はてなキーワード: 80年代とは
雨宮ねいさんがチラ見してくれたようなので脊椎反射してしまいました。
みなさん、よいお年を!
ニコラス・ルッカ(Nicolas Rucka)
様々な風景を見せるようになった日本アニメにおいて、押井守は彼独自の場所を築き上げるに至った。SFエンターテイメントという枠に捉えられる事もしばしばだが、彼の仕事はその要件を遙かに凌いでいる。押井はジャンルという括りに疑問を投げかけ、SFと現代の生活との間にまっさらなリンクを構築してみせた。彼のこうした姿勢は、アニメーションという体裁の境界を拡張するアプローチ・スタイルと結びついている。それは「攻殻機動隊」のすばらしい続編である「イノセンス」に見てとれよう。
ルッカ: あなたの作品は第二次世界大戦前後のヨーロッパの様式、とりわけ東側諸国の影響が大きいかと思います。それはどのように培われたのですか?そしてこれまでの作品で表現されてきたあなたの世界観にどのような位置を占めていますか?
押井: 若い頃からヨーロッパ映画を見て、楽しんできた。古典的で、古いスタイルの様式、雰囲気といった東ヨーロッパ的なものは静謐で美しく、そしてノスタルジックで、ひどくそそられたね。
ルッカ: もうちょっと続けますけど、あなたの映画で言及される70年代終わりから80年代にかけての欧米産サイバーパンク小説や映画、ウイリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」などは日本の街並み、風景、そしてテクノロジーの影響を強く受けています。で質問なんですけど、こうした話法を引き続き採用するのか、それともより高位のゴールでこれら要素を取り入れるかって事なんですけど?
押井: 僕の作品はサイバーパンクに分類される事が多いけど、個人的はそうじゃないと思う。「ブレードランナー」みたいに本当に楽しまされた映画があって、映画作りの上である程度役に立っている部分もあると思う。でも僕以外にもっと影響を受けている人ってたくさんいるんじゃないかな?人間とサイボーグを題材にした映画を作るなら、「ブレードランナー」にふれないわけにはいかない。このテーマに関する先駆けだからね。こうした話法を採用するか、それともしないのかなんだけど、僕のゴールは未だかつて誰も見た事のない新しい映画を作る事だからね。それは「イノセンス」で証明できたと思ってる。
ルッカ: あなたの作品、とりわけ「アヴァロン」なんですけど、タルコフスキーを偲ばせる要素が多く見受けられる。そうした影響は?
押井: 今はそうでもないけど、昔はすごい好きだった。でも「ストーカー」や「惑星ソラリス」、「鏡」は今でも好きだね。
ルッカ: 押井さん、これは私見なんですけど、犬との交わりを人間より優先させているかと。こうした傾向は主題的化身の選択、それとも人間という形態はもはや必要ではないという人間意識のあり方のどちらと結びついています?
押井: 僕個人的には犬との結びつきを優先させる。でもそれは人によってまちまちだと思う。人間が「主体」の一部を失い出すと、己が何者かを知るために他の何かと関わらざるを得ない。それは僕のように犬だったり、猫や他の動物かもしれない。生き物である必要はない。機械、車、コンピュータ、街、自分以外だったら何でもいい。それが失われた「主体」を見つけ出すって事です。
ルッカ: 人類というあり方は時代遅れのものですか?もしくはそうなると?
押井: おっしゃりたい事に確信はもてないけど、間違いなく人類というあり方は失われつつある。動物は常に同じであったし、これから先も変わらない。でもテクノロジーの発展によって人類は常に変化するし、変化せざるを得ない。でも、変化や進化を恐れてはいけないし、それを受けいれ、共存する事を学ぶ必要があると思う。
ルッカ: 映画作りの際には何から手をつけますか?印象的なイメージ、本、音楽から着想します?まずは脚本から?
押井: 僕の頭の中には違ったアイデアがたくさんある。それをどうやって映画で生かすか、って事なんだよね。企画が来る頃にはすでに何かが頭の中にあるんだ。発想の多くは小説や写真集に目を通したり、いろんなクリエイターと話す事によって生まれるけど、実際の具体的なアイデアや映画の基礎といったものは作品作りの前に決まってるんだ。
押井: いつもって訳じゃないけど、だいたいそうだね。実写か、アニメかによるけど、中核となるグループはたいてい同じ。彼らは本当に才能があって、辛抱強いと思うし、あ、でもわがままで頑固だけどね、ぼくは十全の信頼をおいている。彼らがいなかったら、映画は絶対に作れない。
ルッカ: 制作準備にはどのくらいの時間をかけます?そこでは何を?
ルッカ: 「イノセンス」では実際の制作、そして編集ははどれくらいかけました?
http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。
<インタビュー>
シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?
松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュースや手作り弁当をクラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像のキャリアを通して使ってます。
シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?
松:ハメ撮りスタイルの作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。
松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。
シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?
松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。
松:はい、そうです。
シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルのAVに力をいれていたのですか?
松:はい。安達はテレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。
彼は撮影については知りませんでした。自分で会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣な作品を作ろうとしました。
シ:V&Rの意味は?
松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)。
シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年に自分の作品を制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?
松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。
シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…
松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリ・ロンドンに旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス(1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品の監督と関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分で男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。
松:ええ。彼女は素人としてこの仕事を始めました。彼女のデビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品で素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。
シ:V&Rで活躍する一方、マンガ「職業・AV監督」の原作も手がけられています。
松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。
松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社のビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。
シ:V&Rが制作した「ジャンク」シリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリーは南米で撮影されたものですか?
(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクのタイトルでデス・ドキュメンタリーを制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)
(訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"
松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオを海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルのタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。
新聞のカメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場に直行しました。ブラジルの警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。
松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオとセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。
シ:ジャンクはシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?
松:6番です。
シ:どこで撮影しましたか?
松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャング、ホームレス、麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。
シ:リオでハメ撮りは?
松:いや、まったく。アメリカやヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場に通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子の個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。
シ:他のアジア諸国だと?
松:アメリカやヨーロッパはポルノに関して長い歴史があります。スクリーンにセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。
シ:V&Rにはいつまでいましたか?
松:2004年までです。それからハマジム、現在の会社を仲間と始めました。
松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマンの浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。
シ:現在、何人が働いていますか?
松:7人です。
松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優の名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。
シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。
松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。
シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?
松:ええ、基本的にそうしたくて。
シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?
松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常のストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVをドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。
シ:でも撮ったんですよね?
松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。
シ:これからの予定は?
松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビや映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジムを大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。
長いので二つに分けました。
日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。
しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米の視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。
まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。
そして裏映画(訳注:日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米に存在したブルー・ムービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画は裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオはビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。
ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオは1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキが接続されたテレビでセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映や新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画をビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社はビデオ専用の映像を制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画の伝統を踏襲し、ピンク映画のルール・制限に固執した。
ピンク映画会社の制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家はビデオという形態は安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。
これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画の監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズ(80年代初め)にて今日のAVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優の採用によって秘められた日本のセックス事情をドキュメンタリースタイルで描写したのだ。
「ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本・ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。
少額の予算でピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断は大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島がフランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオにコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。
もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーはAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具や植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。
そうした映像処理は、海外映画の審査に起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。
こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察の逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫(ピンク映画を制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督がアナーキーな連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫は審査委員会に警察官僚や役人の天下りを呼び寄せたのだ。
現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社が制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者は女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。
日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画の女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュアを意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所やタレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京の一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽・ファッション業界の仕事をもちかける。実際、ファッションモデルやテレビのエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷・原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所はAVの仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。
企画もののスタイルやジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒・看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプ(AVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVはビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性が女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。
ドキュメンタリー的手法は日本のAVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ的日記の一種である。それは男性(たいていカメラマンや監督である)の主導のもと、タレントや女優をフィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラで性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。
しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージはリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。
<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>
今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてのジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年に制作された。これらの作品(デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。
たいてい松尾はレディースコミックに広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性を募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾が彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本の日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。
まず第一に、松尾は女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテルや彼女の自宅へと向かう。
この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾はありのままにカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本の女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。
松尾は1965年、日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾はテレビ業界を希望していた。専門学校を卒業すると、松尾は音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンドの内面を映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAVの世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。
2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾のオフィスで彼に会った。ちなみに原宿は日本の若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。
山口百恵が「あなたが望むなら・・・いけない娘だと噂されてもいい」と歌っていたのが73年
自分がお子さまの頃の話なので、この歌詞がどのように受け止められたのかは、はっきりとはわからん。
お見合いの席で「処女ですか?」と聞くネタ(タイトル失念)をスネークマンショーがやってたのが80年代の前半
この辺りは建前としては処女であることを求められるけど・・・という時代
適齢期をクリスマスケーキネタにしてたのもこのくらいの頃だね。
東京ラブストーリーでリカが完治に「セックスしよう」と言ったのが90年
女性がこういうことを言う台詞が衝撃的に感じられつつも受け入れられた時代
(リアルで同じコトをやったら、当時も今も、ドン引きだとは思うけど)
この辺りから出来ちゃった婚に抵抗感が無くなる。
世代や地域によってズレはあるだろうけど、大体こんな感じだったんじゃないかなあ。
でも、浮気や行きずりも含めて、一生のうちにたった1人の男
としかセックスしない子なんて滅多にいないわけで。
どうでもいいはなしだけど、うちのオカンは(いまのところ)明らかにそう。オトンがはじめての相手で彼氏。
80年代半ばに交際をはじめたようなんだけど、曰く、当時はいまほど男女交際が乱れていなかったと。
さすがにオカンのような例がメジャーではないとしても、付き合っても3,4人とかそれくらいで、なによりもセックスにまでおよぶカップルもそう多くなかったと。
こういうのって時代とか地域差がすごく大きいものだから、どこぞの社交界かキリスト教コミュニティあたりの例外的な話に思えるかもしれないけど、舞台は地方都市郊外の大学が密集する学生街。もっとヤリまくっててもよさそうなもんだけど、そうでもなかったらしい。
80年代ってポストモダン全盛でみんな差異に戯れってたんじゃないの、とか勝手に想像してたんだが。
あれかね、恋愛資本主義(笑)の完成にはバブルの到来を待たなければならなかったのかね。まだ恋愛が多少なりとも慎み深かった(?)時代の最後の徒花、とか。
以上、そんな母親に育てられたからかは知らんけどこのまえヤラハタ達成した童貞談。
ついでに。
史上最悪の儀礼とか調子乗って断言しちゃってるけど、それはあくまで今日的観点からのおはなしね。
女子を交換可能な財、として見なすなら決して間違っちゃいない。
http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081217/p2
こことか読むとわかりやすい。性の悦びを知らなければ浮気する可能性は低減できるわけで、結果として血族の純潔性はいっそう高まる。
日本でも明治以前は、程度の差はあれこうだったわけでしょ。政略結婚とか。もちろんさっき書いたように時代・地域差があるけど。夜這いしまくりの江戸自体の一部農村とか。
そんでそういう発想の極北として女子割礼はあるのだけど(いやあ人間の知恵って恐ろしいねえ最初に思いついた某部族の父祖は偉大だよある意味)、西洋近代の価値観とは当然衝突するよね、と。
どんな文化にも独自の価値観があるわけで、それを尊重するのが文化相対主義なんじゃないの、と。それでも普遍的な倫理は成立しうる、という立場もあって、まあどうしても衝突するわな。
話がそれたけど、要は他のものさしを知れ、と。枝葉末節だがな。
いちおう断っておけば、俺個人としては女子割礼はナシだけど、それは俺が現代日本の文化に馴染み育ってきたからであって、よその文化がそういうことをしていることについては口出ししないよ、というのがスタンス。
……これって処女うんぬんの議論にも適用できんじゃないの? どんだけ罵りあったところで、結局は個人の内面の問題、「人それぞれ」としか。
それがなんでこんなにも気持ち悪く盛り上がっているのかといえば、実際のところは「処女厨きめえ」という罵倒の欲望だよね。ただ「きめえ」じゃ頭が悪いから、もっともらしく現実の例とか学問とかを引っ張り出してそれらしく見せてるだけ。
あと万人の万人に対する恋愛観の闘争。俺(私でも僕でもワシでもなんでも)はこういうふうに恋愛してきて学習しました俺なりのテツガクがありますだからおまえの恋愛観はおかしい、と。
吉田秋生の「桜の園」を巡る議論を思い出した。女性作家による、少女が女になる(ならざるを得ない)瞬間を描いた作品で、この増田みたいな感想を持った人から、こんなのリアルじゃない、男性評論家に媚びている、男にウケるための女像を捏造してると言われてたっけ。
自分は「桜の園」にいたく共感したくちだから、上のような言論に傷ついたし、その言論に触れたことで吉田秋生に親近感を持つようになった。今回の増田をはじめ、上のようなことを言う人達にとっては、その人達にとってのリアルだけがリアルであり、自分達のような感じ方は男への媚となるのであってはならない、あっては都合の悪いもの否定すべきものとして位置づけられており、2重に否定されたと感じた。そして、そういう人達の自己の感覚を絶対視して疑わない見識の狭さと、その狭い見識で物事を穿って考える様に辟易した。この増田と似たような感想を持った。
「桜の園」は80年代の少女誌に掲載された作品だが、この頃の少女漫画にはそういったモチーフが多かったし、そこで描かれる雰囲気としてもこんなものだった。男性が少女漫画を読む流行が来たのは、丁度この後くらいだろうか。今の男性作家がこういったモチーフを扱うのは、この時代の作品を読んでいること、こういうことを扱うと女性像を掘り下げて描いている気になれるからだろう。なにより、女性自身の手によるこういった発信がある以上、男性作家がそれをリアルだと思って描くのは避けられないだろう。
お見合い結婚と恋愛結婚の数が逆転したのが、確か60年代の半ば。
とはいっても恋愛も結婚を前提とした、前段階という位置づけだったから、
70年代に入ると段々と恋愛と結婚が別のものという考え方が浸透する。
なぜならば恋愛を結婚から切り離した方が、新たなる市場が開拓できるから。
すべては商業主義による作為的な思想誘導とも考えられるが、この際どうでもいい。
(まあ恋愛は儲かる。今でも儲かる。恋愛禁止になったら失業者すごいぞ)
さて恋愛と結婚を意図的に分離するために商業主義者たちはあるハードルを撤廃した。
結婚が恋愛の延長線上にあった時代には、男性はぶっちゃけHしたいからプロポーズをした。
同時に女性は切り札としての肉体的な証である処女膜を守った。これを失うと結婚しにくかった。
普通に考えるとこの考え方を撤廃するのは生易しいものではないんだが、
ちょうどフェミニストの台頭による女性の社会進出(これも儲かるが別の話)に便乗して、
そして80年代となり日本はバブル到来。もう大変。乱痴気騒ぎ。
んでOLの市場が食い尽くされたあとは、女子大生の市場を開拓した。
バブル弾けて女子大生市場も美味しくなくなって、90年代になると女子高生を商品化した。
このころの女子高生たちが今の30代〜ね。生まれながらにして商品。もう泣くしか無い。
当然チヤホヤされて、食い荒らされていることにも気がつかず、性を大開放。
どれだけの経済効果(表も裏も)があったのか計り知れない。
女性にありつける男とありつけない男。
当然いい男にはたくさんの女性があつまる。恋愛における選択権は性を開放した女性にあるのだから仕方ない。
しかし法律で男は一人の女としか結婚できないということを忘れていた女が多すぎた。
http://anond.hatelabo.jp/20081210132759
もう80年代、90年代のような流行ってこないんじゃないかな。
誰かが騒ぐとそれを冷めた目で見る人間が同じだけ出てきて、
熱を冷ますようなことを言う人がいるからね。
バランスがとれちゃって一気に加熱して盛り上がるなんてことは無いんじゃないかと思う。
ある意味いいことだよね?これ。
2008年12月2日、音楽ニュースサイト『ナタリー』にてこんな記事が配信された。
http://natalie.mu/news/show/id/11396
9nineのCha-ponこと西脇彩華が、GOATBEDの石井秀仁とエレクトロポップ・ユニットORDINARY VENUSを結成。12月17日にデビューアルバム「ORDINARY VENUS」をリリースする。
このユニットでは石井がトラックメイキングやアートワークを手がけ、Cha-ponがボーカルを担当。松田聖子、工藤静香、Wink、南野陽子、中森明菜、宮沢りえ、早見優などの1980年代名作アイドルポップスが、GOATBEDならではのキラキラした艶やかなサウンドで蘇る。
どうやらperfumeのメンバーの一人である西脇綾香の妹がメジャーデビューするらしい。
perfume妹+電子音? これはもろに便乗じゃないか……。そんな考えが脳みそに掠める。
プロデュースする人物はGOATBEDの石井秀仁という人物が行うという。石井秀仁? いったいどんな人間だろうか。
ヴィジュアル系バンド『cali gari』のボーカリストで解散後の現在は『GOATBED』の名前でソロ活動中……。調べてみると2chのテクノ板にスレッドがあったりとやはりそちら寄りの人間らしい。「perfumeみたいのを作ってくれ」と頼まれたのだろうか?
しかし、楽曲を聞かずに便乗だ、パクりだと言うことはできない。
それに80年代のアイドル歌謡をカバー、とそれなりの一捻りは加えてある。全然違う雰囲気のものになる気もする。
では、聞いていただきたい。
http://jp.youtube.com/watch?v=5GoY0wnE8xY
こ れ は ひ ど い 。
わざわざ全曲ボコーダーで声を変えてperfumeのパクリであることを強調している。
身内がこんなに堂々とパクリ楽曲を出していいのだろうか? 臆面もなくよくできるものだ。トラックも安っぽくてチープ。
ポストモダンな状況では既存のピースの組み合わせこそが創作であり未来を思考するならパクりまくるべき、
これは「新ジャンル・近未来パクリポップ」だとでも言うつもりだろうか?
最近は音楽業界も斜陽だと聞く。様々な要因が考えられるがこのような志の低い作品をリリースしてしまうのも一因なのではないか。
──最近は中田さんのフォロワー的存在も増えてきましたが、それはどう捉えていますか?
中田ヤスタカ:好きでやってるんだったら良いと思いますけど、売れると思ってるんだったらいらない(笑)。あと、作ってる奴がインタビューとか受けた方が良いと思う。それは歌ってる人じゃダメって訳じゃなくて、作ってる人が好きなのかが気になる。「今はそういうのやっとこうぜ」ってやってんだったらもう死んで欲しいね(笑)。
中田ー、うしろうしろ!
「なんでアメリカは貿易赤字を出し続けているのに豊かなの?」って質問は80年代の日米貿易摩擦のころからよく聞いてたわけです。
そもそもアメリカはGDPに対する輸出入の寄与はそれほど大きくないので貿易収支はそれほど豊かさと関係ない。生産性が高いから豊かだとしか言いようがない。
ま、その答えは「世界中がアメリカに投資しているから」。それでアメリカが世界中の国からモノを買ってくれるから世界経済は回ってるよ、みたいな感じの説明がずっとされていたと思います。わかったようなわからないような、つまりは納得いかない説明なんですけどね。投資を受け入れるのは借金とイコールではないけど、無限にはできないしいつかは返さないといけないって点では借金と変わらないし。無限にはできないことで経済を回してるって、やっぱり変じゃないの。
何かを売って貨幣を手に入れる=貸す、何かを買って貨幣を手放す=借りるということさえ把握しておけば理解できるはず。貨幣での売買というのは貸し借りを繰りかえすこと。アメリカに投資するから貿易赤字になるというよりは外国から買った額>外国に売った額になると必然的に外国に出て行く貨幣が多くなる。ドルというのはFRBの借金だから、アメリカに投資先があろうがなかろうが外国人がドルを持つとその分アメリカ全体の純債務は必ず増える。
その変なアメリカへの「投資」がそれでも続いてきた理由ってやっぱり、ドルが基軸通貨なことと、なにしろアメリカが強くてでかいことだと思っていいんでしょうか。
基軸通貨でないアーストラリアやカナダだって経常赤字続けてたりするわけで基軸通貨だから経常赤字続けられるというのは都市伝説。
「なんでアメリカは貿易赤字を出し続けているのに豊かなの?」って質問は80年代の日米貿易摩擦のころからよく聞いてたわけです。「なんであそこの家は大して仕事もしてるように見えないのにあんなに何でも買えるの?」みたいな感じですか。まるで小泉容疑者。
ま、その答えは「世界中がアメリカに投資しているから」。それでアメリカが世界中の国からモノを買ってくれるから世界経済は回ってるよ、みたいな感じの説明がずっとされていたと思います。わかったようなわからないような、つまりは納得いかない説明なんですけどね。投資を受け入れるのは借金とイコールではないけど、無限にはできないしいつかは返さないといけないって点では借金と変わらないし。無限にはできないことで経済を回してるって、やっぱり変じゃないの。
その変なアメリカへの「投資」がそれでも続いてきた理由ってやっぱり、ドルが基軸通貨なことと、なにしろアメリカが強くてでかいことだと思っていいんでしょうか。どこが潰れようとここだけは潰れないだろうと。これをつまり信用って言うんでしょうか。「ここだけは潰れないでしょ」ってことでアメリカ発の金融商品とか米国債とかが資産と認められてきたってわけですね。
サブプライム騒動でよくわかったことが、欧州は主に金融機関が米国の家計に、日本と中国は主に政府が米国の政府に金を貸してたってことです。米国では政府より先に家計の方が借金生活の重みについに耐えられなくなって一斉踏み倒し、欧州の金融機関ピンチ、と。
で、そのピンチによる景気とか金融不安とか、各国政府の対応で何とかできるかもしれない問題のことに世界は夢中だけど、アメリカへ投資することの信用もその一斉踏み倒しで消し飛んじゃったわけで、こっちの方が重大ですね。もっとも、「無限には続けられないこと」の「いつか来る終わり」に過ぎないんじゃないかと思ってますが。
投資先でなくなったアメリカにはもうお金とか入ってこなくなるから、そしたら今度は政府は、今の借金を返すあてはどこにあるんでしょうね。次に貸し倒れで痛い目を見るのは日本と中国、っつう気がします。その時点でアメリカはすでに崩壊してることになりますが。
欧州は今後明るいんじゃないでしょうか。いま基軸通貨のドルがなくなったら、次は何で取引したり貯めたりしようって、それはユーロ以外残ってないでしょう。しばらくは前世紀のアメリカと同じ繁栄モデルをやれます。
似たような反応(水着の試着して見せた途端ダメ出し)されたことあるわー。思い出して腹立ってきた。
体型はどっちかいうと自信ある方で、細いけどメリハリがあるタイプでお腹出しだって余裕でOK!のつもりだったんだが、試着した水着だってデザイン控えめスカート付のごく普通の水着だったのだが、自分で言うのもなんだが女の目で見て全然まずいところなんて無く正直かなり似合うと思ったのだが、それでも何故かダメ出しされてしまい、80年代の若奥様の夏の普段着みたいな雰囲気の袖なしポロシャツとキュロットの組み合わせを薦められた。理由は「もう若くないんだし、そんなオバサンの肌なんか見せたら失礼」。
これはどうなん?試着する前は結構ノリノリで選んだりしてたのに。実際着たところを見たら、若い子と比べて幻滅とかあるのかな?脳内イメージは若い頃の姿のままだったのに、肌のハリとかによって雰囲気違っててびっくりしたとか?30歳前後のときの話。
こういうことがあるから、水着って警戒するんだよ・・・
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/51136258
日本人は人も国も冷めているのが多いですね。
とりあえずくだらない日本語の延命措置の方法を考えてみました。
●少子化を解決する
(今の政治では無理です。)
(国は文化にお金をかけたがりません。)
●再び経済強国になる
(経済的にメリットがあれば外国の方も積極的に学んでくれたがもう無理っぽいですね。80年代はオーストラリアとかも日本語教育に熱心だったけど最近は閑古鳥。大連などオフショアリング拠点や東南アジアからの移民受け入れがせいぜい。)
●文化的に魅力的になる
(円安とともにビジットジャパン計画はとりあえず成功したがそこから日本語普及へは壁が高い。それに国や地域を挙げて文化を守るという意識は低い。)
●文化を積極的に輸出する
(日本文学の翻訳は英語圏では圧倒的に減った、日本文化に精通した外国人が減ったともいえる。例外なのがフランス。日本食は健康ブームに乗って広まったがそれが言語普及へとはつながらない。)
●ジャパニーズポップカルチャーを好きになったついでに日本語を覚えてもらう。
(これが一番可能性がある?幸いアニメがハリウッドに次ぐくらい世界中に広まっていますし、ビジュアル系も一時欧州などで人気もありました。
ポップカルチャーに日本語教材を拡充してアニメの世界だけでもコミュニケーションを日本語にしてしまうとかニッチな世界で日本語をグローバル言語にする野望。)
(どこかの学者が日本語を覚えると頭が良くなるとか平和な考えになるとかの学説を発表し、DSなんかで「脳を鍛える日本語トレーニング」とかいうソフトを流行らせる。)
とりあえず最近の日本人は海外に出る人も少なくなっていると聞くし、外国からの訪問者にもかなり厳しい。
効果がないのは分かりきってることなんだけどね、地域振興券という前例があるから
だから、理屈の上では正しいけれど多分失敗する
なぜ、地域振興券がただのバラマキで終わったのか
なぜ、これだけ公定歩合下げても消費が落ち込んでいるのか
確かに、消費をうまく掘り起こせばデフレは解消される
でも、そんなことちょっと経済かじった人間なら誰でも分かることで、今まで誰もできなかった
なぜなら、終身雇用制が無くなったから
将来の保証が無くなったから
元々無い国なら問題は無い、アメリカとかね
でも、日本はとりあえず就職すれば一生安泰という空気が90年代中頃まではあった
数年前に投資が流行ったけれども、これは当時好況だったアメリカの意向が多分にあるのだろうと思っている
このバラマキが成功するとしたら、メディアで徹底的に消費を煽り続けるしかない
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c32eff099b0c3fd1e42d4ec41223c0b0
キャリー取引の原因は、もちろん日銀のゼロ金利政策である。低金利・円安は輸出産業への補助金となって一時的な景気回復をもたらしたが、それが回り回ってアメリカの金融危機に日本経済が直撃される原因になったのだから、自業自得だ。本来は2003年から景気が回復した段階でゼロ金利をやめるべきだったが、「リフレ派」の大合唱のおかげで金利の正常化が3年おくれたのだ。
バブルの教訓は、金融政策はGDPや物価などフローの指標だけを見ていては危険だということである。80年代後半には、低金利にもかかわらず物価は安定していたが、資産価格が急騰していた。今回は、日本のゼロ金利がアメリカでバブルを起すという、一段とわかりにくい形でストックに影響したわけだ。フローの均衡だけを基準にする「インフレ目標」では資産価格をコントロールできないので、各国が実質的にインフレ目標を放棄したのは当然だ。
このように今回の危機は、グローバルな資産価格のひずみが訂正される過程なので、日本だけでできることはほとんどない。あるとすれば流動性を供給して価格調整を促進し、均衡を早く回復させることぐらいだが、それも震源地のアメリカ経済が立ち直らないことにはどうしようもない。高度にグローバル化した経済では、財政も金融も含めて一国ケインズ政策は無力なのである。
何故株価が下落するぐらいで新聞やテレビは被害者面するのか。マスメディアがもし都市市民の味方なら鉦や太鼓で喜ぶべきだろう。貧乏な庶民が天下国家を憂いてる場合じゃねえだろ。母ちゃんは給料袋でしか評価しねえよ。正しいポジションに立て、惑わされるな!
言い切ってしまえば指標の集合でしかない株式相場が暴落したからなんだというのか。そんなもの日経平均が100円をつけても資産の無い都市市民に影響なんか絶無だ。
そんなことより重要なのは円高だ。
ドルが50円台になればなにが起こるか。オレンジジュースが1リットル50円とお高級な六甲のおいしいトンネル浸透水より安くなる(※現在100円ローソンではオレンジジュースが100円/lで売られている)。吉野家は並200円でキャンペーンで150円になるだろう。でもマクドナルドはテラマックの登場で単品メニューで1,000円超えして100円マックは廃止され500円マックというくだらないセットメニューが用意されるかもしれない、死ねばいいのに。
要するに現状維持でも給料が倍になるのと同じだ。なんだこのシャングリラ、ウェルカムトゥ黄金のジパング。
思えば80年代末にはNIES(新興工業国)製品という名で電化製品や食品の値下がりが起こり90年代は農産物自由化と円高で生活コストが下がり、90年代末には半額バーガーに代表される広範なデフレで、2000年前後にはユニクロに代表される中国製品による相場下落が起こり消費が振興された。
まさに不景気とは富裕層(企業)の資産が溶かされてその富が様々な下方硬直性により庶民の口に入る蜜月なのだ。
今年はチェック柄が流行るらしいと言うニュースを見ながらボーっと考えた事。ニュース自体は女性ファッションの話だったけど。
個人的に、チェック柄の服って最もヤバい物の一つでできるだけ選ばないようにしてる。ヤバいと言うのは、チェック柄ってハズれたときの(見た目の)ダメージがでかくてセンスが問われると言う意味で。同じような柄でもストライプだと、よっぽど色合いがおかしく限りはそこまでハズれない気がするのだけど、チェック柄は難しい。ある程度は気にするけど、基本的に服とかどうでもいい人なので、あんまりセンス問われても困るんです・・・
ここからは想像なんだけど、チェック柄って母親くらいの世代が大好きで良く買ってきてたんだよねー。80年代の流行の一つがチェック柄だったんだと思う。そのせいで、服に全くを気を使わずに(母親から)与えられた服をただ着る人がチェック柄の服を着る確率が高くなって、それがチェック柄自体のイメージダウンに繋がったのかなぁと思う。イメージダウンってあくまでも自分の中での話だけど。
後、以前に流行って20年周期位で繰り返されていると言う話を聞いた事があったけど、本当かもなとちょっと思った。眼鏡の話なんだけど、ここ数年フレームが分厚いのが流行ってるみたいで、その話をしたら20年前位に今と似たような眼鏡が流行ったらしく懐かしいとか言ってた。個人的には、ゴーグルにしか見えないから好きじゃないんだけど・・・まぁ、そもそも眼鏡はかけないのでこっちはいいや。
流行とかはある程度は追っておいた方がいいと思うけど、ミスったら死亡な(奇抜な)ものはあんまり流行って欲しくないなぁと思った。
これは80年代に、HIVは同性愛者のもの、というイメージが強かったんで、
いや異性愛者でも感染するよ、ていうかしてるよ、と盛んに啓蒙したから。
もし、本当にこうなってるなら成果があったんだろうね。
それは性差というより、当事者性の欠如という一般的な問題じゃないの?
そんなこと語ってる人見たことないんだけど。
有名な「エイズの世界にようこそ」や、2chで時々見る「知り合いのヤリマン女がHIV感染しやがったザマァwwww」的な話が
すぐ広まるのも同じ理由なんだろうな。
28以下じゃないかと思うが(80年代生まれ以降)