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はてなキーワード: 大岡越前とは

2018-08-30

ハラスメントだのLGBTだのいう権力闘争

 ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。

 結局のところ、権力闘争だ。

 より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。

 ポリコレ棒、とかい言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者強者を殴るために発明された概念武装のものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。

 この権力闘争推し進めると、平等で誰もが幸福社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力戦場でどうにか生き残る術だろう。

 セクハラをしないのは、女性尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミス自身不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場リアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。

 かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである世界平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクト言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。

 ネオリベとか自己責任論とかい思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべ現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前絶対権力闘争調停してくれる世界は、もう来ない。

 それにつけても、クッソくだらない。

 ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。

 その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。

 

 

ハラスメントだのLGBTだのいう権力闘争

 ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。

 結局のところ、権力闘争だ。

 より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。

 ポリコレ棒、とかい言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者強者を殴るために発明された概念武装のものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。

 この権力闘争推し進めると、平等で誰もが幸福社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力戦場でどうにか生き残る術だろう。

 セクハラをしないのは、女性尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミス自身不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場リアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。

 かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである世界平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクト言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。

 ネオリベとか自己責任論とかい思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべ現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前絶対権力闘争調停してくれる世界は、もう来ない。

 それにつけても、クッソくだらない。

 ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。

 その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。

 

 

2018-05-01

anond:20180430003028

この話には続きがあって、お裁きの後でご飯を振る舞われた二人の町人調子に乗って大岡越前挑発し、それにキレた大岡が二人を無礼討ちしたのちに責任をとって切腹

三方一命損。

2016-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20161208083326

ストラヴァガンツァの敗因は戦争ものにしちゃったことだとおもう。

いいじゃん、仮面姫版大岡越前で。

2016-10-08

男は大岡越前守なのよ

気を付けなさい

2015-08-21

霊感ヤマカン第六感のオープニングってなんか怖い

youtubeで偶然見かけた霊感ヤマカン第六感のオープニング

https://www.youtube.com/watch?v=U7ueUtGSaBA

子どもの頃、これがすごく怖かったんだけど、今見てもやっぱり不気味でなんか怖い。

作曲者アタック25大岡越前ルパン三世(第1シリーズ)などを手がけた故・山下毅雄氏とのこと。

印象的な口笛は山下氏自らによるものだそうで、

アタック25の陽気な口笛があの恐ろしい霊感ヤマカン第六感と同じ人によるものとは思わなかった…。

2010-06-13

公務員組合時代劇に圧力をかけたんじゃないか

公務員組合時代劇に圧力をかけたんじゃないか。テレビ局に圧力をかけたんじゃないか。時代劇をやらないように圧力をかけたんじゃないか。俺の勝手想像妄想なんだけどさ。

水戸黄門あるじゃん。あれって視聴率高いんだよ。再放送も含めてね。テレビ局からしたらかなり優秀なコンテンツな訳。今の若い人はよく知らないかもしれないけど、思い浮かべるだけで、「遠山の金さん」「必殺仕事人」「大岡越前」「暴れん坊将軍」「鬼平犯科帳」「子連れ狼」なんてものがあった。数十年前はゴールデン時間帯にしょっちゅうやってた。午前中だって、夕方だって再放送バンバンやりまくってた。ジイさん、バアさんだけじゃなくって老若男女、あらゆる人が見ていた。

ふと気が付くと、今はたぶん水戸黄門しかやっていない。

時代劇シナリオって単純なモノが多い。勧善懲悪ベースなんだけど、たいていが役人からんでいる。越後屋とお代官様ね。とにかくお役人犯罪しまくる。地位を利用してコス犯罪を繰り返す。その犯罪に善良な人が巻き込まれて、犯罪が発覚。しかし庶民には手が出せない。そこで主人公があの手この手で活躍して、越後屋はパクられ島流し、お役人切腹裁判にかけられるうちはまだいいが、場合によっては、現場でバッサリと切り殺される。

とにかくこんな話が朝から晩まで繰り返されていたのが数十年前の日本だった。

これを現代に例えるならば、もう大臣から県庁職員、警察天下り役人市役所職員が、一部経営者と結託して、犯罪まくりで、一般市民は苦しめられ殺されレイプされ、とにかく一般市民いじめられるストーリーな訳。あれ?これって日常茶飯事なんじゃね?超リアルなんじゃね?

最初に、「公務員組合時代劇に圧力をかけたんじゃないか」って書いたんだけど、それは公務員犯罪者扱いしてケシカランみたいな話で圧力があったんじゃないかみたいに思ったんだけど、ちょっと考えてみたら、テレビで演出しまくり誇張しまくりストーリーであるにも関わらず、現実の実際の犯罪テレビを超えちゃって、テレビでのストーリーが陳腐化しちゃって、人気が無くなっちゃったって事もあるのかね。

近頃、無用な公務員叩きが横行していると思ってんだけど、ひょっとして時代劇が無くなってガス抜きされなくなってんじゃないかと思った。後、時代劇を知らない子供達が増えて、公務員犯罪は付き物だという事に慣れていないという事もあるんじゃないか。

時代劇に出てくる"お上"の組織は現代でもそのまま残っている。形を変えていったものもあるが、元が元だけに権力を持っている。当時の消防署存在だった火消しの子孫が今は何やってるのかとか調べると面白いし、廃藩置県ってあったけど、結局、県が国の出先機関である事は変わらないし、ヤクザと十手持ちが紙一重の存在だったけど、今でも双方は仲良しだとか、時代劇に出てきた事をそのまんま現代に当てはめられることが多い。

時代劇を知れば知るほど、現代も見えてくる。時代劇ってただのフィクションじゃなくって、ノンフィクションに近いものだったんだと最近、気が付いた。

さすがに総理大臣世襲ではないという所が違うけど、戦争に負けてからは、アメリカ日本TOPなので、そういう意味ではTOPは代々世襲になってる。今は征夷大将軍がいないので、是非、天皇さんに決めて欲しいと思います。

2009-09-09

遠山の金さん」と裁判員制度

民智が偏向裁判サヨク判決を覆していくのか

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遠山の金さんといえば庶民感覚犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説モデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。

お白砂には花吹雪舞う刺青松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采あびる

裁判官ヒーローがいたのだ。

江戸時代までは検非違使伝統が息づいていた所為か警察検察司法が同じ行政機関で行われた。警察逮捕し、検察起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。

大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。

江戸時代世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。

水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法独立って概念を知っていたのかな。

そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律風土が違う。

だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本弁護士が少ない、と。

この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院

米国陪審員制度に酷似

そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人傷害致死放火身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑量刑無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識裁判官常識を変えた例になった。

ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度日本にうまれた。

左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。

さて裁判員制度本質的問題点とは何か?

議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員制度誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランスチェイサー救急車を追いかけて患者から事故弁護士成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラでっち上げ日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。

だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。

第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。

第二に陪審員は買収されやすく誤審冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。

第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。

上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明

細かな問題点はほかにも多々ある。

一、選挙管理委員会リストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。

二、籤による選任が「健全市井の人常識」を反映するのか

三、強制するのは憲法違反ではないのか?

四、多数決裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。

ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。

裁判員制度導入に賛成する保守論客も意外に目立つ。代表選手コラムニスト高山正之氏だ。

高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度精通し日米の裁判に関連する著作も多い。

法律解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。

ただし米国陪審員制度といい、今度の日本裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法民主化などというお題目寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日

        通巻第2702号 

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