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2009-01-25

また疑似科学疑似科学と叫ぶばk(ry

http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20090124#p1

いやいやこれ全部が疑似科学じゃないでしょ

妊娠したら薬は絶対ダメ→お医者さんも言ってるでしょ

・ 胎教するといい→胎教も色々あるからなんとも・・・

妊娠すると太るからダイエットしなくちゃ→適度なダイエットならいいのでは

名前の画数が悪い→科学ではなく文化です。おせちに数の子が入ってるのは"子沢山、子孫繁栄"を願ってるのと同じ感覚

・ 家や部屋の方角が悪い→同上

母乳育児万歳??西原式→だれ?

母乳にはダイオキシンが含まれるからしぼって捨てて赤ちゃんにはあげないほうがいい→うん、これは変だね

無農薬・有機・無添加食品がいい→低農薬のほうがいいんでは?

加工食品添加物だらけだからダメ加工食品ピンキリ

放射線照射した食品は命がないからダメ→そもそも市場にあまり出回ってない

遺伝子組換え技術フランケンシュタインのような化け物を作る技術→これもピンキリ遺伝子組み変えのせいで新たな毒性を持つ食品が生まれることもある。

電子レンジ電磁波が出るから使ってはいけない→うん、これは擬似だね

・ ラップやプラスチック食器は使ってはいけない→だいたい同上。でもラップはお皿で代用したほうがいいでしょう。(モッタイナイ的な意味で)

・ 哺乳瓶は危険母乳のほうが医学的にいいと聞いたが?母子両方に。

・ 缶詰めはダメ→キャンベル缶マジオススメ

・ とにかく母親手作りが一番→そりゃそうよ!食は文化だもん手作り文化を継承するためには子供の頃から慣れ親しみべき。

手作りしても「おかあさんはやすめハハキトク」はダメ野菜少ない。飽きる。

・ 卵は洗ってないのがいい→これわかんない

・ パンは天然酵母→柔らかい気がする

水道水は塩素が入っていて危険地域にの水道によって違うのでなんとも・・・

・ 昔の食事がいい→だから文化だって

牛乳は牛の飲むものだから人間には向かない→ヤギのほうがいいと聞いた。人間母乳に近いらしい。

砂糖小麦粉ごはんなど白いもの(純度が高いもの)はダメ三温糖でつくる玉子焼きうまいよ?健康云々よりさ

・ 三歳までは母親が育てるべき→思い出プライスレス

予防接種危険自然病気にかかるのがいい→うん、これは変だよね。

ホメオパシーとか漢方とかで医療拒否→全部拒否するのは変だね

マクロビオティック→しらん

・ 七田式とか家庭保育園とかフラッシュカード→だれ?

血液型育児→言う事なし

モンテッソーリ→知らん

・ 小さい頃に英語耳を作らないと手遅れ→まずは日本語

・ 小さいうちに絶対音感つけさせないと手遅れ→でも音楽に慣れ親しむ事はいいと思う。

・ せっけんと重曹クエン酸重曹便利だよ

合成洗剤や柔軟剤やシャンプーは身体にも環境にも悪い→全部の洗剤が悪いわけでもないし、良いとも限らない。要は商品しだい。

・ 紙おむつは悪い→え?布派まだいるの

化学繊維は身体に悪い→俺が子供の頃に湿疹ができて医者に行ったら「化繊で体洗ってない?だったら辞めなさい」と言われて実際辞めたらすぐに湿疹が消えたそうだ。

・ 家も家具天然素材がいい→スチール家具いいよね。

・ 歯にフッ素塗ったりフッ素入り練り歯磨きは危険→つシュミテクト

歯垢検出用の色素は発がん物質→そうなの?

・ 虫除けは危険子供は虫の子。虫にいっぱい触れさせなさい。

子どもは絶対裸足→靴下だとすべるからじゃない?

マンション暮らしのような土に触れない生活では子どもがおかしくなる→おかしくはならないけど、目の前に土の庭があるのはいい事だよ。庭は子供の絶好の遊び場だよ(実体験)

子どもはみんな天才(白紙)、教育次第で何にでもなれる→だいたい正解

・ 親のたった一言で一生台無し→ありうる話

子ども教育お金次第→最近はね。。。

ゲームやるとゲーム脳になる→ゲーム以外に本、漫画映画アニメ音楽演劇など色々な物に触れるべき

テレビばかり見てると自閉症になる→うん、これは間違い。いっぱいTV観ましょう!

ランドセルで背が伸びなくなる→ハイ、これは嘘ですね。

お前は本当に疑似科学を批判したいかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい

お前、なんか疑似科学って言いたいだけちゃうんかと。

######

1/25 23:30 追記あり

id:ublftbo ちゃんと読め

id:objectO うん、そうだね。でも呪いって言うほどか?

id:doramao すまない、確かにスルーしていた。父親も育児に参加すべきだよね。っと言えばいいのかしら?確かに母親の負担が増えるのは嫌ですもんねー

id:A-WING その言葉をそっくりそのまま返すよ。

id:letterdust 醤油もいいよね

id:rev-9 怖くないお。そもそも俺ブログとかもってないし、はてダ付けてないのでこっちがいいかなと思った。

id:anigoka だが断る

id:WiiAreTheWorld ありがとん

id:mobanama 批判していない、ただ変であると指摘しただけ。

id:MWAVE うん、ゴメンネこれはおかしい謝る。確かにすり替えだ。でも議論のすり替え疑似科学批判でもよくあるよ。

id:titton う、、うん

id:tokoroten999 まぁ絶対に育てろとは言わないし、育てなかったからグレルとかは言わない。そのほうがいいんじゃないの?といいたいだけ。

id:yukitanuki 君が一番正しい!

id:BUNTEN ハイハイ極論!

id:iroiroattena 同上

id:NATROM うん、本当に困るよね疑似科学批判者は

id:b4-tt そうそう、疑似科学批判者はググることもしらないよねー

id:cakeismine 苦しんでる?被害妄想乙w

とにかく俺が言いたいのは世の中の悪い事は全部疑似科学のせい!という風潮が気に食わないんだよ。

そりゃ俺だって血液型占いは信じないし波動水も信じないよ。むしろ嫌いだ!疑似科学なんか大嫌い。

でもさぁ育児の問題を疑似科学と結びつけるのはどうよ。。。

まぁ元記事では『ただの呪い言葉のようなものもあるけど』と逃げ道作ってるけど、結局は疑似科学批判の記事だよね。

かしこれらのリストの多くはただの古い風習や習慣偏見から来てるもので疑似『科学』ではない。

そう科学ではないんだ。だから疑似科学さえなくなれば母親達の負担が減るわけではない。

じゃあどうすれば減るか?それは地域家族などのコミュニケーションを活発化しさらにそれらを開放する事

そして何か変だな?この習慣とかがあったらNOと言える環境と周囲の理解と応援が必要だと思う。もちろんそれらが

全て母親だけで解決出来ないし、周りのサポートが必要です。

最後に言いたい『何でも悪い事があったら科学及び科学なようなもの、のせいにするな!』ってことだ。

以上

2009-01-18

覆水を盆に返したいのですが

話はまず中学生まで遡る。

中学校の頃好きな女の子がいた。その頃の自分は屈託の無い馬鹿だったので人並みにモテた。中一のバレンタインの時よく遊ぶ女の子二人からチョコをもらった。一人は手作りのいかにも本命って感じのモノで、もう一人――俺はこの子が好きだった――から手紙入りのそっけないチョコをもらった。でも俺が好きだった女の子も俺のことが好きだったらしくてその子としばらく付き合った。あまりに馬鹿だったからすぐに別れた。本命チョコをくれた女の子(A子とする)とはその後も友達としてそれなりに仲良くやった。その間にA子は彼氏を作ったりしてたが、別にどうでもよかった。そんな感じで中学校卒業した。

卒業した春休み志望校に受かった俺も、別の高校に入ることになったA子も友達も浮かれて遊んだ。基本メンバーは俺とA子と仲の良い男友達と、その彼女の四人。その頃A子は彼氏と別れたばかり。まぁ、なんか期待するわな。タイプじゃなかったけどかわいかったし。そんなこと考えながら毎日メールしたりして、で、まぁなんやかんやあってある時二人きり一緒のベッドに座ってるって状況になった。その後は言わずもがな。諸々の問題で最後までは出来なかったけど。

俺はヤリたくてヤリたくてしょうがなかった。ヤリたいというよりヤッてみたい。触ってみたい舐めてみたい挿れてみたい。そんなわけでそれから春休みは毎日そんな感じだった。それでも挿入には至らなかった。

高校入学式が近づいてきたある日A子が訊いてきた。「ねぇ、なんでこんなことするの?」

俺は答えた。「……好きだから?」

そんなわけはなかった。もっと胸が大きくて頭が良くて顔がタイプでヤラせてくれる女がいれば間違いなくそっちに飛びついていた。……そして、そんな子は高校で出会えるかもしれない。

A子がまた訊いた。「私のこと、これからも好き?」

俺は答えた。「わからない」

それは『高校でお前以上にいい女がいるかどうかわからない』という意味で。

入学式前日A子は別れた彼氏SEXをした。A子の処女は別れた彼氏に捧げられた。

高校に入学して一ヶ月。ヤラせてくれそうなかわいい女の子はいなかったが、A子には彼氏が出来た。別に俺とA子は付き合っていたわけではない、これは普通のことだ。俺とA子の関係は、いつもどおり、変わらない。いつもどおり、揉ませてくれるなら、性的欲求の捌け口になってくれるのなら、それでいい。

俺はメールで訊いた「会わない?」会ってはもらえなかった。

また別の日に訊いた。また会えなかった。さらに別の日に訊いた。会えなかった。また、ヤれなかった。

そんな感じでしつこくヤろうとしていたある日、春休みにしょっちゅう遊んだ男友達の彼女(この子は元々A子と仲が良い友達だった)からメールが来た。

「A子にはもう彼氏がいるんだからしつこく付きまとわないであげてくれない?ヤりたいだけなのが見え見えでキモいよ」要約するとこんな感じだ。

その時に初めて気が付いた。自分がどれだけ愚かなことをしていたか。どれだけA子の感情を踏みにじっていたか。そして自分とA子の関係もう中学生だった頃のように元には戻れないということに。

それからはなんていうか本当にダメだった。A子とはほとんど関わりは無くなって女性とも殆ど喋れなくなった。「自分みたいなクズ人間女性と仲良くなってはいけない」とか「二度と誰かの真っ直ぐな気持ちに干渉したくない」とか考えたりしていたが、単純にA子の友達からもらったメールみたいな剥き出しの嫌悪を浴びるのが怖かった。誰もが自分の事を裏では嫌っているんじゃないか、陰口を叩かれているんじゃないかと思うとほとんど誰とも仲良くなれなかった。自分の好意を嫌悪で返されるのが怖かった。ずっとそんな感じのまま、俺は高校卒業した。

こんな嫌な思い出が染み付いた場所から離れたい一心で勉強して、なんとか他県の大学に入って、俺は一人暮らしをすることになった。その頃から数少ない高校の友達との関係や、昔の自分なんかを根拠に「俺はそんなに人に嫌悪感を持たれたりしない」とか思い込むようにし始めた。いい加減まともな人間に戻ろうとしないと一生このままのような気がした。だから、なんていうか「彼女が欲しくなった」のだ。失われた高校生活を取り戻したくなったのだ。SEXはしなくてもいいとは言わないが、それ以上に好きな女の子と一緒にデートしたり他愛の無い話をするという行為に強い憧れを抱いた。これは本心からなのかは俺には判断しかねるがそうであって欲しいし、もし彼女SEXしたくないと言えば絶対しないつもりであった。

大学に入ってから今までより積極的に人と接した。女の子とも友達になったし合コンにも行ったりした。でも高校生活の三年間をほとんど女性コミュニケーションを取らずに生きてきた俺はどういう話をすれば良いのかということがわからなかった。しかも高校時代一人で色々やってたせいで趣味も独自に形成されていったからほとんどの人と好きな本や音楽の話も出来ない。もしかしたらもう二度と自分は心から楽しく女の子と会話できないんじゃないか、とさえ思った。

ある日、某SNSをやっていて郷里女の子と仲良くなった。写真を見たが彼女はかなりかわいく、ついでに俺の好みだった。一応断っておくが彼女が所謂ネカマであったりネットの中でだけ別の人間を演じている、ということは無い。その理由の説明が面倒なので割愛するが、身勝手とは思うがそういう可能性はここでは排除して読んで欲しい。無論彼女写真が偽者である、とか、写真映りが良い、とかそういうどうでも良い可能性も排除していただきたい。そんなことは話の本筋とは関係がないんだ。

彼女とは趣味が合った。趣味が合うことは他の女性でも度々あるにはあったが「それのどこが良いか」「どういうものが嫌い」というさらに詳しいところで意気投合した。彼女と話す時は本当にどうでもいい話でも楽しかったしいつも聞いてて退屈なだけの相手の「自分の話」も強い興味を持って聞けた。意見が違う部分でもそれを納得して尊重できた。

ある時ふと自分彼女の事が本当に好きだと気付いた。この文字だけの関係が空虚で現実味の無い物で希薄なものだとしても、それでも俺は本当に彼女の事が好きだった。それでもやはり文字だけの関係はどこまでも希薄で吹けば飛ぶような物で、どんなに長い時間を積み重ねても、会って一日話すだけでその情報量を軽く超すような関係であることは明白だった。彼女と会って話をしてみたい。彼女の声を聞いてみたい。彼女の色々な表情を見てみたい。そう思った。折りしも季節は帰省シーズン。クリスマスなんてイベントが含まれていたりする。もしその日を彼女と過ごせたらどんなに良いだろうか、なんて甘い夢想を抱いたりした。

彼女には今彼氏がいない。彼女はかわいいので、きっとすぐに彼氏が出来るに違いない、と思った。彼女に会いたい。彼女に俺を好きになってもらいたい。そう思った。俺は勇気を出して訊いてみた。「クリスマス一緒にどっかに行かない?」

もちろん早計すぎることは恋愛経験値の低い俺でも目に見えて分かっていた。それでも訊かずにはいられなかった。

まぁ、もちろん答えはNOだった。後から判ったことなんだがクリスマスではないが俺より後から来た昔好きだった人からの誘いには乗ったそうだ(結局そのデートは実現しなかったそうだが)。

それでまぁ、それから何もないまま俺は実家から下宿先に戻ったのだが、誘って以来俺と彼女関係がぎこちない。彼女が喜んで飛びつきそうな話題をあからさまにしても滅多にそれに反応しないし、俺との関わりを出来る限り拒んでいるようにさえ見える。

そうなってしまった原因が100%俺にあることくらいはわかっている。会ったことも無い人間クリスマスに会うなんて女性にとって恐怖の何物でも無いに決まってるじゃないか。俺がいくらそんなつもりはなかった、と言っても下心が見え見えじゃないか。なんでそんなことにも気付かなかったのだろう、なんて後悔は今は置いておく。ただ今はもう二度と自分にとって大切な関係を失いたくない。もう一度彼女と屈託なく文字だけの関係でも良いからおしゃべりがしたい。それだけだ。一体どうしたら元に戻れるのだろう。

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2009-01-15

純愛

同僚に3年片思いしています。

彼の趣味に興味を持ったりして、月1回くらい、ライブ映画にいきます。

いつも彼が「○○おもしろそうだ」というと私が行きたい、といって出かけます。

彼が私の趣味につきあってくれることはありません。でも男性ってそんなものかなって。彼の趣味はすごいおしゃれで、私も取り入れたいし、詳しくなりたいし。

映画をみたらごはんをたべて解散します。

告白こそしていないものの、好きのシグナルは出しています。(彼に好きといってほしい)

彼だけにプレゼントあげたりとか。バレンタインは毎年手作りします。

友人たちには、それだけやって、彼からの誘いがなかったり、手のひとつも触れてこないんじゃ

よくてキープ女だといわれました。

私は男から優しくされたことがないから参ってるんだと言われます(それは否定できない…)

彼は30歳です。高校生じゃあるまいし、男は好きな女性にはちゃんとアピールするって。

女性の方に気があるかまったくわからなければ躊躇したり、アピールできなかったりする人もいるかもしれないけど、

増田くらい好きってサイン出しててこないのは諦めろと言われます。

でも二人で出かけたりしているんですよ?体目当てじゃないともとれるし。

友人たちは私の恋愛に嫉妬しているだけのような気が…。彼はかなり鈍いんです。

2008-12-28

カンパニー松尾AV世界(後編)

http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。

カンパニー松尾AV世界

ヨハネス・シェーンヘル

<インタビュー>

シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?

松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュース手作り弁当クラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像キャリアを通して使ってます。

シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?

松:ハメ撮りスタイル作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。

シ:V&Rプランニングが最初のAV会社ですか?

松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。

シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?

松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。

シ:V&Rプランニング安達かおるが始めたんですよね?

松:はい、そうです。

シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルAVに力をいれていたのですか?

松:はい。安達テレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。

彼は撮影については知りませんでした。自分会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣作品を作ろうとしました。

シ:V&Rの意味は?

松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)

シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年自分作品制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?

松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。

シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…

松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリロンドン旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品監督関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。

シ:それはたぶん宮崎レイコとの例じゃないですか?

松:ええ。彼女素人としてこの仕事を始めました。彼女デビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。

シ:V&Rで活躍する一方、マンガ職業AV監督」の原作も手がけられています。

松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。

シ:V&Rは現在ではどちらかというと大会社ですか?

松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社ビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。

シ:V&Rが制作した「ジャンクシリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリー南米で撮影されたものですか?

(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクタイトルでデス・ドキュメンタリー制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)

訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"

松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオ海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。

新聞カメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場直行しました。ブラジル警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。

シ:事故殺人現場にご自身行ったと?

松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。

シ:ジャンクシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?

松:6番です。

シ:どこで撮影しましたか?

松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャングホームレス麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。

シ:リオでハメ撮りは?

松:いや、まったく。アメリカヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。

シ:他のアジア諸国だと?

松:アメリカヨーロッパポルノに関して長い歴史があります。スクリーンセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。

シ:V&Rにはいつまでいましたか?

松:2004年までです。それからハマジム現在会社を仲間と始めました。

シ:ハマジム意味は?

松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマン浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。

シ:現在、何人が働いていますか?

松:7人です。

シ:ハマジム作品の平均的予算は?

松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。

シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。

松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。

シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?

松:ええ、基本的にそうしたくて。

シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?

松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常ストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。

シ:でも撮ったんですよね?

松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。

シ:これからの予定は?

松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビ映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジム大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。

2008-12-17

専業主婦やってるけど

http://anond.hatelabo.jp/20081217195442

http://anond.hatelabo.jp/20081217200648

夫の要求通り、3食1汁3菜手作りで、風呂に毎日入るから風呂掃除風呂に入れば洗濯物が出るから毎日洗濯家計管理はしっかりと、年収3百万でやり繰りして子ども2人育てて、もちろん公園にも連れて行くし近所づきあいもして、ってやってたら、家事だけで1日終わるね。パートに出てる人や、まして、フルタイムで働いてる人なんか、どうしてるんだろうと思うよ。ちなみに家事なんか大嫌い。仕事に行きたいんだけど、夫の前妻さんが勤め先で浮気したとかで許してくんない。稼ぎは充分だけど、ずっと家にいてやりたくもないことに従事していると息が詰まる。

2008-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20081216143813

そういうのって、なんで話し合いの上で廃止しないの?

誕生日だって、手作り料理を食べさせてあげるとか、お金かからない方法幾らでもあるのに。

彼女が物クレっていう」なら、物クレっていわない女と付き合えばいいのにさ。

2008-12-14

大気圏外とかけまして

ブスが作った手作りチョコをもらった俺とときます

その心は?

くうきがないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwオモロー!wwwwwwwwww

2008-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20081213232313

増田には手作りジンジャーエールのエントリがあるんだし、本格的に作れ!」と言うのかと思ったら、市販品任せなのね。

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081212103747

ある日、私はその子の家に遊びに行った。でも、その子はいなかった。

代わりにその子のお母さんが居た。その子のお母さんは、その子が今お父さんと病院に行っていて、もうすぐ帰ってくるわと言って微笑んだ。

その子のお母さんは、その子といつも遊んでくれるので、わたしにとても感謝していると言って、お茶お菓子をすすめてくれた。

お母さんの手作りお菓子を私はなんていうお菓子か知らなかったけど、とってもおいしかった。

わたしはいつも思っていた疑問をおかあさんに聞いてみた。

その子は、ずっと4つぶの魔法のお薬を飲み続けなければいけないの?

お母さんは、まるでわたしのお母さんのように優しく答えてくれた。

「あの子はね、お薬を飲まないと、わたしたちが何気なく暮らしているこの世界が、とっても怖いらしいの。

高層ビルの屋上や高い展望台の上から、下を覗き込むように見たことってあるかしら?

とっても怖いわよね。

あの子にとっては、わたしたちが座っているこの椅子でさえ、そういう怖さを感じてしまうらしいの。

ううん、高さだけじゃない。

深夜二時の深い森に一人でいると、暗闇がとっても怖いわよね。あの子は家の中のちょっとした暗がりが、そんな深い森の暗い闇と同じように怖いらしいの。

そういう「怖さ」が、自分ではどうにも出来なくなって身動き一つ出来なくなってしまうのよね、あの子は。

病院先生が言ってたのはね、あの子は脳の中で、そういう「怖さ」を抑える物質の分泌がとっても少なくなっている病気らしいの。

先生が言うには、お薬を飲まなければ、普通の生活するさえも本人にとっては苦しいらしいの。

目に見えない病気だから、つい何でこんな暗がりが怖いんだろうとか、椅子に座るだけで暴れるんだろうって昔はわたしも思ってたんだけど、本人は辛かったのね。先生に言われるまで私にはあの子がどんなに辛かったか、わからなかったの。

私は・・・ダメなお母さんよね。」

お母さんの声は震えていた。

わたしにはお母さんの眼に、涙が溢れているように見えた。

家の外に車のエンジン音が聞こえて、止まった。

ドアを開ける音が聞こえ、その子の元気な声が聞こえる。

4つぶのお薬で支えられているその子の明るい声。

わたしはドアを開けて、その子を迎えた。

2008-12-05

「上手に残す」コツ

よく腹八分目が大切だと言うけれど、社会人外食生活で実行するのは中々難しい。

食事を減らそうとした時は、そもそも食べないとか、手作りダイエット弁当にするとか

極端に割り切らないといけないのが現実だ。

そこまでするのが嫌だった自分が、ここ何年かで身に着けた「外食の残し方」を書いていこうと思う。

「腹八分目」とはようするに「外食を残す」って事だ。

わがままだって事は重々承知だが、自分と位わがままな人がいると信じて書いてみる。

その1. 綺麗に残す

これがまずの大前提だ。そもそも日本ではごはんを残すのは良くない風潮だしもったいない事だ。

「食べれないから残す」って食い散らかすのは汚い態度だと思う。(お前が言うなって?)。

その2.「小盛りにして下さい!」

お店の人にこれが言えれば一番良いのだが。中々気を使うし面倒くさいと思う。

しかも、小盛りにしてくれた以上は残さず食べないといけない(と思う)。

わがまま言い過ぎたろ!!って言われそうだがそもそも楽して痩せたいわがままから始まってるので

そこは譲らず上手い事自分の腹加減で残していきたい。

その3.和食は皿単位で残す。

ちょっとずつむしって食べるのは、前述の汚い残し方だ。

お椀なら蓋を取って手をつけないでおく。ごはんとおかずだけなら、盆の縁に寄せるようにして

「ご飯と主菜のみいただきました」と分かるようにしておく。

その4.パスタカレーチャーハンは「線で引いて」残す。

一皿料理は、「くっきりと」食べる。

ばらばらと中途半端に残さない方が美しいし

「途中で飽きたんじゃなくて、残そうとしたんだ」と伝わる。

洗うときも助かるはずだ。

その5.インターバルを取る。

これはたくさん食べないためのコツだが、途中で一回休んでお茶を飲んで一息つく。

これでお腹を落ち着けて「もう一口」を食べて満足する。

勢いで大盛り全部食べ進めて完食、とならないようにしよう。

最後に

食べ終わって出るときはもちろんごちそうさまと挨拶して、決して不味い食事じゃなかった事を伝えよう。

申し訳ないけどあくまで悪びれず、少しでも体重が減る事を願って、そんな態度でご飯を残そう。

2008-11-26

同人誌の売上がジャンルによるを具体化してみた

こことかhttp://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/200811230000/

こことかhttp://d.hatena.ne.jp/okome_chan/20081126/1227627555

同人誌にトータルでかかる費用を出しているので便乗してみる。

あとここhttp://anond.hatelabo.jp/20080524182732

で超大手の費用が出てるんだけど1種1万冊も売れるサークルは相当絞られるんじゃないかと思う。

んで自分のいるジャンルは、マイナーアニメ化により一気にメジャー→沈静化ってなってるから良く言う「ジャンルによる」って奴なんじゃないかと思うので、今回は時系列に沿って簡単に自分サークルの出入を書いてみた。面倒なのでとりあえず1冊分計算。ごめん。ちなみに活動期間は4年くらい。

毎回イベント時に最低限かかる金額は

----------------------------------------

サークル参加費   3,000―6,500円

交通費       片道500円として1,000円

打ち上げ代     4,000円

----------------------------------------

程度。他は↑のエントリー見てもらって補完してください。以下の利益は諸費用を含まない計算で。

突っ込み入ったから補足すると、打ち上げ代は他エントリーブクマで結構かかる…と経費のように書かれてたから入れてみた。イベント1日にかかる費用という大雑把な意味でとらえて下さいな。それから後に出てくる売り子ちゃんのお礼代(大体は飲み会代負担)もある意味経費に近いものだと思ったので入れました。まあ違うと思ったら脳内削除してくだせー)

●初期(ジャンルマイナー期)

1種28P×30部コピー代計5,100円

  (1冊費用表紙50円+コピー代120円=170円)/200円で販売

  売上6,000円→利益900円

●初期(1年後:ジャンルマイナー期だが常連が増えてきた)

1種28P×100部コピー代計17,000円

  売上28,000円→利益11,000円

●中期(アニメ化によりバブル

1種28P×600部オフ印刷所で印刷してもらうことね)

  印刷費72,000円/300円で販売

  売上180,000円→利益108,000円

再販28P×300部オフ

  印刷費50,000円/300円で販売

  売上90,000→利益40,000円

※この頃から半年に1回程度、大阪オンリーの遠征もしているので

  55,000円(交通費30,000円+宿泊費5,000円+諸経費約20,000円)

※あと売り子1人分

  5,000円(交通費1,000円+打ち上げ代4,000円)

イベント費用に加算

  台車搬入代2,000円

  在庫搬入・搬出代8,000円

現在アニメ終了から1年/ジャンル沈静化)

1種28P×300部オフ

  印刷費50,000円/300円で販売

  売上90,000→利益40,000円

※遠征継続&売り子継続(ただし売り子は大型イベント時のみ)。搬入・搬出代は平均4,000円程度


1冊の単純計算でこの位で、3冊―5冊は常に机の上に置いていたので3倍5倍してもらえれば。

今思ったんだけど28Pなら400円だったかも…。単色とかカラーとかで変えてるのでちょっとあやふや。

あと印刷代は最低限のカラー表紙のセットだからこれにオプションつけたりページ数増えたりするとかなり変わってくる。自分は良くギリギリ入稿で割り増し料金払うハメになってるから20%30%UPがデフォ…。よゆう入稿したい。

イベントに出るのは2・3ヶ月に1度で1種3回位のイベント完売するように設定。

書店委託はしていない。

イベント時は大体誕生日席がほとんど。壁憧れるなー。たぶん書店委託すればもう少しいったんだろうけどあまり行き過ぎるのも好きじゃないし万が一売れなかったりしたらどうしようと考えて止めてしまった。

中期で一気に売上げが伸びたときはボーナス+カードローンまでした事がある…今は恐ろしくてできないけど、この時は売り上げたいっていうんじゃなくてイベント開始直後に完売や次回売る物がなくないのが怖くて刷ってた感じ。再販お金かかるし…

ちなみにこの間再録本出したら

148P×500冊刷って23万円ちょいかかった。

頒布価格は1000円。単純利益で27万円。

印刷所に段ボールの箱数見積もってもらったら5箱程度って言われたんだけど、イベント当日数えたら7箱だった。んでその日200部位はけたんだけど4箱は家に搬出。他在庫もあるので段ボールとともに暮らしています。西翼かなー迷う…

※追記。

本当だったらあとポスター出力代(5,000円位?)+スタンド搬出代(1,500円位?)かかると思うんだけど、うちはカットしてる。1回のイベントのために出力代って悩むんだよなあ。スーパーファインA4に拡大コピーして手作りA2ポスター作成+B4段ボールにちょうど入る机上スタンド使用だけど結構いけるよ。でも売る時かなり邪魔なんで机の上にそんなに種類置けないのは痛いけどね。一長一短かな

あと当サークル女性向けです。エロなしのなんともぬるーい感じの本しか出せてないので女性向けと胸張って言えるかどうか怪しいが。男性読者は10%未満かなー?コミケだと多くなるね

2008-11-07

これから物心つく人たちへ贈る”空気”への補稿(恋愛編)

http://anond.hatelabo.jp/20081106233020

上記への補稿(恋愛編)です。あくまでの私が感じる世間の”空気”であり、私の嗜好ではないことに御留意ください。

  • アブノーマルよりノーマルの方がよい

 ※これらは”空気”ではないか・・・↑



結婚関係のおまけ

2008-11-02

カレンダー

来年カレンダー手作りで行こうかと思ってる。

どうせ作るんだったら、全部自分でやりたいなと

数字とか全部消しゴムハンコとかで作って・・・

2008-10-30

生活レベルによる

http://anond.hatelabo.jp/20081029021615

 夫のこづかいは収入の2割。

 子供教育費は、大学まで全部私立→幼稚園2年48万円+制服代など20万円、小学校6年360万円+制服など50万円+寄付100万円、中学高校6年360万円+制服など50万円、大学4年600万円、ちょっと低めの設定だけど、概算で1588万円。

 住んでるところは、東京山の手線の内側→3DKのマンションを購入して5000万円、ローンを組めば倍くらい返す計算になるから1億円。

 子供が生まれてから大学卒業するまでの22年の間に、1億1千5百8十8万円を使うとして1年では526万円。

 そういう暮らしなら、食費は月20万円は軽く飛ぶし(夜は有名レストランで食事ね)、光熱費通信費だって5万とかかかるはず。

 年収が1千万あれば、生活費に800万回ってくるから、なんとか専業主婦できるかな

 夫のこずかいは月2万円定額。妻のこずかいも月2万円定額。

 子供は全部公立で中学卒業したら働けや→幼稚園2年16万8千円、小学校6年給食費17万2千8百円、中学3年給食費12万9千6百円で、総額47万4百円。

 住んでるところは、首都圏郊外のさらに奥地で、賃貸の家賃は3DKで月3万6千円。

 子供が生まれてから、独立するまでの15年の間にかかる金額は、月2614円。

 食費は親子3人で月2万円、すべて手作りの上、節約するために野菜の芯まで活用する。

 ケータイは必要だが、最低料金しか使わせない。冷房も暖房もつけないから光熱費は1万円切る。

 そういう暮らしに、夫が我慢できるのなら、年収144万円で専業主婦になれる。

 この金額ならパートでも稼げる(時給850円×1日8時間×週5日=月13万6千円)から、夫に主夫してもらうことも出来る。

 ちなみに、結婚したときの夫の年収は300万円だった。仕事を続けたかったが子供がお腹にいて、勤め先で怒鳴られるたびにお腹が収縮して流産するんじゃないかと心配になったので退職した。夫は月10万円もするアパートに住みたがったので、仕事に出ないと子供高校も行かせられないと思ったので、出産したら仕事に復帰する予定だったが、家族手当てとか、なんとか、結婚したら会社のほうが給料上げてくれたので専業主婦を続けた。考えていたより、子供の面倒をみるのが大変で、子供を預けに行くということ自体が出来そうにもなかった。

 それに、子供が3歳になる前に仕事をしようと思ったら、保育料が月5万とか7万とかかかるので、保育料だけで稼ぎが飛んで、家計の足しにならない計算になった。

 ちゃんと正社員仕事をしているんじゃなければ、兼業主婦なんて働く時間が長くなるだけでメリットはあまりないんじゃないかな。「保育園」という主婦子供を預けて、「保育園」に給料を渡している感じになる。

 ただ、今は子供独立してからの時間もけっこう長いので、自分のキャリアを確保するという意味では、兼業主婦で苦労する意味も大きいんじゃないかな。

 んで、結論。

 年収が144万円以上あれば専業主婦になれる。

 ただし、その生活で夫が満足することが条件。

2008-10-19

日雇い派遣のなんとかユニオンの話をテレビで見た

仕事がなくて生活していけないので誰かなんとかしろ、という主張だった。手作り横断幕も貼られていた。

…いつも思うんだが、なんでああいう人たちの作る横断幕は字が下手なまま貼られるのだろう。レタリングの仕方とか美術時間に習わなかったのだろうか。

で、その人たちが言うには、去年は仕事をいくつか提示してもらってそこから選べたけど、今年は「すでに埋まってます」とかで断られることばかりになった、とのことだ。その人は36歳だった気がするんだが、ぶっちゃけ、それは、1年経ってあなたが派遣屋のメイン層の年齢制限をオーバーしただけなんじゃね? と思った。労働環境やら景気やらも1年で変わったかもしれないが、あなたも変わっているはずだ。テレビ屋に切り取られたインタビューを見る限り、それも悪いほうに。

まあ、つまるところ、貧すれば鈍す、ということなのだろう。1ヵ月後の金を持っている人間が、明日の金の心配をしている人を諭すことはできない。
何年か後にあの輪に加わることになるのかもしれないが、そのときはせめてきれいな字の横断幕を描きたい、と思う。

http://anond.hatelabo.jp/20081019024618

流れまったく読まずに書くと

銀座スコッチグレイン、先週行った!当方女子w

店の前に、余った皮で作った、手作りの象の置物を売っていて、小さいのが105円、大きいのが315円。

すごいかわいくて、両方買いましたよ!テレビ前に飾ってる。

やっぱり有名な店なんだー。

安い買い物なのに、丁寧に対応してくれましたよ。

ちなみにこの象の置物おすすめ。絶対100円には見えない。ちょっとしたプレゼントにどーぞ(プレゼント包装はお店ではしてくれないけど)

2008-10-16

最近の女の人って

なんか手作り趣味っつうの流行ってるの?

休みに近所の公園行って飯食ってたら

本見ながら編み物とか縫い物してる女の人めっちゃいた

制服とかバラバラだから同じ会社専門学校?)の人ってわけでもないだろうし

2008-10-11

10年ぶりに出来た彼女 2

http://anond.hatelabo.jp/20081004090242

元増田です。

お姉さんの家に行って来た。

2DKのマンションに住んでいて、シンプルながらもおしゃれな部屋、

絵が飾ってあったり、トイレもお風呂もきれいで、家中いい匂いだった。

俺が到着すると、お姉さんの手料理がテーブルに並んでいた。

メニューは、ロールキャベツお姉さん特製ジェノベーゼソーススパゲッティかぼちゃスープワインが用意してあった。

どれも美味しくて、あっという間に全部平らげた。

お姉さんは嬉しそうに、手作り巨峰ムースをデザートに出してくれた。

この時点で、ここまでしてくれる彼女を俺は信じようと思った。

飯につられたんじゃなくて、お姉さんの愛情感動した。

食後、ワインを飲みながらお互いの事についていろいろ語った。

お姉さんの過去〜今までの話、俺の過去〜今までの話、

2人で笑いながら、楽しい時間を過ごした。

している間に、あっという間に0時を過ぎた。

2人ともほろ酔いになって来た頃、お姉さんは俺の隣に座ってきて、

俺の肩に頭をくっつけてきた。

シャンプー香水?柔らかで優しい香りがする。

お姉さんの顎をそっと上げて、キスをした。

長い長い、キスをした。

そのままベッドに倒れ込み、すぐにSEXをせず、ゆっくりお互いを愛撫し合った。

恥ずかしそうに体をくねらせながらも、お姉さんは濡れ濡れだった。

もちろん俺も(ry

お姉さんは俺の腕にしがみつき、声を押ししていたが、

たまに我慢できなくなったのか大きな喘ぎ声を上げていた。

すぐにイキそうになったけど我慢してお姉さんが照れながらも気持ち良さそうにしている顔を見ていた。

AV何て目じゃねー興奮度。

思い出すだけで起って来る。

その晩は5回SEXして、ぐっすり眠った。

翌朝、俺が起きる前にお姉さんは朝ご飯を作ってくれていた。

顆粒の出汁を使わないお姉さんの作ったみそ汁は美味すぎた。

ここで改めて、先日の俺の疑問を考え直してみた。

1)お姉さんは誰かの愛人で、愛人とは別に彼氏が欲しかっただけ

ーーー愛人ではなさそうだ。

2)ただ単に遊ばれてるだけ

ーーーただ単に遊ぶ相手にあそこまでもてなしをするだろうか。

3)お姉さんは実はかなりの遊び人だった

ーーーそれはまだ分からない。

4)恋愛になると依存するタイプの人だった

ーーーこれもまだ分からないが、今の所そういう印象は受けてない。

5)本当に俺の事が好き

ーーーで、あって欲しい。

6)自分より若い男とSEXしたかっただけ

ーーー「したかっただけ」ではないと思うけど、SEXは好きだと思う。

7)ブサメンメタボフェチ

ーーー腹の肉を笑いながら何度か掴まれた。

8)イケメンに痛い目に遭わされた過去トラウマになってる

ーーー辛い過去はあった用だが、トラウマになってる感じではなかった。

   心の奥に何があるかは分からないけどな。

9)あの人は魔女

ーーーある意味そうかもしれない。

10)何かの勧誘のため

ーーー部屋の中、風呂冷蔵庫の中に怪しいものは無かったので、勧誘ではなさそうだ。

現時点で俺がこの中で回答を選ぶのであれば、5)を挙げる。

自信過剰になってる訳じゃない。

まだ不安もあるし、俺でいいのか?という疑問も残っている。

ただ、素直にお姉さんと一緒にいる時間は楽しかった。

寝る前に、お姉さんと俺はこれからの事について話し合った。

もう少し広い部屋を2人で借りようと。

頑張った所で振られてもいい。

俺はお姉さん、いや彼女の事が好きだ。

もっと彼女笑顔が見たい。

みたいなブサメンメタボな俺とお姉さんは、ビジュアル的に不釣り合いなのは確かだ。

中身だって、お姉さんの方が人間して出来ている。

だけど、俺は頑張ろうと思った。

彼女の為に、俺の為に。

この先何が起こるか何て分からないけど、俺は今彼女と過ごせる時間を大切にしたい。

会えない日も、彼女と会える日を思えば頑張って過ごせる。

お姉さんは、俺の「彼女」だ。

俺の彼女なんだ。

あたし彼女」ならぬ「俺の彼女」で携帯小説でも書いてみるか。

おれ彼氏」の方がいいかな。

2008-09-25

ショッピングモール集客力を、リアル商業地に喩えると何市?

なんか適当に立地条件を喩えるならば、

楽天市場東京都原宿に喩えるなら、Yahoo!ショッピング大阪府の南のあたりかもしれない。

Amazon名古屋市ならば、ビッダーズ兵庫県神戸市くらいかなぁ?(あってるかな?)

ブログASPなんかは田舎町のタバコ屋みたいなもん。

ネットのどこに、店をだそうか迷っているよ。取り扱い商品手作り陶磁器にする予定。

商品の内容は大事だけど、立地条件による集客力も大事だよね。

しかし、どこも場所代が高いw

テナント料は楽天市場の5万円が一番高いけど、続いてビッダーズの2万円とYahoo!ショッピングの9000円。その次がAmazonの定額5000円プラス売上の15%。

集客力に見合うだけのテナント料ならば良いわけだけど、売れなければ大赤字だ。

良い場所探します。

追記、私の家は九州の端っこの田舎だから、普通に自分の家に商品並べているだけならば、夏と冬は全然売れません。

今年の夏は特に極貧だったよ。

でも、なんとかネットは繋げているからネット希望を託したい。

忘れてたけど、ライブドアデパートの立地条件は何市にあたるかな?

自分でブログASPやってみたことあるけど、売るって難しいよね。

逆に自分がお客様の立場ならば、ブログで買い物とかよほどのことがないと買いにくいもんね。

せっかく自分の手元に商品があるならば、ASPよりもそっちをやるほうがいいように思う。

ネット開業するだけならば今は無料でも始められる。でも、ただネット開業するだけならば広い海に浮かぶ小舟みたいなもん。

2008-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20080920125954

焼き肉のたれ 手作り レシピ でぐぐってヒット。

http://www.aohata.co.jp/mc005_recipe/detail/dish_04.html

作り方を追っていくと、材料に書いてあった牛肉がいつのまにか行方不明になる。

http://anond.hatelabo.jp/20080920111551

薄切り肉が安い時に大量に買い込んで、タレで味付けした状態で冷凍しとくと、

あとで解凍して焼くときにはしっかり味がついててうまいざんすよ。

そんなわけでタレ類は大抵使い切る。

タレとかドレッシングとか、メーカーブランドによって味がけっこう違うから、食べ比べするの好きだ。

市販でも手作りでもいいけど、自分のやり方持ち上げて他人のやり方見下す奴の作るものは

美味くないだろうな。

2008-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20080919232955

弁当作って二人で食べるとか

手作り料理振る舞ってみるとかは?

お金をかけるだけが「いろんなこと」ではないと思う。

彼氏がお弁当作ってくれたら、

レストランでおいしいもの食べるより、私はうれしい。

2008-09-08

anond:20080908184045

手作りクラフトで、婚約指輪を自分で作ろうと思う。

手作りアクセサリーの材料を手芸屋さんで買ってこよう。

銀粘土で焼くと固まるやつあるじゃん。あれで作る。

ちょっと頑張れば出来る気がする。

自分だけのオリジナルデザイン考えるの楽しそうw

2008-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20080827113517

いやー渡した金の中で、うまい飯と清潔な衣類と掃除された家を準備してくれるなら、手作りだろうが店屋ものだろうが外食だろうがコックを雇おうがクリーニングを使おうが掃除代行業者を使おうが問題ないんじゃないのかと。

そこで専業主婦ならそれを自分でやるべきっていうのは、まさに「やって欲しい」という自分の願望を義務と摩り替えて認識してる例なんじゃないかという話。

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