はてなキーワード: ジェームズ・ブラウンとは
書いてることは概ね間違ってないけど、結論は間違ってる。
大衆がシンプルでキャッチーな音楽を求めるという見方は全く間違っていないし、実際にその理屈のもとで大成功を収めたベリー・ゴーディ・Jrという人物がいる。彼はもともとジャズが好きで、ジャズ中心のレコードショップを開いていたのだけれど、売れるのはより音楽的に簡素で演奏技術も高度でないドゥー・ワップやダンス向きのジャンプ・ブルースやロックンロールで、自分が売りたいものが全く売れなかったという苦い経験があり、そこから“リズムが豊かでわかりやすく楽しい音楽を作る会社”であるモータウン・レコードを創設し、ミラクルズ、スプリームス、ジャクソン・ファイヴといったミュージシャンを輩出していったという経歴がある。
音楽理論的に高度であるということが音楽的に優れている、という見方は極めて安直で、音楽理論的に高度な音楽は音楽理論的に高度な音楽なのであって、優れた音楽であることとは直結しない。
アメリカ、及び現代の音楽史を語る上で、アメリカの黒人奴隷(強制労働者)が生み出したブルースは欠かせないけれど、ブルース自体はごく僅かなコード進行からなる、元増田の言葉を借りて言うなら“音楽理論的に低レベルな”音楽だ。けれども、ブルースが持つ音楽的価値というのは極めて大きなもので、黒人がより高度な音楽教育を習得するようになった1950年代以降においてもシンプルなギター演奏だけで音楽を作り続けるレッドベリーやライトニン・ホプキンスといった黒人ブルース・シンガーの評価は続いていたし、更には彼らの直系の影響下にはウディ・ガスリー、ボブ・ディランといったビッグネームがいて、彼らについてはもはや言うまでもない。
それに、理論的高度さを追求する人間はシンプルな音楽を“低レベル”であると見做している、というのも違う。
例えば増田の言う現代音楽の分野で成果を残しているフランク・ザッパのキャリアはドゥー・ワップやリズム&ブルースといったシンプルな黒人音楽の内面化から始まっているし、生涯に渡ってこうした音楽に興味を持ち続けていた。ロックの文脈ではアヴァンギャルド、ノイズ、シューゲイザーの先駆者であるルー・リードもボビー・ルイス、アイズレー・ブラザーズ、ファッツ・ドミノ、フレディ・キングといった50年代の黒人ポップスの愛聴者だったし、日本でも山下達郎のジェームズ・ブラウンはじめ60年代のソウル・ミュージックの愛好ぶりはよく知られているところ。
というように、わざわざ結論を書き直すまでもないけど「音楽理論的に高度な音楽だけが優れた音楽であるというわけではない」ってこと。
>アーティストでも、若いころは電子音バリバリの歌を歌っていたのが、歳を取るにつれアコースティックな静かめの曲ばかり歌うようになったとか
これのわかりやすい例にロッド・ステュアートがいて、彼も年齢を重ねるに連れてビバップ以前、あるいはポップス寄りのジャズ・スタンダード(わかりやすい音楽)を積極的に採り上げてカヴァーしてます
http://b.hatena.ne.jp/articles/201109/5658
ももクロってのがいて、ももクロ・ゼットになって人気を集めてるらしい。
青のかわいい子が辞めても、人気は落ちるどころかウナギのぼり。
なんか、すげーことになってきてる気がする。
だけど、これって純粋に「あの世界」が好きな人にとっては複雑なんじゃね?
意味わかる人だけわかればいい。
ももクロ気持ち悪ぃ。うげー。表に出てくんなって輩が増えればいい。
それが俺の意見。
だから今年の12月25日、さいたまスーパーアリーナも埋まらなきゃ良いなって思ってる。
「盛大にやったけどお客さんはいつもの連中しか来ませんでした」っていうオチに
なって欲しいと思うわけ。
ももクロの大衆化は陳腐化だって、PFドラッガーなら言うんじゃないのか?
ともかく、まあ、アレだ。
あんなのロクなもんじゃねーし、AKBの方がずっと気持ち良いから。
まあ、俺にはその理由、わかるけど。
結局、ももクロ嫌いな奴も、好きな奴も、みんな屑なんだよ。
俺もお前も、ももクロも。
ジェームズ・ブラウンがあの世で泣いてらぁ。
ソロでいきなりジェームズ・ブラウンに目覚めたんだろう。教えて増田の偉い人たち。