はてなキーワード: 田代さやかとは
なぜこの芸風が現代にきちんと受け継がれていないのか疑問だ。
モデルによっては、「ナチュラルな表情がたいしてかわいくないから取り澄ました表情に徹している」という消極的な選択もあるのだろう。
また、「表情の豊かさ」に対する誤った解釈から突然変異的に誕生した天木じゅんの百面相も、あれはあれでまあ面白いんだけど、見ていて心が自然と安らぐようなものではない。
なんだろう。2010年代のグラビアDVDはモデルの身体的スペックを重視しすぎと言うか、「個の魅力」をあまり重視していない感じがする。
たしかにお人形さんとして見れば、星名美津紀や奈月セナといった現代のモデルの「完成度」はとても高い。
だがそこには、田代さやかがそのDVDで終始放散しているような人間臭さ、いわばぬくもり、といったものがあるかというと、希薄だと言わざるを得ない。
田代さやかには、「飲み会で酔っ払うとキス魔に変貌するバイト先のちょっとかわいい先輩」みたいな距離の近さ、リアルさがある。
そういう意味で、田代さやかのおっぱいは、気持ちの上では「まかり間違えばうっかり揉めてしまうかもしれないおっぱい」なのである。
星名美津紀や奈月セナ、青山ひかるらのそれは「こんなおっぱいが揉めたらいいなあ、でも一生揉めないんだろうなあ」というあこがれのおっぱいであり、田代さやかの胸とは本質的に立ち位置が異なる。もちろん田代さやかのおっぱいも一生揉めないんだけれども。そして俺はどっちのおっぱいも大好きなんだよ。
どれを見ても本編より巻末のオフショットとかインタビューのほうがかわいいな。
リラックスした素のほうが表情が豊かで、ナチュラルな笑顔がとてもすてきだ。
ところで、ある作品では、撮影が済んでそのかっこうのままインタビューを受けてるんだけど、そのかっこうというのが浴衣の前がはだけてる状態で、これが異常にエロい。
いやまあ、どこにエロスを感じるかなんてきわめて個人的な感覚なのでエロいと思わない人もいるかもだけど、伝える努力をしてみたい。
まず、本番中じゃないんだから前がはだけてるのを直せと。
ブラをつけてるとは言え、たわわな胸が丸見えだ。
いや、本編ではもっときわどいポーズもしてるんだけど、オフショット中の田代さやかは「職業がグラドルの女性」ってだけで、セクシーである必要は特にない、浴衣を着た女性じゃないですか。なんでまだ無造作に見せてるんですか。
グラビアの撮影中じゃないグラドルなんて、ただの顔がかわいくてスタイルがめちゃくちゃいい女の人ですよ。
そういう女の人が浴衣の前をはだけさせておっぱいぷるぷるさせてるんですよ。
ありえなくないですか?
顔がかわいくてスタイルがめちゃくちゃいい女の人が浴衣の前をはだけさせておっぱいぷるぷるさせてる映像なんて見せられたらグラビアDVD本編より興奮しますよね?
これ伝わるかなー伝わらない気がするなー俺がおかしいのかなー
わたしはそんなブサイクではないし、ブスでもなかったが、イケメンでもなく、ゆるふわ愛されギャルでもなかった。
「こんなエントリを書くお前のことだから、どうせブサイク専かブス専なんだろ」
とか言うアナタもいることだと思うが、やはりわたしは玉木宏を愛し、田代さやかのおっぱいを揉み、それを田代さやかに罵倒されたいと常々思うほどの普通の人間なのであった。
とある知人の女性に、私が「恋愛とか結婚とかもう第二次性徴期が始まる前に自然と諦めてたお」と思っている事を見抜かれ、説教されてしまった。諦めちゃダメ!せっかく女性に生まれてきたんだから恋を楽しまないと。子供だって産みたいでしょ?いい男性を探さないと!と背中を叩かれた。うーん。別に「私の劣悪な遺伝子を残したくない」とかいうわけじゃないが、特に子供産みたくないし、恋愛も、とくにしたくないのだがなぁ。これを言うと「全ての男性がそうではない、そんな事言うな」と言われちゃいそうだが、正直男性に何の希望も抱いていないのである……まともな男性というのが存在するのなら、これは誠に失礼な物言いなのだが……如何せん私が会ってきた男性というのは上のような人たちばかりなために、いくら人から「そうじゃない人もいるよ!ポロリもあるよ!」と言われても、「でもどうせ君達に優しいその男性たちも、私を見ると「ブースw」ってなるんちゃうかねぇ…」としか思えないのだ。知人の女性は「どうしてそんな哀れな思考しかできないの」と言う。まあ確かにそうなんだろうけどね。困ったね。はぁ。
この方は、自らがブスであることを悲観している。
しかし、それは決して真実ではなく、性欲と言う観点からすればたしかにブスであったりブサイクであったりすることは悲しいことであるが
やはり、恋愛という観点からはそれは決して致命的と言うほどではないのであった。
致命的、についての反証をひとつだけ述べたいと思い、わたしはここに筆をとった。
ようは、いま、わたしの愛するひとはブスなのである。
いや、愛しているのかは定かではないが、親愛の情という観点からは、以前わたしが愛したひとたちよりも深い、と言って相違ない。
外見上では、彼女はさまざまな点で、以前わたしの愛したひとたちに比べ劣っている。
初めて愛した女性ほどセクシーでロリータフェイスなわけでもないし、殆どの女性に比べて体形は大慶ともいえるほどの大形なのである。
おっぱいはおおきいが、やはりそれは腰の太さと関連するものであるらしい。それも、以前付き合っていた女と比べれば雲泥の差であった。
また、彼女はゴシックロリータな服装を愛する。はっきり言って、似合っていない。それ以前にわたしにゴス趣味はない。
だが、私は彼女のことが好きなのである。
なぜ、彼女が好きなのか?
至極単純な理由である。彼女の論理と直観力にわたしは惚れたのだ。
彼女は決して、一般に言われているように論理的なわけではない。
だが、彼女なりの、直感に裏づけされた、レトリック的――もとい、文藝的な論理が、非常に快い。
純粋の理系学問組合の徒弟であったわたしの論理と、一見はかみ合わないように見えるが、彼女の直観力は非常に優れており、常に私を理解し、同意し、ときに叱咤する。
また、音楽の趣味、という点でも彼女と私は一致をみるところがあった。
決して、それは単一のカテゴリにだけとどまるものではなく、
様々なカテゴリの中から、自分の気に入るものを探そうとする姿勢、そして、探しているものがなければ、自分で作ろうとする姿勢も私と一致した。
わたしは、彼女にしてあげられることはたくさんあったし、彼女がわたしにしてくれたこともたくさんあった。
彼女は、今までのわたしの、わたし自身に釣り合わぬほどの美しさとセクシーさを備えた彼女達よりも、ずっと、直截にわたしを見てくれた。
わたしもできれば同様でありたいと思っているし(そのために本人に向かってブスといったこともままある)、その視線は何よりもわたしを癒してくれるものであったから、
できるかぎり彼女自身を直截に愛したいと思っている。
ここで、これ以上わたしは自分の恋愛私小説を語ることはしない。
そこには、いくつもの物語があったし、いくつもの困難はあったが、わたしたちの愛情が途絶えることはなかった。
それだけを述べて、違う話に移ろうと思う。
だが、これだけは覚えておいて欲しい。
自分がブサイクorブスだということで、決して、悲観してはいけないということと、
稀に、あなたの中のあなた自身を愛したいと(決してわたしがそうだとは思わないし言うつもりもないが)思う人間も存在するのだということを。
そして、あなたには十分に愛される価値が、あなたがあなた自身であり、回りの他人を真摯に見ようとする態度をとっている以上、
幾度誰に笑われても、何度誰が笑おうとも、あなたに愛情を抱く異性は、現れることがあるのだ、ということである。
わたしが子供のころに通っていた英会話学校の講師に、およそ100kgはあろうかという巨漢のカナダ人の女先生がいた。
彼女は、ほんとうに太っていて、指はまるまるとして、肌は炊きたてのごはんつぶのようにつやつやとして、
それは、彼女の優しい声のせいもあったと思うが、彼女の立ち居振る舞いがとても美しく、
また、誰に対しても彼女が心から表現する思いやりと優しさが、ほんとうに深すぎたためであった。
わたしたち生徒も彼女が好きで、彼女の授業を奪い合ったし、先生にも、あとで聞いたところによると、告白したりして断られた人が多かったらしい。
彼女は、今、ネパール人の男性と、恋愛結婚をして、とてもとても幸せそうに、わたしの町を歩いている姿を見かける。
男性はとても真摯な人だったし、彼女をほんとうに愛して、気遣っているオーラが出ていて、見るたびに幸せになる。
なにも、ブス専やブサイク専が存在するからそれを狙えという話が言いたかったのではない。
ブスであっても、ブサイクであっても、それを凌駕するだけの魅力(決して特別なスキルが必要だったわけではない)をもち、
それでたくさんの異性を惹きつけて来たひとたちが存在するのだ、ということが言いたかったのである。
……また、言いたかったことはもうひとつある。
玉木宏のヴォイスは素晴らしく中性的で、田代さやかのおっぱいは唯一神である、ということだ。
また、語弊があるといけないので、記そうと思うが、田代さやか自身も神である。
余り誰もが気にかけないが、彼女の負けん気の強さはほんとうに至高である。
その神の谷間から、あなたたちの心の中に、異性を惹き付ける新しい玉木宏が生まれんことを祈って、私はここにキーボードを置く。ガシャン。