はてなキーワード: ひょうきん族とは
何のために批判しているのかが不明だから、じゃないかな。タイトルの中身はこの一行。
批判している人を揶揄している人達が、文章を読まずにコメントしてたりするのはアレだから捨ておくとして、
それ以外の人もなお、なぜ虚構新聞を批判している人がいる=長文とか引用を駆使してまで書き上げる情熱があるのかがわからないんじゃないだろうか。
まあ俺もわからないんだけど。
はてダとか増田に書かれて、ホッテントリに大量に入ってくる、あの長文を書く人達のあの情熱はいったいどこからくるのだろうか?
騙された本人が怒っているわけでもなく、名前を使われた橋下が怒っているでもなく、完全な第三者なのに。
そして、それに賛同するはてブに大量の星がつく。トップ10コメントにそれぞれ10から50の星がつく事態。すげえ。
その逆に、批判者を揶揄する人を、批判するはてブにも大量の星がつく。これもまたすげえ。
確かに、騙された本人がムキーって怒って、虚構新聞を批判しているのはみたことがない。
見かけたものの一つは、勝手に名前を使われた橋下が迷惑だろとか、いくら公人の名前でもやっちゃいけないことがあるだろとか、かな。
かつて、ダッコちゃんやちびくろサンボ、カルピスの商標が、「黒人差別」として日本人により批判されて消え去ったのと同じようなことなんだろうか?
赤の他人が当人たちの怒りを、勝手に代弁をしてる感じ。当人たちは(たぶん)怒ってないのに。
あとは、情報ツールとしてのネットに、嘘が紛れ込むのは良くない、デマサイトは消えろ的な
「自分はだまされないからいいけど、世の中の情弱さんが騙されて大変なことになるから、けしからん」というのもみた気がする。
ドリフやひょうきん族、クレしんやしりとり侍など、
「自分やうちの子供はやらないからいいけど、よそのバカな子供が真似するから良くないから、けしからん」みたいな感じだろうか?
虚構新聞を批判している人達の情熱の元が、俺にはよくわからないままだが、
他人の怒りを勝手に代弁するのも、教育熱心な親気取りも、心情的にはわかるし、その情熱はすごいと思う。
日々に疲れていろんな情熱を失っている俺も見習うべきだと思う。
ホッテントリとかが「虚構に騙されたやつばーかばーか」で埋まるのも数日で、すぐ消えるだろと思っていたけど、
「は?もっと違う高みの目線で虚構新聞を批判してるんだよ。俺を騙された馬鹿な奴と揶揄する奴こそばーかばーか」という展開になってきた。
最近、武雄市図書館とかの硬めな話題のなかで、常に上から目線のはてならしさを表した、いい清涼剤だと思う。今日もはてなは大勝利である。
俺も他の誰よりもはてな界の高みを目指したいと心に誓い、情熱をもって、長文を綴る日曜の朝だった。
もうね、タイトルだけで言いたいことは分かるんだけど
まるで的はずれでイラっとくるわ。
芸人というのは時代の巫女なのね。ドリフなりひょうきん族なりに「良心のカケラ」みたいなものが見えるとしたら、それはその時代の社会に今から見てまだ「良識」みたいなものが息づいていたというただそれだけのことなのね。それをまるで「作り手や芸人に良心があった(今はナイ)」みたいな言い方をしてる時点で、全然ダメ。まるでなっちゃない。第一彼ら、同時代的の社会の中でどんな風に言われてきたか、分かって言ってんの?ホント失礼なヤツだなあ。
そもそも「そういう(イジメ同然の)お笑いじゃないと売れない」ような腐ったこの時代にアンタ生きてんだろ?コミットしてんだろ?その社会に対して何をどう戦ってるの、アナタは。テレビ見てくだらないお笑いみて駄文書いてる暇があったら、もう少し世の中をマシにするための何かをする時間が生まれるんじゃないの?違う?
ぐだぐだと社会の一番末端にいる芸人やTV屋風情を叩く前に、まずイマドキTVなんか見てんじゃねえよ馬鹿野郎。さっさとそのスイッチ切れ。受像器ぶっ壊せ。で表に出ろ。戦うべき相手はいつだってブラウン管の中にいるんじゃない。
外にいるんだ。
そうだろう?
散歩しようと玄関を開けたところ、ちょうど面している道路の真ん中にブレザー姿の女子高生が一人立っていた。
やや赤く色づいた髪を肩まで垂らし、目鼻立ちも日本人離れした美少女だったので私は立ち止まってしまった。
「なんだ君は」私は言った。
すると相手はいきなり仁王立ちになり「コマネチ!」と叫んでビートたけしの往年のギャグを披露してみせた。
意味が分からないので佇んでいると「千円くれたらもう一回してあげるよ」と言った。
なんだ。ガキのお手軽な小遣い稼ぎか。だとしたら得心が行く。
だが私は子供の頃はひょうきん族派ではなく全員集合派だったので
「東村山音頭だと幾らぐらいする?」と尋ねたら「んー、五千円?」と答えられた。
私は他には何があるのか訊いた。
「時代を先取りニューパワー!」と女子高生は言った。
「随分渋いな」と私は言った。
「前の客に手取り足取り教えてもらった」彼女はそう言ってニヤリと笑ってみせた。「一万円でどう?」
「悪いがとっとと帰ってくれないか」
私がそう言うと彼女は懐からしゃもじを取り出し、「突撃隣の晩ゴハン!!」と叫んで隣の家に突進した。
http://anond.hatelabo.jp/20070506231930 を書いた中の人です。
なんか今まで経験したことのないtbの数に、若干戸惑ってます。
でも、とりあえずtbの皆さんには「あの番組はイイよ、あんた間違ってる」という声がなかったのが幸い。
まぁ「リアクション芸人は笑われてナンボ」という声もありましたが
親御の世代(つまり現代の私のような三十路以降)は似たような嫌悪感を感じていたのでしょう。
5月6日放送「中井正広のブラックバラエティ」を見る限り、
中井(と作家・スタッフ陣)=首謀者 他ゲスト=傍観者あるいは首謀者に従属する者 出川=被害者
という構図としか思えなかったのです。
世間をある程度知ったら「このような企画だ」と流すことも出来るのでしょうが、
見えないところで打ち合わせ済 という「画面の裏側のこと」が理解できない人たちは
(小学生とか幼い人とか)そのまま真似をしかねない、少なくとも私はそう思いました。
でも、番組を見ていた時はそんなことも関係なく、ただただ腹が立ったのです。ムカついたのです。
まるで私が小さな頃のいじめっ子のような目を、中井はしていると感じたのです。
その手をすっかり忘れていました。
その上と思われる視聴者センターにぶつけたのですが
若干修正して、BPOにも送っちゃいました。
その文はすみません、手元に残っていないので掲載できないです。。。
そうそう、テレビ朝日の深夜番組「草野キッド」の企画「未来日記」(正式名称失念)もあまり好きじゃありません。
草野仁が今後のことを日記に記し(これがまた無理難題とかだったり)、それを他出演者(芸人)に「必ず」やらせる といった内容。
これも、首謀者と被害者の構図がはっきり見えて取れるんです。
このことも送ろうかな…?
http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/back_issues/2007/sv-contents0702.html
お前らが何度’80年代を総括しようとも俺は付き合ってやる。
金出して買ってやる。
が、お前らが一度たりとも「テレビ」を’80年代カルチャーとして
正面から向き合わないことを何度でもせせら笑ってやる。
特に「お笑い」に関して、ひょうきん族・ダウンタウンの間に位置する
「とんねるず」に関して、論じようとしないことを覚えていてやる。
’80年代の「ダサい」部分を一手に引き受けていた
あの芸人をなぜお前らが論じることをできないか俺は知っている。
あと交渉と後処理が面倒臭えだけじゃねえかよ。
それ以前にテキストできるエディターとライターがいねえだけじゃねえかよ。
それ書いたらお里が知れちゃうことにビビッてるだけじゃねえかよ。
所詮、自分の恥部を晒されたくないお前らのことを
ずーっと覚えていてやる。
’80年代なんかな、トレンディドラマと、とんねるずなんだよ。
まずそれをわきまえてから語りやがれ。
文句あんならなんか言ってみやがれ。
QJもつまんねえぞ!