2007-01-19

[] 梅田望夫平野啓一郎 「5種類の言説」『ウェブ人間論』p.72-3

平野 …… 僕はネットブログをやっている人の意識って、だいたい五種類に分けられるんじゃないかと思ってるんです。

一つは、梅田さんみたいに、リアル社会との間に断絶がなくて、ブログも実名で書き、他のブロガーとのやりとりにも、リアル社会と同じような一定の礼儀が保たれていて、その中で有益な情報交換が行われているというもの。

二つめは、リアル社会の生活の中では十分に発揮できない自分の多様な一面が、ネット社会で表現されている場合。趣味の世界だとか、まあ、分かり合える人達同士で割と気安い交流が行われているもの。

この二つは、コミュニケーションが前提となっているから、言葉遣いも、割と丁寧ですね。

三つ目は、一種の日記ですね。日々の記録をつけていくという感じで、実際はあまり人に公開するという意識も強くないのかもしれない。

四つ目は、学校社会といったリアル社会規制に抑圧されていて、語られることのない内心の声、本音といったものを吐露する場所としてネットの世界を捉えている人たち。ネットでこそ自分は本音を語れる、つまり、ネットの中の自分こそが「本当の自分」だという感覚で、独白的なブログですね。

で、五つ目は、一種の妄想とか空想のはけ口として、半ば自覚的なんだと思いますが、ネットの中だけの人格を新たに作ってしまっている人たち。これは、ある種のネット的な言葉遣いに従う中で、気がつかないうちに、普段の自分とは懸け離れてしまっているという場合もあると思いますが。

この五種類が、だいたいネット世界の言説の中にあると僕は考えるんです。一番目と二番目とについては、ネットに対して最も保守的な考えの人でも、多分、否定的には見ないでしょう。三番目は、やっぱり、自分を確認したいというのと、自分のはかなく過ぎ去っていく日々を留めおきたいという気持ちとがあるんだと思います。よく問題になるのは、四番目と五番目ですね。その時に、リアル社会フラストレーションが、「自分の本音は本当はこうなんだ」という四番目の方に向かうのか、五番目の空想的な人格の方に向かうのかは分かれるところだと思いますが。 ……

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