2010-01-08

やっぱり私立進学校子供を通わせたいと思うひとつの理由

世間では、中学受験害悪だなんだというのはさんざんに語られていて、自分自身も小学校の三年生や四年生から塾に通い詰めて毎日夜遅くまで、なんてバカらしいことだと思っている。できればさせたくない。子供は、予想以上に伸びるし、しかし、ゴムのように突然切れる。切れるまでのタイミングがわからない。だから正直怖い。

それでも、やっぱり私立進学校子供を通わせたいと思う(信じる)たった一つの理由がある。

それは、

  • 「人脈」

だ。

自分自身が東大京大に時に百人近くの進学者を出す私立進学校の出身だからわかるのだが、実際、私立進学校の効果というのは「良い大学」に入ることではない。むろん、「良い大学」への道は、公立の進学校や底辺私立校なんかに比べればはるかに整備されているだろう。それは明らかに感じられるし、たしかに「良い大学」に入ることはできたが、ぶっちゃけ、「良い大学」に入らなくても(極論するならそのまま高卒でどっかに就職しても)私立進学校に通った価値ははるかに巨大だと思っている。

というのも、私立進学校の「人脈」というのは、ものすごいスケールだからだ。語彙が無いのでものすごいとしかいいようがない。なんせ、「ただの友達」としてバカやらかしていた奴らが、次々大企業に入り、あるいは役員クラスになり、医者になり、大学教授になり、官僚になり、弁護士になり代議士になり……とにかく、中学・高校時代の「ただの友達」だったはずなのに、社会の中枢にグイグイ食い込んで行くのだ。

彼らを「人脈」として活用出来ることのメリットは言うまでもないが、さらにすごいのは、「人脈」を作るためのコストが、ほぼ中高時代の授業料のみ、という点だ。「何も考えず」・「ただぼけーっと友達と遊んでいるだけで」、社会上層部で働くエグゼクティブと友達になれるのである。

もちろん、友達の全員がそううまく行くとは限らない。限らないが、一学年二百人ほどで、六年間過ごすのだから、ほぼ全員と顔見知り程度にはなれる。将来、この格差社会の頂点に食い込んで行くような連中と、中高時代から知り合いになれることの計り知れないメリットは、もうわかるだろうか。

なんせ、ホントに打算や計算抜きの「友達」が、「人脈」へと進化していくのだ。

俺自身、中学や高校で友達と遊んで、バカやらかしていたときには、そんなこと微塵も考えなかった。いつか社会に出るのだとはわかっていたけれど、それがどういうことなのか知りもしなかった。ただ毎日を、適当に遊んで、テスト適当にこなして、また遊んで暮らしていた。

にもかかわらず、彼らは「人脈」になった。

おまけに、私立進学校にはきちんと同窓会組織があり、OB同士のつながりの意識が強い。同級生の友人が「これから社会に食い込んで行く」奴らなら、OBは「すでに食い込んでる」人々だ。こうなれば勝手に人脈の雪だるまが転がっていくようなものだ。

この無敵のパスポートの効力を味わった今、なんだかよくわからないままに中学受験させられたことは、これ以上なくありがたかったと思うし、それを子供にも味わわせたい。

中学受験は一度しか来ない。

自分が安心するためにやっているんだとは思いつつ、小学校四年から塾に通わせてしまうのもまた、道理であろうと思う。

  • なに当たり前のことを今さら言ってるんだ…。 まぁ俺は馬鹿校だったんで中高生時代の友達は馬鹿ばっかでだめだな実際。 人脈で意味あるのは大学以降のみ。まぁ人生わからんが。

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