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はてなキーワード: 半信半疑とは

2010-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20100618014724

元増田です。ブコメトラバはどれも何度も読み返させていただきました。

励ましのお言葉も沢山頂いて、目頭が熱くなりました。

まずは、補足から。

大学生なのに一年半付き合って「結婚の話が出てきた」って?

あとのトラバの方も書いてくださっていましたが、知り合ったのが大学3年のときです。

つきあいだしたのは知り合ってから1年以上経っていたので、結婚の話が出始めたときにはすでに大学卒業していました。

結婚の話の真剣度については、彼のほうがどうだったのかは今となっては分かりません。お互いの人生設計について真面目に話し合ったこともありますし、私はそれなりに本気だったのですが……。

そして彼氏仕事で疲れてストレス溜まってたんじゃ?もしくは新しい出逢いがあったか。

エントリに書いた理由に加え、彼の仕事が忙しいのに、私が環境が変わったストレスから甘えすぎてしまったことが原因だと思います。

出会いがあったかどうかは分かりませんが、もしそうなら少なくとも彼の方は私と付き合っていたときよりも幸せになっているはずで、

いっそそうだったらいいな、という気持ちも強いです。

振られて自罰的になっているだけ

いくつか似たようなご意見を頂きましたが、確かにそういう部分もあるかもしれません。

元々、自分恋愛市場における価値というものをあまり信じられない方だったのですが、さらに拍車がかかっている気がします。

あんなに優しかった彼氏さえ離れていったんだから、私と付き合って喜ぶ人なんているはずがない…というような。だから、

自己評価額を下げまくり主体性を譲り渡したが故に堕ちていく人は多い。

というブコメには、はっとさせられました。そういう衝動も分からなくはないというか、振られて以来ときにちらりと頭をかすめるからです。そうならないよう、頑張らなければいけないですね。

こういったことは、時間が経てば徐々に解決するのでしょうか。

頂いたお言葉を胸に刻みつつ、少しずつ自信が持てるように頑張ってみます。

できれば若いうちに呪いが解けて欲しい

厳格な貞操観念を「常識」「道徳」というふうに捉えていたので、呪いという表現には色々考えさせられました

やっぱり小さいころから(明示・黙示ともに)教わってきたことはなかなか否定できないのですよね。

彼と付き合っていたときは、違った考え方もあるんだ、と少し思えるようになっていたのですが、別れてまた、「不幸になったのは貞淑でいられなかったことの罰だ」というような考え方に戻ってしまいました。

色々な人付き合い(恋愛に限らず)を通して、人間関係というものを見つめなおしてみたいと思います。

数が多ければ良いってもんじゃないが、所謂普通の人は結婚する段階で5~10人くらいは経験あるんじゃないの?

これはちょっとびっくりです。私の周りの友人は、1人の人と長く付き合う人が多く、初めて付き合った相手と結婚していたり、そうでなくても今の彼氏とは7年の付き合い、という人も少なくないので・・・。

もしかしたら、私の周りが少し偏っているのかもしれませんね。

そんとき好きだったんだからセックスしたからってなんも悪くない。

ほんのちょっとですが、この言葉を見て、気が楽になりました。

天の一番高い所からこの世を見おろすような一夜

は、中島らもですね。元彼と体験したこんな気持ちが他の人と味わうことができるのだろうか、というのは今のところまだ半信半疑ですが、

何が起こるかわからないよ。人生は。

というのは本当にその通りで、元彼と結婚していたとしても幸せになっていたかどうかは分からないことですよね。

元彼の幸せを祈りつつ、自分もちょっとずつ幸せになれるように努力してみたいと思います。

2010-03-29

スローセックスのすすめ

結婚してしばらくたつとどこのご家庭でも奥さんとの関係がマンネリになってセックスレスになるらしいけれど、結婚5年目のわが家もご多分にもれずセックスレスになりつつある。

なりつつある、というのは心のどこかで「セックスレスになるのは良くないな」という気持ちがあるからで、義務感から月に1回ぐらい交わっているだけ。しかも、たまの行為も「入れて出すだけ」みたいな作業で終わってしまい、お互いの体を使ってオナニーしているだけみたいな感じにすぎない。

そんな虚しさのせいで、さらに行為から遠ざかってしまうという悪循環に陥っているんだよね。

 

ということを同僚に相談したら、アダム徳永の「スローセックス実践入門」をオススメされた。

早速Amazonで注文して読んでみたら、目から鱗がボロボロと。好きな趣味は何時間でも楽しみたいと思うのに、どうしてセックスは短時間で済ましてしまおうとするのか。乱暴な愛撫はNG、高価な美術品を愛でるように慈しまなければならない、などなどの言葉に感動し、早速妻にもちかけたところ、

「そういうの面倒くさいから、さっさと挿入して終わって欲しい」

とすげなく断られてしまったんだよね。

 

ということを同僚に相談したら、せっかくなんで試してみようという話になってふたりでラブホテルへ。

最初は半信半疑だったけど、女性の体を丁寧に愛することがこんなに楽しいことだと分かってものすごく感動した。本文中に「新しいおもちゃを与えられたように愛撫に夢中になる」と書いてあったけれど、まさにそのとおりで、女性の体を愛することのすばらしさに目覚めてしまった。

著者がいうほどものすごい効果があったわけじゃないけど(自分が未熟だというのもあるけど)相手からは、ものすごくリラックスできたし、何時間も愛されてすごく嬉しかった、と言ってもらえたので試した甲斐はあったのかな、と。

それと、「スローセックスは気の交流だ」みたいなことが書いてあって胡散臭く思ってたんだけど,マジであるかもしれない。普通セックスだと終わったらすぐに疲れて寝ちゃうのに、スローセックスだと何時間も交わってるのに全然疲れないどころか、むしろ気力体力が充実した感じがするんだよね。これがすごく不思議

 

そんなわけで効果の程を実感し、これからも研鑽を積んでいこうと決心したんだけど,問題はどうやって妻にこれを切り出すかだ。

「いや~、○○さんで試したんだけどすごく良くってさ~」

とは言えない。絶対に。

だけど普通に誘ったところでまた断られるのは目にみえているし、だけど自分は「入れて出すだけ」みたいなセックスは二度としたくない。

さてどうしよう。また同僚に相談してみようかな。

2010-03-07

NTT管理運営する電話ボックス

携帯電話の普及によりその数は減ったものの、今日もまだ全国に沢山存在している

ある日から全国の電話ボックスの使用履歴がおかしいという事で、NTTは極秘に調査を実施した。

しかしその結果は実に不可解なものであった

電話ボックスの使用、つまり受話器は上がっているが通話までに至っていないというケースが全体の使用履歴の50%に近いという奇妙な実態が明らかになった

それも平均通話時間は今までと変わっていない。

つまり電話ボックス使用者の約半数が受話器を上げて待機音と3分近く話をしているというのだ

一体誰が何のために?NTT調査部はいくつかの電話ボックス監視カメラを仕掛け、実際の電話ボックス使用者の様子を見ることにした。

調査部は驚愕した、誰もが調査結果には半信半疑で何者かにデータ改ざんされたものだと思っていたのだ

調査部の仕掛けた監視カメラには克明に、通話せずにただ待機音と話す人々が映されていた

驚いたのはそれだけでなく、サラリーマンOL子供から老人まで皆、同じ口調で意味不明言語を話していたのだ

聞いたことの無い、得体の知れない言語

人間とは思えない奇妙な声を発していた

2009-12-06

道にロープを張って車をとめるいたずらをしたことがある

東京新聞:米兵の子4人逮捕 バイク転倒事件 「ロープ張った」殺人未遂の疑い:社会(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009120502000220.html

asahi.com朝日新聞社):米兵の子4人を殺人未遂容疑で逮捕 バイク女性転倒事件 - 社会

http://www.asahi.com/national/update/1205/TKY200912050197.html

痛ましいニュースである。バイク女性が重傷という結果を引き起こしたにもかかわらず、容疑者4人の身元引き渡しがスムーズに行われなかった点も納得がいかない。このニュースを見て、15年前にアメリカで数日だけホームステイしたときのことを思い出した。

私的な経験

その時僕は中3で、お世話になった家には高校生中学生兄弟がいた。ある晩、僕はその兄弟のお兄さんのほうに「おもしろいものを見せてやる」とさそわれた。家から10分ほどはなれた住宅地の雑木林を抜ける細い道にピアノ線のような細いワイヤーを張って、走っている車を止めるのだという。僕とその家の弟は林の中に身を隠し、お兄さんが細いワイヤを道の両側の木に巻き付けてピンと張る。それはとても細いワイヤで、僕にはそんなもので車が止まるのか半信半疑であった。

罠を仕掛けた後、3人でなんの明かりもない林で息を殺して10分ほどまっていると、車が走ってきた。大きい4WDだったと思う。

ワイヤーがあまりに細いので僕らの場所からはワイヤーの位置がわからない。時速30kmくらいで滑るように走っていた車は、次の瞬間に「ブン」という地味な音とともに、軽く上下に振動して、止まった。ワイヤーが見えないのであたかも車が空気の壁にぶつかったようだった。

僕らは車がとまった瞬間に、「よっしゃ!」とかいいながら、林の反対方向に走って逃げた。ドライバーは車から降りて、初めてワイヤーのいたずらに気づくのだろう。家に走ってもどると、その家の両親は苦い顔をしたはものの、特に咎めることもなかった。彼らもこれは子供のいたずらとして考えていたのだと思う。

15年前のアメリカコネチカットにある田舎の町でのことである。

殺人未遂を問えるか?

この経験をもって、ロープを張ることがアメリカではよく行われる悪戯と言うつもりはない。ただ仮にロープを張ってもアメリカのようなバイクの少ない場所では、人の命を左右するような結果は想像できないと思う。

今後、容疑者達が日本法律で裁かれるとして、彼らの弁護士は「これは米国ではよくある、たわいもない悪戯で、容疑者達に殺意はなかった。」と言い出すのではないだろうか?もちろん彼らは厳しく罰せられるべきではあるが、殺人未遂つまり殺害の意図があったという説明は難しいと思う。

そして15年前に自分がいたその場所で、今回のような悲劇が起こらなくて本当によかったと思う。

2009-09-22

これらの言葉を始めて聞いたとき、そんなことあるんかいなと半信半疑だったけど、

今じゃ完全に信頼ゼロ

こういう言葉で議論を展開する人は信頼しないことにしている。

2009-08-15

のりピー似の(と言われていた)女の子

酒井法子逮捕されてからこっち、高校時代を思い出さずにはいられなかった。出会ったのは一年生の春だった。まだ顔も名前もろくに覚えられていない同級生達の席の間を縫って歩いていると、一人の女の子が弾けるような笑顔で僕の事を見ていた。僕は不審でしょうがなかった。僕の顔に何か付いているのだろうか?それとも天パーの頭が鳥の巣みたいだったろうか?はたまた入学初日に上履きを忘れてただ一人スリッパで過ごした奴はこいつかなどと思っているのだろうか。さっぱりわからなかった。仕方なく僕は不思議そうな顔を隠す事無く、軽く会釈した。彼女笑顔のまま会釈した。

さっぱりわからなかった。今までモテるとか顔を褒められるとかした事が無かったので、そういう意味笑顔では無いだろう。だとしたらなんなの?やっぱり分からない。一つだけ分るのはの笑顔がすっげーかわいいという事だ。トリコになりました。次の日からは意識的、無意識的に目で追うようになった。でもそれじゃ飽き足らなくてやっぱり話がしたい。でも大した用も無いのに話しかけたら、口ごもるに決まってる。でも会話はしたい。できる事ったら朝な夕なに「おはよう」、「バイバイ」と確実に挨拶する事くらいだ。特に別れの挨拶は難しくて、朝というのは放っといても時間になれば皆教室に入って来るのでいつかは顔を合わせる事ができ、また女の子というのはどういうわけか何時であろうとその日初めて会った場合には「おはよう」、と言うのが常であるようなので、それは大して問題では無いのだが、帰りはそうはいかない。めいめいがそのまま帰る、教室廊下でだべる、部活、などそれぞれの都合で帰る時間が決定されるからである。なので帰るまでは教室廊下をうろつくのが常であった。

幸運だったのは僕の入った部活彼女も入った事だった。「同じ」と言っても男女一緒に活動するわけでは無い。とはいえ、見渡せば姿は認められる位置関係だった。今気付いたが、1年生の時は学校にいる間中、見ていたという事か。これはいかんな。一時期は席替えの結果、僕は真後ろの席につくという僥倖を得た事があった。これは僥倖以外の何物でもなく、別に見ようとしなくても見れてしまうのである。その時、ショートカットの後ろ髪をかきあげる癖があると知った。それがあまりに頻繁だったので、僕は「○○君があたしのどたまを見ている!あたしの髪変じゃないかな。気になる!」という気持ちの表れだと思わずにはいられなかった。

休みの日は困った。姿が見られないから。しかも顔をうまく思い出せない。あれなんでなの?好きな人の顔を思い出せないのは。再現のレベルが低いと像を結ばないという事か?脳内に厳しい上司がいるのだろうか。何度も、ちょっと会わない的な誘いをしようとクラス名簿を見て家に電話をかけようかと思ったが、ご両親、ご兄弟が出たらと思うととてもじゃないけど、僕にはそんな事はできなかった。当時はやっていたポケベルすら持っていない僕に打つ手は無かった。

特に何も無いまま、冬休みスキー教室みたいなイベントもあったりして、話すネタができた、というのと、冬休み部活もろくに無いので、顔を見ることすらなく、悶々としていたといった理由から意を決して電話した。家には子機なんてこじゃれたものはなかったから、居間で、幸いにも夜の早い両親の寝静まった後、電話をかけた。でも寒い居間で勇気が出なかったから、ミッシェルガンエレファントライブビデオを見て勇気を振り絞って電話して、男の人が出たので、これまた勇気を振り絞って、変わってもらった。実際に話した内容は他愛も無いもので、スキーがどうだった、部活がどうだとかその程度で、また冬休み明けたらよろしく的な、別段何かに誘うでもなく、大して後につながらない話に終始したが、僕はそれだけで残りの冬休みをうきうき過ごせた。

冬休みが明けるとなんかどうも先輩からアプローチをかけられたらしい事がわかった。その時、僕は前の席に座っていて、どうもその日先輩に呼び出されたということらしい。僕は聞いてられなくて、トイレに立った。トイレから出て、手を洗っていると、なんとも浮かない顔(に見えた)の彼女が出てきた。僕は「そんなの別に行かなくていいじゃん」て咄嗟に思ったけど、口からは何も出なかった。なぜ言えなかった!ただ聞き耳を立てていただけで、事情がよくわからないから、下手に口出しするのはちょっと・・・と思ったからか!HEたれ野郎が!先輩の申し出は断ったようだった。

2年生になった。クラスが変わった。主に見られるのは部活くらいになった。そんなでぼんやりしていたら、彼氏ができたという情報が耳に入った。マジか・・・。とうとうか・・・。なんせ誰に対しても明るく接する彼女彼氏ができない理由を探すほうが難しかった。約半年後、別れたという話を聞いた。僕は彼女がその彼氏と一緒にいるところを一度も見た事が無かったので、付き合っていたこと自体、未だにに半信半疑なのだが。しかしタイミング的にはもうすぐ修学旅行という時期だ。「修学旅行前に彼女がいるのと修学旅行彼女ができるのとではだいぶ違う」と友人が色めき立っていたのを聞き、僕はそういうもんかと思い、とうとう、やっと、遂に、いよいよ、ようやく、遅ればせながら、告白する意を決した。確か土曜日日曜日の、よく晴れた部活前の時間だったと思う。自転車置場で、僕は緊張のあまりなかなか言い出せず、しかも「ずっと・・・・す、す、す、・・・・」みたいな調子で、我ながらベタドラマか、アニメかよと思った。返答は芳しいものでは無かったが、終始笑顔でいてくれた事がせめてもの救いだった。というかリアクションとしては悪くないよなとすら思った。なので、まぁそうだよなーとかすっきりした思いで修学旅行は過ごした。

その後、また彼氏ができたとかいう話があったりして、その頃は3年生の夏頃になっていた。部活も引退し、受験勉強モードだったわけだが、何をとち狂ったか、前の彼氏と別れたという情報を聞きつけてしまったため、再度アタックをすることにしてしまった。タイミング的には誕生日が間近であった。またもや家に電話をかけ、なんとその日の約束を取り付けたのだ!するとプレゼントか。一緒に予備校に行ってる連中に相談した結果、香水が良いのでは無いかという事になった。一緒に百貨店に買いに行き、なんとなくenvyというのにした。envy、そら完全に僕の事では・・・などとよく分からない不安を覚えながらも約束の場所にいた。高3の夏休み中だったため、会うのは数週間ぶりだった。なんかいかにも今日切りましたみたいな髪形になっていて、僕はそれを言おうと思ったんだけど、具体的に何がどう違うのかよく分からない。長さを揃えた・・・んだろうけど、何か上のほうがふわふわした感じになっている。それをどう言葉で表現していいんだ。そんな感じでもじもじしていたら、彼女のほうから髪切ったんだと言ってきた。いや、すぐわかったよ!わかってたよ!ちくしょー!って思った。その後の会話もなんか弾むでもなく、ぼんやりしていてしまいには大して面白くもない自分の親父の話とかしてて、もうぐだぐだだった。別れ際、プレゼントを渡し、改めて告白した。断られた。流石に今度は困り顔だった。最後にせめて抱きしめたいと思ったが、そんな度胸もなく、両手を握る程度にとどまった。

そんな事があったのが、11年前の今日でした。

2009-07-21

暗殺しながら生きていく

フィクションです)

 大学院を修了後に上京して、大手の暗殺企業で五年間勤務していた。エキサイティングな職場だった。厳しい先輩と、ハード仕事を次々こなした。待遇は悪くなかった。三年目には年収手取りで一千万円を越えた。ただし昼夜もなければ公私もなかった。殺しても殺しても依頼は尽きなかった。この激務は終わりのない日常なのだと気付いたちょうどそのとき、仲の良い同期が死んだ。ブレインストーミング中に流れ弾が頭部を撃ち抜いたのだ。桜散る春のことだった。

 ゴールデンウィーク休みなく働き続けた僕は、翌週に四十度の熱を出した。近くの病院が出した診断結果は「ただの風邪」。それだけ体が弱っていたのだ。やりかけのプロジェクトがあったのでなんとか会社へ向かおうとしたが、体は動かなかった。動け、動いてよ、という言葉自分に呟いた。動かない。結局、東京に来てはじめて自宅で時間を過ごすことになった。一日が長かった。ワンルームにはテレビ冷蔵庫もなく、ゴミ箱さえない。がらんと広い死んだような家で、死にかかっていた。

 翌日も体調は戻らなかった。誰かと話をしたかったが、学生時代の友人とはもう長いあいだ連絡をとっていなかった。アドレス帳を開いてはみたものの大半の顔が思い出せない。仕方がないので、一日を布団にくるまって過ごした。誰の訪問もなければ、誰からの電話もなかった。恋人からの電話さえなかった。きっと僕は一日中働いていると思ったのだろう。ふだん彼女から着信があっても返事をしなかったのは僕なのだ。夜中にふと目が覚めて、さめざめと泣いた。ひとしきり泣いて、僕は退職を決意した。

 一週間かけてなんとか体調を戻した僕は、どう退職を切り出すか迷いながら出社した。待っていたのは、リストラの宣告だった。「なぜかは君も分かっているだろう」とミシガン大卒上司は言った。どうやら寝込んでいるあいだ会社からのメールに対応しなかったというのがその理由らしかった。「クライアントおかんむりだ。責任はとってもらう」上司ははっきりとそう言った。パソコン会社に置いたままだった、と言い訳する気にはなれなかった。外資系は違うな、と僕は妙に感心した。「暗殺者はともかく、外資系はやめておきなさい」と言った母の言葉を思い出した。

 僕はそのとき二十九で、違う業種に足を踏み入れるにはすこし遅かった。そして同業他社へ進むには内情を知りすぎていた。残されていたのはフリー暗殺者として独立する道だけ。僕はそうした。もちろん最初はうまくいかなかった。貯金を食い潰す毎日だった。サラリーマン時代はなぜ、あんなに高いスーツばかり買っていたのだろう。足にぴったりフィットするようオーダーしたストレートチップの革靴も。

 ほどなく恋人にも捨てられた。馘首になったことを打ち明けたら「結婚する気はあるの」と聞かれ、返答に窮したらそれっきりだった。これまでに殺してきた人達家族に明日殺されるかもしれないのに、それはそれとして「結婚しよう」と答えるのが誠実な態度だったのだろうか。僕にそんな自信はなかった。

 その時期、前職の顧客からぽつぽつと頂く仕事が僕の命綱だった。貧乏はつらい。しかしそれ以上につらいのは、暇なことだ。仕事一筋だった自分には余暇の楽しみ方など分からなかった。暇を潰そうにも相変わらず我が家にはなにもないまま。だからと言って、これまでに買ってきた恨みを思うと街をぶらぶら歩く気分にもなれなかった。夜になるたび、実家に戻ろうかと真剣に悩んだ。母にはまだ退職の話さえしていなかった。

 好転の契機は価格を見直したことだった。それまで用いていた大企業譲りの価格体系は、プランオプション、割引制度が複雑怪奇で、一般顧客には理解が難しい。そんな当たり前のことに気付くのに半年かかった。ゼロに近付いていく預金通帳を眺めて、ふと分かった。実際のところゴールドプランだろうとプラチナプランだろうと、顧客にはどうでも良いのだと。殺して欲しいから暗殺者を頼む。それだけの話。そこで原則、一人につき二十万円と改めた。コンサルティング・フィーはなし。メンタルサポートオプションもなし。分割払い不可。にこにこ前金一括払い。失敗したら全額キャッシュバック。失敗などしたことなかったので、なんの問題もなかった。

 ネット系の暗殺企業CFOを勤める後輩の薦めに従い、なけなしのお金で簡単なネット広告も始めた。「これからは暗殺ネットで依頼する時代ですよ」と後輩は言っていた。正直に言って半信半疑だったが、ほどなく新規顧客を獲得できるようになった。暗殺企業は大手顧客ばかりに目を向けていて、リテール向けのネット進出に出遅れていたのだ。ネット系の暗殺企業はいずれもベンチャーだが、急速に顧客の支持を集めている。僕はその波に乗った。

 すこしづつではあったが、充実した忙しい毎日が戻ってきた。殺して、殺して、殺す毎日。正直に言って、サラリーマン時代は企業闘争に関わるプロジェクトばかりだったので、個人から依頼される仕事の大半が痴情のもつれであることには閉口した。それでも、大事なお客さんであることに変わりはない。ある時は依頼者の夫を殺し、ある時は依頼者の夫の浮気相手を殺し、ある時は依頼者の本妻を殺した。

 独立して一年が過ぎた。流れは上向きだった。そこに不景気がやってきた。

 仕事はもちろん減った。不景気で依頼人が減ったのはもちろんのこと。しかしそれ以上に、不景気暗殺者になろうとする輩が大勢現れたのが問題だった。仕事が減るという結果は同じかもしれないが、なお受け入れがたかった。なんでもどこかの週刊誌資格がなくてもできるフリーランス仕事として大々的に紹介したらしい。誰でも簡単、いますぐ暗殺者! というわけ。「一にも二にもコストカット。これからは自分で殺す時代」なんてことを言うコメンテーターまで現れた。

 自分の腕は鈍っていなかった。一年を通して失敗は一度もなかった。評判だって悪くなかった。だからこそ仕事が減るのは堪えた。後輩が連絡をとってきたのはそんな時だった。場所は青山の隠れ家風フレンチレストラン。「安くないけど、いい店でしょう?」後輩は最初にそう言った。彼の働くベンチャー企業は今や暗殺系で一番の成長株。週刊誌にそそのかされて始めた素人暗殺者を大量に抱え、コミッションで稼ぐビジネスモデル。飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

「それで、景気はどうですか?」後輩はそう続けた。もちろんこちらの景気を理解しての発言である。「今日はなんだい」と僕は言った。それから後輩は休みなく喋りまくった。要約すると:これからは暗殺にも無料の時代がやってくる。クリス・アンダーソンという人が「フリー」という本を書いているそうだ。「無料暗殺世界を変えるんです。嫌な人間のいない世界になりますよ」彼は言った。

無料でどうやって生活するんだ」僕が言った。後輩は待ってましたとばかりに答える。「広告ですよ。殺害現場広告にするんです。ちょうど三億円事件カローラが有名になったみたいに」「面白い話だとは思うが、そんな広告を出稿するクライアントがいるか」「いますよ」後輩は笑った。「有名になれば勝ちなんです。有名になるためなら、どんな広告でも売る企業ばかりですよ。だいたい、クライアント以外はそれが広告であるかどうか分からないんですからね。たまたま殺人事件を通じてなにかの商品が有名になるだけです」

無料で殺される人間は不憫だな」僕は言った。「殺されればなんだって同じですよ」後輩は答えた。「そうか」僕は頷き、彼の心臓ナイフを突き刺した。いつもどおりの手口。失敗するはずがなかった。入念にナイフをえぐると、後輩は一言も発さずに死んだ。僕は後輩をテーブルクロスに包み、店主に一言言い残して店を出た。景気が良かったときによく使った店だった。後輩はこの世界で生きるには目立ちすぎた。

 翌日、コンビニATMで二十万円を引き出した。趣味のひとつもないので、家賃と食費以外には使うあてもない。とりあえず向こう二ヶ月は暮らして行けそうだ。僕は家に戻り、布団にくるまって寝た。明日はなんの仕事もない。

追記

ブクマコメントなどありがとうございます。PC故障中なので自分サイトではなく増田に投稿しましたが、いつもより反響があって嬉しいやら切ないやらです。http://youkoseki.com/text/ にその他の短編小説をあれこれ掲載していますので、良ければどうぞ。また三十路から小説家デビューする方策や、いまどき短編私小説募集している媒体情報などご存知でしたらご教授下さい)

2009-07-17

普通組織ならね、ここまでやったりするわけないんだよ。

普通の」組織ならね…。

警察に相談しても「そんなめんどくさい事を…」と半信半疑だったけど、

名前を出したら納得して話を聞いてもらえた。一般の大人から信用されてないのね。

2009-06-27

王毅(前駐日大使)が訪米し、ECFA問題で在米華僑の説得へ

華僑半信半疑だが、共産党の対台湾工作は確実に進んでいる

王毅が静かに復活していた。

日大使を離任し、しばし北京で逼塞が伝えられたが、さすがにメンタルタフネス中国人ごますり人生の典型男。狡猾に復活しつつある。

王毅現在ポストは国務院台湾弁事処主任、つまり台湾問題の政策決定機関のボスという重要ポジションにいる。

大使在任中も台湾問題で逐一、日本外務省に容喙した「実績」を誇るだけに、マスコミ工作に長けており、じわりと周囲から攻めて周りを囲む戦術が得意のようだ。

まずくなるとすぐ逃げるのも彼の戦術のひとつ、赴任中におきた、反日暴動のときには外務省の呼び出しに、公使を替わりに釈明に向かわせ、本人は和歌山の二階某代議士後援会で講演。

日中関係、ときに波の荒いときもある」と平然と嘯いた。

6月18日にサンフランシスコ入りした王毅中国領事館で開催された晩餐会に出席、この場には在サンフランの華僑が多く出席した。

王毅は「求同存異」「衆同化異」などの新語を駆使して、要するに台湾華僑北京華僑との「大同団結」を求めた。

王毅は席上、重要事項を三つ並べた。

第一に両岸関係関係深化のため両岸のビジネス合作を推進する。

第二に文化、教育の交流を図り、お互いが「中華民族」であるという共通の認識を深める。

このため七月には湖南省長沙で「両岸経済貿易文化論壇」を開催する。

第三に「台湾民衆との基礎的交流のために、さらに多くの台湾同胞の参加を希望する」と述べた。

各地で工作のあと、王毅は21日にワシントンへ入り、国務省アジア担当者連続的に会見し、また華僑代表との会合を開いた。

現地時間の6月23日には在ワシントン中国大使館で朝食会を開き、ここにワシントンシンクタンク中国関係研究者の多くを招待している(『連合報』、6月20日付け)

台湾ビジネスマンらは蛇の前のカエルのごとく、中国の遣り方にむしろ老獪に便乗して、ともかく商圏を無理にでも拡げる努力をしてきたが、台湾国内の産業空洞化が深刻であり、「これでは台湾経済そのものが駄目になる」という危機意識も同時に生まれている。

また台湾世論調査では「65%が『私は台湾人である』と答え、『台湾人だが同時に中国人』と答えるのは18%、「わたしは断固として『中国人』です」(12%)という人たちとの認識の段差が激しい。

中華民族中華文化同一化なるスローガンの実現は難しいだろう。

2009-01-20

■大人気「チキンカレー」を作ってみた

■簡単☆チキンカレー(中毒性あり)

http://cookpad.com/recipe/252807

ブックマーク数が半端じゃないので、オイラも気になって作ってみたよ。

反省点がいくつかあるのでメモしてみるよ!

レシピの注意点

一番最初に作るときはレシピ通りに作るようにしているんだけど、ちょっと難しかったところを順番にメモ書きしてみるよ。

下味を付けたくてたまらない。ただヨーグルトに突っ込むだけでいいのかな。

あとビニール袋に入れたらあとで鍋に入れる際に袋からヨーグルトを絞り出すのが大変だった。冷蔵庫の中がそんなにキツキツじゃなければ、どんぶりなんかの方が楽かも。

オリーブオイルで揚げるように炒めるのはよくやるけど、バターは初めて。なんと焦がしそうになった。バターパネェ

一瞬で火が通って焦がしそうになる。鍋を火から離してギリギリオッケー。余熱を使いながらがいいね。

タマネギは別に炒めておいた方が絶対に簡単。鍋肌にくっつくおろし生姜とか剥がすのが大変でね…。

カレー粉を入れた後に炒めるのは楽しいけど、タマネギから出てくる水分で練り上げる感じ…でいいのかな?この辺よくわからなかった。

  • トマト水煮を加えて水気が無くなるまで炒める

ここで大問題発覚!オイラのトマト缶はどいつもこいつもサイコロ切り済みだった!

うーん、中からトマトをすくって入れてみたけど、分離は不可能で結局そのまま全部入れちゃった。(汁を入れると酸味が増すとあったけどね)

これで「水気が無くなるまでなんてミリ!」状態になっちゃったけど、頑張って水分飛ばした。あんこを煮ているぐらいの粘りになったので次の行程へ。

炒めるという表現がだんだんわからなくなってきたよ…。とりあえず、ドロドロが均一になるように混ぜて、鶏肉の表面が白くなったのでOKとしてみた。

  • 水と塩を入れる

トマト缶全部入れちゃったので、水の分量を減らした。缶の横に書いてあった固形物量を参考にトマト汁を計算して減らしたので分量は合っているはず…。レシピ通りかなり色も薄くサラサラ。ホントにモタッとして来るのかな…と半信半疑で煮込み開始。

圧力鍋でな!

圧がかかったら10分+自然冷却してみた。

できあがりは、どう見てもカレースープですありがとうございました。

スープカレーということにしてOK!

これで味は締まっていい感じ。スープなのを無視すればレシピ通りほぼ完成!

同じインディアンのを買ってみたよ!安っぽくない香りでいいかも。

インディアンカレーの結びつきを考えると、アメリカ大陸発見歴史まで考えちゃいそうになるからあまり考えないこと。

カレーできたよ!

スープカレーだけどね。

反省点は色々あるけど、とりあえず、次回はホールトマト缶でつくろう。水が多すぎ。あと、圧力鍋じゃ水分が飛ばないから、ちょっと水の分量を見直さないと。

酸味の話だけど、トマトの酸味は好きだからあまり気にならない…けど、やっぱりちょっとキツイね。全部入れると。今までトマトソースやなんだかんだで全部入れて食べてきたけど、ここまで酸味が残るのは初めて。カレーだからかな?ポイントに入るのは確かだ。

とりあえず、材料はいつも手元にあるモノばかりなので、今度また作ってみよう。

(おまけ)カロリー計算してみた

最近レコーディングダイエットの練習中で、カロリーが気になるお年頃なので計算してみた。

あとはオマケなので計算しない。全部で965kcal

これは4食分なので4で割って、一食ご飯200g(336kcal)と一緒に計算すると…一食577kcal

意外と低カロリーですね。

#おかわりしなければ…だけど(笑)。

2009-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20090110185847

ウチは彼女が40代で自分が30代中盤。

彼女の両親は付き合っていることは知っているが、半信半疑らしい。

彼女バツイチ子供はもう諦めているから、このまま駆け落ちでもしようかという話になっている。

まぁ、元増田幸福な悩みだと思って、気楽に対応すればいいと思いますよ。

2008-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20081231074704

夢精小学校くらいからしていたような気はするが、自慰は中1の時に友人に教えてもらったのがきっかけかな。

教室でヘラヘラと助べえな話題をしている中で「お前らもやってんだろ?あれだよ、あれ(含み笑い)」と言われたんだが、当時はまだ肝心な手業を開発出来ていなかったために、分かってるような困ったような顔でヘラヘラしてたら、「えぇ、ほんとに知らないのか…?こうやんだよ(鉛筆に紙を巻いてしごいて見せてくれた)」と、その手法を教えてくれた。

帰宅してすぐに試みたのは言うまでもない。しかし、最初はとにかく半信半疑ながらも無心に摩擦を与えるだけなので特に面白くもなかったのを覚えている。また初期の射精時には元増田のように青鼻のようなのが出たことも記憶している。そのうち猿のようにそればかりになるのだが、このころはまだ可愛いものであった。

それはともかく、最初に最もポピュラーな手法を教えてくれた友人には感謝している。自己開発を行った話を聞くのは面白くて好きなのだが、何せシーツにこすり付けるとか蛇口のように捻るとか、ちょっと不便そうだ。

自己開発で独自の手法を開発した増田いる?いたら不便感じたりする?

2008-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20081127152645

そういえば、学生の頃、女子なのに極端に背が高い人がいて、常に猫背だった。

で、彼女に女の先生から

「背が高いことがコンプレックスでも、

前かがみになっててはもっと大きく見える

損だから背筋を伸ばしなさい。」

ってアドバイスがあって、徐々に背筋を伸ばしていった。

半信半疑だったんだけど、確かに見た目、背が低く見えた。

猫背の時は姿勢が悪くて圧迫感(ノートルダムの彼がまんまでっかくなった印象)があったのに

姿勢が良くなった分高く見えるかと思いきや、むしろスッキリして見えた。

最初、当たり前の事を逆に言われたみたいで変な気分だったけど、実際に目で変化を見たらスゲー!って思った事を強く覚えてる。

2008-09-04

増田MENSAに入ってみた

MENSA(メンサ)という団体をご存じだろうか。天才のみが入会を許される世界的な団体だ。

IQ148以上限定、メンバー人口上位2%の頭脳の持ち主であると喧伝されている。

先日、その日本支部の入会試験があったので、暇をもてあましていたので受験してみた。

ネットから申し込みを行って、当日、会場に行くと老若男女、様々な人が10人ほど集まっていた。

受験料一万円(高い!!)を支払ってサインをする。

全員が集まった後、試験官(今にして思うと日本支部の会長だった)から試験の説明を受け、例題を皆で解いた。

3問あった例題のうち、一つだけどうにも分からなかったので、とても不安になりながら、試験開始。

試験は、よくネットみかけIQテストとほぼ同様の形式だった。

規則性を探し、空欄に当てはまるモノを選択するというアレ

ただ、問題数が多い割に時間が短い(一問あたり20秒程度しか与えられない)ので、

ネットハイスコア取れたとしても難しいかも知れない。

試験開始と同時に、僕の近くにいた受験者は問題冊子をペラペラめくりだした。

いわゆる速読フォトリーディングをやっているようだった。

そんな特殊技術もなにもない僕が合格するのかと半信半疑になりながら、

僕は数問を除いて規定時間の半分で回答し、残りの半分で残った難問を解いた。

本国英国で採点するのでで2週間から2ヶ月の間に合格通知があると告げられ、その日は解散となった。

そして試験からほどなく、合格通知がメールで届いた。

(ちなみにタイトルのネタ元の方アメリカ支部のテストを受けたので、文化に関するテストも出題されたようだ。

日本ではこのテストオンリーだ。そこらへんは国の事情もあるので、支部ごとに違うのだろう。)

こうして僕は、MENSAに入会することとなった。

果たして僕はMENSAにふさわしい人間なのだろうか。

なんせ、何を隠そう僕のスペックは、私立大学卒のフリーターと、天才のイメージからは想像も付かないものだ。

だが、やはりSPIは大の得意だし、ICU入試過去模試を解いたら(註:SPIや知能テストに近い)、

制限時間より短い時間で解いたのに最高点だった人より上だったとか、

子供の頃に、父親の使っていた公務員試験用の問題集を軽々と解いていたような記憶があるとか、

そういうパズル的なモノには無類の強さを発揮してきた。

他の会員も見聞きする範囲では、社長からフリーターまで幅広い人が集まっているようで、

やはりパズル関係が得意な人が多いらしい。そういえば芦ヶ原伸之というパズル権威もメンサの会員だった。

メンサでは、メンサに幻想を抱いている人にとって残念なことには、

天才たちの英知を集合させて世界未来を云々する、などということは一切行っていない。政治的に、宗教的に中立である。

また、公式サイトのFAQにいうように「身長が高い人の集まりのようなもの」であり、会員も特に特権意識を持っていない。

基本的にただの社交場。なので天才児が入ったとしてもあんまり得はない。

もっとも、天才児のようなギフテッドの支援はメンサを挙げて行ってはいるが。

日本支部でも、例会(お食事会)と、有志が集まってSIG(Special Interest Group)を形成して交流を楽しむ活動がメインだ。

こういった活動に興味がない人が入会しても、自己満足で終わると思う。

僕自身は新鮮なことがいっぱいとても満足している。

2008-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20080726000951

一方、今回の毎日の事例の場合、「南京大虐殺従軍慰安婦の後継」扱いの記事に向かって、必要以上に過大な抗議をすることで、逆に「これらの問題を反省していない日本人」という心象を外国に与え兼ねない。これでは却って日本の対外イメージを損うと思うんだよね

横だけど、そこは「『レイプ・オブ・ナンキン(映画の名)』や『パール・ハーバー(映画の名)』のネタを私たちに提供してくれた」云々、という訳が正しいという指摘を読んだんだけど、増田煽り記事の訳じゃなくて英文の原文の方を確認した?

オレは正直スラング混じりの英文のニュアンスを正確に理解できてる自信がないから、余計まとめサイトには半信半疑ってとこがある。

2008-06-27

何かを目指して行動するのがちょー苦手。

いったんやることが決まれば全力をつくしてそれなりの結果も出すので

周りからは割と評価されている。

でも内面はぺらっぺらで「とりあえずがんばっとけ」ってかんじでやってる。

更に言うと「がんばっときゃ文句ないでしょ」みたいな。

ポリシーとか全然ない。芯もない。

何を目指すのかあいまいなままで

あっち行きこっち行きフラフラ適当就活してたら、

6月現在いただいている内定は小売店1社のみ。たぶんブラック

なんでこうなっちゃったのかなーと考えてみた。

(1)子どものころ器用貧乏だった

(2)特殊な環境の中で演技しすぎた


(1)はそのまんま。

公文に通って上の学年の問題を解いてたぶん、

小学校では全然苦労しなかった。

バカみたいに懐っこかったから先生にも好かれてたし、実技も得意だった。

なんとなーくで優等生でいられて、非常に生きやすかった。

「汗水たらして必死でがんばる」みたいなのはあまりなかった。

中学校高校は私立のとこにいった。

(2)に特殊な環境って書いたけど、まぁいわゆる宗教系の学校だった。

宗教系って言ってもいろいろなとこがあると思う。

うちの学校の場合、きちんとした信仰心を持っている子がほとんどだった。

宗教に関して半信半疑だった自分は、染まるでもなく、拒むでもなく、

とりあえず信じてるふりをすることにした。

だって友達も先生きれいな心で信じてるんだもん!

ここで「え? この教義おかしくね?」とか言ったらマジKY

そんなわけで清く正しいふりをして6年間すごした。

周りの清く正しい信仰を持つ人々には明確に目指すものがあって、

自分にはそれがなかった。必死で持ってるふりをした。

ここで育ててしまったのが「とりあえずがんばっとけ」とか

「がんばっときゃ(信じてないってバレないし)文句ないでしょ」みたいな

人を舐めた根性だったのかなあ、と思う。

あのころ勇気がなかった。

自分のとなりにいる優しい女の子や、まっすぐな男の子を戸惑わせたくなかった。

彼らが一番大事にしているものを否定するようなことが言えなかった。

今だったら言えるかな。いやまだちょっと怖いかも。

生い立ちのせいにしてるようでちょっと微妙なんだけど、

地に足が着いてない状態を打開したいっていう思いはある。

これからどう生きるか! 

いっそ信じちまえばいいのか! 

いやでもやっぱりそれはむりだー

とか悶々としながら進路を考えてる。

今ひとつ思うのは、自分が育ってきた学校に戻って、昔の自分と同じように信じられなくて苦しんでいる子供の背中を押してあげたいなーとかそんなこと。

2008-04-09

商売の考え方

父親は普通サラリーマンで全く商売っけはない人間なのだが、

自分は商売を始めようとある知り合いにお世話になりしばらく働く事になった。

そこでそこの人に「商売で一番儲かる瞬間っていつだか分かる?」と聞かれ、

自分は当然のように「商品を売った時ですよね?」と答えたのだが、

答えは「商品を買った時(仕入れた時)だよ」と言われた。

特に中古物とかそうらしい。

最終的には売れるという前提に立つと、

買った瞬間にある一定の利益が見込めるから。

と言うのが理由なのだが、その考え方は腑に落ちないと言うか半信半疑だった。

ある日同級生の商売人の息子に同じ話をしたところ、

普通に「うん、そうだね」と同意された。

自分的には衝撃なのだが、商売の考え方とはこういうものなんだろうか?

2008-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20080129205538

趣味がないのが趣味です。部活帰宅部でした。みたいな。うそ。

マジレスすると、世の中のいろいろなものごとに好奇心を持ち、ささいなことも疑問に思い、そしてそれを究明しようとする行動力をもてば、うちこめる対象が自然と出てくるんじゃないかなあ。

書いてる自分が半信半疑ですが。

2007-11-05

こっくりさん

中学時代、友人3人とこっくりさんをやってみることに。

最初から半信半疑だったが、アルファベットの上の十円玉はやっぱり動かない。

俺が『もう帰ろうか』と指を離すと、友人に『馬鹿!お前こっくりさんの終わらせ方知らないのかよ!』と凄い剣幕で怒鳴られた。

え?え?と慌てふためく俺。他の2人にもなんか真剣な顔で睨まれる。

十円玉を通じて会話をしないだけで、こっくりさんは 『きていた』 かも知れないらしいのだ。

とりあえずもう一度指を置く。

指を離す前に、こっくりさんに帰ってもらわないといけなかったらしい。

こっくりさん こっくりさん お帰りください・・・ 』 祈るように繰り返す。

磁石に引っ張られるような感じで、十円玉が動き出した。

K・・・ O・・・

友人の顔を見回すと、みんな青ざめた顔で十円玉から目を離せずにいる。

とても誰かがわざと動かしているようには見えない。

R・・・ O・・・

階段から足音が聞こえた。みんな顔を見合わす。

先生か?いや、これは人間の足音じゃない。

上手く言えないけど、生気を感じない足音だ。

S・・・ U・・・

みんなガタガタ震えだした。

足音は確かに近づいてくる。

すぐにでも逃げ出したいのに、指が十円玉から離れない。

十円玉は止まらない。

K・・・ E・・・

振り向くとコロ助が立っていた。空気読め。殺す気か。

2007-09-22

ありがとう

KOKIAの曲じゃないけど、そういう曲が聞こえてきてもいいくらいしんみりしている。

とはいってもそんな大それた話ではなくて、単に人とのつながりってありがたいなあと。

自分のスペックを晒すと、22歳大学生♂、一留+半年休学でこの後期から復学する。

ある意味現代っ子らしいというか、将来に対する見通しとかを何も立てないまま3回生あたりになり、

自分自身への葛藤人間関係などもろもろのことがきっかけで、ひきこもり+鬱っぽい状態になってしまった。

結果、大学生活やその他数少ない人間関係からの撤退を推し進めてしまった。

最近までそういう状態が続いていたのだが、通院やカウンセリングの成果がでてきて、

なんとか復学、そして進路を考えられる状態になってきた。

そんな自分にも、なぜかまめに連絡をとってくれる人間が3人いる。

1人は高校の同級生でかつ同じ小・中学でもある友達。

中学のころは気が合ってよく遊んでいたが、高校に入って少し疎遠になってしまった。

大学になってからはたまに連絡を取り合っていたが、

自分自身が落ち込んでいるとき、彼もまた精神的に病んでいるらしかった。

そういうこともあってかお互い漠然とした悩みを話したり、またそういうことを抜きにして遊んだりもした。

蛇足だが元来無趣味であった自分に、いわゆるオタ(アキバ系)の知識を吹き込んだのは彼である。

世間的にみてプラスかどうかはわからないが、おかげでそれが日常のハリとなり、他の趣味もできた。

基本的に彼には何事も敵う気がしないのだが、最近では不思議劣等感を感じることは少なくなってきた。

それはいろいろと悩むうちに、自分なりに自分の価値を構築することができたからではないかと思う。

1人は大学の同じ学科だった友達。

彼とは入学してすぐ知り合った。

しばらくは仲良くしていたのだが、次第に彼の言動や自分に対する態度に疑問をもつようになり、

結局は一方的に自分から接することをやめてしまい、また彼の周辺の人間とも話さなくなった。

自分から人間関係を構築することが苦手だったので、それからは大学で孤立しがちになってしまった。

一年前に彼から連絡が入り、半信半疑で会ったのだが、以前に彼から受けた嫌な感じはほとんどなくなっていた。

詳しいことはわからないが、おそらく彼自身、それ以後様々な経験を積み、成長していったのだと思う。

大学生活もろともから逃げ出してしまった自分との対比が浮き彫りになり、恥ずかしかった。

それからは意外と話があうようになり(たまに政治社会問題のことも話したりする)、いい励みになっている。

1人は母親

父親が高校ときに死んでしまい、以後家族を支えてくれている。

母の性格は一言でいえば天真爛漫であり、いい歳してかわいげのある感じなのだが、

無口な自分とは合わない部分もあり、衝突することも少なくなかった。

ときには死にたいと漏らしてしまったこともあり、過度の心配をかけてしまった。ごめんなさい。

それでも、完全に無気力不貞腐れてしまった自分に対して、嫌な顔を見せず明るく振舞ってくれた。

母という存在であるには、どれほどの寛容さが必要なのか。とても想像できない。

最後に自分の気持ちを引き出させてくれた増田感謝

これからは余計な心配をかけず、できる限りの恩返しをして(特に母親)、素直に感謝の気持ちを言えればと思っている。

2007-06-12

[]続けて書く 2007-06-11 の増田日記合計 529 件から

一生フリーターってそんなにおかしいか?って問いで始まった増田フリーターのデメリットを上げるなら。と考え始めたら、人手不足を実感し、これって景気回復?と半信半疑。同じ職場の問題でも美人の同僚が薄着すぎて困るんだがという増田はうらやましい。趣旨外れますがなんて愚痴増田も出るわけだ。でも、本当に言ったらセクハラだよ。セクハラといえば旦那の面子が立たないという話セクハラになりかねない。うー、世の中難しいぱわーばらんす。

友達がいない とりあえず思った事まんま書く増田さんの悩み。かと思えばこれいかに、と、いーんだかわるいんだか。人間関係って難しいよね。温暖化 DE 喧嘩なんて犬も食わぬうちが花、罵倒芸とファックコミュニケーションとの違いがわからないとかはてなには人文エリートが多い? 違うよ、全然違うよ。なんて否定されちゃ悲しいよ。

それにしても昨日の増田罵倒だとか匿名だとかいうキーワードが舞った日だった。腐ってやがる。早すぎたんだ。なんていわれないように、こんなときこそ増田ねこの出番だよ。ぼうぼうさんも面白いネタよろしく!

2007-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20070608010442

なるほど。たとえて言えばバイト仲間って感じ、と。

いくつか可能性

恋愛関係

・「増田に恋をした」

・「増田が自分に恋をしてると思って、軽く距離を取っている」

この場合「以前のような関係」の修復は難しいかも。

約束関係

・「誕生日」に絡んで何か約束(みたいなこと)を以前増田が言った。彼はそれを楽しみにしてた。なのに増田はそれを忘れてて、向こうはちょっと…orzな状態。たとえば「誕生日=成人」だとして、「じゃあお祝いに呑みに行こう」とか軽い気持ちで言って忘れてるとか。

・とにかく、増田が何か約束をすっぽかした。

この場合、真面目な顔で「ごめん、何か忘れてる気がするんだけど…」みたいに切り出す機会があれば、修復の可能性もある。

知人関係

増田のことを嫌いな誰かが、彼に増田に関する変な噂を流した。彼は半信半疑状態。(たとえば「アノヒト変な宗教にはまってるみたいよ、仲良くなったら狙われるよ」とか。)

・彼のコトを好きな誰かが彼に告白したので、増田と仲良くし過ぎるとその子の手前ちょっとマズイかなあ、と意識している。

この場合、第三者を含めた人間関係を洗ってみないと修復するもしないも不明。

さて、他にあるかなあ…。

2007-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20070515155810

昔はそうでもなかったのに、二十歳過ぎたら急にカミソリ負けする様になっちゃった

電動シェーバーのが肌に優しいって聞いたから、半信半疑で使い始めたら・・・ヒリヒリはまだちょっとあるけど、

血まみれになる様なことはなくなった。深剃りするときは押し付けるんじゃ無くて時間をかけて剃ればいいんだね。

最近ようやく気がついた。もう替え刃の髭剃りには戻れないな。

2007-02-16

MSN-Mainichi INTERACTIVE 理系白書

流行現象になるような疑似科学ってのは、わりとどーでもいい領域に発生しやすい。切実さを欠いた領域っていうか。納豆ダイエットができる、というのは流行になるけど、納豆で末期癌が治るとは誰もいわん。いや言う人はいるかもしれないけど流行らない。生死に関わるような問題は自ずと判定もシビアになるからだ。半信半疑で、まあ当たるとなんかいいよね、くらいのポジションにある疑似科学がおそらく一番流行しやすい。もちろん病気や不幸に追いつめられた人々をだます悪質な疑似科学と言うのは昔から存在するけど、それは大流行するようなものとはとりあえず別だということにしとく。

血液型性格判断ですが、これほど人口に膾炙しているのは、実のところ我々が個人の性格というものを軽視してるからじゃないか。人間が一人一人持っている性格なんて、どうでもいいと思ってるのだわしらは。それぞれ違った個性を持つ人間が無数に絡み合って社会を作っている…なんてややこしい図を想像する習慣が私たちには多分、ない。せいぜい数種類の類型が適当に混じりあって生活しているのだと考えた方が簡単でよろしい。それが私たちのイメージする"世間"だ。

あるトピックに関わる疑似科学流行する時、そのトピックについて潜在的に軽視する態度社会にあることが伺える。

いやもちろん軽視だけでは流行にはならないだろう。やはり人を惹き付けるものもなければならない。疑似科学がよく扱う「健康」や「よりよい人生」、「人間のあり方」というトピックは人を惹き付ける。人を惹き付けるけど、真剣に取り組みはじめるとものすごいコストがかかる。それらの主題において、人の建前と実質は乖離している。その隙間をついて疑似科学が勢い良く成長する。

言葉が水に影響を及ぼすと言う『水からの伝言』は、言葉を軽視する疑似科学だ。血液型性格判断は、性格を軽視する疑似科学だ。納豆ダイエットダイエットを甘く見た流行だったのは言うまでもない。

疑似科学流行が時に外から見る人をぞっとさせるのは、それが人間思考を空疎化しているからだ。俗流スピリチュアリズムスピリットについてちっとも真剣に考えていない。しかし信奉者はそう感じていない。感じないために信奉者はそれを信じている。

2007-01-27

Re:痴漢の標的は女性だけとは限らない

http://anond.hatelabo.jp/20070127050038

(元・http://anond.hatelabo.jp/20070127004939

サンプル数があまり多くないので、断言するのははばかられるが、痴漢に遭いやすい男性、というのは確かに実在する。もちろん加害者男性だ。しかも必ずしも同性愛者というわけではないらしい。

2ちゃんねるの「独身男性板」が、幾つかの板に分裂する前の時点・・・『電車男』がブレイクするまさに直前の時期・・・に、あるスレッド住人の主催のもと、大阪梅田に集合するオフ会に参加したことがある。

さて当日。スレッドでワイワイ語り合っていたとはいえ、実際にみなが顔を突き合わせるのはこれが初めての事である。そのため、事前に場所と時刻と集合の目安になる物を持つ人を決めておいたところ、JR大阪駅(←存在する場所は梅田)の脇にあるタクシーバスターミナル場周辺に、男性が十数名となぜかその連れの2・3名の女性が三々五々集まってきた。

その中にひとり、眉目秀麗とまではいかないが、比較的整った顔立ちの痩せ型中背で、どこか中性的な雰囲気(←ここがポイント)を持つ人を見た。みな適当に集まったところで、おのおのがハンドルを名乗っていったわけだが、一通りの自己紹介が終わった段階で、僕は思い切ってくだんの彼に訊いてみた。
  「チカンに遭ったこと、ありますか?」と。

今から考えれば初対面の男性(しかも同性としての立場から)に対する質問としては、ずいぶんとブシツケな内容だったと思うが、彼は苦笑しつつも、「あります」と答えてくれた。

聞けばなんでも、高校から大学時代にかけては、通学途中の電車では何度かチカン被害に遭ったことがあるのだそうだ。こういう話を聞いたとき、多くの人は単なる話題の一つとして半信半疑で受け取るのが常だろう。しかし実際に、そういう体験があるという人を目の前にしてみると、言葉で描写するのは難しいが、なるほど「『お触り』の誘惑に駆られる」という感覚が起きるのも、ある意味理解できるような、そんなオーラが彼の容姿からは感じられたのである。

結論女性のみならず男性でも、痴漢に遭う危険性はゼロではない。

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