私は3年以上の間、関西にあるファミリーレストランでアルバイトをしている。だが現在、店は崩壊寸前の状態にある。
1年前までの問題は前店長からのパワハラであった。私たちはご機嫌取りと通常業務の両立を余儀なくされていた。しかし新しい店長に交代したことでその問題は解決された。新店長は人見知りであるのか口数は少なく、パワハラを行うこともなかった。店長のご機嫌取りをしなくて済むようになったのは我々にとってありがたかった。また、新しい店長は学生の仕事について細かいことに口を出さないうえに、料理の提供や食器の洗浄などの業務に黙々と取り組むため、そうした点も我々にとって好ましいものだった。
ところが現在、学生のフラストレーションは限界点に近づいている。
会社の経費削減の方針によって、店は慢性的な人員不足の状況になり、個々の従業員のキャパシティを超える労働が当たり前とされる状態となった。なんとかサービスの質を維持しているものの、今は崩壊寸前の状態にある。
従業員は弱い立場ではあるが、異常な労働量や来年への不安をはじめとした多くの不満、問題点について店長に直談判が行われた。ちなみに声を上げた人物は複数名いるが、全員男性である。
就職によって来年には比較的重い業務を担っている学生アルバイトの約1/3が抜けることになる。このままでは店が崩壊するという危機感を、従業員は共通して抱いていた。その直談判を受けて店長がどう対応したのか、想像できるだろうか。人員削減の程度を減らす?新しいアルバイトを採用する?前者は完全に間違いで、後者は半分正解といっていいかもしれない。
答えは「聞き流す」だ。
私たちが喜び、珍重していた放任主義は事なかれ主義の結果であったのだ。ただそれだけなのである。意見に対する返答は「うん。」「そうだね。」これの繰り返し、まるでbotである。彼の目に映るのは目の前にいる私たち従業員ではない。上部に君臨する本部の社員やお客様のイメージだけである。
暖簾に腕押しとはこのことで、やればやるほどこちらの体力が消耗していく。次第に、自分が何を訴えていたのか、何を期待していたのか分からなくなっていく。完全にどつぼにはまった状態となってしまった。話し合い(といっても一方的な意見陳述の場になった訳だが、)の様子を語る疲弊した学生を前に、私の脳裏には佐野SAの勇気あるストライキのニュースが繰り返し流れていた。
このように面倒ごとの回避だけが異常に上手い店長であるが、我々の直談判はアルバイト採用の変化として表れた。今までほとんどが大学生で構成されていたアルバイトに女子高生が2人入ってきたのである。ここまでなら珍しい、で済むことであったが、さらに1人女子高生が追加されたことによって我々の注意が疑惑に変わっていった。女子高生ばかり採用するのはなんだ?
その理由は店長様直々の「男はもうとらない。」という言葉ですぐに判明した。不満のたまったアルバイトからの突き上げを喰らった店長がした選択は、問題を解決することではなく、自分に反発し攻撃する男性の採用をしないということであった。
確かに女子高生は店長に反発も攻撃もしなかった。だがその代わりとして行われたのが、当日欠勤と無連絡での退職、いわゆるバックレだった。だが私は女子高生を責める気にはなれない。限りある高校生活はこのような朽ち行く墓場で浪費されるものでは決してないのだから。だが店の人員不足と過剰労働という問題そのものは、女子高生アルバイトの割合増加にともなって、悪化しつつある。
店への愛着はもちろんある。長く働いたことで得たことや仲間も多い。この店を選んだ後悔は、少なくとも私の中にはない。私がいつか辞めることがあっても、その後も従業員が入れ替わり、店は続いていくと思っていた。
ゆっくりと、しかし確実に崩壊していくこの店を見守るしかないのだろうか。
(重要ではない部分の削減と多すぎる倒置法の削除)
そういう店長と意外と気の利くパートのおばちゃんとの相性は結構よくて、それで回ってる店は田舎には多い。
こうしてみるとやっぱりネットの盛り盛り嘘松文体って読む上で邪魔でしかないな