2016-10-11

無自覚の間にブラック上司になっていた過去

周りのブラック上司がどうかは知らないけど、自分場合は100%正義感が原因でブラック上司になってしまっていた。

特定を避けるためにかなりぼやかして書く。

自分入社した頃の会社業界としては発展途上、企業としては過去の悪しき習慣を引きずったままの成長頭打ち企業だった。

目の前に集客のチャンスがごろごろとしているのに、新しいことに挑戦して評価を落としたくないくせに残業代カットされたくないからと無駄ルーチンばかりが業務を圧迫していた。

当然ぺーぺーの自分には山のような無意味ルーチンが回ってくる。ルーチンをこなさなければ古参社員達に批判をスキを与えてしまう。

から新しいことや自分のやりたいことにチャレンジするには、全てのルーチンを終わらせた後か、休みの日にするしかなかった。

別に会社特別な恩があるとかよりも、自分能力に対する好奇心であったり、単純に業績が上がっていくことに対して楽しいと感じていた。

から、目の前にやるべきことがあるのに、努力しようともせず無駄時間給料を食いつぶそうとするその時の社員達がむしろブラック社員に見えていた。

文字通り休み返上して、毎日の勤務時間は平均15時間はくだらなかった。

30日x15時間-平均定時勤務時間150h(実働7時間。月8休)=残業300hの世界だ。

でもそれは誰かに言われたからではない。

誰にも文句を言わせないために全てのルーチンをこなした上で、やらなくてはならないことややったほうが絶対に成長につながることをやりつづけたらこうなっていたのだ。

もちろん残業代なんて請求したことがない。

そんな目先の賃金より、自分が成し遂げた仕事に対する評価が欲しかった。

古参社員達を見返したいという気持ちがなかったと言えば嘘になる。でも、それ以上にやりがいを感じていたのも事実だ。

当然会社内での評価うなぎのぼりで、最短最年少昇格記録を毎年のように塗り替えた。

そんな姿を見てか、古参役職者は次々に理由を付けては会社を後にし、それも手伝ってか更に加速度的に役職を駆け上がることになった。

気がつけば、自分現場トップになっていた。

親族役員を除けば、実質ナンバー3だ。

しかし、立場が変わっても働き方は変わらなかった。

視点が変わってもやるべきことややりかたが変わっただけで、相変わらず使えるだけの時間をすべて使って仕事をし続けていた。

いつしか誰よりも早く出社しないと気がすまなかったし、社員達が全員帰るのを見送らないと気がすまなくなってしまっていたのだ。

別にそれを他人強要しようとは思っていなかった。

ただ、自分がやりたい仕事や新しいことへの挑戦は、日常業務以外の時間帯にするのが当然だと思っていたし、自らがそうした見本であり続けようと思っていたのは事実だ。

無言のままに、僕の下で出世したければ僕と同じ働き方をするのが当然だと考えていたのだ。

から自然社員たちの間で早出残業は当然(自分ほどではないにせよ)だったし、規定残業代以上を請求してくる人間もいなかった。

しかし、そんな生活は当然長くは持たず、入社から8年ほどで大きく心身のバランスを崩してしまうことになった。

ある日、ストレスの大きな案件を幾つか同時にこなしている最中に、突然呼吸が乱れたかと思うと、涙が溢れ出し止まらなくなってしまった。

その日に限ってたまたま社に顔を出していた本部上司に別室に連れていて行かれたが、呼吸の乱れや嗚咽が止まらず、全く喋ることができなかった。

その後はひとまず早退することになったが、翌朝から仕事のことを考えるだけで精神と肉体が働くことを断固拒否するようになってしまった。

何と伝えればいいのかわからない状態で受話器を持ったまま時間ばかりが過ぎ、結局上司からの着信を何の準備もできないままに受けることになってしまった。

昨日同様、まともに会話のできない自分に、上司から一週間の自宅療養(勤務禁止)を命じられた。

その間は、常に自らの評価ばかりが気になっていた。

部下から陰口を叩かれているのではないか仕事に穴を開けたことで会社から大きなマイナス評価をうけてしまうのではないか取引先との信用問題になってしまっているのではないか

今すぐに会社に行きたい気持ちに反して、身体はまったくもって動こうとはしなかった。

いっそのこと死んでしまいたい。その時は本当にそんなことばかり考えていた。

自宅療養の間はほとんど外出はせず、所有している漫画DVDばかりを見ていた。

そのままでは何も進まないと、予定通り1週間後に出社を決意した。

そうして出社してみて驚いたことは、誰もが心配してくれていて、誰もが笑顔で迎え入れてくれたことだった。

誰一人というのは大げさだが、無関心な人間はもとより無関心であったり、不満げな人間はもとより不満げな態度ばかり見せる人間だということもわかった。

しかし、何よりも驚いたことは、自分が一週間休み続けたことで、何一つ営業に支障が出ていないということだった。

あとで聞けばそれなりの苦労はあったそうだが、むしろ使命感があって仕事が楽しかったという意見ほとんどだった。

さらに、今まで無能だと思っていた数名の部下が率先して活躍していたと言う話を聞いて耳を疑ってしまった。

しかもその仕事内容はじつに的確だった。

じつにこの一週間で、今までさんざんに手を焼いてきた組織が、今まで見たこともないような成長を遂げていたのだ。

そうした状況に嬉しさと安堵が入り交じる一方、一つの大きな疑問が湧き上がっていた。

自分は一体何と戦っていたのだろうという疑問だ。

腐っていた頃の社員ほとんど追い出して、残っている人間自分に対する理解者だ。

会社の業績は順調だし社内での評価も十分にもらえている。

それでも尚自らが第一線に立ち、誰よりも長い時間働き続けることにどんな意味があったのだろうか。

他者を認めずに自らのやり方で第一線に立ち、自らと同じ美学人間だけを認めることを誰が喜んでいたのだろうか。

その時、他でもない自分自身がこの会社を世に言われるブラック企業へと推し進めていた事実に気がついてしまった。

それからと言うもの、早目の出勤は変わらないものの、帰りはできるだけ早く帰るように心がけた。

そのことについて誰かから反対や侮蔑がないか気になったが、そんなものは全くもって杞憂だった。

振り返ってみると、自分が帰った後に社員たちが真面目に働いているのかが気になっていたのかもしれない。

部下がしっかりと働くことを監視すること。それも一つ、自らの大きな使命だと勘違いしていたのだ。

果たして社内の生産性は、下がるどころか今まで一番の成長を見せることとなった。

それまで無能と思っていた人間が意外なタレント性を発揮し、自分しかまらないと思っていた業務も、やらせてみれば自分以上の創意工夫を見せる社員が多く現れた。

まるで漫画のような話だが、しかし、これが現実だった。

ある意味では、自らの評価を失うことを恐れるあまり、働き方を変えるきっかけを見失っていたのかもしれない。

しかし、その生活になって評価を失ったかと言えばそれはノーだ。

現実に、自らが取り仕切る組織は業績を上げ、その評価ダイレクト自分へと返ってきている。

誓って言いたいことは、自らが進んで会社ブラック化させたかったわけではないということだ。

しろ自らの面倒を見る組織に属する人間たちの評価を落としたくない、自分と携わった以上成長させたいと望んでいたのだ。

しかし、そのために自らが犠牲になるという手本になろうとすることこそが、組織のものブラック化させる原因になっていた。

しかも、その場にいる大半が、それが不健全であるということに気がついていなかったのだ。

考えてみれば、新規採用する人間の中で仕事が耐えられないと言ってやめていく人間の数は年々増加傾向にあった。

それを見て「最近若いものは」と考えずにいられない自分いたことも事実だ。

しかし、それこそが自らの過ちを知るための警鐘だったのかもしれない。

時代は動いているものなのだから、変わっていくべきは組織なのだ



それからすでに10年以上が経過している。

今でこそそうした働き方を強要していればすぐにブラック企業レッテルを貼られ、社会から糾弾されてしまうことだろう。

未だに発作のように心身のバランスを崩すことがあるが、あの時、無理にでも立ち止まれたことは人生の中で一番の幸運だったと思っている。

ブラック企業問題は、その時の業界企業の成長具合によって原因が異なるものだ。

見込めない生産性を埋めるために強いれば問題は露呈し易いが、働けば働くほど稼げる状況であれば、それが悪だとはなかなか気づけるものではないのだ。

もしあの時、信用できる上司に「働きすぎだ」と言われたら自らは止まることができただろうか。

その上司無能だと見限ってしまうことが未だに否定できない自分は、まだどこかブラック体質が抜けていないのかもしれない。

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