はてなキーワード: フラストレーションとは
中国(や韓国)に国として公的に謝罪するのは次で最後にすると宣言してはいかがか。
というのも、今、日本が謝罪することは両国にとって有害無益にしかならないからである。
あちらの人間は言葉を重ねない。一度の言葉にかなり強い意味を込める。
日本人のように感謝の言葉や謝罪の言葉を何度も重ねたりはしない。
言葉に重みがあるために、何度も繰り返して言うことは逆に言葉の重みを失わせてしまう。
だから、向こうでは、お礼の言葉も謝罪の言葉も繰り返し言わない。
一度感謝や謝罪を伝えた後は、言葉よりも態度で示さなければならない。
言葉の回を重ねるほど言葉が安っぽく、誠意がないように感じられてしまうのだ。
向こうの人らに会ったことある人なら何となく分かるだろうが、彼らは語調が強い。というより語調がきつい。
彼らにとってみればそれがデフォルトなのである。
だから、何度も重ねて言うと、弱い語調で言ってるのではないか、本心ではないのではないかと勘ぐられる
ここは感謝や謝罪の言葉を何度も繰り返す日本人とは対照的である。
大体、中国(や韓国)とはすでに講和条約を結んで国交を正常化させている。
講和条約を結んだ以上は不満が残るとしても戦争の責任は問わないのが現代の国際理解である。
いつまでも戦争の責任を問うのは古代・中世的な復習の発想である。
今の状況はとても国交が正常化した国の態度とは思えない。
一体そんなことをして両国民が喜ぶだろうか?
日本人側は「こんだけ謝ってるのにいつまでこんなことをしなきゃいけないんだ」とフラストレーションを高めていくだけだろうし、
中国人側は「中身のないことを一体いつまでしてるんだ」と、ますます怒りを募らせるだろう。
中国人は形だけの物を評価しない。実利・実質を優先する。言葉以外の物でもそうだ。
中国人は我々から見たらがめついと思うほどにほど商魂たくましいく見える。それは形式よりも実質を重視している表れである。
謝罪を繰り返すことはただの蒸し返しにしかなっていない。
謝罪を重ねるほどに、言葉を重ねるほどに、それがますます形骸化していくことになぜ気づかないのだろうか?
だから日本国としては「国としての公式な謝罪はこれを最後にする」と高らかに宣言すべきだ。
「我々は、過去の過ちを忘れない。だが今、謝罪は逆に両国に憎悪と悪意を増やしている。この悪習はここで断ち切ろう。」
これで最後だから心を込めて精一杯のごめんなさいをする。それから先はよき友好相手として付き合おう。
もちろんこれは個人的な謝罪を禁止する物ではないし、謝りたい者はこれからも謝ればいい。
でも、国としてはこれを最後にする。
そして謝罪を終わらせたとて、友好関係が崩れるわけではない。
これからも日本は中国の経済発展を支援していくだろうし、中国も良き貿易相手であり続けるだろう。
恨みが完全になくなるわけではない。でも恐らくのところ、誠意のない伝統だけの謝罪を100回繰り返されるよりも、一度きりの誠意がこもった謝罪の方が、向こうの人は歓迎するはずである。
そして、謝罪をやめても、「謝罪の伝統を復活させろ」なんてことは恐らく言ってはこまい。
x12
あまりに的確に行間読まれちゃったんでびっくりしてしまった。
その通りだよ。といっても、ほっとくと嫌感情まるだしになるんで穏当な表現にしようとしてただけで、別に隠して書いてるつもりじゃなかったんだけど。
後は、対象にされなかったことを不満に思っているというより、逆に対象にされそうになることを不満に思ってる。
職場に男が来るたび、ああいう人はどうなの?とか聞かれるだけでも正直苦痛。
>いやむしろ俺は「画策」の内容について聞くべきか。一体どんな黒い画策をしたら、そんな疑惑だけで嫌われるのか、そっちの方が気になるな。
ごめん、画策って言葉が大仰だった。たぶん、職場内合コン企画したとかその程度だと思う。
奥様方を嫌ってる訳じゃないんだよ。むしろ好きな人ばっかりなんだけど、どうしても「恋愛・結婚するのが正常で当たり前のこと」という発想で話をされたり、それ前提であれこれしてくれようという所が、善意なだけにきつくてどうにもフラストレーションがたまってた。
結婚しない/したくない、かつできないであろう人間に恋バナ求めないでくれ(泣)
いやー、嘘くせーの一言ぐっさりきました。日頃自分でも思ってるだけに。
システムの機械語レベルの挙動を意識するとどういうところが気になるようになるか、それを現代の環境ではどう教えるか、という点が問題でしょうね。
・メモリやレジスタ幅(桁数)と情報の規模の関係を意識する - まあ、Oracle は 64bit OS で使えとか、xfs を 32bit OS で使うと(atomic な部分の更新が泣き別れになって)クラッシュの危険が高いとか
・API 仕様を意識する - 上の例の続きだけど、パッチのあたってない古い gzip で 2Gbytes 以上のファイルが圧縮できないとか
・コードを展開した結果、関数の出入りやインタフェースでどう膨れ上がるか、リソースの解放がどれだけ無意味になりうるかを知っている - C++ とかの場合。Tomcat もクラスロード(とリソースの確保も -- 追記)で1時間待たされるとかくだらないことが起こるけど、開発効率と運用のトレードオフだからなぁ
・(Ruby, PHP, Java などの)VMに頼るべきでない場合が何かを知っている - 速度もだけど、VMがバグ持ちの場合、デバッグが困難を極めることもある
・ビット操作系のコードを書けないと困る - まあ、ioctl や fnctl で苦労したことがあればどういうものかは判ると思うけど
・(追記)strace とか ldd とかくらい言われる前にやってほしい - 実際 Java と PHP しか知らないと本当にこの辺はできない
・(追記)497(×10^-n)日で落ちた、と言われた瞬間にカーネルのバグを疑ってほしい - lbolt 溢れ系のバグは本当にありふれている
いまどきは障害対応系の運用をやったほうがプログラマとしてコード書くよりもこの辺の問題に詳しくなれる気がします。
追記:「こういうこともわからん子供たち」をうまく使って利益を上げる会社と、「こういうこともわからん子供たち」を教えるのにフラストレーションを感じるハッカーがひとりで回している会社、どっちが上記のようなことを学びやすいかというのは難しいところです。SUSv3 (昔のオライリーの POSIX 本でもいいけど)を面白いと思えない人に正直あまり細かいことを学べるとは思えないし‥
A Successful Failure - 『火垂るの墓』に対する最も参考になる米Amazonレビュー
あんまり高評価のばかりでもバランスが悪いので、そうでないのも訳してみた。
(エントリ下部に追記あり:8/12)
53 人中、15人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
「とても失望した・・・」2003/11/4
By "cgharoth" (Richmond, VA United States)
私はこの映画を「世界各国の批評家に賞賛された力強い反戦映画」というAmazonのレビューどおりのものと期待して購入した。確かにこの映画は人間の本性のあまり感心できない部分について描いた映画として見る事が出来るが、その内容と演出は反戦映画とはとても言い難いものだ。
この映画は空襲によって家を壊された少年とその幼い妹についての話だ。もっとも、オープニングの場面で既に、最後には彼らは二人とも死んでしまうことが明らかにされるのだけれども。
映画の初期の場面では、少年とその妹は親戚の家に滞在しており、その親戚はあからさまに彼らの滞在を疎ましく思っている。
少年は妹と遊んでいるだけで仕事をすることを拒否している(これがその親戚が彼らに家と食べ物を提供するのを嫌がっている唯一の理由だ。)のだが、彼が自分自身の扶養を助けるのではなく家を出ることを決めたことは、悲劇的なこととして描写されている。公式の解説では、彼の最も口うるさい叔母が彼ら2人の扶養を嫌がるのは「欲張り」だとしているが、これは戦争のこの段階においては食べ物と資源が不足しているという事実を無視している。彼女が少年に頼んだことは、村を助けるために、彼が与えられている食べ物と避難所の分の働きをしてほしいということだけなのだ。
映画の後半では、彼の妹が栄養不良から病気になってしまう――これは最も悲しい場面とされていて物語の転換点でもあるのだが――しかしその演出効果は、少年が単純に親戚に謝ることも出来たという事実によって台無しになってしまう。親戚は彼が戻ってくることに対して良い顔はしないだろうが、しかし確実に戻ることは許しただろう。ある農民は少年をそう諭しさえしたのに、彼は戻ることを拒否した。その後に起きたことは他の誰の過失でもなく、彼自身のものだ。
この映画を見ていて唯一私が心に抱いた感情は、少年が彼のプライドを捨てて妹の命を救おうとしないことに対して募っていくフラストレーションだった。映画において、登場人物が自身の命をいつでも救うことが出来るのに、それを拒否することほど痛ましいことはない。
この映画の戦争に関する非常に偏った描写は、物語が進むにしたがってその筋書きがより戦争とは関係のないものになっていくことで更に不鮮明になっていく。
公式の解説で用いられている「(戦争)犠牲者が耐え抜いた不必要な苦しみ」という言い回しも、この物語に関する不正確な説明の一つだ。少年とその妹の苦しみは確かに不必要なものだったが、しかしそれは少年がその苦しみをいつでも止められたという意味においてだ。戦争は、彼自身の判断――プライドを捨てて仕事を分担するのではなく、苦しんで死ぬことを選んだこと――とは何の関係もない。
追記(8/12):
こういう背景も↓
このレビューの指摘はもっともであるし、評者は正しくこの映画のテーマを読み取っている。しかし、それをもとに映画の評価を下げるのは間違っているのではないか。
「火垂るの墓」に関する低い評価(米Amazon) - ちょさかのひとりごと
(ぶくまページ経由)
一応、まとめ(仮)は随時書き加えてるんで、暇なときにでも確認と、あったら文句を宜しく。
http://anond.hatelabo.jp/20070613232112
あと、なんだかんだで、「元増田の趣味じゃないけどこれはいい作品だから紹介したいぜ」的フラストレーションあると思うし、こっそり「実は元増田には面白くないだろう作品をお勧めしちゃった」とか思ってる人もいると思うんだ。個人的には竹宮惠子とか大好きなんだけど、はっきりいって元増田には面白くないと思うんだ。で、どうだろう?元増田には面白くなさそうな作品も、それはそうと明記した上で広く増田とROMの皆さんにお勧めするってのは。「流れ」で書くかどうかを決めるのも変だと思うしね。
蛇足:カテゴリー便利だぁ。たまったログから必要な情報だすのに、すんごい便利。まとめの人を楽させようとか思う奇特な人はタイトルに[少女漫画]を宜しく。
この流れなら言える
http://anond.hatelabo.jp/20070615000253
追記
危篤→奇特
ここぞ、と言う所で、フラストレーションを、愚痴るんじゃなくて、怒りの方へ向けて、爆発させてみ。
難しいかも知れないけれど、普段、良い子チャンなら、効果的面だし、人の見る目は確実に変わるよ。
たぶん、その後は愚痴っても大目に見てもらえる。
「あんなに怒りを爆発させるなんて、相当ストレス溜ってるんだな。たまに愚痴って発散してもらう方がまだ良いや」
って思われるかも。あと、真剣に訴えると、
「あー、なんか真剣だ、ストレス溜ってるのかな?ため込むタイプだからな。こりゃ本気なんだな」
って思ってもらえるかも。
ま、そんなに簡単に感情やキャラクターをコントロールはできないんですけどね。でも、本当にフラストレーション溜った時は怒っても良いと思うよ。感情も大切だから。
あまりの反響に腰をすえて色々なご意見にお答えしなければと思いつつ、議論の焦点がぼやけているためにアニメやらイラストやら消費形態やらいろんなものの系譜を頭の中で整理していたらとてもじゃないけどすぐ書ける様な話でなくなってしまったので、脊髄反射で思ったことだけ書き記しておきます。
本文のクオリティは保証しないので、君はこのエントリを読んでもいいし、読まなくてもいい。
さて、元エントリ「なぜ作画の評価は割れるのか?」では、あえて“脚本・演出”の評価と“作画”の評価を切り離しています。これは、最近みられる“作画崩壊”に対するネット上のアニメファンの反応における問題点を明確にしたかったからです。
『グレンラガン』#4は脚本がダメだったから叩かれているのに、小林作画を擁護しているのは検討違い。本当にグレン観てるの?という批判については、上記の理由より「いやそんなこと申されましても…」としかいえません。
ちなみに、今回シナリオにも小林治の手が入っていますが、自分としては小林演出と、氏の描く女子の可愛い表情、仕草は大好物ですので、ふつうに楽しめてしまいました。
ゆえに「ふつうのアニメファンには見向きもされない」と『BECK』を評された増田様におかれましては、「じゃあふつうのアニメファンって何を観てるんだ?!」と激しく抗議申し上げたい。
冗談はさておき『グレンラガン』#4はあくまで元エントリを書くことになったキッカケに過ぎず、各人にとってそれが面白かったかどうかは、今回述べたかったことではありません。
「作画崩壊祭り」に限らず、「トレス祭り」「パクリ祭り」など、ネットでの炎上事例は枚挙に暇がありませんが、本来、非難されるべきでないものまで含めて祭りの対象となっている様に思われるケースが多々みられます。
祭りに参加している人には「わざと叩いてる」荒らしもいますが、中には、ブログのエントリやまとめサイトに煽られて、かなり真剣に批判的な書き込みをしている人がいる様に思います。
例として適切かどうかわかりませんが、『涼宮ハルヒの憂鬱』における「晴レ晴レユカイ」の振り付けはトレスである(パクリである)というエントリが一部で話題になったことがあります。このダンスについては、京アニの山本寛がアイドルユニットBerryz工房の大ファンであり、作画スタッフは絵コンテとともにPVを幾度となく見せられたというエピソードが公開されていて、“盗用”ではなく“オマージュ”と見るのが正しい受け取りかただと思うのですが、このエピソードを知らなかったとしても、ハルヒのEDとベリ工のPVから同じ動きのカットをならべて「トレスだ!」「パクリだ!」と言うのは、ちょっと違うんじゃないのといいたくなるわけです。
教養主義や世代論でこの問題を解決したいとは思いませんが、クリエイターや著作権に対する無知・無理解、あるいはリテラシの欠如が、こういった祭りを加速する要因のひとつだととらえると、元エントリのような教科書的にジジむさい説教も書かずにはいられないのです。
実際のところ、自分もアニメーターブーム直撃世代ではなく、その後のキャラクターデザイナー、イラストレーターが注目される時期に、アニメにはまっているので、キャラ萌え、ビジュアル重視という傾向にむしろ拍車をかける様な消費形態をとってきました。ゆえに、作画やアニメーターに関する知識においては半可通であるという負い目もあって、あえて増田で書いているわけですよ。出来ることならばタイムリープして自分に説教したい!
そんなこんなで、誰かを突き放したり、権威ぶったりするのではなく、消費する中で自分が獲得した視点とか面白ポイントを、Web2.0的に共有したり継承したりできればいいのになと思って頑張って書いてみたのをご理解いただけると増田うれしい。
あと、anond:20070424113453の増田さんはおそらくバランスのとれたアニメの観かたをできている人だと思います。「あー、おいしかった」というアニメの観かたの中には、知識の有無は関係なく「アニメーターの凄い仕事」に対する感動が含まれているハズだと思います。「作画崩壊祭り」の輪の中にいる人たちの言動が、あまりにも極端に「絵の美麗さ」と「キャラクターの一貫性」を非難の根拠としていることから、元エントリも極端な反論になっているので、実際バランスをもっている人にとっては、そんなことないよと反論されるものだと承知しています。
「さすが京アニ」を「さすが京アニ」にとどめず、ちゃんと理解することが、理想的な状況につながる突破点だと考えているのですが、それを記すには膨大なリソースが必要となるので、いつかまたどこかでやりたいなと思ってます。あるいは某アルファブロガーとか某アニメライターとかがやってくれないかと思います!!たりきほんがーん!!
キャラクターの一貫性に対する寛容・不寛容については、同人におけるキャラクター消費の盛況から、実際は若いファンほど寛容であるという意見があったのですが、公式キャラクターグッズのひとつとしてのアニメ、DVDという観点からより強力に一貫性が求められる傾向にあるという理解です。この議論につっこんで「データベース概念」や「キャラとキャラクター」という話を始めると、「批評うざい」といわれるので、あまり掘り下げることはしません。というかこれ以上、泥沼に足を突っ込みたくありません!
最後にひとつだけ、ガイナックスというスタジオは、少なからずその出自を“オタク”に持つ、あるいは持っていると思われることで、アニメオタクから支持されてきたはずなのに、なぜ今回のような事件を起こしてしまったのかが、残念に思えてなりません。
もっとも、エヴァの時点で庵野秀明がいろんなことを言っちゃってますが、そのフラストレーションのアウトプットとしてそれ相応の作品ができてくることで、むしろ根源的な部分で切っても切れないオタク性みたいなものを炙りだしていたので、自分としてはほほえましく思いました。
しかしながら、ガイナックスの内部スタッフがキモオタ氏ねというコメントを(意図的ではないにしろ)発表してしまい、そこに赤井孝美が乗っかってるというのは正直どうよと。いつからそんな風になっちゃったの!と。オタク目線をわすれないガイナックスというのはもはや幻想なのかもしれないと感慨にふける14の夜(嘘)でした。
http://anond.hatelabo.jp/20070419222805
男の側と女の側のニードを一致させるのはなかなか大変そうだ。いい男一人に女三人としても、これを一夫多妻のような恒常的な状態で保とうとすると相当の器量が男の側に求められるんだろう。流動的な関係ならこの限りではないけれど、流動的な関係で喜ぶのは男のほうばかりで、女の側はあまり喜ばないような気がする。
シングルマザーという手がある、とは言うけれど、まだまだ一人の子育ては過酷だ。留保の無い子育ての肯定を役人達に主張するという手もなくはないが、役人達の打ち出の小槌だけでは補いようのないものというものは、ある。いわゆる恋愛関係ならいざ知らず、子育ても視野に入れた関係となると、男の側に求められる器量というものは簡単には無視できない。
ここら辺の非対称な事情が文化の多様性によって十分に希釈されているなら、何も言うことはないだろうが、文化によって雌と雄の繁殖に関する非対称性が希釈するのはなかなか困難だと思う。よって、この問題が一夫多妻に傾くと、一部のタネつけ男達以外の、あぶれた男性と大抵の女性にとってフラストレーションの高い状況になりそう。
それか在りし日のイスラム教徒のように、戦争して男が死に、占領して土地を得て、という状況が続いて女性があぶれやすい状況になれば話は変わってくるかもしれないが、それはそれであまり幸福な状況ではなさそうでもある。
父・母・兄・犬
3つ年上の兄はジャンプ愛読者。
マンガ・ゲームの類は禁止もされなければ推奨もされない。ごく普通の家庭。
本人の成績は中の中といったところ。目立たず、やや大人しいタイプ。
趣味は絵を描く事。
ジャンプ愛読者の兄(1つ上)にそれなりに反発しながら、それなりに影響を受ける。
学校の友達が読んでいるのでちゃおとかも読むけど、少年漫画もそれなりに詳しい、クラスに一人二人いるタイプ。
ジャンプ掲載漫画の801アンソロジーコミックをそれとは知らずに書店で購入。
最初の1回はドン引きするものの、気になって読み返す。知らず夢中になって読むように。更に、巻末の同人誌紹介で同人誌の世界を垣間みる。
好きな漫画がアニメされる事になり、情報と書き下ろしイラスト目当てでアニメ誌の購入スタート。やはり同人誌紹介が載っている。
購入した同人誌を発行しているサークルのサイトから、ネットに広大に広がる二次やおいの海へダイブする。
受験の為に、一時漫画やネットから離れ、フラストレーションが溜まる。
志を同じくする友と、もっとディープな腐女子の先輩達との出会い。
友人や先輩の手を借り、本格的に同人活動と二次やおいサイト(18禁)の運営をスタート。
また、オリジナルJUNEの世界にも触れ、主にビブロス(現・リブレ)あたりのコミツク・小説などを買い漁る。
腐女子化のスピードアップ、好みではないキャラをも瞬時にかけ算するスキルを修得。
これまでの鬱積を取り戻すべく、ネットへダイブ。同人活動再開。復帰第1作はレイプものやおい。
腐女子化は留まる事を知らない……かのように思われたが、バイト先で運命の出会い!!
残業に明け暮れる日々。
合コンに行く事はおろか、たまの休みでさえ有意義に過ごせない、鬱屈した潤いのない日々。
しかし、残業後、肌の手入れをしながら何となく見ていた深夜アニメが彼女の人生を変える事になる。
再び芽生える「萌え」の感情。瞬時にかけ算完了。
胸に滾る「萌え」を形にするべく再びペンを取る。
が、描けない。長い事絵など描いていなかったので腕が鈍っている。しかしこの「萌え」をどうにか消化したい。
考えに考え、出した結論は「絵が描けないなら文を書けばいいじゃない!!」。
かけ算スキルは高校生の頃とは比べ物にならない程のレベルに達し、今や無生物ですら瞬時にかけ算できるように。人類皆やおい。
それなりに良い関係を築いている異性がいるが、恋愛対象というよりは、「受け」として見て萌えている。
かけ算スキル……2体の男性固体に対し、「受け」役と「攻め」役を振り分けるスキル。
初級レベル腐女子は1週間〜1ヵ月で最も萌えるキャラを振り分けるのに対し、上級レベル腐女子は消しゴムや鉛筆といった生物ではないモノすらも瞬時に振り分けが可能。
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。
平野 …… 僕はネットでブログをやっている人の意識って、だいたい五種類に分けられるんじゃないかと思ってるんです。
一つは、梅田さんみたいに、リアル社会との間に断絶がなくて、ブログも実名で書き、他のブロガーとのやりとりにも、リアル社会と同じような一定の礼儀が保たれていて、その中で有益な情報交換が行われているというもの。
二つめは、リアル社会の生活の中では十分に発揮できない自分の多様な一面が、ネット社会で表現されている場合。趣味の世界だとか、まあ、分かり合える人達同士で割と気安い交流が行われているもの。
この二つは、コミュニケーションが前提となっているから、言葉遣いも、割と丁寧ですね。
三つ目は、一種の日記ですね。日々の記録をつけていくという感じで、実際はあまり人に公開するという意識も強くないのかもしれない。
四つ目は、学校や社会といったリアル社会の規制に抑圧されていて、語られることのない内心の声、本音といったものを吐露する場所としてネットの世界を捉えている人たち。ネットでこそ自分は本音を語れる、つまり、ネットの中の自分こそが「本当の自分」だという感覚で、独白的なブログですね。
で、五つ目は、一種の妄想とか空想のはけ口として、半ば自覚的なんだと思いますが、ネットの中だけの人格を新たに作ってしまっている人たち。これは、ある種のネット的な言葉遣いに従う中で、気がつかないうちに、普段の自分とは懸け離れてしまっているという場合もあると思いますが。
この五種類が、だいたいネット世界の言説の中にあると僕は考えるんです。一番目と二番目とについては、ネットに対して最も保守的な考えの人でも、多分、否定的には見ないでしょう。三番目は、やっぱり、自分を確認したいというのと、自分のはかなく過ぎ去っていく日々を留めおきたいという気持ちとがあるんだと思います。よく問題になるのは、四番目と五番目ですね。その時に、リアル社会のフラストレーションが、「自分の本音は本当はこうなんだ」という四番目の方に向かうのか、五番目の空想的な人格の方に向かうのかは分かれるところだと思いますが。 ……