はてなキーワード: 進学校とは
どうも、多くの人にとっては勉強はつらくて嫌なものらしい。
高学歴=ガリ勉というイメージは世間一般にかなり浸透している。
ここで言うガリ勉とは教育ママに幼い時から無理やり塾に生かされて、学校では勉強しかせず、友達も少なく、体育や芸術の成績は悪い人間というもの。
学園モノの小説やドラマやマンガで「ガリ勉的な優等生がプレッシャーに耐えきれず犯罪を犯す」というモチーフが一つの様式として成立しているのは誰でも納得すると思う。
現実、ネット上限らず、「学歴と頭の良さは関係ない」という論が根強いのもそのひとつ。
頭の良さの定義をどうするかにもよるけれど、もちろん学歴と頭の良さは関係ない。(定義によっては正の相関はあるかもしれないが)
けれど、この論を唱える人たちの意見に、高学歴=勉強"しか"してこなかった人間というイメージがときどき見えるのもたしかである。
こういった高学歴=ガリ勉というイメージを支えているのは「勉強はつらくて嫌なものだ」というイメージなのだろう。
勉強はつらくて嫌なものだから、優等生でいるにはプレッシャーに耐えながら勉強しなければならないし、高学歴になるには勉強以外のことはすべて捨てなければならないという論理。
これはスポーツその他で置き換えてみたらよくわかると思う。
「学生時代は野球に打ち込みました」と言う人に対して、「あぁ、かわいそうに。この人は毎日野球しかせず、休日に友達と遊ぶことも創造的な活動をすることもない学校生活を送ったのだな。」とは普通思わない。
けれど、「学生時代は勉学に打ち込みました」という人に対しては、多くの人が、「あぁ、かわいそうに。この人は毎日勉強しかせず、休日に友達と遊ぶことも創造的な活動をすることもない学校生活を送ったのだな。」と多かれ少なかれ思うのだ。
けれども、実際の高学歴の人間はそういったイメージとは全然違う。
とその前に、私自身の学歴を述べると、
小・中は公立
高は私立の進学校(浪人も含めて旧帝大or医学部が一学年の1/3くらい)
という感じ。
もちろん、私が出会った人間を"高学歴の人間"として一般化してしまうのはあまりよろしくないことだし、例外はいるだろうとも思うが、
高学歴の人間が基本的に「勉強は楽しく、役に立つもの」というイメージを持っているのは確かなことだと思う。
そう、私を含め高学歴の人間は勉強を楽しいものだと思っているのである。
楽しいから何時間も勉強しても苦にならないし、逆に言えば楽しくなければ大学に入れるほど勉強することはできないだろう。
高校の段階では親に言われて無理やり勉強してきた人も何人か居たが、そういう人はだいたい落ちこぼれてしまった。
これは私自身の話になるが、中学2年で初めて塾に行ったとき、まず思ったのは「塾の勉強って楽しい」だった。
学校の勉強が楽しくなかったわけではないが、塾で仲間とあれやこれや言いながら難しい問題を解いていくことは頭の体操やパズル的な面白さが有った。
素晴らしい解法には心が踊ったし、新しいことを知る・深いことを知ることはさらなる興味を生んだ。
大学院で研究しだしてからは、世界でだれも知らないことを自分が一番先に知るという面白さに変わった。
勉強というものは楽しいものであったし、教養や何か以前に、勉強をより面白くするために役立つものであった。
また、勉強で培われた好奇心はいわゆる勉強以外にもいろんなところに広がっている。
私の周りには音楽、演劇、スポーツ、映画、など様々な趣味に力を注いでいる人間が多くいる。
正直、勉強「しか」してこなかった人間は「勉強がつらく嫌なもの」と考えている人の頭の中にしか居ないのではないかとまで思う。
このようなイメージの差ができてしまう原因は、現在の社会制度、端的に言えば「全員が勉強を強制されて、殆どの場合勉強ができるできないだけで評価されてしまう」という制度によるものなのだろうけれど、長くなるので別の話とします。
この文章が高学歴=ガリ勉というイメージを少し減らせればいいなと思います。
長々と書いてきたけれど、もしかしたら逆効果かもしれないな
無口なので小学校では1年間くらいイジメをうけていた。成績は良いほうだった。というかずっと1番だった。小5のときにネットに出会った。最初はテレビゲームの攻略サイトとかチャットルームをよく見ていた。はじめはチャットを荒らしまくっていた。まぁ普段無口な小学生がネット弁慶になるって言うのは今でもあるだろ。遊戯王とかパワプロのホームページを作って遊んだ。中身はないようなものだったが。
今思えば中学時代が最も充実していたかもしれない。卓球部に入った。仲の良い友達もいたし後輩とも親しくなれた。しかし練習はちょくちょくサボっていたので中学最後の団体戦には1年生に枠を奪われて出られなかった。塾に通い始めたおかげで、学校での成績は良好だった。ホームページ作りに飽きて(人が集まらない)、ブログをやり始めた。が、書くネタも別になかったので何度も削除しては新しいブログを作った。塾と部活以外は本当にだらだらネットしている中学生だった。親にパソコンをねだったが却下される。
学区内で2番目の高校に入った。進学校を自称しているが、大半の生徒は偏差値55から60をさまよっているレベルだ。東大京大に受かる人間などまずいない。仲の良い友人たちは別の学校に行った。非コミュの俺はあまりクラスになじめなかった。
高校最大のミスは数ヶ月で部活(運動部)の幽霊部員になったことだ。中学の卓球部でだらだらしてた俺にとっては練習がおそろしくきつかった。廊下で先輩と顔を合わせるのがつらかった。
塾に行かず独学を決意したのが2つ目の大きな間違いだった。入学直後の進路希望には一橋大学社会学部と早稲田大学社会科学部を書いた。当時は「働きマン」を読んでいて雑誌の編集者になるつもりだったのだ。しかし数学と理科は早々に理解できなくなったので私立大学を目指すことにした。
梅田望夫の本を読んでプログラマーになろうと決意した。志望を慶応SFCと早稲田人科に変えた。再度、親にパソコンをねだったが却下される。
2年生のクラスではついにまったくのハブになった。学校祭とか体育祭が本当につらかった。昼休みはトイレにこもって2chしてた。家に帰ってネットしたり漫画読んだりする日々。俺が短期間部員だった部活の人たちはすげえリア充になっていた。
塾という外部強制から解き放たれた俺は授業2年の冬まで全く勉強しなかった。得意科目の偏差値もやばいことになり、そろそろ勉強し始めた。プログラミングも文字を表示させるレベルで挫折して、志望はいつの間にか早稲田になっていた。将来のビジョンなど頭から消えていた。英語と現代文ばかりやっていた。楽だったから。おかげで模試の判定はいつもEかDだった。だからといって焦ることもなかった。勉強する習慣が身に付いていなくて、30分くらいでネットや漫画に走ってしまう。中学のときもほとんど塾で勉強していたからかな。大学に行きたい理由も特になかったんだと思う。大学に入ってからやりたいことをやろうと考えていた。俳優とか政治家とか記者とか証券マンとかなりたかったかも。どれも3日くらいで忘れたが。
3年生になってもダラダラで、歴史科目の勉強も苦しくて苦しくてやっていられなかったので成績は悪いまま。それでも英語だけは偏差値70だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。夏休みは全く勉強せず。図書館に行くふりしてネカフェでまったりしてることも。家では部屋にこもっていたので、親は俺がそれなりに勉強していると思っていただろう。冬休みは冬期講習を受けたが、予習も復習もしなかったから金をドブに捨てたようなものだけど。歴史科目は半分くらいしか進んでなかった。親には偏差値50くらいの中堅私立大も受けとけと言われた。
明治に落ちて。
入試本番。早大入試の前日に秋葉原で漫画を買ってマック食べながら読んでるレベル。それでも10パーセントくらいの確率でもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。試験が終わった後は浪人を頼み込もうと思っていた。母親は浪人も考えていてくれたようだが、父親は定年退職も近くてこれから給料が下がる、妹もいるということで浪人はダメだと言った。国立一本でがんばっていれば、浪人という選択肢も出ていたかもしれないことを後悔した。
早稲田。落ちた。
中堅私立しか受からなかった。
そして高校卒業。
友達もできず、恋愛に夢中になることもなかった。
上に書いてあること全部こなしてるやつだってたくさんいるというのに。
小学生の頃から何かひとつの技術にはまって、今頃は全国有数の実力者になっているやつだっているだろう。
俺みたいな奴も少なからずいるだろうから、そういうやつは一度自分を見つめ直してほしいとは言わない。どんどん堕落しろ。他人の不幸は蜜の味。
受験勉強にすらがんばれなかったという後悔は今もある。学歴コンプレックスこじらせてるな。やっぱりネットとかが好きなのでそういうものに少しでも関われる仕事をしたい。
なんだかんだあって4月からとある都内の文系学部に進むことになった。
やりたいことにどんどんチャレンジしていこう。
役に立つスキル磨いていこう。
なかのいい友達を作ろう。
熱い恋をしよう。
大学デビュー乙って思うかもしれんが、それはなにか違うんだよ。
ただ春のやわらかな風が俺の背中を押しているのを感じているんだ。
俺は変わってやる。変わらなくちゃいけない。
成績は良いほうだった。というかずっと1番だった。
小5のときにネットに出会った。最初はテレビゲームの攻略サイトとかチャットルームをよく見ていた。はじめはチャットを荒らしまくっていた。まぁ普段無口な小学生がネット弁慶になるって言うのは今でもあるだろ。
遊戯王とかパワプロのホームページを作って遊んだ。中身はないようなものだったが。
今思えば中学時代が最も充実していたかもしれない。
卓球部に入った。仲の良い友達もいたし後輩とも親しくなれた。しかし練習はちょくちょくサボっていたので中学最後の団体戦には1年生に枠を奪われて出られなかった。
塾に通い始めたおかげで、学校での成績は良好だった。
ホームページ作りに飽きて(人が集まらない)、ブログをやり始めた。が、書くネタも別になかったので何度も削除しては新しいブログを作った。
塾と部活以外は本当にだらだらネットしている中学生だった。親にパソコンをねだったが却下される。
学区内で2番目の高校に入った。
進学校を自称しているが、大半の生徒は偏差値55から60をさまよっているレベルだ。東大京大に受かる人間などまずいない。
仲の良い友人たちは別の学校に行った。非コミュの俺はあまりクラスになじめなかった。
高校最大のミスは数ヶ月で部活(運動部)の幽霊部員になったことだ。廊下で先輩と顔を合わせるのがつらかった。
塾に行かず独学を決意したのが2つ目の大きな間違いだった。入学直後の進路希望には一橋大学社会学部と早稲田大学社会科学部を書いた。当時は「働きマン」を読んでいて雑誌の編集者になるつもりだったのだ。しかし数学と理科は早々に理解できなくなったので私立大学を目指すことにした。
梅田望夫の本を読んでプログラマーになろうと決意した。志望を慶応SFCと早稲田人科に変えた。再度、親にパソコンをねだったが却下される。
俺が短期間部員だった部活の人たちはすげえリア充になっていた。
塾という外部強制から解き放たれた俺は授業2年の冬まで全く勉強しなかった。
得意科目の偏差値もやばいことになり、そろそろ勉強し始めた。プログラミングも文字を表示させるレベルで挫折して、志望はいつの間にか早稲田になっていた。将来のビジョンなど頭から消えていた。
英語と現代文ばかりやっていた。楽だったから。おかげで模試の判定はいつもEかDだった。だからといって焦ることもなかった。
勉強する習慣が身に付いていなくて、30分くらいでネットや漫画に走ってしまう。中学のときもほとんど塾で勉強していたからかな。
大学に行きたい理由も特になかったんだと思う。大学に入ってからやりたいことをやろうと考えていた。俳優とか政治家とか記者とか証券マンとかなりたかったかも。どれも3日くらいで忘れたが。
3年生になってもダラダラで、歴史科目の勉強も苦しくて苦しくてやっていられなかったので成績は悪いまま。それでも英語だけは偏差値70だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。
家では部屋にこもっていたので、親は俺がそれなりに勉強していると思っていただろう。
冬休みは冬期講習を受けたが、予習も復習もしなかったから金をドブに捨てたようなものだけど。
歴史科目は半分くらいしか進んでなかった。
明治には落ちてた。
入試本番。早大入試の前日に秋葉原で漫画を買ってマック食べながら読んでるレベル。それでも10パーセントくらいの確率でもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。
母親は浪人も考えていてくれたようだが、父親は定年退職も近くてこれから給料が下がる、妹もいるということで浪人はダメだと言った。
国立一本でがんばっていれば、浪人という選択肢も出ていたかもしれないことを後悔した。
早稲田。落ちた。
中堅私立しか受からなかった。
そして高校卒業。
友達もできず、恋愛に夢中になることもなかった。
上に書いてあること全部こなしてるやつだってたくさんいるというのに。
小学生の頃から何かひとつの技術にはまって、今頃は全国有数の実力者になっているやつだっているだろう。
俺みたいな奴も少なからずいるだろうから、そういうやつは一度自分を見つめ直してほしいとは言わない。どんどん堕落しろ。他人の不幸は蜜の味。
受験勉強にすらがんばれなかったという後悔は今もある。
なんだかんだあってネットとかが好きなのでそういうものに少しでも関われる仕事をしたい。
なんだかんだあって4月からとある都内の文系学部に進むことになった。
やりたいことにどんどんチャレンジしていこう。
役に立つスキル磨いていこう。
なかのいい友達を作ろう。
熱い恋をしよう。
大学デビュー乙って思うかもしれんが、それはなにか違うんだよ。
ただ春のやわらかな風が俺の背中を押しているのを感じているんだ。
俺は変わってやる。変わらなくちゃいけない。
・平日フルコマは当たり前、土曜日に補講も
・初回授業で試験を頻発
・平均点数20点、ほぼ全員赤点確定の状況から全員落とす
・試験範囲を言うだけで学生が泣いて謝った、心臓発作を起こす学生も
・留年でも納得いかなければ退学にした
・授業のない長期休暇でも重要連絡を掲示
・掲示せずに口頭で連絡したことも
・1年次に留年するなんてザラ、2留することも
・カンニングしようとした学生と、それを注意しようとした学生ともども停学させた
・電気回路理論Iの難易度緩和が始まったきっかけは06年度入学生の修得率5割
・授業予定回数以上に授業をするというファンサービス
・全盛期の理科大生の成績証明書を人事が見たんだが不可ばかりで驚いたそうだ
http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51392128.html
・平日フルコマは当たり前、土曜日に補講も←あるある
・学期末でもないのに留年が決まることも日常茶飯事←出席足りなくて留年確定乙
・授業のない長期休暇でも重要連絡を掲示←これで友人を3留目から救ったことあり
・1年次に留年するなんてザラ、2留することも←そういうやつは2留した時点でほとんどやめた
・家にいる時間より学校にいる時間の方が長かった←まあ4年次以降は
・授業予定回数以上に授業をするというファンサービス←誰得だよね
・入学直後のオリエンテーションで「みなさん前後左右の同級生の顔をよく見てください。この4人の中で一緒に卒業できるのは3人だけです。だいたい4人中1人は、留年か退学でいなくなります。みなさん自身がそうならないよう、気を付けましょう」←New!
悩んでも答えなんて出ないけどここってそういうこと書く場所だと思ってるから聞いてくれ。
高校生だったころの話から。
最初はなんてことない、ちょっとした好奇心と目立ちたいとかそういった気持ちで俺は「演劇部」に入った。
中途半端なヲタと微妙なリア充がうろうろしてるようなすごく居心地のいい部で、俺はずっとそこの奴らと過ごしてた。
毎日楽しくて、クラスとか他のコミュニティからはだんだん離れていった。
そのうち同学年の女の子のひとりを好きになって、告白はしないけれど二人で過ごしてたりメールを凄い数やり取りしたりしてた。
部活に行く目的が演劇への熱意よりも彼女に会いたいって事になっていった。
彼女が部活を続けるモチベーションになっていたような気がする。
2年になって、その子と一緒のクラスになった。
けど、クラスで話すようなことはほとんどなくて、俺はどっちかっていうと非リアのコミューンみたいな層でのうのうと過ごしてた。
そしたらいじめられた。クラスの中心になってる運動部のDQNに目をつけられたのかなんだか知らないけれど物を壊されたり散々だった。
学校行くのが面倒くさくなってきて、とても虚しい日々だった。
例の女の子に告白しようかと思った。
でも、もしかしたら俺は「演劇部」学校で唯一のコミュニティをなくすのかもしれない、って思ったら気持ちが縮こまった。
とっても童貞らしい考えだと思うんだけれど、そんなハイリスクなことしたくなかった。
で、悶々としてた。
結局いじめは去って、何もないまま卒業して、当時仲良くやってた連中とは今も関係は続いてる。
ここまでが前置き。
去年、俺は大学に進学して、演劇をしたかった、というよりももはや惰性で劇サークルに入った。
仕事があるたびに面倒くさいなぁとか麻雀したいなぁとか思いながら過ごしてた。
ただここ数ヶ月、その舞台サークルの先輩にあろうことか心惹かれてしまった自分がいる。
その人はサークルでもかなり気合を入れてるほうで、楽しみとかやりがいとか凄く感じてるんだと思う。見てると偶に伝わってくる。
今、俺は猛烈にサークルの活動に燃えている。ちょっと前までは考えられなかったくらい。
でもこれは演劇をやりたいとかそんな感情じゃなくて「恋愛」のための手段としてのモチベーションなんだろうってことはわかっている。
高校のときと全く同じ気分だから。
結局恋愛とサークルの双方のモチベーションが絡み合っちゃってどっちも進展出来ないで悶々とし続けるんだろうなーとか思ってる。
さっきタイムリーな夢を見た。
その先輩とよくわからない工場か倉庫みたいなところでバイトしてる夢だった。
目覚めて、俺はやっぱりサークルとか部活動を「仕事」として捉えているのかなぁと思って今。
答えなんて出ないって最初書いたけど多分半分くらい答えは出てるんだきっと。
恋愛ありきでこのまま続けていったらどこかで限界は来るんだろうな。
だからこれは間違った道、というかいずれコケる道だ。
でも好きになっちゃったじゃん!どうすんだよ!
今まで関東圏の色々な高校の生徒を見てきたが、有名校(伝統校?)と言われるとこの生徒さんほど自由を感じる。
特に早稲田慶応麻布開成の生徒さんを見る機会が多かったのだが、こういうのをリア充というのだろう。
頭の回転も早いし、コミュニケーション能力もあるし、フットワークも軽い。
勉強一本やりではなく、勉強以外にも取り組んでいて、そこそこ楽しそうにしている。
でも成績は(全国的に見て)そう悪くはない。
これに比べて地方の進学校の生徒さんには、なんというか元気さが足りてないような印象を受ける。
押し付けられた勉強をいやいややってます、という受け身のスタンスが滲み出ている。
そのせいか勉強以外のところでもパッとしない。
前者は東京という何でもある場所に立地しており、しかも原則としてある一定以上の学力を有していないと入れない有名な伝統校で、瑣末なことに捕われなくてもよい男子校だ。
それに比べて後者はどのような特徴があるのだろう。
両者の何がこんなにも印象を変えるのか、決定的な要因に行き着かなくてもどかしい。
http://anond.hatelabo.jp/20100307133147
匿名なのだから記事が残っていようが本人には何の痛痒もないはずだ。
匿名なのに記事を消すなど不合理だと思う。
よって再掲させてもらう。
---------
料理中にコンロの火が服に燃え移り、腕に火傷の重傷を負ったという。
ざまぁみろ、と思った。気分がすっとした。
このときの感情は、さすがに倫理にもとると感じて封印していた。
ために、ここで打ち明けてみようと思う。
今から20年ほど前、高校生だった私は森毅のエッセイをむさぼるように読んでいた。
進学校に通っていたが、地頭はそれほどよくなかったし、学校の雰囲気や、教育熱心な母の重圧に少々参っていた。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
それまでは頑張ろう。そして、大学では遊ぼう。
そう考えて頑張った結果、大学では、早慶クラスの、名の通った大学に入った。
大学では、遊びほうけていた。
とはいっても、それまで遊んだことのない人間の遊びなんてたかが知れている。
授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべって一日が過ぎていた。
遊ぶ、というより、勉強をしない、といった方がいいかもしれない。
高校までの受験勉強で学んだ知識が、実生活で生きる訳ではない。
若い頃に「勉強して、知識を記憶にたたき込み、それを応用する」という習慣をつけるために、受験勉強というものはあるのだ。
だから、高校まで勉強をつづけた後、大学ではそれ以上に勉強することが必要となる。
本当に自分がやりたいことを模索して、選択して、一心不乱に勉強する……それが大切な時期なのだ。
ただですら、怠惰に流れがちなのだから。
私は、貴重な4年間を、彼の思想の影響を受けたせいで無駄にした。
彼の言葉は福音だと思っていたが、なんのことはない、怠惰な人間に、「それでいいんだよ」と甘い言葉をかけていただけなのだ。
彼に影響を受けた私は、勉強の習慣を失い、未だにダメサラリーマンをつづけ、うだつがあがっていない。
どのような人間を師匠とするかが、いかに大切なことだと、今になってわかる。
彼の言っていることは、元々地頭のいいエリート向けの言葉であって、それ以外の9割の頭の悪い人間にとっては、地獄への一里塚だった。
彼にとってみれば、受験教育のために潰されそうになっている1割の人間を救うために、書いたのだろうし、彼の本を読んで影響を受けた1割はそれで救われたかもしれない。
だが、9割は社会から脱落していったのではなかろうか。
まさに、
私が彼を知った少し前から、彼の著作はブームになっていたので、影響を受けた高校生も多いだろう。
そのほとんどは、進学校に通う、受験生活に疲れた少年だったように思う。
そのほとんどは、その後の人生に失敗をしているように感じる。
だから、失敗者の声は届かない。
だから、彼はこれまで称揚されてきたのだろう。
見かける度に、反吐が出た。
その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。
だが、青少年に怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。
重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。
頭がいいなら一流大学なんて特に苦も無く入れるわけだが
正直、一流大学には頭が良いだけじゃ入れないよ。
明青立法中以下の私立とか早慶の簡単な学部くらいなら、地頭だけでも入れるけど。
地頭がいい奴の特徴として、小中学校まではダントツに成績がいいし、良い高校に入っている。
なぜなら、高校受験までは授業さえ出てれば、特に勉強しなくても最難関高くらいにはカンタンに入れるから。
俺は、小学校の時に知能テストで関東で1位を取ったり、小4の時に何気なく友達と一緒のに受けた四谷大塚の全国模試で
塾生も含めた全国3位を取って正会員特待生を薦められたりしたが、家も貧乏だし、もともと勉強が死ぬほど嫌いだったので、
中学受験はしなかった。
それでも中学では普通に授業を聞いてるくらいで、受験勉強は一切せずに、高校はいわゆる東大に数十人現役合格するような
公立進学校に入ったが、そこから1秒も勉強しなくなってしまった。
いわゆるテスト前の「ぜんぜん勉強してないよ」とか言うレベルじゃなくて、授業の間中ずっと関係ない
その結果、高校では勉強しないと成績は落ちると言うこと、大学受験は地頭だけじゃ無理だということに気づいた。
できたといっても地方の話なので、ぜんぜんたいしたもんじゃないです。
自分語りになって恥ずかしいのですが、具体的に回答すると。
高校では家庭での学習はほぼ0で1教科のみ塾利用。
授業態度は聞かずに寝てるか手紙書いてるか好きに教科書読んでる感じ。
その状態で市内で1番の進学校で、総合で30位文系科目で10位以内に入れるくらい。
生徒の進学先は東大京大阪大慶応早稲田も含むしそこらの推薦も持ってたので、
大学進学については親が家から出さないと言い張って…。
通える国公立ってな基準で選んだので、そんなランクが高くないとこだったから。
努力したらもっと上に行けたのかもな…と思いつつ、なんもしてこなかったあほなので。
積み重ねたものもない、努力の仕方もわからなくて就職でレールを外れてからはもうぐだぐだ。
将来設計という意味では救いようがないかなーと自分でも思います。人がまぶしい。
この20数年で私が見てきた人達から、自分の中で中学校のときの成績を基準にカテゴライズしてみる。
私は中学校での学力でここまで人生を左右するのかということをひしひしと感じている。
それなら小学生のときは重要ではないのか?と言えば、中学校のときに比べたらそれほどでもない。
それは、中学3年間で学力の遅れをとりもどすのは十分に可能であるからだ。
まず、私のときがそうであったように1学年150人(5クラス)を考え、以下のようにカテゴライズしてみる。
このランクの人は、家庭環境がいいのか、はたまた努力家なのか、豊かな人生を歩める可能性が非常に高い。
県内有数の進学校から東京大学、東工大、横浜国立大学など優秀と言われる国立大学や早慶などの私立大に入るパターン。
弁護士になるのか、医者になるのか。いずれにしても社会的に認められた職につくだろう。
高校受験や大学受験に失敗しても下地ができているため、悪くても有名メーカなどには入れる気がしてる。
このランクの人は、実に多彩だと思う。かく言う私もこのカテゴリ。
県内の2番目の進学校(偏差値で言えば65前後)や3番目の高校に入り、大学進学するのが一般的。
上記の大学に入れるものもいるが、基本的にはMARCHや地方国立大学に入る人が多いと思う。
もしくはごく少数だが、高校卒業して働く場合もある。
職業は大企業、中小企業に勤めるのが一般的だと思う。大学で落ちぶれた人は、ブラックといわれる会社に勤める。
このランクの人が一番面倒くさそう。
このランクの中でも上位でやる気があり、努力できる人はBランクと同じくらいの進路になれるかもしれないが、そうでないと残念な感じになる。
中途半端に勉強ができるため、大学進学する場合は日東駒専レベルが大半で1~2割がFラン大学というところか。
派遣になる人もいるのでは?
これが男なら残念だが、女性なら問題ない。このランクの女性はBランクやAランクの男を頑張って捕まえればいいのだから。
このランクの人は、適当な偏差値50前後の高校に入学し、適当に卒業する。
専門学校に行き、手に職をつけるか、Fラン大学→DQN→就職先がないパターン。
基本的に才能のある人が成功するカテゴリだと思う。
基本的に問題児扱い(万引き、いじめ、暴力、教師への反抗)する人はいるのはここだろう。
ここでの記述は、そんな人たち向けになっている。
悪くあればかっこいいと考え、生活態度の悪い女と付き合う可能性が高い。
高校はいわば底辺高校。名前を書けば入れます的な。
まじめに高校にも行かず、ぎりぎりで卒業したら土方をはじめとした現場主体のガテン系。
A~Cランクの人がエアコンの効いた部屋で頭を使い、現場の人たちが兵隊となり体を使って働く。
かつては、自分がいじめていたかもしれないA~Cランクの人から見下される。
ただし、いA~Cランクの人はこのような態度をあからさまにとってはいけない、この人たちのおかげで私たちはデスクに座ってられるのですから。
また、家庭の事情でEランクに甘んじているひともいることを忘れてはいけない。
女性は基本的に派遣かフリーターまたは俗にショップ店員とか家事手伝いが多いのでは?
このランクの女性は容姿に自信がなければ、同ランクの男性としか結婚できない。
基本的に上のランクに行くほどこの手の頭の悪そうな恰好や教養のない言動が嫌いだからだ。
また、Eランクの家庭からは基本的にはEランクの子どもが生まれる。
総じてこのランクの人たちは結婚が早いためだ。つまり子どもが子どももつため、程度の低い子どもなっていしまう可能性が大きいのだ。
まさに負のスパイラル。
結構、辛口に書いてしまったが、みなさんはこの中学のときどのランクにいて、今はどうなっているだろうか。
中学校では下のランクだったが、高校、大学では上のランクに行けばいいんだ!
と思う人もいるだろうが、それはとても簡単なことではない。
周りに流されず努力するのはそれは難しいことなのです。
中学校ではまだ、ランクを変えられます。基本的に中学生は行動が制限されていて、勉強する時間が腐るほどあるからです。
これを読んでくれた中学生へ
今、頑張るのが一番簡単なのです。少し努力をすればCランクに上がるのは簡単なことでしょう。Cランクの人は勉強のコツさえ得れば簡単にBランクにだってなれます。
ネットを毎日やるようになったのは小学五年の時。兄からPCをお下がりしてもらって、自分専用のマシンを手に入れた。
その時期は専ら、SRCというスーパーロボット対戦風のゲームを作れるソフトで、
自分の好きなアニメのキャラを活躍させるシナリオを作って公開していた。
そのコミュニティでは知り合いが何人もできたけど、次第に興味が薄れていった。
最初は兄の部屋で見つけたエロ同人誌。そこに描いてあった手コキシーンを参考にしてオナニーを発見した。
ネットでエロ動画を探すようになり、セックスへの欲求が一気に高まっていく。
どうにかしてヤリたい……! しかし、俺はここで学校で彼女を作るという選択肢は取らなかった。
同級生は顔も身体もガキなのでぜんぜん欲情しなかったのだ。帰宅部なので先輩の知り合いもいない。
ちょうどその頃、兄の部屋で雑誌「SPA!」を見つけた。十数冊あるうちの一冊が「出会い系特集」だった。
俺はその中に書かれている「出会う方法」を実践した。だが、その方法では出会えなかった。
おそらく雑誌で記事されたことによって競争率がぐんと上がったのだろう。俺はこの失敗で挫けるような男ではなかった。
何人かの女性とはメール交換までいけたのだ。もっと方法を工夫すれば「イケる!」、そう思ったのだ。
俺は競争率の低い場所で戦うことにした。そこで選んだのがぽっちゃり系の女性が相手を求めるサイトだ。
同時にプロフも作った。自己紹介で一気に掴もうと思った。けっこう顔は中性的なのでイケメン風の写メを取って掲載した。
そして、とにかくアタックして、アタックして、アタックしまくった。
交際なんて煩わしいことしたくないのですぐに「セックスしたい」と言った。とにかく言いまくった。
だが、無常にも「セックスしたい」と言った途端、冗談と取られたり会話が途切れたりして、なかなか進まなかった。
「焦らなくていいよ。高校生ぐらいになったら好きな人とすればいい」というようなことを何人にも言われた。
だが、俺は諦めなかった。そうやって、二十人ほどにアタックしただろうか?ついに女神が舞い降りた。
「会いたい」といったら「いつがいい?」と返ってきた。「すぐに会いたい」と言うと「じゃあ次の金曜はどう?」ときた。
俺は意を決して「会ったらすぐにホテル行きたいな」って言った。すると相手は……「いいよ」と。
思わず「ほんとに?」と打っていた。相手は気にせず「ブラジリアンスタイルだけど引かないでね」と言ってきた。
そして次の金曜日、池袋の駅構内で待ち合わせをした。俺は彼女を見つけるとあまりの嬉しさに彼女の身体に飛びついていた。
彼女は俺よりも身長が高かった。ぽっちゃり系の巨乳で、抱きつくと身体全体が埋まるような感覚になった。
柔らかくて、いい匂い。それが第一印象。彼女に連れられてホテルに行った。キスをして服を脱がされて、一緒にお風呂に入った。
浴槽の中で初めて挿入した。騎乗位でぐにぐにと刺激されて、そのまま中でイッた。あまりの気持ちよさに放心状態。
そのまま浴槽で何発もヤッて満足して帰った。なんだか身体全体が軽くなって、今なら何でもできそうな気がした。それが中二の夏。
このまま彼女をセフレにして定期的にヤろうと思った。だが、そう簡単にはいかなかった。彼女から返信が来なくなった。
しつこくメールすると「あんたみたいなガキを本気で相手するわけないじゃん」と返ってきた。ショックだった。
「醜い豚っ鼻しててさ。詐欺だろ、あの写メ」と唯一のコンプレックスを指摘され、ひどく傷つけられた。
……違う相手を探そう。俺はすぐに立ち直った。一度成功したことで、かなりの自信がついていたのだ。絶対すぐに見つかると確信していた。
俺は出会い系から足を洗った。出会い系はもう個人運営の良質な場所がなくなっていき、金儲け目当てのサクラばっかりになっていた。
SNSへと乗り換えた。しかし、その頃はもうミクシィは某流出ショックのおかげでみんな性別や住所を隠すようになっていた。
俺はおかず目当てに海外のコスプレサイトを見て回っているとき、偶然とあるSNSサイトを見つけた。
そこは語学学習を目的としたサイトで、外国語の練習相手を探す名目のSNSだった。すぐに登録した。もちろんイケメン写メで。
日本の女性もかなりの数登録していた。それも皆、かなり細かい住所まで公開している。俺はすぐに近所の女を探した。
そしてメッセージを送りまくった。とにかくコピペで送った。何人もの人間から返信がきた。
みんなクローズドなSNSで安心しているのか、出会い系よりも障壁が低かった。そうやって会話して、デートにこぎつけた。
三人の女性と同時進行で会った。バンド好きOL、留学を目指しているOL、夫が徴兵制度でロシアに帰っている主婦。
この三人をローテーションで回し、向こうの予定が合いている日があったらとにかく会ってセックスさせてもらった。
この頃俺は月五千円お小遣いをもらっていたのだが、そのすべてをこの三人に会うための交通費などにあてていた。
しかし、ここである危機が訪れる。俺は携帯電話を持っておらず、この三人との連絡はすべてPCで済ませていた。
それが中三の夏になると、受験のためにと父親から専用PCを取り上げられてしまったのである。連絡が取れなくなった。
仕方なく俺は受験に打ち込んだ。その甲斐あってか、中の上クラスの進学校に合格が決まった。晴れてPCが俺の元に帰ってきた。
半年以上ぶりにネットに接続し、俺は驚愕することになる。俺がネットに離れている数カ月の間に、SNSサイトが閉鎖していたのである。
更なる不幸が襲った。使っていたヤフーメールが、何ヶ月もログインしていなかったので、メールがすべて消えていたのだ。
これでもう、三人と連絡をとる手段は完全に失ってしまったのだ。頭がくらくらする思いだった。
使い勝手のいいSNSサイトを失った俺は、次にどうやって出会うかを考えて、しばらく右往左往していた。
そんな時、携帯電話所持の許可が出た。そこで俺の目の前に現れたのが「モバゲー」だった。
ここならイケるかもしれない……いや、イケる! 今まで培ったノウハウを生かせば、こんなところ楽勝なはずだ。
事実、楽勝だった。俺はすぐに30代のバツイチ女をゲットし、サンリオピューロランドで初デートして、すぐにセックスした。
しかし、この女とは何回か会ってセックスしたが、こちらから連絡を絶った。デート代を親の年金からくすねてると知ってドン引きしたのだ。
この頃の俺は鬱屈していた。高校で上手くスタートが切れず、損な役回りでイジられるポジションを強いられるようになったのだ。
パシリみたいなことをさせられ、俺は学校に行くのが日に日に嫌になっていた。電車に乗るのが憂鬱だった。
そんな中、一駅しか離れてない場所に住む女と知り合う。彼女は20代半ばの派遣社員だ。これが人生の転機となってしまう。
彼女とはすぐにはセックスせずに、しばらく普通にデートっぽいことをしていた。何故なら彼女は処女だったのだ。
そうやってデートを重ねているうちに俺はだんだん彼女が本気で好きになってきた。同時進行で学校での立場はどんどん悪くなっていた。
俺は毎日学校の帰りに彼女の家に行った。合鍵を作ってもらい、帰ってくるのを待つ。学校でのストレスを発散しようと彼女を抱いた。
彼女の家には定期で行ける。合鍵も作った。俺は次第に学校をサボリ、彼女の家でゲームしたりするようになった。
学校をサボっていることが親にバレたが、何故か怒られはしなかった。俺は親に退学すると伝えた。
了承してもらい、俺は学校をやめた。条件が合った。高認試験を取って、大学に行けと言われた。
そのことを彼女に話すと、彼女も実は中退して大検で進学していたことを知る。俺は彼女に試験の勉強を見てもらった。
週の半分以上を彼女の部屋で過ごした。親は何も言わなかった。彼女に参考書を買ってもらい、勉強スケジュールを作ってもらった。
昼はそれで参考書をガリガリと進め、夜は進行具合や疑問点を見てもらい、セックスをした。
それまでのようにただ自分の快楽を求めて腰を振るんじゃなく、どうやったら彼女が幸せになれるかを考えながらセックスした。
ただし夢の中での話。
どこかの街では雪が降ったとか降らないとか、バレンタインは誰にチョコをあげるとかあげないとか。冬も終わりが見えてきて、登校する時の息が、白くなる日も少なくなった。美和は高校受験を控えていた。だけど最近の美和はそれどころじゃなかった。市内の進学校を受験するために毎日塾に夜遅くまで通っても、家に帰っても問題集とにらめっこしていても、心の底に溜まって拭い去れない気持ち。
恋がしたい。カッコいい男の子に抱かれたい。
誰か特定の相手を想定しているわけじゃない。美和の部屋にはNEWSの桜井君のポスターが飾ってあったけれど、そりゃあ桜井君に抱かれるならそんなに幸せなことはないけれど、そういうことじゃなくって、漠然と存在する欲情。親に見られたくなくてクローゼットの中に隠すように放ってある、イケメンモデルのヌードが載っている雑誌とか、セックス特集が載っている雑誌とか、そんなものを眺めながら妄想する甘い瞬間。自分にはいつ訪れるのだろう? クラスの男子の、その低い声や、学生服の隙間からふいに見える筋張った首筋に、たまにドキッとすることもあるけれど何かが違う。
その日、美和はいつもの自転車で塾から帰る道とは一本逸れて、遠回りをしていこうと考えた。明るい満月と、心地よいくらいの涼しさの風が、美和を開放的な気持ちにさせていた。誰ともすれ違わない夜の静かな住宅街を抜けて、少し大きな公園にさしかかった。公園の真ん中には池があって、その周りにはベンチがいくつか置いてある。公園の中の道の脇には芝生が植えてある。昼間だったら、家族連れや、カップルたちがのんびりと過ごすような場所なのだろう。
美和はちょっとした興味本位でその公園の中を抜けていこうと思った。公園の中は、ぽつ、ぽつとある外灯に少しだけ照らされて、なんとも言えない寂しげな雰囲気を臭わせていた。誰もいない夜の公園に一人。
こんなところで誰かに会うとしたら…、もしかしたら変態オヤジかな。
そんな風に意識したら、急に美和の胸のドキドキは大きくなって、辺りの木の茂みの向こうの暗いところや、外灯の下のちょっと陰になっているようなところが、妙に気になってきた。小さな物音にも敏感になった。変態オヤジには会いたくない。けど、会ってみたいような変な心境。変態オヤジが出てきて、そしたらコートの下が裸で、股間にはまだちゃんと見たことがないアレが自分の方を向いている…。えー、会っちゃったらどうしよう?
その夜、家に帰ってからも美和はずっと遅くまで起きていた。ドキドキがずっと続いていた。その興奮をなんとか抑えこんで、落ち着かない身体を静めようと思った。でも、どうやっても寝れないので、またクローゼットから雑誌の一冊を引っ張り出してきて読んでるうちに気づいたら寝ていた。
そうしたら夢を見た。太ってキモイ典型的な変態オヤジにのしかかられて犯られちゃう夢。イヤッなんて言いながら相手は変態オヤジなのに気持ち良かったような、違ったような…。美和は暫く布団の中でモゾモゾしたり、身体のあちこちを触ってみたりしたが、やっぱり妄想だけじゃわからないなという結論にいたった。でも、こんなエッチな夢を見るなんて、自分の変態さ加減には呆れるわ。
青い窓から光が部屋に差し込んでくる。外はいい天気みたいだ。あー、セックスしたいなー。
美和は服を脱いで鏡の前でちょっとポーズを取ってみた。ありえないけど! おかしくなって笑った。
タイトルの通り、そうなりかけた時のこと。
僕には1歳上の姉が居て、ちっちゃい頃は何をするのも一緒だった。
(といっても、いつも姉ちゃんとその友達に苛められてただけのような気もするけどw)
まあ、よく喧嘩して殴りあいもしたけど仲のいい姉弟だったと思う。
高校受験で、僕は九州の某進学校に合格して寮生活を送ることになった。
その学校は鹿児島にあったので、当然僕は一人暮らしをすることになった。
で、勉強を頑張りだしたんだけどやっぱり男子校って女っけが無いんだよね。
で、今までは意識したこと無かったけど姉ちゃんのこと考えるようになった。
でも姉ちゃんだし、そんな女と感じたこともないしね。
血も繋がってるんだもん。ありえねーや。
でもそんな風に考えてたのに何だか分らないけど自慰してしまった。
しかも姉ちゃんのこと考えながら。
うーん、頭がおかしくなったのかなと思って、
その事を友達に話したら、軽蔑されて落ち込んだ。
こんなことしてたら、姉ちゃんと顔合わせられないなとか思ってたけど、
地元で姉ちゃんが彼氏作ってセックスしてたら、、って思ったら何だかいてもたってもいられなくなって
せっせと自家発電にいそしんでた。
で、高校1年の夏、姉ちゃんと会うチャンス到来。
実家に飛行機で神速で帰宅。ところが姉ちゃんは語学留学か何か知らんけど
実家に居なかった。この時程、あほ学校にありがちな国際教育を恨んだことないよ。
姉ちゃんはあほじゃないけどね。
で、まあ、年末にやっと姉ちゃんとあった。
一人暮らししたことある人は分るかもしれないけど、
暫く会ってないと家族でも接し方が分らなくなってきちゃうんだよね。
つーか、姉ちゃんめちゃくちゃ可愛くなってた。
黒髪の大和撫子になってた。
ヤバイ、直視できない。
モジモジしてたら姉ちゃんに頭はたかれて何かキモいって言われた。
で、なんだとーっつったら調子戻ってきたけどドキドキしてる
その夜、
未だにこれは忘れられんことだけど気付いたら深夜洗濯機の前にいた。
そう、あれですよ。スンゲー姉ちゃんの匂いマジやばい
なんかやばい
やばいやばいやばい
で、流石にヤバイだろって思って鹿児島に帰ってから無理矢理に彼女作ることにした。
それで、まあ地元の友達(家から通ってる友達)の幼馴染紹介してもらって取り敢えず付き合った。
うーん、でもなんか違う。
姉ちゃんの匂いがわすれられんうーん。
で、夏休みになった。
再び姉ちゃんと再会。姉ちゃんは短大の推薦決まってたから
受験生独特の芋臭い顔にもなってなかった、、つーか前よりもっと可愛くなってた。
で、我慢できなくなって、夜中姉ちゃんの部屋にいってみた。
別に何にもする気はなかったまじで。ただ小学校のときみたいに姉ちゃんと並んで寝たいなて思っただけだし。
つーか、姉ちゃん寝相悪くてヘソ見えてるし。
布団直してあげて取り敢えず横に並んでみた。
すげー安心できる匂い。
姉ちゃんの寝顔まじかわいいやべえまじやべえ。
で、暫くニヤニヤ眺めてたんだけど、姉ちゃんが起きちゃった。
すげー少女マンガみたいな絵づらになったんだよね。
長い沈黙。
僕も正直どうしたらいいか分らないし姉ちゃんがこらーって殴ってくるのを待ってた。
でも何もしてこない。
なんだ?やばい?もしかして強姦魔みたいに思われてる?とか色んなこと考え始めてあせって来た。
そしたら姉ちゃんが「いいよ」ってぽつっといった。
その時の僕は子供過ぎたのか真っ赤になりすぎて固まってしまった。
マジでやっちゃうのか?それはいいのか?
これはありなのか?まじなのか?
で、すげー沈黙。
そしたら、「うそに決まってんだろ!」って蹴り落とされた。
やべー腹いてー。で、その後何もなし。
僕はこれ以降完全に姉ちゃんへの思いを封印した。
でもあれは正直やっちゃいそうなくらい長い沈黙だった。
きっとあの時姉ちゃんも経験なかったんじゃねーか?
あったらもう一押ししてくるだろ普通とか今になると思う。
お互いどうしていいか分らないし動けなかっただよ。
その後、この時の話はお互い一切触れず、
まあ、今は姉ちゃん普通に結婚して子供いて、僕は彼女いるもん(年収400超えたら結婚する予定)。
でもさ、
当時はこの体験ってすげーことで、周りの友達より数倍経験積んだみたいに思ってたけど
大人になって色んな人と会っていると、親兄妹恋人関係なく、下着くんかくんかしてる奴って男女両方いるし、
妹とか姉ちゃんとセックスしたことを自慢してる奴もいるからこんなのうんこみたいな話かもしれないけど、
まあなんだろう。キスぐらいしといても良かったかもって後悔してる。
偉そうな言い方になってしまうが、もうちょっとすると「勉強が出来る=頭が良い」というわけじゃないことに気づくと思う。
あるいは、「勉強が出来ない=頭が悪い」じゃないということに。
一生これに気づけない奴もいるけど、多分、これに気づけない奴こそ本当の馬鹿だ。
で、元増田のセンターの話だけど、世の中ほとんどの奴は勉強してないよ。
進学校なら周りが勉強してるし、授業もきっちりやってるから、「進学校で勉強してない奴」でも、全国の高校生レベルで見れば勉強してる方になったりする。
逆に、行ってる学校の学力レベルが低くて、予備校とかにも行ってないと、「学校ではそこそこ勉強出来る奴」でも、全国の高校生レベルで見れば勉強していない方になったりする。
俺自身で言うなら、中学時代に学校以外でした勉強は、定期試験の際、試験前日に2時間程度の勉強をした経験のみ。
そのまま中堅の高校に推薦で入って、高校入学後は、定期試験の際にすら勉強しなくなった。授業時間以外での勉強はゼロ。その授業すらも、大げさではなく半分は寝てたレベル。
三年の際、生まれて初めて予備校に行って、元増田とは逆の意味でビックリした。
世の中、こんなに勉強してる奴ばっかりなのか、と。
夏期講習から行き始めたんだが、入学時には下から二番目のクラスに振り分けられた。
そこでは、朝9時から夜7時まで、みっちり勉強。昼休憩や合間の休憩時間を除いても、正味9時間は勉強時間。
おまけにほとんど毎日宿題が出て、家に帰ってから1時間くらいも勉強する始末。
こんなに勉強したのは生まれて初めてだった。
自然と学力は上がって、夏期講習終わりの時には、上から二番目のクラスに振り分けられてた。
この頃には要領も良くなって、予備校の授業も、ポイントだけ押さえていれば集中し続けなくて良いことに気づいたし、宿題は予備校の授業中にやるか、友達に写させて貰う(数学の宿題などは、解法さえわかっていればわざわざ自分で解く必要はない)ようになった。
で、そのまま夏期講習の後も予備校に行き続けて、秋には私大受験コースの一番上のクラスになって、その後、無事私大に入学(ここまで読んで貰えばわかるように、とにかく努力が嫌だったから、暗記系の科目が苦手で、国立は早々に諦めた)。
つまり、勉強出来ない奴の集まる環境から、勉強出来る奴の集まる環境まで見たわけだけど、「こいつ、頭良いなぁ」って感じる奴は学力に関係なかった。
もっとも、予備校の勉強出来ないクラスの連中で、「頭良いなぁ」って思う奴は皆無だったけど。そりゃ一日何時間も勉強してるのに、勉強出来ないままの奴が、頭良いわけないわな。
それよりも、俺の通ってた中堅高校の方で「頭良いなぁ」って感じるのに成績良くない奴ってのがいた。
予備校にも行かず、勉強もしてないような奴だったから、俺と同じで三年までは留年ギリギリ。だけど常に周囲より進んだ考えをしてて、俺は今でもそいつのことを頭良いなぁと思ってる。
俺は、まぁ私大としては偏差値トップクラスの大学に行ったんだけど、そいつはいわゆるFランクラスの大学。
今でも時々会って話すけど、未だに俺はこいつに勝てないというか、頭の出来が違うなぁと感じるよ。
僕は典型的な糞どうしようもない人間で、才能もなければ努力もできないという最低っぷりを常に発揮してきた。それは受験に関しても同様で、まあなんとかなるだろうと思っているうちにセンターが終わった。
具体的に言えば、高二秋に部活を卒業して皆受験モードに入るも「理一ならとりあえず高三からで大丈夫だろう」。高三に入っても「まあ夏休みから必死にやればなんとかなるだろう」。夏休みも、「もう早慶にシフトチェンジしたしまあ大丈夫だろう」で大して勉強せず。冬休み「もう諦めようか」。で、ここまでほぼ何もしないで来てしまった。まあそんなことはどうでも良い。
そしてここからが本題の、今回試験を受けて、僕があまりにも世の中全体というものが見えていなかったということに気づいた話。別に自分がどうとか、中二的な「やってなかったのにできた」話、また世間を見下して悦に浸っているということではないので了解いただきたい。
センター。センターも、ぶっちゃけ必要はなかったのだが、何故か教師にそそのかされて受けることになり、しかも科目は英語だけ。そして昨日受けて、家に帰って、自己採点して、今日はじめてセンターの全国平均というものを知って、正直驚愕したというか辟易したというか、とにかく唖然とした。
僕の点数は、156点。実際受けてみた感想としては、「恐らくちゃんと勉強している方々にとってはかなり簡単なテストなんだろうけど、僕みたいな怠惰さを通してきた奴にはなかなか点取れないな…。平均いかないだろうな…。」と思った。実際、僕の同級生たちの平均は180点オーバーだし、僕の感想は別段間違ったものではなかった。
しかし、全国平均点予想を見て驚いた。予想している団体により多少の差異はあるものの、例年、予想と実際の数値に誤差は1-2点ほどしか見受けられないため、ほぼ正確な数字だろう。そして、その数値は120点前後。
本当に驚いた。こんなもんなのかと。正直に自分のことを言えば、まあ多少ほっとした気持ちはあったものの、下を見て安心してもしょうが無いのは自明の理であった。なによりこの数字にはそんな心情を大きく上回るインパクトがあった。こんなにも低いのか。こんなにも馬鹿ばっかりなのか、或いは勉強してない奴らばかりなのか。と、自分の愚かさを棚にあげて、暫時驚いていた。なんかやり切れなかった。
世間では、中学受験の害悪だなんだというのはさんざんに語られていて、自分自身も小学校の三年生や四年生から塾に通い詰めて毎日夜遅くまで、なんてバカらしいことだと思っている。できればさせたくない。子供は、予想以上に伸びるし、しかし、ゴムのように突然切れる。切れるまでのタイミングがわからない。だから正直怖い。
それでも、やっぱり私立進学校に子供を通わせたいと思う(信じる)たった一つの理由がある。
それは、
だ。
自分自身が東大・京大に時に百人近くの進学者を出す私立進学校の出身だからわかるのだが、実際、私立進学校の効果というのは「良い大学」に入ることではない。むろん、「良い大学」への道は、公立の進学校や底辺私立校なんかに比べればはるかに整備されているだろう。それは明らかに感じられるし、たしかに「良い大学」に入ることはできたが、ぶっちゃけ、「良い大学」に入らなくても(極論するならそのまま高卒でどっかに就職しても)私立進学校に通った価値ははるかに巨大だと思っている。
というのも、私立進学校の「人脈」というのは、ものすごいスケールだからだ。語彙が無いのでものすごいとしかいいようがない。なんせ、「ただの友達」としてバカやらかしていた奴らが、次々大企業に入り、あるいは役員クラスになり、医者になり、大学教授になり、官僚になり、弁護士になり代議士になり……とにかく、中学・高校時代の「ただの友達」だったはずなのに、社会の中枢にグイグイ食い込んで行くのだ。
彼らを「人脈」として活用出来ることのメリットは言うまでもないが、さらにすごいのは、「人脈」を作るためのコストが、ほぼ中高時代の授業料のみ、という点だ。「何も考えず」・「ただぼけーっと友達と遊んでいるだけで」、社会の上層部で働くエグゼクティブと友達になれるのである。
もちろん、友達の全員がそううまく行くとは限らない。限らないが、一学年二百人ほどで、六年間過ごすのだから、ほぼ全員と顔見知り程度にはなれる。将来、この格差社会の頂点に食い込んで行くような連中と、中高時代から知り合いになれることの計り知れないメリットは、もうわかるだろうか。
なんせ、ホントに打算や計算抜きの「友達」が、「人脈」へと進化していくのだ。
俺自身、中学や高校で友達と遊んで、バカやらかしていたときには、そんなこと微塵も考えなかった。いつか社会に出るのだとはわかっていたけれど、それがどういうことなのか知りもしなかった。ただ毎日を、適当に遊んで、テストも適当にこなして、また遊んで暮らしていた。
にもかかわらず、彼らは「人脈」になった。
おまけに、私立進学校にはきちんと同窓会組織があり、OB同士のつながりの意識が強い。同級生の友人が「これから社会に食い込んで行く」奴らなら、OBは「すでに食い込んでる」人々だ。こうなれば勝手に人脈の雪だるまが転がっていくようなものだ。
この無敵のパスポートの効力を味わった今、なんだかよくわからないままに中学受験させられたことは、これ以上なくありがたかったと思うし、それを子供にも味わわせたい。
中学受験は一度しか来ない。
「ウェブカレ」は、エントリーを上げるとあっという間に高ブックマークを
ゲットしてしまう、はてなでは有名なはまちや氏プロデュースということで
興味をそそられ、会員登録した。
「ウェブカレ」の舞台は高校である。「ウェブカレ」をやっていると
自分の高校時代を思い出す。
私(♀)は新設2年目の高校に通っていた。入学した時は3年生はおらず、
体育館もプールも無く、高校と周囲の畑を隔てるフェンスも無かった。
希望と自由の風が吹いていた。
中学までは伝統とプライドでぎゅうぎゅうに締め付けられた学校に通っていた。
学業成績の悪くなかった私は進学校を受験してもおかしくなかったのだが、
それが出来なかったのは内申点が著しく低かったから。学校が強要してくる
不条理な伝統に、徹底的に反発した。
だから尚さら、私は自由な高校生活を謳歌していた。
そんな中、四年制大進学を希望し、成績もトップクラスだった私は、
自然、教師の期待を背負うことになった。
年3回ある実力テストの結果、学年上位50名の名前は毎回、昇降口の掲示板に
貼り出された。素敵ボーイズの一人、綾川竜士よりも私の名前はいつも上位にあった。
2年生の夏、私が掲示板を見ていると、人だかりの最後尾に立っていた人たちが
「あ!8組の(私の名前)さん、また入ってる!」
彼女たちは私の顔は知らないのだ。
私は恥ずかしくなって、その場を逃げるように立ち去った。
またある時は、クラスメートときゃあきゃあ騒ぎながら階段を昇っていたら、
背後から「あなたが(私の名前)さんですか!」
振り返ると4組の担任教師。私たちの学校は校則で、上履きのかかとに
名前を書くことになっていた。
私はいつしか特別扱い(補習、個人指導等)されることを当たり前のように
受け入れていた。だからあの日、10組の担任教師でもある生物の先生に
研究室に呼び出された時も、特段驚きもしなかった。
先生は受験向けの問題集を紹介してくれた。私はそれをメモった。
先生が、やはり四年制大に進学するつもりなのかと聞いた。
私はたぶん、はいと答えたと思う。
「俺のところへ、嫁に来るっていうのはどう?」
唐突な先生の冗談を、私は「それは無い!」と笑い飛ばした。先生も笑った。
10組の全員が祝福し、教室は手作りの花でデコレートされた。私は
「私にあんなこと言っておいて、先生、結婚するんじゃん」と思った。
「ウェブカレ」素敵ボーイズの一人、綾川司はただ一人、教師という設定。
かっこ良くて優しくて、女生徒に人気。
いつも温かく生徒を包む大人だが、時にドキっとするほど男性を意識する
発言をする。そんな危険な発言をしておいて
「驚かしてしまいましたか、すみません」と微笑んではぐらかす。
弟の竜士はそんな司を
誰にでも優しくするくせに本命には本心を言えない「デレツン」だと言う。
素敵ボーイズのオリジナル・ノベルが掲載されている。ノベルの中で
司は生徒に恋心を抱いてしまった苦悩を吐露している。
本気で私を好いてくれていたのではないかと…。
見合いの話が進み、自分の気持ちに踏ん切りをつけるために、
あの日私を呼び出して、不自然なプロポーズをしたのではないかと。
考えることすらできない子供だった。
司のノベル、最後の二行を読んだ時、それまでこらえていた涙が
抑え切れずに頬を伝った。
中学:日本はバブル最絶頂期。テレビに映る大学生や社会人の世界はそれはそれは華やか。俺もいつかあんな風に遊ぶんだ、と思いつつ田舎の市立中学に通う。高校受験に必要(内申書云々)という理由で、やりたくもない運動部で日々を無為に過ごす。
高校:地元の県立高校に進学。どうやら絶好調だった日本経済に陰りが見えてきたらしい。一応進学校だが田舎なのでのんびりしている奴が多い。適当に勉強しつつ、適当に部活に精を出す。部活が義務でなくなる(大学受験には内申書は関係ないらしい)と不思議と部活で汗を流すのが楽しくなる。そういえば、中学高校と女に縁がない。童貞。
大学:親がブルーカラーで家計に余裕もないので、浪人せずに入学できるところを選んだ。一度、東京に出てみたくて、地元の国立ではなくて東京の私立にした。その選択を許してくれた両親に感謝。世間では、阪神大震災、オウム事件と暗い雰囲気が漂い始めた。Windows95が発売されたが一度も触ることがなかった。大学に入学するとすぐに彼女ができた。非コミュの俺になんという奇跡。大学ではなんかめちゃくちゃ勉強をした。
就活:日本経済どん底。山一証券、拓銀が破綻した。金融恐慌の一歩手前。MARCHの就職先なんてロクなもんじゃなかった。同級生たちも皆が微妙な企業に就職していった。俺たちは後にロスジェネ世代と呼ばれるようになる。俺はといえばイマイチ無名な外資に滑り込む。大学で勉強に励んでいたのが役に立ったらしい。
社会人1年目:最初の配属先の上司はリア充全快のコミュ力抜群の人だった。が、人を育てたり指導するのが下手な人だった。おかげで、なかなか仕事を覚えられずに苦労した。このころの人事評価は同期の中でも最下位を争っていたのではないかと思う。現実逃避のために、先輩たちに連れられて毎日飲んでばかりいたような記憶がある。この最初の上司のことは、後に反面教師として意識するようになった。
ネットで現実逃避:仕事でイマイチ不完全燃焼だったころ、PCを買った。Pen2、64MBメモリ、6GBHDD。テレホタイムにアナログモデムで接続し朝までLoopitでチャット。翌日は寝不足で仕事に力が入らない。東芝事件が起こり、2ちゃんねるを発見する。ますますネットにはまった。
部署異動:異動先のボスは体育会系で面倒見がよかった。細かいところまで指導はしてくれないけど、仕事を丸投げして任せ切ること、部下のモチベーションを高めること、組織を動かすことがうまい人だった。ここでの数年間は貴重だった。次々とふってくる重い仕事をこなすうちに仕事が楽しくなり自信もついてきた。気が付いたら人事評価も同期の中でトップの方までのぼっていた。世間ではネットベンチャーブーム。IPOブームが盛り上がっている。そして、日韓W杯が開催されるよりもずいぶん前にネットバブルがはじけた。失われた10年という言葉が流行っていた。このころ付き合っていた彼女と結婚。
転職:より広い裁量と成長機会を求めてベンチャーに転職。ストックオプションで一攫千金という下心も。社長とは微妙にウマが合わなかったが、毎年2ケタ成長する売上、どんどん大きくなる組織、ビジネスのダイナミズムを間近で感じられる環境に満足していた。とにかくひたすらに働いた。毎晩タクシー帰り、休日も出勤した。会社はいつの間にかIPOを果たしたがストックオプションは大した財産にはならなかった。ライブドアの堀江さんが時の人となり第二次ネットバブルが盛り上がっていた。小泉竹中路線で景況感は良かったような気がする。このころ部下の女の子(といっても同い年)に手を出してお互いにラリラリ状態。今考えると社内でもバレていたかもしれない。不倫が妻にばれてプライベートはプチ修羅場。部下の子は会社を辞めた。何をしてもこの罪を償うことはできないと思う。この後、真人間になり部下達の育成に力を注いだ。最初の上司が反面教師だった。このころの部下たちは今でも俺を慕ってくれている(と信じたい。)
退職:社長と意見が合わないことが我慢できなくなり退職することにした。全てのリスクを背負って世間と向き合っているのは彼なのだから、あの会社は彼のやりたいように運営すればいい。意見が合わない以上、引くのは俺だ。ていうか、俺の存在なんか社外では全く無名、社内でも歯車の一つに過ぎない。この後、今に至るまでこの社長は俺にとって反面教師として心の中で大きなウェイトを占めている。株は最後まで大した財産にはならなかったがコツコツためてきた貯金があるので節約すれば夫婦2人で2年くらいは暮らせそうだった。次の仕事のあてもないままに会社を辞めてしまった。なんかアメリカでサブプライムローンというのが問題になっているらしい。評論家がサブプライムローンの残高は少ないので世界経済に与える影響は限定的とか言ってる。
フリーランス:もともと非コミュで友人知人が少なく、人脈と言えるようなものもなかったが、何人か仕事を回してくれる人がいた。1案件いくら、という感じで個人事業主として仕事をこなしながらお金を稼いだ。報酬は、仕事を回してくれる人がピンハネ済みだが、こんな俺に声をかけてくれることにとても感謝していた。そして毎回、全力で仕事をこなしていき、仕事をくれる人の期待に応えようとがんばった。リーマンブラザーズが破綻したらしい。年越派遣村のニュースには共感も反感も感じなかった。年が明けて所得税を計算すると、サラリーマン時代に比べ収入(額面)は倍近く、税金は倍どころじゃない。事業税って何?住民税が2つあるの?国民健康保険高すぎ。上場企業の正社員という安定的な地位を捨てたのだから、将来への備えは自分で何とかしなければならない。麻生総理を攻撃するマスゴミとピントのずれた正義を振りまく鳩山邦夫に、日本はもう駄目かもねとかオヤジくさいことを考えるようになっていた。ていうか俺もう33か、立派なオジサンだし将来への希望も見いだせなくなってきた。
再就職:昔、一度誘ってくれた中小企業の社長がまた誘ってくれた。商売上手なところ、コンプラ意識が強いところ、人の感情に配慮しながら上手に組織を動かせるところが、前のベンチャーの社長とは正反対な人なので、ほとんど迷わなかった。ほぼ即断で、その人のお世話になることにした。その会社は個人事業主的なメンタリティの人が多く、商売に対して貪欲な人が多い。世間の常識を疑い果敢にビジネスチャンスを切り開こうとする。一方で吹けば飛ぶような存在なので自分たちを一瞬で破滅させかねないコンプラリスクには皆敏感でグレーなことには手を出さない。こんなに前向きに清々しい気分で働ける職場は初めてだ。こんな環境をもたらしてくれた社長に感謝。ここに居続けるためには俺も商売人にならなくては。民主党が政権を取った。来年の納税額は3百万円を超えそうだが、子供がいない我が家には何の恩恵も無さそうだ。自民党政権のままで緩慢な衰退を迎えるよりは、民主党が急激に破滅させた方が日本の立ち直りは早いかもしれないと思う今日この頃。
年の瀬にこの20年余を思い出しながら書いてみた。