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はてなキーワード: 特質とは

2010-07-17

そんなんだから「これだから女は(笑)」とか言われるんだよ

化粧姿はマナー違反?見なければいい:日経ビジネスオンライン

これを読んで久しぶりに腹が立った。

はじめに言っておくが私は女だ。何に腹立ったかというと、こういう非論理的な語り方をするから、「これだから女は(笑)」「30代女性(笑)」とかいつまでたっても馬鹿にされるんだ。そんなこともわからないのか。

このエントリでは読者からの質問に対して、タレントエッセイストの筆者(有名なの?)が答えるものだ。

このエントリの流れ、及び筆者の主張は、概ね以下のようなものだ。

  • 職場での男性の行動に不満を持つ女性からの質問(グチ?)が届く
  • 何故かいきなり、電車での男性女性論に話が進む
    • 電車の中で、自分の部屋のように人の迷惑考えずくつろぐ人がむかつく
    • たいていそれは男性
    • それに対して女性は総じて優しい場合が多く(傘をさし出してくれた女性がいた経験などからそのような主張をしているように見える)、そういった女性しかいない女性専用車両は安心出来る
    • その他にも、「電車で化粧するな」といったような男性論理(?)をおしつけることが、職場などをはじめ世の中全体にはびこっている
  • 男なんかに負けず、世の女性よ、一緒にがんばりましょう

まぁこんなところだろう。

つっこみどころ満載でもはや釣りとして思えないが、全力で釣られてあげよう。主なところだけ話すと以下のような感じだ。

電車内での迷惑行為を男性女性論で語るのがそもそもの間違い

もっともストレスなのはまるで自分の部屋のようにのびのび存在する男性だ。もちろん、圧倒的多数の男性マナーを守って乗っている。だが、車両にたった数人配慮に欠ける男性がいるだけで、そのストレスたるや半端ではない。

ここで、『もっともストレスなのはまるで自分の部屋のようにのびのび存在する男性だ』と言っているが、自分の部屋のようにのびのびする女性に対してはむかつかないのか。

私はむかつく。

筆者は大股広げて座ってるオヤジや、いびきクシャミ、咳払いがうるさい男性がムカつくと言っているが、これは男性に限った話ではない。女性だってドデーンと座ってたり、荷物広げて座ってたり、咳払いがうるさかったりするし、いびきもかくし、おばちゃんとかは大声で話す。私は老若男女を問わずこういうことをする人はウザイと思う。靴下が臭いとかもはやイチャモンにしか聞こえないが、女性だってストッキングが蒸れて臭うこともあるし、なにより香水や化粧道具はかなり臭う。私も女だが、女性専用車両には極力乗りたくない。その最大の理由があの化粧臭さだ。

つまりここで言っている、やれスペースとり過ぎだとか、やれうるさいだとか、臭うだとか言うのは男性特有のものではなく、同じぐらい女性だって迷惑振りまいてることなのだ。それを男性女性に切り分けて議論することがそもそもナンセンスだ。

もちろん、圧倒的多数の男性マナーを守って乗っている。だが、~~

(中略)

女性でも無配慮の人はいる。男性でも行儀のいい人はいる。だが、~~

このように、一応文章の初めで断りを入れているが、『だが』で続けて話せばそれは男性批判の文章でしかない。

この問題は、男性女性の問題ではなく、人が多い(密閉された)場所において自分の動的振る舞い(スペースを取る乗り方をするとか迷惑音を発するとかいった電車内での行為)・あるいは静的振る舞い(体臭や化粧が臭いなど電車外からの問題)が、どの程度他人に迷惑をかけているかを推測する能力がない人がいるという問題と、それがあっても他人に迷惑をかけることをなんとも思わない道徳感のない人間がいるという問題だ。

それを男性女性という切り口で話してしまっては、『たいていの男性は行儀いいですよ。でも一部の男性が~~~』という論調になり、結局それは男性そのものを批判する文章にもなる。この文章を読んだ『たいていの男性』がどのような印象を持つか、筆者はわかっているのだろうか。

しかし、私はそもそも電車内での迷惑行為についていちいち文句をいうことそのものがナンセンスだと思っている。

それは次のような考えからだ。


電車というのは密閉空間に閉じ込められるストレスの代わりに、格安で移動できる旅客サービスだ。

そりゃ私だって満員電車嫌いだし、満員じゃなくても嫌な客と乗り合わせることもしばしばあるから電車そのものがあんまり好きじゃない。

しかし、電車というのは、性別・年齢・国籍職業などがまったく違う人間同士を1つの箱に詰め込んでまとめて運ぶ代わりに、格安で移動できる旅客サービスだ。

これだけ多種多様な人々が乗るんだから、それらの人々の価値観が違うのは当然で、相容れない場合もある。だから「電車の中で化粧するな」とか「携帯がうるさい」とか「スペース取り過ぎだ、痩せろデブ」といったような文句が出てくるのは当然だ。

こういう不快感トラブルに見舞われる代わりに数十キロ~数百キロの距離を、数百円から高くても数万数円ぐらいの値段で移動できるわけで、この不快感に耐えられない人はタクシー、や(運転手付きの)自家用車など自分独自の空間を形成できる乗り物に乗る。金持ち電車に乗らずに、運転手付きの自家用車、あるいはプライベートジェットを持つというイメージが生まれる理由はこういう背景があると思っている。

そりゃ、電車ってのがそういうサービスだから鉄道会社は何もしなくていいわけではない。鉄道会社はたいてい腰が重いが、女性専用車両の導入をはじめ、ダイヤの調性・改正、あるいは複々線化などを通して混雑解消を試みており、つまりは価値観の違う人間と乗り合わせる確率を減らす努力をしている。

一部の鉄道会社のあの横暴な態度や、顧客満足度を高める努力不足については私も不満を覚えるが、世界一鉄道網と言われるように、日本鉄道会社は頑張っていると思う。でなけりゃ数百円の運賃しか払ってないのに、高々5分遅れただけで顧客の文句をいちいち聞いて、証明書付きでヘコヘコ謝ってくれたりはしないだろう。


この筆者、『咳払いをする男性がうるさいから新幹線にも女性専用車両を導入しろ』とか言っているが、このままいくと『男性のイビキやクシャミがうるさいから飛行機エコノミークラスにも女性専用スペースを設けろ』とか言い出すんじゃないかと心配している。

私も今のままの運賃とサービスを維持しながらそういったことができるなら別にやってみてもいいと思うが、大人数をまとめて運ぶサービス提供する会社側から言えば、一般的に『〇〇専用』という空間は乗客率(乗客キャパ)を下げる要因でしかなく、コスト的には厳しくなる。この筆者のように、新幹線にも、バスにも、飛行機にも導入しろとか、あるいは女性専用車両の数を増やせとか言い出す女性が増えて、その圧力に負けて企業型がその要望をのみ、結果コスト増大に結びつき、それが消費者価格として跳ね返ってきたら私はイヤだ。

そんな事態になるなら今のまま数十分~数時間の不満を我慢する代わりに安い運賃で移動できたほうがいいし、なにより「女のせいで運賃が上がった」とか文句言われるのはもっとイヤだ。電車飛行機が今の価格で乗れるのは、多くの男性ビジネス客が多額の運賃を払っているからだ。筆者も仕事でよく新幹線を使っているようなので、その点ではこういった側面に貢献していると思うが、数で言えば圧倒的に男性のほうが多く、男性が今より電車にのらなくなったら価格は間違いなく上がる。それを承知した上でこの筆者は、仕事で疲れて新幹線に乗りイビキをかいて寝ている男性に文句を言ってるんだろうか?


まとめ

この筆者、記事のタイトルにもある通り『女性はいつでも化粧したいものなんだから、化粧する女性に文句言うなら見るな。それは男性理論押し付けだ!』と言っているが、私は同じようなことをこの筆者に対して思う。

そういうことで文句言われたくないなら電車にのるな。

電車に乗る以上、迷惑と感じる人(価値観の会わない人)と乗り合わせ、時にはトラブルにもなるが、これはどうしようもないし、それが嫌なら電車に乗らないですむ生活を実現できる努力をするか、電車などより低価格満足度の高い新しい旅客サービス技術)を提供して下さい。

アメリカでは空飛ぶ車が実現したんだから、そう遠くない未来電車に変わる交通手段が出てきてもおかしくないと思っている。もしそれが実現できるなら私は全力であなたの提供するそのサービス顧客になりますから。


私だって大股広げてグーグーいびきかいて寝てる中年デブオヤジのせいで、隣に座ってる女性が肩身狭そうに座ってる姿とか見るとほんと腹立つし、痴漢はもっと許せない。でも男性だって化粧が濃くて香水くさいギャルとかオバサンには嫌気がさしてるだろうし、痴漢冤罪なんかたまったもんじゃないだろう。やはり電車という旅客サービス特質上、こういったお互い様の不満や犯罪の数は減りこそすれ、なくなることは無いだろう。

だから私は、将来電車に極力乗らない生活を実現するための努力を今している。筆者にもこういう努力をしてほしい。

しかし努力もしないで「女性への気遣いをもっとしろ」とか言って、その結果サービスの質低下や運賃引き上げとなって文句だけは一人前に言うんだったら、それは今の民主党政権に甘やかされて文句だけは一人前に言う生活保護受給者と本質的にはなんら変わらない。民主主義社会に生きている以上、文句があるなら自分でどうにかしてほしい。


ついでの付け足し

かしこの記事、そもそも質問者の疑問に答えてるとは思えない。質問者がどういう状況でああいった質問をしたのかわからないので、男女論かどうかわからないが、これだけ見ると、「男ってイヤですわねー」「そうですわねー」と女性男性のグチを言い合って、そのことに納得している文章でしかないと思う。

というかこの筆者、男性そのものを敵視しているようにしか見えない。男性経験で何かトラウマでもあったのだろうか?

あと、個人的な感覚なのだが、電車内で化粧する女性かわいいと思える人にはほとんどめぐり合わない。

この筆者も当然、私の好みの顔ではなかった。

2010-07-12

理系政治家が無能な理由

首相と前首相理系であるが、支持率、在任期間という観点から見ると無能といわざるをえない。前首相の在任期間は短く、現首相も早々に退陣する可能性が高い。この政治家としての無能さの原因について考えていたのだが、現首相と前首相個人が無能というより理系政治家として無能なのではなかろうかと思い至った。理系の特徴であると考えられる真理の重視と本質の重視が支持率低下の遠因になったと考えられるからだ。

支持率低下の一因として党内の不一致による民主党の迷走がある。前首相普天間基地の移設、現首相消費税を巡って党内に混乱をもたらした。これにより民主党に対する信頼が失われ、支持が低下したと考えられる。この民主党の混乱は党内の調整不足が原因だが、それをもたらしたのが真理の重視という理系の傾向ではないのか。理系の人は真理の重視を重視する傾向にある。これはいうまでもない。この真理の重視はいってみれば「正しいことが重要」という考えであるが、政治的には「正しいことをすれば、周りがついてきてくれる」と楽観につながったのではないか。そのため党内の調整が軽視され、党内の混乱を招き最終的に支持率低下につながったのではないか。

また理系特質である本質の重視も支持率低下の一因になったのではないか。現首相と前首相ともに口が軽い。前首相普天間問題に関してアメリカ大統領に確証もなく「trust me」といった。現首相も軽々しく「消費税を上げる」ことを口にした。しかし結果あるいは行動は全く伴わず、首相個人に対する信頼を低下させ支持率の低下につながった。この口の軽さは本質の重視という理系的な性質がもたらしたのではないだろうか。理系の人々は本質を重視する傾向にあるのは異論がないところだろう。この本質の重視が「自分の考えが誤解されても、後で誤解を解けばいい」という考えにつながり、言葉を軽視する結果になり最終的に支持率低下につながったのではなかろうか。この本質の重視は現首相と前首相マスコミに対する責任転嫁にもみてとることができる。「マスコミが俺の考え(=本質)を理解しようとせず、言葉尻だけをとらえて誤解を広めるのが悪い」というわけだ。

理系政治家理系ゆえに無能であるとすると理系給与海外に比べ低いという事実も説明できる。日本企業研究者としてだけでなく、組織の一員として様々な人と行動することが求められる傾向にある。しかしながら真理の重視、本質の重視という傾向から様々な人と行動することがあまり上手ではない。特に現首相、前首相のようにリーダーシップを発揮するのは得意ではない。そのため日本企業からの評価が低くなり、給与も低くなってしまう。一方海外では組織の一員として行動することは求められず、研究の結果を出すことが重視される。そのため日本企業に比べ評価が高くなり、給与が高くなる。このように理系政治家が無能であるとすると理系給与海外に比べ低いという事実も一応説明がつく。

以上の考察から現首相と前首相理系であるがゆえ無能であった側面があったのではないかという仮説を作った。

というかね現首相政治家として無能すぎる。前首相民主党与党経験がなくノウハウがないということで許せた。でも現首相はどうよ。前首相が党内の調整不足や口の軽さで失敗してるのになんでその失敗を繰り返すのか理解できない。なぜ学ばない。なぜ馬鹿みたく同じ失敗を繰り返すのか考えてみると共通点である理系という点が浮かび上がってくるわけで、それに基づいて考えたら意外としっくりきたんだよな。

2010-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20100620233836

中国語韓国語日本人にとっても難しい。

韓国語にいたってはハングルで文字も違う。

英語学習の方が敷居が低いと思う。

本気で言ってる?特に、韓国語の方が中国語より難しいと思っているあたり、それだけはあり得ない。

断言するけど、君、どちらの言語勉強したことないでしょ。

そもそもハングルというのは表音文字であって、音韻記号の組み合わせで表音節文字を作るという極めて合理的な構造になっており、ラテン文字よりもずっと合理的だ。こんなに簡単に覚えられる文字はないぞ。実際、俺は一度大韓航空を使ってヨーロッパに行ったとき、関空から仁川までの機内でハングルを覚えてしまい、トランジット中に有効に活用した。ましてここでは「韓国語世界共通語」と仮定しているから、その場合現実世界ラテン文字がありふれているのと同じ水準でハングル世界中にありふれているはずで、「文字が読めない」という敷居は問題にもならない。

中国語は確かに簡単ではない。しかし、中国人にとって日本語の方が、たとえばアラビア語よりずっと簡単なことは明らかであり、逆もまた真だ。そして、日本中国から見て、英語よりもアラビア語の方が学習に有利である点は全くない。

君は何か勘違いしていると思うが、英語という言語世界共通語としては非常に不利な特質を兼ね備えている。まず語彙体系が、ゲルマン祖語の他にギリシャ語ラテン語フランス語経由含む)・アラビア語など過去先進文化圏の影響を強く受けており、最低限のことを言い表すのに必要な語彙が非常に多い(このことは日本語でも同じ)。次に、発音体系が極めて特殊である(スペイン語イタリア語の発音体系が日本語と近いのは偶然ではない。日本語五十音+αで近似できる発音体系は世界に広くみられるものである)。正直なところ俺は無敵艦隊が敗れたことをかなり恨んでいる。世界共通語スペイン語であれば、英語よりも余程楽だったはずなのだ。文法こそ単純だが、ロマンス語と比べれば誤差の範囲である。日本人から見て、英語以上に難しい言語を探す方が難しいのではないか。ロマンス語を一つでも学んでみれば、英語より圧倒的に簡単なことに感激するはずだ。

いったい何を以て「英語学習の方が敷居が低いと思う」と言えるのか、さっぱりわからない。

2010-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20100305191439

メタブタワーは、「最後に言ったもん勝ち」に終始しがちな

はてな界隈の住人の特質をよく示していると思う。

2010-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20100210222854

それがサブカルスノッブだけの特質であるとどうして言えるのか。いいかえれば「面白さ」とは「私(たち)にはこれが理解できる/あいつらには分からない」という意識と同じじゃないのか

話題の映画オリコン上位の音楽しか享受しない人だって特権意識を持ってるはずだ。

そもそも映画音楽に興味がない人のほうが多いのだから。

2010-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20100103032105

それで自分が天才だと思い込むのはまだ早い。それは飲み込みが早いだけだ。

いずれにせよ、どういう人を天才と呼ぶかというのはともかく、本当に能力の高い人は現在の君のようなタイプではない。どういうことかというと、そういう人は例外なくとんでもない量の努力を若いときからしてきている。それだけやっていればそれだけできて当然と納得させられるものだ。超一流の域に達した人で、努力をしていない人なんて存在しない。もしかすると、本人はそれを努力として自覚していないなんていう場合はあるかもしれないけれど。

その点、君は間違いなくまだまだだ。

それからもう一つ、高校までは飲み込みの早さだけで何も勉強せずに大抵のことを理解してしまうことはできるかも知れないが、大学以降はまず無理だ。少なくとも純粋数学なんかでそういうことができるということは考えがたい。嘘だと思うなら大学レベル数学の本(例えば古典的なのだと高木貞治「解析概論」とか)を借りてきて読んでみるといい。そういうものを斜め読みで理解できる人というのはまずいないだろう(別に数学である必要はない。興味のある分野があれば今からでも試しに取りかかってみるといい。学校勉強が退屈ならいい刺激になるだろう)。

大学という段階ではだいたい誰もがその壁にぶちあたる。今まで勉強で苦労したことなかった人が、必死で勉強してやっと食らいついていけるかというほど勉強の質と量が多くなるのだ。少なくとも、旧帝大とかそういうレベル大学ならそうなる。

今まで飲み込みが早かっただけの人間が、努力のやり方を知らずに、そこで脱落してしまう例がかなり多いのだ。

ついでに言うと、早熟だったり飲み込みが早かったりすることは、何かを成し遂げる上で有利になる特質ではあるが、必要条件でも十分条件でもない。ここを見誤って簡単に自分を諦めてしまったり、逆に過信して何もできなかったりする奴がとても多いのだ。

所詮、「天才」だとかいうのは凡人が作り上げた虚像に過ぎない。実際に何かを成し遂げるということは持って生まれた天分や後天的努力だとか、そういう簡単な要素だけで語って片付けられるような単純なものではない。何を「天才」と呼ぶかなんていうのは後付けみたいなもんだ。自分のことを天才だとかなんだとかいうのは、まずそこを乗り越えてみてからにするんだな。

2009-09-24

大二病は、日本人特質なんじゃない?

中二病大二病は、日本人の特性なんじゃない?だから、多くの日本人は、大二病。もちろん俺も。

下記のエントリーをみて、改めてそう思った。

http://anond.hatelabo.jp/20090924092317

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7eaba4bbf3409d6bf7151d9501304ff2

http://anond.hatelabo.jp/20090924093733

テレビとか全く見てないんだけど こっち界隈の人はこの件についての反対派ばかりマスコミは登場させると批判しているが

ネトウヨさん界隈は賛成派ばかりマスゴミに出てると批判している。

要約すると、八ッ場ダム建設問題において、建設派と建設中止派の両陣営とも、「マスコミ自分の陣営が不利になるような情報ばかり伝える。その情報は誤り、もしくはごく少数派の意見である。このような情報を垂れ流すのは、報道ではなくプロパガンダだ。」みたいなこと言ってる。実際は、この問題に対する報道は、一つの記事・番組内では多少偏りがあるものの、すべてのTV局・新聞がどちらか一方の味方をしているという状況ではない(と思う俺もTV新聞をすべてチェックしてるわけじゃないが)。

しかし、建設派と建設中止派の両陣営とも、プロパガンダに感じてしまう。なぜか?それは、両陣営とも大二病だから。

両陣営とも、その人の"常識的に考えて"(通称jk)圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えてる。そのため、相手陣営に有利な報道が少しでもされると、プロパガンダに感じる。マスコミという、見えない敵(悪い組織)と戦ってしまう。両陣営とも大二病である。

原因は、「"常識的に考えて"圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えている」ことにある。一般的に、このような両陣営が長年もめてる問題で、圧倒的に片側の陣営が正しいということはない(少ない)。大抵の場合は、いい意味でも悪い意味でもお互い様だ。しかし、"常識的に考えると"圧倒的に自分の陣営の主張が正しいと感じる。そして、自分と異なる主張をするやつは、常識がない人や情報が足りない人(情弱)、悪の組織だと考え、それらの人や組織説教したり、戦いを挑んでしまう。大二病の発病だ。

さらに原因を掘り下げると、"常識的に考えて"*が、原因なのがわかる。もっというと、人々が異なった常識

常識

(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/93867/m0u/%E5%B8%B8%E8%AD%98/

をもっていることが原因である。当然、皆が日本社会に属していている。しかし、同時に、東京都群馬県などの地域社会医者SE科学者などの専門領域(社会)に属している。異なった社会で身につけるので、異なった常識(知識や判断力)を持つ。それを日本社会常識と考えるから、大二病が発症する。

先日の選挙も、多くの日本人が、自民党民主党公務員マスコミという見えない敵(その組織の誰が悪いとはわからなし、全員が悪いわけじゃないが、その組織の中にいる悪)と戦っていた。多くの日本人大二病なのかもしれない。いや、大二病は、日本人特質なのかもしれない。

大二病を治すにはどうしたらいいか?大二病発病中の俺は、以下の方法で闘病していくつもりである。自分常識的な人間だと考えるのをやめて、なんらかの専門家だと考える(ある意味高二病の発病)。同時に、他人もなんらかの専門家だと考える。悪と戦うのではなく、異なる分野の専門家と議論すると考える。具体的には、異なる分野の専門家(知識労働者)が社会の中心となっていく的な本、「プロフェッショナルの条件」 P・F・ドラッカーでも読み直し、洗脳されてみようと思ってる。

30手前にして大二病発病中の長文を読んでいただきありがとうございます。

*「庶民感覚」も「常識的に考えて」と同じだと思ってます。

2009-07-17

平和主義者と現実主義

http://blog.tatsuru.com/2009/07/16_1121.php

これを呼んで流石にひどいだろと思ったので。

そういう人間でも、どこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。

その場合、「平和主義者になる」というのはひとつの選択肢である。

世界的な政治単位に帰属することについては要求される資格は何もない。

誰でも自己申告すれば、平和主義者になれる。

そして、世界市民という巨大な集団に帰属する代償として、平和主義者に求められるものは何もないのである。

ゼロ

平和主義者にはどのような義務もない。

好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、平和主義者になることができる。

私は平和主義者だ。私は世界市民だ。私は人類全体の利益をあらゆるものに優先させる。人類利益を脅かすもの、無辜の市民平和な生活を踏みにじるものを私は許さない。

などということをぺらぺら言い立てることができる。

その代償として要求されるものは、繰り返し言うが、ゼロである。

真正の平和主義者であることを証明するために「今、ここ」でできることは何もないからである。

平和主義者は国際関係について熟知している必要がない(アメリカ大統領名前を知らなくてもノープロブレムである)、もちろん外交内政についても、歴史についても(政治思想史についてさえ)、無知であることは平和主義者の名乗りにいささかも抵触しない。

むしろ、そのような外形的知識の裏づけなしに「いきなり平和主義者」でありうることの動機の純正さが尊ばれる。

一方、平和主義者はしばしば「自分が信じる規範」は「すべての日本人が当然に共有せねばならないこと」であるという不当前提を採用しているので、論争においてほとんど無敵である。

彼らの論争術上のきわだった特徴は、論理的な帰結を無視して自分の個人的理想現実における施策に直結させることである(「ダメなものはダメ」とか「人殺しは悪いことでしょ」「誠意を持って話し合えばどんな人とでも理解し合える」とか)。

そして、「はぁ、そうですか」と応じると、「だから憲法9条は守らなくちゃいけない」「日本軍隊なんか要らない」「無防備都市宣言に賛成してくれるわよね」という結論にいきなり導かれるのである。

これはきわめて知的負荷の少ない「論争」術であるので、好む人が多いが、合意形成や多数派形成のためには何の役にも立たない。

もう一つ大きな特徴は、平和主義者にはその立場を証明するための直接行動が要求されないということである。

家庭や会社でそれなりの敬意を得るためには、具体的な行動によって集団に貢献することが要求されるが、平和主義者は「領土問題」とか「外交問題」とか「防衛計画」とか、ほんらい政府が専管する事項を問題にしているので、個人としてはできることが何もないのである。

平和主義者は「人類皆兄弟」と幻想的な集団を形成しており、そのような幻想的な集団の中では、具体的に誰も彼に仕事を命じないし、誰もその貢献を査定しない。

だから、平和主義者は誰からも文句を言われない。

というように、平和主義者であることは行使できる権利に対して義務負荷がきわめて少ない。

商品交換のスキーム社会的行動の特質を考量する人たちが「権利が多く、義務が少ない」平和主義者・オプションを選好するのは怪しむに足りないのである。

グローバル資本主義の爛熟の中で、平和主義者の若者組織的に生まれるのはそのような理路による。

現実主義者というのは、その逆の行程をたどる。

現実主義者は自分が今在る状況を理解し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを配慮し、隣人たちに敬意をもって接し、今自分に与えられている職務を粛々と果たすことをおのれに課す。

そのような「場所」や「集団」や「隣人」たちの数を算術的に加算してゆくことを通じて、やがて「国民国家」にまで(理論的にはそのあとは「国際社会」まで、最後には「万有」に至るまで)「私の帰属する集団」を拡大してゆくことをめざすのが現実主義者である。

若い人たちにはできることなら現実主義者をめざしていただきたいものだと思う。

政治的なものであれ学術的なものであれ、何かの主張をすれば何らかの集団に帰属することになるのは当然です(本人が望むと望まざるとにかかわらず)。そして、それを「奴はほかに居場所がないんだ」とレッテルを張ることは実に簡単です。特に、ナショナリストといった「幻想的な集団」にレッテルを張る場合、そのレッテルの正しさはほとんど問題になりません(ナショナリストの具体例たる1個人を想像できないため)。

論争術についていえば、それぞれの政治的主張と議論の巧拙に相関がないというのは自明だと思うのですが。

学者とか評論家とかオタクとか、およそ何かを論ずる人々の大半に適用可能な優れたテンプレートとして、末永く保存されるべきだと思います。

コンテンツに対してお金を払わせるには-著作権の問題と共に

http://q.hatena.ne.jp/1247727768

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0907/16/news091.html

ブックマークを整理すると、更新が止まっているサイトや、消滅したサイトがある。

インターネットは広大であるし、新人は常に供給されているから、検索サイトで探して新しくブックマークに加えていけば良いのだが、車輪の再発明や質の低下という弊害は無視できない。 

コンテンツに対してお金を払わせるには、木戸商売の手法をとらなければならなかったが、これは、公開を制限するという事であり、不特定多数への無制限の公開によって成立するという著作権定義に反している。不特定多数に公開しながらも、お金を集められる仕組みが必要であるという事になるのだが、只で見れるモノに金を払うバカはいないという、当然の理屈によって否定されてしまう。

既に発表されたコンテンツについては、確かに、只で見れるモノである。しかし、明日発表されるコンテンツ、将来発表されるコンテンツ、そして、新作が生産され続けるという状況は、お金を払う価値のある投資ではなかろうか。検索サイトで探して、ウサギが転ぶ株を探すよりも、餌を撒いてウサギが通るルートを構築しておいた方が、安定する。

個人がお金を出すスポンサーシステムでは、スポンサーリストを並べる事になり、個人情報という点でややこしくなる。有料メールマガジン認証付きwebサイトの類でも同じ事で、アカウント管理や配送トラブルが起きた時の管理コストが、意外と馬鹿にならない。さらに、コンテンツのある場所が限定されていて、アクセスの集中等のトラブル対策にも経費がかかってしまう。それらのコストを賄うことを考えると、情報価格以上に経費がかかってしまうのである。これらは、インターネット特質である分散と抗堪性にそぐわない。

複製が簡単に作れるというビットストリームの特徴を生かし、発信場所を複数持つ事で、あらゆる障碍に耐え、アクセスを可能とするという本質にそった解決方法は、企業webサイトが外部のコンテンツミラーサイトを設置し、それを正当なミラーサイトであると承認してもらう事に対してお金を払うという手段である。どのコンテンツサイトミラーするかを株主投票によって決定するのであれば、電子投票への習熟を高め、アカウントを常用させる事になるから管理の手間が省ける、さらに、投票権を確定する為に定期的に総株主通知を取ることを正当化でき、所有株数に変化があった時に、個別の対応が取り易くなるし、新規株主に対して、ミラーサイト選択投票への参加を呼びかける為の通信文を送る必要性があるという事から、動向を把握し易くなり、接触の糸口となる。

買い増ししていたら礼状を出し、株数が減っていたらご機嫌伺いを出すのは、株主管理の基本である。これを、わずか1000株の株主にでも可能にする為に、インフォメーションテクノロジーは利用されるべきである。

コンテンツが明日も更新され、新しい情報が提供され続ける事を望むのであれば、それを担保する仕掛けを構築しなければならない。コンテンツお金を払うという物質媒体時代の木戸商売の発想から、コンテンツ供給され続ける事、すなわち、クリエイター実存に対してお金を払うという、著作権本質に沿った発想へと、変革が必要となるのである。

2009-06-26

物に当たる男

ウザイねえ。

敢えて女の前で物に当たって見せてる姿が幼稚。

「ボクちゃんはこんなに怒ってるんだぞ。でも、わきまえた男だから女に手は上げないよ!でもこれ以上怒らせたらどうなっちゃうか分かんないよ!」というアピール。

まじガキ。クズ。

こういう要素は誰も持っている。

でも、みっともない甘えなんだなあということに気付くとやらなくなる。

ところが、マザコンで親離れが遅いとか、共依存の女と上手く引っ付いて、こういう特質を温存したままおっさんになってるケースがあるから怖い。

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090504163059

ある意味コメント自体が

「「日本」の終わり」

を反映してるのかもです。

メディア特質かもしれませんが。

2009-05-02

どきどきして寝れない。

就職活動中、周りの友達がどんどん大手に決まっていく中、ぼくは全然決まらない。

「あいつは全然仕事できないだろ」と思っていた2人が人気企業に決まったり

決まっていなかった仲間だった人がやっぱり大手に決まって、喜んで祝福すべきなんだろうけど、内心孤独感を覚えたり。

大学では優秀な方で通ってきたつもりで、「こいつだったら就職上手く行くだろう」と言われているとも聞いたのに。

大学での評価と企業が持つ印象での評価は大きく差があるんだと知った。

何より、成長性というポテンシャル重視の評価がほとんどなんだから当然にも思えるけど、大学生になって、優秀と感じられない人間に果たしてポテンシャルがあるかというと個人的には疑問に感じる。見せ方が上手いということなんだろうか。

周りからの評価で慢心していた部分もあって、本当に行きたいところ3社程度しか大手は受けていない。

適当に滑り止めと思って受けた小さなところの内定はもらっているけど、やっぱり周囲と比較してしまってげんなりしてしまう。

最終まで進んでいる大手は1社で、そこがダメだともう後が無いような感じだと思う。

要領が良いことと勝負強いことは自分特質だと思っていたけど、その選考は1週間以上先なのに、どきどきして眠れない。

周りからのプレッシャーには結構やわだった。勝手プレッシャーを感じているだけだけど。

今までは周りからプレッシャーを受けることは無かった。

親には大学進学を反対されて、反対を押し切って大学まで来たし。

地元の友達はヤンキーがほとんどだったから、進学では周りからプレッシャーを感じることは無かった。

おかげで、奨学金バイトでなんとか学費払ってるし、ここまでして来た大学を出て、大手じゃなかったらと思うと正直怖い。

「あいつ苦労して大学来たのに。中小かよ」とか思われたくない。特に周りの医者子どもとか経営者子どもとかで、なんの不自由なく大学に来てた人たちに。金持ちが悪いとかそういうわけじゃないけど、そういう人に負ける感じになるのは悔しいから。

マッチングあるとか、やりたいことがやれるかどうかとかいっても内定先の企業で評価されるのが現実で、やっぱり自分が誇れる企業で頑張りたいと思うのは結構たくさんの人が考えていることだと思う。

だからこそ、社会的に評価の高い大手企業に行きたい。

残っている一社行きたい気持ちでいっぱいで考えすぎて、せっかくのゴールデンウィークがつらそうだ。

って気持ちが詰まってたので、増田に吐き出してみた。寝不足であまり推敲してないので、へんな文章があるかもしれない。

書いててちょっとすっきりしたし、切り替えて、できる限りのことを頑張ることにしよう。

2009-04-12

日本人変態パワーなめんな! ~江戸戦後、現代までのHENTAI分析~

エロゲーから広がる、すばらしい日本技術を紹介する記事で、

日本人変態性を真っ向から否定するようなコメントがあったので、

場所を移してとことん反論してみる。

 

■「これは全世界ゲーム史上、初めての試みになるだろう」

…TEATIME、ゲーム世界現実リンクする新技術フェイストラッキングシステム発表

http://guideline.livedoor.biz/archives/51192905.html

 

※274. Posted by   2009年04月12日 01:18

一部のオナニー野郎を根拠に、日本人変態だの性に対して旺盛だの言わないで欲しいな^^

まともな人間にとって変態呼ばわりされることはちっともうれしくない上にみっともないことだし、そもそも日本人は大して変態民族ではない。

西洋人の方がずっと変態なのは常識だし、性に対して旺盛だったらセックス回数最下位なんてことにもならない。

西欧(野外露出レズhttp://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele2.html

日本(ただセックスしてるだけ):http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/shunga.htm

↑と比べれば日本人春画なんて特別なもんじゃねーことはすぐ分かる。どちらも19世紀の絵だが。

お前らが密かに自分達の下品な性癖民族特質的なものだと信じたがる根拠に、蛸に犯されてる触手ものの春画を持ち出すことがあるが、あれだって日本特有のものでもなんでもなく、西洋人普通に描いていた。

http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/rops/rops10.html

http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele5.html

江戸時代日本人フリーセックス的な「性に大らかな民族」なのであって、それがむしろ抑圧や罪の意識への反動から生まれる「変態性」とは無縁の文化だということは言うまでもない。ノーパンと言うのは、「女はパンツを履くべき」という抑圧を設けることによって初めて意味を持つが、当時の日本人はあっさりした着飾りしかせず、下着なんてつけてなかったんだから、抑圧が少ない分変態性も少ないんだよ。

 

まず、ひとこと言わせてくれ。

日本人変態パワーなめんな!!

 

 

江戸時代までの日本には、庶民に変態が少なく、キリスト教モラルの制約が強い西洋の方に

変態が多かったのは、まさしくその通りだと思う。

 

祭り(ハレの日)の夜の乱交、夜這い文化を代表するようにフリーセックス社会であり、

嫁入り年齢が若かったことからもわかるように、10代前半の女性も身体が性的成熟さえ

していればセックス対象になっていた。

だが、それは西洋幼児性愛ロリータコンプレックスのように処女性を不必要に尊ぶことなく、

むしろ身体の個体差に合わせた、生物学的に見ても健全なものだった。

このように性に奔放だった農民や町民に比べ、上級武士世界では性に対してストイック

あったためか、男色SM的行為などへの倒錯が多く見られた。

 

 

しかし、このように奔放だったのは江戸時代までの町民、農民にかぎった話。

明治維新後の日本には、一気に西欧化の波とキリスト教モラルが流入した。

西欧文化に追い付くために、一気にマジメになることを余儀なくされたのだ。

この文化的な抑圧の時代に、エログロナンセンスサブカルチャーが花開いたのは、

偶然ではない。

 

その後、世界大戦の時代に突入し、徴兵制が広がり、軍部の力が強化したこともあって、

日本は一気に一億総サムライとでも呼ぶべき、ストイック国民性になっていった。

この猛烈な抑圧が、戦地での残虐行為、陵辱行為につながった例も多くあるだろう。

だが、それはいつの時代、どこの国の軍隊でも良くあること。

日本ドイツばかりが未だに叩かれるのは、最も直近の世界大戦における敗戦国だからである。

 

 

そして、太平洋戦争での敗戦により、日本米国進駐軍による文化とセックスでの蹂躙を受ける。

日本中にあった売春宿などの赤線地帯は縮小・管理され、米軍兵に好んで身体を売るパンパン

呼ばれるビッチ女性が現われた。

 

その悔しさをバネに、追い付け追い越せの高度成長の流れで、世界一勤勉な国民になっていった。

週休1日、深夜残業当たり前のサラリーマンの激務を支えたのは、目覚しく発達していった

風俗産業裏本アダルトビデオの文化だった。

ここでも、ストイックさの陰に変態の萌芽あるのがわかるだろう。

 

敗戦から40年足らずで世界一経済大国へと復活を果たした日本は、バブル景気に沸いた。

大学生は車を持ち、社会人会社の経費で豪遊し、トレンディドラマのような恋愛流行した。

ディスコ・お立ち台ブームなどで、江戸時代のように陽気にハメを外しかけたが、

バブルはすぐに崩壊してどん底へ。

むしろハメを外すとバチがあたるという、トラウマになってしまった。

 

バブル景気前後でもセックス面での格差の激化は続き、世間の恋愛路線から外れて

ロリコン趣味を密かに楽しんでいたオタク層は宮崎勤事件で徹底的に糾弾された。

一方で、不倫ブームが表面化したのも、この頃からである。

勤勉な夫が稼ぎに出ている間、家を守る貞淑な専業主婦という幻想が崩れ始める。

 

さらにバブルの残党が女子高生を買いあさった「ブルセラ援助交際ブーム」が過ぎると、

後にはビッチセックス観を持つギャル達と、児童ポルノ規制の強化だけが残った。

 

 

これらの流れは、今でも女の自己満足に過ぎないアゲハ嬢ブーム、児童ポルノ単純所持の禁止や

ダウンロード規制出会い系サイトの排除などで、おおらかなセックス文化から一般男子

遠ざける方向へと邁進し続けている。

その結果が、年間セックス回数の世界ランキングでの最下位である。

 

しかし、その陰でエロゲーを始めとする、二次元の性文化は目覚しい発展を遂げていった。

何故なら、二次元は決して裏切らないからである(と思ったら、かんなぎが...)。

 

 

このように、本来は性に自由だった国民性が、明治以降に徹底的に抑圧され、

解放されかけてはどん底に突き落とされ、の連続で萎縮しまくった結果が、

現代日本のこのすばらしき変態文化を生んだんだよ!!

 

 

そして、世界不況の今こそ、日本はこの変態力で世界に向けて反撃の狼煙をあげる。

いいか、OTAKUHENTAIANIMEMOEKAWAII で、日本は天下を取るんだよ!

 

日本人変態パワーなめんな!!!

TEATIME(ILLUSIONも同系列)は、マイクロソフトGoogleに次ぐ次世代技術の先端企業になるぞ!

モニターの前でパンツおろして、しっかり見てろ!!

2009-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20090128013642

例えばプログラミングを初めて見たいなと思う。 そのとき、「プログラミング」で検索しても、大御所以外は見つけにくい。何言語入門とかのページに行き着くのがほとんどだろう。 でも、プログラミングを始めたばっかりのやつにどれがいいのかは判断しにくい。

そこで俺ははてなで、「プログラミング」とタグがついたものを購読する。 一週間、いつも通り趣味時間を楽しむだけで、だいたいプログラミングについては感覚がつかめてくる。この言語はこういうもので、この言語はどうだ、とか。 メタな視点を得るのに適してる。まず全体像をつかんで、それから細部について学習するときは、本を開くよりもこういうアプローチの方が楽だし、手っ取り早いし、効率もいい。

そのうち読んでると、それぞれの言語にも特質や向き不向き、いろんな評価軸があるんだとわかる。 その中でjavascriptpythonが良さそうだと思ったら、そのタグフィードに購読する。 これを繰り返すと、いつの間にか勉強が半分くらい進んでる。 趣味時間で。

一番いいのは、受動的に能動できること・・・っていうんかな。 関心を持って、あたらしいフィードを追加するのは能動だ。 でも、一度登録したら、その日からそのことに関する学習は受動でできる。 趣味足り得る。

社会情勢に関して詳しくなりたいな、っておもう。 でも新聞に書いてあることを毎日Wikipediaで調べるほどのエネルギーは割けない。

でもフィードはてなを登録してると、finalventさんのブログがよく取り上げられていることを思い出す。そこで彼のブログを登録する。

・・・こういう風に、普段から自分が知ろうと思ってなかったことに関しても触れておくことで、いざ必要になったときに一歩進んだものの見方ができるようになる。水準を底上げできる。

まあ、俺はこういうこともあってGoogle Readerで一日700くらいのエントリーを受信して、だいたい20個ぐらい星をつけてる。

あくまで遊びの範囲でやることがある意味肝心なんだと思う。 遊びだったら、続けたくなるからね。 勉強とか下調べみたいなことでも。

2008-11-27

これから法律学を学ぶ人のためのおススメ入門書3冊

1 「法と経済学日本法の経済分析」マーク ラムザイヤー(弘文堂)

ISBN:4335351038

 元東大法学部客員教授にして現ハーバードロースクール教授が書いた日本法の解説書!岡目八目、そんじょそこらへなちょこ日本人学者が書いた本より100倍ためになります!日本法律学特質経済学的観点も加味して鋭く分析した好著!サントリー学芸賞受賞作!法律学を学ぶすべての人に!本屋さんに無ければぜひ図書館で借りて読もう!!!

2 「憲法問題入門」長尾龍一ちくま新書

ISBN:4480057234

 元東大教授学会の大権威憲法をわかりやすく解説!国民主権天皇制戦争放棄基本的人権内閣司法権地方自治などの幅広い論点をカバー!「芦部憲法」を読む前に本書で基礎知識を!憲法を考える現代人のための必読の入門書!!!

3 「市民のための裁判入門」井上薫(PHP新書

ISBN:4569698611

 東大理学部卒の切れ者元裁判官が、裁判の仕組みをわかりやすく解説! 「裁判意味」「裁判官独立」「上告と控訴の違い」といった基礎知識から応用論点までを親しみやすい語り口で説明!新書なので値段も手ごろ!お勧め!!!

http://anond.hatelabo.jp/20081127063438

この書き込みを見てて思った事がある。

自分は親からお前の器量じゃ結婚無理だから手に職つけてくれと言われたぐらいのブサイクで、身長156cmで体重53kgのBMI的には標準だけど世間一般基準からしたら充分デブで9号入らないサイズの女。しかもデブのくせに貧乳

更に、毛深くて剛毛で、多少処理したところで毛穴がすぐに目立つので、手入れはあきらめて私服スカートは一切履かず、腕のもじゃはそのまま堂々と露出してる。肌も弱いので常にすっぴん

趣味電子工作系で部活空気読まずに女子部員が皆無だったその手の部活に図々しく入部し(もっとも私が入部したのを見て勇気が出たのか以後入部希望者が相次ぎ私の卒業する頃には半分が女子になってたが)仕事そっち系に進んだ。

女だからという理由でご馳走になったことは一度もない。(後輩だからという理由で同期の男と共に先輩から奢られたことのみ)

そんな、女捨ててると一部からは言われるような女だけど、高校の頃から男は切れたことがない。

気に入った相手がいれば自分からがんがんアプローチして、半分はふられるんだけど、残り半分はとりあえず落とすのに成功して3-4年はそのまま付き合う。付き合いがマンネリ化したりして相手が浮気したりするとそれをきっかけに次を探して乗り換えるといった具合でもう20年ぐらいやってきている。デートは、奢られることはないけど貢ぐこともなく常に割り勘。

30も後半になったらさすがにそうはいかなくなるかと思っていたけど、最近また新しい相手が見つかったところだ。

日々自己研鑽している女性の皆さんに申し訳ないような気持ちになってしまうのだけれど、自分に男が切れない理由は、むしろ女らしくないから、女らしくあるように努力をしてないからじゃないかと思っている。

思うに殿方は女性の個体識別能力が低いのではないかと思うのだ。よく女を一般化したがる言説があるけど、あれは本当に区別がついていないんじゃないかと思う。女性自身にも同調圧力があってみんな似たような服、似たようなメイクになってるのも原因だと思うのだけれど。(実際ほとんどが9号サイズを着てる訳だし)

で、そういう状況だと、「そうじゃない」だけで目立つ。個体として存在認識される。世の中の8割5分の男性は私のような女のことは見向きもしないが、1割5分ぐらいは「そうじゃなくてもOK」な男性がいて、そういう男性から見たら、なまじ浮いてる分興味を持ちやすいんじゃないかと思ったりする。

見かけによらず経験豊富(笑)なことから男性から恋愛相談を受けることもよくあるのだけれど、彼らは驚く程相手の女性の固有の部分が見えていない。女とはこういうもんだろうという思い込みで動いているので、彼女にはこういう特質があるんだからこういう言い方をしないと、という解説をすると目から鱗的な反応をされることがある。

私の場合見た目から違和感が漂っているのでそんな理想押し付けられるようなこともない。それこそ「ありのまま自分(笑)」を受け入れてもらっているように思う。そういう意味ではむしろ「女らしくない女」の方が有利なのではないかと思う。そしてそれは実は「男らしくない男」も開き直ってそれをアピールしていけば同じようにいくのではないかと思うのだが、どうだろう。

要は、モテるには別にジェンダーに過剰適応する必要はなくて、むしろ反対の方向に振れる方が、埋没するよりよっぽど有利なのでは、という話。

2008-11-21

スイーツについて本気出して考えてみた

スイーツ(笑)

いわずと知れたネットスラングである。

スイーツとは

定義としてはウィキディアから引用

女性誌、特に女性向けファッション雑誌に多く見受けられるバズワード的なキャッチコピーを用いたマーケティング戦略マインドコントロールされているかのような一部の人たち(主に女性)を揶揄するインターネットスラングである。

(略)

転じて、女性誌に限らずマスコミ恣意的な報道を鵜呑みに信じる者、メディア・リテラシーのない者、ひいては流行快楽ばかりを追従し、一般常識や知識やモラルが欠如した若年女性を総称して指す風潮にある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%84%EF%BC%88%E7%AC%91%EF%BC%89

噛み砕いて言うと、「おいおい。マスメディア戦略がつくった流行にのせられて菓子スイーツとかいってんじゃねえよ(笑)

という揶揄から始まり、

「こういうマスメディアが作った流行にほいほい乗っちゃう女って言うのはやっぱ頭ゆるいな(笑)」という種類の揶揄に繋がるのである。

女性誌が考えそうなキャッチコピーを利用して「マスコミに踊らされる女性馬鹿にする」ことなんですね。

これを初めて知ったとき、私は「言いえて妙だなw」「なるほどねw」とかなり感心したものです。

というのも、確かに日本女性ファッション雑誌競争は激化しており、

より訴求力を高めるために情報の新鮮さや、感性に訴えるようなキャッチコピーが必要とされているのでしょう。

でもそれは単に女性情報リテラシーが低いということを指すものなのでしょうか?

逆に言えば、ターゲット層の女性感性の鋭さをもっており、情報感性で取捨選択できるという言うことを指すのではと思いました。

(もちろん、スイーツ(笑)に代表されるような、“踊らされている”女性も確かにいることは私も否定できません)

時に「論理的でない」ことを男性は嫌がりますが、女性同士は感性ニュアンスで事足りる場合があります。

どちらが高度なコミュニケーションだとは、一概には言えないとおもいます。

というより、ジェンダーが絡むと問題がややこしくなるので、「男は」「女は」という不毛な議論はやめておきましょう。

今回のテーマは「スイーツ」という言葉自体について。

スイーツって言ってもいいじゃない。


スイーツ

私は個人的にこう思います。

スイーツは単なる西洋菓子でもデザートでもない、スイーツなんだ!」

つまりですね、「なんだよ、スイーツって。別にお菓子とかデザートとかで良いじゃんか。なんでわざわざスイーツとか言うの?」

という方に異論を唱えたいというわけです。

女性風に言うと、

「じゃぁ、なんでスイーツって言っちゃいけないの? “お菓子”とスイーツって、違うじゃない?」 ってね。

スイーツ”の歴史

では、何年ごろからスイーツという言葉が定着してきたのか。

メディアを読み解くことからはじめてみましょう。

筆者の属する大学雑誌新聞データベースで検索する限り、

朝日新聞社AERA」で1990年代には初出している。しかし女性向けに書かれたものではなかった。

この記事に関する限り、スイーツ芸術作品であった。

現在の「スイーツ」と同じような意味で全年齢層に向けて書かれたのが、

2002年6月23日 朝日新聞朝刊 『アジアンスイーツランランランキング)』

このころ(2002??2003)を境に、スイーツを関する記事が増えてきた。

西洋菓子産業に関して「スイーツ」が定着してきたようだ。

また、自由が丘にあるスイーツテーマパークスイートフォレスト」ができたのもこのころ。

そしてスイーツ(笑)論争のターゲットにされる、『CanCam』(小学館

こちらが残念なことにデータベースの範囲外で調べることはできなかったのです・・・。

(初出情報をお待ちしております。)

しかし同じ小学館デジタル大辞泉によると、

スイーツsweets

甘いもの。菓子、特に洋菓子をいう。【1990年代後半から】一般に使われるようになった。

[補説] sweetの複数形。

とある。

な、なに!1990年代?!

筆者は87年生まれなので、小学生のころには既にスイーツは一般的だったようだ。

(本当に?)

ネットスイーツ(笑)論争

では、ネットスラングとして使われたのはいつごろなのだろうか?

筆者は2ちゃんねるを利用しないので、過去ログを検証することはできないので、聡明なネットユーザーの方にお任せしたい。

まとめサイトなど初出と思われるものは存在しているのでしょうか?)

一応「バカ女語のガイドライン」というスレ?が初出なんでしょうか。(そうすると2007年?!意外と新しい)

しかし、少なくとも5年前まではスイーツ論争などは起こりえなかったのではないかと考えますね。

10年前に「ちょwwwスイーツwwww」なんて考えられないことです。

(そもそもインターネットはそこまで普及していないでしょうね)

しかし、90年代から使われてきたはずの「スイーツ」が、なぜ「バカ女の代名詞」として使われてきたのでしょうか?

スイーツは時代の餌食に・・・?

90年代以降といえば、

ジェンダー論争の波(女性社会進出)

インターネットの普及

が相まって、それまで問題にされてこなかったような女性特質揶揄されるようになったのでしょうか?

この辺はよくわかりません。

スイーツは、“お菓子”でも“デザート”でもない。

で、本題に入りましょう。

女性が「スイーツ」というとき、それは大まかに言うと「西洋菓子」の事を指す。しかし、厳密に言うと西洋菓子でもないんですね。

もともと、流行言葉を作り出すのは若者が多い。

感覚が鋭いかれらは、属するコミュニティの間でより微妙ニュアンスで物事を伝えたがるのです。

(お猿さんの群れの暗号と一緒なんです。構造は。)

エロ可愛い・キモカワイイと従来の言葉を組み合わせ、

既存の形容詞だけでは言い表せない、微妙ニュアンスを伝えたい欲求があるのです。

同性同士結束したコミュニティを作る傾向にある女性は、(私の周りでは派閥抗争とかしていました。)

こうした「微妙ニュアンス」を感じ取る能力に長けています。 浮気などに勘が鋭い女性もいますね。(これは関係ありませんが。)

つまり女性が「スイーツ」とあえて言う場合には、マスメディア戦略をある程度考慮しても、

それを選択した時点でまるで異なったニュアンス感覚的にかぎ分けて使っている可能性があるのです。


この可能性を鑑みて、知り合いの女性たちにインタビューしてみたら、

スイーツにかんしては、「高級製菓」の事を指す傾向がありました。

“高級”の間は人それぞれですが、

不二家スイーツにはいらない」「コンビニ菓子ははいらない」「パティシエが作ったもの」「スフレやマカロンなどフランスの系譜のもの」「和菓子も入る」

など個人の線引きはあるように思います。


つまり、彼女達にとって「スイーツ」≠「菓子」であり、感覚的には別物なんですね。

もっと広い範囲で聞いてみるとおもしろいかもしれませんね。増田のみなさんはどこで線引きしますか?

「そもそもその感覚こそ、マスメディアに作られたものなんだ!」という人もいるかもしれません。、

そのことを全否定するつもりはありません。多かれ少なかれ我々はメディアの影響を受けているものです。そうでしょう?

しかし彼女達にとっては「スイーツ」は「菓子」でも「デザート」でもないようだということを主張して、駄文を終わらせていただきます

豆知識(蛇足)

お菓子、という言葉漢字が示すように昔は果物のことでした。実はイギリス英語(w)の「デザート」にも同じような意味があります。

本来のSweets駄菓子のことを示すのですね。

日本語の「デザート」は「食後に食べる甘いもの」の意味も付与されているようにに思います。

2008-11-02

未通女(おぼこむすめ)の巣窟としての二次元

性代替的と言うよりは性逃避的なんだよな、と夙に思います。

自分が惹かれるのが、女の子の仲良し集団を中心に描いたマルチヒロイン系の作品に偏向していることは、随分前から薄々気付いていました。

現実ではモテないから仕方なく二次元女性に行くというのを代替的と称するなら、それとはやや異なる、逃避的なあり方というものがあるでしょう。

現実恋愛は煩わしく、それでも女性的な何事かに触れたいと思うとき、マルチヒロイン系の作品は大いなる癒しを与えてくれます。(ちなみに、ギャルゲ恋愛ゲーと言われるものは一度もしたことがありません。)

主要な要素として、次のことが挙げられます。

A.女の子の間での仲良し具合が中心に描かれる。

B.主人公及びその周りの主要登場人物は、未通女であることがほぼ絶対的に保証されている。

C.男性が登場しても、巧妙に疎外される。

D.人物の性的な魅力(あるいは、身体的な魅力)に関する事柄は、あくまで女性から女性への視点で描かれる。

これらの事柄は、所謂「百合」「ソフト百合」と称される作品、あるいは迂遠に「百合的な視点で鑑賞することもできる」と言われる作品に、ほぼ共通しています。

D.に関連して、どのくらい身体的な事柄が出ているかの指標となるような、良く出てくるトピックというものがあります。それは、「貧乳豊乳をめぐる話」です。

それでは、ケーススタディをば。

1) ひだまりスケッチ

性を直裁に連想させる話が割合多いです。しかし、それとバランスを取るかのように禁圧的でもあります。話を出しておいて全力で否定するという図式。

吉野屋先生 :本人が自覚している豊乳想像は良くしているが、未通女であることがほぼ明示されている。

・沙英:本人が自覚している貧乳。同じく想像は良くしているが、未通女。

ヒロ:男女交際をまだ早いと感じていることを理由にお断りする。

2) あずまんが大王

榊さん:豊乳美人であるが、男性から見てどうかという視点はありません。終盤の話からは「豊乳」が榊さんの母性の可能性を暗示しているように見えます。

3) マリみて

百合」の語を人口に膾炙させた作品です。女性から見た女性の魅力をさまざまな形で提示しています。第一巻で祐巳が自分の貧乳についてショボンとする場面があります。単に何らかの欠落の意識ではなく、特別な対象祥子さま)と自らを比較して、という文脈の上で出ているのがこの作品らしさなのでしょう。

4) らき☆すた

泉こなた貧乳。敢えて意味づけを行うとすれば、彼女の「元気ないたずら小僧のような性質」から類推し、(当然、胸は無いという)少年の身体的特質と関連付けられます。オタク少女ということになっていますが、こなたの魅力は大人の世界の囚われが少ないという意味での「自由な子供」としての特質として描かれているのではと思うのです。

岩崎みなみ貧乳。どのような意味岩崎みなみ貧乳を気にしているのかは語られません。しかし、人物像を考えるときには興味深いです。

5) ARIA

・徹底的に、(そしておそらくはかなり意図して)身体的な魅力に関する話題は排除されています。人物の纏う雰囲気についての魅力(アリシアが優雅である、等)は、辛うじて身体的な魅力に近い話と言えますが、やはり人物として備え持つ美徳としての文脈の上にあります。「百合」として捉えた場合、極限まで身体性を取り除いた功績は大きいです。

アリシアの「結婚」が話の終盤と共にもたらされたのは興味深いです。男性存在は暗示されたのみで、最後まで登場しません。

・一方で、アリシア結婚藍華恋愛は、大変まじめな扱いを受けています。

6) プリキュア

作品の性質上、教育的な配慮からか、身体的な魅力についての話はほとんど出てきません。運動ができる、といった「能力」としての身体は存在しますが。

…いろいろと掘り下げ不足ですが、今回はこの辺で。

追記:はてブへいただいたコメントへの返し

IDコールはできないようですが、一応、ね。

id:kashmir108 さま

やっちゃった(恥)。確かにそんな描写がありました。

id:gadgetman さま

あれま。がっかりです。ということは、表には出ていない生活の基盤があって、その一部だけを選択的に表現した世界、ということになるのでしょうか。あるいは都市伝説とすれば、背景となっている生活がもっといろいろあるのではないかと読者に思わせるに足る「リアルさ」がある、ということなのでしょう。

id:junkMA さま

ちょっと偏った言葉を使ってみたかったのです。

id:kuippa さま

「つとに」ですよー。

id:wideangle さま

会話の中で、エキセントリックな反応をしている箇所があるのです。(Wikipedia参照。)

id:wideangle さま

うお!?何やら隠微な雰囲気を醸し出している作品ですね。チェックしておきます。

2008-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20080815210029

敵対者とみなしたものに攻撃性を示すのって古今東西あらゆる個人や組織に当てはまることなんじゃないかな。それを寝投与とかはてな左翼特質(共同性?)であるかのように言うのはやはり違和感がある。

2008-08-01

非モテだから仙人になるのではない。非モテだから仙人になれるのだ

増田で提示された「仙人になるための八つの試練」は、間違いなく仙人になる『試練』であり、非モテが異性と関係を持たぬまま幸せになる『方法』などではなかった。確かに仙人になる利点は述べてあったけれども、即、幸福とは直結しないことは誰にでも読み取れたし(ただし読み取れなかった思い込みの激しい人は少なからずいた。後述)、これを完遂できる人間がいるとは誰も考えていなかった。

著者はおそらく現代日本社会適応した、古くからいる神仙の類だろうと思われる。彼は面白半分に仙道の入口を指し示しただけなのかもしれない。だが彼や読者の推測を超えて日本社会は爛熟の相を迎えており、仙人になる才能、すなわち仙骨をもった人間を多く生み出していたのだった。彼らの多くは非モテと自称していた。

『試練』が提示されたことで多くの人が興味半分に仙道の門をくぐった。どうしても親を断ち切れない杜子春が大勢いた。色欲食欲につながれる俗人が大勢脱落した。酒に陥落するものもいた。それでもまだ十分に多い人数が残り、仙人と呼ばれるにふさわしい域まで到達した。

欲に突き動かされるのが凡俗であるならば、欲を捨て去るものを憎悪するのもまた凡俗である。西洋の哲人は有様を「ルサンチマン」と名付けた。

怒れる凡俗は非モテという名の道士に向かって叫ぶ。

「性欲を捨てたいんなら念じずともぶら下げているものを切り落とせばいい」

しかし仙道とは堕ちるに易し、極むるに難きもの。誰が好きこのんで折り返し不能点を低く定めようか。たしかに本邦には自らの素手により去勢を行うことで、怪力益々猛り剣術冴え渡る剛の者もいたと人伝えに聞く。だがそれで神仙に至れるなら宦官はこれすべて仙人でなければならぬ。無益な助言であった。無駄恫喝であった。非モテ、いや道士たちはこの種の脅しに耳を貸すことはなかった。

仙人の域に到達したものが誰でも一番最初に驚くのが、人は生殖にいかにリソースをつぎ込んでいるかという事実であった。進化論的には生殖エネルギーを使う生物がより生き残るのは当然である。おなじポテンシャルを持ちながら生殖に邁進するものとそうでないものの二種では、例え後者が2倍、いや3倍の寿命を持ちえたとしても前者の有利は揺らぐことがないだろう。

そう、八つの試練を乗り越えると目に見える結果が伴うのだ。不死とは言わないまでも不老長寿を現代の仙人たちは獲得したのであった。もっとも彼らにとって若さとは活力を維持できることを意味するのであって、若さがもたらす美しさには無頓着なのだった。

切望するが自分にはないもの、それを他人が持っていてなおかつ利用するそぶりすら見せない場合、それは容易に憎悪対象になりうる。一般人オタクを怖れ憎むのと、似てはいるものの違った論理で、凡俗は仙人たちを憎んだ。陰に陽に凡俗の仙人狩りが始まった。

メディア若さを保っている人としてある仙人が取り上げられたのがそもそもの始まりだったという。その仙人にしてみれば、自分に嫉妬するものがいようなどとは思いも及ばず、軽い気持ちで受けた取材であった。メディアによりそのような人間が個の特質ではなく少数ですらないことが知れ渡ると、さらに凡俗の嫉妬心を煽った。

容姿に秀でたものはそれをもって傾仙を謀り、才能に自負を持つものは才で仙人どもを踏み越えんと欲した。何も持たぬ多くの凡夫は石をもって追った。当時進行中であった社会の静かな崩壊もその傾向を助長させ、事態は魔女狩りの様相すら帯びてきた。

まず童顔と形容されるような人々が不遇な扱いを受けるようになった。禁欲に関係のない才能ある普通の人々が、当人にすらわからぬ理由によって職を追われた。静かに暮らしていた同性愛者のカップルが襲撃され、犯人のわからぬまま時効を迎えた。子を持たぬ夫婦が……。

仙人のほうでも座して死を待つつもりはなかった。隠遁し、人に紛れ、そして連帯した。彼らの能力資本をただ一点に集中し生き残りを画策した。彼らは宇宙開発に活路を見出したのである。結果、宇宙に居を定める最初の人間日本人となり、今なお最大の人口を持つスペースコロニー日本に所属するものとなった。構成員はほとんどが仙人であったのは言うまでもない。

これが東方にありといわれた神仙蓬莱島の縁起である。

それから千年の後、宇宙から地上を支配するに至った彼ら仙人達に、積もりに積もった殺劫でローマが壊滅することになるのだがそれはまた別のお話

参考

http://anond.hatelabo.jp/20080728205902

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080728205902

2008-07-31

学校のオベンキョーが嫌いな優等生様の謎

ダンコーガイ経済的な問題でアメリカの名門大を中退したというのは有名なはず。

だとすれば、ダンコーガイは書類上はともかく、実質的にはよくある高学歴人間だ。

大検とか中退なんてのは別に珍しいことでもない。それこそ京大にでも多くいるよ。

実際のところ、ダンコーガイが知識を披露している文章の多くは「その道の人にはイロハのイ」程度のことをわかりやすく書き直したものであることが多い。彼が「頭がいい」と尊敬されている部分のかなり多くは、「高学歴者」特有のスキルと共通する部分なのだ。


そんな人間が、どうしてことあるごとに学歴を目の敵にして、中卒を自称(これはある種の学歴詐称だと思う)するんだろうか。なんか意図があるのか。

自分もいい大学勉強したのなら、学校で学べることの凄さも限界もある程度は自分でわかってるはずだろう。


学校で学べることというのは確かに限られた知識だ。だが、それが何の役にも立たないだとか社会での優秀さと何の関係もないと言ってしまうのは言い過ぎだ。

単なる知識の積み重ねは百科事典Googleが代替できるとうそぶく奴らは、知識の恐ろしさを知らない。現代文明はまさに、古代からの知識の集積の上に成り立っているのだ。これが「つまらないこと」であると言ってしまうのであれば、世の中に面白いことなどなにもないのではないか。

また、学校勉強人格形成と無関係というのも大嘘だ。何かを一生懸命努力した人間は、怠惰に過ごした人間よりは確実に何かを得ている。スポーツ選手芸術家にたとえてみるとわかりやすい。彼らの中には社会性が欠ける人間も多くいるかもしれないが、人間性が薄っぺらい奴は少ないだろう。程度の差こそあれ、高学歴者にも似たようなことが言える。


そして、ダンコーガイを崇拝している自己啓発大好きな人たち(マッチョワナビー)の特質を見ていると大笑いだ。彼らは学歴が大嫌いだが、彼らの思考回路受験勉強パロディそのものなのだ。

よく考えてみるといい。就活オタクは、受験オタクと何が違う?セミナーで「コミュニケーション能力」や「人間力」を鍛え、ギョーカイ人とのコネを自慢する彼らは、模試や夏期講習などで予備校に足繁く通い、カリスマ講師を崇拝する受験生と何が違う?

ITのなんちゃってエンジニアたちも同様だ。「ITは学歴無用の実力の世界」というが、従来型の技術の世界なんて昔からそうだ。「大学は不要、Webで学べる」と言ってる人間も多いが、単にIT(というか一部のコーディング技術だね)が学問として未成熟で断片的な知識の集積だから、キーワード検索した結果を画面上で閲覧するだけで事が足りてしまっているだけの話なのだが。アカデミックの発祥期の真似事をしているとてもほほえましい世界としか俺には思えない。


もういい加減、学歴は役に立つか立たないかなんてつまらない二分法はやめたらいいのに。学歴ビジネスも所詮手段だろうが。勉強ができる人間と金を儲けられる人間はどっちが偉いかなんて、本当にくだらんよ。

2008-07-23

エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と」 に質問あったので。


上記二つを書いた増田です。

質問とかあれば、と書いていたら本当に質問あったので回答してみようと思う。

#追記

#上記二つのエントリの続編というか、まとめ(このブログで言いたかったコト)書きました: http://anond.hatelabo.jp/20080724004506

ただし、そもそも説得しようとか布教活動するつもりは毛頭なく、はてな村的な「事実淡々としたレポート感覚で回答したいなと。

なので、こういう感じだよっていうニュアンスで書きます。

結果、総合的に見ると矛盾だらけの教理に見えると思う。

実際には(私はそもそも愛想つかしてるので擁護しませんが)、箇条書きする要点の間には、もっと沢山の補完教理があります。

だから、「こんなもんか」って早合点するより、概ねそんな感じらしいって感覚で見るといいかも。

具体的に知りたいことは家にきたエホバの証人に突っ込むほうがよいです。

教理のアップデートが結構頻繁なので時代により若干、教理が異なってきてるのでこの内容そのものが若干古いとも思うしね。(ここ1、2年はまともに話きいてないので)

ちなみに昨日は寝ぼけてグダグダで書いたんだけど、それが良かったのかすごいブクマついててびびったよ。。。

01.宗教全般に見られることなんだけど、なんで禁欲的な生活が推奨されて、禁欲的でないと排除されるの?宇宙戦争のくだりを読む限り関係なさそうなんだけど。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

次の質問で詳しく回答しますが、「禁欲的であるかどうか」が重要ではないんです。

結果として禁欲主義になっている、と捉えるほうが理解しやすいかも知れません。

重要なのは「聖書が何と述べているか」つまり「エホバ神は何と言われてるか?」と、

「神の命令に自分は従っているか?」が重要な基準なんですね。

禁欲的なのは神がそのように生活せよと命じられている(と、エホバの証人解釈している)から。

神の命令に従わなければ宇宙戦争世界では、悪魔の側となるという解釈なんですね。

ゆえに、聖書NGとしている(とエホバの証人解釈している)戒律を守り、禁欲的な生活を送っているのです。

禁欲は結果としてそうなっているだけであって、それが目的ではないんですよ。

真の目的は、神の側に自分はいるかどうか、なのです。


02.なんで輸血がだめなの?自殺のくだりで「命を粗末にってことで」とあるが輸血がなぜ命を粗末にする行為なのかわからん。人を助ける行為じゃないの?

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

これは、そもそも「命」の考え方がエホバの証人一般人と異なります。

エホバの証人は、今の肉体は不完全であると考えています。

不完全だから老衰病気になり誘惑に負ける弱い生き物になったと考えています。

不完全になったのは、神ではなく悪魔の側につくと最初の人間である、アダムとイブ(JWはエバと呼ぶ)が選択したから。

人間は神の側か悪魔の側か選択する自由は与えられてた。

しかし、悪魔の側を選んだ場合、代償として死ぬはずの無い人間死ぬことになるという決まりになっていた。

(どうして死なないといかんの?というのは究極的な結論は神がそう決めていたから、というのが最終回答)

で、エホバの証人は、生きるか死ぬかよりも、神の是認(認められるか)を優先すべきであると教えられています。

結論から言うと、輸血だけではなく、神か神以外か?と二択を迫られると神を選ぶ!とどんな状況であれ選ぶ人が

真のエホバの証人であるという教理を持っています。

そもそも、この教団の呼び名である、エホバの「証人」というのも、この思想に基づいています。

つまり、絶対に神が正しい、神に勝る存在はなく、何よりも最高権威者は神であるという考え方です。

例えば、聖書殺人を非としていますが、神が是認した人の死は容認しています。

聖書の中では非信者である人間が、エホバに使える者に神の名によって殺されるシーンが様々なところで出てきます。

その場合、これは、神に反逆した者の報いであるといった解釈をします。(もうちょっと言い方ありますが解りやすさ重視なので)

逆に、神を非とした勢力に殺された信者の話も出てきます。

これに関しては、この忠実な証人は、楽園の時復活するのです。私たちは再会を楽しみにしましょう。と教えれます。

そろそろ話が見えてきたと思いますが、エホバの証人にとって、死ぬことより神に非とされることのほうが重大な問題なのです。

命を大事にせよと確かに教えられていますが、何より神を第一とせよと教えられてもいます。

この神を第一とする考えは絶対です。神より上位のものはエホバの証人概念には存在しません。

従って輸血を避けよと神が命じているなら、神の是認を得るために死をいとわないと考えます。

しかし第二優先事項として、命を可能な限り守ろうと、「輸血以外ならありとあらゆる方法で」命を守ろうと考えます。

ちなみに話がすこし逸れますが、脳死状態(回復する見込みの無い状態)に関しては聖書は明確な指針を示していません。

脳死の場合、延命を希望するかしないかは個人の良心の問題(聖書の行間の間にある余白から出ているメッセージを自分がどう解釈するか?)になるのです。

この個人の選択に関して、他の信者が介入したり批判することは非とされています。ただし、いわゆる二世の家庭では親が子に自分の解釈を強要するケースは珍しくないのも事実です。

つまり、命より、神の命令を守ることが、一番重要であるという価値観なんです。

ちなみに、これをカルトと言うか価値観ととらえるかは、宗教の文化が薄い日本では難しいというのは書いている自分は重々承知しています。


03.宇宙戦争の話面白かったです。でも「民主主義」に洗脳された「私には神しか、人類そして宇宙を支配できませんってでしたっていう証拠を作らないといけない。」これがちょっとよくわからなかった。

宇宙主権の正当性を立証し、復権し、人間人間を支配してもうまくいかんから

人間支配権は神に戻し、神が支配する世界人類繁栄しよーぜっていうことになっている。

この辺もだけど、神の復権ありきで議論が進んでるように感じる。人間が支配する、ってのは絶望的なのかな。

そもそも宗教に入るひとは、社会に対して何らかの不満がある人が入るから、「人間が支配しちゃだめだ!そうか神の復権だ!」って考えるのかな。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

宗教という枠で見ると話が壮大になり、それは宗教学者と議論された方が充実すると思います。

なので、自分の守備範囲であるJWという狭い枠の中において回答します。

結論から言うと、復権ありきで議論が進んでいる、と言うより、神の復権がそもそものテーマです。

こればっかりは、そうなってるんですよ、としか自分も言いようがありません。

ただ、「人間が支配する、ってのは絶望的なのかな。」という感想ですが、そこにはYesとは言えない部分も。

どういうことかと言うと、「神は選択の自由を認めている」というのも教理の一つなのですよ。

ただ、それに責任が求められるわけで。

つまり、「絶望せずにやってもいいんじゃね?」とも言えます。

あまり、この点をエホバの証人は言いたがりませんが、エホバの証人も神は選択の自由を認めており行動に責任は求められますが選択の自由を保障しています。

まぁ、時々、頭の弱いエホバの証人は、神に見倣い保証すべき自由を否定し、子供に選択を「強要」しちゃってますが。。。

別にこの「自由」という権利は、エホバの証人の中で新しい教理ではなく、発足当時からあるものなんですが、あまり注目されていないという事実もあります。

特に日本は地域変種の信者が非常に多く、日本支部ですらNGと唱えてるのに「服装の明確な規定」まで設けようとした頭の弱い信者もいます。(大抵、そんな困った人は、やがて指導受けますが)

だから、「神の側しかないの!?」ではなく「選んだらいいよ」ってのがある意味、神のメッセージとも言えます。

もちろん、「選ばないと滅びるよ」とは言ってますが、「本人の意思で自由に」と。

実はこの教理がある意味、二世を苦しめる教理の一つで、「私たちは強要してないのよ。神も自由は認めてるのよ」と言いつつ、聖書にはこうあるわよねと言われて育てられます。

前回は正直おもしろおかしく読ませることも若干意識して、一部のケースばかり書いたという側面もありますが、こういう言い方をする親も少なくないようで・・・

そういった家庭で育つ二世は、面と向かって宗教を強要されてはいないんだと、認識錯覚?)してしまうため、強く否定できません。

上から押さえつけられればあれこれ抵抗できるでしょうが、誰だって横からの攻撃は弱いもの。

結局、こう苦しく感じるのは自分がおかしいからなんだ、と考えて鬱病になる人もいます。

いますつうか、俺の友人の一人は確実にそういう感じでおかしくなったし、実を言うと自分もそれで精神病になるかなーってやばかった時期あります。

それから、「社会に不満だから宗教に入る」、確かにそれは一つの側面ですが、「全ての人がそう」ではありません。

それから、"社会に対して何らかの不満がある人が入るから"に関して。

宗教」は日本にはもともと無い概念だそうです。日本宗教という語は、的確な表現ではないという指摘もWikipediaにありますが自分もその通りだなと感じています。

宗教を捉える時に、「信条」とか「儀式」とかそういった形にしやすいものをどうしても日本人は中心に考えるんですが、それって、ショートケーキの上にのっけたイチゴみたいな概念ですよね?

つまり、人生の上にのっけるイベントのような。

でも、人それぞれですが、真剣に宗教をやる人にとって、宗教というのはむしろ、ショートケーキパンケーキ部分そのものなんですよ。

もっと言うとケーキを載せてる皿かも知れない。

はてな的に言うと、一般的な日本人の言う宗教ってアプリケーションです。

でも、マジでやってる人にとって宗教ってのは、OSなんです。

だから、社会に不満があるから、入信ってのは一部の人でしかないです。

で、そういう人はエホバの証人の中にも確かにいますが、長くは持ちません。

ちょっと嫌なことがあるとすぐに辞めちゃいます。

そもそも、ハルマゲドン到来の予言がはずれたり、子供エホバの証人なんてもう嫌だ!このせいで不幸になった!と叫んでも、脱退しない人は大勢います。

なんでかっつうと、その人にとって、これがOSなので取り外せないんですよ。

そんなの洗脳されとる!と思って忌諱するかはまぁ、これ読んでる方の捉え方なのでどうにもなりませんが。

身近な例で概念を理解してもらうための話をしてみます。

結構思いつきなんでアレですが。

あなたが犬を飼っていたとします。

その犬に名前をつけ、とってもとっても大事に思います。

今日仕事で疲れたなぁと思っても、その犬とふれあうことで心が癒される。

で、ある日、その犬を連れて外国に行きます。

仮の話なんので極端な例ですが・・・その国では犬は、ゴキブリや蚊、ハエと同じ害虫

最悪の生き物と見なされている国だとします。

きっとその国の人はあなたにこう言います。

「なぜあなたは、このような生き物を大切にしているのですか?

 柱に近づけば尿をまき散らし、餌を与えれば下品にガツガツと食べます。

 夜になればうるさく吠え、また人を襲います。全く私にはあなたが理解できない」

宗教ってのは熱心な宗教家にとって、宗教なんでやるの?って言われるのは

まさにこういう感覚(実際にはお前何で生きてるの?と言われるに等しい)です。

単純に、現世からの解放という側面だけで宗教を見るとどうしても見えない部分が沢山あります。

そのあたりは、経験するかもっとじっくり身近な宗教家と話さないと理解できないかも知れません。

とりあえず、家にエホバの証人が来たら、じっくり聞いてみると解るかもW


04.「今の世界悪魔に唆されて出来た世界で、人間の自治は失敗しなければならない。だから、そこでの成功や幸せぶっちゃけ世界平和悪魔に与する事になる」と、思えた。だから、楽しくとか、優しく(隣人愛=一般的に言えば誰にでも友好的で優しく、かな)ってのが聖書メインテーマだと判断しというのとは、本来的には相容れない気がした。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723103847

聖書の理解(というかエホバの証人聖書解釈)によると、今の世そのものが神の愛によるものなのです。

どういうことか?というと、要点は下記の通り。

  1. 神は、自分の宇宙主権の正当性を「わざわざ」立証する必要は無かった
  2. 人間悪魔サタンも滅ぼす権利があった(だって宇宙の最高権威者。反逆者は自分が絶対者かつ宇宙真理正義なのだから、反逆者を全て処罰するのも正当な行為という概念
  3. しかし、神は、宇宙主権に唱えた人間悪魔に弁明の機会(そうする必要は無かったのに!)を与えた。それが今の世界である。

で、神は人類としては神から離れてうまくいくはずがないので失敗は必然だけども、神の側を選んでいる人間個人には、今の世の中でほどほどに喜びを味わって欲しいと考えている、とも解釈されています。

そもそも、信者信仰対象である神の特質(の一つである、愛という特質。その例とされるのが上記の通り)に見習うことが良いとされています。

つまり、人類は神に背を向けたために苦しみを味わうことになった。

それは先祖アダムとエバのせい(罪は遺伝するという解釈。それを修復したのがイエス。で、まだ完全修復は実施されてない。長くなるので省略)

だけど、とは言え、神は、人類という大きな枠組みでは放置されてるけど、神の側につこうとする人間レベルでは見放されてない。

その一例が、聖書という指針書。今の世の全てが解るし、これからどうすればいいかも書いてある。

これが人類に与えられてることも、神の愛だよね。

つまり、人間は、そもそも滅ぼされてもおかしくない存在なのに生かされてる。

そんでもって自分たちの主張した意義を証明するための試験期間すら与えてもらってる。

そして、既に人間だめだこりゃ、神の側につきますって人には、聖書を通して神からの真実が教えられている。

で、神の側につく人は、神の特質を自分自身も表していくようにともあると解釈しています。

だから、神の側につく=神の特質を反映する=神の特質である愛を表明する=つまり優しさとかそういうの=それを表明するのは神の側!

回りくどいけど、大体はそういう解釈です。

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