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はてなキーワード: クラスメートとは

2008-05-13

ロリコンとわたし

数年前から、わたしはロリコンと付き合っている。

わたしと彼は5歳差で、ゲーム仲間の間で結ばれたカップルだ。

最初は「少しそういう趣味辞めてほしいなあ」と考えていたが、最近はその感情が薄れてきた。

ロリコンについてわたしが思うところが出来たからである。

もちろんそれは、「YESロリータNOタッチ」が守れているロリコンの人にのみ言えることである。

彼らはおそらく、少女たちに自分の少年時代を重ね合わせているのだろう。

彼らにとって少女とは、少年時代にあった、異性のクラスメートや幼馴染との交流を想起させるような存在なのだ。

社会に出て日常生活に疲れてくると、昔の事をはっと思い出して懐かしくなる。

少年時代に置き去りにしてきた無邪気な心を、少女という存在で取り戻そうとしている。

ロリコンにとっての少女とは、それを想起するためのトリガーだ。

3次に手を出してはいけない。

だが、せめて彼らの興味が2次元に収まっている間は、そっとしておいて欲しい。

彼らは善良な人間である。

2008-05-11

嫌いな先生投票

小学校で「嫌いな人」投票実名発表

2008年05月11日08時15分 トラックバック(4) ブックマーク

 小学校の担任教諭が取ったアンケートで「一番嫌われている」と発表されたため、いじめを受け精神的苦痛を負ったとして、千葉市内の男子中学生と両親が、市に約1100万円の損害賠償を求める訴訟千葉地裁に起こしたことが10日、分かった。

 関係者によると、男子中学生が市立小学校の4年生だった2005年4月、担任が「クラスで好きな人と嫌いな人」の実名クラス全員に書かせた。約1週間後、担任は結果を発表するかどうかについてクラス多数決を取り「一番嫌われている男子」として、この男子中学生実名発表したという。男子中学生はその後、クラスメートからいじめを受けるようになり、別の市立小学校に転校した。千葉市教育委員会は「事実関係を調査している。内容については係争中なので答えられない」としている。

だったら嫌いな先生投票をして、公表すればいい。

ダメ先生投票をして公表し、交代をしていただいたほうがいいと思います。

2008-05-02

わたしはあんたの小学校のときのクラスメートじゃないから

http://anond.hatelabo.jp/20080502111016

別に増田個人を責めるつもりじゃないんだけどさ。

なんで一人や二人の女にキモいとか言われたくらいで、なんも言ってない残りの女もそう思ってることにされなあかんのさ。女は全て同じ感性でないといかんのか?個々人の感性ってものを持ってちゃあかんのか?

だいたい俺は顔がキモいわ。『電波男』で「俺の顔をキモがった女ども、ゆるさんぞっ」と

居直って叫んだら、とたんに「いやキモくないですよ」と言い出す女どもが現れたけど、

そりゃ元々キモくないと思ってる人間が自発的に「キモくないですよ」なんて言いに行かんわな。それをあえて言う機会があるとしたら、本田透みたいな発言が出てきたときだけ。そこで金目当てみたいなこと言われても困るわけよ。大体女がAV機器写真を見て価格が分かると思うのか?そりゃあ、ある意味、女を買いかぶり過ぎ。

2008-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20080420201425

というか、

http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20080411/1207933438

そうすると、息子のいう「みんな」がやっているHalo3で、友達と一緒に遊べる。それも、ただ画面で一緒に登場するだけでなく、付属ヘッドセットで話をしながらできる。Halo3といえば、バンバン撃ち合うだけかと思っていたが、昨夜見ていたら、クラスメートと3人で、「おーい、誰か手伝ってくれ」とか言いながら、協力して障害物の多い迷路を通り抜けるゲームをやっていた。

HALO3ってCEROレーティング「D(17歳以上)」のゲームだろ。

親がそんなゲーム小学生の息子にやらせんなよ、と。

そういう自分の手抜かりを棚に上げて、「青少年健全」だのを錦の御旗にして

やれアニメ規制しろ、漫画児童ポルノだ、とやらかすアホが大勢いるからかなわん。

2008-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20080416235747

すいません。それ書いたのは、トイレに行くとき以外は生理であることすら忘れてるようなラッキーな体質に生まれた女です。ごくごく健康体で、周期とかも乱れないタイプ生理が重い体質に生まれてしまった不運な人達には本当に申し訳ないなと思うのですが、周囲の数少ない女もそういう波のある人ってまずいないんで、分からないんですよ。そんなにそういう人ばっかりなのかな。中高のクラスメートを思い出してみても(大学以降は女の少ない世界に入ってしまったのでサンプル数が少なすぎるから)、生理重い人って1割くらいだったと思うんだけど。その中でさらにPMSになって、かつ元増田が想定してるようなひどい状態になる人って、どのくらいいるんだろう。

もちろん、超辛いけど超がんばって外に出さないようにしてるとか、単に自分の観察力がないだけとか、自分だって波がないつもりでも周囲から見たら丸分かりとか、そういう可能性も否定出来ないけど。

2008-03-24

大切なものは自分で捨てたい気持ち

多分誰でもこういう気質はあるんだろうと思うけど。


僕はどうやら、自分が大事にしていると他人に見えるモノほど、ちょっとしたきっかけできれいサッパリと捨て去ってしまうようだ。

取るに足らない出来事ばかりなんだけど、覚えている出来事、最近の出来事をいくつか。


小学生のころ、おそらく5年か6年か。

習字時間には練習用だったり、筆をふく用だったりで新聞紙をもってくることになっていた。ある日、月曜が習字で前日に準備してて、新聞を眺めていたら、たまたま自分の小学校野球チームが大会に出場するという記事がでていた。小学生大会には珍しく、そのチームも含めた主要チームは、スタメン表までのっていて、「○○の強肩に期待がかかる」みたいな寸評まで書いてある扱いのよい記事だった。おそらくその新聞社主催だったのだろう。

記事には僕の仲の良いクラスメートの名前も数人あったので、大喜びして、僕はその新聞を持っていくことにした。

習字時間、僕は喜び勇んでその記事を持って、名前が出てたクラスメートのところに持っていった。彼にすげーよ、これ、○ちゃんでてるよなんて、言いながら、見せたのだが、彼の反応は予想以上に薄かった。ほんと「ふーん」くらい。

たぶん、彼はそのときしゃべっていたほかのヤツと会話がちょっと弾んでいたのだろう。話題に対して頭が切り替えられなくて、別の話題に頭をまわせなかったのだろう。

でも、僕はそれにものすごくショックを受けた。

えーっ、オレだったらもっと大興奮して、食らいつくように読むのに! と思った。

で、どうしたかというと、習字の練習の一番最初にその紙を使った。何のためらいも無く。むしろ、その紙の記事のところから書き始めたように思う。

そんで、使い終わって、さらに何枚か紙を使ったところで、前述の○が僕のところに同じ野球チームの友人△と来た。

×ちゃん、さっきの記事もう一度見せてくれない? △(一緒にいた友人)も載ってる?

それに対して僕は、「あー、それもう使っちゃったよー」

と笑って残念そうにしながら、でもちょっと冷たく言った。

そのときの○のちょっとショックを受けながらも、奇妙な表情が忘れられない。


次の話 これも小学生かな。

おそらく学芸会の準備だったか、空を飛ぶ無数の鳥の絵を大きなベニア板に書く作業を、クラス全員でやっていた。

僕もあるスペースに図鑑を見ながら描いてた。かなり気合を入れて、羽根の流れの一本一本まで描いてた。

で、ある程度描いたところで、ちょっと休憩して、トイレに行って戻ったら、担任が僕に「××、すまん、背景を塗ってたA子が間違って、お前の絵の羽根のところに色を塗っちゃったんだよ、直してくれないか」と言ってきた。

絵を見ると確かに羽根が3分の2くらいに背景の水色が入ってしまった。その周辺は鳥がいっぱいいて込み入ってたからだろう。A子もすまなさそうにしてる。

僕はそれを見て、色塗りも7割くらい終わってたのに急にやる気がうせて、じゃー、書き直すからいいですといって、無造作に水色で絵を塗りつぶしてしまった。A子も担任も面食らった顔をしていた。その水色の上に僕はやる気が10%くらいになった鳥の絵を改めて描いた。


つぎはぐっと年があがって、大学生の頃の話。僕はあるサークルの代表をやっていた。僕はできるだけ同期や後輩たちの意見を聞きながら、サークルを運営していた(ここではにごった言い方しかできん)

当時、割と新しいことをやろうとしていた後輩たちと、今までのやり方でベストをやろうとしていた同期との間で、ちょっと板ばさみでもあった。でも、僕はできるだけ最大人数が気持ちよくすごせるように努力し、できるだけ効率的な折衷案を考えながら運営していた。

それは同期の中で分かってくれるやつもいたが、副代表(じつは、こいつが代表になる本命で、僕がなると思ってたやつは同期にはいなかったが、後輩を苛烈に使いそうな彼に懸念した先輩が僕を代表に指名した)などは、不満をくすぶらせていた。

その不満があるとき小爆発して、僕は副代表と彼のバックにいるOBに詰め寄られた。いわく、どうまとめたいのか方向性をはっきりしろと。

僕は自分の指針を明確に示していたつもりだったし、いわば中間案としての方向性もはっきりしていた。彼らの言いたいのは、ようはオレの方向に軌道修正しろってことだと理解した。

その辺りから、僕はやる気が急速に薄れた。サークルの運営は場当たり的になっていった。もうどうでもよかった。同期や後輩、OBたちの意見も聞き流しながら運営していった。

そのサークルでの最後の大会は、むざんな終わり方をした。

正直言って、サークル解体の危機に瀕して、僕の代は終わった。

僕は後悔することもなければ、反省する気分でもなかった。

どうでもいいという気分だった。バイトを制限するほど打ち込んだサークルだったのに。


社会人になってからもそんな経験がいくつかあった。

2年ほど運営していたBBS(そこから知らない人どおしで、OFFなども行うくらいには、発展できていた)も、その数年後、作って3年弱続けたブログも、なんか、取るに足らない理由で、あっさりと閉鎖してしまった。でもって、閉鎖しても全然自分としては残念な気分がないのだから、これはどうしたものか、自嘲の笑いすら起きてくる。



この気分は、実は所有物に対してもおこるようで、本やCDレコード(僕はこれらのかなりのコレクターだ)を数年に一回処分する(させられる)のだが、そのときもどうやら他人からすればドライらしい。

だいたい処分をする契機は昔だったら、母親、今は妻が「ちょっとは整理しなさい」と言い続けて、臨界点に達したタイミングなのだが、そのときの処分の仕方が、彼女たちからしたらどん引きな捨て方らしい。

彼女たちが、まあ、これはとっておくのだろうと思ったものをまっさきに処分していくからだ。

例えば、マンガ小説なら一番長く多くコレクトしていたヤツから処分する。単行本なら、高額なものや、愛読したものから処分する。レコードなら、苦心して手に入れたものから処分する。CDも同様。愛聴したものから処分する。ただし、僕個人としては最後の最後の砦は実は崩していないのだが、それは母や妻にはわからないようだ。

彼女たちはいつも不安そうに「これまで捨てちゃうの?」とか、「これはまだいいんじゃないの?」とか言い出す。彼女たちが処分しろと言ったのに。

それに対して僕は「ん、だっていらないもん」と平気な顔をして答える。

パソコンの中のデータ整理なんかも同様で、90%くらい埋まってたハードディスクも、整理が終わると40%くらいにはなってる。



妻は最近、あまり整理しろといわない。

2008-02-15

Cの場合

それはほんのちょっとしたいたずらだった。まさかそんなことになるとは、Cは夢にも思っていなかった。

先日学校からいじめバッジというのが全生徒と全職員に配られた。それをつけている者はいじめをしませんという証であり、それをつけていない者はいじめをされているという無言のメッセージ意味するらしい。しかしCのクラスでは、少なくともCの知る限りではいじめなんてなかったし、自分たちには関係のないものだと思っていた。それでも、教師がつけろというものだから皆仕方なくバッジをつけていた。

ある日の体育の授業開始時、Cは日直の仕事のため職員室へ行っていたため皆より少し遅れていた。授業開始のチャイムが鳴り、皆が出る頃に更衣室に入った。更衣室にはCが一人で取り残された。Cは焦って着替えていたが、そこでふと、友人Dの制服が目に入った。その襟元には例のバッジが光っている。Cの心に瞬間的にいたずら心が芽生えた。「このバッジを隠したらどうなるだろう」

DとCは自他共に認める親友同士だった。小学校以来の友人で、家族ぐるみの付き合いだった。よくふざけあったりしていたが、お互いに最も心を許せる友人だと思っていた。だからこそ、CはDにいたずらをしても許されると思っていた。

CはDの制服からバッジを取り外し、自分のポケットに入れた。バッジがなくなったことに気付いたDの焦った顔を想像するとニヤニヤとした笑みが浮かんでしまう。そこで「なんちゃってー」とバッジを出して笑いを取るという寸法だ。

体育の授業が終わり、皆が制服に着替え直す。しかしDはバッジがなくなっていることに気付かなかった。Dだけでなく、周りの誰もそのことに気がつかない。CはいつDが気付くかヤキモキしながらも、何も知らない風を装っていた。

次の授業は担任の受け持つ数学だった。担任が出席簿を見ながら点呼をはじめる。教室を見れば空いている席がないことなど一目瞭然なのだが、この担任はなぜかいつも一人一人の名前を読み上げる。そうやって生徒とコミュニケーションを取ってでもいるつもりなのだろうか。Cの名前が呼ばれ、少し後にDの名前も呼ばれた。Dがダルそうに返事をすると、そこで担任の点呼が止まった。

「おいD・・・。お前バッジはどうした?」

Dは最初、なんのことかわからないようだったが、すぐに自分の襟元をまさぐり、そこにあるべきものがないことに気付いた。Cはいまにも笑い出しそうだったが、必死に平静を装っていた。

「え・・・と・・・わかりません・・・」

Dが小さな声で答える。顔が真っ青になり、目がキョドっている。ここまで効果的だとは思わなかった。Cはそろそろ頃合だと思い、ネタばらしをしようとしたのだが、授業中のしんとしたこの重い雰囲気の中で「なんちゃって」を言い出すことができず、言葉を飲み込んでしまった。

「お前、いじめられているのか?」

「え・・・あ・・・」

Dはいつもの快活さを失い、どもりながら是とも非ともとれない返事をするだけだった。Cはいじいじしていた。ここで「違います」とか「なくしました」とか言えば、自分も「なんちゃって」が言い出せるのに。

「授業の後に俺のところに来い。ゆっくり話を聞いてやる」

「あ・・・ちが・・・」

「違う」と言ったようだったが、それは担任の耳には届かなかったようだった。クラスメートたちは哀れみや同情の目でDを見ていたように見えた。しかしどうやらそれだけではない空気も流れていた。「いじめられていたのか」「めんどくさいことしやがって」。誰かがそう言ったわけではないのだが、Cは皆がそんな風に思ってDを見ているように思えた。そしてCは、ますますネタ晴らしを言い出すことができなくなってしまった。

授業が終わった。今の数学がこの日最後の授業だったので、その後は掃除をして放課後だ。Dは掃除もそこそこに、担任のところに行くためか教室を出ていった。Cはもうニヤニヤしているどころではなかった。どうにかして誤解を解こうと思ったが、完全にタイミングを失ってしまっていた。ポケットの中のバッジを握る手は、嫌な汗でじっとりと濡れていた。Cは掃除が終わり、教室に人気がなくなったのを確認してから、Dの机の中にこっそりとバッジを返した。その後はDが戻ってくるのもまたず、逃げるように家に帰ってしまった。

翌日。Dはまだバッジをつけていなかった。机の中にバッジがあることに気付いていないのだろうか。しかし教科書の出し入れをしていたので、気付いていないはずはない。では意図的に付けていないのか、それとも本当にバッジがなくなってしまったのか。しかし暗い顔で俯いているDに、それを尋ねることはできなかった。Cは朝からDと言葉も交わすさず、ただじっと様子を見守っていることしかできなかった。

朝のホームルームがはじまる前、トイレに行っていたCは廊下で担任と出会った。適当に朝のあいさつをしたところ、担任がCにだけ聞こえるような声で「後で職員室に来い」と言った。担任は理由はいわなかった。心当たりがあるといえば、昨日のDの一件くらいだ。ホームルーム後に職員室に行くと、担任は人のいない談話室へとCを連れていき、話をはじめた。

「Dから聞いたが、お前、Dの物をよく隠したりするそうだな。お前はいたずらと思っているかもしれんが、それでDは深く傷ついていたらしい。昨日バッジを外していたのはそのためだそうだ。お前のいたずらが、Dにとってはいじめだったんだ」

Cはとてもショックだった。まさかDがそんなふうに思っていたなんて。確かによくふざけてものを隠したり、背中を叩いたり、スリーパーホールドかましたり、ノートに落書したりしていた。そういうことをDはいじめと受け取っていたのかもしれない。

Cはどんよりした気持ちで教室に帰った。いつもと変わらない教室のはずなのに、皆の視線が自分を責めているような気がする。いや、昨日の今日で職員室に呼ばれたのだ、皆薄々と感づいているのかもしれない。CはDの方を見た。Dは一人で席に座り、何をするでもなくじっと俯いている。Cはとにかく悪意がなかったことを告げ、許しを請おうとDの前に立った。深々と頭を下げ「ごめん!」と叫んだ。Dは俯いたまま、小刻みに肩を震わせている。泣いているのか、起こっているのかわからなかった。そして次の瞬間、

なんちゃって!」

Dが吹き出し、大笑いをはじめた。教室中がDに注目する。

「俺の方が一枚上手だろ?」

Dはいつもの快活な表情に戻り、ニヤニヤと笑っていた。

http://anond.hatelabo.jp/20080213144729

http://anond.hatelabo.jp/20080213155221

2008-01-24

ごめん

相手の女の子の気持ちを把握した上での恋愛というのはどうなのだろう。

僕は高校生だ。受験生でもある。同じ部にいた子が好きだ。

実際のところ好きかはよく分からない。

周りの友人にはやし立てられていたらいつの間にやら気にかかるようになり、

気にし続けていたら「好き」っぽい感情が生まれていただけだ。

でもそれまではまともな恋愛なんてしたことがなかった。

だからこの感情が巷でうわさの「恋」なのかは断言できない。

断言はできない。しかし彼女に微笑まれたり目が合ったりすると嬉しくなる。

好意があるんじゃないかという思惑が僕の中に生まれたが故かもしれない。

僕から彼女に「好き」が向かっているんじゃない。

彼女から僕へと「好き」オーラが向けられていると感じたから、好きに近い感覚が生じたものだと思っている。

自己評価が高すぎるかもしれない。もしかするとそれは逆なのかもしれない。

僕が知らず知らずのうちに彼女に向かって「好き」オーラを出していて、

優しい彼女はそれを察知して気にかけるようになり、いつの間にやら僕に好意を抱く羽目になっていた。とか。

つまり彼女が僕に抱いているかもしれない感情は「申し訳なさから生まれる憐憫、母性」みたいなものである。

と僕は思うのだ。

つまりこういうことが言いたい。

僕がいる。女の子もいる。僕は彼女を好きかもしれない。彼女も僕を好きかもしれない。

でもどちらとも心から好きだと言ってるんじゃなく、

周りの環境、自身の理性、その他もろもろのしがらみに当てられた結果に、

双方とも勘違いめいた恋をしてしまってるんじゃないか。

だとしたら彼女に申し訳ない。せっかく好きになった相手がこんなへたれなのでは申し訳ない。

彼女はいい子だ。まれに見るいい子だ。

面食いの僕が笑顔が可愛いというだけで気になる女の子はそういない。

慢心したことを言っている気がする。でもその子の笑顔は死ねる。はにかんだ顔は死ねる。上気したほっぺたは死ねる。

もっと長身で、歌がうまくて、なおかつユーモア溢れる男が彼女の為に存在しているべきなのだ。

もしかすると、のろけみたくなっているかもしれない。両思いとも判明していないのに?

そうなのだ。ここが問題だ。

いまどきの女子高生ってやつは携帯電話ネットをめぐる。めぐるばかりかHPを作って日記を書く。

日記を書く。胸のうちをある程度、吐露し、友達からコメントをもらったりして楽しんでいる。

日記を書くのだ。コミュニティーを作り日記を書き鍵つきの掲示板で内輪話をするのだ。

思考をさらすのだ。なぜさらすんだ。さらしてしまうんだろう。

そしてプロフィールを書く。自分を事細かに書く。

ついったーめいたもので自らのリアルタイムを記載する。携帯電話ネットに流す。心のうちをぶちまける。

僕はそういうものの存在ギター侍がもてはやされていた頃は知らなかった。

だがおっぱっぴーが薄ぼんやりしてきた今は知ってしまっている。

彼女日記意図して探してしまった。好奇心にやられてしまった。

その頃は特に深い思いもなく探していた。

クラスメートの見えないところが顕在化しているものを見たくなったので探したのだ。

そうして探しているうちにふと気づいた。

あの子のHPもあるんじゃないか?

あさり続けて僕は見つけなくていい場所を見つけてしまったのだ。

なぜ告白したわけでもないのに、誰かのうわさを聞いたわけでもないのに、それを確信しているのか?

ここのところがこの恋愛における闇。おそらく僕が闇。

知らなくていいことを知ったままで、どうして不安定な恋愛なんてのができるだろう。

僕は彼女日記を見た。内容から類推できるレベルで、僕は彼女の好意を確信してしまっている。

はっきりと書いてあるわけじゃない。だがそう断言してもいいほどに、書かれている内容がその答えを描いていた。

僕はこのような状況でどう動けばいいのだろう。

自分のしたことを知らぬ振りして突き通し、彼女に思いを伝えるべきなのか。

僕はそうしたい。でも良心はうずく。騙しているような気分だ。

現に騙しているといえるかもしれない。

何で書いたのか。楽になりたかったに違いない。なんでこう自分のことでも他人事のように書けるのだろう。

こんな自分じゃ彼女に悪い。とは思うがきっと言い訳なんだろうな。これも。

もう言葉はない。読んでくれたのに申し訳ない。たぶん反応を少し見た後に消す。

他の人にとっては消そうが消すまいが関係ないだろうけど。

2008-01-20

駅前で「マッサージいかがですか??」の女たちと戯る

卒業旅行と称してはじめて台湾に行ったとき、色々と現地の土産屋を連れ回された。激安ツアーだったので仕方がない。必ずかわいい店員がいて訛り一つない日本語で特産品を勧めてくる。ぼくはまだ学生だったからお金がないと繰り返すのだが、その女店員はニタニタしながら「わたし日本語よく分かりません」などとミエミエのうそを繰り返し、結局は6000円もするカラスミを買わされた。その時まだ北京語なんて声調だって滅茶苦茶な「ニーハオ」と完璧だけど使う場所がない「ウォーアイニー」ぐらいしか知らなかったからだまされたのだ。喜んだのはそれをつまみに呑んだ父だけだった。

もうだまされたくない、それがぼくを中国語へ掻き立てる主たる動機だ。別に中国のかわいいお姉さんと結婚したり、一緒に住んだり、デート楽しみたいとか、銀座四丁目交差点で熱いキスをしてみたいなんて考えは微塵もないのだ。

それで中国語教室に通いはじめたのだが、そこではじめて受け付けてくれた先生がぼくよりひとまわりも若いお姉さんだった。笑顔のかわいいアンパンマンのような気品があった。一通り現在中国語能力についての簡単な口試をするといきなり、

「XXXXXXX(ぼくの名字の北京語読み)」

と呟きだした。自分の名字ぐらい中国語で言えたからすぐ分かったのだが、何が驚いたっていきなり"呼びつけ"だったのだ。全く、若い女性から毎回名字を呼びつけにされるスパルタ授業がスタートした。

「ニーチーグオチョングオマ?(あなたは中国へ行ったことがありますか)」

いきなり彼女はそんな質問を投げかけてくる。それぐらいもう先生は知っているはずだ。何を今さら・・・

「ウォープーチーグオチョングオ。(わたしは中国には行きません)」

そう答えるとはじめて会ったときの営業スマイルはなく、まるで浮気発覚後の旦那に哀れみをかけるような見下し視線で、

「行ったことがないときの否定は"メイチーグオ"でしょう?あなたは過去形まだダメですね!」

なんて言い放つのだ。それでも検定に合格したらいいものをあげるなんていうから頑張った。合格した。先生は近くにあるミスタードーナッツでいくつかドーナッツを買ってきてくれた。

「礼物(プレゼントですよ??)」

そのドーナッツの味をぼくは胸を躍らせながら食べた、いや違うっ!ぼくの目的はそんなもんじゃなかったはずだ!

因みに彼女女性に対しての形容詞は「漂亮(きれい)」と「可??(かわいい)」しか教えない。クラスメートが「XXXXXは独身だから恋人にするといいよ」と言ったら真面目な顔して「もう遅いです!」と答えやがった!!

ところで、1週間90分の授業だけで中国語をマスターできるほど語学世界は甘くはない。そこでチャイナパブインターネットで検索して通い始めた。

破産した。

それなのにそこのママは毎日ぼくに電話をかけてくる。「全然来てくれないだから」いや一昨日行った、「XXXXXXが来るときは若い娘用意するから」驚くなかれ、ここには若い娘が一人しかいないのだ!

そう、その娘に送られて店の外に出たとき、コートやらジャンパーを着た夜の街特有の異国の女たちがいたのだ。

前置きが長かった。

その女たちというのがいわゆる場末の飲み屋街に必ずウロウロしている「マッサージいかがですか??」女たちだ。試しに"マッサージいかがですか"でググってみればいい。もちろんぼくはセックスライターでもなんでもないし、ぼくの目的というのはいつだって純粋なモノなんだから、彼女たちが何をしているかなんて説明なんかしない。大体分かっているのは基本的に彼女たちが日本語に不自由なことだ。こんな格好な語学練習相手はいない!

ここまできて、ぼくのことを中国人差別だとか女性差別だとかレイシストなんて後ろ指を指す偽善者たちが現れそうだが、何のことはない、彼女たちがまず日本人を蔑視していることは特筆に値する。普通中国彼女たちはこんなことをしないはずだし、鼻の下のばした日本人オヤジの緩い財布を狙って日々活動しているに過ぎない、中国語の練習台にしたって何も悪いことはない。

ところで彼女たちを振り切る方法というのは一つ。「妻がいます」か「ガールフレンドがいます」で大体あきらめる。それでも追いかけてくると思うところが日本人日本人たる所以だ。間違っても「不要(プーヤオ)」などと数少ない中国語語彙を使ってはいけない。

そうぼくは「不要(プーヤオ)」と言ったのだ。

マッサージいかがですか??」

「不要(プーヤオ)」そう言って早足で通り過ぎようとすると後ろからダッシュして頭からタックルしてきたのだ。それからドドドドドっとぼくの前にでるなり上目遣いで、

「オニイチャン、チュウゴクゴウマイジャナイノー」

と抱きついてきた。それから隣で手さえ組んできて「サイゴマデデキマス」なんて意味の分からないことを言ってくるのだ。それにしても中国語を話さない。期待はずれの女だ。ジャンパーで丸々となっているから人なつっこい猫を思わせる。

「行くとどんなイイコトがあるんですか?」

「ハア?キマッテルジャナイデスカー、サイゴマデ、イチバンイイコトデショウ?」

そうか「サイゴマデ」というのはそんなにイイコトなのか!それにしてもこんな日本語を仕込んだのはどこの誰だ?

さすがにこんなアホなことを続けていると生来の鬱体質がさらに悪化するので、最近iPodリスニング練習だけで我慢して、夜は錦糸町サウナに通うことにしている。

そのサウナの帰り、またいたのだ、「マッサージいかがですか??」女が。ぼくは懲りずに「不要(プーヤオ)」と不機嫌に吐き捨てたのに、ずっとついてくる。「アサマデイイデス」、朝まで捕まえてケツの毛までむしり取るつもりだな!ぼくは一貫して冷たくあしらい、渇いた喉を潤すために自動販売機に100円玉を2枚放り込んでいた。

左を向くとまだその女がついてきていた。さっきまでの笑顔は失せ、「ピア錦糸町」の灯りをバックにぼくを見つめていた。日常に疲れたように髪を乱しながら、暗くてよく見えないながらも目は潤んでいるように見えた。ああこれがアジアなのだ。ぼくは気づかぬうちに彼女たちに対して失礼を働いていたのかもしれない。彼女の視線の先には日本という資本主義、そしてかつての帝国主義悪魔が見えているのかもしれないのだ。そう、次の一言に全ての恨みが凝縮されているはずだった。

「オイ、ワタシニモジュースオゴレヨ」

2008-01-10

今年が始まってまだ、半月もたってないけど

死にたくなった。

って書くと、なんか重そうで誰も読んでくれない気がするけど、ここくらいにしか書くところがない。

俺は、いわゆる無神論者神様とかあの世の類はまったく信じてない(まぁ、日本人はそんな人ばっかりだと思うけど)から、死というモノがどれだけ怖いかは想像できる?

宇宙の果てに置き去りにされるような孤独感。

人間という輪の中からはずされる疎外感。

誰ともつながることのできない恐怖。

今まで積み上げてきたものが無くなる喪失感。

誰も俺なんて覚えていないんじゃないかという不安。

どっかの宗教みたいに自爆テロとか、借金倒産失業失恋なんかで自殺なんてばかげてるとしか思えない。(この手の話は無駄に長くなるのでここらで止めておこう)

どちらにしろ今は、まだ死を受け入れれるほど生きてない。

そして今日、普段は見ていない「アンビリーバボーSP」(フジテレビ)の最後のコーナー「感動したVTR TOP3」(タイトルがまるでうろ覚え)を見た。

1位に選ばれたのは、小さい頃から心筋症(?)を患いながらも、12年の生涯を懸命に生きた少年ドキュメンタリーだった。

その子は、病気後遺症で右手・右足が自由に動かなくて、いつもクラスメートに助けてもらってたことに「自分はみんなの役に立てない」と考えていたけれど、助けられながらもクラスメートとすごしていくうちに「人間は生きているだけで誰かの役に立っている」ということに気付いたと、インタビューで答えていた。

一度の入院も経験したことのない、俺には思いつきもしない発想だった。

そして、あらためて命の尊さに心を打たれた。

隣にいた嫁も、大学時代に初めてこの子の言葉を聞いたときは感動で泣けてきたと話してくれた。

俺も「健康な時だと、こんなこと考えないもんな」と当り障りのない答えを返した。

番組が終わった後に、

嫁が近所の奥さんと会ったこと、

そこで以前『うちの子供』と『その家の子供』が喧嘩したことを謝ってきたこと、

「知らなかったけど、今度から気をつけてくれればいいですよ」と言われたことを教えてくれた。

子供らが喧嘩したときは、俺とその子供の父親が一緒だったので、うちの嫁も近所の奥さんも直接は何があったか知らない。

もし、うちの子が自分からは手を出さないような『他人とうまくやれるタイプ子供』の親だったら、喧嘩なんていちいち嫁に報告しないが(よほどの怪我をさせられない限りは)、うちの子は、以前から手が出やすかったうえに、仕掛けたのはうちの子なので嫁に報告した。

俺の中では、「仕掛けられたとしても大事に至らなければ、報告する必要はない」と考えていたので、相手の父親も同じように考えていたら、奥さんにしゃべらない可能性もあると思っていたし、喧嘩の後にも「今度から気をつけてね」と言われてたので、それで喧嘩の件は完了だと思っていた。

「わざわざ、奥さんにまで謝らなくていいのに」

不意に出た言葉

烈火のごとく怒り出す嫁。

自分がどれだけ、回りに気を使っているかをひとしきり言った後に、

「知らないって言ってたけど、知らないわけないでしょ!!」

「そんなんだから、人の気持ちもわからないんだよ!!」

「もう、死ねばいいのに!!」

死ねばって・・・

つい、数分前に「生きてるだけで素晴らしい」って素晴らしいって言ってたのに。

ほんとに死にたくなる。

ちなみに、今日が初めてじゃない。

2・3ヶ月に一回は彼女逆鱗に触れて、この恐ろしい言葉を使われて、数日間に渡りへこまされつづけるわけだ。

想像できる?

隣(といっても隣のベッドだが)で寝ている彼女が、軽い気持ちである(本気かもしれないけど)とは言え、俺に死んで欲しいと思ってるわけだ。

「万が一」俺が死んだ場合には、それなりの保険金が支払われて、住宅ローンもちゃらになる。

さらには、母子家庭手当てが降りて、遺族年金をもらい、場合によっては生活保護も出るかもしれない。

俺が死んで困るのは、まだ小さい子供が父親を失うだけ。

それでさえ、おそらく、嫁の母親が俺の代わりになるだけだ。

家にいるときは常に危険だ。

ご飯を食べる際に台所に背を向けるのも、

風呂で頭を洗っているときも、

同様に洗面台で顔を洗っているときも。

料理は苦くないか?

昔、寝ているだんなの心臓に針を刺して殺そうとしたけど、何本か刺しても気付かないまま数日過ごしたってのを聞いたことがある。

体に痛みはないか?

大丈夫か俺?

まぁ、でも、そんな心配しても仕方ない。

今は何よりも子供と一緒の時間楽しい

嫁は一生の大半をこの家の中で暮らすんだから不満もあるだろう。

ここに書いたことで、少しは楽になった。

(極端に優しくすると「気持ち悪い」とまたへこまされるので、)

明日は、ちょっとだけ優しく接してみよう。

2007-11-09

ウォール伝 2007-11-09 「キュッ」。 整形バージョン

ちょっと疲れてるからっつーか口内炎とかね。あと今の算数の先生サルトルに似て
るかな。女の先生なんだけど、凄まじいスペイン語訛りの英語喋るんだよね。ただで
もさ、なんか教授っつって別にネイティブに限らないってイカすよね。移民バリバリ英語でも教授になれるっつーアメリカはなかなかだね。

そういえば逆に俺は韓国最近売れてきている若手のお笑い芸人に似ているらしい。
日系のスーパーいってもさ、「すぁーりーすぅりーだらぁーず」とか下手糞な英語で
小計言われることが多いんだけど、伊東カード出すと日本の名前ってのが分かるん
で、そこで店員が俺のことを日本人だって気がついて日本語になるんだけど、なんな
んだろうね、なんかガイジン扱いされるとムカつくよね。

別に韓国とか中国差別的な意識があるわけじゃないんだけど、「俺、日本人なんだ
けど」って心のどこかどころか全体で思ってるよね。あと前にも書いたけど中国系の
デリとか行くと店員が中国語で話しかけてくるし、韓国系のデリとかレストランっ
つーかレストランは滅多に行かないけどさ、店員が韓国語で話しかけてきたりするこ
とが多いんだよね。

ただなんかこういうときって凄まじくコスモポリタンな気がして嬉しくもあるんだよ
ね。国境無いゼ!みたいな。あと学校のさ、アプリケーションとかの事務をやる受付
でもアプライしようと思ってる留学生とかが並んでてさ、で、その並んでる留学生の
一人が中国語で何か聞いてきたりするんだけど「すみません。自分日本人なん
で・・・」って答えるのにもう飽きちゃうぐらい間違えられるんだけど、逆に日本人
は誰一人として俺のことを日本人だって思わないんだよね。

で、この勘違いしてた日本人クラスメートとあとになって話すと「絶対、韓国人か
と思った」って言われるんだよね。あと中国人の子にも「中国人かと思った」とか言
われたりさ、アジア顔なんだろうね。俺。テイトウワに似てるとかいとうせいこうに
似てるとかって言われるけど、それは髪型もあるんじゃないかな?

俺はテイトウワって言われるのが嫌だからいとうせいこうだって言い張るんだけど、
基本的にテイトウワだって言われたりすることもあったりしたな。まぁ顔が韓国人っ
ぽいってことだ。でもこれ面白いよ。美容室とかでも日本人の店員から英語で「May I 
help you?」とか言われたときの疎外感。散々、日本が嫌いとか言ってるくせに、こう
いうときになると妙な疎外感を覚えるんだよね。「俺、日本人なんだけど」ってい
う。で、日本語喋ってもなんか日本語があんま上手くないんだよね。俺。

で、見た目も髪型も眼鏡もおかしいから店員が明らかに引き気味になるのね。前にも
書いたけど、こういうときってやっぱ俺は変わってるっていうか、社会不適応者なん
だなって凄く思うよね。でも英語喋ってるときはそうでもないのを考えると、やっぱ
日本で育ってきたときに色々あったんで、日本人との付き合い方がまだまだ分からな
いのかもしれないっつーかあんま得意じゃないのかもしれないんだよね。それに比べ
て他のさ、例のアニメオタクペルー人とか、例の黒人とかと話すときは全く距離感
感じないんだよね。

あーまた長くなりそうだからやめるわ。今日は疲れたから寝ないと。昨日の分と今日
の分をコンバインしたらヤヴァめの量になりそうだから、ちょっと分割しないとね。
選挙期間内だしってやっぱ選挙ってことが頭から離れてないな。

そりゃーChange of Life口ずさんじゃいますよ。「てんってんっとーとーとーとーて
んってんっとーとーとーてんってんっとーとーとーと」ばっかだったね。今日は。
まぁいいや。あんま思い上がるのも嫌だから最終試験の前夜みたいなのを想像して嫌
な気分になーろうーっと。

これでプラマイゼロだぁー。宿直っ!!

http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071109

ちょっと疲れてるからっつーか口内炎とかね。あと今の算数の先生サルトルに似て
るかな。女の先生なんだけど、凄まじいスペイン語訛りの英語喋るんだよね。ただで
もさ、なんか教授っつって別にネイティブに限らないってイカすよね。移民バリバリ英語でも教授になれるっつーアメリカはなかなかだね。

そういえば逆に俺は韓国最近売れてきている若手のお笑い芸人に似ているらしい。
日系のスーパーいってもさ、「すぁーりーすぅりーだらぁーず」とか下手糞な英語で
小計言われることが多いんだけど、伊東カード出すと日本の名前ってのが分かるん
で、そこで店員が俺のことを日本人だって気がついて日本語になるんだけど、なんな
んだろうね、なんかガイジン扱いされるとムカつくよね。

別に韓国とか中国差別的な意識があるわけじゃないんだけど、「俺、日本人なんだ
けど」って心のどこかどころか全体で思ってるよね。あと前にも書いたけど中国系の
デリとか行くと店員が中国語で話しかけてくるし、韓国系のデリとかレストランっ
つーかレストランは滅多に行かないけどさ、店員が韓国語で話しかけてきたりするこ
とが多いんだよね。

ただなんかこういうときって凄まじくコスモポリタンな気がして嬉しくもあるんだよ
ね。国境無いゼ!みたいな。あと学校のさ、アプリケーションとかの事務をやる受付
でもアプライしようと思ってる留学生とかが並んでてさ、で、その並んでる留学生の
一人が中国語で何か聞いてきたりするんだけど「すみません。自分日本人なん
で・・・」って答えるのにもう飽きちゃうぐらい間違えられるんだけど、逆に日本人
は誰一人として俺のことを日本人だって思わないんだよね。

で、この勘違いしてた日本人クラスメートとあとになって話すと「絶対、韓国人か
と思った」って言われるんだよね。あと中国人の子にも「中国人かと思った」とか言
われたりさ、アジア顔なんだろうね。俺。テイトウワに似てるとかいとうせいこうに
似てるとかって言われるけど、それは髪型もあるんじゃないかな?

俺はテイトウワって言われるのが嫌だからいとうせいこうだって言い張るんだけど、
基本的にテイトウワだって言われたりすることもあったりしたな。まぁ顔が韓国人っ
ぽいってことだ。でもこれ面白いよ。美容室とかでも日本人の店員から英語で「May I 
help you?」とか言われたときの疎外感。散々、日本が嫌いとか言ってるくせに、こう
いうときになると妙な疎外感を覚えるんだよね。「俺、日本人なんだけど」ってい
う。で、日本語喋ってもなんか日本語があんま上手くないんだよね。俺。

で、見た目も髪型も眼鏡もおかしいから店員が明らかに引き気味になるのね。前にも
書いたけど、こういうときってやっぱ俺は変わってるっていうか、社会不適応者なん
だなって凄く思うよね。でも英語喋ってるときはそうでもないのを考えると、やっぱ
日本で育ってきたときに色々あったんで、日本人との付き合い方がまだまだ分からな
いのかもしれないっつーかあんま得意じゃないのかもしれないんだよね。それに比べ
て他のさ、例のアニメオタクペルー人とか、例の黒人とかと話すときは全く距離感
感じないんだよね。

あーまた長くなりそうだからやめるわ。今日は疲れたから寝ないと。昨日の分と今日
の分をコンバインしたらヤヴァめの量になりそうだから、ちょっと分割しないとね。
選挙期間内だしってやっぱ選挙ってことが頭から離れてないな。

そりゃーChange of Life口ずさんじゃいますよ。「てんってんっとーとーとーとーて
んってんっとーとーとーてんってんっとーとーとーと」ばっかだったね。今日は。
まぁいいや。あんま思い上がるのも嫌だから最終試験の前夜みたいなのを想像して嫌
な気分になーろうーっと。

これでプラマイゼロだぁー。宿直っ!!

http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071109

ウォール伝 2007-11-09 「キュッ」。 整形バージョン

俺さー芸人になったらさぁー相方見つけてさぁー「マルチチュード」っていうコンビ
名でデビューしたいんだよねぇー。「どうもー!マルチチュードでーす!」みたいな
感じで出てきて「ネグリ君一号でーす!ネグリ君二号でーす」とか、もしくは「どう
もーマルチチュードネグリでーす。ハートでーす」みたいな感じでさ、基本的にネタ
は左翼パロディネタばっかなの。

で、たまに真面目な政治批判を繰り広げつつもシリアスになり過ぎないっていう
ね。ってことで相方は相当教養のある人じゃないといけないわけだけど、悪くないと
思うんだよなぁー。あと妙にアカデミックなネタとかね。「ききききさまぁー!!さ
ては修正主義者だなぁ!!」とかさ、そんな感じ。

分からない人さっぱり分からないみたいな。で、この修正主義者ってのも実際はAVに
モザイクは必要か否かみたいな議論をペダンティックな語り口調で進めていくんだけ
ど、相方が「やっぱり倫理的にモザイクは必要である」なんてことを言ったときに、
さきほどのツッコミを俺が入れるわけ。

ただボケ突っ込みっていう役割は無しで、基本的に両方ボケて突っ込む感じね。別に
笑い飯パロディとかじゃなくて。悪くないと思うんだよなぁー。あとは相方だけな
んだよなぁー。あとハワードジンソーホーマルクスを下地にしたマルクスとバ
クーニンの言い争いをネタでやるとかさ、悪くないと思うんだよなぁー。アイデアは
いっぱいあるんだよねぇ。世界の左翼テロリスト集団カルトQとかね、片方が司会者で
片方が回答者で、プロジェクターかなんかに世界の左翼テロリスト集団のロゴを出し
て早押しとかさ、もう絶対テレビ放送無理みたいなネタばっかなのね。あと日本共産
党ネタとかもいいかもね。すげーシニカルに繰り広げていくわけ。

で、ネタを見ると日本共産党ナスティな歴史が分かっちゃうっていう、笑えて勉強
にもなるみたいなね。共産とか左翼っていいお笑いネタになると思うんだけど、誰も
やってないんだよね。せいぜい思いつところだと駕籠真太郎ぐらいかな。漫画家だけ
どね。拳を上に上げて「レボリュースィオン!」とかいうのを一発ギャグにしたり
ね、キャッチーでもあると思うんだよね。分かりやすいっていうか。

あと過去の独裁系共産主義者を連想したネタとかね。ようは毛沢東と側近とかを想像
で演じちゃうわけ。スターリンレーニンやりとりとか、ポルポトと側近のやりと
りとかね。あんまお笑いって放送できるできないでリミットがかかるべきじゃないん
だよね。だってお笑いって表現なわけだから、作る前にセンサーシップのことを考え
るなんてのは完全にリミテーションですよ。

そんな意味でも鳥居みゆきのことが心配でしょうがないわけですよ。テレビってーの
に巻き込まれるとダメになりそうで。ようは本人の意思に関わらず無理やりテレビで
放送できるような感じで編集されちゃったり、全然テイストが出せないような無駄な
企画やらされたりとかさ、そういうので才能を潰しちゃいけないのね。ただテレビっ
てどうしようもないからダメなんですよ。そういうのが。全然才能を生かせない。だ
から本当にやりたいことをやるならラーメンズみたいになるしかないわけ。セルフプ
ロデュースだよね。ようは。

で、テレビに出るのはCMとかちょっとしたインタビューとか、ようはお笑いの部分は
テレビではやらないわけ。あとやっぱ本人が繊細そうだからダークなテレビ業界のや
りとりに巻き込まれて精神的にダメになったりしないかな?って不安なのね。基本的
にフォークダンスの桶田がそんな感じだったらしいじゃん。精神を病んでたわけじゃ
ないけど、テレビ業界にうんざりしてお笑いに興味がなくなっちゃったっていう。

本質的な人こそああいう俗っぽいものを嫌うしアダプトできなかったりするからさ、
結果的にその才能をテレビ側が生かせないどころか殺しちゃって永久に失われちゃっ
たっていうようなさ、本当にフォークダンスは悲劇ですよ。もう残念でしょうがな
い。あんなことを二度と繰り返しちゃいけないから、だからっつって俺が何を出来る
わけでもないんだけど、基本的にお笑いファンも昔松っちゃんが書いてたお笑い指
数っつーかお笑いレベルじゃないけど、お笑いレベルが高くないと需要も低くなっ
ちゃうっつーか客が程度の低い笑いを要求するようだと本物たちがテレビでやりたい
ことができなくなっちゃうわけ。

ようはレベルの高いデマンドが必要ってことなのよ。だからホント、うちの妹とかも
口癖のように言ってたけどお笑いってのがブームになるとホント、質の低いつまらな
い芸人ですらテレビに出られるようになってさ、で、その業界に寄りかかろうとする
ダメ芸人が本当に増えるわけじゃない?で、結果的にそういう悪循環お笑いの全体
の質を下げちゃうっていうようなさ、それって最悪だよね。

だから常に鑑賞者側はお笑いに対してレベルが高くなきゃいけないし批判的じゃない
といけない。お笑い番組見ててクソつまらねー芸人ネタとかで笑ってる客とか見て
るとぶっ殺してやりたくなるんだよね。ホント、その存在自体が邪魔だから死んでほ
しいって切実に思うもん。

それっていつも書いてる音楽シーンとかに置き換えることが出来るんだけど、基本的
にやっぱね、レベルの高い鑑賞者っつーかデマンドが無いと、本物を発信してる側の
活動場所がなくなっちゃうんですよ。それが一番マズイのは、本物の活動場所が無く
なることで、才能が失われちゃうってことなわけ。ところでエレクトロニカとか前衛
系に言えることだけど、なんだかんだですげー排他的で若手育成みたいなのやらない
じゃない?

で、有名レーベルはいつまで経ってもベテラン勢の作品ばっかリリースし続けるって
いうさ、ああいうプログレッシブな音楽やってるように見えてレーベルの体質が保守
的だとね、それ自体がダメになるのよ。つまらなくなっちゃう。

ただ大半のレーベルはそういったことに意識的じゃないから勝手に腐っていくんだけ
ど、例えばさ、ELMAって昔、ちょっと関わりがあった鳥取でノイズやってる人なんだ
けど、未だにこの人以上のハーシュノイズって聞いたことないんだよね。はっきり
いってハーシュって意味だと今のメルツを平気で越えてるし、クオリティは世界レベ
ルなんだけど、なんで大手のレーベルから何かしらのコンタクトが無いわけ?マイス
ペースとかあるんだからさ、誰かは見てたり聞いてたりするわけじゃない?で、なん
でELMAの新作が割と有名な電子音楽系のレーベルから出ないわけ?ELMAが無理だっ
たらSMKなんて絶望的ですよ。はっきりいって。もう嫌なのね。ああいうの見てる
と。ELMAみたいなのが有名にならないこの現状。

なんなのよ?みんなの耳は節穴か?ちゃんとみんな音をちゃんと聞いてるんだろう
か?全くさぁーホント、ちゃんとした芸術家達が本当に食えない時代になってる
なぁーって思うよね。いつの時代もそうだったかもしれないけどさ。

俺に金があったらホント、最高のレーベル経営できると思うんだよね。経営っつーか
まぁ人材発掘ね。経営は他に任せたほうがいいや。経営っつーか運営っつーか。とこ
ろで岩村学って今、何してるのかな?全身にニートっつーかヒモみたいなオーラがあ
ふれ出てた人だったけど、ああいうヒモ系の作り手って嫌いじゃないんだよね。ミラ
ノ在住っつって何して食ってるの?っていうああいう雰囲気。

あのなんだっけツジコとかとやってる青木だかなんだかってやついるじゃん?あいつ
もすげースポイルチャイルド系の雰囲気出てていいんだよね。音楽的にはさっぱり好
きじゃないけど人間の雰囲気が好き。ああやって親とか愛人から金をもらってやって
ける連中はいいけど、そうじゃない人達も大勢いるわけだから、アートシーンっての
がそういう人達のケアをしてあげないとダメなのよ。それは国が保護しないとダメだ
と思うね。

ニューヨークってそういうシステムあるらしいじゃんね。まぁ相当限られてるとは思
うけど、でも無いよりはマシでしょ。基本的にでもそんなのね、文化の一つなんだか
らシリアスに保護しないとダメよ。保護っつーかサポートっつーかアーティスト達が
やっていけるようなシステムが必要なわけ。

ところで今朝、なんか妙に呼び鈴が鳴ってるような気がするなって思ったら案の定、
誰か来てたんだけど、ドアにチラシが挟まっててさ、それがエホバの証人だったの
ね。しかも日本語。ようは日本人向けの勧誘をニューヨークでもやってるってこと
だ。あー怖い。ニューヨーク統一教会の本場みたいな感じだけど、あんな暴力教
団、国が規制をかけないとダメでしょ。エホバはともかく統一教会なんてあんなもん
強制的な解体をさせないとダメよ。

何が言いたいのかっていうと、ラガ系の人がエホバって言うときは恐らく「ジェホ
バ」って感じなヤーマンな発音になるんだろうなってキットカット食いながら思った
んです。今朝。もう明らかにモト信者の証言から暴力とか洗脳があったってのが明ら
かな教団があるのに、なんで国はキチガイ教団扱いをしないんだろう?あんなもんの
存在を許してたらね、よりどころの無い人達がガンガン入信して不幸になっていくん
だからね、ダメですよ。禁止しないと。

こういうの禁止しないでガンジャ禁止してるんだから世の中ってのは狂ってるよ
なぁー。だったらガンジャ教みたいなの作ればいいのに。もちろん名前は「ジェホバ
の証人」ね。挨拶はみんな「ヤーマン」。持ってきた?っていうブリングとブリンブ
リンをかけて、教団内ではみんな「ブリンブリン」言いまくってるっていう、極めて
ラスタな環境にあるわけよ。とっととオランダみたいにさ、ガンジャなんて解禁す
りゃーいいんだよ。どんだけの泉じゃなくてどんだけの人が救われるか分かってんの
か?マジでガンジャがあるだけで凄まじい境遇の人もガンジャだけを心のよりどころにして生き
ていけるような人も出てくるのかもしれないのに。もちろん酒みたいに逃げになっ
ちゃいけないけど、でも救われる人は相当多いと思うんだよね。労働者が「この昼休
みの一服のために働いているようなもんなんです」ってタバコのことを言うけど、こ
れがガンジャでもいいわけじゃん?まぁ作業中はマズイから仕事終わりとかに「一杯
行く?」じゃなくて「一服する?」みたいなさ、酒みたいに中毒にはならないんだ
し、少量でブリンブリンになれるわけだから、あれほど機能的なものはないわけよ。
全くタバコとか酒とか許してるのに、なんでガンジャが禁止されてるんだか意味分か
らないよね。政府が国民に苦しめって言ってるようなもんでしょ。これは。

ところで練馬ザファッカーのさ、キラキラしているやつを総称で「ブリンブリン」っ
て言うって言ってたけど、あれをガンジャトリップのブリンブリンのメタファーって
のに気がついてる人少ないんだろうな。日本ってマジでドラッグについての教養が全
く無いからね。そういう意味だとアメリカは凄いよ。やっぱ歴史があるからみんな詳
しい。少なくともマリファナを鼻で吸うみたいに思ってる馬鹿はいない。ガスパンが
流行ってるとかいってさ、ああやってちゃんとドラッグに対する教育しないから馬鹿
なことするやつが増えるんだよね。ケミカル系の危険性も分かってないで乱用するや
つがいるってのは教育がなされてないってことでしょ。あえて選んでケミカルやって
るやつならしょうがないけど、基本的にトリップしたいんであればガンジャで十分な
わけよ。

で、コークとかLSDとかの副作用っつーかダークな面を知ってればさ、明らかにあの
取ったときの「スッコーン!」って感じよりディスアドバンテージのほうが多いっ
つってやらないやつが多いはずなのに、やるやつがいるってのは問題だよね。さっき
も書いたように、ちゃんと知識があってやってるなら選んでやってるからしょーがな
いやつになるわけだけど、分かってなくて興味本位でやってるのってマジでヤバイよ
ね。

学校で「ケミカルは中毒性があって脳がダメになるから絶対やらないこと。やるなら
ガンジャにしなさい」って教えれば相当ケミカルの乱用は減ると思うんだけどねー。
で、ガンジャを合法にしてタックスでも取ればさ、国益になるわけじゃない?なんて
幸せなタックスだろうね。ガンジャ税だなんて!

でも分かるよ。あんな閉塞した社会で薬も酒も無いんじゃやってられないよね。だか
らなんつーか若者がアノミー状態に陥っちゃってて、ドラッグに手を出すぐらいしか
脱出する方法が無いっていう、あの社会状況がマズイわけで、それはニートネット
カフェ難民も一緒でしょ。

全面的に彼らが悪いんじゃなくて、そういった人とか循環を生み出す社会構造に問題
があるわけでさ、その人達を批判するのはお門違いもいいところだよ。うちのオヤジ
がこういうお門違いな批判をしているんだけど、まぁオヤジみたいな世代の人はああ
いう観点でしか物事を考えられないんだろうなっていうのは凄く思うし、親父には悪
いけど、ああいう考え方をする上の世代の連中が多いから、いつまでたっても問題が
解決しないどころか、若者とおっさん世代のコンセンサスの乖離ってのがガンガン進
んでいくわけだよね。

基本的に社会を動かしてるのとか会社の上の連中とかって大体おっさん世代でしょ。
で、おっさん世代の考えが古いんで、前に書いたマテリアルカルチャーとノンマテリ
アルカルチャーカルチャーラグじゃないけど、基本的に社会を牛耳ってる連中たち
の考えが古いんで、社会構造が変わらなくて、マテリアルカルチャーとの差が出てき
ちゃう。だったらとっととおっさん世代は引退して次の世代に役割を任せなきゃいけ
ないっつーか、そのためにも若者の雇用と雇用後の社内での教育ってのが必要なの
に、人件費削減だとか馬鹿なことを抜かしてやがるから若い世代が育たないっつーか
アノミー状態になっちゃう。ね?

全然難しいことじゃないでしょ。いかに社会が若者達に対して理不尽に回っている
かっていうのがね、凄まじくクリアなのよ。だからニートだとか若い世代にワーキン
グプアなんてのが出てくるのはある意味で必然なわけで、全部を結びつけるわけじゃ
ないけど、アノミー状態というのは色々なネガティブなことを生み出す原動力になる
わけだから、っつーかさっき書いたドラッグ問題も含めてね、まぁあと犯罪とかの原
因の一因でもあるよねっつーか一刻も早く環境の改善が必要なのに、なんかシリアス
に取り組んでる感じがしないんだよな。

あとさっきも書いたようにおっさん世代と若者世代との意識の違いってのが凄いで
しょ。で、おっさん世代は若い世代を批判してばっかいるからさ、悪循環が終わらな
いのよね。すげーもったいない状況にあると思うんだよ。日本は。さっきのアートの
話も含めて基本的に社会が殺している才能とか人材ってのが凄まじく多いと思うの
ね。教育は馬鹿を増やして、社会は優れた人を育てないっていうような、お金でヘド
ロ買って家を埋めてるみたいな、そんな非建設的な状況がもうずーっと続いてるよ
ね。

だからね、若い世代が「もうくだらねぇ。こんなのやめだ」って思うのは当然なの
よ。まぁ全部の若い世代じゃないけど、でもそう思ってる人多いと思うんだよね。俺
はああいうアホな社会のおかげで批判的な目がより養われたというのもあるから、
まぁ日本社会ってのは究極的な反面教師だったし、今でもそうであるわけだけど、
まぁでも俺も逃げ切れたわけじゃないからいまだに怖いんだよね。

杉並区中野区を飲み込むかのごとく、日本が俺を侵略してきそうで怖いのね。だか
ら俺は逃げ切らなきゃいけない。うわー怖い。マジで。常に走ってるような気分だ。
そう思うとランナウェイ。ましてや日本って侵略が十八番だからね。そういえば社会
学の先生がまぁ話の文脈のディティール書くと面倒なんでやめるけど、人種のキャラ
クターっつーか歴史を語るときに「日本はまた特殊な国なのよね。しょっちゅう戦争
してた国だから、バトラーの血があるでしょ」みたいなことを言っててさ、これは別
に日本の侵略戦争のことじゃなくて、恐らく戦国時代のことを言ってたと思うんだけ
どでもあれだよね、日本人って平和を愛する民族だなんてあくまで戦後の話で、実際
は凄まじい血みどろの歴史がある国なんだよね。

日本って。だから全然なんつーか農耕民族でもなんでもなくて、みんなウォーバト
ラーだよね。みんなじゃないけど。そういう見方ってのを全然してなかったから、
ちょっとパラダイムが変わったね。俺の中で。ようは俺の中で日本人って民族的に野
蛮っていうイメージが無かったんだけど、でも野蛮っつっちゃー野蛮だよなって思っ
たわけよ。

まぁ武士とかサムライとかっていうとかっこいいかもしれないけど基本的に戦士じゃ
ない?戦士=野蛮ってわけじゃないけど、でもまぁ平和的ではないわな。ようは戦
士っぽい血を引いている部分も相当あるというのには全面的に先生に同意だなって
思ったんだけど、やっぱこれって教養のある西洋人からの観点じゃないとなかなか見
えてこないことなのかなとか思ったわけね。

そう思うと今後が楽しみでしょうがないな。どんだけパラダイムが広がっていくんだ
ろう?あー楽しみだぁー。まずその前に算数やらないといけないけどさ、でも楽しみ
だよねぇー。でもあれだよ、やっぱさ、客観性ってのが重要で、いくら自分が色々な
ことに懐疑的で批判的な人間であっても基本的に日本人について悪く考えたりしない
わけだけど、この社会学の先生の視点というのは、事実はさておき、ようは客観的な
視点でしょ?

ただ俺は日本人だからやっぱ当事者としてなんつーかあんま日本人ってことを否定し
たくないっつーか良く考えたいみたいに思うところがあるんだけど、これは物凄く危
険な視点なんだよね。ようは愛全般がそうよ。恋は盲目とかいうけどさ、基本的に恋
人とかに限らず、自分が好きなものに関しては入れ込んじゃってるから批判的になれ
ないし、客観的になれないんだよね。

ようは凄まじく主観的でガーッってそれに入っちゃってるっていう。それが趣味とか
ならまだしも、それが歴史とかになってくるとマズいんだよね。それこそ歴史修正主
義じゃないけどさ、日本の都合のいいように歴史を塗り替えちゃうっていうさ、まぁ
昨今の盲目的なバカバカしい愛国心の台頭にも言えることだけど、客観的ではない批
判的ではない見方なんてのは大概危険よ。

やっぱ。そんな意味だとっつっていつもアメリカとの対比になっちゃうけど、こっち
で勉強してて目立つのは、よく先生が特にリーディングとかの授業だと「批判的でい
ろ」って言うんだよね。ようは何かを読むときでも読むだけではなくて、書き手がど
ういう人間なのか?例えばアメリカの保険制度について書いてある記事でも書き手が
保守系のシンクタンクから来ている人間なら、それは保守側の意見で書くだろうしっ
つーかそういう記事が実際あったんだけど、ああいう教育を幼い頃から受けていれば
さ、全然違うよなって思ったわけ。

ましてや記事の書き方とかオーガナイズとかの仕方も批評するんだから。これはちゃ
んとまとまってるか?とか要点がクリアかそうでないか?とかさ、俺ってまぁ中学以
来学校行ってないけど、でも中学まででこういった読み方の教育を受けてきた記憶が
さっぱり無いんだよね。

勝手な思い込みだけど、一般的に日本ではこういったクリティカルリーディング的な
教育は広くは行われてないんだろうなって凄く思ったんだけど、ようは批判的である
とか懐疑的であるってことは別にそれが左翼的であるってことじゃなくて、常にモノ
を考えながら何かを捉えるっていう一連のプロセスの一つなわけで、そこに政治的な
イデオロギーなんてないわけ。俺が左翼臭いって言われるのは本当に分かるんだけ
ど、そんなこといったらニューヨークなんて基本的に左翼臭いんじゃないか?とかっ
て思っちゃうね。

特に社会学なんか凄いからね。アメリカ批判も平気でするし、アメリカ政府暴露話
とかも授業の脱線であったり、教科書にもアメリカ政府に対して相当痛烈なことが書
いてあったりするからね。それに比べて日本って何なんだ?って気が本当にしてくる
ね。教科書を日本の都合のいいように改ざんするなんて愚の骨頂だよね。少しはアメ
リカ見習えって思っちゃう。

ただ基本的に思うのがまともに俺の今受けてる社会学の授業ね、あれを受けてたらみ
んな左翼的になるよ。だって社会学教科書もそうだし、先生もグローバリゼーショ
ンには否定的だし、ましてやナイキとかギャップとかのさ、ようはDeindustrialization
とかさ、 downsizingみたいなことがガンガントピックで出てくるし、労働力の搾取な
んてのがあからさまに書いてあるわけだけど、別にこれはマルクス主義とか共産主義
みたいなドグマに立脚したようなものではなくて、あくまでグローバリゼーションの
弊害の一環として、社会分析として書かれているわけだけど、果たしてんじゃあこれ
が左翼的か?っていうとどうかなぁ?って感じするでしょ?左翼も何も当たり前の事
実っていうかさ、それを認識するだけのことなんだから。

ましてやアメリカパトリオットアクトについてのまぁ割とドライな分析と割と批判
的な分析なんかも教科書に載っててさ、アメリカ教科書ってこんなにレベル高いん
か?って関心しまくりだったわけよ。政府からクレームこないのか?ってぐらいなこ
とが書いてあるんだけど、そこはさすがになんつーかインディビジュアルアクトに対
する自由がやっぱりまだまだ保障されているアメリカならではなのかなって気がして
きて、このフリーダム具合と比べると、日本って独裁共産国みたいな感じだよなって
コントラストで凄く感じちゃったね。

で、日本の保守が共産主義に対して批判してるんだからお笑いだよね。実はてめーら
が一番封建的で右翼的な共産主義ドグマを信望してるんじゃねーかって思っちゃ
う。一部の保守が言ってることってツァーリズムとあんま変わらなかったりするから
ね。んだったらロシアにでも亡命すればって思っちゃうよ。日本の保守見てると。あ
んなの保守の風上にも置けない感じがして、ちゃんとした保守の人達が本当に迷惑し
てるんじゃないかなって思ったりちゃうよね。

だからいつも俺が金玉を酸っぱくして言ってるのが、馬鹿でもとりあえず保守的でい
るよりかは進歩的でいたほうがまだマシってことなわけ。馬鹿が石原をサポートする
より馬鹿がデモしてたほうがまだマシ。やヴぇーな、サービス精神旺盛になってき
ちゃってる。もうそろそろやめようかな。っつーかね、昔と違って書こうかなって
思ったこと全てを書けてるわけじゃないんだよね。一応、やらなきゃいけないことが
あったり、占領されてる時間があったりするからさ、そういうので中断されると思考
が止まっちゃうわけよ。

で、思い出せなかったり忘れちゃったり勢いがなくなっちゃったりして、そのトピッ
クについて書かなかったりするわけ。だからね、まぁ今日の分もだいぶ長いけど、で
も本当はこんなもんじゃないんだよね。特に最近はウォール伝的に色々失ってること
が多いわけよ。

書くべきだったのに書かなかったことってのが多いわけ。まぁいいや。でも十分だ
ね。そりゃ最速インターフェース研究会のmalaさんが「誰か要約してください」って
書くわけだよね。ホント、malaさんありがとうね。

なんでため口なんだか分からないけど。で、墨滴には全然これ長くないんだよね。長
いウォール伝ってもっと長いからっつーかいきなり思い出したんだけど、16ぐらいの
時に通ってたフリースクールの同級生っつーか会ったこと無い女の子メールのやり
とりをしていたんだけど、あるとき、この子から返事が来なくなって「なんで返事を
書いてくれないんだ?」ってメール書いたら「いつもそっちの書くことが長すぎて疲
れた」なんて言われて相当ショックだったんだけど、昔からだったんだよね。

長文癖というか書いたら止まらない癖。当時、ヒノッ君っていう名前でやりとりして
たんだけど「私、いつもヒノッ君とのメールやりとりで4時間も使っちゃってるん
だけど、もうアタシ疲れたの・・・」とか言われてさ、そりゃ今考えれば疲れるよ
なって思うんだけど、俺って別に長く書くのにそこまで時間がかからないから、相手
の気持ちが分からなかったんだよね。

ましてや4時間もかかってるなんて想像もできなかった・・・。ジーザス!なんて
こった!あと前にも書いたけどスカイプで両親と話すときもさ、ウォール伝みたいな
感じでさ、社会問題とか政治とかオヤジが割と喋れる人だから色々喋るんだけど、結
果的に一時間半ぐらい俺が喋りっぱなしで、残りの三十分を母と父が喋ってる感じな
んだけど、いつもスカイプの終わり際に母が「もうそろそろね・・・終わりにしよう
よ」なんて言うわけ。

そりゃあっちとしてもゲンナリだろうなぁーって思ったんだよね。1時間半も勝手に
喋られたんじゃーたまらないでしょう。だから俺からの提案で「毎週スカイプやるん
じゃ、そっちも忙しいだろうから、二週間おきぐらいにしようか?」って言ったら、
心なしか両親は快諾していたような気がしたね。

だから俺は思ったね。この長文とか長い喋りを極めまくって、それこそジジェクみた
いに、ゲンナリするぐらい喋りまくるおっさんになるしかないなって思ったわけ。ま
してやこんぐらいのことを英語で書けたり喋れるようになればね、なかなかの進歩で
しょ。やっぱ英語なんだよねー。問題は。まぁいいや。そんな感じで。誰か俺の話聞
いてくれる人いないかなぁー?大抵途中で嫌がられるんだよね。話が長いっつって。

だからやっぱウォール伝が一番の出力先なわけです。今日は革命的なオーラのまま
色々書けたんで、反革命的な投票してくださいっていうURLは載せないことにしま
す。それにしてもアクセス数が明らかに増えてて不気味だわ。ただ別に見られてると
かって思わないことにするわ。でもあれだもん、今日なんてのもさ、やっぱあれだ
ね、俺みたいなスケールの小さい人間の場合さ、学校行く前から「アルファブロ
ガー・アワードノミネートされた人がニューヨークコミュニティーカレッジに行
くんだ」って全てを「アルファブロガーアワードノミネートされた人が」っていう
風に考えてたからね。「アルファブロガーアワードノミネートされた人が水を飲
んでいる」とか、授業の合間とかも「アルファブロガーアワードノミネートされ
た人が嬉しさのあまり、ジェフミルズのChange of Lifeを鼻歌で歌っている」とかね、
思うにジュリアナ東京を肯定するためには、ジュリアナ系でかかってた曲の全ては
Change of Lifeだったって思えばいいんだなって思った。

あとDJ Camがハゲているのは、同じような曲作りをしすぎだからということも分かっ
たね。もうさ、あのなんかラップの一部分を「キュッ」って一回コスった後、リリー
スして丸々ぶち込むって手法やりすぎだよね。いい加減変えたらどうなんだろう?っ
て思っちゃう。

あれはやっぱあれだよ、DJのジレンマよ。ジャズが好きでも譜面書けないみたいな、
どっかから取ってくるしかないみたいな、ようはコスるしかないんだよなぁーってい
うDJのジレンマよ。あのさ、ブルーノートリミックスのやつさ、ジャザノヴァとか
ありえないぐらいいい仕事してるけど、DJ精液のはヒドいよね。すげーやる気ない。

っつーかレコードで持ってるんだけど、あれ聞いてるとき「あ、笑点だ。飛ばそ
う」っつって飛ばしてるのね。なんで笑点かっていうと、やる気なさげに鳴ってるワ
ウのかかったミュートトランペットの音が笑点のオープニングテーマみたいだから。
みたいだからって終わるの良くない?みたいだからなんだよね、じゃなくてみたいだ
から。なんか山ちゃんの嫁っぽい感じでいいよね。頭が良くない感じが。

まぁーね、実際はURLを載せないことにしますって書いたのが昨日で、それからを
今、書いてるんだけど、なんか疲れちゃってさ、恥知らずが腫れてるんだよね。基本
的に週末になってくるともう疲れちゃう。体力ないよなぁー。仕事してから学校来て
る人なんていっぱいいるのに俺は学校だけで疲れてる。しかもそんな別に一日何十時
間って占領されてるわけでもないのに疲れちゃう。

今日の出来事で書くこともいっぱいあるんだけど、明日だな。今日は寝かせてくれ。
あーちょっとサービス過剰過ぎるかしら。選挙期間中っていう意識がなかなか取れな
いなぁー。っつーか何気にアクセス数がすげー気になってるんだよねっつって見てみ
たら明らかに増えててさ、予想以上に増えてたからちょっと不気味なんだけど、増え
てるからこそあえて普段のウォール伝でいかないとなって思った。最近、ちょっと良
いこと言いすぎてるでしょ?なんか「おおー!良いこと言うなぁー」っていうような
感じのが多い。別に意識して書いてるわけじゃないんだけど、あんまらしくない
なぁーとか思ったね。

たまにはズリネタのことだけで一回分書くとかさ、そういうのも無いとダメだよね。
リーディングクラスで一人、可愛い子がいるんだけど、プエルトリコからの移民な
んで勝手に「プエルトリ子」ってあだ名つけてるんだけどね。頭の中で。「あ、プエ
ルトリ子来た」みたいな。俺って相当いろんな人のあだ名を頭の中だけで作ってる
よ。前にも書いたけど、こっちに来てからさ、特にロードアイランドからマンハッタ
ンの英語学校に至るまで、凄まじい数のお笑い芸人似のやつがいたからね。ゴリ・川
ちゃん・ますだおかだのますだ・おぎやはぎのおぎ・創価久本・あと芸人じゃないけ
どエロサイトバナーで見かける不細工な
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        18:53
      
  

  
  

2007-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20071101210327

ドーイ

あいつらむやみに奇麗事言ってたけどあれって自分に言い聞かせていただけなんだよな

クラスメートに嫌われても受験勉強してるような奴が結局勝ち組だったわけで


狂死しねよ

2007-10-09

純粋培養が裏目に出て、さらに裏返って表になる

我ら姉妹は、両親からまったく分け隔てなく純粋培養で育てられた。両親の言うとおりに習い事をし、塾に通い、両親の認める友人とだけ付き合い、荒れていると評判の地元中学には進学しなかった。ただし、姉妹の道が同じだったのはそこまでだった。

姉は大人しく、私立の中高一貫女子校を優秀な成績で卒業し、両親の言うとおりの女子大に進学した。両親の紹介で講師のアルバイトをし、その会社就職をした。大学院在学中に教授の紹介で知り合った、エリート恋人と24歳処女のまま結婚するという完璧ぶりだ。現在はやはり講師をしながら子供を生み、セレブな生活を送っている。純粋培養を夢見る世の父親や母親が思い描く優秀な子供とは、姉のような人のことを言うのだろう。

一方、同じ環境のはずの私はというと、同じ私立の中高一貫女子校の中で反抗期に入り、ものの見事に落ちこぼれて、学外にあまりよろしくない友達をたくさん作った。両親は当然激怒したが、反抗期中学生が言うことを聞くわけがない。正面きって反発するのはリスクが高いので、両親の目を盗む技術をフル活用した。

まず、最初にしたのは塾の予定表の改竄。ノリとハサミとコピーを駆使して、遊ぶ時間をたっぷり含んだものに作り変えた。携帯なんて学生が持っている時代ではなかったので、偽名で電話を受け、偽名で手紙を書いた。毎日少しずつ髪の毛を脱色し、歳をごまかした日雇いバイトで遊ぶ資金をひねりだしたりもした。この時点で、両親の純粋培養計画は完全に裏目に出たことになる。

ところが、そんな私の素行は、校内で何故か「学外に友達がたくさんいる→カコイイ」「服装の乱れ→カコイイ」と解釈され、行事ごとに知らない後輩から「一緒に写真とって下さい」と言われ、同級生からは学外の話をねだられるような状態になった。下の学年にファンクラブが出来ていたのを知ったのは卒業してからだ。自分で言うのもなんだが、珍獣アイドルというか、エリマキトカゲ存在だったと思う。人生最大のモテ期だった(女子校だけど)。

もちろん、そんな絶頂期は長くは続かない。高3の春になって、私は愕然とする。周囲は確実に受験へと進んでいて、クラスメート休み時間にまで勉強するようになったのだ。そのころには既に高校カリキュラムは終わり、授業は入試問題の演習ばかりになっていた。1学年400人中、専門学校へ行く生徒が1人いるかいないかという学校だった。私の成績はと言うと、全国的には悪くなかったが、校内では地の底。学外の価値観に影響されていた私には、この学校のありようは異様に思えた。大学進学ばかりが人生ではない。好きな道に進むことこそが成功者のはずなのに。

それなのに学内価値観では、進学せずに社会に飛び込むことこそが、ドロップアウトを意味していた。つい先日まで「カコイイ」対象だった自分が、一気に「カコワルイ」になる。それは純粋恐怖だった。希望進路は、別に大学になど行かなくても出来ることだったが、自分が恐怖から逃れるためだけに、それを専門に学ぶ大学で最高の国立大学を志望したのである。

結局、私はその後志望大に進学し、現在希望職種に就いている。もし学外の友達のみの世界で生きていたら、きっと大学には進学しなかったし、犯罪に手をそめることになったかもしれない(実際、当時の学外の友達の中に逮捕者が複数出た)。中高時代、学外の自分は非行をカコイイと言い、堕落を肯定する生活を続けてきた。それでも、どこか冷静な学内の自分が「このまま遊びほうけていてはまずい」と警鐘をならしていた。高3の春に感じた恐怖感は、間違いなく学校、ひいては両親によって植え付けられたものだ。

子供は思い通りには育たない。姉と違って、私は自分で進路を選び、アルバイトを選び、友達や恋人を選んだつもりでいる。それでも、私の判断にはどこかしら両親の臭いがして、まんまと純粋培養されていたことに、改めて気付かされている。今となって考えてみると、両親の純粋培養計画は結果的に姉妹とも大成功しているんだろう。非常に悔しいが、認めざるをえない。

2007-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20071007233717

そんなことができるなら苦労しないと思うけど?

第一、教える側にわざわざ時間を割くほどのインセンティブがない。

体育の授業や球技大会でたまたま運痴と同じチームにされたせいで負けても、単にその運痴をけなすだけで終わり。

継続して同じチームで組ませれば運痴を何とかしようという気になる可能性もある(単にいじめに転化する可能性も高い)が、

そういう指導をしている学校体育教師は少ないはず。

あと、「努力した姿勢を見せれば評価してくれる場合もある」のは大人の話で、子供はもっとシビア

仮に特訓に協力してくれる奇特なクラスメートが現れても、運痴の上達ののろさに飽きてすぐ見捨てる。

その後は「運痴なのに必死なウザイ奴」というもっと低い地位に落ちるのは目に見えてるかと。

2007-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20071007231333

俺は「そのスポーツができるクラスメート」を想定してた。

「体育の先生」も可能性としてはあるけど、そこまで面倒見のいい教師がいる中学高校は限られてるからね。

気安く練習できる相手がいるなら、わざわざ悩むわけがない。

その相手を自分から探しに行けってこと。

体育の時間中でもいいし、試合が終わった後整列するまでの時間でもいい。

頼んだらいいじゃないか。

「動きを教えてくれ」

でも

「どうやって練習したらいいん?」

でも。

「足を引っ張るのが申し訳ない」ことに尽きるんだろ?

向上の意思を示しておけば試合中にフォローもしてくれるだろうし、

それで人を小ばかにしてくるような奴ならもうそこまでだ、次を探せばいい。

それができないってんならもう問題は運動神経や周りの環境じゃなくて、

自分の心の中って話になる。

奇跡的に運動が出来るようになったとしても、何かが解決するとは思えないな。

2007-10-06

京アニ版のCLANNAD - 原作から抜け落ちた描写・変わった描写(1話時点)

原作シナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。

また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。

「町」とその開発への言及

やたらと自然が多い町。

山を迂回しての登校。

すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。

直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。

代わりに「売地」が写される。

アバンタイトル

女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」

………。

女の子】「わたしは…」

【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」

【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」

女の子】「………」

そう。

何も知らなかった無垢な頃。

誰にでもある。

【朋也】「ほら、いこうぜ」

最後の地の文が抜けている。

何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
 自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子
 自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子
 ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論

ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。

ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。

朋也と春原の状況説明(若干ネタバレ)

母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。

アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。

少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。

けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。

俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。

その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。

そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。

それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。

まるで殻に閉じこもっていくように。

今と過去との接点を断ち切るように。

突き放すならまだ、よかったのに。

傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。

怪我についての描写はアニメではまだ無かった。

うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。

そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。

俺のような学生生活に夢も持たない人間とはまったく違う人種

関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。

春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。

しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩やらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。

そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。

退部するしかなかったのだ。

その後も別の下宿に移り住む金銭的余裕もなく、この体育会系学生が集まる学生寮に身を置き続けているのだ。

春原のドキュン

【春原】「ま、一年連中をどければ済むけどね」

【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」

座って歓談していた一年連中に向かって、にこやかにガンを飛ばす春原。

【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」

【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」

【春原】「よし、じゃ、いこう」

やることもなかったから、ついていくことにする。

【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」

春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。

【春原】「百円じゃなくて、二百円」

【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」

【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」

【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」

朋也の鬱屈

他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。

…鬱陶しいこと、この上ない。

どんな奴かは知らないが、ミーハー連中と一緒にされたくない…。

あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。

暇つぶしには最適。

一日の授業を終え、放課後に。

春原の奴は最後までこなかった。

結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。

朋也と渚の距離感

【朋也】「好きにしてくれ」

見捨てて、ひとり坂を登り始める。

ただ…

そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。

それだけだ。

女の子】「あっ、待ってください」

どうしたものだろうか…。

遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。

気にならないといったら、嘘になるが…

気にしないよう、務めよう。

これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。

進学校における受験対策に取り組むクラスメート達との距離感

三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)

【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」

女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」

【朋也】「三年生だったか…」

三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…

それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。

新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。

ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。

アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。

渚を眺める女生徒視点

【女生徒】「見て、あの子」

【女生徒】「ほら、あそこ」

窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。

【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」

【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」

アニメでは女性徒を下から眺める

自己紹介シーン

女の子】「頭の手は…なんですか?」

【朋也】「いや、別に」

女の子】「そうですか…」

【朋也】「ああ」

しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。

端から見れば、おかしなふたりだっただろう。

【朋也】「俺はD組の岡崎朋也

【朋也】「あんたは?」

女の子】「…B組の古河渚です」

【朋也】「よろしく」

古河】「はい、よろしくお願いします」

遅すぎる自己紹介

ふたりだけは、出会いの日の中にあった。

古河】「………」

古河】「それで…」

古河】「演劇部はどこにいったんでしょうか」

【朋也】「よろしく」

古河】「………」

古河】「はい、よろしくお願いします」

古河】「………」

古河】「で、演劇部は…」

【朋也】「よろしく」

古河】「はい、よろしくお願いします」

古河】「で、演劇部は…」

【朋也】「よろしく」

【朋也】「ひとりで帰れるか?」

古河】「はい、もちろんです」

【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」

古河】「え?」

古河】「岡崎さん、すごいです。今晩、ハンバーグにしようと思ってました」

この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。

ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、

といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。

ハンバーグ伏線古川家のシーンで回収されている。

家から飛び出し渚宅へ

こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…

どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…

懐かしい感じがした。

ずっと昔、知った優しさ。

そんなもの…俺は知らないはずなのに。

それでも、懐かしいと感じていた。

今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。

子供扱いされて…俺は子供に戻って…

それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。

………。

「もし、よろしければ…」

代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。

プロローグ(ネタバレ) (追記)

一面、白い世界

………

雪…

そう、雪だ。

今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。

ああ…

僕はこんなところで何をしているのだろう…。

いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。

………。

雪に埋もれた…僕の手。

それが、何かを掴んでいた。

引き上げる。

真っ白な手。

女の子の手だった。

ああ、そうだった…。

僕はひとりきりじゃなかった。

彼女の顔を覆う雪を払う。

穏やかに眠る横顔が、現れた。

そう…

この子とふたりで…ずっと居たのだ。

この世界で。

この、誰もいない、もの悲しい世界で。

完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリー続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)

ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。

(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)

麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。

  • ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
  • AIRゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
  • 智代アフターが回想なのは自明なので省略。

アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。

(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は

朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)

しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。

(注:以下では「語られる」=物語として表現される、の意味

  • 13:20の「なんてな、他人に説教なんて出来る人間か俺は」のカットで、そこまでのシーンが回想だった事が分かる。この回想の特徴はどこから回想が始まったのか定かでないところ、少なくとも初見では回想だと気付かせないところである。その後、先ほどの回想シーンの続きである自己紹介シーンになる。そして消しゴムの欠片を投げつけられ回想が終わる。ここでは出来事の語られる順番は「回想される過去の時間」→「回想している今の時間」になっている。(回想のきっかけは、授業が暇だったからだと思われる)
  • 16:33から 時間を潰そうにもすることがなくなって途方にくれた朋也が古河パンを訪れるときに入る回想。帰宅時に渚が自宅を紹介してもらった記憶を思い出している。ここは回想だと明確に分かるシーンである。この回想は、視聴者がまだ見たことの無いシーンになっている。つまり、ここでは出来事の語られる順番が「回想している今の時間」→「回想される過去の時間」になっている。(回想のきっかけは、することが無くなったからだと思われる)
  • 20:54から 朋也が家に帰りながら、渚との別れを思い出す回想である。回想は音声だけであり、映像リアルタイムである。このシーンでは「回想している今の時間」と「回想される過去の時間」の出来事が、同時に語られる。(回想のきっかけは、自分の家の惨状を思い描いたからだと思われる)

(書きかけ)

メモCLANNADMAD的である理由
 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽シンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモMADムービーに関する記述(トレンドパロディ原作感動の再現)
  音楽キャラクターが、世界連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する
    麻枝准執筆方(音楽イメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲーム音楽は1/3」という麻枝の発言
    「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド)
  ADV形式ゲームの記号性(動ポモ)
 CLANNADシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家志茂文彦)
 

ハルヒの成功がもたらしたもの:
 キャラクターメタ物語性の確認:SFミステリーギャグロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖)
 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見
 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワークキャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも?
EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族映像NHKっぽいのは、当然だんご三兄弟パロディだから
シーンのトランジションワイプなのはゲームのADVのパロディ
猫。幽霊
智代登場シーン。不良サングラスギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器フライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて

2007-08-28

「お前なら抱ける」って言った友人

自分では共学が良かったけど、進学校だからって親に薦められて高校男子校に行ってた。

彼女いる奴のエロ話を休み時間に車座になって聞き入ったり、みんなで柔らかいものを集めて、そいつに揉んでもらってどれが一番おっぱいの感触に近いか鑑定してもらったりするような、バカでモテない奴ばっかで、みんな女と女についての話題に飢えていた。

痩せ型で女顔だった自分はそこで女役みたいなキャラ付けをされた(といってもそこまで美形ってわけじゃない。外国人に女に間違えられたことはあるけど)。みんなに「可愛いなぁ」って言われるキャラクター。「いいお尻してんなぁ」ってお尻触られて「って、男かよ!」でみんなで笑う。後ろから胸の辺り触られて「おっぱいさえあればなぁ」でみんなで笑う。女扱いする→でも、男じゃんで笑うパターンができてた。

そんな高校時代の友人たちと、久しぶりに会って喋った。数人でプチ同窓会。みんな大学に入って彼女作ったり、それなりに恋愛経験をして、もう俺を女扱いして笑ったりすることはない。

その場に来てない一人のクラスメートの話題になった。伝聞でしかないが、そいつは今、男と同棲して暮らしてるらしい。手を繋いで歩いてるのを見た奴がいるとか……。

そいつとの思い出がふっと頭に浮かんで、離れなくなった。そういえば「お前なら抱ける」って言ってたなぁ。本気だったのか……?

少しだけゾッとした夏の夜。ちょっと怖い話。

2007-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20070706002206

国を信じるやつはどうかしてるとおもうぜ。

国は信じるものではなく監視して、そして運営していくものだ。

発言していくものだ。コントロールしていくものだ。

とある中学生クラスを信じる。

これはクラスポテンシャルを信じるということだし、

ひいてはクラスに所属しているほかのクラスメートを信頼しているということ。

信頼するのと信じるのは違う。

クラスという存在を信じるって、クラスがまるで「神」のような記号としてとらえてるとしかおもえない。

国も所属国民の代表人格でしかない。

2007-07-03

好きになった人が男嫌いだった

怖い、ってのもあるみたい。

クラスメートとか、知り合いとか、友達とか、そういうのなら普通に接することができるんだけど、男女の関係を仄めかすともうダメらしい。どうすればいいのか分からない。諦めるべきなのか……

2007-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20070622204046

増田でごめん。トランクスボクサーブリーフ併用派ですよ。

ボクサーブリーフブリーフは全然違うよ!

あのカンペキに収まってる感はノーマルブリーフでは実現不可能。

宅配便が来た時にそのままの格好で出られる限界ボクサーブリーフ一丁だと思ってます。

トランクスに切り替えたのは小学校の林間学校だったなぁ。

それまで体育の時間やら身体測定やらでクラスメートパンツぐらい全然見せてたのに、このイベントを迎えるにあたって、他人にブリーフを見せることになる自分を想像したら急に猛烈に恥ずかしくなった。

初めて自分でパンツを買ったのもこの時。

2007-06-06

[]

(覚えてるところだけ。)

場面一

兄にメールやら自分のサイトやら見られる。その後きれて部屋の掃除、物が散乱されているベッドの上の掃除だけやらせる。自分は泣いてる。その後メールやらなにやら消去。

場面二

よくわからない暗がりの道、土の道で道の側面には30センチ??60ほどの草が生えた道だったか。ほぼ長い一本道。自分は同じような位置でなにをするともなくほぼ立ち止まっていたのだが、ホモっぽい人に行きと帰りの二回ほど会う、帰りはこっちをかなり意識してた。

場面三

なんかよくわからない男の子が白いスポーティーな高級車に乗ってて、それに乗せてもらい、その男の子が金持ちだということを知った結構いけいけな女の子が待ってよと静止するにも関わらずとりあえず流した、女の子白馬に乗って少しは追いかけていたような気がする。うどん屋にすべりこむ。うどん屋にはよく来るのか?とシャイそうだがまぁ多少は芯がありそうな男の子に聞くと、たまにねというようなことを言った。何が夢の中のその少年の背景にあったのかわからないが、(多分、金持ちだからと、上流階級だからだと思うが。)うどん屋にその少年が来ることは意外な出来事なのだという夢だった。うどん屋は柄の悪い白い柔道着のようなものを主に来た常連客で基本的には占められていて、偉い人(とは言っても、高校野球のようなそれを少しヤンキーチックにしたある意味さわやかな人選)から順に奥に座っていて、男の子は汚い粗野な自動扉入ってすぐの手前の席に私の手前恥ずかしそうに座った。そこで私が野球青年っぽい一番か二番目に下の奴と言葉でやりあい勝った。

場面四

Adelideというショップに行く、外装内装ともに何年か先のような高級なクラブ&バーの雰囲気。ネオンのような光を使いながらも非常に洗練されていた。客層は外人が主体らしく。カフェ仕様ガラス一角に入ってしまい(そのカフェ内部は木のカフェテーブルと曲げ背の椅子というある意味安っぽいチープなテラスタイプだった。(カフェはいくつもあった))、奥まで行ってしまうと、そこは行き止まりで、H君らしき人(H君は私の小学校時代の離れたクラスメートであり、なかなかいい家庭の上に育ち、本人も性行が素直で良いと評判のような真面目な人物)がまぁ普通女の子を連れてカフェしてた。H君が短髪を綺麗に毛束を立てている髪型にして変わった印象を受け、衝撃を覚えたのは覚えているが。H君と目が合うことはせず。隣の人(女)に誰あの人、知ってる?と問いかけられる。私は外に出ようとして、椅子につまずき小さくすみません、その後外に出る途中で何人かの顔が印象に残った。外人風の17・8才程度の女性の顔だけ覚えている。外に出ると、そこはホームセンター駐車場っぽい場所になっていて、ほとんどそのカフェ中の人全員出てきたような感じで皆が出てきた、その中の大学ありがちな男3人ほどのグループのうちの一人(私は知らない人だ)が親しげに私に話しかけると、その人は親しげにありがちな大学のいい加減な雰囲気で私の顎辺りにキスして行った。

抜けきらない深層心理が出ているなという印象。

性別を間違えられる快感

今日電車に乗っていたら東南アジア系の外国人に声をかけられた。

英語だというのはわかるけど、何ていってるのか聞き取れずに、何度も聞き返してると

端々の単語からどうやらナンパしているらしいことがわかった。

私は自分が男性であることを告げると、驚きながらも「ビューティフル・ボーイ」と連呼する。

やめてくれ。電車の中だ。周りの人がこっちを見ている。恥ずかしいと思いつつも、嬉しさがこみ上げてくる。

まだ四、五歳の頃、大人から女の子に間違えられるのは不快だった。

背が小さく、女々しいことを理由にクラスメートの男から仲間外れにされることは、もちろん完全なる不快

しかし、いつの間にか女性と間違えられたり、可愛いと言われたりするのが快感になった。

女性ファッション雑誌を買い、ギリギリ男でも着れるレディース物を集めて着るようになった。

男からナンパでもされれば、一日嬉しくて浮き足立ち、スキップでもしそうな勢いになる。

いつからだろう? 記憶の中にある最後の不快は、中二のときに「お前はこっちだろ」と女子トイレに蹴り入れられた時だ。

いや、これは単なるイジメか。でも、この後ぐらいに自分で長い髪をハサミでバッサバッサ切った。

その間は確実に自分の女性的な見た目が嫌で嫌で仕方なかった。男性的になろうと筋トレしてみたりしたなぁ。

長文かつ駄文自分語り、失礼しました。

ところで、増田にいる女性に聞きたいのですが、男性を「可愛い」と言うときは異性として見てないんでしょうか。

こっちが本気にして行動に移すと、肩透かしを食らうことがあるもので……。

2007-03-10

彼女と元彼女と食事

僕と元彼女が付き合っているときに、

僕と彼女大学クラスメートたまノートを貸し借りする程度の関係

当時に3人で食事に行って、女性2人がそのとき意気投合していた。

それは5年前の話。

その後、その元彼女は新しい男が出来て、自分のもとを去っていった。

そしてどのような経緯でそうなったのかは分からないのだが、

僕はそのクラスメートと付き合うことに。

そして5年ぶりの3人での食事。

彼女が元彼女に会いたいという理由で僕がセッティングした。

彼女に、自分たちが結婚を前提に付き合っていると報告したら、

喜んでくれた。

相変わらず2人は意気投合していて、

僕がもてない理由について熱く語っていた。

彼女は、僕を受け入れてくれる人が現れたこと、

そしてその人が自分とタイプが似ていることを喜んでいた。

彼女のカップルは今年結婚し、

僕と彼女来年結婚する予定である。

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