はてなキーワード: 在日コリアンとは
han_org:日韓条約締結後も、在日コリアンに対するさまざまな差別は温存された。「日本人に準じる様々な権利が付与された」という歴史的事実をひとつでも出せるか。
miyadai:差別はなくなっていない。だからといって「在日=強制連行」図式を前提にした政策を継続するべき理由もない。強制連行の虚偽を知れば永住権を与えているだけでも相当なもの。永住権には生活保護や社会福祉の受給権が含まれている。
han_org:強制連行がなかったのは「ウソ」ではないけど、植民地支配によって伝統的秩序と経済基盤が破壊された。それで朝鮮半島の膨大な人口が半島外へ流出したのだから「強制移動」だ。マクロな社会状況を見ていない。
miyadai:朝鮮半島の一部の人が日本に出稼ぎに来ただけなのを「強制移動」とするのは嘲笑されるか、水掛け論。それなら在日政策を強制連行を前提にしないで強制移動を前提で実行すればよい。
コリアンは長年「強制連行された」つーて日本を罵ったり交渉材料にしたりしてきたくせに
嘘がばれたら「嘘つきました、すみません」もなく次のポジションに移ろうとしてる。それは通らないだろう。
「村で話をしてたら突然縛られてトラックに詰め込まれた」みたいな臨場感溢れる作り話をたくさん流布させてたんだぜ。
その話を信じてたら本当に奴隷商人みたいな感じに朝鮮人を100万人さらってきました、みたいな認識になるし
まず、嘘だったじゃんと。
1 平然とデマを流布する傲慢(数字は金明秀氏がblogでつけた論点)
han_org:日韓条約締結後も、在日コリアンに対するさまざまな差別は温存された。「日本人に準じる様々な権利が付与された」という歴史的事実をひとつでも出せるか。
miyadai:差別はなくなっていない。だからといって「在日=強制連行」図式を前提にした政策を継続するべき理由もない。強制連行の虚偽を知れば永住権を与えているだけでも相当なもの。永住権には生活保護や社会福祉の受給権が含まれている。
han_org:強制連行がなかったのは「ウソ」ではないけど、植民地支配によって伝統的秩序と経済基盤が破壊された。それで朝鮮半島の膨大な人口が半島外へ流出したのだから「強制移動」だ。マクロな社会状況を見ていない。
miyadai:朝鮮半島の一部の人が日本に出稼ぎに来ただけなのを「強制移動」とするのは嘲笑されるか、水掛け論。それなら在日政策を強制連行を前提にしないで強制移動を前提で実行すればよい。
han_org:「参政権がほしいなら国籍を変えて」とマジョリティの知識人がマイノリティの生き方に口をはさむのは傲慢。「特別永住者には無条件で日本国籍を選択できるようにすべき」であれば、まだ理解できる
miyadai:一般永住外国人に参政権を与えないのに、特別永住外国人に参政権を与える合理性があるか否か。一般永住者を含めた手続簡素化論を展開するなら道理が通る。
4 国際標準を語る愚かさ
han_org:国籍がエスニック・アイデンティティに重要な役割を果たしているケースも少なくはない。
miyadai:エスニック・アイデンティティが国籍と関係あるのは当たり前。それが「民族国家」の定義。
han_org:国籍とエスニック・アイデンティティが独立している例もあるが、そういう国は国籍が出生地主義だ。「世界標準」などと一概に言えない。無知をさらけだしている。
miyadai:OECD加盟国のほとんどで「●●系○○人」というのが自明。参政権がほしいなら●●人から「●●系○○人」になるのが普通。もしそれらの国は二重国籍があるからと言うなら、参政権より二重国籍を認めろと運動すればいい。
5 簡単ならやってみるがいい
han_org:日本国籍をとった在日コリアンの知人で国籍取得を「容易だ」と言っている人に会ったことがない。おまえがやってみろ。
miyadai:一般永住者にくらべれば特別永住者の帰化は容易。そう言っている知人も複数。それに大変かどうかは水掛け論。それに「帰化がとてもメンドー。国籍が取得しにくい。だから参政権がない。だったら国籍なくても参政権を与えろ」は馬鹿げた理屈。
miyadai:特別永住者と違って一般永住者には、生活保護や社会福祉の受給権があるのに窓口で追い払われてるケースが大半。一般永住者の処遇がめちゃくちゃであることを直すのが先決問題。処遇の滅茶苦茶さゆえに、子供世代が言葉も喋れず、参政どころじゃない。
hang_org:miyadai はごちゃごちゃ書いてるけど話がずれまくってる。議論どころかケンカにもなってない。
*かってな要約と対応づけになっているので、本文や細かい言い回しが気になる方は
金明秀氏の方は http://han.org/blog/2010/03/post-140.html
宮台真司氏の方は http://twitter.com/miyadai
を見てください。
http://han.org/blog/mt-tb.cgi/315
ほんといい加減にしてほしい
ちゃんと韓国に帰るか、日本国籍を取るかどっちかを選ぶだけの問題
選ばずにいたいっていう本音を隠して正論ぶってでかい口を叩くだけの存在
単なる宙ぶらりんのいい加減
アイデンティティなんかない
あげく
そんなに「容易」だと思うなら、宮台氏自身がやってみればいい。一度、日本の国籍を離脱した上で、再度、日本国籍を取得してみなさい。元日本国籍者は、在日コリアン以上に、日本国籍取得が容易らしいですよ。
何と比べて簡単だといったかも理解していない
他国籍からみれば明らかに簡単だろう?
そこの理解はどこいった?
こんな頭の悪い連中だから、話したくもない
まともに面と向かっていったら逆恨みされてたまらない
ほんとどっかいけ
「アメリカ人がまたバカなことを言ってますねぇ。彼らはいつもあんな感じですよね」
「在日コリアンの方々のおっしゃることは確かです。はい、我々は反省しなければいけないことですよね」
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コメントの内容が違うのはご愛嬌w
このほうがリアルだからだ
テレビのコメンテーターを例に出したのは、想像しやすいだろうと思ったからで、べつにテレビじゃなくてもいい。
文化人的な立場の人は優越感ゲームのごとく、そういうことに気を配っている姿が大好きなのだろう。
マイノリティに対する気遣いが、私のステータスみたいな文化人がゴロゴロといる。
そして、これははてなを見ていても思うことだ。
こういう奴らは決まって、アメリカ人を馬鹿にする。遠慮なんていらないとばかりに。
かれらはアメリカ人差別をしている感覚はないのだろう。息を吐くようにアメリカ人をばかにする。
そして、朝鮮人には過剰に気を使う。
そして、気を使わない連中をレイシストと避難する。
<補足>
ttp://han.org/blog/2010/02/post-123.html
なぜ、「差別は悪い人がする」という教え方になったのかというと、道徳教育の一環として差別論が教えられるようになったからだとぼくは思っています。倫理的にすばらしい人間になろうという道徳教育の一環として、反差別が取り上げられるとすれば、当然のことながら、「差別する心、卑劣な貧しい心をなくしていきましょう」という教え方になるでしょう。でも、これって、道徳教育のために差別を利用している、ということなんですよね。
似た構図に、反戦教育のためにアジアや在日が利用されるというのもあります。「日本はかつてこんなにひどいことをしました。アジアの人はみんな怒っています。われわれは、申し訳ないと思わなければいけない。だから、日本はふたたび戦争に踏み出すことはできない。軍事国家化すれば、アジアの人がどんなに怒るか考えてみよ」という教え方です。アジアを利用せずとも反戦教育は単純にできるはず。ところが、「そんなことをしたら、隣のおじちゃんに怒られるよ」と言わんばかりに、「アジアに怒られちゃうよ」という形で、反戦教育を進めていくのです。
それがどのような弊害を生むかといえば、「そんなに、反日、反日いうのだったら、日本から出て行ってください」という暴論を引き出してしまうのです。つまり、「確かに日本は悪いことをしたし申し訳ないと思います。でもそんなに日本が嫌いだったら出て行ったらいかがですか」という、ある意味で素朴な声を生んでしまう。
ところが、当の在日コリアンは必ずしも日本を恨んではいません。特に、比較的若い世代にとっては、日本に対する愛着度、韓国に対する愛着度、在日に対する愛着度を測定しますと、一番高いのは日本に対する愛着度なのです。日本と韓国が試合をする場合、どちらを応援するかというと、多くの在日の若者は日本を応援すると言います。すでに住む土地としての日本に、愛着の基盤を寄せているのですね。日本がかつて行った自分の民族に対するネガティブな歴史については、しっかりと教えてほしいと思うけれども、そのことはそれとして、自分が住む地域として日本に対しては愛着を持っているし、今後もこの国で共に住んでいきたいと在日側は思っているのです。
2008年度の生活保護世帯数が114万世帯と過去最多というニュースがあって
2chでは当然のごとく「在日の2人に1人は生活保護」とか「外人の割合見せろ」とか言う人達が多かったので
間違ってたら教えてほしい。
厚生労働省発表では平成19年までしか見つけられなかったのでそのデータをもとにしてみる。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001055731
平成19年時点で日本の被保護世帯数は107万世帯、150万人(単身世帯が多い)<追記>2010年では140万世帯、195万人に上った。日本の人口の1.5%、世帯の2.5%
その中で被保護外国人世帯数は3万世帯、約4万8千人、全体の3%
そのうち韓国or朝鮮人は2万3千世帯、約3万人、全体の2%(ちなみに中国籍が約3000世帯、フィリピン籍が約2600世帯)
つまり、「生活保護を受けている100人のうち97人は日本人、2人がコリアン」ということになる。
外国人登録者数は韓国・朝鮮人が約60万人(徐々に減少中)、その60万人のうち生活保護は3万人
つまり在日コリアンで生活保護を受給しているのは5%ということになる。
1億2千数百万人のうちの195万人だから日本人で生活保護を受給しているのは約1.5%。
コリアンを除く外国人の場合、外国人全体が215万人で、155万人のうちの1万8千人だから1%強。
ということで、ネットは嘘を嘘と見抜けない人には難しい。
こういうシステムを使わないで生きていければ一番いいんだけど。
_____________________________________________________
<追記>
多数のブクマありがとうございます。
「ある集団の生活保護受給率が他に比べて高い」イコール「奴らはもらいやすいから」という発想を疑うリテラシーをまずは持ってほしい。
多分その根底には生活保護がうらやましいという考えがあるとは思いますが。
原因要素には、差別があるかもしれないし、貧困があるかもしれないし、年金のもらえない高齢者の存在があるかもしれない。
例えば北海道の生活保護受給率は平均より2倍多い。これは「北海道人は2倍もらいやすい、特権がある」ということではないですよね。
それを前提として、ネット上で広がっている根拠のない情報を反証するものとして上記のような公式のデータがあるということです。
http://anond.hatelabo.jp/20090416205054
こんにちは~!
のほほんと在日です!
民族学校のことはほんとに何にも知らなかったので、いろいろ知ることができてよかったです。
私は家族以外に在日の知り合いがいないゆえ、在日のスタンスって自分の環境と似たり寄ったりだと思っていたんですよ。
たぶん、ことの始まりはid:F1977さんのはてダエントリーだと思うのですが、そこへ大元の増田さんのエントリーとそれに関連したエントリー。
たくさんの思いや考えがあって勉強になりますね~
私も目から鱗ボロンボロンです。
実家はわりと半島式で、家長は絶対、長男大事、チェサをして、年末はチヂミを焼き、正月は親戚が集まってトックを食べる、という家庭だったんです。
日本人と結婚したことで「え、あれって半島式だったのか…」って初めてわかることもあるくらい。
だから、ハングルは話せないけれども、自分は朝鮮民族だって認識してたんですよね。
でも、最初にも書きましたが、韓国の人と在日にこれほどの温度差があるのなら、
在日は在日コリアンという1つの新しい文化として存在していくしかないなと思ったりしたこともありました。
ここ数日の増田エントリーを読んで、在日もまた枝分かれしているようですし、
在日コリアンとしての文化もなかなか定着しないのかもな~なんて思っている次第です。
在日の増田エントリーだけでもいろんな人がいるじゃないですか。
スポーツ界でも、本名で帰化して日本代表になったサッカーの李忠成選手。
日本ハムの森本ヒチョリ選手も名前はハングルですね(ハーフみたいですが)。
それぞれの想いがあって(あるいはないかもしれないけど)、それぞれが選択した道なんだろうなぁ。
私は裏社会のことも聞きかじりくらいしか知らないし、
私の考えなんて甘いったらないです。
一世のハラボジ、ハルモニ、二世の両親世代のつらい思いや経験を無視してるわけではないし、
北朝鮮にいる消息不明のおじさんや会ったこともないイトコのことを考えると複雑だ。
のほほんとしてていいわけない。
だからここ数日の増田エントリーを読むことでグラグラ揺れる部分があって、それで自分もエントリーしたわけなんですが。
時代が変わったこともあって、三世以降の在日が様々に枝分かれしていくんだろうなとつくづく思った1週間でした。
乱文ですんまそん。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
もうお腹いっぱいかと思いますが、ここ数日の在日コリアンの増田エントリーに触発されたので、おいらもいっちょ書いてみます。
つれづれに書くからねー長くなるかもだよー。
国籍は韓国です。旦那は日本人です。子供はいません。兄弟はみんな既婚で、配偶者は全員日本人です。
両親は朝鮮学校に通いました。父は右寄りでも左寄りでもない感じで、母はクソ真面目の右寄り(?)です。両親はハングルペラペラ(これは大人になってから自発的に学びなおしたからで、朝鮮学校に通っていたからペラペラなわけではない)ですが、自分は数十個の単語を知ってるくらいです(主に親戚を呼ぶ時と挨拶程度)。
自分は日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校(高校まで)に通い、日本人の友人に囲まれて青春を謳歌し、今は派遣社員として日本の企業で働いています。
親戚以外で在日の知り合いはいないです。帰化した親戚もいますが、みんな仲良くしてます。
通名(名字だけ。名前は1つかないス)を使ってますが、新しく知り合う人には割りと早い段階で在日であることを言ってます。なんでそうするかって、とーちゃんがそうしているからです。親のしていることを真似するもんなんだよね、子供って。在日だと告げることですごいイヤな思いをしたこともありませんでした。残念ながら私はお勉強は苦手だったので高校は上中下でいう下の県立バカ高校で、そこで知り合った友人ももちろんお勉強のレベルは同等。もちろん在日ってのがいまいちよくわかってない。「外人?スゲー。どこ生まれ?韓国語話してみて!!!」みたいな感じw
違うんだ、国籍が韓国なんだけど日本生まれ日本育ちでね、ハングルは話せないよ、っていうと「なんだ、じゃあ日本人じゃん…」って、なんでガッカリか、コラwww
こんな感じで良くも悪くも私が在日であることは興味をもたれなかったです。20歳になってからの市長選挙かなんかときには、おまえ誰に入れるの?○○さんよろしくね、みたいなこと言われたことあったなぁ。だからー選挙権ないからー!
在日であることを告げてひどく考えさせられたことが1度だけありました。20代はイギリスに留学してました。通っていた大学はいろんな国から学生がきていて、もちろん韓国からきた学生もいました。私は普段から在日であることを隠したりしてなかったので、同じ学生寮いた韓国人のピ(仮あだな)さんにも在日であることをいいました。それはそれは普段話すように軽いノリで。そしたら、在日はコリアンとは認めないし、本国(韓国)では嫌われてる、というような主旨のことを言われたんです。我々にひどいことをした日本に住んで暮らしている在日は裏切り者だ、ということらしいです。すごいショックでした。
私は父から、朝鮮人であることは恥ではない(誇りを持てとはちと違う)から隠すこたぁない、民族の結束は大事だし助けあうもんだ、と常々言われていました。民族の結束については実感なかったけど、自分が在日であることは特別というより話しのネタくらいの感覚で、隠すことではないと思ってました。もちろん、朝鮮半島が自分のルーツであることを否定もしてない。なので、コリアンと認めてもらえないことをどう処理していいいのかわかりませんでした。
ピさんの発言はあくまでも韓国にいる韓国人の一つの意見に過ぎないし、そう思っている人もいれば違う考え方をしている人もいるでしょう。ただ、事実としてこういう意見はあるという現実。まあ、ハングルも話さなければ朝鮮半島のことも知らないので当然なんですが。日本に住んでるからいけないのか。でも生まれたときから住んでるし、もっといえば日本に生まれることを選んだのは自分ではないし…。朝鮮学校に行かなかったからいけないのか?今から韓国に行けばいいの?ハングルを話せばいいの?韓国で生活をすれば受け入れてくれるの?でも私にとって韓国は外国だしなぁ。
この「コリアンとは認めない」発言で、私は自分が存在してはいけないのような気がしました。私は自分が在日であることをあまりにも軽く考えすぎていたのではないか。なんてバカな自分。もっと真剣に向き合わなくちゃダメなんじゃない?いわゆる、アイデンティティ・クライシスでした。
冷静になって考えると、頭の中が完全に日本的でハングルも話せない自分が「韓国人でーす」とか言ってもうさんくさいよな。確かに「おまえはコリアンじゃない!」って言いたくなる気持ちもわからないでもない。そんな自分はさておき、日本で朝鮮半島式のしきたりを守り続けているうちの両親・親戚も韓国人とは認めてもらえないのかしら。でも日本に住んでるから裏切り者なのかな。
イギリスで、ああ、これはいいなって思ったことがある。中国系(イギリス生まれ、イギリス育ち、英語・広東語)のイギリス人ポール(仮名)君に「君は何人?」って聞くと堂々と「イギリス人だよ」って言う。あたりまえなんだけど、堂々と言えるってことがすごいいいなって思ったの。日本にいて「何人?」って聞かれることは99%ないけど、外国にいると聞かれる機会が多い。そんなときなんて答えたらいいのかすごい迷うんだよね。韓国人ですっていうのはウソがないが、「あ、韓国語知ってるよ。アニョハセヨー」とか言われても笑ってごまかすしかない。でも、日本人ですって答えるとウソなわけじゃん。ウソ言ってるってことが自分の中でなんか気持ち悪いんだよね。かといって、初めて会う人に「韓国人ですが日本生まれで日本育ちで日本語しか」って長いじゃん。それトゥーマッチインフォメーションじゃん。今考えれば、聞いてる側は私の国籍じゃなくてどこに住んでるのかを聞いている場合がほとんどだろうから、日本から来ましたって言えば済んだ話なんだけどね。丁度ピさんの発言とかで敏感になってて、冷静になれてなかったね。
で、ポール。ポール君と普段の会話してると、話の内容によっては「自分はチャイニーズじゃん、そんで家では中華料理がうんぬんかんうん」とか「みてわかるじゃん、おれはチャイニーズだよw」みたいな発言もあるんだけど、国籍はどこかっていうと断然迷いなくイギリスなわけ。イギリスにはインドあたりからの移民もたくさんいるのですが、サリー着て見るからにインド人のおばちゃんもきっと堂々とイギリス人ですって言うと思う。サリー着てかなりお年を召したおばあさんがたとえカタコトの英語しか話せなくても国籍はイギリス。そっかぁ、国籍=民族じゃないんだね…っていうことを痛感したわけです。民族性を保持しつつ、在住する国の国籍を有するっていいなぁ。それなら自分は朝鮮系日本人っていう存在になれたらスゲーいい!と思ったわけ。
本名で帰化だ!それで丸く収まるよ!そんな話を母親にした。もっと賛成してくれると思ったのに、どうも反応がイマイチ。そもそも帰化することが納得できないらしい。おかーちゃん、帰化する=朝鮮を捨てるじゃないんだよ、私の国籍がどこでも私が朝鮮民族ってことは変わらないじゃん?って何度も説明したけど、やっぱり受け入れられないらしい。ちなみに、この人は朝鮮と韓国が別の国であるということさえも納得いかない人なのです。朝鮮半島は朝鮮民族の土地であり、もともと1つの国よ?ってな。それはさておき、帰化の話があんまり通じないから、国籍に頼る民族性なんてクソくらえだ、ばーか!みたいなこといってケンカになったこともある(しかもソウルの電車内でw)。
なんでおかーちゃんは頑なに帰化したくないのか?それの一つに教育の違いがあるんだろうと思った。朝鮮学校で何をどう学んだのかは知らないが、私が日本の学校で学んだこととは違うんだ。帰化することは民族を捨てるって思想なんだろう。最近は、自分は帰化しないが、あなた世代は日本人と結婚する人も多いから帰化するのも理解しないといけないと思う、にだんだん変わってきたようだ。でも内心は帰化に対する負の感情があるのがわかる。母親に帰化の話すると、なんともいえない怒りというか悲しみというか、非常に複雑な表情を見せるんだよね。親にそんな思いをさせるのかと思うと帰化は非常に躊躇する。
ま、ただでさえ帰化は時間と金がかかるし。ブクマコメを見てると、帰化の手続きが大変なんだって知らなかった人も多かったみたいですね~。そらそうか。昔はものすごいイジワルな面接官がいて、その面接でキレて帰化できなかったか途中で投げ出したかした人もいたとかいないとか聞くよ。今は随分改善されているらしいです。
とりあえず自分は帰化は今は見送り。両親がいなくなったら考えるかも。
ニュースをみててふと思ったことがある。もし自分がボランティア活動でアラブの国に行ったとして、誘拐されたら?日本人が誘拐されたときは日本政府の介入がありましたよね(具体的なことはわからないですが)。もし韓国籍の私がアラブで誘拐されたら韓国政府が介入する…んだよね?そんで無事に救出されたとしてどこに戻る?…日本に戻ったら韓国人は怒るよね?あたりまえだよな。でも日本政府が在日韓国人を助ける義理はないよね?もし助けたとしても、日本国民は納得いかないよね?じゃあどっちの政府も無視するかな?…されたとしても文句は言えないなぁ、この辺はどうなるんだろうなと疑問に思った。あ、私はボランティア活動してるわけでもないし、この先もその予定はないですよ。ただ、国籍が重要なときってあるんだよなって思ったのです。在日韓国人として日本に住んでいて不便も不自由もない(そりゃ役所関係ではコマゴマとありますけど、たいしたことない)のでこのままでオッケーみたいなところがあるんですが、そんな軽いノリで問題を先送りにしていいのかって思わなくもない。
本国にいる韓国人もさまざま、在日もさまざまです。私のようにちょっとおバカな在日だっているんです。一世、二世、三世でもかなり違うし、学校教育や家庭がどんな環境だったかで意識は違うと思う。みんなそれぞれに悩んだり悩まなかったりしてるはず。どっちが正しくて、どっちが間違ってるなんてことはないと思います。
それから、在日ってことで悩んでばっかりいたわけでもなくて、在日ゆえのおもしろい話とかもたくさんあるんですよ。ネットで公開できる話かどうかわからないので書けないですけどw
…ハゲるほど悩んだわけでもないですが、現時点では「場合によって韓国人でもあり、場合によっては日本人でもある」ということで自分の中で決着をつけ、今はのほほんと暮らしています。
5年後、10年後はどういうふうに変わっているかわかりませんけどね。
これを読んでて、昔のことを思い出して書きたくなった。
誰も知らないようなマイナーなIDだから、日記に書いてもいいんだけど
自分自身からは切り離しておきたいような体験だったから増田を借りる。
ましてや、mixiなんかには書けないし…
初めて降りた駅は以外に人が多くて、元増田みたいに緊張で吐きそうだった。
普段と変わらない格好で不慣れな俺にもすぐに見つけられて少しホッとした。
駅からは彼女の車に乗って移動する。
「なんかこうしてると、もう夫婦になったみたい」とか
無邪気に言うから、俺は胸がきゅんと痛くなった。
どうしよう、手汗が止まらない。
広い玄関の、昔ながらの日本家屋。仏間に、荷物を置かせてもらって
高校生の妹さんを交えて三人でしゃべってた。
やべ、妹さんも彼女同様すごくいい子。
夕方、6時前に彼女のご両親も帰ってきた。
夕食を終えて、みんなでテレビみて談笑して
こういうの、うちは両親が離婚してからないなってぼんやり思った。
はっきり言って、何しゃべったらいいか全然わからない。
俺、せめて引きつらずにうまく笑えてるのかな。
夜、彼女は妹さんの部屋に行き一人になって
俺は彼女の部屋にに敷いてもらった布団に横になったら
なんか涙が止まらなくなって声を抑えて泣いた。
俺、なんで来ちゃったんだろう…
何であのときはっきり別れを切りださなかったんだろう……
卒業式はほんの2週間前なのに。
式の前に部屋を引き払っていた彼女は
当日「友達のうちに泊まる」といって俺のとったホテルの部屋にいた。
抱き合って、睦みあって、ほとんど二人同時だった。
「ねぇ……、」
「奨学金も返さなきゃいけないし、
妹も学生だから3年ぐらい待ってもらってもいいかな」
「○○のそういうとこ好き」
……やめてよ、そんなんじゃないんだよ。
「…?○○、泣いてる?」
……ごめん、悔しいけどうれしい。もう俺、訳わかんないよ。
あの時とおんなじぐらい苦い涙だよ。
俺たちが最初に喧嘩したときも、俺泣いたんだよな。
もうきっかけは忘れちゃったんだけど
あるとき、在日コリアンの話になった。
彼女があんまり差別的なこと言うから腹が立ってきて何か言い返した。
そしたら
「私、朝鮮人とかエタ非人とか嫌なの。絶対付き合わない。」
「そんな人と近所づきあいはできても結婚できない。親に申し訳ないもの。」
マジで今もこれ思い出して涙出てきた。
俺の母さんの実家が部落に当たるって聞いたのは俺が高校生のころで
俺は、父親を史上最低な男だと思ってるけど、
俺、彼女に何かわめいて、その場から逃げて、泣いた。
俺自身だけじゃなくて足元から全部否定された気分。
結局むこうから謝ってきてその場は収めたけど、すげー気持ち悪い。
で、卒業したらこいつとは終わりにしようってずっと思ってきた。
で、それもまもれんかった。俺、最低。
なんで軽い親挨拶までしてるんだろ、俺。そんなこと考えてたら全然眠れなかった。
別れて、しばらく連絡はしなかったけど、一度あっちから電話があって
お互いもう26歳だもんな。そら考えるよな。
俺は、うやむやな終わり方をしてしまって
あのままいってたら、戸籍を見られて「プフッ」ってなったかもしれない。
そんなことになったら俺死ぬわ。
でもホント、俺にとって結婚したかった女性って彼女だけなんだよ。
元増田がまだ望んでるなら、頑張ってほしいよ。
2008年4月3日。韓国・済州(チェジュ)島では60年前の悲劇を哀悼する祈りの声が響いた。
1948年4月3日に始まった「4・3事件」。2万5千人??3万人という島民が虐殺された事件である。韓国建国前夜、アメリカ主導で進んでいた南朝鮮の単独選挙に対し、南北分断につながるものとして抵抗した島民が警察署を襲撃したのを機に、全島に広がる弾圧に発展した。これまでは、「アカの島」でおきた「共産暴動」と烙印(らくいん)が押され、韓国内でもタブー視されてきた。
しかし、民主化後の韓国で歴史の「見直し」が進む中、2000年、事件の真相糾明と犠牲者の名誉回復を図る4・3特別法が制定。2003年には公式の調査報告書がまとめられ、ノ・ムヒョン大統領による政府の謝罪が実現。そして現在、遺骸の発掘と犠牲者の認定調査が進んでいる。調査は日本国内、特に済州島出身の在日コリアンが多く住む大阪でも進められ、これまで不遇をかこってきた肉親のルーツに関心を寄せる二世三世の若者たちにも波紋を呼んでいる。
番組では、60年の歳月を経てようやく本格化した済州島での調査の動きを追いながら、国際政治の力学の中で、なぜ“悲劇”が起き、そして拡大していったのか、を浮き彫りにし、朝鮮半島分断の“起源”を見つめ直す。
出演:作家・金石範(キム・ソッポム)
語り:広瀬修子
まずは次のデータを覚えておいてください。
1、 1355万円
2、 1570万円
3、 1427万円
4、 1572万円
5、 1112万円
6、 574万円
世の中は金がすべてだろうか。
金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし
タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。
====================
「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。
「もったいないよな。これを企業に売り込んで
例えば広告として使ったり、大金持ちの結婚式のイベントとして売り込めば
紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。
====================
カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、
近寄りがたい印象が強い。
平和な社会が見えてくると言う矛盾。
「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、
平和の道を作ることができる。
誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、
====================
例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、
ビジネスを大きくするためにさらに投資する。
一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。
しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて
再生産を繰り返すのが理想の姿。
嫌なやつといったイメージ。
送り込む作業をする人間というのは
社会のために生きていることになる。
金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、
明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば
嬉しくてしょうがないのが人間の感情。
世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が
=========================
今年ももう終わり。
あと1週間もすれば門松に変わる。
ここ何年かで経済面で大きな事件といえば
ライブドアショックを忘れることができないでしょう。
当事者にとってはまだ終わっていない問題です。
ライブドアの堀江社長もヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは
「成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、
気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。
奢れる者は久しからず。
=======================
こう見てみるとここのところメディアを騒がせている
「格差社会」という仕組みも、
実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも
ないことが見えてきます。
格差に怒りを感じてしまうことも事実。
しかし、格差社会というものが今一つピンと
来ないところがあるのも事実。
============================
この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、
どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。
今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう
のです。
このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、
なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに
疑問を投げかけている。
「希望とは努力が報われると思う時に生じる、
絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」
この言葉が紹介されていて
「1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」
と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。
とくに企業が安定していた頃は実力よりも
「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間が
結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは
昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、
とも思う。
企業奴隷として生きることを強いられた時代。
私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と
いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生が
生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。
====================
「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある
のかもしれません。
テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、
自分もいつか、と夢を膨らませる。
「勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を
生きさせられている嫌な感じ。
羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。
====================
ところで最初に見てもらった金額は
ある企業に勤める社員の平均年収。
会社名は何かと言うと
1、テレビ朝日
2、TBS
3、日本テレビ
4、フジテレビ
5、テレビ東京
7、永谷園
(MSNマネー企業概要より)
格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。
普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。
納得できる企業。
それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、
テレビ局には大量のカネが流れ込む。
勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。
彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。
郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。
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しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、
たとえば亀田兄弟。
亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ
何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる
視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が
永遠に約束されております。
職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。
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何か言い出したらロクなことはない。
「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、
そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、
地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。
「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、
そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。
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「格差社会」は多分真実でしょう。
また、「格差」は仕方がないという言葉を、
今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが
語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。
いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。
勝利者が集まる空っぽの洞窟。
は敗北者という「勝者の視点」。
物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。
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「格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、
そうじゃなかったりするわけです。
例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、
というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。
そんなもん知るか。
一方では消費社会をひたすら煽る。
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人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、
という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。
メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。
これが格差社会の正体。
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―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、
これまた古典的な構図による。
ネットカフェ難民、ニート、年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の
政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。
「エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。
「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体の
ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―
http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57
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彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。
「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。
「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても
誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。
特にあいつらは。
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□石原慎太郎に心ひかれる自分がある。
□オリンピックやサッカー・ワールドカップでは心から日本を応援する。
□中国や韓国はいやだと思うことがある。
これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」
ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。
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問題は、以前ほど未来に対しての安心感が
ないまま日々を送らないといけないこと。
もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと
なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。
なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………
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「リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。
出場するために車でニューメキシコから
「エンターテイメント」としての役割を背負った作品が
圧倒的に多い。
そういったファンタジーものとは別に、
現実のつらさを描いたのがこの作品。
しかし生徒は集まらず本人はビンボー。
2種類のうちでは敗け組の方。
成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて
この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?
「オレたちはみんな、敗者だ!」
映画の中で誰かが叫ぶ。
アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。
アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で
あることをうすうす解っている。
その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人。
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アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、
日本とアメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。
抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で
ビジネスの勝負ができる条件。
日本との環境の差は無視できない。
もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、
多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。
しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには
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億万長者を生み出すベンチャービジネスのからくりの一つを見てみると、
株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。
強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に
なってたとしても、株式上場で金が手に入れば
それでOKとする考え。
もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、
上場できなければ会社は破綻。
いつのまにか今の世の中基準になってしまった。
多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで
金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。
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ビジネスの成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。
しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、
絶対にメディアでは取り上げられない。
彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間。
結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディアで
成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。
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成功するというのはすばらしいし、
誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。
しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい
勝つこともあれば、負けることもある。
「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。
責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を
持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。
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この先、我々はもう一つの成功者を
生み出す必要があるんじゃないかと思います。
多分「格差社会」ということに関しては
我々が試されているんでしょう。
冷静でいられるのか。
この世は金が全てか?
ノー。100%ノー。
「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも
限界があるという事実。
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格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、
世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。
エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を
意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と
この手の権威が継承されてきています。
しかし日本にエスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、
歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。
ということは弱者が強者にだってなれるということ。
しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、
という、でたらめばかりを言ってきた連中は、
この手のことには触れようとしない。
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カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。
「あがり」を生み出す思想からの脱出を。
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アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。
どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、
全く体が動かない状態になった時、
小指の一本でも動かせないかともがいてみた、
という話。
とにかくもがいてみる。
すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。
そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。
手の次は腕。
そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。
うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、
小指の先から暴れてみることを考える。
誰もが出来る小さなレジスタンス運動。
結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、
実行できる人だと思う。
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冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が
いつのまにか社会を支配してしまいました。
彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、
そこから外れたら敗北者。
東京のごく狭い範囲で起こっていることが
しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも
時代が変わっているのも事実。
親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。
絶対に負けない人達。
ところがこんな事実がある。
現在コンビニが全国で4万店。
歯医者が7万店。
つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。
社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実。
これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、
今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。
つまり今年までの負け組が来年には勝ち組にもなれるということ。
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今年の終わり。
この日記を読んでいる方は残りの数日間、
ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう
自分にとって金より大事なことは何なのか。
これがこれから先のあなたを成功に導く。
金より大事なもの。
自分の子供。
古本屋でやっと見つけた本。
家族。
大枚をはたいて買った骨董品。
一人になる時間。
いつも通う喫茶店の窓際の席。
成功。
愛車。
クリスマスのこの日。
その何倍も不幸を感じる人間がいる。
元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、
いつのまにか孤独や不幸が通常よりも
増幅してしまう日になってしまった。
つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?
他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、
「負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。
カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、
この先の時代はあなたは有望。
今の時代の「成功」はまもなく消え去る。
時代は変わる。
「オレだって」「私だって」という野望が
結構受け入れられるのが、日本社会です。
そのためにはカネよりもまず「情熱」という
革命用の武器を手にする必要がある。
美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!
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Gladys Knight and the pips - Neither one of us
http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related
デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど
ボーカルものもやっぱいい。
ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、
いまこれがやれたら結構かっこいい
トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。
Dean Martin, Gladys Knight & The Pips
http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related
グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像
"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related
ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが
超かっちょいい。
Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)
http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc
ソウルつながりでジャコ。
ドラムのピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で
やってしまった例。
http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0
最後は東京に戻って
さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン。
「Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)
じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)
この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、
もしかしたらもうなくなっているかも。
(さんま。お前は判って聴いてんのか?)
それでは皆さん、よいクリスマスを。
おいおい頼むよ。いないから問題になって裁判とかやってるわけ
残留孤児3世って、本当に受け入れることのできる家族なしで入国できるのか?
残留孤児3世(孫)には日本に受け入れることのできる家族がいるだろ?
1世は中国語が話せるし、間違いなく受け入れてくれるからね。
俺はこう書いてるんだが?残留孤児の1世が日本にいない場合でも入国は可能か?
在日コリアンはそういうことを考えなくて済んでるんだよ、日本が豊かだから
自分が生まれ育った国が豊かだったら、ルーツがどこであろうと、そこに住むだろう、普通
苦しみながら、祖国に溶け込もうと努力するのは普通避けるだろう
(やろうとしてる人もいるみたいだが、難しいようだ。在日を差別するのは日本人じゃなくて同胞と言う残酷な現実。)
ルーツ、血統と自分の生まれ育った国が一致して、尚且つその母国が豊かって言うのはかなり珍しい事だろうね
それが良いとか悪いとかじゃなくて
うーん、やっぱ何が言いたいの?
「在日は自分が不幸だと思ってるかもしれないが、まだ恵まれてるんだから我慢しろ」ってこと?
なにその何の説得にもならない理屈は。
ルーツ、血統と自分の生まれ育った国が一致して、尚且つその母国が豊かって言うのはかなり珍しい事だろうね
日本人のほとんどがそうなんだけど、、、、。
本当に、何が言いたいのかわからないんだけど。
貴方の言いたいことを自分なりに文章化すると、「在日に生まれていろいろ差別も受けてるかもしれないけど、相対的にみれば幸せの部類に入るから、我慢して日本社会で生きろ」ってこと?間違っているのなら、訂正してくれないか?
大阪に住んでる身としては、あまり大声では言いたくないが「在日の居る地区にはむやみに近づくな」ってのは、小学生でさえ知っている“常識”である。いわく、トラブルに巻き込まれる・治安が悪い・etc.etc。
自分としても在日コリアンに知り合いは居るし、在日コリアンでも個人的にはいい人も居る、というのは確かに一面の事実ではあるけど、一方でいわゆる『コミュニティ』全体として在日コリアンを見てみた場合に、それらが日本社会の発展に寄与してきたかといわれれば、“No”といわざるを得ない場面が多いのは事実だろう。げんに、全国の駅前に立地するパチンコ屋・あるいは全国各地にある朝鮮学校の土地は、そもそもいったい誰のものだったか?を想像してみればいい。そしてそれらの居住は、いつから始まったものなのか?と考えれば、『終戦後の混乱に乗じて占拠した』と考えるのが、もっともしっくりくる。
そういったひとつひとつの積み重ねが結局は、いわゆる海外でのチャイナタウン・リトルトーキョーなどと、コリアンタウンとの『周辺社会からの“信頼度”』の決定的な差となって現れてきているのだ、と私は思う。
ところで、先にあげた在日コリアンの友人たちは、学区内でも比較的成績上位の学校に居た中での同級生たちであるせいか、ガチガチの「民族主義的」な人は居なかった気がする。それを思うと、いたずらに「選民思想」を煽るような民族主義を子供たちに吹き込むというのは、結局はみなを不幸にするだけでしかない、と自分としては思うのだが。