどくしょかんそうぶんのさくしゃであるいまのわたしのきもちをこたえなさい(ごてん)
せいかいは
「にちようのごごに32さいにもなっていったいなにをやっているんだろう」
です。どうですか? せんせいにはわたしのきもちがわかりましたか?
こんなことをいうとせんせいはおこるとおもいます。またわたしのあたまをでっかいさんかくじょうぎのかどでコツンとするきでしょうか。
だけどにんげんはけっしてひとのきもちになどなれない、ましてやほかのいきものなどのきもちはけっしてわからない、わかりあえないいきものなのだとおもいます。おもいました。
このほんは、そういったものごとのほんしつをなにかしらかいています。
さくしゃはそうおもっていないかもしれないけれども、わたしはそうおもいます。
まあ、とにかく、けっこうおもしろいほんでした。とくにこうはんは、クライマックスといったかんじで、いつあとがきにはいるんだろう、はいってほしくないなあとどきどきしながらよんでいました。たのしかったです。ぴゃー。
にがっきもがんばろうとおもいました。
了
増田の言うことは全部正しいです。
でも、それは、卒業して、仕事をして、「指導者」も一つの職業だと理解できるようになった大人の論理だと思うですよ。
顧問の「指摘」自体は正しいです。
「相手をよく見」て、「ボールを拾いに行く」のは基本。
生徒は余裕がなくなったりバテたりするとそれができなくなる選手だった。
それを克服するのが彼の課題だった。
それは彼自身もわかっていたし、チームメイトもわかっていた。だから黙ってきいた。
「欠点」の分析自体は適切だった。だから反論できなかった、のではないかと思うのですよ。向上心のある選手なら、なおさら。
「なぜ、相手を見ない」「なぜ、飛びつかない」
「やるのかやらないのか」
「簡単なことを言っても、たたいても分からんようだし、どうすればいいんだ」
あーこの流れ、デジャブだなあ、と。
私もよく言われた。
「なぜ」「なぜ」を繰り返し(反語的叱責)、「やる気はあるか」(まさに増田の指摘どおり「やります」以外の答えは許されない)
「たたかれてするのは動物。それでいいのか」→「動物でいいのか。お前は人間だろう。自分で選んだことなら自分から動け」
「どうすればいいんだ」→ちょっとわからないけどおそらく「お前の問題なんだからお前しか決めるやつはいない。さあ、どうする」
「これからも怒ったり、たたいたりするかもしれない。それでやれるか」→「きつくてもやるという覚悟がほしい。自分の弱さを乗り越えてほしい」
こんな感じかと。
選手は自分の課題はわかりすぎるほどわかっているので、克服しないといけない、克服しないといけない、と思ってる。実際、自分でも克服したい。だから殴られても逆らわないんですわ。
けどまあ、そういうことしてると「殴られる俺が悪い」「なんどやっても言われることできない俺が悪い」になって、悲しいですわね。
2番目のエントリで書いたように、それを突き抜ける瞬間っていうのも確かにあって、それができるとすごく自信になるんだけど、萎縮しちゃうともう悪循環、頭がぐるぐるするだけでなんもできなくなっちゃう。私がそうで、みんなの前で晒し上げられて叱責されると全然だめだった。
「やります」とは、怒られるたびに言ってたけど、それはまあ「お約束」だったなあ。できない自分っていうのは事実で、否定できない、でも言われたってできない、でも言われるし殴られる、うへえ、なので、「終わらせる」ためには、やりたくなくたって「やります」言わないとだめだったなあ。もうまったくの「儀式」。
そういう「お約束」「建前」ってのはスポーツの世界でけっこう横行してんじゃないのかなあ。確かに、それ突き抜けた先に成長ってあるんだけど、その瞬間って、1年でいくらもないし。
その可能性を信じて指導者は殴り続けるし詰問し続ける。善意と熱意で殴り続ける。けど、多分逆効果。
でも克服すべき欠点への指摘が正しくて、「やる気を持て、自主的に動け」というのも正しければ、生徒は向上心があればあるほど逆らえないですよ。周りの生徒も、その欠点は見ててわかるし、彼自身が克服しないといけないことはわかるから。そして「キャプテン」という重責のある役職もわかるし、彼自身で立候補した以上それも彼が克服すべきかと思うから。だから「止める」という選択ではなく「みんなで助けよう」ということになる。
…いろいろと、今考えることも多い。
ここまで書いてなんだけど、これ全部推測。
うちの部だったら、って当てはめて考えたことだから。あの学校のことはよく知らない。
で、練習試合とかでいろんな学校と対戦した経験から、この顧問のやってることはかなり普通。多くの学校でやってること。もっとすごい体罰はたくさん見てきた。
まあそういうの見てるから、なおさら「殴られるのは普通」になっちゃうんだけどね。
だからね、思うわけです。多くの学校で、「生徒を伸ばしたい」という「善意」で体罰する教師は多いと思う。極悪教師とか言われてるけど、全然異常者じゃないわけですよ。かなりの決められた型に沿ってやってる。だから、彼一人のクビ切ったって意味ない。法律化したって意味ない。
彼を含め、学会なんかで研究、議論(矯正じゃなくね)して新しい指導法を自分たちで見つけないとだめ。それこそ「自主的に」ね。
補足
この記事ね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130125-00000008-jct-soci&p=1
真偽わからんけど、そういうのは可能性はある。やる気のある生徒のほかに、もういやでいやで仕方ない生徒もいたのかもしれない。もしかしたら他の部員も、やる気のあるフリはすべて「演技」で、みんなやめたかったのかもしれない。このあたりは、きいてみないとわからない。
けど、ここまで書いて矛盾するようだけど、あんまり生徒の心に土足で踏み入るのも、今どうなのとかも思う。
矛盾してるんだけど。