「みの」を含む日記 RSS

はてなキーワード: みのとは

2008-11-16

匿名ダイアリー

新人増田として言う。匿名ダイアリーの楽しさはよくわかった。

しかしもっとおもしろくする意味で俺は考えてみた。

(1)もっとブログ(特にはてなダイアリー)の宣伝をしてもいい。

増田匿名だからおもしろいんだっていう意見はわかる。

一方で、俺にとっての匿名ダイアリーはてなダイアリーに載らないような微妙な話や載せられない危ない話を読む場であるが、たとえばブログに載せられない話はともかく、前者のような話をしている人の話では、その人の別の話も見てみたいと思う。そのためには自分のブログはこれですよ、みたいな宣伝もありじゃないかと思うんだ。正直俺はおまえがどんなにおもしろいやつかもっと知りたい。

そして、もともとは増田にあまり興味のないやつも、宣伝ついでに面白い記事を投下してくれるかもしれない。なぜなら僕自身が増田に書き始める前はおもしろさがわからず、たまたま書こうという意思が生まれないと書こうと思わない。宣伝はその起爆剤になる。

ただの宣伝にならないように、はてなダイアリー(またはid)に限ってのみのシステムにしないといけないかもしれない。

(2)記事とコメントを分けたらどうか。

たとえば従来のコメントは記事として出されてしまう。

しかし、「匿名ダイアリーだからといって、コメント元増田がいっしょにあるとすぐに流れてしまう。たとえば従来の形(コメントと記事がいっしょ)は保ちつつ、コメントに該当する記事の頭にはトラックバックとして「コメントトラックバック):http://anond.??」みたいなのをつけれるシステムがあると、自分にとって関心のない元記事を読み飛ばすことができて、記事の多い匿名ダイアリーはより便利になる。

まあとりあえず、今思いついたのはこれだけ。できればいろいろアイデアをくれると嬉しい。批判ももちろん読むけど、まあクリエイティブな話が聞けるといいのだが。

Changeしてよ日本(仮、試作、開発中、思いつき、適当…)

思考パターンというか、こんな考えとか…ただ書いてみる。


これから……消費をさせるっていう意味も込めて

新車は、電気自動車エネルギー電池車だけ。優遇税制とか。

全国のガソリンスタンドなどに、急速充電器設置義務とか交換用に充電済みのバッテリーとか用意。

太陽電池とか風力発電とか、設置補助金。個人でも法人でも。

屋上緑化とか壁面緑化とか、補助金とか優遇税制とか。

第3子まで、医療費補助とか無料とか。消費者増やす。

完全分煙化のために、補助とか優遇とかして、設備投資させる。

コストのことだけで、海外に負けないために、? すみやかに発展させてしまう、どうやって?

自動運転のために、道路に設備。

省エネ製品への買い替え補助。

診療報酬を見直して、産婦人科などふやしたいところへ多くするとか。

医療での告訴リスク低減とか訴えられても安心できるように、取調室じゃないけど録画とか。

犯罪取締りに、報奨金(賞金?)振り込め詐欺を止めたら、捕まえたらいくらいくらとか。

[][][]後輩を育てることは難しいです

初めての増田にして、いきなり愚痴混じりの長文になるであろうことを、まずはお詫びしておきたい。

「お前、増田は初めてか?力抜けよ」と流し見ていただけるなら幸いである。

新入り現る

先月、ウチの部署に新入りさんが来た。

前まで勤めていた会社は名の知れた某企業の下にあるシステム開発系らしく、

パソコンガンガン使う部署としては「少なくとも、パソコンを使うことに抵抗は無さそうですね」「そうだねー」と期待していた。

私の勤務先は自社サーバを主軸とした統合的なサービス提供(つまりはASP業務)を主としており、

私はそのサーバ運用エラー監視の部署に所属している。

性質上、勤務体制は1日3交代のシフト制となり、朝も夜も関係の無い生活リズムになる。

その新入りさんとしては面接の折に、

「前までの経験を活かして、サービスシステム開発の部署に就きたい」

という意思を示していたようだ。

ただ、いきなり開発部署に放り込んでも右も左も分からないので、

まずはサービス前線ともいえるサーバ運用部署で基本的なシステム内容を把握してもらい、

その後に開発側で腕を揮ってもらいたい、という説得を受けたらしい(という又聞き)。

当人がどこまで納得して内定を受けたのかは知らないが、それは私の預かり知らぬ所なので省略する。

いきなりの暗雲?

さて、新入りさんの初出社の日。

上に書いた通りシフト勤務の部署だが、彼には1週間ほどは日勤扱いで大まかに業務を見てもらう形となった。

(新入りさん個人の事情もあったのだが、それは割愛)

初日からあれだこれだと教え込んでもパンクするだけなので、「こんなコトをやってるんですよ」という触りを見てもらう程度である。

タイミングとして私がシフトに入っている時で、「じゃあ今日からよろしくお願いしますね」と受け持った。

その、開口一番に聞いてきた一言。

「お給料ってどのくらい出るんですか?」

仕事である以上、誰もが疑問に思うことではある。それは分かる。

周りの人間は見ず知らずばかりで、話の切り出し方に戸惑う気持ちも分かる。

だが、「ここはどういう仕事をされている部署なんですか?」とかで切り出してくるとばかり思っていただけに、

のっけからそれかい!と突っ込みを入れたくなった。

アルバイトで入った子が聞いてくるとかならまだしも、

仮にも前まで会社に勤めていたのなら、むしろ仕事の内容について質問するとかが普通じゃないの?と思ってしまった。

システム面の話を」    ( ゜д゜)ヘ?

サーバ運用・監視を主業務とする部署であるため、やることは毎日ほぼ同じである。

決まった時間に決まった処理がサーバ上で走ったことを確認し、エラーが出たのなら迅速に対応する。

よってパターン化された作業内容をノートにでも書き留めれば、それをマニュアルとして作業を進めることができる。

Excelなどに書き留めて印刷するという手もあるが、アナログでもノート片手に作業内容をどんどん書き留めてもらった方が良い。

ドキュメントを書いて印刷するよりも、即利用できるからである)

その日もいつもと同じように処理を進め、彼には横でそれを見てもらい、所々でメモを取ってもらう形を想定していた。

――のだが、その所々で彼はメモを取らなかった。

彼はそこで、「システム的にこれはどういう風に動いているんですか?VB使っているっぽいですけど」といった質問ばかりをしてきた。

良い質問ではある。

将来的に開発部署へ行くことになるかもしれないことを考えれば、先々まで見越しているのだなと評するべきである。

しかしそれは先の話。

あくまで今は、今いる部署での業務内容に集中してもらいたいのだ。

処理がどういう風に回っているか、どういうシステムなのかという掘り下げたレベルの理解は、今の時点では求めていない。

我々の仕事は、開発部署が構築したシステムの下で正しく処理が動いているかを日々監視することにある。

監視する中でトラブルがあれば開発部署に問い合わせ、対応を要請する。

我々は次に動く処理を監視しなければならないので、対応はあちらに任せるのが常である。

システムの詳細まで把握しているに越したことは無いが、正直なところ、そこまで深い話は我々には求められていないのだ。

ましてそれが新人レベルならなおさら、まずはこれから任されるであろう処理の手順をしっかり覚えてほしいのだ。

ということを、彼に説明したところ、返ってきた言葉は、

「要はルーチンワークなんですね」

だった。

今にして思えば、彼のフラグは間違いなくこの時、一本折れたと思う。

暗雲が徐々に暗くなる

1週間ほどの日勤を終え、次の週からは実際にシフト時間に沿って出勤してもらうことになった。

(私の時はいきなり夜勤からだったが)早朝からのシフトでの研修開始である。

奇しくも担当はまたも私であった。

「朝方は何かと一斉に処理が回るんで混乱してしまうと思いますけど、

ひとまずは一番気を付ける業務から書き留めて覚えていってもらえば良いですから」

と前置きして業務を開始する。

彼には作業の大まかな説明をしてメモを取ってもらい、真っ先に覚えてもらいたいものは実際に進めてみてもらうことにした。

その1時間後、


彼はうつらうつらと寝こけそうになった。


無理もない話であることは分かる。

私が研修を受けていた時だって、正直眠気は相当にあった。

朝5時近くに起きて、7時前には出社して業務に入らなければならないのだから。

「すみません…」としょげ返る彼に対し、「まあ初日ですし、この時間帯はきついですから」と責めはしなかった。

そこから4日間、彼の研修を受け持ったが。

彼は毎日のようにうつらうつらと頭を揺らすこととなる。

彼曰く、「どちらかというと夜型の人間なので…本当にすみません」とのことだった。

寝こけまいと自分の頭をしきりに叩く彼を見て、自責の念を必要以上に背負い込むタイプ(ともすれば自傷癖の強い子)かと直感した。

かといって、じゃあ夜勤シフトだけでいいよとも言えない。(その分、他のメンバーが早朝起床ばかりになるわけだし)

4日目を終える際に、休みに入る私は、彼に2つ+αのアドバイスをした。

  1. 難しい話は抜きにして、とにかく今は作業内容のメモを取ること。研修が終われば一人立ちしてもらうことになり、その時にメモを見ながらでも作業ができる方がベターだから。
  2. 眠くなるのは仕方ないけれど、それは言い訳に作業が抜け落ちることは許されない。睡眠・起床といった体調管理は自分でしっかりと行ってほしい。
  3. 翌日から研修を見てもらう人は、私のように「仕方ないですよ」と笑って見逃してくれる人ではなくなるから、気を引き締めて^^;

その3日後、休み明けに出勤した私が耳にしたのは、彼に大きな稲妻が落ちたというものだった。

嫌な予感は、嫌な現実を引き寄せる

研修4日目を終える際に抱いた危惧は、見事に現実のものとなっていた。

あの翌日、彼は必死に作業手順をメモに残す様子も見せず、先輩が作業する横で眠りこけそうになったのだった。

先輩は激怒し、「ふざけるな、顔洗ってこい!!作業は全部俺がやるから、お前は触るな!!」と一喝したという。

ちなみに4日目の終わりに新人さんへアドバイスを送った後、私はもう一つの布石を打っていた。

その翌日から研修担当されるその先輩と、私の上司に対して、4日間彼の動向を見ての感想を報告したのだ。

…ハッキリ言ってしまえば、チクりである。余計なお節介というか、一抹の罪悪感は覚えた。

しかし、いずれは業務を受け持ってもらうことになり、

そこでそれまでのように寝こけてしまい業務を落とすようなことになれば、それは彼一人の責任どころではなくなる。

酷な言い方をしてしまえば、「そんな危なっかしい要素を持った人には任せられない」のだ。

ルーチンワーク連続ばかりの部署ではあるが、だからこそ定められたルーチンは確実にこなす必要がある。

いきなりフルボッコにするわけにもいかないが、雇い入れるに値するかを見定める期間である以上は、報告に値すると思ったのだ。

そして報告のついでに、「ガツンと言うと一気に萎んでしまうタイプなので、ある程度は穏便に^^;」と付け加えた。

しかし、新人さんの頭の揺れように、先輩の堪忍袋の緒は切れた。私の布石は粉々になっていた。

そして私の緒も切れかける

早朝からのシフト研修はひとまず終わり、深夜のシフト研修が始まった。

サービスを提供している相手先の1日の業務データなどが一斉に集まり、翌朝までに然るべき処理が終わっている必要があるので、

最も監視には気を配らねばならない時間帯である。

「どちらかといえば夜型なので」と断りを入れてきた新人さんは、その言葉通りに朝よりも元気そうに見えた。

ところが、ここで彼のもう一つの悪い癖が出てきた。

メモ取りもそこそこに、「この処理はデータベースに対して云々」「エラーが出た際の対応は云々」と質問を投げかけてくるのである。

先に書いたとおり、そんな所までの理解は今は求めない。

ただでさえ処理すべきデータ量が他のシフトよりも多く、一つのミスのせいで翌日の客先の業務が全部止まりかねないのだ。

よって今は「このディレクトリのこの実行ファイルを動かして、出力されるログで処理が正常に終わっていることを確認・記録する」といった手順さえ確実に覚えてもらえれば、それで良いのだ。

そんなルーチンばかりがどんどん回るので、退屈に思えるかもしれないが、それがココの仕事なのだ。

エラーが出た際の対応だって、今の彼にはできっこない――だからこそ研修担当が付いていて、いざという時に対応を受け持つのだ。

という説明を彼にしたところ、ひとまずは頷いた。

ルーチンばかりでつまらなく思えるかもしれないが、結果としてそこで確実に業務をこなすことで、顧客が安定したサービスを使えるのならば、それを維持することこそが我々の最大の目的なのだと。

そのためにも、難しい話は後でいいから、まずは業務の手順をマスターできるように、万一手順が分からなくなった時のために、手元に持ち運べるマニュアルを作り上げていってほしいと。

しっかりとした会社なら新人教育用のマニュアルを随時用意・更新しておくのだろうが、あいにくとウチはそこまで時間工数を割けずにいる。

だから新人が入るたびに、とにかく自分用のマニュアルを作り上げていって、それを元に手順を覚えていってほしいということを徹底している。

それが悪しき慣習となっているというツッコミはご勘弁願いたいorz

彼は「手書きでは上手くまとめられないので、Excelで書かせてほしい」と最初のうちに言ってきていた。

そこは個人の自由なので、結果としてモノができあがるならそれでいいと了承していた。

それと並行して、まずは一番初めに覚えてもらいたい業務を繰り返し実践させて、マニュアル無しでも進められるようにしてゆこうとした。

たぶん、成人してから初のブチギレ1秒前

だが、いつまで経っても、どうにも手順がおぼつかない。

Aという業務があって、それを終えるためにa,b,c,dという作業を順にこなす必要がある。

だが、a→b→d→cとなったり、a→b→cで止まったり、時にはa→c→dとなったりした。

都度注意はしているのだが、どうにも改善が見られない。

a→b→dとやってしまって、次の業務Aの機会にはちゃんとa→b→c→dと行うのに、その次の機会にはまた作業が抜け落ちるのだ。

なにぶん、この業務Aはウチの部署の業務でも最重要に入るので、何は無くてもここの作業手順だけは早めにマスターしてもらいたいのだ。

その辺を何度か言って聞かせた、つい先日のこと。

「じゃあ業務Aの処理に入りましょう」といつものように処理を彼に任せて、私は隣で監視しようとした時である。

「手順a、手順bと進めて…次にcが走るのを適当に見ればいいんですよね?」と、彼は口走った。

未だかつて、私は人に対して怒鳴ったことが無い。それどころか叱った試しすらほとんど無い。

怒られるのが嫌いな上、叱られると何も言えなくなるという性格もあると思う。

自分がそんなだから、他人に対して強く出られないのだと思う。

まして先輩から雷を落とされてしょんぼりしたような新人さんに対しては、尚更である。

しかし、この時ばかりは違った。

彼が口走った内容に、耳を疑った。

適当って何だ!ふざけんな!そんなにルーチンが嫌で退屈なら、もう帰っていいよ」と舌の先まで出かかった。

辛うじて、「今、仕事をする上で致命的なことを言ったのを分かってる?」と言うに留めた。

AAで表せば(#^ω^)

彼も私の声色の微妙な変質に気付いたのか、「すみません…」と応えた。

けれど、私はこの時確信を得た。

「彼は、この仕事がつまらないと感じている」と。

もっと正直な感想を言えば、「彼には無理だろ」とも。

自分の二の轍を踏ませたくはないのだが…

かつて、私は今の所とは別の部署にいた。というよりも、入社した際にそちらの部署に配属された。

配属はされたのだが、自分の持ち得るスキルとはかけ離れた所であった。

だが、当時の上司Aさんや上役たちは私が力量不足であろうことを見越した上で、

人手不足だし、少しずつ仕事の内容を吸収してスキルアップしてくれるなら、将来的な戦力として鍛えてゆける」

と、普段の業務の合間を縫って私を教育してくれた。

けれど、私の理解不足と勉強不足のせいで、徐々に足を引っ張り始めた。

呑み込みの遅さと、何よりも「適当にこなしていれば給料は出る」という許し難い打算が心の底にあったことが原因である。

そうして、とうとう私は稲妻を食らったのだ。

「このままの状態では、正直、お前はお荷物扱いのままだ。給料泥棒と言われたって仕方ないぞ」

上述のとおり、私は叱られると一気に黙り込む――まさしく、今回の新人さんのように。

自分が悪いことは分かっている、しかしそれを改善しようとする心掛けが今ひとつ持ち切れない。

そんな甘えた心さえも、上司Aさんは完全に見抜いていた。

私はいよいよ、解雇されても仕方ないと塞ぎ込む一歩手前までいった。

会社に来たくないという感情ばかりで、体調にさえ影響するほどに終始、気が滅入っていた。

だが、上司Aさんと取締役Bさん、そして今の部署のリーダーCさんが集まり、私を呼んだ。

B「正直に答えてほしい。今の仕事は、辛い?」

私「………本当に申し訳ありません。白状すれば、教えていただいたことも身に付いているかが分かりません」

B「そうか。傍から見ていても、最近の君は叱られてばかりみたいだったからね」

C「でも、君をこのまま解雇するのは、こちらとしても勿体ないんだ」

私「…いえ、ご迷惑をかける一方ですから」

B「そうだね、でも今のウチは人手不足だから。新卒で入った君を、このまま捨てるのは本当に勿体ない」

B「幸いに君は、パソコンは少なからず使える。この部署の仕事はハイレベルで君の手には負えなかったかもしれないけれど、

他の部署でなら君の最低限のスキルは役に立つかもしれない」

A「だから、これが最大限の妥協だ。来週からCさんの部署に移って、一から仕事を覚え直せ」

C「覚えなきゃいけない仕事は全然違う。でもそのくらいの方が君のためになるだろうし、気持ちを切り替えられると思うから」

B「後は君の気持ちとやる気次第。…まだ、頑張れる?」

恥ずかしいので今の部署では一度も明かしていないが、この年で鼻を啜りながら臆面もなく泣いた。

自らのあまりの情けなさと、こんな自分なのに何とか持ち直してくれることを願って拾い上げてくれた上司たちの気遣いに。

今度は私が、としたいところ

あれから数年が経って、こんな私も新人さんに物を教える立場になった。

リーダーシップなんてものはどちらかと言うとお断りしたい方で、誰かの下でバタバタと動き回った方が性に合っている…

という責任逃れの甘さは、相変わらず持ったままだ。

でもその分、自分がすべきこと、自分に任されたことはきっちりとこなすという自覚と責任は得ているつもりだ。

ルーチンワークばかりの勤務内容だろうが、自分が確実に作業をこなし、次のシフト要員へ引き継ぐことで、会社というシステム歯車の一つが正確に回る。

それにより客先もサービスを安定して使えるというのなら、それは十分にやりがいのある仕事なのだと思っている。

休暇らしい休暇なんて不定期なものになってはいるが、それでも休みたい時にはきちんと休暇を与えられるし、自分の好きなことをできる。

彼がなぜ、ウチの会社を選んだのかは知らないし、聞かない。

「親に迷惑はかけられないから」と、実家を離れてわざわざ一人暮らしを始めたのだという。

交代制の勤務で親御さんの負担が大きくなるのを避けるというのなら立派な話だ。

これまでのやり取りから、

「実は前の会社でも折り合いが悪くて辞めさせられて、親御さんからも出ていけと言われたんじゃ…」

という邪推を得てしまっているのだが、それを質すつもりもない。

経緯はさておき、会社としては日々の業務を着実にこなしてさえくれれば、問題は無いのだから。

前の部署では何の役にも立たなかった私が、今の部署でのルーチンをこなしているように。

…個人的にはもう少し愛想よく応対してくれればと思うのだが、そこは会社に慣れてくれば解れてくるものと思いたい^^;

私一人で彼を変えられるとは思っていない。

変える手助けはしないといけないだろうが、最終的には彼の意志に任せるしかない。

ただ、上司や先輩に注意されたり叱られたりばかりの彼の姿は、かつての自分によく重なる。

かつて上司が私を何とか育てようとあれこれ模索した気苦労が、今になって分かる。

私の人生経験なんて上司からすればまだまだ青いし甘いものだろうが、

そんなものでも新人さんの育成(というよりは潰れないための配慮)の一助になればと信じて、もうしばらくは辛抱強く導いてゆきたい。

今でこそ言葉の端々に「こんなルーチンワーク…」という感情の見え隠れする彼が、数ヵ月後にはTPOを弁えてかっちりと仕事をこなしてくれるようになることを願って。


うわ、初増田でこの長さとかあり得ないだろ。

乱文、失礼しました。

追記

はてブトラックバックで多くのお叱りや助言をいただいていたようで、恐縮です。

書き終わったらどこか清々した気持ちで眠っていたのですが、起きてふと記事を見直してみた反響があったことにびっくりしました。

匿名なんだし」と高をくくって書いたのに、こんなに反応があるものなのかと。

2ちゃんねるとかでもROM専なので、ネット界隈での反響の速さと大きさに改めて恐れ慄いております。

一部、言い訳めいた追記というか返答をしたいと思います。

お叱りの方がどちらかというと多かったので、「気に病みすぎないように、感情的にならないように」と言い聞かせつつ。

答えになっていないことの方が多いかと思いますが、そこはご容赦をいただきたいです。

マニュアルについて

電子化したマニュアル、および印刷したマニュアル新人さんには渡していっています。

ある物を全部渡して、「じゃあこれに目を通しておいて」と放り投げるのはさすがにブラック過ぎるので、その日の研修の内容と進み具合に応じてですが。

かつ、それだけで分かりにくい箇所もあるだろうから、実際に運用経験してゆくなかで手元にノートを用意していってくれればいいですよと伝えてあります。

ただし、全ての業務でマニュアルが用意してあるかというとそうではない…というところが、「ああ、ウチは一般的にはブラック扱いか」と猛省すべき点その1ですね。

私が配属となった頃から顧客が増してきて業務内容も増えてきたので、

マニュアルの整備は急いで進めないとまずいねー」と部署内・部署間で大急ぎで進めてはきているのですが、100%にはまだ達していないというのが現状です。

「人力に頼るサーバ運用ってどうよ?wwwww」とは弊社内での冗談常套句だったりします。冗談で済んでいるうちが花か(;^ω^)

あと、「定常作業なんだから全自動化できるだろうよ?」というツッコミがいくつかありましたので、それについても。

大抵の作業はバッチタスク処理なので、人間側はその処理の正常/異常を確実に監視すれば良いわけです。

ただ業務内容上、エラートラブルが発生した際の対応は、人力でやらなくてはならないのです。

相手先への連絡などはその代表例ですね。

そこら辺まで全部オートでやれれば人件費的にも工数的にも楽ができるのですが、会社としての規模がネックになり、環境作りで全員がデスマーチに陥るのでw

イニシャルコストとかランニングコストとかの話になるのでしょうが、既に回ってしまっているものである以上、難しいのが現状でして(;^ω^)

システム内容について

さすがに技術者開発者志向の強いと言われるはてなか、鋭いご指摘ばかりで:(;゛゜'ω゜'):となるばかりです。

中でも↓にはギクリとさせられるものが。

どんな処理が走ってるかもわからずに、順番に処理が走るのを見てればいいってことを、

彼は「適当に」と表現したんだろ。

彼に興味を持ってほしかったら、中でどんな処理が走っててどんなロジックで正常/異常の判断をしてるか説明してあげればいいんだよ。

それとも説明できるほどあなたも中身知らないんじゃ?って思われてると思う。

白状します、増田システム開発やプログラム方面にはとんと疎いですorz

大まかなロジックについては増田研修時に習い(まずは処理監視の手順を徹底的に教え込まれましたが)、後は実際に運用をひたすらこなしてゆくことで把握した経緯があります。

こういう会社理系で無ければならないというわけではないでしょうが、増田本人は極めて文系人間ですね。

プログラム文も読んでみると良くできてるなぁ」と思い、自己研鑽のために勉強も進めてはいますが。

「そんなんにサーバ運用任せるとか無いわwwww」「お前らが悪いんじゃないか!」というお叱りはごもっともです。

増田のその程度のスキル内容などを見越した上で、元上司Aさんたちは最大限の妥協案を提示してくれたのだとは今でも思っています。

プログラム方面では伸びないだろうから、せめて既存のプログラム運用監視でなら行けるだろう」と。

最後の文で指摘されていますが、たぶん新人さん本人からもそう見られるだろうなぁとは、研修の序盤で予想していました。

実際彼にも「ごめんね、そっちは正直なところ開発部署に任せている現状だから、自分からは事細かに説明できない」と言ってあります。

同時に部署のリーダーも、「システム的に疑問に思う所があるのなら、こっちの基礎を覚えてから、改めて開発側に質問してみるといい」と言っていました。

「何だ、この先輩ダメじゃん」と言いたげな彼の視線は痛かったですけれどもw

というか、ネット透視力はすごいな。

会社としての方便と育成案、そして社畜化について

で、そんな増田のいる会社は、人手不足を何とか解消すべく口八丁手八丁で彼を言い包めたのでした。

冷静になってみれば、まさにブラック定型みたいなところなんだなと。

社員の年齢層が比較的近く、バタバタしながらも和気あいあいとしているから増田は好きなのですが…と思っているあたりが社畜ということかw

性格や言動の端々に人を小馬鹿にするような、それでいて自分をとことん卑下するようなきらいのある新人さんですので、

部署としてもどうやって育ててゆくか・接してゆくかはまだまだ模索の段階です。

IT業界が人的・組織的にどういうものかよくわからないけれど、

増田はチームで適性をみられて、今の職場に来たわけだよね。結果的に良かったじゃん。

増田もチームにチクるんじゃなくて、相談してその新人の育成案を考えてみたら?

あんまり善意がないのはわかるけれど、そうやってネガティブな面を根回しをするだけじゃ、人をつぶすことになるよ。

「あいつはこういうときは元気だから、こういう言い方がいいのかもしれない」

「開発に直結するような言い方がいいのかな?」

「あまりほめすぎると調子付くから、こういうほめ方にとどめておこう」

「こういうことをしたら、次はガツンと怒っちゃってください。それが彼のためですので」

貴重な助言だなと思いました、同時に猛省すべきだとも。

「どうにも彼の言動が気に入らない」と辟易しているのか、と顧みました。

皆が皆、自分と同じわけではないのだから、それを踏まえた上で接し方・育て方を考えねばならないですね。

増田歯車として今の部署で働くことに何ら不満が無い(何だ、自分はMなのかww)のですが、彼はそうなることを望んでいるわけではない。

ならばそんな彼にどう接してあげるべきか、どう教えるべきか。上の後半4つのセリフは、今まさに部署間で飛び交っています。

引っかかっているのは、「彼は別にシステム開発を希望してきたのではなく、地元で働ければどこでも良いと思っているらしい」という話。

彼自身がそう口走ったらしいのですが……そうなるとまた少し話が変わってくるような気がします。

「だったらつべこべ言わずにくぁwせdrftgyふじこ!!!」と部署総出でツッコむことにならないのを祈るばかり。

ここまでで根付きかけてしまっている「気に入らない」という感情をひとまずリセットし、

少しずつでもお互いのためになること(彼の希望する、活かせる部署への異動も含めて)を進めてゆけるよう、ポジティブに考えてみたいところです。

その他

書いている間にもはてブがどんどん増えていることに、一種の恐怖を覚えてきましたw

ちょwwwww人気エントリーで出るとかあり得んwwwwwwwwひっそり愚痴らせてくれればそれで良かったのですがwwww

あまり長居するのも何ですので、いくつかのトラックバックブコメに答えつつ、ひとまず締めとしたいと思います。

「追記だけでもう1エントリー書いた方が早いだろ」とは後の祭り

ます増田自分に酔いすぎ。読んでてキモイ

分かっていますwww

溜まった鬱憤を晴らすべく、増田に書こうと思ったので。

歯車社畜でも俺は頑張ってる」という自己陶酔が皆無とは言いません(それを誇りと呼ぶかどうかは自他の見方の違いでしょう)。

なあ、そういう愚痴はこういうところに書き込まないで、飲み込むか同僚か奥さんか彼女にでも言えば?

いたら、ここまで鬱憤は溜め込んでいないし、増田にも来ていないお(´;ω;`)

「はたらくおじさん」タグが付いていた件

まだ二十半ばを折り返したばっかりなのですが(´;ω;`)

そう呼ばれることを覚悟しないといけない時期か……人生早いなあ。

電車の中で見かけた幼い兄弟

「おにいちゃん、どこでおりるの?」

「ええっと、○○駅を今出たとこだから、次が○○駅で、だから次の、次の――」

「あっ、みてみて! うみだよ、おにいちゃん、うみー」

おいおい弟くん、お兄ちゃんがきみの質問に答えているんだから、最後まで聞いてあげなさいな。そんなことを思いながら、でも下の子ってのは大概そういうもんだよな、とちょっと苦笑しながらこの微笑ましい会話を聞いていた。

二人はちょうど向かいのシートに座っている。弟は靴を脱いで、窓のほうに体を向けていた。車内に乗客はまばらで、近くに保護者らしき人はいなかった。きっとこの兄弟は二人っきりで電車に乗っているのだろう。はじめてのおつかい的なやつかもしれない。電車に乗るというだけのことが、子供にとってはとんでもない冒険になるものだ。

さっきからお兄ちゃんは立ち上がったり座ったりして、ずっとそわそわしている。車内の案内表示や路線図に目をやったり、窓の外を見ながら現在位置を確認しようとしたり。それからポケットに手を入れて小さなメモを取り出すと、真剣に路線図と見比べていた。メモは親に渡されたものだろうか。無事に目的地に着くために、ぼくがしっかりしなければ。そう自分に言い聞かせ、不安と戦っているみたいだった。

一方弟くんの方は、多分なんにも考えていない。時おり足をぱたぱた動かしながら、窓ガラスに額をくっつけて外の景色に夢中になっている。なにかしら面白そうなものが目に入ると、それをお兄ちゃんにも教えてあげようとして彼の袖を引っ張ったりしていた。大人のひとが一緒にいなくても、ちっとも不安がる様子はない。それはお兄ちゃんがそばにいてくれるからにちがいない。

心配そうに車内を見渡す兄と、外を見ながらはしゃぐ弟。対照的な二人の姿は、ずっと見ていても見飽きることがなかった。

やがて二人が降りる駅が近づいてきた。車内放送に耳をすませたお兄ちゃんの表情が引きしまった。お兄ちゃんは、弟の肩を叩いて次が降りる駅だということを教える。それから弟に靴を履かせてやると、一緒に扉の前まで歩いていった。

電車がホームに差し掛かったとき、はじめてお兄ちゃんは肩の力を抜いたように見えた。きっと、ほっとしたんだろう。弟くんは相変わらず楽しそうに、お兄ちゃんに話しかけている。

開いたドアから駅のホームに降り立った二人は、しっかりと手を繋いでいた。

その姿を見ていると、泣きたくなるほど胸が痛くなった。電車がすいていて、誰にも顔を見られずに済んだのが救いだった。

http://anond.hatelabo.jp/20081116001300

そこじゃないって。

そこがポイントだと思うって点でも、『非モテ』をなんだと思ってるんだ、としか。

いやそこがポイントだとは思ってない。その前の段落(下に主旨を引用する)がメインの返答。その部分は、どうせ突っ込まれるだろうと思ったので予め書いておいた。

(問いかけ)

『それなりに可愛い・綺麗な女の子』っぽくない女を、

結局馬鹿にしたいだけなのかねえ。

(返答)

自分が普段地味女そのもの

地味女に対する嫌味はないよ。


で、指摘されて表現を見直しましたよ。

(修正前・建前)

その上の方に出てくるような美人を狙いたい(狙える)層には別に薦めないけど、非モテ一歩手前くらいの層にはお薦め。素材は悪くないから化ける可能性大。

(修正後・本音)

わたしは、普段美人っぽくしていませんが、素材は悪くないので、化けることは出来ます。でも四六時中美人をやるのは肩が凝るので嫌です。こんな怠慢なわたしですが、自信に満ち溢れ美人を狙う気満々の男性にはとても釣り合わないことは分かっておりますので、せめて同じ程度に怠慢な男性の方、如何でしょうか。

自分のことを語りたいわけだけど、自分のことを素材は悪くないなんて言うのは傲慢だから(結局言っちゃったけど)、地味女というカテゴリーで語ってしまったのね。普段は件のお嬢様みのもっさり加減だし、あれをカタワ的な容姿と言われたら自分も黙っちゃおれない心理もあったし。

まあ修正後でも非モテ馬鹿にしていると言われそうだけど。でも単純にそこがストレート本命なだけなんだけど。意欲レベルが一致してるって生活していくうえで重要だから。

あと微妙おたく男は乙女におすすめの逆パロディ意識してた。このくらいはギャグで通るんじゃないかなと思ったけど、不快にさせてしまったようで申し訳ない。

2008-11-15

母親レシピを聞いても全く役に立たない。

26歳男。自炊をしていて、たまに母親電話してレシピを問い合わせる。

俺「うちのすき焼きってどうつくるの?」

母「材料入れてお酒をさーっと入れる。」

俺「さーっとってどれくらい?」

母(目の前に湯のみがあるらしく)「この湯のみ1/3くらい。」

(もちろん湯のみの大きさ分からないw)

母「アルコールが飛んだらさとうをまんべんなく振りかける」

俺「それってどれくらい?」

母「中華用のあれ、レンゲ、それに一杯くらい」

(客観的なようなそうでないようなw)

母「そのあと醤油をぐるぐるーっと。ばーっと。」

俺「どれくらい?」

母「分かんない。」

本当にありがとうございました

ちなみに肉じゃがとかめんつゆとかも聞いたことあるけど結局役に立たなかった。

我々はやっと正しい表現を手に入れようとしているのかも知れない

http://anond.hatelabo.jp/20081115015249

http://anond.hatelabo.jp/20081115022423

http://anond.hatelabo.jp/20081115111007

ようやくわかった気がするよ。そうか「カタワ」か。

見込みの無いブサイク・ブスって、顔面畸形というか身体障害者だったんだな。(悪い意味でなく)

身体障害者に向かって、「手が無いくらいで卑屈になるなよ」とか「車椅子なんか降りて歩いてみろよ」とか、無責任に言えないもんな。なのにブサイクに対しては、似たような酷い励まし(?)を浴びせてるようなもんなんだな気持ちがわからない健常者たちは。

例えば、ブスに「笑ってた方が可愛いよ」なんて言うのは、足が畸形な人に「立ってた方がカッコいいよ」って言うようなものなわけか。化粧やおしゃれでなんとかなるよ何て言うのは、聾唖の人に「アウアウ言ってないでまずはシャキッと喋ってみなよ」とか言うようなものなわけか。自分達が普通に歩けるからって、本当に歩けない人のことを考えてなかったわ。

うん、すまなかった。

日常生活に支障があるのが身体障害者定義なら、破滅的なブサイク・ブスも十分該当するものな。どうして保障がないんだろうな。

2008-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20081114022037

ねずみの国で夢のある仕事をしてる人は4勤2休。

でもやっぱり毎日疲れ切ってるぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20081114013353

増田がどの程度の男なのかは分からないけど、

昔から繰り返しているということは増田に原因があるんじゃないか。行動しているだけマシだと思うけど。

よくあるのは「身分不相応な女性に惚れている」ということ。これはもちろん顔や見た目だけの問題じゃない。

内容を見てても思い込みが激しいように思うから、精神的な余裕がないんじゃないかな。

ちょっと頭を冷やしてみて、なんでその人が好きなのか、自分にはなにが足りてないか考えたことある?

純愛的な思い込みの激しい人に限って、例え付き合えたとしても大事にしすぎて何も出来ずに振られたり、

逆に理想との乖離に逆上して暴力的になってしまったりしてしまうことが多い気がするしなあ。

付き合ってみなければ分からないことは多すぎる。

最初は軽い始まりでも、どんどん好きになっていくって事なんかザラだし。

極端に言えば、最初の気持ちが重いと、ある意味それ以降は落ちていくだけってことにもなるしね。

2008-11-13

アステカやインカの人ってスペイン軍来た時こんな気持ち?

30代。女。非モテです。合ってるかどうか、ちょっと聞いてください。

昔から自分がブサイクだってことには気付いてた。小中高と、典型的非モテ女が通るような道を歩み、外見でちやほやされるかどうかが決まる世の中への歪んだ鬱屈が形成されていったと思う。

道が開けたのは大学時代パソコン通信というものの存在に触れてから。

私が知ったのは、インターネットへとバトンタッチしかけている最終期ではあったが、そこで、外見に左右されないで済む居心地のよい世界を初めて知った。今で言うネトゲ廃人などとは違うが、むさぼるように夜ごとモニターごしの世界を堪能し、失われた自分の居場所を回復していったものだった。

たまにおそるおそるオフ会などに出席してみても、その時代のそういったところには美人などまずおらず、女性であるというだけで大事に扱ってもらえるような雰囲気が、私のそれまで完膚なきまでに破壊されていた女としてのプライドを徐々に持ち直させてくれた。主流の場がインターネットに変わってからも、早くから場慣れしていた私にとってそのデジタル社会は、住み慣れた安住の地に他ならなかった。モヒカン族に刈られることもなく、刈る側に回るほどではなくとも、お気に入りのテキストサイトや2chなどを泳ぎながら先住民として快適にすごしていた。

状況に異変がおき始めたのはここ数年。

パソコンを持っているのはネクラオタク」という前時代の雰囲気は完全に一変し、ケータイネットアクセスすることも徐々にできるようになりつつあったその時代。一億総インターネット社会に、SNSが追い討ちをかけた。

もちろんネット上でのアンテナをそれなりに伸ばしていた私は、そういったSNSにもいくつか参加し、頭ひとつ抜けることになるmixiにもその成長に寄り添うかのように依存するようになっていった。今思えば先住民気取りかつ外見差別のなかったネット社会の居心地のよさに平和ボケしていたのだろう私は、それまでのオフ会のような感覚mixiオフ会などにも参加してゆくことになる。

はじめは小さな違和感にすぎなかった。mixi人口が右肩上がりで増え始め、mixiこそ私にとってほぼ失われていた親友を作る機会というものを補完してくれる強力なツールと錯覚しはじめた頃に出席したいくつかのオフ会が決定的だった。

仰天した。もはやそこにいるのは、これまでのオフ会で会って来た様な、いかにもネットの住人という、どこか安心させてくれるある意味カタワ的な容姿の者などではなく、颯爽と街を歩くイケメン、美女らそのもの(私の目から見たら)。

これまでのオフ会ではむしろ場違いだったそのような人らが普通コンパのように幅を利かせ(普通コンパ知らないけど)、むしろ場違いだったのは私(の顔)だった。当然のごとく、そのような環境での私の扱いは、自分がただのブサイクであることを思い出させられるものとなる。別にオタオタと挙動不審だったとかではない。情報過多なネットの住人だったこともあり、それなりにどのような話題にもついて行けるし飲むこと自体は好きになっていた私は、その場では分け隔てられることなく楽しく過ごしたつもりでも、終わってからのメッセージのやり取りなどではいつの間にか無視され、次の飲みの機会(オフではなくあえて飲みと書く)があっても、顔を見られた後では誘われることはなかった。おなぐさみのように女性と打ち解けてみたりしたが、中身を知ればとても恒常的関係を築けるような相手ではないと(たぶんお互いが)感じて立ち消えたりディスコミュニケーションに陥って喧嘩別れしたりした。

リアル世界ではとても近寄りがたく避けていたそのような人らが、ついに私の楽園だったネット社会にまで侵略してきたのだ。

彼らの侵食は苛烈を極め、もはやそこにあるのはリアル社会と何ら変わらない、外見差別とそれを隠すおためごかし。いたたまれなくなった私はmixiから撤退するに至った。

そしていまや私は、最後の砦であるはてな村に追い込まれている。ここではまだ、自分の中の女性性を否定し尽くさないで済む程度にはちやほやしてもらえる。でもここもいつか現代のスペイン軍によって、陥落させられる時が来るのだろうか。

2008-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20081112125157

専門職の多い職場でも事務の女の子はいる場合が多いでしょ

(例えば弁護士事務所)

「いいから責任者出せ」をデリカシーのない言い方でしたら「男に代われ」ってことになる

事務にも男はいるわけで、弁護士にも女はいるわけで。

言い訳にもなりませんな。

それとなんだかんだ言って専門職でも女だと仕事に甘えがあるのが多いし

それをとがめにくい

担当が男だったら怒鳴りつけることができても女が相手だとやりにくいし

これが仕事をしていると無視できない

それは女に対する偏見もいいとこです。

あなたのまわりの専門職の女が甘えがあるのであって、

女性一般の専門職が甘えがあるわけではない。

とがめないのはあなたの勝手な思い込みのせい。

担当が男でも女でも怒鳴る必要性はこれっぽっちもないし、

そうしないと仕事が回らないのは単なる無能。

404 Blog Not Foundの書き手は筆を折ることを考えた方がいい。半分ほど。

404 Blog Not Found:言葉は何を乗せているのか

よいエントリだ。このブログの書き手の言葉に対する無関心、あるいは悲しむべき無神経さを端的に明かしている。

小飼は文章とその書き手の関係について無知だ。あるいは少なくとも、あまりに配慮が足りない。

突拍子もないことかと思われるかもしれぬが、感じたことを感じたままに書いておく。

以下は小飼と同じ日本語に生きる者としての感想だ。

誰でも、小学生くらいのときに「私は言葉を〈使っている〉のか? あるいは言葉に〈使われているのか〉?」というどうしようもない疑問を抱いたことがあるはずだ。私は言葉で考えたことを言葉で書いている。はたしてこれは私が本当に考えていることなのか、そうでないとすれば一体なんなのか。私の考えというものはどこから来たのか、と。

書き言葉を覚える頃に感じるこの漠然とした感触は、認識言語のどちらが先か、という設問にまで整理された問題ではない。これは単に、人間内面(そんなものがあるとして)が言語と絡みあいつつ出来上がってゆくものだという単純な事実を、幼い肉体が感得しているということに過ぎない。

具体的な経験は無数の形をとるだろう。誰もが人生のある時点で言葉不思議さに触れる。ここで書きたいのはそれだけのことだ。

だがこの経験は決定的なものだ。彼はその感触を通じてまず〈言語で〉語ることの困難を知り、自らの洞察が由来する暗部に触れ、〈言語を〉語る不可能を悟る。そしてそれを道具として語ること、それ〈について〉語ることに正面から向き合ってつまづいた人間が、なお人間として生きるための方途はその厄介な存在と必死に〈戯れる〉ことしか残っていない。これは彼自身が自覚的に行う選択ではもはやない。

こうして幼い者たちはいつの時代であっても常に大人を驚かせる詩人となる。また、彼らは毎日のように聞き手の深奥を揺さぶる語り部となる。なぜ我々は子供達の言葉に涙するのか。そしてなぜ彼らのように〈無邪気に〉言語と戯れることを羨望するのか。それは彼らの必死の戯れが放つ生の輝きが、我々のどこかに眠っている言語自我への畏れに共鳴しているからにほかならない。我々は彼らを通じて、はじめて言語不思議に触れ、途方に暮れた日のことを思い出しているのだ。

子供は主題ではない。

ここに書いておきたいのは、言葉に少しでも配慮しようとする者はその感触を忘れてはならないということだ。なぜならそれを感じ続けるということは、人間言葉の骨絡みの関係を最もシンプルに引き受けることであるからだ。

人間言葉の骨絡みとは、言葉は我々とともに今この瞬間も変化しているという、これまた単純なことだ。これはいわゆる言語の乱れとかそういう話ではない。たとえば、今だれかが〈たぬき〉と発言し、あるいは書いた瞬間、日本語の〈たぬき〉はそれまでの〈たぬき〉ではもはやない。それは彼が発したという歴史を背負う。そしてこの微細な変化は〈きつね〉や〈どうぶつ〉や〈やま〉や〈にほんご〉といった周囲に広がる言語の網の目に静かに拡がってゆく。そしてこの小さな波紋に触れない領域は存在しない。我々は今まさに言語の中で、言語とともに生きているのだ。

だからこそ、自覚的に何かを語ろうとする人間は、配慮せねばならない。当たり前のことだ。この配慮とは言語を配慮することであり、言語の網の中で生きる他者を配慮することだ。このことを自覚さえせずに何かについて、とりわけ言語への配慮について語ることができるとは思えない。

これを思うとき、小飼が何を思って「『文学者』」が言語の利用者であると述べているのか、私には見当がつかない。

言葉生業にするとは、自らの言葉に自らの生のすべてを託すことだ。とりわけ文学とよばれる言語を媒介にした人生には、文字通りの夥しい生命が費やされてきた。小飼は彼らが言葉をネジか何かのように「利用」して生きたと言いたいのだろうか。言葉について書こうとする小飼に私が感じる違和感はとりあえずこれにつきる。

果たして「鴎外」は「いい文章を書いた」のだろうか。

「『文学者』」とは「『言語利用者』」だろうか。一体だれが言語を「利用」し、「虐げる」ことができるというのか。

こう問うてもいい。一体だれが、自らの生を賭さずして真に言語を「傷つける」ことができるというのか。

そして一体だれに言語を「護る」ことができるというのか。

我々にできることは、言語とともに生き、言語と死ぬ気で戯れることだけだ。つまり、配慮することだ。

小飼は自分でもわかっているように、一生エンジニアとして生きるべきだ。小飼が言語と戯れる道はそこにあり、そこにしかない。

文学を語る資格がないと言っているのではない。上に書いたように言語を語り、文学に遊ぶ資格人間すべてにあるはずだ。

私は単に、みずからが言説に生きる身でありながら、言語に対してあまりに冷淡で不誠実な小飼の態度が気に入らないのかもしれない。

だが小飼が「日本語」と書くそ日本語に我々は生き、そしてその日本語を我々は死んでゆくのだ。

小飼という存在もまた言語であり、日本語なのだ。

今回のエントリはその後半だけについて、門外漢にもよく分かるように詳しく、言葉に配慮して語るべきだった。

それが人並みに日本語を使えるエンジニアとしての、日本語に対する、そして自らに対する誠実さではなかったのか。

鴎外に至っては、いくらいい文章を書いたところでその罪の大きさを拭えるものではないとすら感じている

重要なのは、たとえ「ナショナリズムと悲観と無知と傲慢さ」の果てであっても、やっと、そうやっと「文学者」という「言語利用者」の頂点にいる者が、言語利用者の底辺にいるものたちが面してきた問題と危機感を得たということそのものにある

日本語を虐げて来たのは他ならぬ国家であり、その走狗たる役人であり、その役人たちに一目おかれていた文学者たちであった

私が今使っている日本語も、「傷ついた日本語」である。なぜなら私は「傷つく前」の日本語を何とか読めても、書くほどの教養がないからだ。私の名前が「彈」ではなく「弾」なのも、実はその余波である

404 Blog Not Found:言葉は何を乗せているのか

2008-11-11

[]

成人男性が成人女性みの乳房を備えていれば男性たちの中でこれほどオッパイがもてはやされることもなかっただろう。(デカルト

2008-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20081110010334

零細のIT企業(というか、自社開発は何一つせずにSIのおこぼれだけで食いしのいでいる自称IT企業な似非派遣)なんていくらでも潰れりゃいいよ。従業員はどっかの(正規の)人材派遣会社が確保して、経営者だけ路頭に迷えばいい。今その手の会社ごまんとある。これには理由があって90年代以降、メーカー商社中年社員管理職が数多くリストラされるようになった。早期退職制度を利用して退職した奴も沢山居る。その中に技術屋として無能だから起業することでその惨めさから逃れたタイプも結構居るんだよ。「俺はリストラされたんじゃない、起業したんだ」ということで心に折り合いをつけたタイプな。零細ITの社長メーカー出身者って結構居るけど、大抵はドロップアウト側の奴。

そういう奴は経営者としての資質があったのだからむしろ有能者なのかと思いがちだけど、ことIT業界に関して言えば違うんだなこれが。

ぶっちゃけて言えば民間企業総合職経験したことのある人なら誰にでもIT派遣業の会社は立ち上げることが出来るだろうし、そこそこ儲かった(過去形)。特に新会社法施行以降は就職に失敗した若い無能も含めて起業バーゲンセール状態。ベンチャースピリッツだとかなんとか言いながら、自社独自の技術アイデアも無く、やってることは多重派遣でな。

理由は他の人も書いてるけどJIETやイージョブゴーを使えば営業力や人脈なんてロクに無くても取引が出来るから。まあそれでも、1社や2社コネのある会社を確保しておく必要はあるけどね。メーカー出身者はそのメーカーそのものや、在職時代に交流のあった協力会社とのパイプぐらいは持っている。起業当初の取引相手はだいたいそんなもんだ。もっともそれだけじゃ食えないわけだが、世の中にはそ同じような経緯を持つにわか社長ごまんと居る。そんな経営者同士が手を結べば商機も広がるという寸法だ。これだけ聞けば素晴らしい仕組みのように思えるだろうけど、結果的にこれは企業間の多重派遣偽装請負を簡単に許すようになってしまった。最近まであそこの会員リストには聞けば誰でも知ってるようなSIerが数多くその名を連ねていたのだが、ここ1年でかなり減った。リストから名前を伏せたのかあるいは罪の意識が芽生えて退会したのかはよくわからない。俺が居た会社名前は相変わらずあったけどね。

もっとも当のJIET自身は偽装請負を撲滅したいと声高らかに叫んでいるわけだが、それはまぁ「不純な目的で当店を利用しないでください」と掲げてる出会い系サイトみたいなもんで説得力が無いんだよな。

梅田氏と馬鹿について

結局、馬鹿を野放しにするのがまずいんだろうか。

梅田さんはやはり、エリート主義なのかもしれないなあ、と思った。

エリート主義が悪いわけではない。山形浩生もそうだし)

要するに、梅田さんは馬鹿にでも分かるように説明し、馬鹿大衆レベルの底上げをする

ことが目的なのではなく、頭の良い人たちとレベルの高い面白い議論がしたいのだろうと思う。

彼が啓蒙したいのは、見込みのある若者たちであって、馬鹿大衆は単なる搾取対象

あるのかも知れない(それが悪いとは思わないが。確かにそちらの方が面白いし、楽しいから。

しかも自分の好きなことをやるということであって言論一致である。馬鹿の相手はイライラ

するし、徒労に終わる場合が多いし。そして、そういう商売で生きていくことを彼は目指して

いるのであろう。繰り返すが、商売は慈善事業ではないし、梅田さんは聖人ではないと思うので、

馬鹿大衆レベルの底上げをするという(多分)不愉快仕事の義務は発生しない)

ただ、思うのは、多少ましになっているかも知れないが、リアルワールドの日本人

自分が馬鹿にされるのを恐れて、あるいは、恥をかくのを恐れて、気軽に発言しない人が

が相変わらず多い。相変わらず日本人は恥を恐れる感覚が強いのは確かだと思う。

(だから、英語の上達が遅いという話もあったが)

その反動が(匿名性という)ネットに出てきている部分というのは確かにあるような気がする。

そしてそれには良い面もあれば悪い面もある(セガBBSがまさに動物園だったことを思い出す)

その反動とどう向き合うか。抑圧されていた恥知らず馬鹿日本人の本音とどう

つきあっていくのか。結局、日本におけるオープンサービスにおいて、そこをどう

対応するかが一番問題なような気がする。

馬鹿の相手をしたくなければ、クローズドで、仲良しセミ文化人サロンとしてやって

いけばいいのでないか(もっとも、mixiがうまくいっているかは私はよく分からないけども)

馬鹿大衆からは巻き上げたい、でも、レベルの高い議論がしたい、という話は

虫が良すぎるような気がする。

もっとも、宮本茂氏だったかの言葉に、「二つの問題を同時に解決するのが良いアイディアだ」

みたいな言葉があったことを思い出すけれども。

2008-11-09

梅田発言問題でしなければいけない肝心なこと

梅田発言問題で揺れているはてなはてブ)界だけど、肝心なことがなされていないので僕が立ち上がるしかない。

物事を見るときに重要なのは、その発言で誰が得をしたかということである。これを常に忘れないでほしい。

今回の梅田発言問題で一番得したのは誰か?それは明らかに「水村美苗」という作家だ。

梅田氏によると、水村美苗という作家寡作作家のようである。しかし、出す作品の濃度は非常に高く発表する作品全てが賞

を取っているそうだ。数多くはない文学賞という枠組みの中で受賞し続けるのは並大抵のことでない。

ただ、数多くはないがゆえに近頃は水村美苗文学賞を取らせるべきではないという出版業界有力筋からの声も上がっていると聞く。

ここから導かれる帰結とは何か?

「賞を取らなければいけないというプレッシャーから、水村美苗(あるいはその関係者サイドから梅田氏に話題づくりのための

なんらかの働きかけをしたのではないか?」

ということである。たしかに話題となった作品にはなんらかの箔をつけたいというのは人の心情である。ネット業界で知らぬものは

いない梅田氏が書評という形で水村の作品を絶賛すれば、必ず(内容が内容だけに)話題となり、

本は売れ、かつ連続受賞の可能性が広がる。

今回の騒動の発端はこうした思惑を持った水村サイドからの働きによるものであることが推測される。

しかし、水村サイドの思惑は半ば当たり、半ば外れた。梅田氏による書評ネット界隈を賑わせ本の認知度は高まったのだが、

日本語が亡びるとき」というタイトルのため、感情的な反発が強く、本を読むこと自体への拒否反応を起こしてしまったのだ。

これに一番慌てたのが梅田望夫である。本の売上の促進=話題づくりという梅田の思惑は外れ、あろうことに、作品ないし水村

に対するネガティブイメージを与え、本を手に取ること自体恥ずかしいという状況が生まれそうになったのである。

このままでは、水村サイドとの約束が履行されない。焦った梅田が出した結論というのが、今回の「バカ」発言であった。

つまり、読もうとしないものをバカ呼びすることで、梅田への反発から本を手に取らせるという古典的策略である。

この効果がどれほど期待できるかはさておき、梅田をそこまで追い詰めたものはなんだろうか?梅田義理堅さ、仕事を一つ一つ

真剣に行うという美質だけでは説明がつくまい。やはり、上げられる理由としては梅田経済的困窮ではないか?

梅田2000年7月シリコンバレーベンチャーキャピタル、パシフィカファンド設立したのだが、今回の金融危機でこの

ファンドの運営がうまくいっていない、多大な損失があったのではないだろうか?梅田の文筆業からの収入は全盛期には程遠く、

取締役としてはてなから得る収入もそれほど多くはないだろう。今回の水村サイドからの宣伝の働きかけは梅田にとって

新しいビジネスチャンスだったに違いない。だからこそ、はてな取締役としての地位を投げ出すに等しいような発言も

可能だったのに違いない。今回の騒動はそうした視点から見る必要があるだろう。物事の裏をみることこそ重要である。

はてな民は自分が踊らされている可能性について考えるべきである。





いわゆるインターネッツ好きが大好きな陰謀説。やっぱ、これを書かないとネットの騒動としてはすっきりしないよね。

梅田望夫氏、水村美苗氏本当にすいませんでした。「本格小説」見てみたいなと思ってずっと見なかったので今回の作品

含めて買おうと思います。(こう書けば何でも許されると思っているあたりがネットの悪いところだけど)

理屈っぽい人も必要

でも、ずーっと理屈っぽい人って疲れるかも。

機械と話しているような感覚

例えば悩みの相談をするときは、

改善点の指摘ではなくて、共感がほしかったりする。

アドバイスを求められたら理屈全開のほうが頼もしいけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20081109195850

http://anond.hatelabo.jp/20081109025808

おれも胃カメラ飲んだことあるけど、胃カメラ飲んだときに感じた痛みは、その時わずらってた胃痛の倍くらいの痛みだったよ。「おいおい、胃痛より胃カメラ飲むほうが痛てぇじゃねーか」と心の中で失笑した覚えが…でもそれと同時に安心した。「あ、おれの胃痛はじつは大したことなかったんだ」って。

みの質が違うから、痛みの程度を胃痛とほかの怪我や病気とで比較するのは難しいけど、嫌さでいえば、胃カメラを飲む嫌さは歯医者で深い虫歯治療するのと同じくらいかな。

歯医者と違って胃カメラ飲んで感じる痛みはほんの一時。ものの数分のことだから、胃痛が心配なら怖がらずに行ってみることをおススメする。

2008-11-08

性同一障害の子とエッチしてしまった。

酔った勢いで全部書いてみる。とりとめもない文章になるはず

ちなみに俺は男。

今から二年前ぐらいに幼稚園からの幼なじみ女の子セックスをした。

その時は、お互いに好きだったりして、告白をして付き合うまではなかったけれど、毎日のように彼女の家に行って勉強したりぐだぐだしたりしたり、

多分世間一般的には、ダメなんだろうけれど、付き合ってもないのに何度かセックスをした。

んで、俺とその子とは学年が違ったり、俺が受験が間近とかあったりしてその子とはだんだんと疎遠になっていった。

そして、俺が卒業する日にその子が俺を校舎裏によびだして、こういった

「僕は性同一障害らしいです。これから男として生きていきます。いままでごめんなさい」

と言われた。俺は「性同一障害」がどんなものかも知らないし、そして、なんで謝られたのかもわからなかった。

彼女(というのはおかしいのか、なんて呼べば良いのだろう。彼?)曰く、謝ったのは自分が性同一障害で(自分は男だったのに)ありながら、男の人とセックスをしてしまったことに罪悪感を感じていたそうだ。

先述のとおり俺は(今でも)性同一障害がどんなモノかを知らないし、知りたくもなかった。

謝ったのは俺とその子がセックスしている時点で自分は性同一障害という認識があったらしく、俺をゲイの気持ちにさせてしまったとかなんとか。(ものすごい泣きながら言われたのでよくわかんなかった。)

それからは、お互いに妙な距離感を演出し、たまに町であったりしても妙によそよそしくなったりした。

俺は別に性同一障害でもないし、普通女の子エッチなことをすれば感じるし、セックスをすればイケる。ゲイかどうかと言われると経験がないから分からないし、本気で好きなら男の子でも俺は付き合っていけられる。

けれど、その子は、俺という男とセックスするのがダメだったらしい。別に俺はその子にセックス強要してたわけでもないし、むしろその子からセックスを求められることもあった。

「僕は障害なんかで今まで好きだった君を嫌いになりたくはなくて、我慢してた」とも言われた

俺はこれを言われた時点でどうしたらいいかわからなくなった。男同士の友達でいたいのか、それとも、(その子視点からみて)一線を外した関係をもちたかったのか。それは考えすぎか?

俺が、その子に我慢させるほど、その子の心の重しになってたんだったら、俺は何をするべきなんだろうか?謝って済む問題なの?その子が我慢してたことに気が付かなかった俺がどうにかしないといけないの?

乱文悪文失礼

俺はこれから彼(彼女)に対してどうすればいいのだろうか。俺はその障害の当事者ではないし、そういう事を教えてくれる人はいない。

ググれカスとは言われたが、インターネット情報を俺は書いて有るままを鵜呑みしていいのかもわからない。

俺はどうやって、その子とこれから過ごせばいいのだろうか?

俺は誰に相談したらいいのだろうか?

そのおさなじみの子に相談してもいいものだろうか?

そして、俺は昔みたいに俺はその子と一緒にその子の家や俺の家で勉強したりしてもいいのだろうか?

性同一障害の子と同姓愛ってどうなんの?もうわかんない。俺なにがしたいんだろ。

一番、俺がいやなのは、その子に上のような事を聞いて嫌われるのが怖いです。どうしたらいいんだ。

2008-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20081107154214

1.頑張っている、上流の男

2.頑張っている、上流の女

3.頑張っていない、平均以下の女

4.頑張っていない、平均以下の男

を、

1.頑張って昇った/環境に恵まれた、平均以上の男

2.頑張って昇った/環境に恵まれた、平均以上の女

3.頑張っても上流に昇れない/頑張っていない、平均以下の女

4.頑張っても上流に昇れない/頑張っていない、平均以下の男

に変えた上で、その人数比が

3.平均以下の女 >> 1.平均以上の男 > 4.平均以下の男 >> 2.平均以上の女

とするならまあ、納得かなという感じ。

ここでいう平均は、男女込みの平均年収を指標とする、でもしてくれれば。

http://anond.hatelabo.jp/20081107024131

アドバイスでもなんでもありませんが、文章を読んで思ったことをつらつらと。

本来たとえ話ってあまり好きではないのですが…。

きっと、人間はみんな欠陥品なんですね。

それで、お互いの欠陥部分を埋めあうように、お友達と付き合ったり、異性と付き合ったりするのかもしれませんね。

きっとその欠陥の形はみんなバラバラで、上手くはまらないこともあるんでしょうね。

上手くはまらないと、きっとなかなかお付き合いとかできないんでしょうね。

欠陥の構造が簡単な人は簡単にそこが埋まりますし、構造が難しい人はなかなか埋まらないのでしょう。

でもある程度上手くはまったとしても、いっぱい隙間とかあって、

ぐらぐらしたりしていると、別れにつながったりするんでしょうね。

「子はかすがい」なんて言いますけど、子供が生まれると、その隙間を上手く埋めてくれるのかもしれませんね。

まあそれはそれとして。

僕はあなたの顔も声も名前性格もわからないので軽軽しく「大丈夫だといつかいい相手が見つかるよ」

みたいなセリフを言うことはできませんが、少なくとも、あなたの書き込みの中の何かが

僕の足りない部分をほんの少しだけ埋めてくれた気はします。ほんの少しだけですけどね。

だからこうやって、普段書かないようなことを書いてみちゃったりしました。

こんな感じで、あなたがこれからもずっと悔しさに負けずあなたを発現させていたら、

ひょっとしたらあなたを埋めてくれる人があらわれるかもしれません。

僕は女の子にもてたりなんてしませんしブサイク極まりないのでモテるためのアドバイスなんてできませんが、

いつか、もっと、あなたの欠陥を埋めてくれる人が現れることを、あなたが誰かの欠陥を埋めてあげられることを、

望んでやみません。

2008-11-06

こんなオフがあるみたい

(略)

内容   横浜中華街中華料理バイキング店にて食事、雑談

参加資格:下記に全て当てはまっている

・30歳以上で彼女いない歴=年齢で女友達いない歴=年齢でもある

・低収入(税込みの年収が年齢×10万円未満)

 30歳なら300万円未満、35歳なら350万円未満のようになります

・働いているけど、不安定な仕事に就いている

 (フリーター派遣社員契約社員、中小零細企業正社員

・男友達も少ない(1、2人程度)、または一人もいない

・こんな状況だけど向上心もない

恋愛結婚はすでに諦めている


参加ご希望の方は下記アドレスまでメールをお願いします。

(略)

2chより。「全て当てはまっている方」たちって本当に集まるのかよ!

ちょっと行ってみたい気もする。

http://anond.hatelabo.jp/20081105162225

ぜんぶ彼女にぶちまければいいじゃん。

悩むのは彼女。選ぶのも彼女

彼女にきみの悩みをそっくり背負わせればいいんだよ。

(悪魔のささやき)

2008-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20081103204248

うちもソフト会社だけど、スポーツ上手かった奴がモテるという事はなかったよ。

というかそういうのについていく奴はちょっと頭が知れてるっつうか。

やっぱ会社スポーツなんて楽しんだもん勝ちでしょ。

そういうところで下心出してる奴の方が割が悪い。

で、そこで存分に鍛えて会社がらみの薄い気のあいそうなのを何人か捕まえて一緒に出かけて

現地でお友達をつくればいいんだ。

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん