2020-07-06

アーティスト様の選民意識が鼻について音楽オタクをやめそう

コロナの前まで、色々なアーティストライブ音楽フェス作品リリースを楽しみにして、自由に使える所得時間ほとんどを音楽に費やしてきた。「推し」と言えるアーティストクリエイターも何組かいた。

ところがコロナでの活動休止制限余儀なくされている彼らが発信する言葉に含まれ選民意識が、数ヶ月で耐えられる限界を超えた。

まず始めは、音楽演劇などの文化への手厚い支援を求めて声を上げながらも、別の産業を軽く見たり、和牛券を揶揄したりオリンピックに反対したりと別の分野への補助に反対していると、なんて自分勝手なんだろうと呆れてしまたことだ。

中には、社会理解のない人は精神性が低いといい、文化が消えるだの消えれば社会レベルが下がるだの言う人までいた。文化はそれだけではないのに。

事業の存続性や生活の困窮なら、産業関係なく理解できたものを。アーティスト仙人のように霞を食って生きているふりをしなくてはいけないのか?

そして東京都知事戦だ。

どの候補も、支持できるところと支持できないところ、その政策の裏で起こりうる問題(そのお金徴収するために誰が苦しむのか等)はそれぞれあった。

これは勝手な推測だが、選挙に行った都民のうち、少なくとも複数メディアに触れて情報収集していた者は、候補者の政策思想を、すごく良い・良い・悪い・すごく悪いのように評価して、総合点で投票する候補を選んだのではないか

しかし、自身の支持する候補選ばれなかった人々の中には、当選した小池さんを含めた他の候補に入れた人々を、社会についてきちんと考えていない人として扱ったり、社会が未成熟だと天上から嘆いたり、差別主義者などと決めつけ危険視する人もいた。

小池さん投票した人を「素直な人」だと分析する記事もバズったが、記事の内容もTwitter同調する人も、「愚鈍な人」と扱っていると感じた。

そんな的外れな指摘は無視すればよいが、好きなアーティストが何人も含まれていたために無視しきれなかった。アカウントフォローをやめると、音楽についての話が聞けなくなってしまう。

意見が違うことは人ならば当然だ。それは違いであって優劣ではない。

そして、個人アーティスト関係なく、社会問題政治について考えを持って言及することは良いことだと思うが、他人を下に見ている意見は、その対象自分が含まれなくても見聞きすると不快になる。

普段は、様々な立場で暮らす人が、ありのまま平等に快適に暮らせることを願い、思想表現の自由を主張していている人だと、失望すら感じる。

ダブルスタンダードになってしまうことは人ならば誰しもあるので、それ自体は責められない。

しかあなたたちは一体、何様なのだ。なぜ愚かだとか差別主義者だとか思われながら、あなた作品を聞いて活動応援し続けなくてはいけないのか。

おそらくCOVID-19の治療法や予防法が確立して、ライブができるようになっても、以前のようには応援できないだろう。

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