「有」の価値は、判断主体がどういう価値観を持つようになるかも含めて、プラスかマイナスかわからないギャンブル
「無」は価値判断の主体が存在しないからプラスもマイナスもない(ここは論者によって解釈が割れている気がするので、あくまで自分の解釈)
「有→無」(というか死)は判断する主体によって価値がわかれるが、大抵の人は死が怖いのでマイナスになる可能性が高い
各個人で判断して自殺したい人はすればいいが、自殺以外で生の価値をプラスにできそうな方法があれば、不可逆な自殺より先にそちらを試すのが良いのではないか、程度のこと
と、元増田の書き方に合わせて書いたけど
そもそも自分は、出生も死も生の一部であって、無と有の間の状態移行というようには考えていない
無なのは最初から受精さえもしなかった場合のみで、これを「生まれていない子供」と表現するのは無という概念からずれるように思う
議論の都合上、そういう表現をせざるを得ない部分もあるとは思うが
子供をそもそも作らないという選択は、他者の人生の選択を勝手にするという罪の「他者」の部分がそもそも存在しないので、罪としては成立しないと解釈した
その16歳から結婚できるというのがそもそもおかしいと言われてるからなあ。
まああと、「鑑賞者側の年齢」も社会的には考えに入れるべきだと思う。
中高年にとっての17と、18歳にとっての17歳はぜんぜん違う。
はえー用済みじゃ失せろ
ならないよ。それは年の最低値と最高値を比較したら20倍になってるってだけの話だから。
日本でも人種差別が起きていることは事実であり、当然解決すべく努力が必要ではあるけど
なればこそ、日本の人種差別は日本の事情で起きているものであって、
「意識高い系のいう海外における人種差別」とは違う事情が介在しうることを頭に入れた上でやらないと。
現実として起きてる「日本における人種差別」を本当に解決するという立場に立って考えれば、