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はてなキーワード: 救急車とは

2009-08-22

批難も擁護もあるが、よしもとばななはやっぱ好きになれんな

2ちゃんからのコピペ、一通り読んだが、スピリチュアルとかのレベル超えてて、もうただのDQNとしか思えない。

1人の文筆家が、インターネットに放流すべき文章じゃないだろ。鮭になって帰ってくるんじゃなくて、大変な怪物になって帰ってくるんじゃないか。人の悪意としてさ。

スーパー銭湯刺青隠さずに入ろうとしたら止められた。潰れるように呪いをかけた。 2001.11.07

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=5&yy=2001&mm=11

後日談:友達なら止められた時に待ってくれるべきだろ、もうお前ら絶交な。2001.11.09

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=4&yy=2001&mm=11

新幹線自分子供が騒いでたら注意された。日本終わったな。 2006.07.07

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=5&yy=2006&mm=07

後日談:注意したのは榎木孝明マネージャー、おめーだよ。覚えてるからな。2008.04.19

http://www.yoshimotobanana.com/diary/2008/04/index_3.html

日本酒キムチ韓国海苔の持ち込みとか、最悪の下ネタを 許してくれる下町コネってすばらしい。2002.03.30

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=1&yy=2002&mm=03

コジマ洗濯機買ったら対応悪かった。もう買わない。 昔台車盗んだけど。2002.07.31

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?yy=2002&mm=07

ステレオ買ったついでに、今日記念日だから台車盗んじゃいました。 2001.09.24

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=2&yy=2001&mm=09

スーパー子供が騒いでたら白い目で見られた。ちゃんと注意してたのに。2007.03.11

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=4&yy=2007&mm=03

家具の設置の手配はしていなかったけど、クレーム出したらなんとかしてくれた。 2007.06.20

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=3&yy=2007&mm=06

最愛ボーイフレンドだと思ってたら二人ともお金目当てだった。2007.06.22

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=2&yy=2007&mm=06

かなりの人脈を駆使して、実家忘年会は「さくら水産」でやった。2007.12.29

http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?yy=2007&mm=12

子どもが知り合いの創作物を壊したけど、それで作品が逆に良くなった。 人の親って大変。2008.08.31

http://www.yoshimotobanana.com/diary/2008/08/index.html

Via Bus Stop開店5分前に店に入ろうとしたら怒られた。フランスみたいな店になったね。2009.02.23

http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/02/

39度の熱が出たので救急車呼んだら怒られた。クソババー。 2009.05.06

http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/05/index_5.html

宇多田ヒカルと私は一緒。彼女の苦しみがわかるのは私だけ。2009.05.20

http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/05/index_3.html

運送業自分の頭で考えない。生きがいを感じることのできない仕事。 2009.08.04

http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/08/

お椀やお箸はちゃんと持ちましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=PVseh-2e53s&feature=related


吐き気するわ。

2009-08-13

また世話好きの知り合いの社長に心配され、とりあえずウチへ来いと誘われた。

この夏で35歳、統計的にはニートから無職に変わるらしい。

とはいっても、働く気が無いわけではない。自分はとても仕事がしたい。

ブランクはあるし、年齢の割に洗練はしてないけど、ある問題さえなければ、出来ると思えることは山のように思いつく。

別に選り好みしているわけではない。できるんだったら、アルバイトだっていい。

なぜか年上に好かれるのと、学生時代に色んな仕事をしてたおかげで、人脈もあり、今回のように、ウチへ来ないか的なはなしがたまにある。

しかし、私は断る。

知り合いだからこそ、迷惑を掛けたくないからだ。

履歴書だけ見ると、上場企業を数回転職してきた、向上心あふれる人に見えなくもない。

それはある面で正しい。次こそは、あの悪夢が来なければ、と、思いながら、20代は転職をしていた。

仕事をやめる理由は毎回同じだった。

昼間から、突然ぶっ倒れるように寝てしまうためだ。

職場ならまだいい。会社ビルを前に、顔面蒼白で倒れることもあった。

最初は同情されるが、すぐに荷物になる。まあ当たり前だ。

原因は正直よく分からない。医者には大抵、自律神経失調症と言われるが、10年近く薬を飲んでも治らないので、2年くらい前にやめた。

慢性の鬱ではない。怠惰でもない。ただ、体が言うことをきかないもどかしさが、とても悔しい。

さらに5年前くらいから、みぞおちが刺すように痛み、毛穴という毛穴から脂汗やら老廃物やらがドクドクと流れ出るようになった。

これもまた医者内視鏡やらなにやらで調べてもらったが、目立った異常が無く、結局また自律神経失調症だ。

こっちは初めての発作の時、本当にこのままだと死ぬと思い、救急車を呼んだりしてたレベルなのに、何もないんだそうだ。

そして運び込まれた病院で触診を受け、確かに胃が痙攣しているといわれ、首をかしげられる。

だから言ったでしょう。手を当てると、胃の中でカエルが暴れてる感じって、そう伝えたでしょう。

本当に、全く意味が分からない。

しかも最近、外に出るとまた失敗するんではないかという恐怖感から、ひきこもりがちになりつつある。

それでも私が努力しているのは、この体を何とかしなければ、もう生きるすべが無いと思うからだ。

今はほぼ、ドクターショッピングな日々を送っている。

それしか、自分が前に進む方法は無いからだ。

でもたまに、夜に苦しんだ分の脂汗を流すため、シャワー浴びながら朝から泣いてたりする。

どうしてこうなった、何をどう努力すればいいんだ、そういう感じで顔を歪めて。

医者通いも時々嫌になるし、全て放り出したくなることもある。

でもやらなきゃ始まらないとおもって、医学書や論文をあさり、目星をつけ、病院を回っている。

癌の人とかが代替医療を求めて転々とするのって、こういう気分なのかなー、とか思いつつ。

私にはやりたいことが山のようにある。

また仕事もしたいし、旅行もしてみたい。

友達にわざわざ近所まで来てもらったりしたくない。

そんな願望を心に、私はもうすぐ35歳無職となる。

2009-08-02

父子家庭ダメなの?

私は高1、父子家庭になったのは小6の時

身バレしそうだがもう少し詳しく書くと、小3の時に離婚して小5秋に三つ離れた姉と共に隣町に引っ越して3人で暮らしていたのだが

(主に姉が)新しい環境に馴染めず、私に当り散らし虐め、耐えきれずそれこそもう表ざたにはならないが自殺未遂は何度もした。

結局半年もしないで私は父親のところで暮らすことになった。決定したのは土日によく逃げ帰ってよく父のところへ遊びにいった私なんだが、

今思うと私は母親に姉が私を虐めるのも、私が出ていくのも止めて欲しくてそんなことを言ったのかなと思う

戻ってきてからの生活は酷い生活だと思う。現在進行形だけど。

父はろくでもない人間で、大して強いわけじゃないのにこれが無いと眠れないとかいって毎日飲むアル中、半年に1回は些細なことで大暴れ。健康保険?滞納してるから保険証が出ずインフルエンザで死にかけた。マジで

おまけに家で風呂たてると金がかかる!とかいって1人で銭湯通い。私は家で毎日シャワー。

春夏はいいが冬は雪がバンバン降る地域だから寒くてたまったもんじゃない

ろくに保護者用のプリント持ってきても子供任せ、印鑑だけでもとせがむとキレて怒鳴りつける。先生との面談なんか消費税だとか思いっき関係無い話でずっと親父のターン。

何かボイコット的な意味だか正直具体的な理由は無いが、とにかく全て嫌になって中学は半分行ってない。けど一応高校は出てる。成績はクラスで5本の指に入るほうだから、真面目に出てればもう少しレベルの高いところに行けたのではとよく言われる。

もうこの位になってやっとうまい付き合い方を見つけたが、始めの頃は壮絶だった。

自分でも普通の人としてすごせるようにすごく努力したと思う。拒否っといて何を言うと鼻で笑われそうだけど。

とにかく何もかも1人で頑張って、今望む今出来る理想自分を実現してみせた。今は正に理想。今すごく楽しい世界で一番楽しい気がする。

辛いときは母に助けを求めるのだけど、やっぱりやんわりと頑張って!高校に入ったら一緒に暮らそう!と行ってくれるが具体的には何もしてくれない。というか、頼めることが何もないというのが事実だけど。

顔を合わせるのは精々お盆秋田帰省する時くらい。

肝心の今、高校に入ったら、なのだが。三つ上なので丁度姉の手が空くと思いきや、

なんと姉は境界性人格障害?とやらで通院してるらしい。しかも精神安定剤飲みまくって春に救急車運ばれたとか。通信制高校ダブったらしい。

絶句した。姉は何一つ進歩していないのか。私はこんなに頑張ってるのに、姉はのうのうと母と暮らしてこれなのか。

そう思うと母と暮らすべき時間を姉に取られたのかと思ってしまった。実際違うとはわかっている。

あと自分も何か精神疾患になっていないかと急に怖くなって保健室先生に相談したら、あなたのお家は機能不全家庭ってレベルじゃないやばさだけどあなた自身は大丈夫。強い子ね、といわれた。なんか逆にこの状況で発病してないとか馬鹿じゃねーのwwwって言われた気がしないでもないけどw

私が無理を押しとおせば引っ越すことはできるのだろうけど、折角入った高校、そこで知り合った友達、今までの友達、住み慣れた土地、そしてどうしようもない父。

今の自分を作ってくれた半面教師たちをまるっと捨てて母のところに行くのには正直躊躇してる。

親父は多分長くない。土建関係だから割と危険職業だし、去年は親父の同僚が職場事故にあって、腰の骨がボロボロになった

母も多分長くない。3月に仕事が忙しくて倒れたらしい。すぐに連絡をくれなかったのがちょっと寂しかった。私は家族カウントされてないのかな。

今ここで母のところに引っ越したら、親父はすぐにくたばりそうな気がしてならない。可愛くないウサギだなあ…

それに正直新しい土地で慣れることが出来ない気がする。虐められでもしたらきっと私は今度こそ立ち直れない。

なるべくここにいて、今やってるバイトお金貯めて貯金して大学に進学したいと考えている。でもお金足りないから多分無理。

…という一連の流れをかいつまんで大人に離すと大人だねぇすごいねぇと誉めてくれる。いや、誉めて欲しくてしてるんじゃないんだが…。

でもたまに友達の母親バイト先で仲のよさそうな子供連れを見てると、

卑屈な考え方だけど「なんでこいつには両親がいて私にはいないんだ?普通になるためにこれだけ努力してる私なんなの馬鹿なの死ぬの?」

ってすごい空しくなる。自分が悪いわけじゃないんだと一応事実だし認めることはできる。でも納得はできない。

一番の理想は母と暮らしつつ今の高校に通うことだが、県外だし母はもう親父の傍には死んでも嫌だと行ってるから無理である

私が引っ越すのは生活水準は超あがるだろうが上の理由からあまりしたくはない。それにまた姉に虐められるのではないか、上手く行かなかったら今度こそ父のところには戻れない、というのもある。わがままなのはわかってる。でも普通の子はそれを普通にしているのがこれまた理解に苦しむ。彼らは私と何が違うんだろう?

自分は何をしたいのかどうするべきが私にとってベストなのかわからない。制服タバコ吸ってるアーパーゆとりには両親も暖かい家もあるのに私には何故母がいないのかもわからない。

もちろん両親いない親なんてごまんといることは知っている。実際に見たこともある。しかし彼ら彼女らはまだ子供でいられたからまだ幸せなのかなと思う。そもそも幸せ幸せを比べるなんてのはケースバイケースだから無理なんだろうけど。

一応文章反芻はしてるんだけど、ボロボロ泣いてるし匿名ダイアリー書くの初めてだから何書いてるかわからないです

俺はもっと不幸だった!とかの不幸自慢じゃなくて具体的にどうするべきか意見もらえるとありがたいです

2009-07-19

弟の相談を笑っていたら死にやがったw

2年前、弟が自分マンション風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。

先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。

父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。

アル中気味の父親は家庭では尊敬されていなかった。妹や弟から馬鹿にされても父親は特にプライドがないのかいつも笑ってごまかしていた。

弟は難産だった。母親医者出産するとあなたは死ぬから子供は堕ろすようにといわれたそうだ。母親子供を産んで死ぬのは親の本望だといって無理矢理に弟を産んだ。帝王切開だった。

どちらかは死ぬはずだった母と弟はともに生き残った。

母親占い師にいわれたそうだが、弟の運命は僕を助けることだそうだ。

なので、ぼくはいつか弟は僕を助けてくれるんだろうとなんとなく昔から信じていた。

人付き合いが苦手な僕と違って、弟は社交的だった。中学時代から彼女はいたし、友達も多かった。

そんなにレベルの高い大学にはいけなかったが、楽しそうに生きていた。

僕は社会人になって27歳のときに勤めていた会社倒産してヘッドハントとかされなかったのでやむなく仲間を集めて会社をつくった。

何年かして会社もなんとか軌道にのったあたりで弟が相談をしてきた。弟は大学卒業した後、デジタルハリウッドにいってCG勉強したらしい。友達と一緒に大阪の大手ゲーム会社の下請けの仕事をしたいんだという。ただ、仕事を貰えると決まった訳じゃなくて、まず、タダで仕事をして、能力を認められたら、きちんと発注してくれるらしいので、そしたら、弟の友達は会社をつくるという。で、弟はそこで働きたいそうだ。すごいチャンスだと思うと弟は熱心に説明した。

ちょうど、その数ヶ月前のことだが、ある別の大手ゲーム会社の重役に挨拶にいったことがある。そのときにこれからなにをしたいんだと尋ねられた。僕はネットゲームシステム開発会社として日本一会社になりたいと答えた。それってようするに下請けだろ、と目の前の重役にいわれた。下請けというと、つまりゴミだ、おまえはゴミになりたいのか、と重ねて尋ねられた。もっと目標を高くもて、コンテンツ世界自分コンテンツをつくらないと一人前じゃないと説教された。

そのことがすごく頭に残っていたので、僕も弟に同じことをいった。お前が掴もうとしているのはゴミになる大チャンスだ、と責めた。しかもゴミの一番下っ端になりたいのかと問い詰めた。

結局、弟は夢をあきらめて上京した。

何年かして僕の会社の取引先のひとつに弟は就職した。僕は縁故とかはあまり弟のためによくないと思っていたので、1年間勉強して、他の会社に移れといった。

しかし、2年たっても3年たっても弟は同じ会社にいた。

すくなくとも僕の前では、弟は仕事についてはあんまり自信がなさそうに見えた。でもプライベートでは友達も多く面倒見もよかったらしい。

ある日、弟に相談をされた。鬱病の友達がいて、頼られていて、ずっと相談にのっていた。1週間以上も家に泊まったこともあったらしい。ずっと話をきいていてあげたら、元気になったといって自宅にかえっていったんだが、すぐにその夜に、また、相談にのってほしいと電話があったので、いいかげんにしてくれと思って断ったそうだ。そうしたら、結局、友達じゃなかったんだね。これまでありがとう、恨んでないから、といわれて電話を切られたそうだ。その友達はその晩に自殺した。弟は自分のせいで友達は死んだと責任を感じているようだった。

僕はこれは笑い飛ばしたほうがいいと思って、たいしたことじゃないじゃん、しょうがないといって、あまりとりあわないことにした。

弟は不満げだったが、僕はこういうのは思い詰めるのはよくない、と思った。

そんな相談されたことも忘れたある日、僕は弟が勤めている会社取締役と話をしていた。弟は結構会社では戦力として活躍しているそうだった。ただ、勘違いをする癖があって、ある時、社内で弟が、僕は一番重要な取引先の代表取締役の弟なんだから、それを生かして自分にしかできない調整をやるのが自分の使命だ、とか言い出したことがあるらしい。そのときは勘違いするな、生意気なことをいうな、と散々説教したそうだ。しばらくそんなことはいわなかったらしいが、おととい、また、飲み会のときに、ぼくがいなくなったら、みんな困りますよね、とか言い出したらしい。最近仕事ができるようになったからといって、また、生意気なことをいいはじめたと、みんなでよってたかって虐めたそうだ。一人前になったのなら、最初の予定どおりに独立するなり、別の会社転職すればいい。

おとといは遅くまでのみすぎたせいか、昨日から、弟は連絡もなしに会社を休んでいた。今日もきていないらしい。

弟は父親は嫌いだったが、母親は大好きでしょっちゅう母親とは会っていたし、頻繁に連絡をとっていた。

その夜、母親が弟といっこうに連絡がつかないことを怪しんで騒ぎはじめた。弟のマンションは僕のマンションのすぐ近くだったが、いったことがなかった。夜中だったので、どのマンションかどうしてもわからず管理人のひともいなかったので、その夜は諦めた。

ふてくされて部屋にひきこもっているんだったら、明日でも一緒だし、そうじゃなかったら、たぶん、もう…、おそい、となんとなく予感した。

翌日、会社会議にでていたら、弟の自宅にいった母親から携帯電話があった。会議中だったが、電話にでた。携帯電話からは、僕の名前を絶叫する母親の声がきこえた。

弟のマンションの部屋には鍵がかかっていなかった。見つけて欲しかったのだろう。弟の死体母親が浴室で発見した。

弟の死因は死亡診断書によると心筋梗塞だ。もともと心臓が弱かったから寿命だったに違いない。

弟とはほとんど話をしたことがなかった。僕は弟のプライベートはまったくしらない。部屋には僕の知らない弟の趣味のものがあふれていた。母親はいろいろ知っているようだった。

母親も弟から友達の自殺の話を何度も相談されていたらしい。不幸にはなりたくない、でも幸せになるのもいやだ。弟はそういっていたそうだ。

台所に楽天の箱があり、中身を見ると練炭だった。期日指定配達で、ちょうど弟が死んだ3日前に届けられていた。

調べてはいないが、一年前に死んだ友達の命日なんだろうと思う。

弟が死んだ夜は東京台風がきていて記録的な暴風雨がふきあれていた。その日の昼間には、権利者団体との和解後、暴騰をつづけていた僕の会社株価が、その月に三度目となるストップ高記録していた。

弟は服を着たまiPodだけもって浴室にはいった。窓とドアに目張りして明かりを消した浴室の中で、弟はなにを考えながら死を待っていたのか。コブクロからはじまっていた最後のプレイリストは、いったいどの曲まで聴いたところで、弟は息絶えたのか。

葬式は身内だけでやるつもりで、まわりに連絡はしなかったが、弟の勤務先にはそうもいかず、ぼくの素性をしった葬儀屋の薦める最低限の告別式は、ずいぶんと派手になった。弟は来週から出向する予定だった会社副社長通夜にも告別式にもきてくれた。嬉しかった。

弟の死で僕の家族の生活は一変した。結束は強くなったと思う。父親ははじめて酒をやめた。そのつぎの正月ゴールデンウィークにもひさびさに家族が集まって海外旅行にいった。

父親と母親は弟の死を弔うために四国八十八寺のお遍路参りをはじめた。乗り物は使わずに歩いてまわった。さすがに一度にまわるのは老人の足には無理で、2泊3日の旅をなんども繰り返した。徳島県からはじめて高知県の最後の難所の足摺岬をまわったところで、父親は何をおもったのか、帰りに高野山によった。

あとでわかったが、お遍路を全部まわったら、高野山に報告にいくものらしい。徳島高知を終わったわけだから、ちょうど半分のところで最後のゴールにいってしまったことになる。母親はせっかちな父親らしいと笑っていた。

足に疲労がたまったのだろう、東京にもどってきた母親が駅で転倒して、足首を骨折した。

母親入院したので、父親は僕が両親用に買った高層マンション最上階の部屋でひとりで生活することになった。父親は入院している母親にぐちをこぼしていたらしい。早く退院してほしい、あの家はひとりだと広すぎるんや、弟の幽霊が現れて、こわいんや。

父親はやめていた酒をまた飲み始めていた。

ある日、母親から携帯電話があって、父親が連絡つかないから家を見にいってほしいといわれた。またかと思った。

家の扉に鍵はかかっておらず、家中を探すと、父親は浴室で溺れていた。鼻まで水に浸かっていたので生きていないことはすぐにわかった。

入院中の母親車椅子のまま、家にやってきた。

父親は酔っぱらって溺れたのだろう。ちょっとだけ苦しそうな表情をしていたが、幸せそうな顔だ、と母親に告げたが、けっして遺体をみようとはしなかった。

きっと弟の死を発見したときの光景が目に焼き付いていて、そんな思い出を増やしたくないのだろう。僕も父親の死体を見つけたときの記憶はあまりにも強烈で、きっと死ぬまで忘れることはできないと思う。

父親が死んだのを発見した翌日には、JCBホール会社の大きな発表会があった。父親の葬儀はその翌日になったので、やることもそんなにはなかったから発表会の現場には行った。葬儀屋一年前と同じで、僕も葬儀屋も慣れていた。

葬儀が終わってから、僕はいつものさぼり癖が出てきて、会社へはほとんどいかなくなり、ずっと母親と一緒に暮らした。

なんのために会社をつくってがんばってきたんだろうと僕は思う。

会社をつくるときの資本金は親が出した。僕は貯金は1円もなかったからだ。後で聴くと、それは妹の結婚資金だった。米国親会社倒産したときには、倒産した親会社の持ち分を減らして独立した日本会社にするために増資をした。僕が買い増した株の代金は、父親の退職金だった。父親は某大手スーパー子会社で経理をやっていて、定年まであと2年あったが、父親の退職金が必要だったので辞めてもらった。僕の会社には経理の経験者もいなかったので経理もやってほしかったというのもある。

父親が30年以上勤務して、最後に得た退職金は、僕の会社の3ヶ月分の運転資金となって消えた。

僕の人生の中で後悔している最悪の決断会社をつくったことだ。僕は人生最大のギャンブル家族と両親の人生そのものに等しいお金を賭けて勝負した。本当は賭けていいようなお金ではなかった。本当はやっていけないギャンブルだった。

結局のところ、僕の会社は数年後に上場を果たしたから、賭けには勝ったことになるのだろう。だからといって卑怯なギャンブルの罪が消えるわけではない。起業した時に、結果的に成功するまでの道筋は、僕にはまったく読めていなかった。

会社をつくってまもなく僕は自分の判断の間違いに気づいた。生まれてこのかた好きなことしかやらず、努力なんてしなかった僕は、なにかを成し遂げるためではなく、会社をつぶさないためだけに睡眠時間も削って働いた。

自分ひとりのことだったら、どこかで投げ出して逃げていたと思う。でも、僕が失敗したあとの両親の悲惨な老後を考えるとできなかった。会社をつくったときに万が一失敗したときにだれにも迷惑がかからないように相棒と一緒に生命保険を掛けた。最初、1億円で翌年は2億円に増やした。日本では会社が大きくなればなるほど、借金リスクも増えていく仕組みになっている。勝負に勝っても、そのままダブルアップで賭けつづけることを強制されているギャンブルのようなものだ。2億円あっても全然、会社を整理するには全然足らない規模に成長したため、上場できるか、できなければ、いずれ一家で破滅するか、そういうゲームになった。

上場の準備を進める中で、父親は仕事を外された。創業者の近親者が経理をやっているのはまずいと証券会社に指摘されたからだ。定年間際まで勤めた会社を辞めて息子の会社を手伝い資金まで提供した父親は息子の会社で居場所を失った。父親が勤めていた某大手スーパーは、いくつかの同族企業合併してできた企業派閥争いが絶えなかった。どこの派閥にも属さない父親はずいぶんと嫌な思いをたくさんしてきたようだ。ずっと傍流で冷や飯ぐらいだったサラリーマン人生の最後で、父親はやっと息子の会社で念願だったろう主流派の一員に加わることができた。それも長くはつづかなかったわけだ。

後ろ盾のいないサラリーマン人生で父親はきっと言い訳ばっかりさせられていたのだと思う。父親の話には論理的に一貫しておらず何を説明しているのか要領を得ないところがあった。能力的にもいまの会社にはふさわしくないと僕は判断し、父親を切ることに同意した。

父親はよっぽど仕事をしたかったのだと思う。やるべき仕事がなくなっても、一所懸命自分データを集めてつくった会社資金繰り表や損益計算書を僕のところにもってきては、会社問題点を指摘しようとした。

僕は、もうそんなことはしなくていいと、父親がつくった資料もろくろく見ないで突き返した。

1年、2年たつと諦めて、会社にもあまりこなくなった。暇をつくるのが怖いのかのように隙間無くカレンダー母親との旅行の予定で埋めた。

会社にあまりこなくなってからも母親には仕事への未練を話していたらしい。息子のために自分会社に必要だから、また仕事をしようと思うと定期的に言い出す父親を、そのたびに母親は、もうやめなさい、と諫めていたそうだ。

お金の心配はせんでようなったけど、あんま幸せにはなれんなあと、ことあるごとに父親は愚痴をこぼしていたらしい。

弟と父が死んで、母親と暮らすようになって、そういう話を何度も僕はきいた。

僕は両親の人生を担保にしてゲームをして、そして勝った。勝利の証しとして得た報酬はそういう現実だったらしい。

何のために生きているのか、何のために頑張って仕事をしているのか、自分自身のことだけでいえば、死ぬまでのたんなる暇つぶしだ。別になにか世の中を変えようとか、大きなことをしたいという使命感なんてない。ただ、僕のまわりにいる好きなひとたちが、僕を必要としてくれているから、自分ができる芸を精一杯見せているにすぎない。

僕の望みは、まわりにいるひとたちの幸せのなかで生きたいということだけだ。

でも、僕の一番の身内のふたりは死んだ。あまり幸福にはできないまま死んでしまった。

僕には他人を観察してすぐに値踏みしたがる癖がある。子供の頃から父親や弟と自分がどっちが優れているかを何度も値踏みした。最終的には大差ないという結論をだした。僕もだらしない父親が嫌いだったが、同じ部分は僕にもあり、父親と同じ人生を生きていたらやはり同じようになっただろう。弟も同じで頭の回転も似たようなもんだった。弟も「自分と兄は得意なものが違う。勉強は兄よりもできないがプライベートでは自分のほうが上だ」と高校の時ぐらいからいっていた。僕もそのとおりだと思う。そもそも人間なんて環境がつくるものだ。本来の素質に意味ある優劣なんてさほどない。

でも、現実世界では、僕は弟の相談は上から目線で笑い飛ばし、父親の仕事は奪った。

弟のことはあまりにも知らなすぎた。何を考えて、何が好きだったのか、何をしたかったのか。

本当に死ぬしかなかったのか。たとえ時計の針をもどせても、なにをすればよかったのかまったく想像はつかない。

人付き合いは弟のほうがよっぽどうまかった。死を選んだ人間が最後の相談相手として選んだほど弟は信頼されていた。過去にもどれたとしても僕が弟に与えてやれるとしたら、仕事アドバイスお金だけだ。弟はブランド品が好きだったし、きっと僕なんかよりも贅沢なお金の使い方はしっていただろう。人間ダメになると母親は僕が弟や妹にお金を渡すことは許さなかったが、金まみれにしてダメ人間になっても生きていてくれるのならそのほうがよかった。そんな貧しい後悔しか僕には思いつかない。

母親は命をかけて弟を産んだ。占い師は、将来、兄を助けるのが弟の運命だと予言した。弟の存在は僕にとってなんだったのか。補佐してくれるんじゃなかったのか。

弟が死によって、僕を助けるのであったとしたら、そして、僕の仕事が世の中にとって意味があるものだとしたら、きっと僕は弟の死に触発されてなにかをしないといけないのだろうと思う。

父や弟には幸せな居場所を与えることはできなかったが、僕の仕事でたとえ赤の他人であっても、よりどころになる居場所をつくることができるなら、多少は心が救われる。

弟が死んだとき、親戚は、このことはあまり話さない方がいいと助言してくれた。話すべきことじゃないといわれた。

でも、たんなる感傷にすぎないのかもしれないが、僕のことをしっていてくれたり、僕の仕事を評価してくれているひとには父と弟のことを話したいと思った。そうして、このエントリをいま書いている。

死なんてものは世の中にありふれている。僕にとって特別なふたつの死も他人には関係のないはなしだ。

父と弟の話を書いても、ネットの中に埋もれて、僕のまわりのひとすら見つけられないのはさみしい。そう思って2ヶ月ほど前にブログをはじめた。僕に少しでも関心をもってもらえそうな話なんて、あたりまえだが仕事しかない。そもそも仕事の話以外に自分にはとりえもなければ、価値もない。弟のいうとうりだ。父親の納骨で区切りをつけてこのエントリをあげるつもりだったが、ブログに予定外の反響があったことや、僕自身のためらいもあって、それから1ヶ月以上たってしまった。

結局、いろいろ手垢のついてしまったブログに書くのも違うと思って増田にしました。

僕の仕事に興味があってブログを見に来ていたみなさん、最後にこんな文章を読ませてしまってすみません。でも、これが僕が聞いてもらいたかった話です。

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました

2009-06-29

漢族がウィグル族の雇用で劣情を破裂

広東で民族対立のはて、流血の暴動が発生した

広東省民族対立による大規模な暴動が発生、死傷者数百名をだした。

この事件は広東省東部の昭関市で09年6月25日に発生した。香港資本の「旭日電子玩具工場」で漢族従業員ウイグル従業員が対立、武器を用いての大乱闘となり、流血の暴動に発展した。二名が死亡、百十八名が負傷、このうち十六名重症という。

香港資本は労賃を安く上げるため仕事さぼり文句が多いだけの漢族雇用を忌避する傾向があり、五月にウイグル人を大量採用したばかりだった。ウィグル族は漢族に比べると従順賃金も安く済むため、経営者が集団で雇用を招致するからだ。

このため漢族vsウィグル族のささくれだった対立が激化、寮内では万引き、強盗、強姦事件が続出していたという。漢族は「あいつらが来てからおかしくなった。ウィグル族は第二の日本鬼子だ」とすべてを少数民族田舎物の所為にした。

博訊新聞網(6月28日付け)に拠れば、地元警察四百が直ちに現場に出動、パトカー救急車の出動は48両におよび、六カ所の医院が緊急患者を受け入れた。このために152名の医者看護師が動員されたという。

少数民族の暴動を重視した党中央は直ちに連絡部会を開き対策を協議、周永康、孟建柱という二人の中央政治常務委員が出席した。

トップの政治局員が直々の指示は、いかに党中央が、この問題を切実に受け止めたかを物語るだろう。周も孟も公安検察規律警察を束ねる中国KGBの元締めだからだ。

また広東省委員会書記の王洋は事件発生翌日に、はやくも省内関係部署に指示をだした。

死亡した犠牲者の遺族に補償問題を提示し、また義援金をあつめよ、公安警察は事件の真相究明を徹底し、早急に責任者逮捕し、適切な処理を行うと共に香港企業に対しては新彊ウィグル自治区から大量の雇用をするのは好ましくない旨を警告した。

民族間のバランスを計ると共に、今後の治安回復のためにも新彊ウィグル自治区からきている女行員の安全を確保し、一刻も早い社会の安定を回復せよと訓令した(博訊新聞網、6月27日)。

漢族のウィグル差別がこのようなかたちで露呈したケースとなった。

2009-06-26

空しさの理由とその対処

久しぶりに今日は穏やかな日でした。

あれ以来ずっと突然やってくる空しさについて考えていました。

そのせいで、研究成果の報告が2ヶ月遅れ、初めて上司に進捗を報告することを経験しました。

上司には、ありのままに報告しました。

上司は黙って私の話を聞いて、こんなことを言いました。

空しいのは心ではなく、体だと思うよ。

君は働きすぎなのだと思う。好きなことを仕事にしたからといって、ずっと働いているのだろう?

脳は体なんだよ、心ではなく。考えることをやめることを覚えたほうが良いと思う。


私は彼に尋ねました。考える事をやめるにはどうするといいのでしょうか、と。

彼の暫く考えて、仕事以外の好きなことをすればよいと思うよ、と言いました。

さらに、取り敢えず1週間ほど休んでみてはどうだろうと言われ、今週は休暇を取りました。


今週の日曜日、皆さんのアドバイスにあった様に、私の空しさを彼女に話してみました。

私の話を聞いたあと、彼女は私に何かして欲しいことはあるか、と聞きました。

私は多分無いのだと思う、と答えました。彼女は頷いて、今週ずっとこの部屋にいて良いか、と聞きました。

私は良いともダメとも言えず、考えていました。

彼女は着替えを取りに一度帰るわ、と言いこの部屋にいることに決めていました。

それから車で彼女の部屋に行ったのですが、そのときにふと思いついたのです。

私が彼女の部屋に居ても良いではないか、と。どうせ何もしないのですから、何もいらないのです。

着替えは買いに行けばよい。

それから、私は彼女の部屋に居ました。彼女仕事に行き、帰りに買い物をしてきて、食事を作ってくれました。

私は彼女を送り出すと部屋の掃除をし、洗濯をし、時々食事を作りました。

彼女に聞いたことを、実験の手順書のようにメモし、正確に再現すると、彼女の作る料理の味がします。

当たり前なのですが、新鮮な経験でした。

何もすることがないから、なおさら考えないでいることは難しい。

私は上司の言ったことを考えていました。

私の好きなこと。仕事以外の、研究以外の私の好きなこと。

記憶にある限り遡って、自分が好きだったことを考えていました。或いは身の回りに起きた出来事を。


そして、今日になって思い出したのです。

小学校6年生の時のこと。

一番仲の良かった友達と、自転車に乗って遊びに行く途中に起きたこと。

後ろから走ってきた車が私たちを追い越した時、友達と友達の自転車が一瞬飛び跳ねてガードレールにぶつかり、

がしゃんという音と共に地面に落ちた時のこと。

 

友達は気を失っていました。

血が出ているところもなく、ぱっと見た限りではいつもと同じ、ただ目を閉じて、眠ってしまったようでした。

いや、目を閉じていたのがその瞬間なのか、救急車で運ばれた先の病院ベットでのことなのか、良く思い出せない。

彼はベットで寝ていました。そして2度と目覚めないまま、死んでしまいました。

私は泣かなかったと思います。今思うと、どうしていいのか分からなかったのだと思います。

彼のお通夜お葬式に出て、火葬場に行き、お墓まで行きました。それでも、その時は意味が分からなかった。

私は死が怖いとは思っていなかった。ただ、悲しいとも言えなかった。話が突然終わってしまった。

彼と自転車で並んで走りながら、確かザリガニ釣りの話しをしていた。ポケットにはスルメとタコ糸が入っていた。

池のどこで釣ろうかと話していた。以前に吊り上げたザリガニの大きさの話しをしていた。


その時から、私は時を止めていたのだと思います。

いや、止められていたのでしょうか。閉じ込められていたのでしょうか。

私自身が私を閉じ込めたのでしょうか。


今日、私は彼のお墓に言ってきました。彼のことを忘れていたことを謝りました。

私は泣かなかった。でも、思い出しました。いいえ、今だから理解できるようになりました。

あの時の私はどうしようもなく悲しく、寂しく、辛く、孤独だった、と。

並んで走っていたときに車道側にいたのが私だったら、彼は生きていたのかもしれない。

死んだのは私かもしれない。

流れる血も無く、悲鳴も無く、一瞬で彼は死んでしまった。

私もまた一瞬で死んだであろう。


私は自分の部屋に戻ってきました。

そしてパソコンを立ち上げました。以前書いたことを思い出し、今その続きを書いているのです。

あの時、ここに書き込んでよかった。あの衝動意味があった。そう思えました。


彼の死ぬ前、自分の好きだったこと。したかったこと。

絵を描くことが好きでした。絵を見るのも好きでした。先生に見せてもらったパウル・クレーの魚の絵が好きでした。

水彩絵の具を透明に、重ねて塗るのが好きでした。

いつか遠くまで旅に行こう、でかいザリガニ釣りにいこうと話していました。そこはたかだか隣の町のことでしたが。


結局、私は考えることをやめないままに、茫漠たる空しさのわけを知りました。

私の中の小さな子どもを見つけました。泣けなかった不器用な昔の自分を見つけました。

大好きだった友達を思い出して、やっとちゃんとお別れを言うことが出来ました。


明日、図書館に行って、パウル・クレーの画集を探そうと思います。あの魚の絵もあるでしょう。

青い海のなかの緑色の魚の絵。

今週末、友達と行くはずだった隣町の池にも行ってみます。

彼女を連れて、スルメとタコ糸を持って。

池がまだあるのかどうかわかりませんが。そこは本当は立ち入り禁止の農業用の溜池だったと思います。

グーグルアースで確かめたりせず、記憶を頼りに行って見ます。

水彩絵の具と画用紙も買いにいこうと思います。

何が描きたいのか分かりませんが、きっと何か描けるでしょう。

静かな夜です。雨も止みました。

梅雨時は嫌いではありません。雨の中を傘を差して歩くのが好きです。

傘を叩く雨粒の音と、水溜りに広がる無数の波紋。

出来れば雨合羽を着て、傘を差さずに歩きたい。

日本ではそういう人は見ないですね。

ボストンでは大人でもそういう人を良く見かけましたが、何故なのでしょう。

合羽を買って雨の中を歩くのもいいかもしれない。

彼女に話したら、なんと言うでしょうか。

きっと、頷いてくれると思いますが、どうでしょう

ああ、合羽の話より先に、思い出した友達のことを伝えなければいけないですね。

彼女に話すことを考えていたら、泣きそうになって来ました。

私は悲しいんです。とてつもなく悲しい。彼にもう一度会いたい。彼と夢の続きを語り合いたい。

彼女はきっと黙って聞いてくれるでしょう、いつものように。

私も、何も言って欲しくないのです。ただそばにいてくれるのならそれでいいのです。

来週からはきっといつものように仕事が出来るでしょう。

溜まったデータの解析をし、次の実験を考える。いつもの毎日に戻ります。


なんだかとても長い文になってしまいました。

お付き合い頂き、ありがとうございました。

おやすみなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20090523021832

2009-06-18

mixiからのコピペ

mixiコミュニティにおいてうまい例えがあったので紹介します。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42813070&comm_id=111198

人を救うために具体策と財源の確保が必要なのであって、感情論では何も救えません。

死に掛けた人を前にして、麻生首相なら肩に携帯挟んで救急車を呼びながら心臓マッサージしてくれそうですが、鳩山代表なら傍らで滂沱の涙を流しながら「誰か助けてやってよ!」と天を仰いで叫んでくれそうな気がします…。

2009-06-16

イく時の表情について

エロ漫画ネタです。はい。

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エロ漫画で最も大切なのは顔だと思う。体つきがおかしくても、顔さえ良ければ何とかなる。

で、その顔の中でも「エロい表情」は重要だ。

あんまし興味が無い人は「エロい表情など誰が描いても一緒」と思うかも知れないが、アレアレで種類があり、いろんな人によって分類別されている。

例えば一番大きな系統として、

(1)気持ち良さそう

(2)苦しそう、痛そう

大分される。(2)については次節で説明。

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よく少年漫画で、拷問を受ける少女エロい、なんていう話を聞く。

痛みを堪える様が、快感を堪える様と表裏一体なのだ。

例えば逆に、エロ漫画少女を顔だけ抜き出して「痛みを堪えてるところ」と説明書きを入れる。すると、確かにそれは痛みを堪えているシーンに見える。

最近エロ漫画はこの精神技術(女性が痛がってるシーンを書くかのようにエロシーンを書く)が流行気味。

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さて、何でそんな技術流行しだしたのだろうか。

流行り廃り」と言ってしまえばそれまでだ。

しかし、この現象には根本的な原因がある。

「感じてる女性の表情というのは非常に難しい」

という事だ。

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試しに、「笑ってる顔」「怒ってる顔」を書いた後「感じてる顔」を描いてみるといい。

まず、エロ漫画を描こうと研究している人間でもないと「感じてる顔」は書けない。

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書けないとなると、人は攻略法を見つけたがるものだ。

他人の絵を模写して特徴を掴む。

とにかく沢山描いて、偶然攻略法が見つかるのを頼る人もいる。

研究すれば、先ほどの「痛みを耐えている表情」が「エロ顔」と一致する、という法則を見つけるのは時間の問題だ。

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俺はエロ漫画では「苦しそう、痛そう」系統のアクメ顔が嫌いなのだ。

これは単に、好き嫌いの問題。

白目剥いた顔に欲情するってのはどうも無理。顔面本気で殴るレイプに興奮しないし。

実際に抱いてる女が白目剥いたら、絶対に嫌だろ。救急車呼ぶかも知れないだろ。

俺はこの流行に全然納得が出来ない。

---

それを前提に、これを見て欲しい(ひょっとしたら要pixivIDかも)。

http://www.pixiv.net/response.php?illust_id=3336127

ネット絵師達が書く、エロ表情だ。

このうち、アクメ顔に注目すると、ほとんどが白目向き、あるいは痛み堪えを変換、に見える。

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で、何がいいたいかと言うと、痛い系エロ表情っていう流行が廃れないかなーという事です。

これを読んだ後、エロ漫画を見てみるといい。

すると、感じてる顔が「痛がってる顔」に見えてくるはずだ。100人が100人そうじゃないとしても、50人ぐらいは見えるだろう。多分。きっと。

そうすりゃ、痛がってる系の顔が廃れていくだろう。と勝手希望的観測を持った。

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という事で、君は見事に騙されたわけだ。はっはっは。

2009-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20090614204157

これで思ったんだけど、

実際に飛行機のなかでそんな事態になったらどうしてるんだ。

少なくとも日本から海外へ、海外から日本への飛行機ってたくさんあるよね。

こんな事態も結構あると思うんだけど、

あんまニュースにならんのはなんでだ。

そんなことは滅多に起こりません。

ってことでいいのか。

何が言いたいかというと、

もし自分飛行機に乗っていて、救急車が必要な事態になったとき、

その飛行機クルーは何をしてくれるのかってこと。

緊急着陸とかしてくれるんだろうか。

2009-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20090612222933

検査薬陽性なのに出血があるって。。

着床出血とか初期流産子宮妊娠ググレカス

下手すると救急車呼ぶことになるぞ。

2009-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20090531163925

つらくて仕事にならないんだったら休んでもいいんじゃない?

自分は薬飲めば治る程度だから生理で休んだことはないけど、救急車病院に担ぎ込まれるほどひどい人もいるし、その辺は人それぞれだから自分で判断するしかないよね。

2009-05-29

その見知らぬ女は家の前に倒れていた。

その見知らぬ女は家の前に倒れていた。救急車を呼ぼうと慌てる僕を遮って女は言った。

「お願いします…誰も呼ばないで…少し…休ませて…」

躊躇したが、こんなやせ細った悲しい目をした女が物騒な事を起こす訳がないと考え、僕は女を部屋へ入れた。

とたんに女は安堵したのかすやすやと寝息をたて始めた。僕のベッドで。

少しやつれてはいるものの、怪我も熱もないようだ。何か事情があるのだろう。一晩くらいはゆっくり休ませてやろう。

翌日、僕は生まれて初めてお粥を作った。彼女は一口それを口にした。

さらに翌日は二口、その翌日はお茶碗一杯分を平らげて僕を喜ばせてくれた。

しばらくすると、やせていた頬がふっくらと赤み帯び、微笑むと「えくぼ」が出ることもわかった。

僕たちは互いに微笑み、求めあい、愛しあった。

しかし彼女は頑なに自分の事を語ろうとはしなかった。名前だけでも教えて欲しいという僕の願いすら叶えられない。

何故なら彼女名前すら知られても消えなければならいという。

好きな名前で呼んでもいいと言うが犬じゃあるまいし、適当名前は呼べず、新しく名前を付けてあげたとして、もしそれが彼女本名ならば彼女は消えてしまうというジレンマで僕は気が狂いそうな不安のまま彼女を強く抱きしめた。

僕は今の彼女を愛している。過去や肩書など気にしない。

名前さえ、知られたくなければ知らないでいよう。それで彼女が笑うなら。









晴れた日曜日、海に行こうか それともハイキングにいこうか。

意見が分かれた僕達はじゃんけんをした。

本当は僕がじゃんけんに勝ったって彼女の行きたい海へ連れてってあげる。

わざと山へ行くふりをして海へ抜けるあの美しい山道を行くんだ。

いきなり海岸線が現れるあの道は彼女感動させてくれるだろうか。

そして、夕暮れの海辺彼女は僕のプロポーズを受けてくれるだろうか。

そんな心配をしながらするじゃんけんは上の空。

しかしそれが彼女との永遠の別れになるとは、この時想像だにしていなかった。

じゃんけんポン!あいこでしょ

彼女は次の瞬間消えて行った。

2009-05-27

うまい棒には気をつけろ

塾の帰り道、俺は日も暮れて真っ暗な中を歩いてた。

家のある通りに差し掛かった時、前から自転車が来た。

何か片手でいじりながら立ちこぎしてて、フラフラしてんなー…と思った瞬間。

街路灯に照らされた後輪がパーン!と光りながら跳ね上がった。

え?何?逆ウィリー?と面喰ってたら、自転車横転。

ガッシャーン、と前カゴから荷物散乱。

子供心に「どんくさいなぁ、このオッサン」と笑いながらも、

それでも、困ってる人は助けるのが当たり前、という良い時代。

とりあえず、散乱した荷物をかき集め、「大丈夫ですか?」と駆け寄った。

…オッサンは痙攣してた。

固まる俺の目の前でどす黒い液体がじわーっとアスファルトに広がっていく。

やべぇぇぇぇ!!!と思っていたら、近所のおっちゃんが通りがかった。

大急ぎで、自転車ですっ転んだらこんな事に!と訴え、二人で自転車のオッサンを見る。

ガクッガクッと、なんかもうゾンビ映画みたいに痙攣してる。

どうやら、前輪に片足をおもきり突っ込んで、転倒したらしい。

見事に足がはまっている。すごい変な形に曲がってる。

近所のおっちゃんは救急車を呼び、ペンチで前輪の金具を切って足を開放した。

それから…なぜか家に引っ込んでしまった。

痙攣は治まったが、血だらけのオッサンと、自転車と、道路のど真中に取り残された俺。

街路灯があるとはいえ、車が来たらヤバイ。

俺はその場で自転車のオッサンの番をしていた。

地面に広がったシミは、真っ黒で、血と言うよりコールタールみたいだった。

かき集めた荷物を見たら、参考書。オッサンと思ってたら、大学生浪人生だったらしい。

そして、自転車の向こう側に、小さな物体が落ちているのに気がついた。

うまい棒

どうやら、うまい棒食いながら自転車を漕いでいたら勢いあまって前輪に片足を突っ込んで頭ざっくり切った…という事らしい。

ああ、これで死んじまったら、どうすんだろう。

車が通らないか注意しながらそう思いを巡らせていたその時だった。

いきなり、ムックリ自転車の兄さんが起き上った。

あまりにも突然だった。

「あー…」

兄さんは肩をゴキゴキさせ、一歩進んでガクっとつんのめった。足は変な方向を向いたままだった。

「あれー…?あー…」

血だらけの兄さんは、自転車を起こした。前輪は曲がり、おっちゃんが切った金具が変な音をたてた。

もう、ゾンビ映画そのままに、血だらけの兄さんはガックンガックンしながら、自転車を押して歩きだした。

そこでようやく俺は我に返った。

「!?ちょ、今、今救急車来るから!待って!待って!」

兄さんが血だらけの顔で俺を見た。

「…あー…だいじょーぶ…だから、はい」

ダメだって!血、出てるから、ダメだって!足だって、変だろ!?」

「…ああ…だいじょーぶ…」

全然大丈夫じゃねえから!!!」

血だらけゾンビ兄ちゃんと、俺の攻防は救急車がたどり着くまで延々続いた。

今でもうまい棒見るたび、ふっと思い出す。

2009-05-10

「片親」というコンプレックス

自分は片親で、今住んでる実家には俺含め5人の家族が居る。

別に片親だという事で不自由を感じたことはない。

むしろ人と違うということで、何か優越感のようなものを感じていた。

小学校の頃なんか、母親がいないことで、暗黙的に、母親の話をするのを周りが避けていたくらいだ。はは、なんていう親切。

まぁその親切に「甘えちゃった」おかげで、なんか自分にものすごく甘いというかナルシストというか、そんな今の性格になってしまった訳だけども。

で、そんな親切を中学に上がった頃から疑い始めて、中学高校とその事には触れずに過ごした。

で、大学生となった今、母親の事を無性に誰かに話したくなってきた。

今の母親にその事を話すと、そういう感情はしょうがない、と認めてくれた。

片親の子供なんてごまんといると。うんうん、そうだ。

実際自分の知人に幼少の頃から片親の人なんていくらでもいるよ、と。そうだろうねー。

いや分かってるんだけどさ、無性に話したいんだよね、自分母親について。

っていっても、自分母親についてほとんど知らないんだけど。

自分が覚えてる母親関連の事柄と言ったら、

俺が当時やってたカクレンジャー(今Wikipediaみたら微妙に年代が合わない・・・なんでだ)とかいう戦隊ものの真似をして、

風呂場にジャンピングキックして頭を打ってから、一瞬意識を取り戻した時に母親の腕の中で救急車に運ばれてたことだとか。

あと父親が葬式の日に、ジュース自販機の前で俺と2人の時に泣いてたとか、

母親が死んだ当時俺3才にならない位だけど、本当に覚えてるんだよ。

もしその光景自分が作り出したものだとしても、俺の中で本物だって事は変わらない。

で、こういうことを親だけでなく、友達にも話したい。

実は小学生の頃からの友達の他に、一人だけ自分が片親だということを話した友達がいる。

そいつはさっぱりした性格で、俺が片親だということを打ち明けると、

間もなく、自分を安心させるような笑みを浮かべたまま、一言二言何か言っただけだった。

正直もっと憐みの言葉はないのかと期待した自分に、とても心が重くなった。

そういうことを言うと、周りは気を遣って自分をフォローしてくれるもんだと。

そういう風に他人を捉えていた自分がとても嫌になった。

でもそいつとは、最近疎遠になって、まったく会話をしていない。

第一会うことがない。

まぁこの時期だから、サークルの友達を作ったりしてるんだろう。

自分も一応友達、というかアドレス教えてもらって何回かやりとりした人はいるが、あまり話すことがない。

今度一緒に大学に行こうかとも考えてはいるけど、その人がどこに住んでいるのかも知らない。

で、手っ取り早くこの想いを打ち明ける、というより解き放ちたいがために増田に書いてみようと思ったわけだ。

できればこんな自分にどんな感情を持ったか、正直に感想書いてくれればうれしいかもしれない。

2009-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20090508230045

俺はそんなのものっすごい馬鹿だと思うし、「人権」がアホっぽくなって困るなあーと強く思うけどね。

いい加減終わらせたいから少しゆるい表現で書くけどね。

そういう遠慮は日本人はほっといても十分すぎるほどする民族だと思うんだ。

救急車弁護士が追いかける、とたとえられるアメリカをもうちょっと見習うべきだと思うんだよ。

理由もないのに生活保護断られて泣き寝入りしちゃう市民が多い国なんだ。

とりあえず法と権利に訴えてみる、という精神を取り入れるべきだと思う。

2009-05-06

ここがタイヘンだよ田舎暮らし(主観

http://d.hatena.ne.jp/Hash/20090504/1241449893

このGWホッテントリ入りしてた、田舎VS都会の話。

新しくて刺激的なものが好きな若いヤツは一度東京に出てみろよ、楽しいぞー!っていう記事。

そこで、田舎どころか超過疎地育ちの自分GW帰省して故郷田舎で思ったことを書いてみる。主に残念な情報


1.会話の話題=噂話+病気自慢+最近亡くなった人情報(死因と発見時の状況説明付き)

近所の人の茶飲み話での話題が、ほぼこれ。自分実家も祖父と祖母がずーっとこの話題で盛り上がるので、ほかの家族は終始無言。昔は、もっと明るい話題に切り替えようと祖父母以外の家族努力したこともあったが、無駄だった。今では、彼らがボケるか死ぬまで我慢するしかないんだとあきらめてる。

今回も「ちょっとしたことでも、何か明るいニュースとかあるんじゃない?」と祖母に尋ねてみたが、「そんなもん、ない!!」と即答された。みんなで焼肉食べてるときに町で起きた焼身自殺について朗々と語りだしたときはマジで困った。もうやだこんなばあちゃん。


2.自治会でだれか亡くなったときは、自治会メンバー全員が仕事を休んで葬式の手伝いをする

もちろん忌引きなんて使えず、有給休暇を使うことになる。2、3日間仕事を休まなくてはならない。葬儀業者を入れて斎場で葬儀をすることは珍しく、たいてい故人の自宅で葬儀となるため、自治会の人たちが手伝いをする。男性は土葬用の穴掘り(最近は火葬も多いけど)や会場設営をして、女性は遺族や手伝いの男性達のために食事の支度をする。葬儀が完全に終わるまでは遺族は「ケガレている」とされて台所に入れてもらえなくなったり。


3.近所に救急車が来たような音がしたら、その救急車がどこの家に行ったのか近所みんなで情報共有する必要がある

「XXさんからはお見舞いが来たのに、YYさんからはお見舞いがなかった・・・。」みたいな人間関係のこじれを防ぐために必要、らしい。

同じような理由で、地方紙やケーブルTVニュースでは、「お悔やみ」のコーナーがあって近日中の葬儀情報が提供されている。



なんか書いてたら陰惨とした気分になったから、こんなところで止めとく。




・・・今?しがらみがなくて他人に無関心な東京で楽しく暮らしてるよー!

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090505061932

もし例のインフルエンザの疑いがあると思うなら自宅から病院電話電話での問診でインフルエンザかもしれないと言われたら自宅に薬を届けてもらって自宅から出ずに療養、万一重症化した時には病院救急車で搬送してもらう…ってのがたぶん感染拡大を防ぎつつ治療する最善策だね。

2009-04-20

北欧スウェーデン差別

私は大学生だった頃、今をときめく某テ ―マパ―クで着ぐるみバイトを3年間続けました。このキャリア(?)が絶大な効力を発揮して、スウェーデンの某遊園地着ぐるみ仕事を即ゲットしました。日本と違い、着ぐるみという職種が皆無なので経験者だった私はとても重宝がられ、後継者の育成まで頼まれるなど楽しい経験でしたけど、1 ヶ月で挫折してしまいました。こんな事件が起こったのです。

子供の多くは着ぐるみを見ると近寄ってきて着ぐるみをポカポカ殴ります。大抵の場合、それは『かまって欲しい』という意志表示なので、殴っている子供を抱きしめたりナデナデすると、子供は大喜びで抱きしめ返してきます。それでも殴り続ける子供は無視するのが一番。(相手にすると子供エスカレ―トする)しかしごく稀にいつまでも殴り続け他のゲストに迷惑を掛ける子供もいます。そんな時は、保護者と思われる大人を見つけ、素早くその大人の後ろに逃げ込み“助けて~”というジェスチャ―を示します。大人は自分子供着ぐるみを殴る様子を見て“ほほえましい”とでも思っているのか(、、、ったく、、)ニコニコ子供暴力をふるう姿を眺めていますが、着ぐるみヘルプを求めてくると“ハッ”と我に返り、『いけません、着ぐるみさんがイタイって言っているよ!』と制止に入ってくれます。ここまでして殴り続ける子供は、、、 まあ、たまにいるけど(とほほ)、大抵静かになります。スウェ― デンでも御多分に洩れず、随分と子供には殴られ石を投げられ、毎日仕事があがった後のシャワ―室でアザだらけの私は有名でした。それでも子供は無邪気で悪意がないので、私は気を悪くした事は一度もなく、楽しい毎日でした。

そんなある日の事です。着ぐるみに入った私は3 メ―トル程の高台に登ってゲストにグリ―ティングをしていました。すると13 歳前後子供6 ~7 人のグル―プと引率者らしき大人2 人(男1 人女1 人)が私をとり囲みました。子供の一人が後ろから私をハガイジメにし、残りの子供は次々と私にケリを入れ始めました。大人2 人は大笑いでその様子を眺めていました。しかし子供は手加減なくケリ続けるので、思わず『うっ!』と苦痛のうめき声をあげてしまいました。着ぐるみにとって声を上げるのはタブ―なのです。『こりゃヘルプを求めなきゃ、ボコボコにされちゃう、、。』と思った私は、すかさず引率者の男の後ろに逃げこみました。ところが、この男、私の着ぐるみヘッド(着ぐるみの頭)をぐいと引っぱり上げ、『見てみろよ、この着ぐるみ中国人が入っているぜ!シンションシャン!!中国人が俺達を騙そうとして動物(着ぐるみ)に成りすましているぜ!シンション、何か言ってみろよ中国人!!』子供達はわーっと歓声を上げ、益々ケリが激しくなります。『この中国人動物のフリしたって中国人中国人なんだからね!消えなさい、黄色ヤロ―!この馬鹿中国人!!』ひとりの女の子がそう叫んで私を思いきり3 メ―トルの高台から突き落としました。ヘッドをかぶっていると視界が悪く何が起こったのか分からないまま、私はあっという間に地上に転がり落ちてしまいました。目を開けると子供が狂ったように大喜びしながらこっちへ向かって走ってくるのが見えました。『殺される、、。』私は逃げようと立ちあがろうとしましたが、腰とひざを強く打ったようで、痛くて動けません。さっきの女の子が私に追いつきまたケリを入れ始めます。引率の女の人はあまりにも笑いすぎて涙を流し、懸命にそれを拭っていました。私は這いずりながら従業員室へ逃げ、女の子は『黄色ヤロ―、馬鹿中国人!』と私のお尻を蹴り続けます。

ボコボコにされた私はなんとか従業員室まで戻って来れました。外では『戻って来い、卑怯な馬鹿中国人!』という笑い声が響きます。その場にいたアルバイト従業員高校生が驚いて部長に連絡を取り、即救急車を呼んでくれました。私はショック状態で何が起きたのかよくわからず、呆然としているうちに担架に乗せられ救急病院に運び込まれました。救急外来なのに6時間半も待たされました。その間に、血だらけのイタリア観光客が私の隣にかつぎ込まれ、苦痛に声を震わせていました。警察通訳を連れて事情聴取を始め、耳をすませばこんな話でした、、、 “観光ストックホルムに来た。旧市街を歩いていると、3人のスキンヘッドに囲まれ、ワケのわからない事を言われナイフで刺された。”

そこで私は堰を切ったように泣けて泣けてしょうがありませんでした。トロい私はやっとその時、自分の身に何が起こったのか把握できたのです。子供も大人も、ケリを入れられ高台から付き落とされる中国人の姿(ホントは日本人だけど、スウェ ―デン人にとってどっちも同じ)は、涙を流すほど滑稽でおもしろいものだと思っている。誰も制止しない、それどころか、ゲ―ムを楽しむかのように虐待し続けていた、、。

この話をスウェーデン人にすると、『信じられない、、。』とショックを受ける人間もいるけど、『あんたがどんなブザマな姿で逃げたか想像するとウケる!』と大笑いする人間もいるのも事実。そんなに面白いですか、中国人(日本人)がスウェーデン中学生虐待される姿って、、、?

スウェーデン人が笑いながら私に言い放った言葉が益々私の怒りを激しくさせた。『あなたがボスニア難民だったら、こんな被害にあわなかったのにね。白人だからパッと見ただけじゃ、スウェーデン人かどうか区別できないもん!』

2009-04-05

いったい誰が悪いのか?

アレルギー離婚”という話を例に取ってみよう。

http://bakatumi.hp.infoseek.co.jp/ar_1.html

魚拓↑から。改行変更は引用者。

離婚前の話ですが・・・

私の子供食物アレルギーで小麦と卵がダメ。(蕁麻疹がでてしまう)

なのに義母は「甘やかせすぎだわ」と言って信じてくれない。

ある日、家族で義母の家に行ったとき、私の目を盗んでプリンクッキーをあげようとしたので

「絶対あげないでくださいね」

と言ったらしぶしぶ納得してた。なのに!私がトイレに行った隙に、あげてしまった・・・。私が悲鳴をあげていると、

「ほら、大丈夫じゃない。美味しそうに食べてるわよ」

って意気揚揚。その後30分後に全身蕁麻疹で苦しみだした。にもかかわらず、

「私のせいじゃない」

と言ってる義母に対して

「孫を殺す気ですか?言い訳する前に救急車早く呼んで下さい!」

それに対して夫も

「おおげさだなー、落ち着けよ」

義母

「そうよそうよ」

と言ったので、

「こんな、子供の体を気遣ってくれないような家族とは、もう家族とは思いたくありません!」

と言って、そのまま一人で全身真っ赤&ブツブツ子供病院へ連れて行き、そのまま離婚しました。

義母は何度も謝っていたけど、謝りながらも

アレルギー子供を産んだあなたが悪い」

みたいなことを言っていたので、

「頭おかしいんじゃないですか?」

といって

「もう●●(子供)には一生会わせませんよ」

と言った。泣いていたけど、自業自得でしょう。

ポイントは、義母の“アレルギーに対する理解が浅いor全く無い”こと。

「卵アレルギーの人に卵を食べさせるのは、その人の首を絞めるのに匹敵する」

Double Side:事故と非事故の境界

http://d.hatena.ne.jp/Terra-Khan/20090310/1236615975

少なくとも、↑こういう認識がしっかり出来ている人物なら、本人や母親が「アレルギーだ」といっているものを食べさせたり、「甘やかせすぎだわ」とか「アレルギー子供を産んだあなたが悪い」とかいうセリフは吐かないんである。

  1. 精神的な躾でどうにかなると思っているから、「甘やかせすぎだわ」といってしまう。
  2. 自分の血族に「アレルギー持ち」などという不具者が居る事が許せないから、「アレルギー子供を産んだあなたが悪い」といってしまう。

要はこの義母、差別意識のカタマリなんである。普段は巧妙に隠しているのかも知れないけどね。果たして、「アレルギー子供を産んだあなたが悪い」は嫁にとって“核地雷”だったわけで、当然過ぎる帰結として「生涯孫には会わせて貰えない」という報いを受ける事になった。

アレルギーという物への理解が浅かったor全く無かった”ことは、この時点ではどうにかできる事ではなかっただろう。だが、「元気で何でも食べられる良い子」という理想の孫を追い求めるあまり、“全身真っ赤&ブツブツ”という想定外の事態に対応できずパニックを起こして下手を打った。このような場合の「私のせいじゃない」系のセリフは、「自分が知らない事・理解できないこと・気に入らない事は存在していてはいけない」という、肥大した自意識の裏返しだ。

なるほど、確かに「知らなかった事はどうしようもない」し、「理解が及んでいなかった事」自体を吊るし上げても何も生まないし何の利益も無い。この義母だって、生まれ着いての差別主義者ではなかっただろう。義母には義母なりの背景も歴史事情もあって、そのような人格を形成してきたのに違いない。

自分血縁健康優良児で固めたい」というのは、「そのように“価値の高いもの”で周りを固めていなければ落ち着いていられない」ということでもある。そのような人物の日常が、「こころ豊かで穏やかなもの」でありえるのだろうか?総合的に見て、一番気の毒なのはこの義母なのかもしれない。なぜなら、「やってしまった事への後悔や後味の悪さ」は、誰にも肩代わりはしてもらえないのだから。

さて、この件で“悪い”のはいったい誰だったのだろうか?

アレルギーをもって生まれてきた子供?そんな子供を生んだ嫁?何の役にも立たなかった旦那?それとも?

追記:「アレルギー離婚の何を知っているんだ?」という声が聞こえてきそうだ。もちろん、この件の当事者であったわけではないから、直接知っているわけではない。だけれども、

蕁麻疹が出るから食べられない」といっているのに、「そんな甘えが許されると思っているのか!みんなと同じものが食べられないなんて許されるか!!」といってムリヤリ食べさせられる。⇒リアルで死に掛けて保健室or病院送り⇒「鍛えてやったんだから感謝しなさい」

みたいなことは、幼少期に2度3度ならず経験しているのでね。“自称”常識人や“自称”普通人に対しては恨み骨髄なんである。やっちゃった方は「知らなかったから仕方が無い」でも、こっちは2度も3度も殺されかけているわけだから、そういうことに関しては非常に採点が辛いんである。悪しからず。

2009-04-04

気持ち悪い

新入社員研修っぽいのが終わって激しいストレスを感じてる。

当方、30才で転職して、新卒どもと一緒に新入社員研修を受けてた。


なんかね、気味悪いの。高校大学の延長線みたいな感覚のやつらが。


結構、福利厚生に重きを置いてる会社で、研修でも産業医からメンヘル予防みたいな講義があって。で、大多数が「うつ病なんかなるわけねーじゃん」みたいな反応。おまえらアホかと。間近で、元々目がキラキラしてハキハキ話してたような人間が半年くらいで死んだ魚の目みたいなうつろな目になって、話す際には顔も合わせずボソボソとしか話さない様を見たことあんのかと。まぁ、別の世界の話なんだろうね。


あとね、研修が終わる間際のアレメールアドレスやら電話番号の交換やら。お前ら何しに来てるんだ。コンパか。あの雰囲気にはついていけねぇ。あぁ、そうそう。研修オリエンテーリングみたいなのあったんだけど、イケメン余裕だね。他のグループ女の子から連絡先交換迫られてたし。グループ違うのに、その女の子イケメンはずっと一緒に行動してんの。バカじゃねぇ。


俺のグループは、俺にも他にnot新卒の男がいたんだけど、そいつの居ない場所で新卒茶髪男が「オレ、あいつ嫌いなんだよねー」とかグループ女の子に言ってんの。視ねよ、てめぇ。そのnot新卒はかなりまともなヤツだったぞ?


しかしね。not新卒組はマイノリティ。大多数がコンパ前哨戦みたいな微妙駆け引きとか。


ついて行けねぇよ。頭痛い。さっさと終われ。気味悪りぃ。



■追記

ちょいとレスを。

そんなんできるのも1年目の今だけだぞ。

そうやって交流した同期のネットワークって何より大事だってことは

前の会社で知ってるはずだろ。

まだ間に合うと思うから、がんばれよ。

ありがとね。俺が新卒で入った会社は同期が居なかったから、これから大事にするよ。幸い、俺の部署には同じnot新卒が居るから、そいつと仲良くするよ。あと、できる範囲で新卒組たちとも。

あとはブコメレスも。

新人同士で群れるな。ま、そんなものだろう。

群れからはぐれたので…[自分]----断絶----[自分以外のグループ]みたいな感じなので、精神ダメージはデカいんです。

あるある。あのうざさは異常。電車とか信号待ちとかしてるときとか特に

本意でないのに、そういう所に寄って行って話しをするのがすごい面倒&ストレス

斜に構えて研修段階で疲れ切った人。5月病にご注意。

そのまんま表現してくれてありがとう

自分新卒だった時にそういう経験をしてないみたい。

大きめの会社転職するといいよ。

「どいつが一番に辞めるかなーw」と品定めでもしてれば。/個人的には浮かれポンチを見るのは結構好きだな。

サーセンww浮かれポンチというか浮いている人ですw まぁ、ほぼ終身雇用な感じなので、余程の事がないと辞めないと思うよ。

会社の都合で、そのへんの新卒と一緒くたにされるとゆー微妙なお気持ち、お察ししますです。

ありがとう

大学デビューならぬ社会人デビューか。

デビューしたくないんだよ!

経験のない人間」と「余裕のない人間」は、似ている気がする。「ある」側から見たら、その歪さが気持ち悪いのかも。

本当、そういうの見てたら頭がクラクラするんだよ。

はしゃいでる(ようにみえる)人たちも、不安なんだと思う。友達をつくらなきゃ、という強迫。

そうなのかな。言われてみれば。不安なんだろうね…。関係無いけど、映画なんかで極限状況で男女が惹かれ合うのが思い浮かんだ。

3ヶ月もすりゃめっきり変わるから放っておけばいいと思う。

うん。「お前ら、死んだ魚の目になれ!」と呪い言葉をつぶやいてます。

お互い自分意見をぶつけて指摘し合って、よくないと思ったことを直しあえればいいのになあ。そういうのは歳をとるにつれてムズかしくなるもんだけども。http://d.hatena.ne.jp/key_potpot/20090404/1238822859

うん。自分より経験が少ない人を批判するのは良くないってわかってるんだけど、あの雰囲気の異様さが受け入れられないんだよ。。

暖かい目で見守っておけばいい

そうしたいんだけど、そういう集団に放り込まれた異物としての俺は辛いです。

はじめは皆そんなもんでしょうに。そこから抜け出せない人は1年以内に辞めてるイメージがあるけど。

「1年以内に辞めてる」の主語新卒組だよね。

「認めたくないものだな、若さゆえの過ちと言うものを」というお話

アバンチュールしてくんなと思います。


■さらに追記

ブクマ&言及トラバありがとうございます。

追加でついたブクマレスするよ。

リア充うざい。リア充うざい。リア充うざい

禿同。

仕事半分結婚相手探し半分なんだから、連絡先交換を頑張るのは当たり前でしょ。もう少し観察と推理力を身につけることをオススメします。

その「当たり前」が気持ち悪くて迎合できないんだよ…

一応貴方と同じような新卒の人もいると思う。周りのがっついてる感が嫌な新卒が。たぶん俺の二年後。それでも周りとは関わったほうがいいと思う。自分のためにも。

そういう新卒の人とは仲良くできそうです。だから、そういう人とつるむことにするね。良いか悪いかわからないけど、多分最悪の選択肢が「誰とも関わらない」だと思うから、それよりはマシだと思うんで。

「おまえらアホかと。間近で、元々目がキラキラしてハキハキ話してたような人間が半年くらいで死んだ魚の目みたいなうつろな目になって、話す際には顔も合わせずボソボソとしか話さない様を見たことあんのかと」

働いてたら、そういうのってヒトゴトじゃないんだよね。

大学でもそうだったなあ。「鬱になんかなるかよw」って言ってる人居るけれど、5月・夏休み明けは学内の混雑が緩和され、挙げ句宿舎では音を消した救急車を何度か見るようになる、と。

大学で、ですか…

レスしてくれると聞いて

何となく、ブコメに全レスすることにしたよ。ブクマありがとう

俺は新卒といっても10人ぐらいしか同期がいなかったので、会社の都合で分離した同期含め、今もすごく仲良いです。一生ものだと思う。これは気持ち悪いし、俺のときはこんなことなかったけど。良い同期に恵まれたのか

いいなぁ。俺が見た新卒たちって、多分「こいつは落とせそうにない(付き合えそうにない)」と判断したら、急速に疎遠になるような気がしてさ。なのにそんなにガッついてるの見ると、俺には無理だな、って思えてね。

トラバへのレス

http://anond.hatelabo.jp/20090404215638

研修なんかてきとーに済ませて、増田がはやく職場に配属されて、うまくとけこむことを祈っているよ。職場のみんなは増田経験を買って採ろうと上に働きかけて、増田採用されたはずなんだし。

ありがとう。励みになったよ。


■追記ラスト

これ以上ブクマが伸びそうにないので、これでレスは最後ね。

同期の「仲良しクラブ系」の人たちは皆辞めて散り散りになっていった。会社に残っているのは嫌われ者ばかり。俺も含めてな。

だよね。そんなコンパ前哨戦みたいな知り合い方で連絡先を交換したって、後が続かない。

ちいせい奴だな(そしてその気持がわかる自分

そだね。大物はこんなエントリ書かないだろうね。



締め…にならないかもしれないけど、とにかく、研修で大多数がコンパみたいなノリに見えたことが気持ち悪くて、さらに自分がそこに放り込まれて行動をともにせざるを得ない状況を強要されているのが堪らなく苦痛だったんだよ。でも、苦しさを吐き出せて、増田たちやブコメ意見を見れて気が楽になったよ。みんなありがとう

2009-03-23

昨日の話

そのとき、電車は行き違い列車の遅れで4分ほど遅れていた。これがリアル伏線

私はそのとき一番後ろの車両に乗っていた。そして、とある田舎の駅に着いたときに、前の車両から乗客が飛び込んできて車掌を呼んだ。どうも急病人とのことらしい。なんでも、隣の車両でおばあさんが突然倒れたらしい。私はおばあさんを見ていない。野次馬に行っても邪魔になるだけだし、介護者のプレッシャーを高めてもしょうがない。

車掌さんは無線で指令と連絡を取り、救急車要請したようだ。乗客の人が、電車を動かすべきだと文句を言っていた。次の駅はわりと大きな町だが、現在止まっている場所はとても田舎だ。山道を町から来る救急車より電車のほうが速い。そう、もし、この電車時間通り走っていれば、おばあさんが倒れたときにはすでに電車が走り出しており、次の駅で救急車を待たせるという対応になった可能性が高い。そして、多分それが最速だった。

しかし、止まっている電車でおばあさんが倒れてしまい、電車を動かして症状が悪化する可能性がある以上、電車を動かすという対応は難しかったのだろう。実際に救急車が来るまでは、それほど長く感じなかったが、10分近くたっていたと思う。救急車が到着するまでの間、一度車掌さんが医師看護師を探しにきた。私は、そのどちらでもないが、救急講習を受けていればと思った。

救急車がついて、救急隊の人がおばあさんをホームに担ぎ出し、AED使用したようだ。しかし、AEDからは自動音声で、除細動の必要はないという声が流れた。もう一度繰り返しても同じだった。そのあと、救急隊の人が心臓マッサージを始めたようなので、おばあさんの脈はなかったのだと思う。こういうときは無理やり除細動を試みたりはできないものなのだろうか。

おばあさんの荷物が下ろされ、心臓マッサージカウントする声が続く中で、電車は発車した。おばあさんの荷物には、おそらく誰かに渡すはずの土産袋があった。自分もいつか、何かをやり残したまま死ぬことになるのだろうか。次の駅では、遅れは20分になっていた。

そのあと、同じ日に乗った飛行機で、隣の席のお姉さんが、山ほど心電図とか生々しい心臓写真が載った専門書を読みふけっていた。

http://anond.hatelabo.jp/20090323070529

その主張だと、正当業務行為となる場合は全員名前付きで発表されてもしょうがないって事か?

正当業務行為かどうかは調べないとわからんわけだから、嫌疑だけで良いなら警官拳銃持ってるだけでも、銃刀法違反の容疑で発表されてもしょうがないし

救急車信号無視なんかも警察検察の気分次第で名前付きで発表して良いって事になるな

本気?

2009-03-22

タレント松村邦洋さん、意識失い救急搬送…東京マラソン

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090322-OYT1T00744.htm?from=navr

 民放情報番組の収録のため東京マラソンに出場していたタレント松村邦洋さん(41)が、22日午前11時30分頃、スタートから10数キロ離れた港区高輪路上で体調不良を訴え、意識を失った。

 番組制作していた東京MXテレビなどによると、松村さんは救護係の医師からAED自動体外式除細動器)による処置を受けた後、救急車病院に搬送され、意識を取り戻したという。同テレビは「1日も早い回復をお祈りしている」とコメントしている。

 大会事務局によると、午後5時の段階で1096人のランナーが手当を受け、20人が救急搬送された。

2009年3月22日20時26分 読売新聞

デブを10km以上走らせて意識不明とかどんだけ身を削った演出だよ。

テレビは「1日も早い回復をお祈りしている」とコメントしている。

つーかお前らが立てた企画じゃん。何他人事みたいな台詞吐いてんの?

2009-03-10

隣人が自殺した.

職場のだけど,隣の家の夫婦の息子が自殺した(らしい).

最初,職場で昼食を摂っていて,前を救急車消防車が通って

私の職場の人が外に出て行ったり,窓越しに何が起きたのかと眺めている.

外には出て行かなくても,「救急車とかが近く通ると不安になるよね」

と言いつつ,そわそわ窓の方を見ていていかにも興味津々といった感じだ.

ちなみに私は「そうなんだ」と言いつつ,我関せずでご飯食べていた.

補足:外に出て行った人と隣人の夫は近所付き合いのある知り合い.

それほど深い仲ではない.亡くなった息子とはあまり面識はない.

外に出て行った人はずっと遠目に経過を見ていたようだ.

それと別に職場道路を挟んだ向かいの駐車場にも車の陰に隠れるように,

また自転車で走ってきて,気になって仕方ないといった面持ちで様子を見ている人もいた.

しばらくして外から戻ってきた職場の人が,息子が自殺したらしいと言った.

本人曰く,救急車が来ても誰も乗せて運ばず戻っていったことと,

後,警察の車が来たから間違いないと言った.それだけだったら

強盗殺人かもしれないじゃないかと思ったけど言わなかった.

実際は本人の推測どおりだったようだが,そのことはどちらでもいい.

言いたかったのは,皆どうしてこんなにも野次馬根性丸出しになってしまうのかということ.

車の陰から覗いていた人や自転車に乗ってきた人など想像だけれど,たぶん赤の他人だろう.

戻ってきた職場の人が,まだ誰からも確実に自殺であると告げられる前から

もうそうであると決め付けていて,「病気事故に遭ってまだ亡くなってなければ,

掛けられる声もあるけれど,自殺はなぁ….顔合わせてもかける言葉がない.

合った時に何も知らないように装って接しないといけないから辛いよな」

と言うけれど,だったらどうしてそこまで詳しく知ろうとするのだろう?

消防車も来ていたから火事かもしれないし,そうなら協力もできるから

職場から飛び出していくのは分かるけれど,そうでないと分かって

それでも尚,その場の様子を眺め続けるのは何故だろうか?

ここまでは事実であるからよいとしても,それが落ち着くと

自殺の原因や親夫婦の今後についてなど勝手な推測や憶測が始まる.

「その息子は休日もあまり外に出ず,たまに出ても車で少しの間出て戻ってくるだけで…」

それだけで欝だったんじゃない?となる.それだけで鬱なら休日ひきこもりの私は鬱か.

こういう時って原因らしきこと(車云々)から事実(鬱)を作り出しているように聞こえる.

「(親夫婦も)気の毒にね.何かの兆候に気付いて止めてあげられたら」とか

「親不孝だよね.親より先に死ぬのだけは絶対いけない」とか定石のようなことばかり言う.

そんなに長生きするつもりはないし,42歳ぐらいでまで生きれればいいと思っている

私には頭が痛いが….自分たちだって毎日一緒に住んでる子どもを見ていても,

どうしてそういう言動をするのか分からないって言っているじゃないか.

結局,何か起こってからしかそういうことって言えないのではないかと思う.

交差点事故が起きてから,それまで何もなかった場所にこれでもかというぐらい

この先,交差点ありの看板が立って,横断用の黄色の旗も設置されているみたいにね.

といって,すべての交差点にもこれらを設置したら,多すぎて逆に効果なさそうだけれど,

話戻して,こういうただの推測や噂話が勝手に広まって本当らしくなってしまう.

割と田舎町で,こういう根も葉もない噂がすぐに伝わりそうな印象がある.

だから,息子の親夫婦は別に何も言っていないのに,町を歩くと

本当は知っていて興味津々なのに知らないふりをして,

何か気を使っているように装っているのに気付いてしまうのではないだろうか?

余程訓練しないと自分の思っているのを態度に出さないなんて出来ないと思う.

自分がその夫婦の立場だったら,しばらく外に出るのも嫌になるだろうな.

私みたいに自分や身内の不幸を他人に知られたり,

あること無いこととやかく言われたくないと思うのは変なのだろうか?

と書いていながら,結局は自分勝手な推測しているのかもしれないと思えてきた.

ただこんなこと言うのは増田の中だけで,自分の身近にいる人には絶対言わないけれど.

自分みたいに,人が他人に対して無関心になったら他人を思うこともできなくなるだろうか?

自分も「他人が他人に対して関心を示すのはどうしてか?」には関心があるから

全く無関心ではないかもしれないな.他人を思うことが出来るているかはよく分からないが.

最後に.

自分が何かが原因で死んでいたら,覆面救急車パトカーで来て欲しいと本気で思った.

どうしてあえて周囲の人に何かあったことを感づかせる必要があるだろうか.

葬儀なんてこれ見よがしに大々的にやって欲しくないよな.事故病気などであれば尚更.

密葬で十分.火葬にして墓に入れてくれれば結構.それすらどちらでもいいかもしれないな.

2009-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20090304183829

暴力により生命危険が感じられると訴える方がよいと思う。明らかにDVなので病識がないと…という保健所の対応には首をかしげる。市役所とかにDV相談所はないかな。おそらくあると思うのだが。あと警察に行く場合も同じようにDVやストーカー対策を担当している部署に、命の危険を感じる、殺されそうな気がするので助けてほしいなどと(多少誇張であったとしても)訴えた方がことは迅速に進むと思う。

あとは人格障害統合失調症の可能性があるかもしれないので措置入院に応じてくれる病院があるかもしれない。ひどい暴力があるようなら、救急車を呼ぶなどしてもよいのではないだろか。

家族シェルターに入るかもしくは弟さんを隔離するかのどちらかをしてほしいと強く訴えてみてください。

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