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はてなキーワード: 進学校とは

2010-09-21

暴力で抑えることに何の意味もない

俺は伝統というものが大嫌いだ。ある種の暴力だとも思う。

勝手な決まりを作り、強制的に守らせる。昔は良かっただろう。でも、今は必要ない。この21世紀には必要ない。

伝統によって地域がまとまらなければいけない時代などとっくに終わってる。

俺の高校では暴力的な前夜祭があった。一年生の時、それを体験した。上級生達が、大音響音楽で暴れ、一年生を無理やり踊らせる。ノリが悪い奴らには後ろからタックルや蹴りをいれる。もちろん、大音響馬鹿騒ぎの中だから気付かれない&黙認されている。

こんなことはおかしいと思った。こんなことが許されていいわけがないと思った。全ては伝統で片づけるこの学校は狂ってると思った。

そして次の年、俺たちの学年は 伝統 を廃止した。

それによって何が起こったか。下級生が上級生を敬わなくなった。元々進学校とは名ばかりで、実際は落ちこぼれ一歩手前の人間が入ってくる高校に過ぎない。

俺はそこで初めて伝統意味を理解した。彼ら(高校の先輩)は下級生を無理やり従わせるためにこの伝統を利用していたんだ。暴力で上級生への恐怖を植え付けることで、下級生をおとなしくさせようとしていたのだ。

そして俺は思った。そんなことをしなければ従わせられないのなら、そんなものは無駄なんだと。

ダメ人間ばかりが集まってきたのなら、それを何とかしようとする努力が必要だった。しかし教師たちは何もしなかった。面倒だったからだ。そこで、生徒を利用することにした。

力による支配をさせることで、支配している側に優越感を与えながら(ある意味では上級生の自覚となる)生意気な下級生を抑える。こんな馬鹿げた方法を「対策」としてきたのだろう。

暴力で抑えられた人間は、暴力から解放された時、その溜まりに溜まった痛みは弱者へと向けられる。上級生に痛めつけられた下級生が、今度は上級生となり下級生を痛めつける。暴力の連鎖だ。

これを断ちきった俺たちは偉いと思う。そしてそのおかげで俺は暴力無意味さに気付くことが出来た。

体罰も同じだ。学校という閉鎖環境に置いて、何らかの暴力を伴った「教育」を行ってはいけない。社会の歪みを子供のころから実感させてはいけない。新しい世界を創れる彼らだけが希望なのだから

2010-09-13

薄暗い小部屋から見た光

 知り合いの知り合いの知り合いの(中略)の話であってあくまで僕の職場の話ではないのだが、とある職場に非常に有能な50歳くらいの女性社員がいたとしよう。いたとしたんだよ。その女性社員は、人とのコミュニケーションスキルが非常に高く、物事の理解も早く、またここぞというときに絶対に折れないだけの強さを持つ。しかし雰囲気としては女性的で、いってみれば職場のお母さん的存在といっていい。というより昔扇子持ってお立ち台で踊ってた雰囲気がやたら濃厚にするんだけど、あれ隠せてない。まあ知り合いの知り合いの遠い知り合いの職場の話だが。

 そんな彼女の娘さんが、学生アルバイトのいない時期だけ臨時で職場に入ってくることになった。「あの人」の娘さんということで、職場の面々は興味津々で待った。女性社員いわく「鍛えてあるつもりなんだけどね。おっとりしてるところもあるから、がんがんこき使ってやってよ」とのことだ。娘さんは大学生。ふだんは遠い場所で寮暮らしをしている。

 そして当日。確かに口数がそんな多いほうではないけれど、娘さんはよく働いた。これが臨時の戦力だなんてもったいないくらいだ。

 しかし娘さんの真価があらわれたのは、別のときだった。その職場に、外人さんが来た。英語しか話せない人のようだ。なにか質問しようとしているのだが、だれも言葉を理解できない。そこに通りがかった娘さんは、その状況に気づくと、なにごともなかったかのようにネイティブ顔負けの発音で応対しはじめた。職場パニックだ。「たいへんだ! 英語だ!」「日本語じゃない言葉しゃべってる!」「なんかrが来てる!」落ち着け日本人ども。「時給500円アップ!!!」俺も落ち着け。まあ知り合いの知り合いの親戚の幼なじみの話だが。

 騒ぎが終わって、職場主任の人が娘さんに尋ねた。

英語うまいねー。習ってるの?」

「はい。子供のころからずっと英会話教室に通ってます」

「あ、そういえば妹さん二人いたよね。妹さんたちも?」

「ええ、みんな」

 すげえ。英語三姉妹だ(まだ落ち着いてない)。長女がおっとりだった場合末っ子わがままだったりするのか。最近あんまり三姉妹設定の作品を見ない気がする。

 姉妹3人揃って英語ぺらぺら。そういえば下の娘さんは、なんかこう、この地域ではまず行く人のいない進学校に入ったと聞く。

 別の機会を探して主任は聞いてみた。

職場だけでお母さん見てると、家でのあの人って想像がつかないんだけど、どんな感じ?」

「いつでもあんな感じですよ。あ、でも怒ると怖いかな」

「なんとなくわかる気がする……。どんなお説教すんの? 俺はいつもしっかりしなさいよ!って叱られてるんだけど」

「お母さん……店でもやってるんですか……」

「やってるやってる」

「負けるの嫌いなんですよね。負けるな、逃げるな、って。それはよく言ってます」

 ああ。

 そのとき、主任のなかでなにかがカチリ符号したらしい。

 娘さんの隙がない化粧。おっとりはしていても、わからない仕事があると食らいついてくる負けず嫌いの感じ。物怖じしない雰囲気。姉妹すべてに短期とはいえ留学経験があること。英語日常会話レベルでまったく問題なく話せること。そしてこの教育方針。「教育はねえ、お金かかるから」という母の言葉

 勝てる人間を作ろうとしているのだと思った。娘さんの母親は、おそらく50年の人生のなかで、ずっと勝ち続けるべく努力をしてきた人で、その戦いのなかで「効率のよい」戦いかたを知ったのだろう。

 実は、個性的で強い自我を持つ母親のもとで育った娘ならば、もうちょっと抑圧された雰囲気なんじゃないかな、と事前に主任は思っていたらしい。しかし抑圧されて人のいうことに従うようでは「勝てる」人間にはならない。そこまで含めて女性社員は娘たちを育てたのだろう。独立していけるように。社会のなかで生きていけるように。

 まったく、正しい。非の打ちどころが見当たらない。

 しかし主任は思ったらしい。それでいいんだろうか。

 主任の人は非常に育ちが悪く、人格もなんか変なふうに歪んでいて、歪んだ状態からどうやったら生き残れるかを考えてきたような人で、その結果としての現在には特に不満がない。しかしどこかでは恨みのようなものを持っている。その恨みが、主任の視点を歪めるのだ。まっすぐに育ってきて、負けたら戦ってでも勝ちに行き、努力を続け、明るい場所で笑っているような存在に対して。

 なにが幸福かなんて、まったくもってどうしようもないほど主観的なもので、巨万の富のなかで懊悩に苦しんでいる人もいれば、明日をもわからぬ境遇のまんなかで爆笑しているような人だってきっといる。娘さんは、おそらく初期条件において恵まれているだろうが、そのことが彼女未来永遠に保証するものでもない。現在はそれなりに幸福である主任が、彼女に対して複雑な感情を持つ理由などまったくないはずだ。

 その主任とこのあいだ酒を飲んだ。

「わかっちゃいるんだけどね。初期条件の違いってのはでけえなあ、ってな」

「まあ、そうかもね」

「まともな学歴なんか持ってなくても、まちがいなく仕事できるヤツってのはいるわけよ。だけど、どこかに限界がある。その限界ってのは、数字に暗かったりとか、それこそ英語しゃべれねえとか、立ち居振る舞いとかさ、まあいろいろなんだけども、親がどれだけしっかりしてるかによって、子供限界が決まるってのは、あるんだろうなあ……ってな……」

「例外だってあるだろ。たくさん」

「そりゃあるさ。だが、例外が全体を保証するわけでもあるまいよ。スタート地点が違うってのは、でけえんだよ」

「おまえ、それグチか?」

「ああ……そうだ。グチだグチ。わかってんだけど……ままならねえなあ、こういうのは」

 主任がそうした感情を表に出すような人間でないことは、大急ぎでつけくわえておく。

 幸福とはなんであるか、という問いに対して一律の答えが出せないことと同じように、このエピソードに結論はない。知り合いの知り合いの妹の幼なじみのお兄ちゃんの話だ。僕の話ではない。

 もっとも、たぶん僕の話でもあるのだろう。

 

2010-09-07

それは私ではない誰か

 私はそれほど頭の良くない公立の中学校へ入学しました。成績はそれなりにできる方(といっても中の上)でしたが、家庭学習などはしたことがありませんでした。

 しかし最高学年となって進路を考え始めた時、私は焦り始めました。高校に落ちたら親の顔を潰すことになる。そう思った私は、一心不乱に勉強し始めました。私の勉強は暗記作業で、深層の理解ではありませんでした。数学の例題も、国語教科書本文も、全て丸暗記でした。なのにどうしてか、成績は見る見る上がり、2学期のテストでは学年首位になってしまいました。

 いよいよ進路を決める時、周囲からは進学校を進められました。しかし近場の進学校私服登校だったのが嫌で、私はレベルが低いと言われる制服校への進学を決めました。レベルが低いと言われようが、私は絶対に落ちたくなかったので、毎日死にもの狂いで勉強しました。結果からすれば、私は高校に合格しました。おまけに首席で。

 そのため、周囲の人にはすぐに名前を覚えられました。増田さん、増田さんと話しかけられました。テスト近くになれば、増田さん、次のテストはどこ出そう?なんて聞かれることも多かったです。私は優越感に浸っていました。友達はみんな増田さん=頭が良いと思っていましたし、私もそうなんだと思っていました。

 しかし学年が上がるにしたがって、私は暗記が出来なくなりました。テストの範囲が広くなったこと、やる気が起こらなくなったこと、友人や先生との間でストレスが増えたことなどが理由だと推測しますが、成績が落ち始めたのです。入学してからずっと首位をキープしてきた首位も、2年生の半ばになると2位、3位となってしまいました。

 そうなってから、私は気づいたのです。私は頭が良いわけじゃないんだと。そう思った瞬間から、全てが嫌になりました。先生に「増田は頭が良いって聞いているから…」と生徒の前で言われたり、「増田さんって頭いいから~…」と友達から言われるたび、嫌な気分になりました。私ではない私の話をしている人が嫌いでした。2人1組で相手の長所を言い合う企画があって、私の相手が「増田さんは、頭がいい!あとは~…」と言葉を詰まらせた相手を見ているうちに、私に価値が無いことを思い知らされました。私は頭が良い訳でもないのに、頭が良いと言われる感覚が本当に嫌でした。それは運動音痴の人が走るの早いね!と言われるのと同じ感覚だと思います。

 それでも、勉強しなければならない、周囲のイメージに合わせなければならないと何度も焦りました。私が頭が良くなければ、取り柄など無くなってしまうのではないかと不安な毎日を過ごしていました。でも一度緩めたねじを巻き返すのはとても難しく、次は頑張ろうと思っても、なかなか踏ん張れなくなってしまいました。次第にテストなどどうでもよくなり、それから私が首位に返り咲くことはありませんでした。

 進路を考える季節になり、私は迷いました。本来ならば就職したかったのですが、この不況の中、良い求人が来るとは思えないので、就職は諦めました。公務員試験が大量にあるので面倒だと思いました。となると大学専門学校への進学ですが、専門学校は特定の分野の知識しか身に着かないので、もしその道が閉ざされたときに価値のない人間になることを恐れた私は、大学への進学を選びました。最初はFランと呼ばれるような大学に進学して悠々と過ごそうと思っていました。しかしそうなると、また高校の繰り返しになってしまうような気がしたので、指定校推薦枠で少し偏差値の高い大学へ行くことにしたのです。

 大学に進んで、半年が経ちました。私のことを「頭が良い」と言う人は誰もいません。私はそれでよかったと思っています。無理に周囲のイメージに合わせる自分を作るよりも、私が周囲にイメージを与えていくことが、何と楽しいことだろうと。

 今思えば、私は世間の目を気にしすぎていました。なぜあそこまで世間の評価を気にしていたのでしょう。それを捨て去った今となっては、過去自分馬鹿のように思えます。

2010-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20100902003920

非常に話逸れる上に大変上から目線の書き方になるのでアレですが。

マジで? そんなしょっぱい奴しかいなかったってどれくらいの進学校なの? 灘東大寺クラスではないよね。

中程度の進学校って要するに一番ペラい奴が集まる所でしょ。

トップの進学校なんてマジでとんでもない変態ばっかだし、公立はお前が言ったようなゴリラみたいのが居る。

真ん中って「ほんのちょっと勉強できる」以外何一つ取り柄の無い奴しか行かないんだよ。

お前の周りに居た奴の行動原理はこうだ。

周りにみんな薄い奴しか居ない。薄い奴とつるんだって楽しくない。だから薄くしか関わらない。

お前がガン無視されてたのは、自分で言ってる通りお前がその薄い奴の一員だったからだよ。

関わる意味がないと思われてたんだよ。向こうから関わって来てほしくないなと思ったからわざわざ目逸らすんだよ。

ペラいんだよ。クソッタレ

と思いましたが、いかがでしょうか。

俺の見た灘が薄かったんだよバーカ!とかなら誠に申し訳ありません。

http://anond.hatelabo.jp/20100901214320

進学校に進んだ途端に、義務教育でたくさんいた濃い人達がほとんどいなくなった。

授業中に本をたどたどしく読む人達も、運動能力が野生動物並みの人もいなくなった。

全体的にみんな、うすーーくなってしまった。

能力も、人との関わり方も。

 

 

親たちは毎日毎日「知らない人と話をしちゃダメだ」「『変な人』がいたら目を合わせちゃダメ」と子供たちに言い聞かせてる。

そのおかげで子供たちは事件には巻き込まれないかもしれないけど、「親が認めた仲間内」以外の人への働きかけ方なんか全然知らない大人になっていくみたい。

 

無視する人達は、たとえば視線を合わせないことで、対象とは関係なくなることができるとでも思っているようだ。

でもあれだよ、あえて無視するってことは、ものすごーく意識して避けてるってことなんだよな。

何もしてないんじゃなくて、他の誰よりも注意して見つめて、「お前とは口をきかないよ」と言う代わりにすぐそばに行っていちいちナイフで刺してるのと同じことなんだ。

無視される方はそんな人達を全部見てる。

 

私は、見てた。

2010-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20100830152135

モンペア減らすには、先生全員が聖職者の自覚を持って生徒に親身になって対応し、生徒が塾に行かなくても大丈夫レベルまで教え方のスキルアップを目指し、その名に相応しい尊敬されるような人物になるしかないんじゃないか?

いや、そういう問題じゃないだろ。

モンペアってのは教師の側に非がなくてもおかしなクレームをつけてくる親の事だろう。

「教師が尊敬されるような人物になるしかない」なんて個人の人格還元するんじゃなくて

モンペアが時々出てくるのは仕方ない事として、それにどう対応するかというノウハウを積み重ねるしかないと思う。

人格じゃなくてノウハウ

勉強にしても塾の方がずっと教えるのが上手くてハイレベルな内容だ。

これは仕方ない部分があると思う。

学校と塾では背負わされてる役割が違うから。

塾の先生勉強を教える事に集中すればいいのに対して、

学校先生は生活指導やら部活やら学校行事やら勉強以外の事も色々背負わされてる。

何が言いたいのかというと、

「教師もっと頑張れ」で解決はしないだろうって事。

あと「塾に行かなくても大丈夫」ってのは進学校先生は強烈に意識しててそれがかえってウザかったりする。

2010-08-19

利根川のことば

想像してみろ

何も築いてこなかったおまえらに

どこまで想像が届くかわからぬが 想像してみろ

いわゆるレールの上を行く 男たちの人生

おまえらのようにボォーッとしちゃいないぞ‥‥!

小学中学と塾通いをし‥‥‥

常に成績はクラストップクラス

有名中学 有名進学校と 受験戦争のコマを進め

一流大学に入る‥‥‥

入って3年もすれば

今度は就職戦争‥‥

頭を下げ

会社から会社を歩き回り

足を棒にしてやっと取る内定‥‥‥

やっと入る一流企業‥‥

これが一つのゴールだが‥‥‥‥‥

ホッとするのも束の間

すぐ気が付く

レースがまだまだ終わってないことを‥‥

今度は出世競争‥‥

まだまだ自制していかねばならぬ‥‥!

ギャンブルにも 酒にも女にも溺れず

仕事を第一に考え

ゲスな上司にへつらい

取り引き先にはおべっか

遅れず サボらず ミスもせず‥‥‥

毎日律儀に 定時に会社へ通い

残業をし

ひどいスケジュール出張もこなし‥‥

時機が来れば単身赴任‥‥

夏休みは数日‥‥‥

そんな生活を10年余続けて

気が付けばもう若くない

30台半ば‥‥ 40‥‥‥

そういう年になって

やっと蓄えられる預金高が‥‥‥

1千‥‥2千万という金なんだ‥‥

わかるか‥‥‥?

千万大金‥‥‥

大金なんだ‥‥‥‥!

世間一般の道‥‥‥‥

つまり命を薄めて手に入れる場合

これだけのことをしなければならない

それに比べて おまえらはなんだ‥‥!?

必死に勉強したわけでもなく‥‥‥‥

懸命に働いたわけでもない‥‥‥‥‥‥

何も築かず‥‥‥‥‥

何も耐えず‥‥‥‥‥

何も乗り越えず‥‥‥‥

ただダラダラと過ごし‥‥

やっとことと言えば

ほんの十数分の余興‥‥

なめるなっ‥‥!

2010-08-17

恋愛履歴

一度振り返ってみたくなった。あまり具体的に書くと特定されそうだから適当に大筋が変わらない範囲で固有名詞やなにやらはぼかす。

小5まで

家庭環境最悪で、純粋非コミュとして育ってしまった。

小6

ろくに友人も出来ずに6年になってしまった俺に色々と構いに来たのが、友人TとH子だった。

友人TとはH子を取り合いした。取り合いと言っても殺伐としたものではなくて、待ち合わせにどっちが早くいけるか、どっちが先に遊びに誘えるかというレベル。俺はまったく男女関係と意識していなかったが、友人Tとのライバル意識はあった。これを恋愛とするなら、自分からアプローチした最初最後の恋愛。

色々ケンカっぽいこともしたけど、大抵最後は三人で仲良くしてた。

中1

中学校始まってすぐ、友人Tが自殺した。理由はわからない。友人Tの家は近かったが違う中学校だった。葬儀にはいけなかった。全てが漠然としたのだと思う。

そしてH子は友人Tの事が好きで、自殺には俺が関係してると考えているのではないかと、俺は思い込んでしまった。多分このとき、女性に対して能動的に恋愛アプローチするという回路が吹っ飛んでしまった。これは今でも変わらない。

自然とH子との距離も離れていき、いや俺が避けまくって、彼女どころか友人の一人も作らないまま中学校1年目は終わった。

中2-3

クラス内で存在感が無くスルーされていた俺に、何故か隣のクラスのA美が話し掛けてきた。理由はさっぱりわからない。俺は半ば強引に彼女の家に連れて行かれた。そしていきなり飯を食わされた。旨かった。

A美の家は中学校から歩いて2分の距離にあり、母子家庭で殆ど親がいなかった。俺の家も一度家庭崩壊してるせいか極端に放任主義で、彼女の家に長時間いりびたる原因になった。A美は料理が上手く、彼女の家に行って何をするって飯を食うくらいだった。けど、実の母親にろくに母親らしいことをしてもらえなかった俺にとってA美の存在は大きなものになっていった。

A美にはヤンキーになりかけの弟がいた。弟は何故か俺に好意を持ち、俺が着てる服や髪型を真似するようになった。結果的にヤンキーの道を極めないで済んだらしい。

そして俺はA美と肉体関係を持った。どうやってそこに至ったのかは雰囲気としか言いようがない。

しかし、A美にとって俺は彼氏ではなく、俺自身も恋愛感情が吹っ飛んでたので好きという気持ちはなかった。不思議な関係だった。お互い一緒にいると気が楽という関係なのは間違いなかったが、A美には好きな人が別にいたのだ。高専に通うS先輩だった。

S先輩は打ち込み系の音楽をやっていた。中学生にとっては高値の花だった基材を俺らはバイトして買った。このとき初めてプログラミングというものに触れたが、のちのちそれを仕事にするとは当時思ってもいなかった。俺はS先輩から多くを学んだ。そんな三人の不思議な関係に違和感を感じることも無く、俺らは高校生活を迎えた。

高1-2

S先輩は高専卒業就職して上京した。A美は女子高へ進学、電話でやりとりは時々したものも、ゆるい関係のまま二人の距離は離れていった。ただ、仲たがいしたということはなく、今でも友人として連絡を取り合っている。S先輩とA美の事についてはまた後半で触れると思う。

高校は一応進学校だったが、自由な校風で有名で、とにかく色んな意味フリーダムだった。確か服装規定が下駄とノースリーブダメ、くらいしかなかった。

そんな高校内でお嬢様として噂されているT波という女子がいた。T波は365日絶対に同じ服を着てこないので校内で有名だった。お嬢様かどうかは別としても、金持ちの娘であることは確実だった。ある日、俺が学校食堂で一人で昼食をとっていると、そのT波が向かいに座った。このとき何を話したのかいまいち覚えていないのだが、そのあと彼女が所属している部活の部室に行き、作業を手伝った記憶がある。

T波は本気でお嬢様かもしれないと思うほどに世間知らずだった。例えば卵や小麦粉の値段を知らない。そんな彼女お嬢様学校に行かずこの高校に来たのは、経験の為に親がそうさせたらしい。それが本当かどうかはともかく、彼女純粋で世間の汚さを知らなかった。

その純粋さゆえに、T波にどうして欲しいと言われると俺は断れなかった。まあ、そのお願いも「~という画材店に一緒に来て欲しい」とか「~からの風景を見たい」とかそんなことだった。始めはそんなふわふわしたT波に別段どんな感情も抱いていなかったが、あまりにも彼女常識と金労働価値を知らない事に、俺は少しずつストレスをためていった。俺自身のとにかく貧乏だった子供時代のコンプレックスと相まって、彼女と親しくなればなるほど相容れない気持ちはエスカレートしていった。

高校二年の夏、学校の敷地内にあるうっそうとした林の中で、俺はT波を校舎の壁に向かって押し倒そうとした。衝動的な出来事だった。彼女の顔が複雑にゆがみ、それに一瞬思いとどまった瞬間、俺は平手打ちを喰らっていた。

T波との関係はそれで完全に終わった。後悔はしていない。

高3

色々変な噂をたてられたせいもあって、俺は学校の連中と極力触れ合わなくなった。放課後は即ゲーセンに行って深夜に帰宅する生活になった。ゲーセンでは良くつるむ仲間が出来たが、その中でY野という女が俺によく話し掛けてきた。Y野のことをゲーマーとしていいダチだとは考えていたが、俺はそもそ恋愛感情が吹っ飛んでいたし、正直女性として見た事は無かった。だからこそ、Y野にゲームを買ったから家に遊びに来てくれだの新しい店に食いにいこうだの言われると気軽にダチのノリで付き合っていた。

ゲーセンの仲間で色々と無茶をして、山に行ったり海にいったりもした。高校卒業が近づいたある日、俺らが通っていたゲーセンは閉店することになった。店員さんの計らいで閉店後にちょっとしたパーティをした。Y野も俺も、卒業したら別々の土地に行くことになった。

フリーター時代

とにかく家が貧乏で高校進学にかかった金も即返さなければならなかったので、俺はすぐ働きに出た。ゲーセンへもちょくちょく行っていて、ゲーマー走り屋の知り合いが増えた。その中で知り合った女性といくつか軽い関係を持った。

ある日、そんな成り行きの彼女N山と自宅で過ごしていると、突然の訪問者があった。それはなんと高3の頃にゲーセンで知り合ったY野だった。どうしてY野がここに来ているのだ。住所は実家に聞いたのかもしれないが、Y野が住んでる所からは500km以上離れてるっていうか、船か飛行機じゃないと来れないだろ。どういうことだ。なんだかわからないがY野はヒステリー状態になっていて、ドアをガンガンしているし叫びまくっている。このままでは住人に迷惑がかかる。仕方ないのでドアを開けると、N山が玄関に来てしまった。

そこからは、

そこからはもうカオスで女にマジで手をあげるわけにもいかないし、二人になすがままふるぼっこにされたあと、俺の女性関係は一度リセットされた。

あとで知った事実はこうだった。Y野は何度か俺に"手書きの"手紙を送っていたのだが、それを俺の部屋に通っていたN山が読んで捨てていたのだった。

その頃のA美

A美は高校在学中にS先輩と同じ仕事をする為に、いくつかの会社に作品を送りまくっていた。その努力叶って卒業後に即上京し、就職した。本当にすごい。A美の就職したそのソフトハウスは吸収されて事実上なくなったが、ちょうどそのときS先輩は独立して事務所を持とうとしていた。A美はとうとうS先輩の作った会社で働く事になった。S先輩は既に結婚していたようだが、職場パートナーとして二人はいまでも良い関係らしい。S先輩とA美には、俺も今でも仕事面でも先輩としても時々お世話になっている。本当に良い縁だと思う。すまないが、この辺は詳しくかくとマジでばれそうなのでかなりぼかして書かざるを得ない事をご了承頂きたい。

その後

後にS先輩からの遠い縁が関係してベンチャースタートアップに誘われ、今に至っている。今の彼女は、俺が怪我で以前の仕事をやめたときに世話をしてくれたのがきっかけで深い関係になった。俺の関係の中では今までで一番長続きしている。

2010-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20100731180327

自分自己評価が低いから共感できる。

進学校から浪人した挙句Fラン大にしか受からなかったことの反動からか、

自己評価を一度最低まで下げてしまったせいで、

基本的に何事も自分が悪いと考える癖ができてしまった。

というか、そう考えることで逆に自分を成長させようとしてる。

とりあえず自分が悪い、もしくは劣ってる→だったらそれを直せばいい、的な感じ。

このやり方が正しいのかどうか分からないんだけど成長はしてると思いたい。

 

他人に対しては壁を作ってるなぁ。

本音を出しても理解してくれないだろうとか離れてくだろうと思う。

だから誰にも本音を話さないかな、特に異性には話したことがない、というか話せない。

一番気の許せた同姓の先輩には、「君は狼みたいだ」と言われた。

恋人作れる時点で充分に自己評価高いと思うけどな。

俺の場合は、自分の中で恋愛をするまでに超えるべきハードルを設定してるから

それを超えない限り自分の中ではスタートラインにすら立てない。

こんなハードルすら超えられない人が誰かに愛されるわけがないと考える。

だから人を好きになることを脳が拒否するし、あからさまなサインにも反応できない。

いつも三枚目キャラでいるってのが自分にもそのまんま当てはまってちょっとびっくり。

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811080918

問題は、

というのが日本の現状であるということをろくに理解している奴がほとんどいないということだ。

灘なんだから生徒も教師の質も悪いとは絶対言えないわけだから。

ちなみに灘がそのぐらいのレベルなのはネタでも何でもなく事実だよ。俺も関西進学校にいたからそれは証言できる。

要するに、英語という言語日本人にとっては、語学の才能に恵まれているとか英米圏の文化を偏愛しているとか金が大好きとか帰国子女だとかでもない限り到底身に付かない言語なんだよ。オランダ人や北欧人はいわずもがな、ヨーロッパインドフィリピンあたりみたいな英語学習に有利な事情があるところで、英語使いが増えたからって世界中英語が通じるようになるわけがないってのはそれだけでもわかるだろ。東アジアという広大な地域の特性がそうなんだから(中国人韓国人台湾人がみんな英語が得意とか思ってる奴は現実を知らない奴か本人が超絶的に英語ができない奴だ)。現地に移住したってカタコトしかしゃべれないのがオチ。というか、留学しててもこんなバカを言い出すのが関の山なんだから、ドメ日本人(笑)に英語なんて元々無理なんだよ。

上久保誠人 [立命館大学政策科学准教授]

英語には日本語のような敬語がなく、教員学生ファーストネームで呼び合う。

http://diamond.jp/articles/-/9026?page=2

楽天三木谷社長英語決算発表 「公用語化」を実践(朝日新聞

英語を使う理由について、三木谷氏は「我々の最も重要施策グローバル化だ」と説明。「英語ストレート表現するが、日本語だとあいまいになる」とし、仕事の効率が上がるとも強調した。

http://www.asahi.com/business/update/0805/TKY201008050450.html

英語には敬語がない(キリッ」だって!「英語ではストレートに話ができる(キリッ」だって!どう見てもトンデモ都市伝説です。本当にありがとうございました

言うまでもないが、英語にだって持って回った表現はいくらでもあり、教科書に載っている"Would you mind..."とか、空港で聞く"May I have you an attention, please"とか、「敬語」そのものであり「ストレート」でもなんでもないことはアホでもわかる。逆に、「英語ができない奴はクビ(キリッ」とか言ってる奴はその程度の英語力もない癖に、「自分英語ができる」と思っているわけだから救いがたいにも程がある。

冗談抜きで、アメリカ様の51番目だか52番目だかの州にでもしてもらわない限り、圧倒的大多数の日本人は、英語なんてできるようになんてならないよ。

その程度の現状認識もできないくせに、何が英語だよ。ふざけるのもいい加減にしろっての。

2010-07-28

自己評価を上げるってなに?自分を大切にするって?

デブスなのに個性アピールでモテたいと思ったり、アタックしてストーカー扱いされた高校時代。

腐女子でもないのに、テンプレ腐女子そのままでした)

自分の顔や体型は嫌いだけど、個性をアピールすればいいと思っていた。

専門に入って周囲のリア充ぶりが怖くて鬱になり中退

私はひどいデブスで、個性アピールなんかしても無駄だったと実感した。自分の顔が大嫌いになった。

そこからダイエットと整形で、見た目だけは下の下から中の下くらいまでになった。

個性をアピールするのはやめて、黒髪のセミロングに薄化粧、パステルカラー中心の地味だけど可愛らしいファッションをした。

同時に、生活のために水商売をはじめた。こんな不細工なんて嫌われると思っていたら、わずかだけどお客さんがついた。信じられなかった。

下心ありきとわかっていても、自分を必要としてくれる人がいる。

少し自分を大事にしたくなった。顔は嫌いなままだったけれど。

中退したせいで高校時代の友人もいなくなってしまったので、SNSに登録して、昔好きだった作品のおたくコミュニティに属した。

オフ会に行って友達ができたり、楽しいヲタライフを送っていた。

そしてあるとき、オフ仲間の男友達に告白された。

嬉しかったけど、こんな私が告白されることなんてありえないと思って曖昧なままにした。

彼がそのコミュニティに顔を出すことが減ってから、また同じことがおきた。

私はまた同じように考えて、曖昧なままにした。

いわゆる、サークルクラッシャーに近い存在になっていたのだろう。

コミュニティの中心的存在の人に、私がコミュニティを乱しているから出て行けと遠まわしに言われた。

私はできるだけそこに近寄らないようにした。昔ほどではないけれど、軽く鬱になった。

まだその繋がりで仲良くなった友達は少しいて、時々会って話していたりする。

そのときに言われるのは「自己評価が低すぎる」「お水なんてやめてもっと自分を大切にしなさい」

否定も肯定もしないで受け止めているけれど、ひどく傷ついた。

まだ私は自分がとても不細工でデブのままだと思っている。

水商売をして、お客さんがつくことによって、少し自分を大切にしたいと思えるようになった。

最低だと思うけれど、どうしていいかわからない。

追記

普通に告白しただけなのに、受験邪魔になるストーカーと(進学校だったので)先生に言われて、親同伴の呼び出しをくらいました。

両親には自分をすべて否定されて、今後恋愛のようなうわついたことを考えるようなら、自○に見せかけてでも○してやると脅されました。

外見や立ち回り方を変えただけで態度を変えてくれる周囲には怒りどころか、嬉しさしか感じませんでした。

きっと私は人間の屑だと思います。

幸せな暮らしをしたいとは思えませんが、せめて人に迷惑をかけないように生きていたいです。

2010-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20100725011940

進学校から当然のように高学歴に進んだ人間の目線だね、それは。

あくまでも世間一般(特に当人と接点の少ないだろう地方)では高学歴聖人君子なんだよ、例外なくね。

学歴が評価されないっていうのはここ数十年のパラダイム。それ以前の人にとってはいまだに学歴まばゆいステータスであり、金のなる木なんだよ。

2010-07-09

いなす、いなす、絶対いなす

世間では、いなすとは軽くあしらうことを意味するようですが、私の育った街の中学校では、喧嘩をして相手を泣かせるという意味でした。

ちなみに隣の校区では怒る、または喧嘩を売るといったいなす一歩手前の状態をいなると使い分けていたようですが、どちらにしても綺麗な言葉ではありませんでした。

そして時は流れ高校進学となります。

地元の高校はショボかったので隣町の高校に進学することにしました。

当時人口数十万くらいのそれなりに大きな街の進学校を目指しました。

残念ながら進学校へは行けず、傷を舐め合う高校へ行くことになりましたがその話はここでは出てきません。

そして傷を舐め合う高校でさきほどのいなす、という単語クラスメートの会話で時々出てくるのですが、どうも意味が通じません。

「昨日○○でいなしてやった」「マジで?」

「○○いなしてやろうか」「やめとけよ」

とりあえずダーティなイメージは合っているようですが○○には人の名前ではなく、店舗名が入るのです。

店員と喧嘩でもしたのかな、と考えればそれなりに話は合いますが、そんなに頻繁に喧嘩するのかとだんだん疑問がわいてきました。

そしてよーく話の流れを追っていると、言葉意味がまったく違うことに気付いたのです。

その街では、いなすとは商品を盗むことだったのです。

恐る恐る聞いてみると、

「それは○○って言わない?」

「いや、それは▲▲だよ」

「え、ふつう××でしょ!」

それぞれの出身中学校ごとに違う単語が飛び出します。

古文におけるこおろぎときりぎりすみたいなもので、まったく違うならその場で気付きますが、意味微妙に入れ違いになっているものなどは言われなければなかなか気づきません。

それから1年は話しかけるたびに意思疎通できているか、確認のために違う言い方を織り交ぜながら話すという回りくどいことをしながら傷を舐め合いました。

2010-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20100703132104

東大合格者数トップ3常連校出身の俺が来ましたよ、と。

ちなみに以下の記述大都市の私学が前提みたいな書き方になってるけど、公立でも多かれ少なかれ似たようなものみたい。

進学校カリキュラム

上位の大学に行けるんなら、

何で進学校じゃないところは

それを採用しないの?

勉強以外のことで考えてごらん。

PL学園の練習で甲子園にいけるんなら、何でPLじゃないところはそれを採用しないの?」

どう見ても愚問だよね。普通の高校の生徒は高校生になった時点での基礎力が既にPLの生徒に遠く及ばないし、そもそも野球に全てを捧げて生きる覚悟と情熱すら持ち合わせてない。PLの練習と同じメニューを普通高校生に課すのは下手をすると児童虐待かもしれない。要はそういうこと。

あ、念のため、東大に行くのは甲子園に行くのとは比べものにならないほど易しいし、進学校の生徒はPLの生徒が野球に取り組むのと同じぐらいマジで勉強に取り組んでるわけじゃない。でも、そういう量的な違いはあるけれど、質的には同じことだよ。

それとも進学校

最初から上位の大学合格する

学生を集めているだけで

教育はそんなにすごくないの?

進学校といっても色々あって、トップ校は基本的に受験指導は最小限で自由にやらせるし、二番手校以下は宿題とか補習の量が充実していて予備校並のサポートが受けられる。

で、トップ校は「勉強の習慣は自分で身につける」「一を教えればあとは自分勉強して十まで理解する」という前提で教育するから、理科社会なんかでは特に研究者くずれの教師が大学一般教養レベルの話をして「ついてこれる奴だけついてこい」という感じになることもしばしば。要は教科書の内容なんかは自分で身につけられるのが前提なので、それができない奴は受験期になって予備校や塾に頼ったりする(というか受験期に塾に行かずに済ませられる奴は少数派。ちなみに俺は行かなかった)か、あるいは落ちこぼれたりする(落ちこぼれても一浪早慶ぐらいは行ったりするけど。逆に言えば学校側の要求レベルがそれだけ高いということ)。

番手校以下は(この辺は主に伝聞になるけど)、とにかく教科書の内容を身に付くまでやらせる。大学入試なんて東大だろうがどこだろうが教科書の内容が身に付いているかどうかの勝負なわけで(この点に反論は受け付けないのであしからず。俺に言わせれば、それが嘘だと思っている人は教科書の内容を表面だけ暗記していて本質を理解していないだけ。高校の教科書記述こそあっさりしているけど意外なほど基礎的なことがきちんと網羅されている。理科なんかは杓子定規な指導要領の関係で不備も目立つけど)、とにかくできない生徒には宿題や補習で強制的に勉強させて徹底して底上げを図る。

で、どちらにしても教育が「すごい」のかどうかは俺にはわからない。悪い見方をすればトップ校は教育責任を放棄して教師が好き勝手しているとも言えるし、二番手校は物量で押し切っているだけとも言える。

ただどっちにしても、こういうやり方が普通学校では通用しないことは確かだろうね。トップ校のやり方をすれば、本質的勉強好きでない子供最初から教師を無視して勉強なんかしないのが関の山だし、二番手校のやり方をすれば「受験少年院」呼ばわりされるのが関の山

要するに、それぞれの学校の生徒や親のニーズに合ったやり方(最適かどうかはともかく)をしているわけで、他の学校でこういうやり方を真似できるかというとちょっと無理だろうね。

http://anond.hatelabo.jp/20100703132104

ブコメが笑えるw

http://b.hatena.ne.jp/rakusupu/20100704#bookmark-22897757

進学校みたいな教育って言っちゃえばペーパーテストなるたけスコアをたたき出すことに特化した人間養成するってことよ。

この人のように生きられたら毎日が楽しいだろうなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20100703132104

本当の進学校ってのは放任主義だよ。

上位大に行く連中は何も言わなくても自分勉強する。

自分で何が足りてないか認識し、自分で補い、独りでに伸びる。

そこでの進学校の役割と言えば、最低限の知識(授業内容は教えないと)と勉強する場の提供でしかないね。

だから進学校先生の方が全然楽。

進学校じゃない連中は、まず高校に進学する動機が不純。

義務教育でもないのに、「何で私がこんなことを勉強しないと行けないの」なんて言っている始末。

こんな連中に、レベルの高い内容を教えても飲み込むわけがない(飲み込む気がないから)し、放っておいても何もしない

だから伸びない

日本サッカー南米欧州列強に追いつくことができない絶対的な理由。

日本サッカー代表はたまにベスト16に行くことがあっても基本的に南米欧州列強に追い付くことはできません。追いつくためには日本教育制度スポーツ学校依存、究極的には日本社会制度までにメスを入れなければならないからです。

 現在の代表でも、半数以上はサッカーエリートであるクラブ出身ではなく部活サッカー出身だ。普通感覚ならどれだけ「自分はやれる」とおもっても並の高校に行った時点でプロをあきらめてしまうの。とくに偏差値の高い学校にはいった競技者プロを目指すのはよっぽどのかわりものだろう。

 学校部活動は短期間、具体的には2年または2年半で結果を求められる。求めるなというのが無理なのだ。競技者、および指導者(学校教員)の双方にとってそれがメリットだからだ。2年で結果を出せばまた名門サッカー高校に進学できる。また2年半で結果を出せばJリーグ以外では最もメジャーサッカー大会である。「高校サッカー選手権」にでられる。普通の高い才能であればこの大会にピークを持ってくることが目標なのだ。

 南米欧州ではもちろんちがう、クラブのユースではある意味子どもたちは商品なのだ、名門クラブであればそのトップチームに上げることが目標となる。そうでなくとも名門に売れれば大きな金が入る。日本部活のように自分勝手な猛練習はしない。体が壊れたら誰も得をしないのだ。ユースでもジュニアユースでも週に4-5回、一日2-3時間の練習と週に1回の試合日本のように年間練習試合をふくめ100試合もやるようなことはない(中堅校でもこのくらいやるところは少なくない)

 逆に公式戦はリーグ戦が主体で多く、リーグなので絶対的な勝利にこだわることもない。指導者競技者も目指すのはその先なので、個人の技術の向上、戦術理解が優先される。

 また日本ではユース世代は競技者サッカーレベルでチーム分けがされない基本的に「競技者学力」でチーム分けがされる。高校の部活動なのだから当然だが、これがどれだけ異常なことかおわかりだろうか?

 また日本では必ずしもサッカー経験者もしくは指導を志す者がサッカーを指導するわけではない、これまた異常なことなのだが事実だ、ジュニアユース時代に技術的なことを指導されなければどれだけ才能があっても伸び悩む。さらにユース時代も確率的には少ないが必ずしも専門家が指導するわけではない。(例えばわたしは長らく高校サッカー部の顧問をしていたが、なった理由は校務分掌上、若い男性であいているものが私しかその学校にいなかったという理由。当時全くサッカーには興味関心がなかった。)学力別に分けられた競技者がたまたま良い指導者環境に当たればよいが、絶対にそうなるとは限らない。学力が関係なければ、後に日本代表になる可能性がないではないが、学力が高ければ指導者と関係なくそ学力の高校(チーム)にいく。そして高い才能があろうとサッカー選手になる道はほぼなくなるのだ。

 ここで「日本でも、今言ったように、学力と関係ない名門高校があるんだから、そこで注目されるのでは?」とおもうだろう。もちろんそういう選手も多いが、ここで現代表の来歴をみてみる。

 日本代表CBの3人の来歴は非常に異色だ、田中ブラジル人を留学生としてとっているサッカーが盛んな新興名門進学校「渋幕」に留学した。その後、Jリーグに入り帰化した。これは前代表のアレックスサッカーでないが朝青龍もそうだ。

 中沢サッカーエリートとは関係のない道をあゆみ、強豪でない三郷工技の部活動からブラジルクラブに入り、帰ってきて三郷工技で練習していて練習試合ヴェルディとやったあとに練習生としてヴェルディに入った。

  岩政は普通地方進学校から数学の教師になるため東京学芸大に入り、ユニバーシアードなどで活躍して注目され鹿島に入った。

 後者2人は本人のサッカーへの強い意志と偶然により、Jリーグに入り代表になったことになる。偶然がなければこのWカップのメンバーは違う人が入っていたということになる。ということはこの人たち以外にも日本代表に入れる才能を持ちながら途中でなんらかの事情で断念している多くの競技者が、掬いあげられずに、一サッカーファンとしてWカップを見ているはずなのだ。普通フットボールネイションであれば代表に入るような才能であれば小さいころから注目され少なくともプロになる選択を与えられるのは必然でなければならない。

 普通フットボールネイションで岩政のような選択は非常に不可解に感じるだろう。代表になれるような才能があれば、16-7歳でプロ契約するのが普通サッカー能力が非常に高くかつ数学の教師になりたいのであれば、大学サッカープロキャリアを終えたあとに行けばいいわけで、なにも、大好きであるサッカー競技者を断念して教師になる必要はない。岩政の選択は日本では非常に特殊で普通なら数学の教師になりサッカー部顧問になる(もしくは校務分掌の事情でなれない)のが普通だろう。高校で普通の進学高にいった時点でプロサッカー選手になるという選択はない。冷静な頭で考えればリスクとリターンが合わないからだ。

 日本ではあるレールからはずれると修正がきかないとおもわれている。サッカー選手を選択して失敗したら大学目指そうとかそういう選択は普通しないのだ、就職に一番有利なのは何の瑕疵もなく22年で大学卒業した者であり、30歳くらいでサッカープロ経験者であってもいわゆる一流企業正社員になるのは難しいだろう。であれば高い学力があってサッカーの高い才能がある場合リスクをとってサッカー選手になるという選択は普通なくなる。このようなリスクテイカーに冷たい社会ではサッカー選手になるというのはなかなか決断しにくいのだ。岩政は非常にリスクの高いことをやって成功したことになる。

 他にも多くの理由があるが、スポーツ学校依存リスクテイカーに冷たい日本社会制度を変えない限り野球のようなマイナースポーツで一番になることはあってもサッカー大国になることはないだろう。

 部活動の問題についてはまたの機会に書きたいと思います。

2010-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20100703202235

俺が県立の進学校いってたときに県内の底辺校から異動してきた先生がいたけど教え方の評判よかったわ

その先生は前の学校の授業では、授業が授業になんねーから延々と自己紹介をさせてたとかいってた

生徒が自分の話をちゃんと聞くことに感動したとまでいってたぞ

逆に評判悪い先生はやっぱりいるんだけど、そういう先生の授業のときはだいたいみんな自習してた

ほっといてもみんな勉強するのが進学校だと思う

あと環境かな 勉強しようっていう環境

http://anond.hatelabo.jp/20100703132104

進学校

最初から上位の大学合格する

学生を集めているだけで

教育はそんなにすごくないの?

正解。特殊な例を除けば、教え方に大差はない。先生の教えられる範囲が違うだけ。(たとえば、東大レベルまで指導できるか、マーチレベルまで指導できるかみたいな)

なぜか。

進学校では、生徒は偏差値の輪切りで入学なのでスタートラインの基礎学力は均質で高い。こういう生徒に勉強教えるのはかなり楽。それでも学校のペースについていけないやつが毎年大量に出るが、彼らについても、すでに受験勉強経験してるから勉強の仕方は身に付いている。やる気なくて入試まで落ちこぼれていても、現役で落ちてやる気出すと一浪で大体は良い大学に入る。なので、教え方に違いなど無くても実績が出る。

テキトーな管理で育てても育つ苗を仕入れて、育ったら成果として宣伝する。それを見た客が「じゃあうちの苗も育ててください」とやってくる。その繰り返し。教育内容、施設、入試などを誇張気味でもいいから宣伝して、凄い生徒たちの親御さんに「凄そうだ」と思わせて、入学してもらうことが大事。実際の質は二の次。

と、書いて気づいたが、今、日本高学歴層を生み出してる最大の功労者は、中学受験塾と大学受験塾かもね。進学校合格できるまで育てる塾と、進学校落ちこぼれたやつらを浪人生として合格まで面倒みる塾。

http://anond.hatelabo.jp/20100703132104

小学生高校生で教え方が違うように底辺校進学校でも違うに決まってる

九九もろくにできない人にいきなり微積とか無理でしょ

何でみんな進学校みたいな教育しないの?

単純な疑問。

進学校カリキュラム

上位の大学に行けるんなら、

何で進学校じゃないところは

それを採用しないの?

何でバカを量産する体制で

教育をつづけるの?

それとも進学校

最初から上位の大学合格する

学生を集めているだけで

教育はそんなにすごくないの?

2010-07-01

女は20代後半から、男の学歴をより強く意識するようになる。

自分経験則から。

当方、20代後半男、見た目はブサイク中学高校は誰もが知ってる超進学校大学早稲田政経で、勤め先は中堅マスコミです。

仕事柄、色々な女性と知り合う機会は多いのですが、基本はブサイク&中堅企業勤務なので、

知り合う女性のほとんどは、あまり僕のことを「自分パートナーになるかもしれない人」と見ている雰囲気は全くありません。

ところが、自分の年齢があがるにつれて、徐々にいわゆる「モテ」はじめるようになりました。

自分の年齢があがるにつれて、

知り合う女性も20代前半から後半をシフトしていっているのですが、

どうも自分に気の無さそうな女性も、何かの拍子に僕の学歴のことに話題が及び、

僕が具体的な学校名を出すと、「え!?そうなんですか??」と、そこから急に3割増しぐらいで目のキラキラが増したりするのです。

もちろん20代後半以降の女性全員がではないですし、割合でいうと10~20%ぐらいがそういう女性だということです。

しかし、今まで知り合ってきた、10代や20代前半の女性のほとんどが男の学歴に対して何の興味もなかったのに比べると、

明らかな変化を感じます。

これは、僕が特に学歴以外に取り柄が少ない(笑)からこそ顕著に気付くのかもしれません。

僕自身の仮説としては、女性は20代後半あたりから、

社会に出て世の中の現実がわかってきて、また、それと同時に、

自分結婚とそれ以降の人生のこともまた、現実的に意識しはじめるからではないか、と思っています。

やっぱり結婚するなら、収入が低いよりは高い人のほうがよいように、

自分の夫になる人の、今後の出世の可能性や、将来自分が産む子供の出来を推し量るのに、

「男の学歴」というのはとても有効な判断材料になっているのではないか、

ということです。


と、完全に男目線から書きましたが、いかがでしょうか。

2010-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20100628170855

土地文化や気質もあると思う。

車がないと生活できない(最寄のコンビニまで5km以上とか)は別として、

北海道は車なしで生活できる条件の土地でも車所有率がかなり高い。

高校卒業ごろになると皆免許取り出す。

そのためにバイトする子もいて、とりあえず免許もっとけってのがデフォになってた感じ。

今はどうか知らないけど所謂団塊ジュニア世代で受験戦争といわれてた時代の進学校でそんなだったからなあ。

だから友達も車もってるのが普通で、どこか遊びにいく=車で遠出。海や山やらいく=車。

家族連れでキャンプ行くにしても車前提だし、車もってない人は乗せていってもらうって感じになっちゃう。

一人暮らししてううちは無くてもいいけど、子供いるようになると車ないとやっぱ

この辺の土地柄では損させちゃうかなーって気はする。

行動範囲圏の感覚の違いもあると思うよ。

札幌民だと、100~150km範囲内は札幌近郊の感覚だし、かなり軽いフットワークでいく。

高速とおらなくても下道で同じ位速度でるし、車で一時間で移動できる距離が段違い。

田舎か、都会か、だけじゃなくてそういう面もかなり土地柄に関係あるんじゃないかな。

2010-06-20

見た目にこだわるのは中身に自身が無いから…かも。

ぜんそく持ちで運動が全然ダメで、成績がいいことだけが自分長所と思って生きてきたけど、

進学校に進学したら下位になってしまって、自分には何の取り柄も無い、存在価値の無い人間だと思った時期があった。

頑張って成績を上げようとしたものの、日々の予習復習宿題の量があまりにも多く、理解の遅い私のキャパを軽々超えていた。

唯一の長所を折られ、死にたくなった。毎日死にたかった。

私は運動ができない、友達もさほど多くない、勉強も下位、生きてても何の意味も無い。誰にも必要とされない。

ただ、容姿さえ良ければ…

私が目を見張るような美少女に生まれてさえいれば、運動音痴でも、友達が少なくても、

成績が悪くても、「でも○○って可愛いよね」と言ってもらえて、存在を認めてもらえるんじゃないか…と思った。

でも私は美少女じゃないので存在を許してもらえない。

私には何も無い…

そうして、美容整形のサイトを何度も閲覧し、美容雑誌を買って、呪われたように美容のことばかり考えていた。

くだらない時間だったとは思うけど、「私がもし美人だったら」という考えと、美人になるための付け焼刃の努力は、自殺に向かう思考へのブレーキになったと思う。

容姿を磨くのはバカでも出来る。辛抱や苦痛は要らない。逃げ道には最適だった。

大学に入り、サークルで私は唐突に「シュール」とか「天然」と言われるようになった。

ツッコミ気質の先輩が私をやたらイジり、先輩と私の居るところで爆笑が巻き起こる。

先輩は見た目は似てないけど、雰囲気が明石屋さんまっぽい。人の面白さを引き出して大げさにするのが上手い人なんだと思う。

先輩にくっついてると交友関係も広がりマイミクも増えまくる。ボイス投稿しても即レスがいっぱいつく。

さらに最近ピンでも笑いを取れるようになってきた。

私も面白いし、周りも笑っている、その状態が楽しくてしょうがない。

今私が死んだら、「面白い人を亡くした…」とみんな残念がってくれると思う。

気付くと私は美容雑誌を買わなくなっていて、整形のサイトも見なくなっていた。

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