2013-09-05

「本当の恋愛症候群の人たちへ

http://anond.hatelabo.jp/20130903115235

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130903/p1

これに関連して

互いを尊重し尽くし合う愛を得られなかった人達がなんか言ってるって感想id:kongariknow

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学歴とか家柄とかそんなことのために、愛を犠牲にするのは間違っている」とか言うのが、マスコミ文学、あるいは人権平等といった制度的な理由で作られた幻想かもしれないということは、もうちょっと考慮されても良いのではないかと思う。

真実の美しい愛」と「家柄や学歴、金やセックス目的とした汚い愛」の2種類があり、前者が高貴なもので、後者が汚いもの・・・なんて、そんな水戸黄門みたいに分かりやすい状況は現実にはそうそうない。人の心はもっと複線的で、矛盾する複数のストーリーがひしめき合う中でさまざまな決定がされる。平たく言えば、恋愛なんてフィーリングなわけで、学歴がどうのこうのというのは、フィーリングを無理やり言葉にして出てくる無数の説明の一つに過ぎない。

学歴だけでなく、お金ととか、セックスの相性とか、パートナー容姿を友人に自慢できるかとか・・・恋愛には、そういうあまりロマティックじゃないじゃない構成要素がある。たまに、それを口にして言ってしまう人もいるし、創作の分野ではあえて言語化することも多いけれど、大部分の人はそういうことは言語化せず、「フィーリング」の一部としておくわけだ。こういうものを全部排除して、金もセックス排除した、純粋恋愛を考えると、おそらくそれはすでに恋愛ではない。かと言って、恋愛は金でも学歴でもセックスでもない。そういった形で言語化できない「何か」が恋愛からだ。

さて、重要なことに、学歴とか人種とかで、結婚相手を決めると公言することは、社会的に非難されるか、少なくとも格好悪いとされる。「結婚なんて金のためだ」と言っても多少は非難されるだろうが、学歴とか人種についての発言ほどではないだろう。それは、権利とか平等とか言う、現代社会を支える価値観と反しているからだ。だから、ある程度以上の教育を受けた人間なら、「低学歴から別れる」とか「人種的に嫌いだから別れる」とか言うことは言葉にして言わないし、場合によっては、自分の心の中ですら、そのようには言語化されない。「うまく言葉にはできないけど、彼女結婚することには、なんとなく現実味が持てないんだよね」っていう形になる。テレビドラマ小説として消費され続けている「家柄/学歴/障害・・・・を乗り越えて成立した純粋恋愛」というストーリーは、こういう背景を持って生まれたものだということを忘れてはいけない。

でも、通常は言語化されないからといって、そういう判断が存在しないわけではなく、「学歴が低いか結婚するのをやめよう」という心の動きはある種の人にとっては厳然としてあるそれは他人に強制したり、広めたりする性質のものではなく、単に「そういう心の動きがある」ということを指摘することができるだけだ。そして、そういう言葉にならない心の動きがあるということは、「権利」とか「平等」とか言う価値観によって妨げることはできないし、妨げるべきでもないものだ。

では、「学歴考慮した恋愛は汚く、学歴考慮しない恋愛は美しい」のだろうか。あるいは前者はお互いを尊重していなくて、後者はお互いを尊重しているのだろうか。それこそ価値観の問題だが、自分はそんなこと議論することには意味が無いと思う。あるのは好きという感情であって、学歴がどうのこうのというのは後付けの話だからだ。

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