大学4年だが、これはニート、というより、子供部屋おじさんを体験する機会になっている。
ただ、いわゆるニートよりはカラフルな日常を送っていて、暇なときは絵を描き音楽を聴くし、外に走りにも行く。心身ともに健康的な生活を送っている。
ニートやフリーター、生活保護受給者が、各々の価値観によって悪だと評される所以はその生活のすさんでいく様にある。なら、社会的な欲求は満たされないが、健康ニートは本来人間のあるべき姿なのではないか。
多変数の微積分と対称行列の対角化をいつでも計算出来るくらいになりなよ。
それが科学をだいぶ理解出来る訳で無いけど、全く理解出来ないでもない
ちょうど入門完了くらいってとこなんだ。
それは半分は正しいけど残りがズレているよ。
スポーツ選手の至上命題は「勝つこと」ではなく「勝って客の人気を得ること」だから。
もちろん勝つのは大事だけど、それ以上に人気商売なので、勝っても不人気になってスポンサーに降りられたら負け。
自分は同性愛者だけど、lgbtとか言って浮かれてられる時代はそう長く続かんだろうなと漠然と思ってる。近い将来は保守化していくんじゃないかと懸念している。思春期のころは誰にも性のことを打ち明けられなくてつらかったが、今みたいなゲイ万歳みたいな風潮は冷めた目で見てしまう。これだけ社会が貧困化してきてるのに、性の問題ばかりとりあげるのは謎だ。きっとどこかで反動がくるのだろう。愚かな同性愛礼賛者に鉄槌が降ってほしいという感情が心中にあるのは否定できない。
そういや、じみへんもやってたな
運動部やってないとそういうのってわかんないよね
大企業なら新入社員は超優秀だから言いたいことは分かるんだけど、そんなことはどうでもよくて、お前は性格のゆがみ具合がやべーぞ。
そういうの周りは絶対気づいていると思うし、人も離れていくぞ。痛みを知ることなく育った哀れな温室育ちっていう印象を受けた。
寝る間も惜しんで物語を書いていたのに、彼氏ができた途端に創作意欲が消えてしまった。
そのまま結婚して子供が産まれた今、何かを書きたいと思うのにさっぱり意欲がわかない。
数年前はあんなに連続更新していた小説サイトも停止中。年に一度、友達の誕生日にSSを書くときぐらいしか更新しない。
夜中、何かに取り憑かれたようにキーボードを叩くときは登場人物の中の誰かに完全に憑依している。
わーっと盛り上がった感情が萎えないうちに全て書き切ってしまいたい。
途中でやめてしまうと翌日には続きが書けなくなってしまう。そういう焦りから、キーボードを打つ手が止まらなくなる。
深夜に書き上げてサイトにUPするのが何よりも楽しかった。わくわくした。
書き上げた達成感があるから、翌朝会社に行くのも辛くない。妙にハイテンションのまま出勤して仕事をする。
帰宅後はぐったりして寝てしまうんだけど、それがまた心地よい。
家族が寝静まる中、無音のキッチンでキーボードを叩く音だけが響き続ける光景って、客観的に考えるとヤバいやつだ。
母とソリが合わなくて家を飛び出した後、一人暮らしのワンルームのアパートでもキーボードは鳴り続けた。
とにかく淋しかったのだ。
帰宅したらすぐにPCをつけて物語を書いた。サイトの訪問者さんが読んで楽しんでくれてるのを見て、やっと人と繋がれているような実感が持てた。
寝室で主人や子どもの寝息が安らかに響く今、必死で物語を描く必要性がなくなってしまったように思える。
誰かとの繋がりを求めてキーボードを叩いていた夜が、ふと、懐かしくなることはあるけれど、決してあの頃に戻りたいとは思わない。
人との繋がりに飢えて「渇望する」ぐらいのレベルじゃないと、わざわざ物語を書くなんて面倒くさいことができないのだ。
気の抜けた風船みたいに楽に息ができる今だけど、私、このままでいいのかなあ? と思ったりもする。
「繊細さんの幸せリスト」っていう本の「創作が止まったあなたへ」っていう章がまさに今の私に当てはまるんだけど、また物語を書ける日は来るんだろうか。
見下してる人どこ?説教したろ
みじめ~じめじめ~