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2011-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20111224231039

子育て社会化によって国が崩壊したことないけど、旧ソ連は政策を変えざる負えなかった

マンパワーも施設も足りない今の状況で子育て社会化をやって女性社会進出を推し進めても失敗するだけだよ

>実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性社会進出したせいで、社会崩壊なんかしてませんし。

そりゃそうだろ

旧ソ連とは別のアプローチでやったからな

方法も違えば結果も異なるさ

女性社会進出を進めたのは旧ソ連最初で、ほかの国々はそれよりも後だよ)

>保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。

保育所と家庭を往復するだけなんて生ぬるいもんではないよ

旧ソ連でやったことはどちらかというともっと極端で、孤児院や児童養護施設で成人まで育てるというタイプだった

児童養護施設でくぐればわかると思うが、その連中は親の愛情が得られなかったがゆえにさまざまな問題を抱えている

適性のあるもの子育てを任せるということは自然旧ソ連のようなやり方に近づくことを意味するんだが、そんなんで本当にいいのか

http://anond.hatelabo.jp/20111224223351

あのー、旧ソ連崩壊は、別にフェミニズムがどうこうではなく、単純に計画経済が行き詰っただけでは……

実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性社会進出したせいで、社会崩壊なんかしてませんし。

離婚率は上がりますが、これはむしろ両親が喧嘩し続ける不幸な家庭が減ったとみるべきでしょう。

私は離婚率の上昇は、むしろ悪いことではないと考えています

両親がぎすぎすしているのに、無理やり維持されている家庭で育つのは、あまり子供にとっても幸せではないでしょう。

あと、肌の密着は別に父親がやっても他の他人がやってもできる、それでいて重要大切なことでしょう。

大事に抱きかかえて、哺乳瓶からお乳を飲ませるのも、赤ちゃんにとって大切なことです。

何も絶対に母でなければならないという理由はありません。

というか、お乳が上手く出ないせいで、哺乳瓶育ちでまともに育った人がごまんといる中で、何が何でも母乳という圧力は、かえって親にも、ひいては子供にも良い影響を与えないでしょう。

また、何度も書きますが、仕事に向いていて育児に向かない人に無理やり育児だけさせるのを問題視しています

そういう人は職場から受けるストレスより、育児から受けるストレスの方が多いでしょう。

無論父親でも同じですが、それこそ女性でなければならない理由がないからこそ、同じだといえます

重要なのは育児に向いた人が、育児を行うという環境でしょう。

保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。

乳幼児期だけは、専門的に一対一くらいで見られるよう、お金をかけた育児が必要かもしれませんが、それ以降は現在保育所のな形式で充分ですし、現実的に可能かと思います

そもそも昔の貴族も、親が子供を育てることはありえませんでしたが、それでも血筋はちゃんと残せていたわけですし。

ある程度母乳効果などがあるにしても、

結局何が何でも、母親が育てなければ駄目、というのは近年に入って核家族化が進んでから出来た幻想かと。

http://anond.hatelabo.jp/20111224194549

育児ストレスは減っても、職場でその分ストレスを受ければ、トータルとしたストレスの量は変わらない

今よりもはるか社会進出が進んだら、職場でのストレスをぶつける母親なんていうのも出てくるかもしれないね

あと、母乳を与えない分をほかで補えばいいと言っていたが、乳児の時期に必要なのは母親との肌の密着

これが欠けると、望ましい人間に成長しない

働けばその分、乳児と接することのできる時間が短くなるわけだが、そこら辺のところはどうするの?

父親にやらせたところで女性と同じ問題が発生するのは目に見えてるんだが

保母さんや保父さんと乳児の比率を一対一にでもするの?

そんなのどう考えたって無理でしょ

無理なのを無理やり推し進めたって旧ソ連のように失敗するだけだよ

旧ソ連ではフェミニズムに基づき子育て社会化を推し進めた結果、母親とのスキンシップ家族のぬくもりが大幅に薄くなってしまった

その結果、犯罪は増え、離婚は大幅に増加した

2010-10-26

女尊男卑

なんか土日、会社の先輩に誘われて、料理教室に行ってきた。

教室に参加した目的は俺ときていた女子をくっつけること。

ぶっちゃけ、不満破裂するわよ。

向こうは保母さん。俺はまあ、保母なんて仕事だと思ってない。ガキの世話だ。

#なんて心の中でおもっていた訳だ。

まー実際俺はそう思う。

整理しよう。

ひろゆきホリエモン勝間和代鼎談本「そこまでいうか!」で勝間が書いてた。

女は主婦になりたい。なぜか?楽だから。で、600万以上の年収男性を求める。

俺はそう思う。俺も主夫になりたい。なぜか?楽だから。それが無理だった保父がいー。なぜか?楽だからw

だけど、ところがどっこい男に求められるのは、力、働く力、

おーとこのこー死んだ、屋根支えられなくて死んだ。稼いで(家計と)消えて壊れて死んだ
(c:しゃぼんだんじの歌)

去る統計では、女性年収男性年収というが、それどころかセーフティーネットの張られ方も圧倒しているのは女性>>>男性という事実

電車に飛び込むのは男性。そして、死んでも否定されるのが男性

えーと何の話だっけ???

話を戻そう。つまり、俺は振られたわけだ。なぜか振られた。

女(保母)は医者を狙っているらしい。なるほど、楽だもんな。医者とそりゃ結婚したいわ。

俺と同時に行った男性もよいしょよいしょの嵐ですわ。ぶっちゃけ、途中で疲れたわ。

なんでこの子の世話しなあかんのか?と、、

保母を食わせるために働くなんてまっぴらごめんだ。

てか、女ってなんであんな楽なんだ?なんで、あんなおおっぴろげに昼間っぱらから、仕事もせずに育児仕事などをやってキリッって感じなのだ?

 @tomoyaasakura  今後の日本の成長は女性が鍵を握る。ゴールドマン・サックスレポートでは、女性労働力日本で最も活用されていない貴重な財産であり、女性の就業率を男性と同等に高めれば、今のGDPを15%向上できると言う。http://bit.ly/c1Kuqw

女ども働け。なめんな。働け。まずは働け。

そして、俺らの負担を減らせ。

ここまでが公憤。

まーじゃーここまで俺が言うのになぜ、料理教室に行ったのか?

先輩の誘いだから断れなかった(建前)だれでもいい、やりたかったキリッ(本音)

まあ、あれだ向こうの保母さんも先輩の人はいい人だった。しっかりしていた。保母さんという仕事を見直した。

そう、結局は個人なのかもしれない。しかし、たぶんこれはいえる。

女の人生ハードルは低い。

以上。

2010-06-24

保育所って費用対効果が最悪だと思うんだよね・・・

保母保父人件費保母保父を育成する社会的コスト土地建物費用

これが、その事によって働けるようになる世のお母さんが生み出す賃金を超えてるかって言ったら

100%越えてないだろうと

その世のお母さんが稼ぎ出している分を現金で支給して保育所の運営を廃止したほうが国家的に見ると黒字なんじゃないのか?

都心の一等地年間借り上げられる程稼いで無いだろうと

 

保育所女性社会的満足度を上げる以上のサービスではないのではないか?

 

学校教育は金を出せば将来的な人材の質という形でリターンがくるけど

保育所はそういう機能は期待できないし無いし・・・

2008-12-25

教師

 2007年度に病気休職した小中高校などの教職員は前年度比414人増の8069人だったことが25日、文部科学省調査で分かった。うち、精神疾患の休職は62%の4995人で、いずれも過去最多を更新した。

 調査は都道府県政令市の教育委員会対象文科省は「子どもだけでなく、保護者への対応など、教員の忙しさが増していることが背景にある。教員の増員や悩みを相談しあえる環境づくりなど対策を進めたい」としている。

 また、わいせつ行為などによる処分者は164人で、うち免職は94人。被害者は、処分された教員が勤務する学校の児童生徒が42%で、「体に触る」が40件で最も多かった。

 体罰での処分は371人で、学校別は中学校42%、時間帯は授業中29%だった。国旗掲揚時に起立せず、国歌斉唱の拒否などが理由の処分は54人で、東京都では2人が停職になった。部活動費の着服など公費の取り扱いをめぐる処分は76人だった。

 飲酒運転による処分は81人で、いずれも免職もしくは停職の重い処分だった。

 07年度に懲戒処分や訓告などを受けたのは全国で1万7482人と前年の約4倍。道教委が導入した「査定昇給制度」などをめぐり教職組合ストライキ、約1万3600人が処分を受けたことが影響した。

本当に教師ってわりにあわないよ。

なんで教師なんて目指すんだろ。

保母さんとか保父さんになればいいのに。

2007-05-25

四半世紀を振り返ってみる

徹夜の時間潰しに生まれてからの四半世紀を覚えている範囲で振り返ってみました。

一部あんまり意味の無い記述とかありますがあんま突っ込まないでくれれば幸いです。

1981年生まれの25歳。

保育園時代

今考えるとこの時から周り(他の園児)と馴染めず一人遊びが多かった。

卒園式で発表した将来の夢は"タクシーの運転手"

小学校低学年

外で遊ぶ事が多かった。

ただ、同級生らと遊んでる最中に気が付くと置いてけぼり食らって一人だったとか。

何かに気が行くと周りが見えなくなるタイプだったという事か?

小学校中学

この頃から家庭訪問では毎回"やればできる子"と言われる。

それが真実だったかどうかはさておき、特に何もやらずに過ごす。

ファミコンに代表される家庭用ゲーム機が本格的に普及し始めたのもこの頃。

ファミコンを親に激しくせがんだ末に買って貰ったのはメガドライブ

当然の如く、これはファミコンじゃない!と抗議。

母親が腕を骨折。何故か入退院を繰り返すようになる。

父親の実家から祖母がやってくる。

小学生高学年

母親入院が長期化。5年生の一年間を父親の実家がある沖縄で過ごす。

台風シーズンも終わりの頃、祖父母に慌しく連れ出され東京へ。

到着したのは母親葬儀中の葬祭場。

それまで特に何の説明も受けず、こちらからも聞こうとしなかった故に、

あまりの唐突すぎる状況に全くついていけず通夜の晩は普通に就寝。

翌日の告別式でも涙が出ない。火葬場で棺が納められた炉の扉が閉まって、

ようやく思考現実に追いつく。泣く。父親にしがみ付いていた記憶がある。

何度か棺の中を見た記憶はあるのだが死に顔は全く思い出せない。

その後沖縄に戻る。

春になり東京に戻ることになったが、父親の横には見知らぬ女性が。

幼児までいるし。告別式の晩に泊まった、父親の部屋には誰かと一緒に生活

している気配があった為、特に大きなショックも無く。

家族が二人増え新生活スタート

今考えると驚くほど違和感無く打ち解ける。弟の世話もなかなか新鮮な体験だった。

将来の夢は弟の影響で保父(保育士)だったが楽器演奏が壊滅的だったので諦める。

中学生

入学当初がピークで成績は下がりっぱなし。ただ、非行に走ったとかいうわけでもなく

周りが進んでいく中で取り残されただけだった。

集団の中での規律というかルールを守るタイプ人間でもなかったのでいじめられる事も

しばしば。とはいっても極端に酷い状況に追い詰められる事はなかった。

3年生の時、エヴァンゲリオンに遭遇。オタクに目覚める。

文芸部の活動で歌舞伎座に行った時は、東銀座にも関わらず物凄く遠くに来たような気がした。

(生活していたのは練馬区)

高校生

中学時代の担任の薦めもあり、都立工業高校に進学。

この頃から、ようやく世間(外の世界)を意識するように。

最初期メンバーだった事もあり、3年間運動部に所属。

団体で全国大会にも出場する機会があったが結果は惨敗。

成績は下の上。ギリギリ留年せずに卒業

折りしも就職氷河期真っ只中だったが就職内定をもらう。

ただ、将来の夢は無し。周りが就職するっていうから流されて就職

社会人(19??

1年目

業務用印刷機メーカーサポート部隊に配属。

関東を飛び回る。初体験もこの頃。

2年目

部署が変わる。担当の機種というかシステムそのものが変わる。

(印刷機から製版機へ)

名目上、営業部だったので残業代が出ず、給料大幅ダウン。

自分を含めサポート人員が全国で3人しか居ないという状況で出張範囲が

一気に関東から九州まで広がる。でも、営業部だから手当は雀の涙。

3年目

業務内容は変わらず名古屋に転勤。

営業部の人間なのにいつも作業着(笑)

酷いときは一週間で3回大阪出張

MMORPGを憶える。

4年目

大阪に転勤。業務変わらず。

が、そこの所長とウマが合わず転勤後2ヶ月で退職

東京に戻る。NEET生活突入

NEET?生活(22??

1年目

ネトゲやってるか寝てるかの生活。外出は基本的にコンビニ行くときのみ。

バイトも試みるものの長続きせず、この頃は殆ど変化のない生活だった為、あまり記憶に残っていない。

2年目

前半はネトゲ生活。部屋から物が無くなる。(お察し下さい

夏に、会社員時代の同僚からmixiのお誘いがかかる。それほど時間も経たないうちにコミュOFF会

出てみたりするなど生活に変化が。OFF会である人物と仲良くなる。

その頃からネトゲの幻から目が覚める。でも仕事はしたくない・・・したくないというか、やりたい仕事とは

あまりにもかけ離れていた為、やる気が出なかった。

やりたかった仕事というのは、IT系のハードウェアに近いところ。

NEET生活も3年目に挿しかかろうという頃、住所不定に転落の危機。

藁をも掴む思いで前述の人物に相談。「東京じゃなないところで生活する事になるけど行く?」と

聞かれ、即答。今の職場を紹介してもらう。

社会復帰(24??

1年目

職場のエースと自分とのあまりの実力差に価値観というか自尊心がものの見事にぶっ壊される。

多少判るとはいっても結局のところ、自分は初心者に毛が生えた程度だと思い知らされました。

やりたい仕事ってなんだったんだっけ?といった具合に立ち位置を見失う。

この頃からOFF会で出会った人物の事を先生と呼ぶようになる。

2年目

相変わらず彷徨っていた。のだが、なんとなく自分の立ち位置(出来る事)が見えてきたような気が

してくる。同時に、この頃から自分の性格というか志向で思い悩むように。いい加減遊んでいられる

年齢でもなくなって来た焦りもある。気が付けば四半世紀。

3年目(今年

職人にはなれない事をようやく自覚。ただ、自分が社会に対して出来る事が何なのかは未だ不明。

まだまだ当分もがく事になりそうです。

#気が付けば実母との付き合いより養母との付き合いの方が長いのか・・・

#ちなみに4人兄妹(俺妹弟妹)ですが、妹たちのお話はまた別の機会にでも。(あるかどうか判らないけど。

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