どうも、多くの人にとっては勉強はつらくて嫌なものらしい。
高学歴=ガリ勉というイメージは世間一般にかなり浸透している。
ここで言うガリ勉とは教育ママに幼い時から無理やり塾に生かされて、学校では勉強しかせず、友達も少なく、体育や芸術の成績は悪い人間というもの。
学園モノの小説やドラマやマンガで「ガリ勉的な優等生がプレッシャーに耐えきれず犯罪を犯す」というモチーフが一つの様式として成立しているのは誰でも納得すると思う。
現実、ネット上限らず、「学歴と頭の良さは関係ない」という論が根強いのもそのひとつ。
頭の良さの定義をどうするかにもよるけれど、もちろん学歴と頭の良さは関係ない。(定義によっては正の相関はあるかもしれないが)
けれど、この論を唱える人たちの意見に、高学歴=勉強"しか"してこなかった人間というイメージがときどき見えるのもたしかである。
こういった高学歴=ガリ勉というイメージを支えているのは「勉強はつらくて嫌なものだ」というイメージなのだろう。
勉強はつらくて嫌なものだから、優等生でいるにはプレッシャーに耐えながら勉強しなければならないし、高学歴になるには勉強以外のことはすべて捨てなければならないという論理。
これはスポーツその他で置き換えてみたらよくわかると思う。
「学生時代は野球に打ち込みました」と言う人に対して、「あぁ、かわいそうに。この人は毎日野球しかせず、休日に友達と遊ぶことも創造的な活動をすることもない学校生活を送ったのだな。」とは普通思わない。
けれど、「学生時代は勉学に打ち込みました」という人に対しては、多くの人が、「あぁ、かわいそうに。この人は毎日勉強しかせず、休日に友達と遊ぶことも創造的な活動をすることもない学校生活を送ったのだな。」と多かれ少なかれ思うのだ。
けれども、実際の高学歴の人間はそういったイメージとは全然違う。
とその前に、私自身の学歴を述べると、
小・中は公立
高は私立の進学校(浪人も含めて旧帝大or医学部が一学年の1/3くらい)
という感じ。
もちろん、私が出会った人間を"高学歴の人間"として一般化してしまうのはあまりよろしくないことだし、例外はいるだろうとも思うが、
高学歴の人間が基本的に「勉強は楽しく、役に立つもの」というイメージを持っているのは確かなことだと思う。
そう、私を含め高学歴の人間は勉強を楽しいものだと思っているのである。
楽しいから何時間も勉強しても苦にならないし、逆に言えば楽しくなければ大学に入れるほど勉強することはできないだろう。
高校の段階では親に言われて無理やり勉強してきた人も何人か居たが、そういう人はだいたい落ちこぼれてしまった。
これは私自身の話になるが、中学2年で初めて塾に行ったとき、まず思ったのは「塾の勉強って楽しい」だった。
学校の勉強が楽しくなかったわけではないが、塾で仲間とあれやこれや言いながら難しい問題を解いていくことは頭の体操やパズル的な面白さが有った。
素晴らしい解法には心が踊ったし、新しいことを知る・深いことを知ることはさらなる興味を生んだ。
大学院で研究しだしてからは、世界でだれも知らないことを自分が一番先に知るという面白さに変わった。
勉強というものは楽しいものであったし、教養や何か以前に、勉強をより面白くするために役立つものであった。
また、勉強で培われた好奇心はいわゆる勉強以外にもいろんなところに広がっている。
私の周りには音楽、演劇、スポーツ、映画、など様々な趣味に力を注いでいる人間が多くいる。
正直、勉強「しか」してこなかった人間は「勉強がつらく嫌なもの」と考えている人の頭の中にしか居ないのではないかとまで思う。
このようなイメージの差ができてしまう原因は、現在の社会制度、端的に言えば「全員が勉強を強制されて、殆どの場合勉強ができるできないだけで評価されてしまう」という制度によるものなのだろうけれど、長くなるので別の話とします。
この文章が高学歴=ガリ勉というイメージを少し減らせればいいなと思います。
長々と書いてきたけれど、もしかしたら逆効果かもしれないな
http://anond.hatelabo.jp/20100422040325 「高学歴=ガリ勉」ってイメージのせいで、初対面の相手から身構えられて困っているのなら、「高学歴=勉強好き」とか「高学歴=好奇心の固まり」とか...