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2016-01-29

何が先進国若者テロリストへ変えるのか

 20世紀初頭、英国経済学者であるケインズ卿は、主著の中で「考え方ほど強力なものはない」と説いた。つまり、人の行動要因のうち、最も影響力が強いものは、外部的要因よりもその人の内部要因、すなわち考え方だというわけだ。

 ひるがえって現代英国では、中東出身者の2世3世となる若者たちイスラム国(という名のテロリスト集団)へと帰属すべく、混乱を極める中東へと世代を超えた里帰りをしている。こうした若者たち常軌を逸したテロリスト集団に忠誠を誓う要因は何だろう。ある人は欧米社会における中東系への差別が原因であるとし、ある人は貧困が原因であるという。しかし、これはあまりにも皮相的な見方ではないだろうか。どの国にも貧困差別存在する。それにも関わらず、なぜ一部の人々、特に豊かな先進国若者海外の狂信集団への参加を企図するのだろうか。

 ここでケインズ卿の金言を思い出してほしい。何よりも人を駆り立てるのは考え方だ。もちろん、乾燥した砂漠地帯へと向かう若者たちの中には自意識をこじらせ、過激思想に染まった狂信者もいることだろう。だが、その多くは渡航直前まで通常の市民生活を送っていた一般人である(と報道されている)。ということは、通常の市民生活に浸透するごく一般的常識の中にこそ、彼らを破滅的な行動に追い込む何かが潜んでいるとは考えられないだろうか。

 健全若者たちを追い込んだもの近代社会の「一般常識」とは、「人は役に立たなければ生きている価値がない」という考え方だ。このあまり妥当に思える考え方にこそ狂気が秘められている。

 中東渡航した若者の多くは、同国の他の若者と同等の高等教育を受けており、言い換えれば社会的に役立つ(と見なされるべき)存在である。彼らは教育によって社会常識能力を身につけ、社会への参加と貢献を望む(ごく健全な)精神性を身に付けていたはずだ。だが、彼らはその意欲と能力を十分に活かすことが出来ない環境下にある。

 無論、こうした差別貧困けが問題ならば、例えば南米東南アジアスラム民のごとく、それを人生既定路線として別の生き方適応することも出来ただろう。だが、彼らは私たちと同じように近代的な市民としての精神性を埋め込められた「一般人」なのである

 資本主義であれ社会主義であれ、近代社会おいて市民は、「人の役に立たなければ生きている価値はない」と考えられている。言い換えれば、人の役に立つことが人生意味・意義・目的である。それは経済活動本質でもある。だが、英国をはじめとする欧米社会は、中東系の若者たち近代市民としてごく一般的健全希望を満たすことを許さなかった。結果として「人の役に立ちたい」という健全な欲求は、全く不健全狂気の塊とでもいうべき集団への参加・貢献へと姿を変えてしまう。なぜなら、イスラム国はそうした近代市民として望ましい欲求の全てを満たしてくれるからだ。

 あなた人生には意味がある。あなたは人の役に立つことができる。あなた必要とされている。だからこそ、私たちに参加・貢献してほしい。

 こうしたメッセージ実存的な欲求を満たせずに鬱々とした日々を過ごす若者に届き、その心の隙間に棲みついたとき、彼らを押しとどめる要因、すなわち彼らを暴走させない「考え方」を欧米社会提供できていたのだろうか。事実イスラム国はすぐれて近代的な精神性を持つ集団であり、表面的な暴虐性と狂信性を剥ぎ取れば、そこにあるのは英国と全く同様なもう一つの近代社会であり、宗教というフックによって近代市民を惹きつける別種の帰属集団たりえるわけだ。よって、若者たちの豊かな社会から貧しい狂信団への「宗旨替え」という一見奇妙な現象は、単純に欧米社会の失敗と敗北の証左なのである

 ところで、これは私たち日本人にも無縁の問題ではない。むしろ喫緊問題でもある。中東系の若者には(擬制はいえ)神への信仰が残されているようだが、私たちには一体何が残されているというのだろうか。この社会による無言の死刑宣告に抗うため、私たちにはどうふるまう余地があるだろうか。自身社会的価値の欠如を自覚し、世間という名の集団圧力に圧迫され、閉塞し、窒息したとき私たちは静かに(そう、「誰にも迷惑をかけない」ように!)命を棄てる道しか残されていないのだろうか。

 かつての武士階級にとって自死は、名誉を守る行為だ(という共通理解があ)ったが、近代市民たる私たちにとっては疑いなく、何の疑いもなく、言葉通りの犬死でしかないだろう。それとも、これも一つの考え方に過ぎないのか?

2014-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20131213194555

作ってる人のやってみたい事がとても直線的な気がする

「こっちにいってみたい」「ここを調べてみたい」っと感じるような部分を持ってない

昔のは見た夢を再現ようなそんな想像力

例えば、穴が開いていたら、どこに通じるのか自分はいって確かめてみる

テーブルの上に電話が置かれていると、今のゲームではただの装飾品だなとしか感じない

無視してストーリー通りの事をやるだけだけど

昔のゲーム電話がテーブルの上に置かれていたら、まずは調べてみるよね?

今のフリーゲームではこういう部分は強いよね

試してみたい、覗いてみたい、やってみたいでしょ?って部分が殆ど皆無

からやっててつまらない

フィールドを隅々まで歩いてみたいよね?何か変った施設が見つかるかもしれない

今のオープンフリーローミングゲームではそういう感じがしないよね

何でだろう

何かないか?探しもらしは無いか?と探してる感じじゃない

フィールドを進んでいると知らない建物が見えて来るのは2Dも3Dも昔のゲームでは同じように楽しいよね?

3Dでは例えば、結構広めのマップを探索してると思いがけない場所洞窟発見したとか、その中には巨大なたこがいてとか

今って敢えてつまらないように作ってるのかね?

今のゲームでは同じように3Dで進んでいると遺跡みたいなのは出て来るんだけど

淡々とそこにそびえてるだけでだからだって事は無いし、何か特別発見をする訳でも無いし、何かいる訳でも起こる訳でもない

ここでこんな事をしたら遺跡が起動したりとかそういう事は無い

旅行マップと同じでそこに行ったから何だって訳でもない

それとする事が全部テンプレどおりで

宝箱を取る、敵を倒す、って行動を取れるとしたら

ミッションを受けて、洞窟か何かに行ったら、どこに行っても後はそのテンプレどおり敵を倒すなり宝箱をとるなり

して帰って来るだけ

昔のゲームだと、怪しいスイッチを見つけて押してみるとトラップだったり

何かが起動したり

それか、レバーを上げると特定の扉だけが開いて、そうでない扉は閉じて

じゃどうやったら奥まで進めるか

プレイする動機は単純な興味からだったけど

ここをいじるとどうなるのか?ここを調べたら何が分かるのか?どうなるのか?

プレイヤーが何かする事でどういう変化が起きるのか?

で、ゴールとどう関係するのか?

そういう意味白さ

今のは何も無い

ミッションを受けて敵を討伐に行って帰って来て報酬

ミッションを受けて物を取って来て帰ってきて報酬

見たいなパターン

ミッション数珠繋ぎになっていて、何をとれ何をやっつけろと注文を聞いてるだけで

だんだん難易度が上がっていつしかエンディングになる

見たいなパターン

とっちにしろプレイヤーが自らの興味でやってみたい事をやってみて

それで、何か発見するって訳じゃない

何か発見すれば、じゃここは何だろう?ここは?と発展するんだろうけど




今の人の作るゲームってこんな物理現象を再現してる「すごい」とかそこで生活してる人が現実人間と同じように思考する「すごい」とか

そういう部分に目をつけている

でも、探究心をそそるような作り方は一切出来ない

この人は何が好きで、この人は何時にいつもジョギングしてて、とかそういう部分を細部まで作り出すのは上手

マップ的な意味合いで、こっちには城が、こっちには遺跡が、でもだからと言って特にそこにいっても調べても何も無いけど、細かな部分まで再現はしてる

勝手にやって自己満足自己完結して下さいって感じ

でも、このまま、西に行ったら岬の先には洞窟入り口、東に行ったら塔、南には砂漠地帯が広がっている、気になるでしょ?自由に探索してみて?洞窟はここに繋がっていて、塔は何の宝が眠っていて、砂漠地帯はどうで、さらには洞窟に入るには塔で見つけた物が必要だとか

とか、テーブルの上には電話が、これは何だろう?調べてみると何か発見する、では冷蔵庫は何?洗面器は何?シャンプーは何?気になるでしょ?触って調べてみる?

とか、知らない遺跡のようなものを見つけた、何か自分の興味から探索していじっていたら、起動して何か起こった、何が変ったの?他にいじるところは?どういじればいいの?何なの?

とか、そういうのはまるで無い

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