知らない人に指差されてコソコソなんか言われたらそれは気になるし神経疑うけど、そんなことは自分もしない。
友達に、あんたが悪いんやろーとか(軽い話でよ)指差して言ってると真剣に怒られたりするけど、自分は友達と話してる時に指差される分には何も思わないんだけど、それも気になるもんなの?
嘘つきめ。
家庭的な女騎士が種族の“本物”を経験したことのある俺 深淵に魅入られ
を受けたことがないんだけど、なんでダメなん?
差しちゃうんだけど。人を指差すんじゃねーよ!とか言われてもなんでダメなの?としか思えないので、ごめんなさい!とか言えないんだけど。
たま:
see http://anond.hatelabo.jp/20090508095607
たとえば、グワッアーン! と、背後で爆発が起こったとしましょう。それで振り返ってみたときに「やれやれ」って面倒臭そうに振り返るような、僕はそんな主人公は絶対書きません。
──厭世的ということですか。
それ以前です! それ以前っていうのはどういうことかというと、こういうことです。爆発があったら、それが近くであれば先ずエイッって飛び退きますし、遠くのことでも何だ何だと振り返る、そういう身体感覚は人間の「生理」として備わっているものです。これは命に関わること、反射のことですから、何度経験してもほとんどの場合同じになります。ということは、こんな鈍感さを持つキャラクターが成立していいのか? という自覚を持ち続けていくのは、作家としての最低条件だと思っていますが、そのようなところの意識のない作品、芝居ですらないようなものは実際にはとても多いのだろうと危惧していますし、これはここ10年20年の問題ではありません。アニメーションという商売が日本で成立するようになってからずっと、こういう芝居をするんじゃねえぞと言い続けられなかったことは僕らの世代の責任でもある、という言い方は傲慢ですが、僕はそのように思っています。
最初の「富野インタビュー」形式は、姉萌えやバイク板の話題が時折紹介されていた在りし頃のアルファルファモザイクのコメント欄に書かれた(今運営されている同名のウェブサイトは名前が同じだけの別物だが、元々それほど上等なサイトでないのはご存知の通りだ。なお該当するコメントはサーバー移転のさいに消滅している)。字数制限が厳しかったため監督特有の「距離の長い」言い回しを表現できず若干の後悔はあったが、予想外にもまとめ増田に捕捉され数年に渡りわずかずつウケたのを見てちょっといい気持ちになった。ありがとうございます。
ということをふと思い出し、現在の感覚で字数の制限なく「後ろで爆発が起こったときに『やれやれ』と面倒臭そうに振り返る創作を作る人を批判する富野監督のインタビュー抜粋」を書いた。これらの短文はあくまで「他人の勝手に考えた富野監督」であるため実在の富野由悠季氏の考えとは何ら関係ないこと、オリジナル版を含め特定の文献・インタビューを参照したものではないこと(不特定の文献・インタビューの言い回しを記憶から参照しているという意味だ)を付記しておく。
やればいいやん
綺麗な格好してプロの写真残したいならフォトウエディングで数万くらいから出来るし
結婚式も二人でやるだけならそこまで高くはならんやろ
一生もんの想い出と思えば数万から数十万程度の出費ありでは
辛い思いする必要ないと思う