http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/07/09/073000
某所でもさんざん言われているけれど、
就職先なんて選んでる余裕はなかった。
とにかく決まればいい、と受けまくった。
最近では珍しくないのかもしれないけど50社くらい面接にいった。
2次、3次とあるから実際の面接数はもっといっぱいかもしれない。
友達も大学の研究とは全然関係ない飲食・小売なんかに決まったのは運がいい方で、
だいたいは非正規だった。
そんな中で自分はそれなりに大手の内定をもらいそこに務めることになった。
三流私大の自分が帰国子女に囲まれているというとんでもない環境に、
驚くとともに舞い上がっていた。自分って実は優秀なんじゃないかと。
やっぱり現実は厳しく、OJTとは名ばかりで研修も無く大雑把な説明もなく仕事を投げられ、
他の優秀な連中はそんな中でもうまくやっていて、活躍しているという話をよく聞いた。
3年もたたずにMBAを取るとか転職先が見つかったとかでどんどんやめていった。
自分はというと、転職する勇気もなくとにかく椅子にしがみつき、
自分がやられたひどい扱いだけは、後輩や取引先にすまいと心に決め、
とにかくなんとかこなしていた。
そうこうしているうちに会社の景気は(リーマンショックも乗り越えられる程度に)上向き、
人も増えて組織も大きくなった。
リスクも考えたが例え短い期間でも給与があがるならばと手をあげた。
意外と管理職は向いていた。
人を使って大きな成果を出すというのが楽しいとは思いもしなかった。
いわゆる360度評価でも、人事考課でもそれなりにいい評価をもらい、
残業をしていると時々動悸がすることがあったが、やすめば何とも無いので気にしなかった。
それなりにいい感じだったが、
上の方のひとたちは本気で最高の施策と信じていたようだけど、
現場のモチベーションを地の底に穴を掘って埋める程度に落とすことに成功した。
さすがに会社の態度にうんざりしたし、残業時間短いはずなのに動悸もするし、
そうすると世の中は意外にも好景気、
我々の世代がちょうど薄くなっており、おまけに自分がやってきた業務経験を求めるような求人がたくさんあった。
給与水準もどこへ行ってもあがりそうだった。
(メガバンクには、年次昇給という何も成果を出さなくても給与が毎年あがる素晴らしい仕組みがあるということも知った)
給与もあがり謎な施策からも開放され、ストレスも軽減されたはずだった。
さすがにこれはおかしいと思い、
診療内科のドアを叩いた。(比喩です、今どき本当に叩くやつがいるのか)
そう、そうなんだ。
自分がリアルに心療内科に行くと決めた時、最初に心配したのは周りの目だった。
おかしくなったと思われないか、仕事から外されるんじゃないか。
だからドアを叩くのにも数週間悩んだし意味なくググったりした。(本当に意味がなかった)
幸いにして、ちょっとだけ自律神経のバランスがくずれているだけだったので、
ちょっと薬飲んで、生活リズムを整えるくらいで何とかなりそうということになった。
(この薬が超効果てきめんで依存症になるんじゃないかと心配になったので医者の言うことをきっちり聞こうと思った)
思い返してみると、自分なりにだいぶ勇気がいる行動を続けてきた気がする。
手当たり次第に面接をうけるとか、帰国子女だらけの職場で働くとか、
管理職になるとか、いい年して初めて転職するとか、心療内科にいくとか。
そんなの大したことないって言える人もいるかもしれないけど、自分ではとっても勇気を出していた。
本当は勇気なんて出さずにそれなりに楽しく過ごせるのが一番。
だけど、ロスジェネ氷河期はちょっとだけ自分の限界を拡張して勇者にならないと生きていけない。
20万の月給を嘆くかもしれないけど、それはその人が勇気を出した結果。