前に「生まれた環境に恵まれなかった子供たちの支援に関わっていたけど、あいつらクズばかりだ。途中から『もうこいつら不幸になろうがならまいがどうでもいいわ、養分として搾取されて生きろ』と思い始めた」と言ってるエントリが話題になってたけど、
それは虐待被害者が被害により、虐待に遭いやすい性格に育ったからじゃないかと思う。
こんな話を読んだ。
http://www.kitimama-matome.net/archives/59904730.html
虐待に遭った知人がいる。
暴力とか暴言とか、性的なこと以外で思いつくようなことは全部されてた。
就職して実家を出たと思ったら、そこもブラックな職場だったようで、上司が家に平然と出入りして、趣味のもの(オタク系の趣味があった)を取り上げ、キショい等等の人格否定に遭ったらしい。
苦労して集めたDVDなどを勝手に捨てられたり、ゲームを無断借りパクされたり。(窃盗では?)
知り合い総出で、今の状態はおかしいから病院に行け、仕事も辞めろと説得した。
できれば引っ越して、実家とも絶縁しろという話になり、その人は結局、知人の助けの上で引っ越して転職した。
でも、その後もトラブルは絶えなかった。
何故か新しい職場でも似たような事態になり、ひどいと医者までもがその人に暴言を吐くという。
私はあまり親しくはなかったが、その人の親友とよく話す機会があった。
話を聞いては、なんでそんな事になるんだ?と毎回不思議だった。
数日前、本人と話す機会があった。
もう信じられないほど卑屈になっていて驚いたんだけど、
それより、話しているうちに、私自身がどんどんおかしくなっていく気がした。
うまく言えないんだけど、その人と話してると、何でもその人が悪いような気になっていくんだよね。
何でもかんでも、こじつけみたいな事で自分のせいですごめんなさいって謝り出す。
今日天気悪いねーと言えば、自分がこの日を指定したから、天気悪い日に外出させてゴメンナサイ。
移動で電車が混んでたら、自分との移動に煩わせてゴメンナサイ。
あのアニメ見た?→見てませんゴメンナサイ、自分が無知で話の腰折ってゴメンナサイ。
何が食べたい?→何でもいいです気を使わせてゴメンナサイ。
謝る事ないよってその都度に落ち着かせてたんだけど、なんか段々、面倒になっていってしまうんだよね。
ほんの数時間一緒にいただけで、なんでこいつこんなに卑屈なんだ?面倒臭いなと思ってしまって、
その内に段々と、本当に詐病なんじゃないかとまで思い始めてしまった。
実は全部この人の虚言で、可哀想がって欲しいだけなんじゃないか。そんなのおかしい、私は貴重な休日にこの人を慰めるのに苦労してるんだから、やっぱ本当に謝らせた方がいいのか、と。
絶対にそんなことはないってわかってるのに。
逆洗脳?とにかく、どんどん加虐的な考えが浮かんでくるから、とても怖くなってしまった。
今、その人をブロックしようか迷ってる。
その人が被害者なのは間違いないんだけど、下手に助けようとか思って関わってたら、自分がその人を虐げる側に行きそうで。
でもブロックも十分酷いことだよな…やめた方がいいのか…って、ずっとぐるぐるしてる。
この話から、被害に遭った人は被害を呼び寄せるように変容する、という仮説を得た。
何度もDVされる人、何度も浮気される人、何度もいじめられる人、何度も性被害に遭う人、そんな人はよくいる。生家でも虐待に遭い里親家庭でも虐待される人も…。
あの増田が関わった、親に恵まれない子供達も、虐待に遭っているうちに「こいつ本当にクズ」と思わせ、虐待や搾取を呼び寄せたり「虐待や搾取されても仕方ない」と思わせるように自分を変容させたのだと思う。
ツイッターにもいるだろう。○○に攻撃され、その○○という属性を嫌うようになり、益々○○から攻撃される人が。被害は連鎖する。
虐待被害者がDVするような配偶者と結婚する。これも自己変容の結果だろう。
性被害に遭ったことのあるはずの彼女が、露出の多い服装で夜中に出歩き、平気で男の家に上がる、本当に被害にあったのか?という相談も見た。
「性被害に何度も遭うのは、性被害によって性犯罪に警戒するレーダーのようなものが壊れてしまうから」という分析も見たことがある。
「痴漢にあったら絶対に警察に突き出してやる」と思っていると不思議と痴漢にあわなくなるらしい。加害者は、被害に遭いやすい人の負のオーラを目敏く感知する。
力を加えられたものが、壊れる代わりに凹んだり歪んだりするように。
綺麗だと言い続けると綺麗になる。成績を褒め続けると成績が伸びる。となると、その逆もあるのだ。
負のピグマリオン効果とでもいうのか。
「被害者は加害者を恨まない」という記事で言われていたが、加害者を恨むより「自分は被害に遭っても仕方ない人間なのだ」と思った方が楽だ。
そして被害者は、「被害に遭っても仕方ない人間」になるように自己変容させる。
断っておくが、「被害者が悪いのだ」と言いたいのではない。加害者が悪いに決まっている。
被害者を変容させ、幸せから遠ざけてしまうのだから、加害者は一層許しがたい。
それに、加害があるたびに「どうせ被害者に原因があるんだろ」ということはできない。被害者がどんな人間だろうと関係なく加害する人は当然ながら沢山いる。
「被害者の自己変容論」が、加害者の言い訳に使われそうな仮説だということは承知だ。だが、むしろ加害者へのアプローチには使えないか。
虐待する親は「あの子は本当に馬鹿で悪い子で苛つかせてくるんだ!あの子が悪いんだ!」と本気で主張する。DVする奴も同じ。
そんな時「あなたが虐待するから、益々その子はあなたを苛つかせて虐待されやすいように自己変容するのです。あなたのせいです。あなたが変わりましょう」と自己変容論を用いて説得することはできないか。
自分のブログに上げりゃいいのに🍆
声にドスがある自分は、萎縮しがちな人には、別に不機嫌ではないので(そういうときもあるが分かって貰えないが)イチイチ謝らんでもいいって言うけど