2016年10月02日の日記

2016-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20160831004708

俺のこと書かれてるかなと思ったらうちの上司のことだった

殆ど会話はないから、そんなに疲れはしないけど

今日のゆうしょく

ハンバーグでした。うまうま。幸せ(もぐもぐ)

Cのポインタとか型が理解できない

intとstringとfloatとboolしかないプログラミング言語しか経験いからC難しすぎる

死にたい

とにかく自殺したい。でも勇気がない。

というか本当は死にたくないのに、頭の中が死にたい死ぬべきだ、自殺したいでいっぱいになってしまって、いつか電車に飛び込みそうで怖い。

あっあっ、おちんちん!あっ!

ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!ブツチチブブブチチチチブリリィリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!

[]チベスナ顔

チベットナギツネのような表情のこと。画像検索推奨。

大気汚染測定みたいな感じで増田の汚れ度を測るサービスみたいの欲しい

なんか嵐みたいなのがいると読むの大変だし

逆に荒んでるときは荒れたときに身を投じて論破っぱしてるやつの鼻を折ったりして楽しみたいし

介護職に対する俺の勝手偏見

介護1の祖母と同居している。

祖母は、例えば、取り分けしやすいように食卓に並んだ食器レイアウト変更を試みたり、

デイサービスの車が来る15分前に自宅外で待っていたり、気配りを欠かさない人だ。

しかし、本当に大きく周囲への気配りにつながる、補聴器の導入には決して首を縦に振ろうとはしない。

食器レイアウト変更にしろ、15分前待機にしろ、何度「しなくてもいいですよ」と言われても、

まだ比較的軽めだと思われる認知症の影響からか、行動の変化は見られない。

祖母の気配りは、要は、自分の思い通りにしたいということが表れているのだと俺は思っている。

父方祖母ということもあり、

介護の為ではなく自分の都合で早期退職し、現在在宅ワークをしている父が主に面倒を見ているのだが、

父と祖母のやり取りを見ているだけで、介護の重労働さは十分伝わってくる。

常に家にいる父に嫌気した母が介護パートに就いたのは5年前のこと。

話を聞くとやはり大変な印象を受けるが、辞める気配はない。

50代中盤の母が今お世話をしている利用者は、もしかすると、20年後の母自身かもしれない。

そういう、避けられない人の道を先取りして見ることの恐さ、悲しさ、はかなさみたいな感情

むなしくなったりしないのだろうかと思う。

聞くことはできないが。

どんな仕事にも辛さはある。

労力と給与バランスがちぐはぐな仕事なんて山ほどあるだろう。

しかしそれでも、何かしらやりがいwみたいなものを探そうと思えば探せるのではないだろうか。

俺の大きな偏見は、介護職にはそれすらをも見いだせないと思っているところだ。

あらゆる能力が衰退の一途を辿る老人たちをサポートする。

その仕事自体プラスだが、老人やその老人の家族が抱える多様で大きなマイナスの流れを

彼らの働きによって0にすることは難しい。

彼らがどんなに一生懸命働いたとしても、要介護1が要支援1になることはない。

マイナス加速度いくらか和らげることはできても、プラスの流れに変えることは決してできない。

介護職は社会にとって間違いなく必要で、介護職に就いている人を尊敬している。

しかし、重労働、低給与の上にそういう精神面の部分でも得られるどころか失いかねない、介護職を俺は選べない。

しろ、俺にとって低給与以上に精神面の方が辛いかもしれない。

から介護職に就いてる人がどんなことを思っているのか凄く気になる。

母のような中年世代は何を考えているのだろうか。

俺と同世代ぐらいの見た目好青年っぽい若者は完全に仕事と割り切っているのだろうか。

仕事以外のことをしている時に感じる幸せを、ちゃんと幸せとして感じられているのだろうか。

仕事の影響があまりにも大き過ぎるせいで介護職に就く前は容易に感じ取れていた幸せを、

幸せと感じ取れなくなってはいないのだろうか。

そんな偏見を持っている。

http://anond.hatelabo.jp/20161002211508

だが、使える金が無くなってくると、人はすっかり変わる。

仕事を求めて土下座をするようになる。

そう、それは熱く熱された鉄板の上ですら土下座できるくらいにね。フヒヒ

糞アンケ増田に答える雑魚ナメはてなーを一列に並べ一人一人殴りたい

拳が潰れても殴り続ける

インターネット未来のために

子供アスペ言葉を覚えるとそればっかり使おうとするからね、無視してあげるのが一番いいと思うよ

http://anond.hatelabo.jp/20161002210954

クソ雑魚ナメクジ淫夢ネタだと知らないで使う人が出てきたってのは、それだけ認知度が高かったり、言葉のものに使われる良さがあるってことなんだろうかね。

でも、クソ雑魚ナメクジ淫夢ネタだと知ったら、使うのやめたり、やめろという人がいくつか出てきそうだけどなあ。

それとも、意外とここ利用する人って淫夢好き多いんだろうか。

あ、ちなみに淫夢だとクソザコメナクジって全部カタカナね。

ザコだけ漢字に変えているところが小癪に感じるのは自分だけだろうか。

会社辞めた

ストレスフリー過ぎて、就職する気が起きない。

http://anond.hatelabo.jp/20161001104036

捻れた心性を吐露するようなブコメばかりが目立つ中、xevraさんの優しいリフレインは癒やし。

友達はまったくいなそうだけど。

道重さゆみさん

お久しぶりです。


増田、、、更新してみた。

相席屋地雷男と相席してしまった時の対処

食事乞食のフリをすると有ってあーねとなった。

お前はお呼びじゃ無いというサインなのか。

日本マイノリティー苛めは、磨かれた天才を造り出す、ある種のシステムかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20161001030609

こんな目にあわされるんなら、うっかりジャニーズタレントを好きにならんように気をつけないとね。こわこわ!

正座歴史は浅い

正座という名前をつけて道徳教育して国民に広げたのは明治政府だとかで、国民に定着してからまだ100年やそこらの歴史しかないらしい。

それ以前は男も女も茶人もあぐらか片方の膝を立てるのが正式な座り方で、利休の肖像画や像はあぐらをかいており、十二単は中であぐらをかくようにデザインされている。

しか着物で立て膝をしたりあぐらをかいたら性器が見えるのではないか

昔の女性ふんどしをしめてないし、布が高価なので貧しい男性もあまりしめてない。

しかテレビで見かける農民は短い着物を着ている事も多くて、あれであぐらは丸見えではないのか。

着物で綺麗にあぐらをかく方法がまるで解らなすぎて昔の人はどうやって隠していたのか気になる。

めにも感謝しなくてはいけない

苛めと言う過酷環境長期間あったからこそ、自分は今こうして

大きな果実を得ているのかもしれない。

もし、恵まれて何不自由のない環境であったならば、今の磨かれた私はなかった。わたしはいま、苛めにも感謝しなくてはならないのだと悟った。

かといって、私は人を苛めるような小さい人間にはならないけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20161002205759

普通に居酒屋行っても1時間1万円は掛かる、無料で選べはしないが女が付いて来ると考えれば良いシステム

から流行ってんだろ

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