はてなキーワード: 都議選とは
反対派の批判に「ガキが多い」とか「建前と本音をわかってない」とか「建設的な作戦ではない」とか
言う人がはてなーの中で結構な割合でいる。
賛成派の批判に「ネットリテラシーのない奴がリテラシーを説いている」とか「純粋培養するとこういう人間ができあがる」とか言うはてなーも結構いる。
まず、間違いないのは、これに関心ある人間の九割九分は外野であるということ。
ラジオの放送を外から見てるだけの人々。まさかTwitterで自分たちも国政に参加できるようになっただなんて思ってないよね?
そういう人々に対して、同じ外野が「建設的な作戦ではない」とか「建前と本音が」とか「ガキが」とか言う。
そもそも賛成派は反対派の議論に応じるかといえば「NO」なんだよ。
彼らにとっては反対するというだけで連中を「日本人として相応しくない」「品格のない、品位のない蛮族」とみなしているの。
「誰に向かって口を訊いているんだ!」とか、政治的なコネまで使って接触してきた元総理の孫に「マンガ三冊で規制賛成。あなたの書いたマンガおじいちゃんに誇りを持って見せられる?」
などと言っている。彼らはまず前提として「マンガを読むのは蛮族のすること」というポジションを崩さない。
という前提にいるのだから、漫画家の意見は権力問わず「作家崩れの負け組の遠吠え」としかみなさない。
それ以前に都政は「愚民を教育してやる」と上から目線な対応をしているわけ。
親の教育に見切りをつけ、もう都の親は子供をまともに教育できてないから、俺達が教育してやる、というスタンスなわけ。
つまり、間違ってるのは絶対的に反対派だというのが彼らの主張なのだから、話に応じるわけがない。話に応じたとしても、それはネットで見れると思わないほうがいい。
何が言いたいかっていうと、
もう諦めろ。
「表現の自由を毀損してでも守るべきものがある」という最強の盾を主張する連中に、表現の自由などという矛はあまりに脆い。
お前らが選んだ議員、お前らが選んだ知事が、お前のためにやってるんだ。
納得行かないにしても、お前らは渦の中心には「いけない」
無力を実感して、次回は各人が適切な行動をしようね。
外野は投票と、陳情書渡したりとか、デモとかしかできないけどね。
アポとったって、会うとは限らないけどね。
実際建設的ではないと思うよ。ガラスの向こうからなんか言ってるーって程度じゃないかな。
もし、どうしても、どうしても、なんとかしたいというなら、
ガラスの向こうに行きたいから、みんなオラに力を分けてくれ!ってこと。
反対派を支持する都民が多いなら、それなりの票は得られるんじゃない?
いればね。
ちょっと話したいことがあるから会わない?と誘われた先日。頻繁というほどでもないけど、一ヶ月に一度は飲みに集まってる友だちだったので二つ返事でOKした。喫茶店で落ち合い、このところのことなどひとしきり話したところで、「ところであんた、月末何か予定あるの? 実は私、応援してる政党があってね。」と。
出たな学会員!というのが、その瞬間の正直な感想。まさかこの発言から、別の政党がくるとは思ってない(あっても幸福実現党か、共産党だろう)。案の定「公明党なんだけど。」と。その子は以前私がファッキン創価学会!と発言した時に「創価にもいい子いるんだよ、友だちにいるけど。」と言ってたので、グレーなのかなとは思っていた。政教分離の原則をガン無視してるとことか、しつこすぎる勧誘、F票集め(以上二点はこれまでに遭遇したことないけれども)、芸能関係にはびこるお遊戯会状態に反感を抱いているので、私は学会嫌いを公言してはばからない。
この時点では完全に彼女の話を聴く気が失せてしまった。というか、これからこの子とどう付き合っていこうかと考えていた。繊細で、思いやりのあるいい子だ。共通の趣味でよく盛り上がるし、年下の私になついてくるのがとても可愛い子だ。距離を離すか、フェードアウトか、カットアウトか。沈黙とともに態度を決めかねていた私に、彼女は熱心に、公明党がどんなことをこれまでに実現させてきたのかを語った。「こんなことを考えている公明党を、私は応援したい。だからあんたにも、投票してくれとは言わないけれど、偏見やマスコミの報道だとかに惑わされないで、ただ知ってほしいんだ。」と、続ける。ゴリ押しされると思ってた私は、若干拍子抜けした。「考えてみるわ。」と、曖昧な返事をしてしまったチキンな私に、彼女は嬉しそうだった。
それからしばらく、宗教の話をした。私は宗教と神様は、人が幸福になるために人が生み出したものだと思っている。そして神は押しつけられるものではなく、自分で見出すものだ。ので、「布教される」ことに対して私は否定的でいる。もちろん布教活動ってのは、「こんなにも自分を幸せにしてくれたこれに参加してもらうことで、あなたにも幸せになってもらいたい!」っていう純粋な願いが根本にあってのものだ、というのは理解しているけれども。だって私は私であり、あなたはあなたなのだ。私はもう、音楽っていう神様を見つけてしまっている(個人的に、音楽というのはたくさんの神様を抱いた多神教だと思っている)。あなたが学会という信仰を持っていることは否定しない。ただ、そうなんだね、と思うだけ。県民の友だちが先日の都議選で、「都民の友だちに公明党に入れてくれるようお願いして」「何区の人が何人いれてくれた?」とお願いメールを山のように受けてうんざりしていた。もしあんたがそんなふうにゴリ押ししてくるようだったら、友だちを止めようと思った。けれども、考えて欲しいとだけ言うのでびっくりした。考えるだけの私をそのまま認めてくれたので嬉しかった。これからも友だち付き合いを続けていきたい。
というようなことを話した私に、彼女は、あんたが受け入れてくれてよかった。本当は今日、こうして話をするのはとても怖かった、と、言った。日本では信仰を持つというのは、それだけで差別を受けかねない。あんた(私)が、そういう考えを話してくれる人でよかった。私は私、あなたはあなたっていうあんたの姿勢を、私も否定しない。考えてくれる、ただそれだけでいい。
きっと彼女の周りには、第三者視点で見ても善良な活動をしている学会員しかいないのだろう。ネットでよく語られる、狂信的な人々はいないんだろう。だから、柔らかい姿勢のままでいられる。
私の返答は、正直ではなかったかもしれない。卑怯な部分が多分にあったかもしれない。けれどもなんだか彼女と前より少しわかりあえた気がして、嬉しかったのだ。
しかし彼女は、世間的に思われている学会の姿や、彼女が言う「一部の人たち」(私の言う狂信的な人たち)がどれだけの数いるか知っているんだろうか。何故信仰しているんだろうか。音楽業界で働いていたあなたは、学会ネットワークで決まってしまう仕事がたくさんあることについてどう考えているのか。その辺りを避けて会話してしまったのが心残りなので、いつかまた話し合えたらいいと思う。
ニコニコの政治活動ってホント、なんの意味があるのかぜんぜんわからん。
コメントは酷いのばっかだし。
アンケート結果はまったく実勢と一致しないことが都議選で明らかになったし。
だいたい小中学生多すぎるし。
http://chinachips.fc2web.com/argue/090706.html
さて、わたしは様々な事を「考える」ようにしていますが、このように「考えない」方もおられるようですので、代わりに考えなければいけないのかなぁ‥という気もします。 問題は2パラ目にあります。 ドイツのナチスのケースも、ソヴィエトの共産党のケースも、出発点では多数決だったのです。ーーーその多数決で「多数決をやめて、総てあなた方の判断で進めてください」と決めたのが「一党独裁」という結果になったわけです。 古い例を見れば、古代ギリシャで、直接民主制最盛期に、保守派の「キモン」を失脚させて登場した「ペリクレス」の、事実上の独裁を許したのも「民主政体」です。つまり、 この意見がいうところの「多数決原理そのものが否定されかねません」は、無責任な「他人事・評論家風」発言であり、その政局の当事者達の想いとは乖離しているのです。 これは「多数決原理」が正しい、という誤解が土台にあります。 しかし、歴史を見ると、世情が混乱し多数決では纏まらず、「民主政体」では結果的に国が滅ぶケースもあり得るのです。
先日の都議選でもつくづく思ったのだが、どうしてみんなこう、右へならえが大好きというか
勝ち馬に乗りたがるというか、一党をバカ勝ちさせるような投票行動に出てしまうんだろうねえ。というか、よくこんなことが可能だなと、むしろ結束の強さに感心する。
それも60年近く似たような事を続けていて、一向に良くなってないのだから学習能力がというものがない。
上の方も言うように、議会があればいいというもんではない。
こう考えているのは少数派なのかもしれませんが、議会というのは意思決定の場であると同時に(実は)討論のための場でもあって、まともに討論するには各勢力が均衡していることが望ましいのだから(ゲームと同じで、1000対3とかでサッカーとかそんなのゲームと言わん)政権云々ではなく、等しく力を持っている、あるいは等しく無力であるべきであり
一党バカ勝ち戦略はどう考えても頭悪いし、現にあっちこっちにツケが回りまくっているよ。つまり皆さん意思決定の面しか見ていないんでしょうな。
その結果が拙速に次ぐ拙速で、出てきた法律は互いに殺しあってたりでわけがわからんです。
背脂で米炊いてるようなもんですよ。それを60年続けている。老舗の味ですかそうですか。いい加減にしてくれよ。
ねじれ国会とか言われましたが、この時期に少なからぬ膿を搾り出せたことには大いに意義があったし
しょっちゅうバカやらかしているとはいえ、そこそこ良いものを見せてもらったと思うのだがどうだろう。
このままねじれっぱなしでも構わないのだが、別にねじれてあるのにどの政党でなければならないという必要もありませんわな。
というわけで、今必要な調節機能とはむしろ団結しないこと(笑)、乱数的であることだろう、と
従って積極的に負け馬に賭け続ける戦略にも大いに意味があるのである。
(あまりに知性が感ぜられない候補者は勘弁だがのー)
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2008/04/post-003c.html
民主主義的に意思決定する際、最後は「では、多数決で」と決議することが多いと思います。 しかし、多数決そのものは、民主主義ではありません。 私自身は、民主主義とは、異なる立場の意見をお互いに話し合い、理解しあい、相手のよい部分は取り込み、自分のよい部分は相手に認めてもらい、より高いレベルの解決策を見出していくプロセスである、と理解しています。このためには論理的な議論が必要です。 多数決に持ち込まざるを得ない、ということは、このようなプロセスが十分に働かず、より高いレベルの解決策が見出せなかった場合に起こります。
我々はそのレベルに達していないということですねわかります。
現代の日本の政治家は、政党助成金に頼る以外に政治資金を確保できないようになっている。
分派や造反が起きないように、がちがちに締め上げているようである。だが、議員を縛ることは出来ても、国民を縛る事は出来ない。やっても無駄な事をやってしまう前に、誰も止めなかったというあたりに、馬鹿殿と茶坊主が相乗効果で暴走中という内部事情が露呈している。
マニフェストも密室で製作中という話であるが、マニフェストは地域の党員集会から声と個人献金を吸い上げていって、国民全体の支持につなげる道具であるのに、その過程をすっぽかして、いきなり発表してお前らありがたく受け取れというのでは、よほど美味そうに見える餌がついてなければ誰も見向きもしないし、過去に毛鉤で散々騙された有権者は、どんなに美味しそうにみえても、警戒して近づかないという事になるであろう。
政治に対する絶望が、無能が判明した多選者はダメで、万が一を狙って新人に入れ替えるという投票行動に現れたのが、この間の都議選である。
この有権者の投票行動が衆議院選にも現れるとすると、民主党も自民党も、当選回数が多い人ほど落選し、新人と一期目が当確、二期目から三期目は対立候補次第となる。
この基準で立候補予定者を単純にふるいにかけると、民主党の躍進という結果になってしまうのであった。
問題は、多選現職と元職に、木っ端政党という選挙区である。この扱いが難しい。木っ端政党に死票を投じる人は少ないだろうが、過去に失格の烙印を押されて落とされた元職に、落とすべき多選現職という争いは、蝸牛角上の争いというか、不毛な争いにしかならない。
底辺には底辺同士の争いがあると言うが、これほど戦う意義が立候補者の面子だけしかない戦いを避けられないというのは、多選規制が無い為である。
なお、アメリカ大統領選挙と違って、衆議院選挙は何時あるかわからないから、マニフェストを地域集会からフレームアップしていくのは難しいというのは、理屈としては通らない。毎年やれば良いのであって、去年のマニフェストから今年のマニフェストへの変更によって、方針の微調整を行えるようになる。首相が変わる度に、首相に信任されたのだから、方針を変更する権利があるとして、国民不在の転進を重ねて前途不明になるのは、恥ずかしい事である
共産党、都議選で埋没 「蟹工船ブーム」どこへ
総選挙の前哨戦の東京都議選で、共産党が13議席から8議席に後退した。選挙戦では自公両党とともに民主党も批判したが、結果は政権交代を掲げる民主党の一人勝ち。2大政党による政権選択が焦点となる総選挙で、どう存在感を示していくか。選挙対策の再構築を迫られている。
「自公政権への国民の怒りが、我が党の前進という形で実を結んでいない」。共産党の志位委員長は12日夜、民主躍進のあおりで埋没した都議選の結果に無念さをにじませた。「蟹工船ブーム」に象徴される貧困への不満が党員増の背景とみて、党勢回復を狙っていただけに幹部の危機感は強い。
総選挙では小選挙区の候補者擁立を絞り、比例区に重点を置くが、このままでは都議選同様、苦戦は免れない。市田忠義書記局長は13日の記者会見で「2大政党が競い合う比例定数削減、憲法改悪にストップをかけるためにも我が党の役割は大きい」と強調。鳩山代表の献金問題を追及し、民主中心の連立政権とも距離を置く独自路線を堅持する方針だ。
ただ、13日に民主党が衆院に内閣不信任案を提出すると共産党は発議者に参加。通常は避ける審議拒否でも足並みをそろえる。市田氏は「審議拒否ではない。(不信任案提出で)審議できない相手だと通告する」と苦しい説明だ。(本田修一)
そもそも今更「蟹工船」なんぞに飛びつくような層ってそんなに多かったか?つかあいつら選挙行くのか?という話じゃないかなー。
しかし、立証できたものはいないし、逆に謝罪や罪に問われたりしている。
そう疑いたくなる気持ちもわかるけど、2005年の都議選と総選挙の票の出方を見れば、一発でデマだと判るけどな。
俺自身は、バリバリの活動家で役職も当然もらってるし、地方選で候補にひっついて動いてたから内幕もよく知ってたりする。
それでも、組織から住民票移動なんていわれたこともなければ、指示されたというやつも見たことない。
都議選の票が、他の選挙に比べて出てるのは、全国から友人票を掘り起こしてるから。
また、交流とかいって、互いの座談会に出席し合ったりする。
それと、わざわざ重点区で会合をやって、出向かせるようにする。
で、せっかく出向くんだからと、そこの友人宅を訪問して依頼するって感じ。