はてなキーワード: 原宿とは
www.midnighteye.comより、雨宮まみの「弟よ!」経由。
長いので二つに分けました。
日本のアダルトビデオ、略してAVと言われているがそれは驚くべき多様性の世界でもある。もし欲情を喚起するためにセックスを描写し、売り物にするのがポルノグラフィの定義なら、どこからどう見てもそれはポルノなのだ。AVは安価で日本中至るところで目にすることができる。この国のどんなビデオショップに行ってもこのジャンルの商品はたいてい、大きな棚を占めている。
しかし、日本の映画表現が欧米で多くの信者を生み出す一方、アダルトビデオはほとんど顧みられていない。日本の得意とする怪獣もの、アニメをはじめとする全ジャンルに関する日本映画のフェスティバルはヨーロッパ・北米で花盛りだが、AVはどこにある?もちろん、日本のポルノは性器を直接描写できないという問題を抱えている。それらは処理画像の向こうにあり、欧米の視聴者にとってはいささか奇異に映るものだ。にもかかわらず、AVは魅力的な分野である。
まずは、ピンク映画。これは1960年代初頭から制作されている。小林悟の「肉体の市場」がおおまかにいってこの分野のさきがけといえよう。性への大いなる情熱、そして時には理由なき暴力や変わった性的ファンタジーまで描写する一方、ヌードシーンは一部に限られ、疑似性交が主を占める。
そして裏映画(訳注:日本語ではブルーフィルムがより的確な表現だと思います)、こちらはさらに映画史の初期にまでさかのぼることができる。こちらは本番ありの無修正、たいてい8分から10分の短い映画だ。白黒映画時代に欧米に存在したブルー・ムービーは時には手の込んだプロットを開陳していたが、日本のはたいてい伝統的な畳の部屋で性交にいそしむ男女を描写するにとどまっている。裏映画が上映されるのは、だいたい温泉街であった。男の客にとっての温泉街でのくつろぎは、しばしば買春と結びついており、そうした街の赤線地帯では法律で固く禁じられている裏映画ショーを楽しむことができた。今日では裏映画は裏ビデオに取って代わられ、そうした未修整のポルノビデオはビデオショップで信用のある客にのみこっそり売られている。
ビデオデッキの普及に伴い、アダルトビデオは1980年代初頭に成長をとげる。家庭で映画を見る習慣が広まり、そしてもちろんビデオデッキが接続されたテレビでセックスを鑑賞することを人々は望んだ。初期AVは、東映や新東宝といった大手ピンク映画会社により支配された。撮影済みの映画をビデオ化し、自宅向け市場へと流したのだが、短いバージョンであることもしばしばだった。市場の急速な拡大につれ、それらの映画会社はビデオ専用の映像を制作するようになった。これらの映像は直接ビデオで撮影されているにもかかわらず、ピンク映画の伝統を踏襲し、ピンク映画のルール・制限に固執した。
ピンク映画会社の制作するAVは、高額な費用をもって制作され、ほとんどの場合有名女優を主役にすえていた。しかし新世代の野心あるポルノ映像作家はビデオという形態は安価であり、あらゆる種類の新しい可能性を提供してくれることに気づき始めた。つまり機材取り回しの容易さ、無限ともいえる長さの尺をとてつもなく低コストで撮影できるということである。
これらの新しい可能性を最大限に生かした最初の監督が、かつてピンク映画の監督だった代々木忠である。「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズ(80年代初め)にて今日のAVにて見ることのできる根源的要素を彼は取り入れた。本番の導入、そして素人俳優の採用によって秘められた日本のセックス事情をドキュメンタリースタイルで描写したのだ。
「ドキュメント・ザ・オナニー」は驚くべきヒットを記録し、映像に関心のなかった投資家連中という新しいグループの注目を引くことになった。裏本・ビニ本業者はAV制作会社を設立し、金鉱とも思えるそのビジネスに飛び込んでいった。
少額の予算でピンク映画会社に勝つために、本番は彼らの切り札となった。こうした決断は大島渚の刺激であるともいえよう。著名な日本人監督である大島がフランス資本で撮影したアートシアター系映画である「愛のコリーダ」(1976年)は、命がけの悲しい情熱を最大限に表現するために実際のセックスをいくつものシーンにおさめた。一方で、非合法である裏映画からの強い影響も見てとれる。裏モノである「洗濯屋ケンちゃん」が一躍注目を浴びることになった。いつ、誰が作ったのかは現在に至るまでまったく不明である。しかし多くのフィルムが出回り、それらはビデオにコピーされた。主要雑誌はこの映像について書き立て、大きな話題となった。裏映画の直コピーの常として、「洗濯屋ケンちゃん」はもちろん非合法なものであったが、新しい本物のセックスという報道記事によって、どんなにお金をかけても得ることのできない宣伝性を得ることになった。
もちろん、新しいAVにおけるセックスは本物であったが、いぜん審査されていた。セックスシーンでは役者の全身はおろか、クローズアップも映し出されていた。しかし、性器とヘアーはAV業界でいうところの「モザイク」と呼ばれる電子的処理画像に隠されていた。処理画像がある限り、スクリーン上のすべてが許された。精液が処理画像から飛び出して、非処理画面に映る女優にかかってもおとがめなしである。ピンク映画では役者のモチモノは家具や植木鉢をレンズとの間に置くことによって隠されていたが、いまや自由な撮影が可能となった。編集の段階でモザイクをかけ、ぼかすだけでいいのである。
そうした映像処理は、海外映画の審査に起源を発している。ヌードシーンはこれまでカットされることはなかったが、俳優の性器は黒塗り、もしくは白のぼかしで隠されていた。この和らげられた映像が、ある程度本来のイメージを知る、手がかりになったのである。
こうした規格を確固たるものにし、政府の取り締まり・警察の逮捕といった危険からAV産業を守るため、AV会社により自主審査団体が設立された。映倫(ピンク映画を制作する業界により審査委員会が運営されている)をモデルとしたビデ倫が設立された。業界トップは、AV監督がアナーキーな連中の集まりであることを正確に把握しており、最初から強い手段をとることにした。ルールを守らせるための必要な権威づけのために、ビデ倫は審査委員会に警察官僚や役人の天下りを呼び寄せたのだ。
現在ではAV業界は一大産業を形成している。しかしその内訳はさまざまである。ピンク映画会社が今もなお重要な役割を果たす一方、無数の小さな会社があり、世には知られぬ顧客の嗜好を満たすべく特異化をはかっている。とはいっても、AVには二大分野が存在する。つまり、「単体」と「企画」である。単体ものはふつう、大きな会社が扱うが、大予算とひとりのスター女優に焦点を合わせるところに特徴がある。美しい女の子を起用し、なるだけソフトに、かわいく作られる。一方企画ものでは4、5人の女優が一本のビデオに出演する。彼女たちはかわいくもなく、見た目がイマイチであるのは決して珍しいことではないが、カメラの前での行為は大胆不敵である。企画ものはセックスについて変わった側面を取り上げることが多く、小さな会社が制作している。企画ものの方が予算が安く済むからだ。単体女優はスターであり、一本につき100から200万の金を手にする。企画女優はというと、10万から20万といったところだ。にもかかわらず、ふたつのやり方は相互補完的だ。多くの男性視聴者は女の子にふたつのことを望む、つまり可愛らしさと変態さだ。
日本では魅力的な若手女優が必要とされており、単体の女の子はスターでありアイドルでもある。企画の女の子はというと、タレント的であり、それはアマチュアを意味する。こうしたタレント募集のやり方はまさしく日本的だ。モデル事務所やタレント事務所は多くのスカウトマンをかかえている。スカウトマンは若い男連中であり、ファッションに敏感な若い子でにぎわう東京の一角に、前途有望な娘を見つけるべく徘徊している。彼らは若い女性に声をかけ、音楽・ファッション業界の仕事をもちかける。実際、ファッションモデルやテレビのエキストラになる場合もある。レコード会社が特定の容姿を歌唱力より優先させたい場合には歌手になることも。一部の女の子たちは、スカウトマンから声をかけられ、そうした仕事に着くことを夢見ながらおしゃれして渋谷・原宿の通りを歩く。しかし多くの場合、モデル事務所はAVの仕事をもちかけ、そして多くの女の子が「いいですよ」と答える。街角からリクルートされたタレントたちの登場するAVの信じられない本数が示すように。彼女たちはたいてい手っ取り早く金を稼ぐためにAVに出演する。もしくは冒険や遊び心、モデルキャリアへの道を見いだしているのかもしれない。
企画もののスタイルやジャンルを一覧にするにはいささか数が多すぎる。しかしその中で最も重要であり、かつ一般的なものをあげるとしたら、ピンク映画の時代から続く、ずばりそのものの異性間セックスが最初に来るであろう。教師・女生徒・看護婦といったちょっとした嗜好を交えたり、レイプ(AVでは一大分野だ)・緊縛などの暴力の一形態を伴うこともある。しかしAVはビデオならではの特異なジャンルも拡大しつつある。ブッカケ(集団男性が女性の体に射精する、顔がより好まれる)や密着ドキュメンタリーの特殊なケースであるハメ撮りなどである。
ドキュメンタリー的手法は日本のAVの多くに見られる。しかしハメ撮りほどドキュメンタリー的なものはないであろう。手短にいうと、ハメ撮りはポルノ的日記の一種である。それは男性(たいていカメラマンや監督である)の主導のもと、タレントや女優をフィルムに収める作業である。カメラ片手にしゃぶってもらったり、テーブルに置かれたカメラで性交を記録したり、時には行為中にずばりそのものにカメラを向ける。こうしたやり方がたぶん、映像にじかの力を与えているのだろう。キャストなし、クルーなし。ただふたりがやって、その男がまさしくそこでセックスをしている、非常に個人的な視点を視聴者はまっすぐに見せられる(原注:残念ながら、筆者は女性による女性の視点からのハメ撮りにお目にかかったことがない)。
しかし、ハメ撮りの売り物はセックスだけではない。セックスと同じくらいの興奮を呼び覚ますのが、ふつうの、一般的な女の子がどうやって「演じる」かという点だ。彼女たちは朝、地下鉄であなたの隣りに座っていたかもしれない、夜にはビールを運ぶウエイトレスだったかもしれない…夢みたまえ。ハメ撮りが売るもの、それは夢であり、日本の男たちが望むけど実現不可能な、あるいは現実には十分に得られないような性的出会いがあるかもしれない、という夢だ。でもそのイメージはリアルである。それこそ手に取れるくらいリアルだ。
<カンパニー松尾: ハメ撮りの達人>
今日のようなハメ撮りを作ったのが、カンパニー松尾だ。ハメ撮りという生まれたてのジャンルを親密な映像体験に仕立て上げた。彼の代表作である「オークション01」「オークション02」は2004年に制作された。これらの作品(デジタル撮影され、DVDにて販売されている)は松尾が出会ったさまざまな女性との個人的な出会いを多く収録している。
たいてい松尾はレディースコミックに広告を掲載し、彼と会う勇気を持ち合わせた女性を募集する。作品の各章は彼女たちが実際に電話をかけるところから始まる。松尾は彼自身が電話を取り、待ち合わせ場所を決めるシーンをカメラに収める。次に私たちが見るのは、松尾が彼女のいるところに向かって移動するところだ。松尾はおおいに旅を楽しんでいるように見え、それを日記スタイルで撮る。いろんな駅のシーン、車窓からの眺め、日本の日常光景は常に導入部分となり、彼の行き先を示す。最終的に彼は女性が指定する場所で面会する。その場所は彼女の住む町だったり、リゾートだったりする。女性はときに彼をからかう。居場所を推測させたり、行き先の張り紙を残すこともある。しかしたいていの場合、駅などの待ち合わせ場所に彼女たちは素直に現れる。松尾は非常におだやかに話す、好ましい感じのする男だ。こうした資質がものごとをうまく進める理由であるに違いない。しかし最初から明らかなのは、彼女たちはお金を受け取っていて、なにやらセックスのようなものがこのふたりの参加者のあいだで始まることだ。
まず第一に、松尾は女性のことを知りたがる。彼らはしゃべり、冗談をとばし、お互いが容易になじめるみちすじを探す。そしてすべてはカメラに記録される。今回の出会いに至った動機、いつもの生活、そして夢。ついに彼らはホテルや彼女の自宅へと向かう。
この段階において、視聴者はすでに彼女について十分知っている。とても親しく感じられる。ある娘たちは積極的にセックスに至ろうとするし、渋々な娘もいる。なんであれ、松尾は撮影する。彼女が「だめ」と言う時でさえ、松尾はありのままにカメラにおさめる。驚くべきことは、女性たちは作品の中では自らについてとてもあけすけで、その多くがセックスの段になっても決してシャイではないことだ。日本の女の子が実際にどうやって考え、何を求めているか知りたければ、多くの洞察がここから得られよう。
松尾は1965年、日本の中央に位置する愛知県に生まれた。高校時代から、松尾はテレビ業界を希望していた。専門学校を卒業すると、松尾は音楽番組制作会社に入った。この仕事には彼は大いに失望させられた。音楽のことを考え、バンドの内面を映像化するかわりに単調な台本を追う日々だった。ひょっとしたら意外でないかもしれないが、会社はほどなく倒産した。失業した松尾は飲み屋で昔からの友人に会う。友人はAVの世界への参加をもちかけた…ここからは彼自身の言葉で語ってもらうとしよう。
2006年の2月に私は東京のファッショナブルなエリアである原宿にある、新しく広々とした松尾のオフィスで彼に会った。ちなみに原宿は日本の若者文化の先端を行くホットスポットとして知られている。
なに?社内SEが「ラクして大儲け」?「残業無いからラクだよ♪」ってか?
「こんなオシャレなスポットで働いてますぅ」とか、そういうこと?
それを、何かビッチがこっち向いてニタニタと気色悪い笑顔浮かべながら言ってんの!
●「うそっ・・・あなたの年収低すぎ」
テメーに何が分かるってんだ!そんな仕事でも立派に働いてる人間は沢山いるんだぞ!
人をバカにしてんだから、さぞかしオマエらはいい給料貰ってんだろうな!
そうやっていつまでも年収の低いヤツラを小馬鹿にしてればいいよ!!
・・・なんつーか、他人のやってる仕事に対する敬意みたいなのを一切感じないんだよな。
「あなたのやってる仕事は損ですよー、早く転職した方がいいですよー、そうすりゃ年収700万ですよー、残業も無いですよー、勤務地もオシャレですよー」って、まるでどっかの悪徳商法の勧誘みたいな。甘い蜜ばっか撒き散らしているっつー感覚。
仕事は条件じゃねぇ!
そんな態度、一生懸命仕事に打ち込んでる人々に対してあまりにも失礼だ!!
今の仕事を貶めてまで勘違い転職クンを掻き集めようとするそのやり方には呆れるほか無い!
まぁ、どうせこんな転職広告に夢見るような輩は、所詮どの会社に行っても長く続かないんだろうな。
「ボクのやりたかったのはこんな仕事じゃない!もっと給料も良くて、残業も無くて、みんないい人ばっかりで、働き甲斐があって、ボクにピッタリな仕事があるはずだ!ゼッタイに!!」なんて糞甘い事ばっかり抜かして転職しまくって、でもどこの会社行っても上手く行かなくて「ボクがやりたかったのは(ry」の無限ループ。
なんか適当に立地条件を喩えるならば、
楽天市場を東京都の原宿に喩えるなら、Yahoo!ショッピングは大阪府の南のあたりかもしれない。
Amazonが名古屋市ならば、ビッダーズは兵庫県の神戸市くらいかなぁ?(あってるかな?)
ネットのどこに、店をだそうか迷っているよ。取り扱い商品は手作りの陶磁器にする予定。
しかし、どこも場所代が高いw
テナント料は楽天市場の5万円が一番高いけど、続いてビッダーズの2万円とYahoo!ショッピングの9000円。その次がAmazonの定額5000円プラス売上の15%。
集客力に見合うだけのテナント料ならば良いわけだけど、売れなければ大赤字だ。
良い場所探します。
追記、私の家は九州の端っこの田舎だから、普通に自分の家に商品並べているだけならば、夏と冬は全然売れません。
今年の夏は特に極貧だったよ。
でも、なんとかネットは繋げているからネットに希望を託したい。
忘れてたけど、ライブドアデパートの立地条件は何市にあたるかな?
自分でブログでASPやってみたことあるけど、売るって難しいよね。
逆に自分がお客様の立場ならば、ブログで買い物とかよほどのことがないと買いにくいもんね。
仕事サボって返信します。あと1時間でお昼かー。(ダメリーマンw)
そういうので、女と出会うときにさ、どこ行くの?
俺、大学の近くの、男同士で行くような飲み屋しか行ったことないんだけど。
やっぱ、渋谷とかそういうところなの??
渋谷はいかないかな。原宿に行ってましたよ。あとは、ホテルに行きたいときは新宿で飲んでました。
http://sp.gnavi.co.jp/search/theme.php?zn=AREA110&tid=SPG110212&ctg=6
個室がいいと思いますよ。ちょっと触っちゃったりとかできるから。密着度が高いほうがいいです。
行きなれていないのに、いきなり高級ホテルとか、夜景が見えるところとかダメです。ボロが出るから。注文の仕方が微妙に変とか。
そうじゃなくって、いつもの居酒屋よりも、少しおしゃれで、かつ、「女の子の話しのネタになるところ」がいいと思います。
そういった意味では、「奇抜なお店」もいいと思いますよ。釣りとして。
それと、車無いとダメ??
んー、車はむしろ、使わない方がいいと思いますよ。エロビなんかだと、女がいきなり車に乗るけど、あれはネタだから。
普通の女の子は、「拉致られる!」とかで、いきなり車に乗るのは恐がります。
むしろ、人がたくさんいるところの方がいいんじゃないでしょうか。女の子を恐がらせてはダメです。
2はさ、着歴残るじゃん。そういうのなんか予防する技とかあるのかな。
あなたも恐いんですね。わかります。
1、は一応、聞いとけばいいんじゃないですかね。
2、は電話しますよ。っていうか、チャット中に電話しますよ。笑いが取れるから。速w!って。
着歴残ってもいいじゃないですか。いざとなったら、電話番号変えて、友達みんなに「変わりました」ってメールすればいいんだから。
それに、ネカマかどうかなんてわかりますよ。話していれば。っていうか、ネカマって言うほど多くないと思いますよ。僕は、そんな人、一人もいませんでした。むしろビビったのが、いきなり、電話の向こうで、オナニー始めたとき。あれはびっくりした。「テレホンセックスしたい」とか言い出して、一方的に、あんあん言い出したんです。いろんな人がいますね。
不安なときは、「写真見せてよ」って言えばいいんじゃないですかね。テンプレっぽい写真かどうか、エロサイトに詳しいあなたはわかるでしょうw
えー、とか言ったら、先に写真送るんです。「笑いの取れるやつ」がいいんじゃないでしょうか。かぶりものとか。相手はイケメンなんて求めてませんよ。顔よりも雰囲気じゃないですかね。
営業やってるとわかるけど、人間って、っていうか、女の子って、そんなに男の顔を見てませんよ。それよりも、全体の雰囲気とか、手とか、清潔感とか見てます。
あぁ、おれはなんてだめな男なんだ。ウジ虫だよ。だれか僕を拾ってよ。
参考:http://anond.hatelabo.jp/20080728045912
丸井ブランドで10000円前後のアイテムを買いあさる日々に飽きたら
ちなみに想定年齢は20-25くらいで、何かポパイとかメンノンとか、もしくはマルイか新宿伊勢丹かビームス(ストリートライン)な服を買ったりしていた人。「全身をスタンダードアイテムのみでまとめるべき」というわけじゃなくて、全身からとりあえず大学生臭さを消す、つまり、中身の人間が20代前半くらいまでな場合に、スタンダードじゃない(例えば)アウターとかを含めた全身をバランス良く仕上げるために便利なアイテム(&よほどオシャレならそれでもどうにかできるんだろうけど99%の人間にとって完璧に地雷なアイテム)
もうちと具体的に書くと
・大学院生
くらい
ちょっとピンクを見せる、とかそういうこと
上の記事ではアメアパになってるけど、や、これは俺の趣味かもしれないがアメアパは発色が大学生以下っぽくないか?よく知らんけど日差しの強いLAならあの発色、みたいな話だと思う。少なくとも東京の日差しには合わない気がするんだなぁ……
数千円以下でインナーとして便利な(例えば「今年買ったお気に入りのカットソー」とかの差し色として使えるという意味)Tシャツを見つければオールシーズン着まくれる
個人的にはヘインズのビーフィー(一枚入りパック1200円)のレディース(アメリカンなので別にインナーなら全然着れる)を勧めてみる。色によっては発色が良くないがピンクは良いよ。あと正直ユニクロは縫製が悪いか横方向に捻れるように伸びるイメージがある(昔に植え付けられたトラウマなだけかも)のであまり買わないんだけど、ユニクロのプレミアムコットン(1500円)も良いんじゃないですかね
●2:上質なカットソー
誰がなんと言おうと無地。そして丸首/Vネックで一定以上に上質なもの。Uネックは、実際問題として大学生、もしくは原宿あたりにいそうな感じの人感を出さずに着るのが難しい。一枚持っていても良いだろうけど、あくまでスタンダードではない
「スタンダード」というのは、結局のところ体型依存なので「万人にお勧め」というものはない
自分の体型に合い、かつ3000円に見えない「自分用定番」を見つけることに時間を注ぐべきだし、こういう部分でセンスが良い人間は本当にセンスが良いと思う
……そう言いつつ個人的にはユナイテッドアローズのビジネスライン(なのか?これを買うためのみにUAを使っているのであまりライン構成を知らない)の長袖8400円のヤツなのであまり偉そうなことは言えないんだけど……。あとフェイクレイヤードとか変なデザインは本当にマルイなので完璧に不要。今持ってる人はヤフオクでもフリマでも弟に押しつけるでも何でも良いから早く手放してください
●3:上質なシャツ
つってもシャツは下着(シャツの下に下着を入れるのは本当にやめて欲しい)なので出せる値段に上限があるはず。1万円前後でカットがキレイで一定程度に上質、ということを考えていくと、下町などのセミオーダーシャツは候補になるはず。というか他に候補がなかなかないような。一個でよいので高いシャツ(個人的にはバレンシアガが一番シックリくるので一枚だけ持っている)を買っておくと「同じようなカッティングで」と説明しやすいのでオススメ。セミオーダーは、「これと同じ」と言えないと一度や二度は失敗するのがデフォなので、それを考えれば「最初の一枚」に3万出しても実はあまり差がない(ただ3万で買ったシャツが「最初の一枚」にならないと本当に金がもったいないので徹底的に試着しまくるべき)
あと今思い出したけど新宿伊勢丹が秋くらいから1万強でセミオーダーを始める、とか聞いた記憶がある。新宿で作れればアクセス的に便利な人が多いと思うので、いや品質とかどうなのか今は分からないが、始まったら伊勢丹覗いてみると良いかも
●4:定番的に使えるスニーカー
プーマのヨーロッパラインとかデザイナーズとか、一瞬かっこよさそうなのはNG
基本的に選択肢はナイキ/アディダス/ニューバランスくらいしかないとは思う
この中で自分のスタイルにあうもの、例えばアメトラがベースなら必然的にニューバラになるだろう。そういうものを選ぶ。全身において、普通の大学生が見てもブランドバレするアイテムはここだけにすべき。決して「高い」感を出さないアイテムなのでブランド丸わかりでも良いし、逆に丸わかりであることが「スタイル」となる(ナイキでなくアディダスを履いている、そんな俺は……という)。あと今思い出したけど、バンド・オブ・アウトサイダースだっけか、トラッドにヴァンズ合わせてるスナップは(アメリカ人だけど)ハマってた。ヴァンズも履けていればカッコいい(ただ正直よく知らない)
コンバースは、別に悪くないけど、「コンバースが合う」って結構難しいよ。ギターキッズとか何だかよく分からない洋楽を語れる人間とかがそこらへんに溢れている以上、彼らよりコンバースを履ける自信がないなら避けた方が……。女の子が特になんだけど、高校生くらいの頃って、コンバースを中身の人間の特性として問答無用に可愛く履けるじゃん。男も何だかんだ言いつつそれなりに。でもその履き方は20代じゃもうできないし、「マジに履く」ということを考えると、コンバースは実は結構難しいよ、という話。君の彼女はそれでも「可愛い」と言ってくれるかもしれないが、それは良くも悪くも色眼鏡です。そう見てくれる彼女に感謝しつつナイキでも履いて下さい
そしてここで書いていない、特にパトリックとオニツカタイガーは、履ける人いるけど決して多くないので「取り扱い注意」。もちろん履けていれば何の問題もない
あといずれにしても「○○限定色」とかショップ別注とかの変な色は避けて下さい。「それが99%の人間にハマらないから定番色になっていない」のです(だから復刻とかはこの限りではない)
●5:上質な革靴
一番金をかけるべき場所。滅多に買う物ではないので4万以上は出すべき
先が尖っててちょっと浮いてる、何か新宿伊勢丹で売ってそうなヤツは本当に絶対にNG
なるべくクラシカルで普通の革靴。革は見る人が見れば値段は即分かるのでムダなデザインは一切不要。一足買えばリペアしつつ5年以上は履けるし、スーツにもジーンズにも合うのでムダはない。個人的には銀座のヨシノヤの一番スタンダードなヤツを勧めてみる(ただ6万くらいするので、何か臨時収入でもあった時に)
スニーカーとも共通だけど、靴を買いに行く場合、良く着ている服で出かけて試着をすると思う。そして靴を履いて鏡の前に立ったとき、靴が全身の中で、(良い意味であったとしても)目立っているとしたら、それは「一瞬カッコ良さそうに見える」というだけで、「自分はその靴を履けていない」ということです
その靴が、中身の人間を含めた全体に溶け込んでおり、かつ全体をサポートしている、例えば革靴なら「全体に落ち着き(?)を与えている」みたいな、そういう状態であれば履けていますし、買うべきです。だから●4で書き忘れたけど、平均的に言って華奢で虚弱な日本人の中で、ハイカットスニーカーを履ける人間は少ない。革靴にデザインが不要というのは、例えばウイングチップではなくストレートチップを買うべきという意味でもあって、理由は同じ。20代で、例えばウイングチップとかを溶け込ませることができる人間は少ないはず
体型依存なので「これ買っておけば良い」なんてものはない
リーバイス(501?)が本命だろうけど体系とご相談を。虚弱体型一歩手前な人ならGAPのスリムジーンズ(スキニーよりちょっと太い)とかも候補になるんじゃないかなぁ
おそらくだけど
・脱オタの人からするとキツすぎ
くらいがちょうど良い。スキニーは、金余ってたら買えば良いけど基本的に不要だし、中途半端にデカいパンツは、それがどんなにラクだろうと不要
そして体系にハマるパンツなんて、たぶん10本試着して一つ見つかるか否か。基本方針として金より時間をかけるつもりで納得がいくものを探してください。リーバイスと言ってみたが、個人的にリーバイスは腰とウエストのバランス(とかも見る)が合わないので長らく履いたことがないのでよく知らない。ごめん
チノとかで良いけど、「自分が定番としているパンツ、に合うサイジングのアウター、に対するオルタナティブなサイジングのパンツ」
これはブランドなどを定番化させる必要はない(そんなに買わないし履かない)はずなので見かけたらラッキー、で
ここでスキニーを入れても良いんだけど、汎用性を考えればスキニーより先にルーズシルエットだと思う。というかオールシーズン通してスキニーがオルタナティブになる、というのは、そもそも●6のサイジングを間違っているから(スタンダードはルーズよりはスキニーに近い)。スタンダード→ルーズの次に、まぁお金があればスキニーを買っても悪くはないんじゃなかろうか
●8:ポーター以外のバッグ
ポーターをカッコよく持てるのは相当な大人(何かデザイン関係の仕事をしてる感を全身で出せるなど)だけだということに気付くべき。持っている人間の99%は大学生かフレッシュサラリーマンにしか見えない。ポーター自体は悪くないので、むしろあれは高校生の頃に一度買って、30代以降くらいのどこか(30代ではないので知りません)で再び持つべきもの。20代はポーターを持つにあたって最も危険な年齢
あとメッセンジャーか。あれって持ち方は大体二種類だと思うんだけど
・本来の持ち方。チャリ文化。20代でもイケるとは思う。ただそれは全身のスタイルの中でしか成立しない。少なくともママチャリしか乗ったことない人間の、そのクセにポパイとかで仕入れた知識で選んだブランドのメッセンジャーは地雷になっているケースが多い
・プラダがたまに、NYファッションが割とよくやる都会の戦士像(?)からの流れ。そもそもあれを20代で成立させられる人間が少ない。どうせ20代なぞ若造
なので「99%」とは言わないけどかなり難しい
バッグは非常に難しい選択になってしまうが、スタイル次第ではグレゴリーかマウンテン系、古着屋の片隅に転がっているようなビンテージ臭の漂う、しかしあまり高くないレザーバッグ、お祖母ちゃんから貰ったお下がりのヴィトン(自分で買った感がない限りにおいて)あたりがギリギリで許される。しかしバッグはあくまで荷物入れであって「ファッションの主役」とかでは決してないことを認識すべき。他の全身合計より高いバッグを持っていても頭悪そうにしか見えないし、JAS.M.B(表記違うかも、UKチックなイセタンとかエディフィスとかでよく売ってるブランド)とかバレンシアガとか、ああいう方向でのデザインコンシャスは本当に辞めるべき。いや、全身100万とかをイヤミでなく着こなせる人なら、バレンシアガくらい普通に持てるんだろうけど。「物入れ」と考えた場合、10万や20万のバッグを普通に「物入れ」として持てるようになるはずの40代くらいになれば選択に悩むこともなくなるんだろうけど知らない
●9:バックルのウザくないベルト
なんか座ったら痛そうなデカいバックルのベルトは本当にマルイなのでやめて欲しい。それこそディオールのイーグルベルト5万(もっとだっけ)とかは正気と思えない。例えば同じディオールなら、数年前の極細ベルト(極小くるみバックルのやつ)は(スタイルが合うなら)買う価値あったような気がする。ただいずれにしてもブランド名を主張するベルトは全NG(ディオールの極細はファヲタしか知らんかなと思うのでアリかなぁと)。そんな場所でブランド自慢をするな
これもやっぱり革なので値段をあまり惜しむと辛い。2万円程度以上出すか、もしくは数千円のオモチャで(ただオモチャベルトは難しいんだけど……)
●10:上質なニット
ニットは「金が余ったときに買うもの」度が高い。別に無ければ無いで古着のネルシャツとかスウェットとか着ておけば良いんだし
正直1万以下のニットでマトモなものを見た記憶がない。1000円のTシャツは普通に着れるけど1000円のニットは本当にどうやってもムリです。その分シンプルな物、例えば黒無地タートルとかであれば、よほど毎日着ない限りは全然長く着れるので、お金があるときに買えば良いんじゃないかなと。だからデザイナーズはあんまオススメしないし、買うにしてもスタンダードライン。ただ胸に妙なものがあるニット(典型的にはギャルソンプレイ)は本当に恥ずかしいのでやめて下さい。あれを着ていて唯一許されるのは、女の子が下半身とかをマジにギャルソンファーストラインで固めて(つまりギャルソン信者という意味でもある)上にギャグっぽくプレイを着ているケースです。まじまじと見たことがないので知らないが、もしあの変な物をハサミとかで外せるのであれば、持ってる人はすぐ外して下さい。外せないなら諦めてヤフオクに
一個名前出すならジョンスメなのかなぁ……。別に人それぞれなので、お金持ちならマルジェラで買ってタグ切ったりしても良いとは思うけど
繰り返すが、別に無ければ無いで全然構わない
※正直「10」にするために最後のニットを付け足したので説明不足なので補足
ここで言ってる20代は、学生終わったら即大人とかって意味ではない。どうせ20代なんざ、学生だろうと社会人だろうと社会の中では若造だし、まだ30代ファッションはどうせ似合わない。それに30代で着れるものは30代で着れば良いじゃん。20代が「ポールスミス(女ウケブランド1位だった記憶があるので書いたけど別に何でも良い)の今期ブルゾン買っちった」と言うのは、何も否定されるべきものではないと思う(それでもその「買っちった」でブランド丸出しベルトとかバッグとか買うのは辞めて下さい)。ただ、せっかく買ったそれを大学生ファッションでしか着れないという、それはもう卒業しようよ、と
ニットなんだけど、
・ニットは基本的に新品同様でないと着れない
俺は、いずれある程度着古すことを前提にしている。もちろん最初は新品で、少しすると新品同様で、そしていずれ着古される。大学生ファッションの共通欠陥の一つは、安っぽい素材で中身の人間にマッチしていない新品服による全身コーディネートなので、体に馴染んできたニットは、中身と他の服の熟成度の足りなさをカバーするアイテムとして長い期間にわたって利用できる。ただ、ニットの質という差は着古すと新品時(であっても1000円は本当にどうやっても無理)よりさらに顕著になるので、正直1万以下で着古せるニットを、俺は見た記憶がない。だから丸井ブランドで買うよりは、30代くらいの知り合いとかが買って数年着て、その後メタボったので着なくなった、元は結構高いニットとかを貰ってくるべき(そして本当に無いなら無いで別に構わない)
ただ、体に馴染んできた後での活用って、あくまで20代のカジュアル用途限定なのかもしれないので、30代以降では、ニットをシャツより高い消耗品として買うしかなくなるかもしれない(けど基本的に知らないし30代の人に聞いて下さい)
ソースはCnetね。
名古屋釣られすぎwwwwキメエwww
とかでも言うと思ったか!名古屋好きなんだよ!
つーことで、表参道は都内だけじゃなくて関東近県からも来れると計算。
原宿に都内在住の人が何人来てると思ってるんだ。
にしても名古屋だもんなあ。
ちなみに、地方のソフトバンクショップでは常連が多いことなどから予約受け付けたみたいね。
だから行列ができなかっただけっぽい。
ちなみに他に行列並んでた人
ユビキタス・エンターテイメント4名(iPhoneのアプリ作ってる会社)
ギズモードスタッフ 3名 武者良太/三浦一紀/いちる http://www.gizmodo.jp/2008/07/post_3982.html
アスキー 2名 http://ascii.jp/elem/000/000/149/149835/
埼玉在住ライター http://www.phileweb.com/news/d-av/200807/11/21465.html
めんどくさくなったが、業界人率は高そうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080705133008
ファッションセンスがないからもてないとかどうせオタファッションだからどうせ俺なんてとか言ってる奴、お前どれだけファッションに時間と労力と金をかけたんだよ。
俺は年間100万円近く服を買う。男物のシャツなんて、まともなのは安くても1万円以上するし、冬服なんてコート2,3着買ったら20万くらい行くから別にめちゃくちゃ多いわけじゃない。(少しだけ普通より使いすぎてる気はするが)
服のメンテナンスに時間をかける。色物、オシャレ着全部分けて数回は洗濯するし、デリケートなのは手洗いだ。アイロンがけに1日1時間以上かける。クリーニング代も馬鹿にならない。
俺なんてまだ序の口だ。友人のファッションオタAなんてもっとすごい。俺の倍は服買ってる。Aは毎週末原宿から渋谷、新宿あたりの服屋を巡回する。店員とも顔見知りで、Aが行くと「Aさんに似合うと思ってキープしてたんですよー」とか言って店頭に出てない新作が裏から出てきたり、「本当は来週からセールなんですけど、Aさんには特別です」とかいって、突然全商品半額セールが始まったりする。(だから俺は服買うときはAに付いてくぜ。得だからな)
給料の大半は服に費やしてるし、食費削ってまで服買ってる。馬鹿だよ。頭悪いよ。
でもAのやってることは他のオタクと変わんないんだよ。オタクが毎週秋葉原に通って、10万もするグラフィックボード買ったり、アニメのDVDとかPS3とかeeePCとかiPhoneとか買うのと同じなんだよ。パーツ屋の店員となじみになったら入荷情報とか教えてくれたり取り置きしてくれたりするだろ?それと一緒。
これはどっちも極端な例で普通の人はこの中間なんだけどさ、普通の人はどちらかといえば前者に近くて、ファッションセンスがないとか言ってる奴は後者寄りなんだよ。センスがない奴はある奴よりも使った時間も、金も、労力も劣っている。ただそれだけ。
ダサいファッションは嫌だし、自分の見栄えがよくなるとうれしいだろ? うれしいからがんばる。好きだから打ち込む。趣味なんだよ。ファッションに気を使ってない奴は、本当はそれを嫌だと思ってないんだろ。もしくは優先順位が低い。ファッションに時間をかけるくらいならアニメを見る。服を買うくらいならパソコンを買う。趣味に費やす。そういう優先順位だから趣味の知識・技術レベルはどんどんあがっていくけど、ファッションセンスがあがらないんだろうが。
単なる愚痴で書いたつもりの記事がホットエントリという形で予期せぬ注目を集めてしまったため、真意が伝わりにくい場合があるようなので、本文に違和感をもたれた方はこちらの補足記事を併せてお読みいただくようにお願いします。
生まれ育った関西から東京に移り住んで二年経つが、東京の感覚にどうしても馴染めないところがある。車が通らなくても信号を馬鹿正直に守るとか、エスカレーターで左側に立つとかそういう些細なことはどうでもいいとして、「東京の文化が中心、それ以外の地方文化は周縁」ということを無邪気に信じていることだ。テレビなんかで「六本木」だの「原宿」だのという東京のローカルな地名を断りなしに出すとか、「都内」はすべて都会であると思いこんでいるというのもその一つだが、最大のものはやはり「言葉」だ。
一番不思議なのは、「訛る」という言葉だ。地方出身の誰かが方言の語彙や抑揚をうっかり混ぜると「訛った」と言いたがる。これがよくわからない。自分たちも関東弁をしゃべっているくせに、九州弁や関西弁を「訛った」も何もないだろう。そのくせ「関東弁と標準語は別物だろ」というと全力で「それはない」と否定される。「じゃん」だの「じゃね?」だのが標準語だとでも思ってるのだろうか。
そのくせ、「関西弁は柄が悪い、下品だ」というような差別を平気で口にする。これはその辺のオッサンとかガキとかだけじゃなくて、結構なインテリさんでもそれが差別だということに気づいていない。いったい何なのだろうか。
これがただの言葉の問題で済めばよいが、ネットなどを見ると「また大阪か」「大阪は民度が低い」などという言葉まで出てくるのだから、事態はもう少し深刻な気がする。
誰であれ、慣れ親しんでいない言葉は奇異に感じるものだ。タモリのインチキ外国語という芸が成立するのもそのためだ。しかし、そういう感覚は相対的なものでしかないことは頭に置いておく必要がある。関東人が関西弁に違和感を感じるのなら、関西人も関東弁に強い違和感を感じているのだ。特に、関西弁の語感からすると「じゃん」とか「じゃね?」ほど虫酸が走る言葉はない。もちろん、ここは関東だとわかっているから、それに文句を言うのは筋違いだと思って我慢をしてはいるが、その苦労を知らずに関西弁の悪口を言われるとやりきれない思いがする。東北人や名古屋人が方言を必死で封印している涙ぐましい努力が彼らには想像できないのだろうか。私は普段標準語を使うように努めているが、とっさの時にはどうしても関西弁が飛び出てしまうから、その苦労は想像して余りあるのだが。
確かに関西人も、関東出身者が「じゃん」とか「じゃね?」とかを関西で使うと一斉につっこみを入れるが、それは「標準語」を嫌っているからではなく、「関東弁」を標準語と勘違いして無邪気に使っていることにつっこみを入れているにすぎないのだが。
それにしても、関西弁が柄が悪い、というイメージはどこから来たのだろうか。おそらく、テレビのせいだろう。吉本の芸人はかなり無茶な突っ込みをするし、強引に笑いを取る。だが、吉本の芸人が使っている言葉をそのまましゃべっている関西人はほとんどいない。あれはいわば「吉本弁」なのだ。「吉本弁」は大阪南部の言葉がベースにはなっているが、それと全く同じではない。だいたい、ああいう下町言葉を「下品」だと言うのであれば、我々も「てやんでえ」だの「あったりめえよ」という言葉にはかなり違和感がある、と言わざるを得ないのだが。
そもそも、吉本のステレオタイプで関西すべてを解釈するのはなんとかならないものだろうか(そうでなくても、誤解を恐れずに言えば、吉本の芸人の一番おもしろい部類は全国放送されていないのだ!)。テレビで「関西人」の街頭インタビューとなれば、間違いなく「がめつい大阪のおばちゃん」だけが選んで写されるが、関西人が全員ああだというのはまるで、イギリス人は全員Mr.ビーンやチャップリンであるというようなとんでもない思いこみである。
だいたい、「関西」と「大阪」の区別がついていないことも勘弁してほしいものだ。我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。京都・大阪・神戸・奈良という関西の四大文化圏は、関東における東京・横浜・千葉・埼玉よりもよほど個性が強く、言葉一つとっても一緒くたにできる要素など全くない。それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。
なんだか愚痴がとりとめもなくなってしまったが、こういう人たちに「民度」を云々されるのだけは勘弁してほしいものだ、というのが私の偽らざる感想だ。少なくとも、橋下知事を選んだ府民を馬鹿にするのなら、石原知事を選んだ君たちはいったい何なのか、よく内省してもらいたいものだよ、まったく。
いまいくつかGoogleMapやGoogleMapAPIを使ったサイトを見てて
もしかしたら、と思ってGoogleトランジットで
全く情報引っかからず。
おいおいおいもう開通して3日たってるんですよ。
ヤフー!なんかはとっくに対応してまっせ。
Googleマップを使っているサイト結構多いから何げに目立つような
あとトランジットも使ってる人にとっては痛いかも。
てか、Googleマップの情報更新ってどれくらいの頻度で行われてるんだろう?
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20080617153254
明治神宮前や新宿三丁目などで検索するとちゃんと副都心線経由で出てくるので情報自体は持っている模様。
ま、路線検索にに駅すぱあとつかってるからかね。
どうやら既存の駅なら引っかかるんだけど、新しくできた駅だけ対応してないみたい。
モテる人が「非モテ」という弱者を意図的に作り出して攻撃しているのではなく、誰か賢い奴がどこかでそういう概念を作り、マスコミを通じてしらずしらずのうちにそんな弱者が存在しているかのような空気にしてしまうわけだろう。モテにとってはその非モテ概念を利用することでガス抜きができたり王様になれた気分になって脳内ハッピーになれるし、そういうアホによって非モテが迫害されることにより、恋愛主義が促進され、恋愛市場の消費向上と少子化対策になるという仕組みだ。
ちなみにこれに実効性があるかどうかだが、まあこんなのにひっかかるのは全体の2割を占める勘違いだけで、グレーゾーンを含めて一般人はひっかからない。ときどき街を歩きながらニコニコしているDQNをみることがあるが、脳内王様になっているんだなと感じる。バカは幸せでいいよな。渋谷や原宿に集まっているのは、全国から選ばれたバカの集団かもしんない。
パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女も日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。
確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語が完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説は赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。
いまやケータイ小説の消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語はコミュニケーション上で通貨の役割を果たしていた。「泣ける」「感動した」等の賞賛の言葉は優れた物語に対する報酬ではなく、自分の物語を読んでもらうための対価となった。
このまま過飽和の状態が続くわけも無い。大方の識者と呼ばれる程度の文筆家達はそのように考えていた。事実、彼らのやり取りする物語は、劣化したミームのまとまりの無い堆積のようなもので、そこに生の声が塗りこめられていたとしてもそれを汲み取ることは、本人達にとっても容易なことではなかった。さらには、仲間内でしか判らないコード進行、バズワードなどによって共通言語が小集団に分断されていき、しまいには原宿の少女には渋谷で書かれたケータイ小説が読めないいうことも起こった。この緩やかなまとまりを持ちつつもタコツボ化していくケータイ小説界は、人文系、特に言語系学者のフィールドワークの対象として魅力的に見えたらしく、いくつかの論文を産んだ。中でも「ケータイ小説の系譜」はケータイ小説を神話の発生と絡めたこともあって現代の金枝篇との評価も高い。
さておき、浸透と拡散、特化した小集団の枯死といった経過をたどってブームとして消費されるかに見えたケータイ小説は突如として変貌する。あるケータイ小説家が「あなたの人生を小説にします」と宣言しサービスを始めた。既にケータイ小説市場に新奇の物語要素は存在せず、彼らは自分達の生活そのものをドラマチックな嘘と仲間内のコードで修飾して市場に流すようになっていた。そこにビジネスチャンスを見出したのだった。ゴーストライターである。熟年を対象とした自叙伝ビジネスとほぼ相似の関係であるが、このゴーストライターは雇用者に対して聞き取りをしない。雇用者の一切の創作の手間を省くためであるのだが、雇用者が若年であり語るべき過去を持たず現在進行形を小説としてほしがったためでもある。従ってゴーストライターは雇用者のあとをついていき、行動を小説に書き起こす。小説の頒布とそれに生じる利益の追求は雇用者が行う契約だった。1:1対応のビジネスモデルは多くの追随者を生み、ケータイ小説市場はモデルで消費者でもある雇用者とゴーストライターに二分された。
「書として街に出よう」
一番最初に組織化されたゴーストライター協会のキャッチフレーズだ。人々はゴーストライターという形でフィクションを身にまとうようになった。そしてゴーストライター達は昔の演劇要素を発掘してきて観察者たる立場を確固たるものにした。
日本人が外国人と街を歩くと説明に困る事態に遭遇する。外国人たちはあらぬほうを指差し「あれは何だ」と訊ねる。だが日本人には「あれ」が認識できない。認識しないことになっている。勿論「あれ」はゴールドライタンであり、認識しないのはそれが黒子の格好をしているからである。組織化され認知されたゴーストライターはその数を増し、街を行く人々の半数が黒づくめだった。この奇妙な習慣は海外に紹介され「KUROKO」は各国語に定着するほどになった。デートスポットなどでは男女のカップルの後ろに黒子が一人ないしは二人控え、次にささやく愛の言葉をインカムを通して伝えていた。人々はいつしか物語の後ろを歩くようになっていたのだった。このことは、よりドラマ性を求める人々によって多くのトラブルを産んだ。例えば暴行現場を取り押さえた警察官によって逮捕された三名の中に黒子が二人含まれていたことなどを軸に、主体の所在についての論争がしばしば起こされた。この事件は合意の有無を巡って最高裁小法廷に最終的に判断がゆだねられた。
そして、殺人教唆で逮捕されたカリスマ黒子「IA☆GO」がAIであったという暴露により、混乱はピークを迎える。ゴーストライターの慢性的不足から、ゴーストライター協会は自立AIをひそかに利用していたのだった。このスキャンダルで幹部数人が逮捕されることになりゴーストライター協会は解散した。
後を受けて設立されたゴーストライター連盟が、AI「IA☆GO」の基本構造を継承して作られた記述AIをPAB(ParsonalArtificialBrain)として公式に商品化し、それがやがて人類から機械知性に文明を禅譲する流れになっていくのである。
1、実家寄生で貯まる
2、食生活が貧困で貯まる(カップめんとか)
5、全部複製品と共有で済ませてきたから貯まる
6、リアル女と付き合わない、かつ風俗行かない(聖コスプレ学園除く)から貯まる
という、オタク金回る幻想がありますが(なんとか総研のオタクによる市場の大きさを称える馬鹿データが元凶)、オタク系統の消費性はここ数年落ちてますよ。その市場にいる人なら実感してると思いますが。(自分とこが悪くなくても周りで潰れた会社とかたくさんあるでしょ?)
アニメDVDだってエロゲーだって減産している。漫画の初版も平均したら落ちている。
お客さんも、1から6で安心していた人たちが経済の悪化で失職してるから、使えるお金が減ってる。親もそう。
もちろん売れてるものは売れてるよ。見た目は商品数も減ってない。全体で見たときの市場ね。減売分を点数増で補ったり、コストを下げたりの見えない努力でなんとか持たせてる。それでも、実際のところ売り場面積も減少してる、アキバは原宿化し、路上は自称アイドルのパフォーマンスによりアイドル本人の個人写真集(音楽でいうCDの代わりにネットで販売されている)を売るためのショーケース化。
俺のことなんだがさ
自分で言うのもアレだが、自分の顔は整ってるし、芸能人やどっかのNo.1ホストだと勘違いされることも多い(後者は微妙だが…)
昔趣味でバンドをやってた時は何故か美形キャラをやらされていた
ちょっとユニセックスな服を着ていると殆どの場合女性に間違われる
年齢は普通の人生を送っていればそろそろ社会人生活に慣れたくらいの年齢だけれど、童顔なのか10代に間違われたりする
しかし非モテである
今まで彼女が全然いないとかいうことはないが、どっちかといえばモテない方だろう
あまり異性に興味がないというのもあるだろうが、自分から告白したこともない
今まで付き合った人は全部向こう側からだ
しかし大抵の場合、ちょっと仲良くなっても付き合う前で離れていく
俺の内面がでているんだと思う
まだ10代の頃は美少女ゲームに結構ハマってたこともあるし、テレ東の夕方やってるやつは毎回ビデオに録っていたし(当時はVHSだったんだよ)、深夜のアニメも眠いのを我慢しながら見ていた
そんな訳で必要がない時は家から出ない生活をしていた
そのせいか、あまりコミュニケーションが得意ではない
だから話題がないのだ
女に政治の話をしても、哲学の話をしてもウケが悪いのは分かってるから
俺の人生の汚点というか、これも非モテの原因の一つでもあると思うのは進路だった
高校受験の時、自分の都道府県内で1番の進学校に合格し、そこに通っていた
しかし高校に行ってからヲタク人生を突っ走り、勉強などテスト前でもしなくなっていた
将来の事を考えると嫌になったが、大学に行く気も起きなかった
当たり前だが、学年で大学進学しなかったのは俺だけだった
両親は2人とも優秀だったので散々罵倒された
その時代は自分の中での暗黒時代だった
詳しくは語りたくないが、ヲタ趣味も捨てたし、自分の時間もないしで酷かった
今は普通の社会人として生きているが、その時代に比べて随分と楽だなぁと感じる
とにかく週休2日が嬉しい
そして祝祭日も休みだ
福利厚生もあるし
残業は月に1時間もない
ていうか皆無
上の方が残業させない方針だからね
それどころか平日も残業ないから定時がきたら自分の時間だ
当然、外になど出ない
出るとしたらアキバくらいか
いや、服は好きだからそれなりに外に出るかな
逆ナンもあるし、ユニセックスな服の時は男にナンパされたり、怪しい誘いもあったりするが、全て無視している
何だかんだで俺は非モテというものを満喫している
自分の趣味に自分の時間全てを使えるからだ
「○○の△△クンに似てるぅ♪」
みたいな感じのことをよく言われてきた
大抵は俺がどこかでキレて別れてきたが、一人の時間も楽しいから全然後悔していない