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2013-07-13

休み明けにお土産お菓子を配り合うのが鬱なんだが

休み明けに職場旅行お土産とかお菓子を配ったりする慣習がめちゃくちゃ嫌いなんだが。

会社で毎回オレにだけお土産マンジュウやクッキーを配らない派遣の女がいる。

10人の部署に9個のオヤツを用意してるのよ。で、「ごめん1個足りなかったw」とか

数が足りてても、来店したお客さんに「余りあるんで食べて」とか。

これは敵意なのか、構ってアピールなのかどっちだろう。

去年のGW明けまでは「私はいいか増田さんにあげて」って

言ってくれたアシスタントリーダーの30過ぎの女がいたおかげで俺もお菓子食えた。

でもそいつ結婚して辞めやがったから俺は今孤立無援。

未だに子供みたいな事続けてるってことは愛の裏返しで構って欲しいのかもしれない。

2011-08-13

リアルオペラと、少しだけアニメの話

世界一有名なオペラといえば、間違いなくカルメンだろう。

確かに音楽ドラマも素晴らしい。

知名度に恥じないだけのクオリティだと思う。


しかしまさか、あの作品の登場人物みたいなシチュエーションリアルで体験することになろうとは・・・


と言っても俺はエスカミーリョではない。それは別の人だ。

むしろホセ完全に一致?みたいな感じだ。

ルックスも育ちも悪くないのに、コミュ方面がとんでもなくウブだったり、仕事では男ばっかの組織で中堅の末席を汚してる所とかそっくり。

あと、俺もバラを貰ったら萎れてから後生大事に取っておいてドヤ顔する人です

我ながらキモいノリだなあと思うけどシカタナイネ


ただ、出会った女の順番が逆だった。

カルメンミカエラという流れ。


最初カルメンとは、少しばかりの火遊びから程なくして、ものの見事にフラれた。

当時はマジでオペラよろしく「昔は愛し合っていたじゃないか!」と憤ったものだ。

今はもう、そういう真剣さにはあまり意味がないことは分かってるけどね。


そして彼女はあっという間にエスカミーリョ氏とデキ婚してしまった。お幸せに。

以上、元カノの話は終わり。


そんな黒歴史アバンチュール(?)から1年くらい経って、今カノのミカエラを知り合いから紹介された。

ただし青い服ではなく、長いストレートの黒髪がトレードマークだ。

この人とは慎ましいけど落ち着いた関係が続いていて、ゆくゆくは結婚したいと思ってる。

彼女との会話には「恋の駆け引き」みたいなノリは皆無。

結果的に超シャイ彼女をこっちが一方的にリードし、時には「俺について来い」的ポーズを取ることもある感じ。

なので女性情熱的刺激を求める男にとっては退屈でダルい人ということになると思う。

かくいう俺は刺激より安らぎが欲しいので助かってるけどね。

最近は「たぶんこの人となら大丈夫だろう」という、根拠のない信頼感を抱くようになった。

気持ちが燃え上がる代わりに、静かな喜びを味わっているというか。


まあでも先のことは誰にも分からない。

もし万が一、今の彼女とも上手く行かなくなったら、さっさと諦めた上で他の人を探すしかないだろう。

もちろん別れが辛くないと言えば嘘になる。

でも「彼女じゃなきゃダメなんだ」「彼女と絶対一緒になりたい!」みたいな童貞臭い思い入れは、現実の前ではとことん無力なのだ。

あーめんどくせ。


他にオペラネタといえば、さらに昔サロメばりに交際を迫られたこともあったっけ。

とにかく病的なくらい一途で、危ないくらい情熱的で怖かった。昔の彼氏に対してもそんな感じで付き合ってたのだろうか。

こちとら別に預言者でもなんでもないし、いきなり服脱ぎ出すとか、首を刎ねられた上にキスされるとかはなかったけど。


で、本当の所ホセなのかヨカナーンなのかについては、実はどちらでもなく、レイズナーマンジェロということでとうの昔に結論が出ている。

まり誰かと付き合うことでお互いの人生が変わることはあっても、持って生まれた非コミュキモメン変態人間性は微塵も変わらないということですね。当たり前だけど。

あ、別にマンジェロ系男子」や「マンジェロ系増田」を流行らそうみたいな意図はない。

それこそ「ネタが古過ぎて伝わらないモノマネ選手権」の世界だろう。


というわけで、レイズナー別に見ても見なくてもいいから、カルメンだけは絶対に見とけ(あと余裕があればサロメも)と、ここまでの話を要約して締めることにする。

2010-06-05

ナイーブなエコとナイーブな反エコ

切込隊長ブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本人類未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。

なお、私は環境問題専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。

物理のセンスのない「エコ」活動

隊長曰く、

なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。

本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。

これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。

つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。

本来の「エコ」とは何か

では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコン冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。

要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー資源戦略の話であり、マクロ経済都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。

ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。

もう一つ、隊長の書いている

環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネル生産するのにまず二酸化炭素エネルギーロスがかかるっつーの。

はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。

ニューエイジ運動による「エコ」の簒奪

ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動経済成長科学技術物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。

答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教社会運動の産物なのだ。ダーウィン進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウム仏教原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。

少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ運動キモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。

おわりに

鳩山内閣エコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。

しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。

追記

誤植訂正。b:id:yoh596さんご指摘どうも。

2007-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20070609101546

マンマは?マンマ至上主義か?

マンジャーレが楽しみか?

綺麗な女性は礼儀としてちゃんと口説くか?

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