承認欲求って本当に厄介だと思う。
それに囚われてしまうと、方向性を見誤って、気づけば推したちへ顔向けできない。なんてことになっていたりすることもある。
二次創作をしていて、自分のかいた推し、推しの解釈をより多くの人に見てもらえる。というのは中々脳内麻薬の出てくる甘美なものなのではないでしょうか。
勿論、「全て推しと自分のため。誰に見てもらわなくても構わない。」というスタイルの人もいるだろう。正直めちゃくちゃ憧れる。かっこいい。
けれど私はそんな風になれなかった。
最初は幸せな推したちを描いて満足していたはずなのに。その内、推したちは私の承認欲求を満たす道具になってしまっていた。
そのことに気がついた時、私はもう推したちへ顔向けできない。そう思った。普通にショックだった。そうしたのは自分だったのに一丁前にショックを受けていた。
この日記は、そんなふうに推したちへ顔向けできなくなった底辺絵描きオタクの後悔日記である。ちなみに国語の成績は常に赤点ギリギリだったのでめちゃくちゃ文がとっ散らかっていると思う。
私はある日、○×△のカプにどハマりした。
それまではROM専鍵アカウントで神々の作品を見させてもらって萌えていただけの私が、突然○×△専用のアカウントを作って、道具を揃え、小学生の時以来お絵描きをし始めていた。
下手くそでも何かしらの情熱を感じてくれたのだろうか。少しずつではあったが、フォロワーさんが増え、○×△について語り合える人が増えてきた。
絵茶やもくりにも参加したりして、どんどん仲間が増えてきた。嬉しくて楽しくてたまらなかった。
だんだんと増えていった相互さん達は、絵の上手い人、素敵な小説を書く人がたくさんいた。可愛い絵。かっこいい絵。キュンとする話。切ない話…その人たちの作品はどんどんいいねがつくしRTもされる。
人との交流が増えるたび、だんだんともっと自分の作品を見てもらいたいな。という欲求が増えてきた。
そのくせ、私は努力もせず描きやすい角度だけ描いて、絵の勉強もしなかった。
「どうせ今更練習したって、世の中にたくさんいる絵の上手い人たちの様になんてなれやしない。」
そうやって努力したってどうにもならなかったときに傷つきたくないから、言い訳して上手くなる努力をしなかった。だからフォロワーさんが増えたといっても、普段反応をくれるのはその中の半数もないくらいだった。
見てもらえるわけがないのだ。そんな愛のない、手を抜いたもの。優しくしてくれる人たちと、推しの上で胡座を描いていたのだ。
でも私はそのことに気がつかない。
推したちの幸せを考える日々は、いかに人に描いたものを見てもらえるか。しかも努力せずに。にシフトしていった。
たくさんの人に見てもらうにはどうしたら良いか?
それは勿論素敵な作品をかきあげることだろう。
けれど底辺絵描きの私には中々遠い道のりだ。すぐに!今すぐに見てもらいたい!どうしたら良い!?
そこで私が手を出したのが、エ□だ。
創作界隈において、エ□というのはちょっとした起爆剤の役割を果たすんじゃないかと思っている。
(ちなみに私は作者さんの愛のあるエ□は大好きだ。決して否定しているわけではない。きちんとした努力を積み重ねられて、愛を込めてかかれたエ□は本当に素晴らしいものです。)
案の定、普段はそこまで見てもらえない私の絵も、ほんの少し肌面積が多いから…という理由でワンクッション置いて注意書きをつけるとあら不思議。途端に普段の二倍の反応をもらうことができる。お手軽おバズりアイテムだ。
(ちなみにこの時もらった感想は、「やばー!エ□〜!」とか「たまらんー!」というエ□作品へのテンプレ構文みたいなものばかりだった。そりゃそうだ。だってそこには推しへの愛も絵に対する愛もないんだから。他にコメントしようがないってやつだ。感想くれるだけフォロワーさんは本当に優しいと思う)
これに味をしめた私はちょいちょいR18絵を描く様になった。そしてその場限りの反応が欲しくて投稿した。
そうすると私はエ□もいける口だと思われ、次第にTLでの会話や絵茶、もくりなんかでもそうした話題を振られるようになる。
そしてオタクの良くないノリで時々あげられる、どこまでえぐいエ□話ができるか。ノリ良く話せるか。みたいなエ□チキンレースが始まる。馬鹿か。話を振ってくれた人たちもドン引きしている。何度も言うがそこに推しへの愛なんてない。イキったオタクがいるだけだ。
次第にエ□絵を描いても反応が貰えなくなってきた。
ただでさえ絵の基本のキも出来ていない人間の、ちょっとでも反応が欲しいだけの愛のないエ□絵がずらっと並ぶフォルダ。
醜い。気持ち悪い。
違ったはずだ。○×△にハマったばかりのあの時、2人の幸せな姿を見たくて、描きたくて絵を描き始めたはずだ。下手くそでもいいから、少しずつ描ける表現を増やしていこう。そうしていつか、心から「あー!やっと理想の表情を2人にさせることができたよー!幸せになるんだぞー!」って、推したちと共に喜びたい。祝福したい。そう思って描き始めたんじゃないのか。
もうそこからは本当に恥ずかしくって、推したちをそんな風に描いてしまった自分へ対しての怒りが収まらなくて、フォルダの絵を全部消してアカウントの絵も全部消し去った。
アカウントは、私生活が忙しくなったから。そう一言残し、暫く経ってから消した。
これもまた最悪だなと思う。けれど、あの時の私の気持ちをダラダラとTLに流されてもフォロワーさんも困っただろうと思う。
それから私は○と△の絵が描けなくなった。いくらペンを握っても、いくら描くぞと気合を入れても、かけなかった。
今、私は昔の様にROM専で、色んな方のかかれた、推したちへの愛に溢れた、キラキラと輝いている作品を見させてもらうだけの日々に戻った。
けれど、時々純粋に2人へ対して愛を持って創作していた頃を思い出して寂しくなることもある。
全部自分が浅はかだったせいで、押しに向き合えなくなってしまった私は本当に馬鹿だった。
もし今、創作活動をしていてモヤモヤしている人は、どうぞ原点を振り返り推しへの愛を思い出して欲しい。
(ちなみに私はエ□を否定するつもりも承認欲求を否定するつもりもありません。
上にも書きましたが、愛の込められているものはとても素晴らしいですし、何かを生み出す人にとって承認欲求っていうのは大切な意欲の源だとも思います。
こういうのなんで全部消すんだろうと思うけど 女の恋は上書き保存ってやつなのかな