はてなキーワード: ゴスとは
今日は僕が書いたキチガイみたいな増田☆記事をまとめてみたよ!☆が入るとなんだかスタイリッシュだよね!
古いのからいくよ!
なんでこんなの書いたかよくわかんないけど内容も意味不明だよ!
意味が分かんないよ!なんだか自分の心の闇を感じてしまうよ!
読む価値ないよ!
もしかして自分って病気なんじゃないのかな!おもに頭の!
もうなんだか頭がやばいよね!僕はもうダメ人間だよね!
もし他人が書いたらこいつ頭くるってんじゃね?と思うけど問題なのは書いたのが僕なんだよね!
これはlevel1だね!
なんで書いたかよくわかんなけどたぶん自分の中での理由付けがあったんじゃないかな?
これはお酒を飲まない僕だからこそたどりついた境地だと思うよ!
語呂がいいよね!
Level2だよ!
もうさ、僕はダメ人間だよね!
もう、コメントしようがないよね!
人は匿名だとありえない人間性を発揮するよ!こんな人間でも大学で首席候補なんだから人生を悲観するのはよくないよ!
どうにかなるさ!人生どうにかなるさ!たぶん、どうにかなるさ!
ゴスペラーズ/ひとり(http://jp.youtube.com/watch?v=ThaBFTvLTqo)
とりあえず,「あー,これね,これは知ってる」という反応が欲しかった。
ゴスのすごいとこは,いわゆるコンテンポラリー・アカペラの文脈
に囚われず,実はアカペラの最大の武器であるハーモニーとリードで勝負してるところ。
黒沢,村上という2大リードを擁していたことが最大の勝因なんだろう。
平井堅/キミはともだち(http://jp.youtube.com/watch?v=r0RczBpFZhE)
さらに邦楽。
「あー,そうか,これもか」という反応が欲しかった。
この曲を聴いたとき,俺はアカペラ界という言葉を日常的に使っていたことを猛烈に恥じた。
つまり,アカペラでやるということが目的になってしまっていたわけだ。
本来,アカペラは手段に過ぎない。そのことをこの曲が思い出させてくれた。
とかまあそういう小理屈はともかく,平井堅だし食いつくだろ,多分。
Boyz 2 Men/Thank You(http://jp.youtube.com/watch?v=PnbdCzXtb6o)
実はこの記事を書こうと思ったとき,まっさきにこの曲が浮かんだ。
とにかく,アカペラという音楽形態をフルに活用した名曲だと思う。
ブラックだし喜ぶ子は喜ぶだろ,多分。
オタ的には,パーカスの音質と,2番に入ったときのコーラスの変化が最高。
The Real Group/It don't mean a thing(http://jp.youtube.com/watch?v=6jGhBvlxvFo)
アカペラで世界最高峰と言われるグループがこのreal groupと,このあと出てくるtake6。
realは初期のジャズカバーと,最近よくやるポップなオリジナル曲で評価が分かれるところだが,
とりあえずどこに出しても恥ずかしくないと思われるこのジャズカバーを。
スピード感が半端じゃない。やってみれば分かる。
Take6/I've got life(http://jp.youtube.com/watch?v=mUBrPak8S6s)
で,take6。個人的には,realがたまにアカペラゆえのしょぼさを露呈するのに対し,
初心者はなんかクラシックを聞いてるような退屈感を感じるらしいんだな。
だからまあ,とりあえず個人的に好きな曲を選んだ。
なんかすごいことやってんなぐらいに思ってくれればいい。
Rockapella/Long Cool Woman in a Black Dress(http://jp.youtube.com/watch?v=UJfLf5QgTVs)
本当はLand of a Thousand Dances(ダンス天国)という曲を紹介したくて,
rockapellaだけじゃなくてハモネプでやってたrag fairバージョンまで探したんだがなかったのでこちらを。
さっき2大アカペラバンドとしてreal groupとtake6を紹介したわけだが,
中にはこのrockapellaを入れて世界3大アカペラバンドとみなす人もいるだろう。
活動も長くて,キャッチーな曲が多く,初心者の入門用バンドとしてはうってつけ。
Billy Joel/For The Longest Time(http://jp.youtube.com/watch?v=X8qLSpJGgUM)
この曲は彼女さんもなんとなく聴いたことあるんじゃないかな。
音質悪いがなんとなく雰囲気は伝わるだろ。
realとtake6がアカペラのすごさを伝えるバンドだとしたら,
billy joelのこの曲はアカペラの楽しさを表現してると思う。
Bobby McFerrin/Don't Worry, Be Happy(http://jp.youtube.com/watch?v=yjnvSQuv-H4)
そう,この曲も実はアカペラなんだよ。
bobby macferrinって人は「声の魔術師」なんて呼ばれた人で,
real groupにも影響を与えたと言われている。というか本人たちが言ってる。
1人アカペラという,1人っきりのパフォーマンスも結構やってるので,
興味があったら聞いてみて欲しい。
ハモネプ(シンクロシンプトンズ)/My Winding Road(http://jp.youtube.com/watch?v=WvcN6JYNG8I)
ハモネプ(バカ安)/宇宙戦艦ヤマト(http://jp.youtube.com/watch?v=5IjWcb_P7JM)
youtube縛りにしたら曲数があまったのでハモネプから2曲。
まあハモネプから入るというのもいい手だろう。気持ちが伝わりやすいし。
ちなみに,youtubeになかったバンドで俺が出来たら紹介したかったのは,
m-pact,vox-one,vox-p,try-tone,rag fairといったあたり。
全くないというわけではないので興味があったら検索してみてくれ。
dankogai の論旨にも突っ込みどころが多いのだけれど、
ゲームに強くなるには様々な方法がある
そのものを変えてしまうことだ。
わかりやすく言うと
欧米人は、負けるとどうしてルールそのものを変えちゃうんですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212860312
こんな感じ。
ゲイツやジョブズは技術進化といった正攻法だけで金持ちになったわけではない。
オタク系のネタではあるが、「トップをねらえ」で最速の推進機関はアルゴリズム航法といって
日本の大企業のルールは番場蛮でもそう簡単に変えられるものではない、
それは、jkondo も含めてだ。
dankogai の論旨についての疑問点は改めて書く。
わたしはそんなブサイクではないし、ブスでもなかったが、イケメンでもなく、ゆるふわ愛されギャルでもなかった。
「こんなエントリを書くお前のことだから、どうせブサイク専かブス専なんだろ」
とか言うアナタもいることだと思うが、やはりわたしは玉木宏を愛し、田代さやかのおっぱいを揉み、それを田代さやかに罵倒されたいと常々思うほどの普通の人間なのであった。
とある知人の女性に、私が「恋愛とか結婚とかもう第二次性徴期が始まる前に自然と諦めてたお」と思っている事を見抜かれ、説教されてしまった。諦めちゃダメ!せっかく女性に生まれてきたんだから恋を楽しまないと。子供だって産みたいでしょ?いい男性を探さないと!と背中を叩かれた。うーん。別に「私の劣悪な遺伝子を残したくない」とかいうわけじゃないが、特に子供産みたくないし、恋愛も、とくにしたくないのだがなぁ。これを言うと「全ての男性がそうではない、そんな事言うな」と言われちゃいそうだが、正直男性に何の希望も抱いていないのである……まともな男性というのが存在するのなら、これは誠に失礼な物言いなのだが……如何せん私が会ってきた男性というのは上のような人たちばかりなために、いくら人から「そうじゃない人もいるよ!ポロリもあるよ!」と言われても、「でもどうせ君達に優しいその男性たちも、私を見ると「ブースw」ってなるんちゃうかねぇ…」としか思えないのだ。知人の女性は「どうしてそんな哀れな思考しかできないの」と言う。まあ確かにそうなんだろうけどね。困ったね。はぁ。
この方は、自らがブスであることを悲観している。
しかし、それは決して真実ではなく、性欲と言う観点からすればたしかにブスであったりブサイクであったりすることは悲しいことであるが
やはり、恋愛という観点からはそれは決して致命的と言うほどではないのであった。
致命的、についての反証をひとつだけ述べたいと思い、わたしはここに筆をとった。
ようは、いま、わたしの愛するひとはブスなのである。
いや、愛しているのかは定かではないが、親愛の情という観点からは、以前わたしが愛したひとたちよりも深い、と言って相違ない。
外見上では、彼女はさまざまな点で、以前わたしの愛したひとたちに比べ劣っている。
初めて愛した女性ほどセクシーでロリータフェイスなわけでもないし、殆どの女性に比べて体形は大慶ともいえるほどの大形なのである。
おっぱいはおおきいが、やはりそれは腰の太さと関連するものであるらしい。それも、以前付き合っていた女と比べれば雲泥の差であった。
また、彼女はゴシックロリータな服装を愛する。はっきり言って、似合っていない。それ以前にわたしにゴス趣味はない。
だが、私は彼女のことが好きなのである。
なぜ、彼女が好きなのか?
至極単純な理由である。彼女の論理と直観力にわたしは惚れたのだ。
彼女は決して、一般に言われているように論理的なわけではない。
だが、彼女なりの、直感に裏づけされた、レトリック的――もとい、文藝的な論理が、非常に快い。
純粋の理系学問組合の徒弟であったわたしの論理と、一見はかみ合わないように見えるが、彼女の直観力は非常に優れており、常に私を理解し、同意し、ときに叱咤する。
また、音楽の趣味、という点でも彼女と私は一致をみるところがあった。
決して、それは単一のカテゴリにだけとどまるものではなく、
様々なカテゴリの中から、自分の気に入るものを探そうとする姿勢、そして、探しているものがなければ、自分で作ろうとする姿勢も私と一致した。
わたしは、彼女にしてあげられることはたくさんあったし、彼女がわたしにしてくれたこともたくさんあった。
彼女は、今までのわたしの、わたし自身に釣り合わぬほどの美しさとセクシーさを備えた彼女達よりも、ずっと、直截にわたしを見てくれた。
わたしもできれば同様でありたいと思っているし(そのために本人に向かってブスといったこともままある)、その視線は何よりもわたしを癒してくれるものであったから、
できるかぎり彼女自身を直截に愛したいと思っている。
ここで、これ以上わたしは自分の恋愛私小説を語ることはしない。
そこには、いくつもの物語があったし、いくつもの困難はあったが、わたしたちの愛情が途絶えることはなかった。
それだけを述べて、違う話に移ろうと思う。
だが、これだけは覚えておいて欲しい。
自分がブサイクorブスだということで、決して、悲観してはいけないということと、
稀に、あなたの中のあなた自身を愛したいと(決してわたしがそうだとは思わないし言うつもりもないが)思う人間も存在するのだということを。
そして、あなたには十分に愛される価値が、あなたがあなた自身であり、回りの他人を真摯に見ようとする態度をとっている以上、
幾度誰に笑われても、何度誰が笑おうとも、あなたに愛情を抱く異性は、現れることがあるのだ、ということである。
わたしが子供のころに通っていた英会話学校の講師に、およそ100kgはあろうかという巨漢のカナダ人の女先生がいた。
彼女は、ほんとうに太っていて、指はまるまるとして、肌は炊きたてのごはんつぶのようにつやつやとして、
それは、彼女の優しい声のせいもあったと思うが、彼女の立ち居振る舞いがとても美しく、
また、誰に対しても彼女が心から表現する思いやりと優しさが、ほんとうに深すぎたためであった。
わたしたち生徒も彼女が好きで、彼女の授業を奪い合ったし、先生にも、あとで聞いたところによると、告白したりして断られた人が多かったらしい。
彼女は、今、ネパール人の男性と、恋愛結婚をして、とてもとても幸せそうに、わたしの町を歩いている姿を見かける。
男性はとても真摯な人だったし、彼女をほんとうに愛して、気遣っているオーラが出ていて、見るたびに幸せになる。
なにも、ブス専やブサイク専が存在するからそれを狙えという話が言いたかったのではない。
ブスであっても、ブサイクであっても、それを凌駕するだけの魅力(決して特別なスキルが必要だったわけではない)をもち、
それでたくさんの異性を惹きつけて来たひとたちが存在するのだ、ということが言いたかったのである。
……また、言いたかったことはもうひとつある。
玉木宏のヴォイスは素晴らしく中性的で、田代さやかのおっぱいは唯一神である、ということだ。
また、語弊があるといけないので、記そうと思うが、田代さやか自身も神である。
余り誰もが気にかけないが、彼女の負けん気の強さはほんとうに至高である。
その神の谷間から、あなたたちの心の中に、異性を惹き付ける新しい玉木宏が生まれんことを祈って、私はここにキーボードを置く。ガシャン。
via Twitterオタが非オタの彼女にTwitter世界を軽く紹介するための10ユーザ
まあ、どのくらいの数のプログラミング言語オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないプログラミング言語の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、プログラミング言語のことを紹介するために
習得させるべき10言語を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にプログラミングを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、アーキテクチャに過度に依存するアセンブラ等の低級言語は避けたい。
あと、いくら基礎といってもBrainf*ckやUnlambdaのような難しすぎるものは避けたい。
ポール・グラハムが『Arc』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ロジカル度が高く、頭はけっこう良い
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Java以前」を濃縮しきっていて、「Java以後」を決定づけたという点では
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な言語について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなプログラミング言語(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「プログラミング言語オタとしてはこの二つは“教育用言語”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の言語オタが持ってるラムダ計算への憧憬と、ACM監修の関数型言語的純粋さへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも参照透過な
の二要素をはじめとして、オタ好きのする要素を言語にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「Emacsだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがポール・グラハムの間では大人気になったこと、
ポールグラハムがウェブサービスの構築に使って、それがいろんなウェブサービス開発者にも影響しててもおかしくはなさそうなのに、
実際のウェブサービスでこういうのが使われないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりプログラミングはバッチ処理のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「awk」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この言語にかけるラリーとdankogaiの思いが好きだから。
断腸の思いで延ばしに延ばしてそれでも2008年、っていうPerl 6のリリース予定日が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
そのリリースというイベントへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
Perlのリリース延期を無駄だとは思わないし、拙速なリリースは無茶だろうとは思うけれど、一方でこれが
GuidoやMatzだったらきっちり予定通りリリースしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけてリリースを延期してしまう、というあたり、どうしても
「自分の言語を形作ってきた哲学(TMTOWTDI)が捨てられないオタク」としては、たとえラリーがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。言語自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でPostscriptを直で書いたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
PDFよりも前の段階で、DTPの哲学とか印刷技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのプログラミング言語がエディタで書かれてたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくプログラミング言語好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるJava VMでしかスタック型言語を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
PHPの「HTMLに埋め込み可能な点」あるいは「RDBMSとの接続性」をオタとして教えたい、というお節介焼きから教える、ということではなくて。
「HTMLのテンプレートエンジンを作り続ける」的な感覚が言語オタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアメリカ版『Yahoo!』の開発言語はPHP以外ではあり得なかったとも思う。
「MとVとCを分離なんてできない」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はPHPにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう述語論理風味の計算をこういうかたちで言語化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にC++を選んだ。
Javaから始まってC++で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、テンプレート以降のメタプログラミング時代
の先駆けとなった言語でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい言語がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
おお!凄くよく分かる!
そんなiPhoneもちのおっさんなオイラ。
でも、一つだけ教えておくれ。
一方、子供の頃からガラパゴスケータイに馴染んでいる若い人たち(ガラパゴスネイティブw)は、ガラパゴスケータイありきのライフスタイル、コミュニケーションスタイルを確立してしまっている。
これって、どんなライフスタイル?
あ、あとワンセグ?
機能じゃなくライフスタイルっていうからには、なにかあるの?
それとも「そんな機能を使いこなす」っていうだけのライフスタイル?
もうみんなわかってる事だと思うけど、自分の頭の整理のために書くよ。
iPhoneに熱狂してるのって、ほとんどが30代以上のおじさんだよね。PCやガジェットが大好き。「それで何が便利になるの?」とかはどうでもよくて、その「モノ」や「機能」自体に喜びを感じる人たち。
そういう人たちは、PCとは全く別の文脈から出てきたガラパゴスケータイに馴染めなかった。今まで情報機器っていうのはPCをベースに発展してきたはずなのに、ガラパゴスケータイは全くの突然変異種だったから。PDAとかスマートフォンとかは、ガジェット大好きおじさんたちのガラパゴスケータイに対するわかりやすい抵抗だ。
おじさんたちはガラパゴスケータイに馴染んでなかったから、iPhoneでおサイフケータイが使えなくても、顔文字が使えなくても、全然気にならない。曰く、「今までのケータイと比べるなんてナンセンス」。
一方、子供の頃からガラパゴスケータイに馴染んでいる若い人たち(ガラパゴスネイティブw)は、ガラパゴスケータイありきのライフスタイル、コミュニケーションスタイルを確立してしまっている。おサイフケータイが使えないって事は、コンビニに行くのにわざわざ財布を持っていかないと行けないっていうこと。絵文字が使えないって事は、まともなコミュニケーションが取れないってこと。
それが「ガラパゴスだ!」って言われても、困るよね。ガラパゴスの動物は、他とは違うかもしれないけど、でもガラパゴスの環境に適応するためにそうなっちゃったんだから。
殆どの庶民にはダブルホルダーっていうのが現実的な選択肢じゃない以上、ガラパゴスネイティブにiPhoneが論外なのも、当然だよなあ。
iPhone信者のおじさんたちがあんなに熱狂してるのは、それが「PC&ガジェット大好きおじさんたちにとってわかりやすい」コンセプトだから。それは、Applの意識的なマーケティング戦略なんじゃないかと思う(根拠ゼロw)。
もちろん、どっちがいいとか悪いとか、レベルが高い低いなんてのは無いよ。デコメ大好きな若者も、意味無くリュックにPCとiPhoneとEMONSTERを入れて持ち歩いてるおじさんも、みんな自分の好きなケータイで遊べばいいんじゃないかな。
だから、「iPhoneの魅力を理解できないのは老害」とか言ったりするおじさんは本当に見苦しいので、やめた方がいいと思う。
安っぽい中国製電気ケトルみたいなデザインの「iPhone」を叶姉妹が欲しがるはずがない。
叶姉妹が今まで慣れ親しんできた入力方法とは全く異なるインターフェイスであることが致命的。黒船「iPhone」がガラパゴスJAPANを駆逐するなど戯言であることが伺える。「iPhone」は南蛮渡来の鉄砲ではないのだ。
あのプロダクトの平面が胸に支えるのが問題なのではない。叶美香はともかく、叶恭子は男性のエスコートに慣れているせいで、自らApp Storeからアプリをダウンロードするプロセスに我慢ならないと考えられる。
さてiPhoneという「革命的」「モンスターデバイス」が現れたおかげで、久々にフルーツ信者とそうでない人の間に横たわる深くて暗い断層が顕在化したわけです。
わたくしも、iPhoneのデザインはおもしろいね、とは思う。ボタンのほうがぜったい使いやすいのに、タッチパネルにこだわって指紋を増やさせるあたり、いかにもジョブズ期のアップルらしい思い切りだよね、これまでのユーザ経験の蓄積なんてなにも考えてないよね、という。まあ、そういう創造的破壊も誰かがやらねばならぬのでしょう。一方、肝心の機能は…今となっては普通かな。インフラが同じなんだから当然か。信者もiPhoneには「ダントツにスゴイ!みたいなものはない」と認めている。もたないバッテリーとか、バカ高い修理費とかいうバッシングもあるけれど、これはマックでもiPodでも繰り返されてきた、もはやアップルさまの伝統芸でしょう。今さらそのあたりを叩くのも筋違いかなー、と思う。わたくしもBang&Olfsenのコンポにいまさら「高い!デザインが変!」なんてことは言わないし。
しかし世の中「おもしろガジェット」という評では満足せず、歴史的事件と喧伝する驚き男がいる(この表現はほんと秀逸だわー、さすがid:matakimitka)。ユカタンは「欲しくないと言えない」と困っているが、わたくしとしては卒直に、そんなにすごいか?と言いたい。「開発者」に限定する、という譲歩があっても疑問だ。アップルという一企業の、一プロダクトの、一バージョンでしかないiPhone 3Gが民主的なプラットフォームか?「端末の種類が基本的に1種類」って今だけの話じゃないの?次のバージョンでは画面解像度が変わって、APIが変わって、開発者を混乱に陥れるんじゃないの?これまで、アップルが突然の方針変更でどれだけの開発者を混乱させてきたか、記憶にないのか?(PowerPCのとき、OS Xのとき、Intel Macのとき…もしアップルが首尾一貫した開発ポリシーの企業なら、なぜマックの商用アプリケーションはいつまでも貧弱なままなのだろう)
まあ、過去のことはいい。わたくしは未来についてiPhoneユーザ、特にiPhoneは歴史的事件だと言い張るユーザに以下の質問を問いたい。みんながこの質問に返事をしてくれれば、断層はますますハッキリするんじゃないかなーと思う。
素敵でお洒落なiPhoneであることは分かったよ。すばらしいビジネスモデルによるパラダイムシフトかもしれないよ。それはそれとして、iPhoneってツールでしょ?なにができるようになるわけ?お財布やらワンセグやらを諦めたかわりに、ユーザは実質的にどのような幸せを得られるの?Pongができること?YouTubeが簡単に見られること?
二年縛りが携帯電話契約のスタンダードになってから、大半の人は「現行機種は二年後も使えるだろうか」と悩みながら購入を検討しているわけだ。iPhoneはどうなの?二年間もあのソフトウェアキーボードを使い続けるの?そういえば去年の今頃、2Gを買った人は3Gをどう思ってるんだろう。来年にさらに革命的な新機種が出ることはないのかな?iPodみたいに毎年買い替えなきゃ駄目?わたくし、そんな金ないよ。
わたくしが一番不満なのは、iPhoneユーザの多くが、日本の携帯電話業界、これまでの機種をバカにしていることだ。なんで?本当にイノベーティブだったら、過去のプロダクトをわざわざ叩く必要ないじゃん。そりゃあ日本は世界で見ればガラパゴスかもしれないけど、そういう市場環境があったわけで、仕方ないじゃん。これまでの携帯電話はなにが駄目だったの?ワンセグを採用したのが駄目だった?iモードが駄目だった?マルチタッチスクリーンを採用しないのが駄目だった?
買えたお( ^ω^)
でも、手続きで30分かかった…orz
MySoftbankで変更するんだけど、現在、iPhoneからしか接続できない。
あの長ったらしいIDとPasswordをいきなりタッチパネルから入力させられる初心者涙目w
Passwordを携帯などで入力するとき、正しく入力できているか、運に頼るしかないんだけど、このiPhoneのSafariは入力直後は一番最後の文字だけ「●」で消えてない!だから入力していて目で確認できるから安心!すげー。この機能はいいね。
機械的に割り振られたアカウントは14文字とか恐ろしい長さのアドレスだったけど、発売当日の今日は3文字のアドレスでもゲットできた。ラッキー。
マナーモードでも消えない!日本仕様?とりあえず、ガラパゴスの呪縛はこんなところにも。
すげぇ、普通に使える。
やっぱりどこでもgmail最高!
gmailのContactsを指定したら、ネットワーク越しに取ってきやがった。びっくりしてちょっとちびった。
もうgmailの連絡先ですべて管理してしまおうかなー。移行する手間考えたら…。
早くFirefoxにも対応しなさいよー。
Windows版だけかな?
30日でサーバから消えるから、大事なメールは自分でローカルのアドレスに転送しるって注意書きにあった。
ちなみにまだ自動転送の項目を見つけられていない。手動なんて死にそうorz
こんなところかな。
眠いのでまた後で追加します。
なぜお台場ジョイポリスのようなアミューズメントに来たことが大変久しぶりなのかというと、僕はいろんなアトラクションを体験しても「楽しい」と思うことができないから。だから、義務教育期間中の遠足・修学旅行ような半強制的なものじゃないとアミューズメントに行くことなんてなかったのだ。
周りの「○○○がしたい」「○○○が欲しい」という意欲的な様が、自分とは全然違ってものすごく健全に見えて、僕にはどうしたって真似できない、敵わないなぁと思っていて、ずっと一人ぼっちだった。僕には意欲が湧き起こることがなかった(特に外に向かっては。自分へ向かう内に内に対しては若干の欲求はあった。我儘だから、自己中だから、自分のことしか関心が持てないから)。
小説や映画で、僕はとにかく幸福で暖かい物語を好む。人と人との繋がりが織りなす暖かいストーリーばかりを追い求めてきた。それは理想だから。僕は非常に孤独だという現実からは目を背けて、そうやって理想の世界に浸っていた。
僕は結果のみを求めてしまう。途中過程の努力は、全くしてこなかった。できなかったというか。健全で眩しい、自分以外の皆と連れ合うことはものすごく難儀なこと。だから僕は一歩も踏み出せず、理想だけを嗜み、現実では何一つ成長しないまま時を過ごしてしまった。
ガラパゴス化して過ごした大学時代。23歳になって、社会人になって、心が悲鳴を上げだした。そうしてあまりにも幼いままで成長停止した自分に気がついた。どうしようかな。相変わらず僕以外の周りは、燦々と輝いて見えるんだ。
恐怖心。それを克服するにはどうしたらいい?意欲が湧かない自分という人間は、どうやって眩しく輝く周りのようになればいい?
asahi.com(朝日新聞社):「書き込み、誰も見てくれない」 加藤容疑者、孤立供述 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0612/TKY200806110311.html
「究極交流掲示板がフィードを吐いていれば事件は未然に防げた。技術者は猛省して欲しい。」
http://twitter.com/bulkneets/statuses/830218619
まさにその通りだったようだ。
今回の件もそうだし、「学校裏サイト」なんかもそうだけど、
こういったThe Internetから切り離された世界というのが、
いろいろな物を溜め込む場になっているように思えて仕方ない。
政府は、こういう切り離された世界こそ、規制すべきではないだろうか。
開かれた世界なら、そこには自浄作用が働きやすい。
自浄作用が強すぎる場合も多いが、それに対してもまた自浄作用が働くだろう。
また、今の日本のケータイ世界におけるガラパゴス化も解消できるかもしれない。
ケータイ向けに、軽量なサイトを用意することはまったく問題ないと思うが、
(暴論なので増田で書いてみた)
格差社会だなんだとかまびすしい一年だったが、経済的側面ではなくエロの側面からも考えてみよう。
ここで言うエロとは、風俗、すなわちソープやカップル喫茶、ピンサロなどではなく、ネット、雑誌、DVD、最近あまりないのかもしれないがエロビデオなどのこととする。
風俗は、おそらく利用者間の格差が生じづらい。アクセスするために物理的に店舗に行くなどが必要で、かつそれなりにお金を払う必要があるためだ。つまり、物理的エロに関してはお金を払って店舗に赴く限りにおいて利用者は平等にアクセスが可能だ。
対照的なのは、ネットでのエロだ。ネットにアクセスできるかどうかでまず格差があるし、さらにエロにアクセスできるかどうかにも格差がある。さらにネットでのエロへのアクセスにお金を払うかどうか、という格差が生じている。
有料サイトもたくさんあるが、品質は玉石混淆も甚だしいし、一ヶ月日本円で5000円程度かかる。一方で、無料というか違法性は無視して見れば、無料のアクセス手段を知っていればエロにかかるコストはインフラにかかるコストを除けば限りなくゼロに近づく。
ネットでのエロへのアクセスができる人間の間での格差はたいしたことはないだろう。有料でも無料でも、アクセス可能なコンテンツと言う観点だと共通のものが多い。
格差が大きいのは、ネットでのエロへのアクセス手段がある人間と、雑誌や、レンタルDVDなどの手段しかエロへのアクセス手段がない人間の間だ。
ネットでのエロへのアクセス手段を持っている場合、質だけでなく量に関しても圧倒的に雑誌エロ派(派と言うには自発的に選ぶわけではないかもしれないので不適切か)よりも多くのエロにアクセスしていることは言える。
量に関しては自身の選択によるものが大きいであろうが、レンタルDVDで1週間に10本借りる人はまれだろうが、ネットエロ派は1週間に10本しか目を通さない人は逆にまれだろう。
ネットエロ派に起きているのは、いわばエロインフレとも言うべき状況だ。
電車広告なんかと見ているとよく思うが、ネットエロ派の大多数は「ほしのあきの谷間」だとか、「お天気お姉さんの純白パンチラ」なんかには「圏外」なこと甚だしいだろう。「現役スチュワーデスヌード」とかもしかりで、ピクリともしないだろう。
ここで注目したいのは、こういった雑誌、週刊誌のコンテンツで「興奮できる」という需要があることで、「そんなものでおかずになるのか」というようなものが需要があることで見えてくる格差だ。
ネットでのエロへのアクセスが可能な人たちは、無修正のエロ動画やエロ画像なんて見飽きているだろうし、おっぱいが見えているぐらいではなんとも思わないぐらいにエロ感度が下がっているだろう。新宿や吉野町を歩いているときに風俗の看板を見ても、なんとも思わないのではないだろうか。その程度の露出では彼らのエロアンテナにはまったく引っかからない。ヘアヌードなんて、生ぬるいのだ。セミヌードなんて「帰れ!」というのが正直なところだろう。
ネットでのエロへのアクセス手段を知り、求道してきた人たちは、雑誌エロ派が数十年にわたって触れてきたコンテンツ量を数ヶ月で消費可能である。そこには圧倒的な量の格差が生じている。また、質に関しても、ネットエロの場合はモザイクなし、ありとあらゆるフェティッシュに応じたコンテンツが簡単に手に入る。量と質についての圧倒的格差が生まれているのだ。
週刊誌やスポーツ新聞で興奮できるなんて、ウブなんだな、という見方ができる。圧倒的な量と質のエロに触れて数年を過ごした人たちは、エロに関してインフレが起きていて、ちょっとやそっとのエロでは圏外なのだ。素人が脱いでいたり、女子高生が援助交際している動画なんて見飽きているし、そもそも量が多いため記憶になんて残っていない。
素人が脱いでいるぐらいでは動画の冒頭の10秒程度で再生するのをやめるのが関の山。従って、素人の一般的な女性が動画を撮られて「ばらまくぞ」と脅されたとしても、日の当たる場所を歩けなくなるなんて心配は無用だ。レースクイーンなんかの容姿で商売できるような人たちが脱いだりSEXしている動画だって掃いて捨てられているのだから、普通の素人の動画なんて注目もされない。「みんなに見られてしまう」なんていうのは自意識過剰だ。
大量のエロを消費し、エロインフレが起きている層と、週刊誌やスポーツ新聞の記事で興奮できるウブな層。おおざっぱにそれぞれ前者は若い世代、後者は年齢が高い層にわかれているだろう。
エロに関する感受性の格差は、セクハラのガイドラインにも再考を迫るかもしれない。ネットでのエロへのアクセス手段を持つ女性は増えているだろうし、女性でもエロインフレを起こしている人は多くなってくるだろう。そうなったときに、セクハラの当事者となることが多い年齢が高い層と、若い女性の間でエロ感度が異なるため、年齢が高い層が「セクハラ」だと思って行う言動(行動は別か)が、若い女性側では「そんなのセクハラにならんよ」ということが多くなるかもしれない。
セクハラのガイドライン是正はさておき、エロ感度格差是正のためには、質的観点では雑誌やDVDでの外性器に対するモザイクの解禁が考えられる。そもそもなぜ今のようなダブルスタンダードが許されているのだろうか?その前になぜ外性器にモザイクがかけられているのか?どのような意味を持っているのだろう?法律がある?外性器にモザイクをかけることのメリットがさっぱりわからない。子どもや見たくない人が見てしまう、という懸念があるならば、そのコントロールはネットの方がやりやすいだろう。
モザイクの技術を発達させても、それは発泡酒と同じだ。発泡酒のうまさを追求しても、日本でしか売れないし使えない技術で意味がない。発泡酒の技術を追求する投資なんて無駄の極みだ。携帯電話と同じガラパゴス化を目指すのか?企業の世界的な競争力を削いでいるだけだろう。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/1121/157362.htm?o=0&p=9&r=1
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現在は親と同居でパートをしています。正社員の時期もありましたが、ここ10年はお仕事はお休みしたりパートしたりと親の扶養に入ってのんびり過ごしています。
いい人がいれば結婚したいのですが、なかなかいい人にめぐりあいません。
お金もないし実家にいると楽なので結婚までは家を出る気はありません。
友達や後輩はみんな働いているので、うちは他の家よりは裕福なのかもしれませんが、すごくお金持ちの家ってわけでもありません。
兄は結婚して家を建てて子供もいます。将来は親の面倒は兄が見るものと思ってましたが、最近父の具合が悪くて、私が家でのんびり過ごしているのに「病院に連れて行け」などと言います。
そんな時、職場の社員に「このままだと親の面倒はあなたが見ることになるわね」と言われ落ち込んでいます。
兄は好き勝手やってるのにどうして私が・・
親の具合が悪くなったら兄と同居して、今の家に私が1人で住んで、親に仕送りしてもらうのが普通だと思うのですが・・・
でも実は出来ればその前に結婚したいとも思います。
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スゴスギ......
買い取ってもいいかも(下取りかよwww)
ブランドに過剰に拘るのは、自分の体に自信が無いからだろうし。
大体、洋服のセンスが良くないとブランドバック持っても意味無いから??(笑)
歯科に8万は高いとか言っちゃうしwwww
まじめな話、20代の内に仕事で股を開いていたら、多少は変わったかもね。
かわいい子は、たまには突き落とすことも必要ですよ。
明らかにネタとか、作りこんだ女装は良いけど、中途半端なのとか一番対処に困る。
半そでで腕毛ぼーぼーとか、服可愛いのにスッピンとか。
結局どーしたいの、お前。女になりたいのか? 笑って欲しいのか?
前者ならそうか頑張れ、だし、後者なら失笑しか出来ないんだけどなぁ。腐女子位だろ、ああいうのにきゃーきゃー言うのは。
俺はゴスとかロリとかの人間に対してもちょっとそう思ったりする……
確かに服に何着てようが自由だよ、フリフリだろうがパンクだろうが。
でも、似合う奴なんて何割居る? 平安のっぺり顔がコテコテお姫様の服とかマジ勘弁して欲しい。スッピンだとさらに鬱陶しさ倍増。豪奢な服に貧相な顔。明らかに負けてるっての。
たまーにブラクラレベルのもいるよな。アレはなんだ。服で顔ごまかそうとしてんのか? 本気で似合うと思ってるのか?
やつらの精神構造が判らん。
あーなんか途中から話題がずれてきた。とりあえず鏡みろ鏡って事で。
たまに、すごいロングのカメラで自分が見える。
いや、もちろん想像だけど。
Googleアースでぎゅーーーーんとズームバックするみたいな感じ?
地球のまわりを薄い空気の層がつつんでいて、その薄い空気の層の底に、細菌みたいな自分がいる。
ほんと細菌。かけがえのない価値なんて全然ない。
小さな小さな点。顕微鏡でも見えない。
そんな自分がいる地球も、さらにズームバックすると超超超超超超超超超超超小さな点。宇宙スゴス。
ついでに時間方向にも思いを馳せる。
すごーい膨大な過去と、すごーい膨大な未来に挟まれた自分の生涯の全時間は、凄い薄い膜だ。超薄膜。
でもってさ。
こんなこと考えちゃいかんのではないかとも思うんだよね。
不健全なんじゃないか。
人間は本来そんなでかい認識力はもってないはず。
もってないのに想像だけで錯覚するのはいかんことだ。
と思うんだけど、考えてしまう。なんだろう。自慰みたいなもん?
確かにちょっと気持ちいい。
良く「貴方はマメだ、そこが好いところだ」と言われる。男女の別なく(私は男)。
曰く…
…なんだとか。
本人は努めてマメにこなそうとは思ってない、自然に処理している。毛ほども負荷に感じていない。
しかし、である。
「マメな人っていいよね」とか何とか言う事は良く聞くが…マメでも色恋には関係ないのだ。私はそう考えている。
そのへんどうなんだろう…。
マメすぎてウザイと思われる、は一つ考えられるが…のっけからゴスゴスまめなメールで押す手腕など持ち合わせていない。むしろ意中の相手にはそのマメさを出しすぎないようセーブするくらいだ。
…。