別に片親だという事で不自由を感じたことはない。
むしろ人と違うということで、何か優越感のようなものを感じていた。
小学校の頃なんか、母親がいないことで、暗黙的に、母親の話をするのを周りが避けていたくらいだ。はは、なんていう親切。
まぁその親切に「甘えちゃった」おかげで、なんか自分にものすごく甘いというかナルシストというか、そんな今の性格になってしまった訳だけども。
で、そんな親切を中学に上がった頃から疑い始めて、中学高校とその事には触れずに過ごした。
で、大学生となった今、母親の事を無性に誰かに話したくなってきた。
今の母親にその事を話すと、そういう感情はしょうがない、と認めてくれた。
実際自分の知人に幼少の頃から片親の人なんていくらでもいるよ、と。そうだろうねー。
いや分かってるんだけどさ、無性に話したいんだよね、自分の母親について。
俺が当時やってたカクレンジャー(今Wikipediaみたら微妙に年代が合わない・・・なんでだ)とかいう戦隊ものの真似をして、
風呂場にジャンピングキックして頭を打ってから、一瞬意識を取り戻した時に母親の腕の中で救急車に運ばれてたことだとか。
あと父親が葬式の日に、ジュースの自販機の前で俺と2人の時に泣いてたとか、
母親が死んだ当時俺3才にならない位だけど、本当に覚えてるんだよ。
もしその光景が自分が作り出したものだとしても、俺の中で本物だって事は変わらない。
で、こういうことを親だけでなく、友達にも話したい。
実は小学生の頃からの友達の他に、一人だけ自分が片親だということを話した友達がいる。
そいつはさっぱりした性格で、俺が片親だということを打ち明けると、
間もなく、自分を安心させるような笑みを浮かべたまま、一言二言何か言っただけだった。
正直もっと憐みの言葉はないのかと期待した自分に、とても心が重くなった。
そういうことを言うと、周りは気を遣って自分をフォローしてくれるもんだと。
そういう風に他人を捉えていた自分がとても嫌になった。
でもそいつとは、最近疎遠になって、まったく会話をしていない。
第一会うことがない。
まぁこの時期だから、サークルの友達を作ったりしてるんだろう。
自分も一応友達、というかアドレス教えてもらって何回かやりとりした人はいるが、あまり話すことがない。
今度一緒に大学に行こうかとも考えてはいるけど、その人がどこに住んでいるのかも知らない。
で、手っ取り早くこの想いを打ち明ける、というより解き放ちたいがために増田に書いてみようと思ったわけだ。
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