はてなキーワード: 伝言とは
人生つーかプライベートつーかでのホームをいつのまにか失ってしまった。物質的な「家」のことじゃない。帰るべきところ。無防備になってもいいところ。大概のことは受け入れてもらえて、大概のことを受け入れたいところ。ホームグランド。
私は人間不信だ。何故だかたくさんの人が私をかわいがってくれて、嬉しいからへらへらとしているのだけれど、根っこの部分では「どーせあんたらも私を捨ててくんだろ!!」っていうわけのわからない諦念と怒りに支配されている。いやもうお互いいい歳なわけで、それぞれの生活や信条や立場があるのはわかっている。でもなんつうの、背中を預けて戦いあえる仲っつーの? 確か前はこの手に持たせてもらってた自信があったんだよ。
少し前までは、とんでもなく困った時に泣きつける場所をひとつ与えられていた。深夜に突然電話しても、「寝てない、横になってただけ」と話を聴いてくれる人。ずっと甘えてきたけれど、自分に彼氏ができたのをきっかけに無意識にけじめをつけてしまった。彼女がいる彼に甘え続けてきた私がおかしかったのだ、と、強く思ったらしく、自分がまた独り身になった今でも何故か、連絡を取れずにいる。
一瞬付き合った彼氏つーか元彼は、友達期間がえらい長かったので、この人なら大丈夫だ、と思った。が、無防備になった途端に、セックスだけ求められてたことがはっきりして、腹が立って別れた。あなたを知りたい、私を知ってほしいと求めても無視された。それでますます人間不信になった。私を見て!って強烈に主張する大人はうざい。それをやっていいのは子どもだけだ。それは知ってる。彼氏彼女って関係では少しくらい、それを主張してもいいんじゃないかと思ったんだけどなあ。
友達がいないわけじゃない。十年来の仲の子もいる。けれどもみんな、「私のことより自分のことがんばれ」な状況が多くて、気を遣ってしまって頼れない。大親友とお互いに称するかわいいあの子は子育て真っ最中だ。そうでなくともなんだか私は、彼女にはどす黒いことは話せずにきた。彼女は本当に素敵な女の子で、一緒にいるとまぶしくて、自分のいいとこだけ見せたくなっちゃうんだ。聖域のように扱ってきた。
ほとんどの人が最後の砦として持ってる、実家はどうだ。残念ながら私の実家は地獄だ。つーかそもそも人間不信の発端は、実家でのというか母との暮らしにある。私が幼い頃から、母と、ご利用が計画的に出来ない父は言い争いを続けてきた。父と私と妹だけが食卓につき、母が台所で食事を取る・二人の伝言役を仰せつかるっていう冷戦状態と、かりそめの団らんが交互に続いた。寝て起きたら冷戦だったり、学校から帰ったら団らんに変わってたりするわけです。団らんになるたび、今度はいつまでも続いてくれないかなーと祈る日々。狂ってたと思う。今でも思い出すと過呼吸寸前になる。母子家庭になってからも父の話題は私の中でタブーになっていて、気安く持ち出しては「おまえの父の借金なんだからおまえが返せ」といびってくる母とは、そろそろ別居しようと思っている。妹ばかりかわいがり、私をなじるのにもうんざりしている。こんな家庭なのに学費バカ高い大学に行かせてくれたとか、いろんなことに愛情は感じているけれど。記憶はしみついて消えない。
そういう毎日の結果、自分でなんでもしなくちゃ!と思った私は、一人で生きてけそうな女に育ちました。なんでもしなきゃ!と思ってるから、人を信じられない。末永く幸せに暮らしましたなんて家庭はどこにもないと思ってる反面、ものすごく憧れが強くて、それが重たがられて誰かと付き合ってもすぐ別れてしまう。全面的によりかかっていいはずの時期に両親がエゴ全開だったから、未だに甘えたい部分が強く残っている。
と、自分を分析しているけれど、「二十代半ばで性格を親のせいにするとかpgr」とも思っている。こうなってしまったことについて親を責めようとかは思ってないけれど。だって母だってメンヘラ気質なんだもの。責任とれや!とか言ったって泥沼になるだけ。つーかもっと子どもなころにぶち切れたことあったけど、逆ギレされて終わったんだよなあ。「人間はみんなさみしいの!」「自分の思い通りになると思うんじゃねえ!」と、年端もいかないのに罵られたことは忘れません。まあね、母も余裕がなかったんだよ借金問題で。
この先ももう、全てを預かりたいと思う人は現れても、私の全てを預けていい人なんて現れやしないだろう。だから内側に残っちゃってる小さい自分は、自分で育ててやらなきゃならんと思っている。少しだけ頼るっていうさじ加減も、覚えていけばいいんだと思う。何故だかいろんな人が私を頼る。それに応えることで、自分を認めてやればいいんだと思う。
何年もそうやって努力してきたけど、やっぱさみしい。傷つきたくないから自分で人を遠ざけて、その結果の強烈な孤独だということもわかっている。でもさみしい。守られたかった。頼りたかった。ここに戻ればおおむね大丈夫って場所が欲しい。ホームが欲しい。
孤独感が高じて、一日の三分の一くらい死ぬことを考えている今日この頃。素人自己分析の結果を話して、どう変わっていけばいいのかカウンセリングに行こうと思っている。もう限界や。甘ったれさ、ああ甘ったれなのさ。ふつーに育った人はこういう気持ちをどこにやっているの。
なんか文章ぐちゃぐちゃだな。明け方の増田だから許して。
横だが、問題はさ、それを(実際に流している農家が結構ある・水の伝言とは違うレベルで実験がなされてる)あたりを知らないままに、「なんか野菜に音楽効かせるとか、なんとなくトンデモくせぇ。あのはてなで問題になった水問題と一緒くせぇ。トンデモに違いない」とか思い込んじゃったところにあるんであって、増田が批判してるのもそこだろ。
トンデモ科学にハマる人を日頃嘲笑しておいて、じゃあはてなの皆さんはどうなのかといえば、大学教授が言ったからトンデモだ、と盛り上がった。なんとなく水の伝言に似てるっぽいからトンデモだと思った。結局お前らもそうなんじゃんっていう。
俺もあれには疑問を感じたんだよね。農家が実際それをやってるってのは何度も聞いたことがあったから。
といって本当に科学的根拠があるのかは俺も知らん。
でも今の問題はそこじゃない。問題は、多くのはてなーが、「その事すら」知らないままなんとなくトンデモだと言い捨てたところにある。それを知った上で「やっぱトンデモだと思うよ。だって農家が実際実験してるけどね、このデータにはこんな欠陥が」とかいうなら分かる。でもそうじゃなかった。元増田の言う通り、皆「なんとなく水の伝言と似てるくさい」と思ってなんとなくトンデモだと思った。くわえて大学教授らしき人が言ってるからそうに違いないと。そんなレベルで断罪した。(あやしくないか?って言うくらいならわかるが)
なんだ、結局同じじゃん。トンデモを信じる奴らと。
そもそも「なぜウソか」を言うまえに「ウソや」と9歳児に言い捨てる態度て。「そんなもんウソに決まってるだろ、だってお前証明できる?」みたいなやりかたを9歳児にするという大人としてのダメぶり。それは尋ねるんじゃなくて、お前が教えてやるべきことだろう。思考の仕方も含めて。何9歳児に2chのやりとりみたいなことやってんだよ、と思った。つーか何より、あれが父親として9歳児に対する言葉遣いか?ウソや!とか大阪のオッサンがパチンコで憤ってるような感じに聞こえるが。子供の言う事をまず否定から入るって一番やっちゃいけないことじゃないのか?「どうしてそう思う?」とか「どこに書かれてるの?」とかから入れよ。否定・否定・否定、のあとは「じゃあお前証明できますかぁ。マスコミのいうこと鵜呑みにするんですかぁ」みたいな事をいって言いくるめるとか、親として最悪の態度すぎてワロ……えねーよ!
水への伝言の話題の中で、ワイン貯蔵庫に(お酒だったかな?)クラシック音楽を流して味をまろやかする、みたいな一部の企業の取り組みが科学的でないという批判もありました。(他にも漬物にクラシック音楽を流して味をまろやかにするとか。*注1)
この大学教授の人も、その話を受けて「音楽を流して食べ物をおいしくする」「音楽によって性能が向上する」ことはない、と判断しているんでしょう。
生物を扱う畑や家畜と、加工された飲食物という違いで、元増田さんは「一緒にするな」と批判してるんでしょうけど、各農家の取り組みも本当に科学的な実験が行われたか疑わしいと思います。
はじめに
ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。
人物(A・B・C・D)
!現在「共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。
四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感、論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。
!水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法の言葉が存在する。
o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ(論理派)に入る。
o B そのパートナー。踊り子の軽快なステップ、武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。
o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ発行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルのネット社会での応用を頑なに拒む。
o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメントの通読が苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。
人物(E・F)
先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。
左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループが騎士団と呼ばれ、Fグループがカルト(信者)に喩えられたのは、EとFがシンボルに祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。
E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャーの資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。
背景
水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格を論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)
前者が退いた後もネットリテラシー、主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。
渦中へ
G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。
o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?
o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?
o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)
o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?
o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線(性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?
o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?
o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?
過去へ
ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。
関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱な記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。
「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。
おわりに
嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo。
※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。
共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。
http://junjikido.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c115.html
父:ウソや。
父:ウソや。
娘:クラシック音楽を聴かすとニワトリがうむタマゴの数がふえるんだよ。
父:ウソや。
娘:ここに書いてあるよ。
父:あんな〜、もしホンマやったら、トマト栽培農家はみんな畑にクラシック流してるはずやし、牧場でも、養鶏場でもそうや。
そんなん見たことも聞いたこともないやろ。
それに、証拠はあるか?理論的に説明できるか?
でけへんやろ。
娘は9歳である。
1.発見の報告に対して返答が「ウソや。」これは子供だとしても、もしこれが一人前の女性だったとしてもディスコミュニケーションと言わざるを得ない。
2.親が見たことも聞いたこともないからという結果の誘導によって子供を説得してはならない。
3.9歳の子供に理論的に説明しろだの、証拠を出せよだのは小学生がやること。
そして重要なのは
そんでもって見たことあるか?っていうレベルじゃないぐらい多くの農家、畜産家でも導入済みのやり古された技術。
親のステレオタイプで子供を説得し、子供の新たに知るという知識の喜びを無下に潰してしまうという行為を教育者が行っているのかとおもうと情けない。しかもその断定に至る見識が非常に狭いものであり、水への伝言よろしく紋切型態度をとるのはまるでいただけない。しかもしれが間違っているとなるとなおのこと。ふがいない。
実際に搾乳量や糖度が増えたという報告があり、かつ追従している農家、畜産家が増えいてる事実。
これは状況証拠にもなるだろう。
具体的な実験もされている。
なぜトマトかといえば、これがバイオテクノロジーで大胆な品種改良に挑んだときに試されたから。
その中でたまたまいく種かの音楽を聞かせて育てるという実験項目があった。20年ぐらいまえの話しだ。
ここで根の発育や実の糖度などに有意差があったからその後さまざまな音楽で実証実験がおこなわれてきた。
そういう歴史的な積み重ねも無視して「ウソや。」の一言はあまりにいただけない。
9歳の子に負けるなんて、どんだけイノセントなんだ。
理論的に言えば植物と畜産への作用のロジックは違うかもしれない。
ここらへんは諸説いろいろある。
たとえば人間にはどの種類の音楽を聞かせてもテストステロンが減少することが報告されている。
http://www.psych.let.hokudai.ac.jp/~jmpc/N4/Fukui.html
いろいろありすぎて、なにがどう作用しているかはわからないが結果として良い方向に作用しているので導入されている。
目下さまざまな研究がなされていることにたいしてその導入以前の子供の注意を喚起するレベルの部分で大学教授がつまづいてんなよと言いたい。どんだけ知識欲に欠けてるんだと。
そしてこれを「とんでも」と一概に切り捨てようとしているはてな民もどうかしている。
なんでとんでもだと思ったの?
水への伝言と一緒だと思ったの?
非常に設計部門の立場が弱いのですよ。
なんでですかね?
資材は製品を運んでこない。なんででしょう?指示の通りに指示された場所に指示された物を運ぶのがあなた方の仕事じゃないですか?なんで設計が倉庫から品物を探して運び出して自分で梱包を解いて作業しなくちゃならないのです?
設計は設計で、審査も承認も無しに協力会社や外注に仕様を投げるんですよ。まぁ、それも偽装請負だったり多重派遣だったりするわけですが。
品質に関しては何のチェック機能も働いていないですね。
一応、職印は押されてますが、ノーチェックです。ただのスタンプラリー。今ISO9001の審査をやったら確実に剥奪間違いなしです。
作業に取りかかってからの仕様変更や間違い発見が多すぎます。そこで恥ずかしいと全く感じていないのがおかしいと思いませんか?
不思議なのは何故かデスマーチになるのが設計のみ、というのがよくわかりません。他の部分は要期が長くなる事はあれども、短くなる事は無いのに、何故か、設計・製作・試験期間だけが納期短縮を求められます。それは何故なのでしょう?例えば北海道から沖縄へ移動する時、営業が「3秒で行け」と言ったら実行が可能なのでしょうか?
最後の総合試験でテスターがテストをする前に「この仕様おかしくありませんか?」と返してくる事が多々あります。そこに至るまでの審査と承認は何をやっているのでしょう?テスターに仕様をチェックされるとは恥ずかしくありませんか?
QA(品質保証部)は設計がご機嫌取りをしないと製品受け取りませんからね。
ビジネスですよ?何で設計がご機嫌取りしなくちゃならんのです?
得体の知れないドキュメントやチェックシートが多すぎます。そんなんで品質が保てるのなら誰も苦労はしません。
受け取っても、試験は設計が行った総合試験のなぞり。意味ありますか?QA独自の試験はやらないのですか?
だいたい、QAを通って出荷したのなら、品質保証はQAに属するものだと思うのですよ。QAが保証したから出荷されたのでしょ?なのに、発送後のトラブルは、お客様の伝言ゲームと化して設計に丸投げなのは何故なのです?
開発も問題外です。
作りやすいように、設計を変えてしまい、保守・運用の事を横にらみして考えるスーパーSEが存在しません。おかげで、保守・運用が非常に大変です。トラブルシューティングは出来ない、同じ意味のデータをあちらこちらに記載しなくてはならない、しかも、何故か、10進表記だったり16進表記だったり。
開発者のぼやきにおどろきましたよ。
「そんなめんどくさい事やらせるなよ」
機械やプログラムは同じ作業を何度でも短時間で出来ますが、人間は間違うし時間かかるんですよ?あなたのそのめんどくさがりが後々の保守・運用を大変にして品質を下げている事に気が付きませんか?
こんなんで品質向上なんて出来ると思いますか?
全体として品質を上げようとする仕組みが麻痺してまわってないのに、設計の末端だけに品質の責任を負わせようとするのはおかしいと思いませんか?
設計の腰の低さにいい気になって会社全体が設計を士農工商のうち、穢多・非人のような扱いをして、品質を上げろ、とは滑稽だと思いませんか?誰が品質を上げようとするのですか?手を抜くだけですよ。
はやく気付かないと、大事故が起こりますよ。
まぁ、既に某電力会社とかで起きていますがね。そのうち人命が失われますよ?
宅配で食べ物届けさせようとする奴ってなんなの?
自分だけが苦労してるって思ってる。
私だってさ、毎日パンケーキで頑張ってんだよ、それなのにさぁ…。
見下しやがって…。
なんなんだよ、ホントに。
涙出てくるよ。
悲しくて辛くて、熱出そうだよ。
田舎からつれてきた猫も、最近じゃ話しかけても答えてくれないし。
昔は心が通じ合って会話もできた気がするのに、私が都会に染まっちゃったのかなぁ…。
もう、猫の声も聞こえない。
それなのに、都会での生活に馴染んだかって言えば、全然そうでもないんだ。
夏目漱石がさ、留学先のロンドンで鬱病にかかったって言うの分かる気がする。
今、そんな気分。
実家には温室みたいなのもあったし。
本当はこんなダサい服しか持ってないわけじゃないんだ。
今じゃ、基本、パン屋の店番だよ。
自分で立ち上げた事業が上手く行ってなくって仕方なくやってるんだけど
赤いリボンで真っ黒な服で、ぼうっとしながら時間つぶして、なんか夜の街に立ってる娼婦みたいだよ…。
本当の私はこんなんじゃないんだ。絶対…。
そんな格好していて、それで私、自分で言うのもなんだけど、ちょっと可愛いから
男にも声かけられたりはするのね。
でも、ウザイのばっかで…。
私をオトしたいんなら、まず、その囚人みたいなボーダーのシャツを止めてから声かけろって。
あと、水をかけたら女になりそうな声もどうにかしろ。
本当、せめてナマモノはやめて下さい。
宅配業として、あり得ないです。
ニシンのパイとか届け先の孫娘も、なんか物凄く嫌な顔してたよ…。
ごめん、こんなの愚痴だってわかってはいるんだ。
大丈夫、落ち込んだりもするけれど、私は元気です。
多分……。
元増田です。
その支離滅裂な人もフォローしてきた時点ではまとも。
それが段々おかしくなってきて、誰かと会話しているよりも自分一人で
「ふぁぼられたいのかな?」という推測と
そんな事をいちいち気にしてもしょうがないのか?
という疑問があったので。
・・・いや、今見たらあんま変わってないな。
とりあえずその"ふぁぼられたい病"という予感が正しなら
じきに鎮静化するだろうから一時的に最新投稿だけ
消せるような仕組みは無いものだろうかとも
思ったんですけど、コメント見てもremoveしかないっぽそう。
>>Twitterは人によってどんな人をfollowしているかが違うから、違う話題を見ているわけ。私の画面では繋がった発言でも、人によっては脈絡がないように感じてしまうのかもしれない。
こちらも最初はそうかと。
でもそんなレベルじゃないし@もつかなかった
"ふぁぼられたいがために"やっているのかと思ったら
ネガコメで残る人を篩いにかけてそうな
思ってるんでそこら辺がコアユーザーな
はてな民にぴったりだなコレ。
でも俺はPC手元にない!寝魂!
こちらは当人はてブにご執心なので書いとけば
見るかなという婉曲伝言板を兼ねてました。
・・・予想通り当人見てた。
でも気付いて無さそう。
意外となんとかなんだよ。人生。レールから落っこちても死なないし。
正直もっと荒れるかと思ってたんですが意外と皆さんご親切で。
いや、釣りとかそういう事で書いたんじゃないです。
こう思っている人もきっといるだろうなという
でもこちらの見当外れ?だったみたいです。
followしてくれたから軽く返したんだけど
結構2人とも重めでどうしたもんか一時非表示できないのか
removeも簡単にしろとは書いてあるけど
相手も減ったら嫌なのかそれとも気にしないのかで
ちゃんと利用者の声を聞いてみたかった。
被り過ぎてていまいち使いどころがわからず
同じ事をこっちでやっても仕方ない感じで
連投はウザいのかとか様子見をしてるような人間には
向いてなさそうなツールであるのはよくわかった。
そうだとは調べてわかっていたけど
実際自分で確かめておこうと。
まー何書いても自由だし
そこは否定してないし
なんかヤだなぁと思ってもそれは自由なんでは?
使い方が間違ってる云々書いてる人いるけど
レッテル貼りして文ロクに読まないで否定。
わからないから聞いてると書いてる。
自由に書いていいという立ち位置に居ながら全然自由じゃない。
twitter充じゃないこちらから見ればものすごーく傾いてる。
自由であれという考えを押しつけてる時点で自由じゃない。
どっちかに寄り過ぎると
「こいつ媚びてんのか」というレッテル貼りした
こっちと立ち位置が違うだけで
階層的に同じ所に居るんではないですかね。
その意見を決して曲げる気はないというなら尊重するけど。
そんなに深い付き合いの人じゃないんだ。友達の友達で、集団で何度かお茶したくらい。
個人的な付き合いとかはしてなかったんだけど、だんだん向こうから近づいてきた感じ。
平日の昼間に、5分おきくらいでずっと来ていたのだが、仕事中は携帯を持ち歩かないので、
仕事が終わってから気がついて、メールの数にびっくりしてあわてて電話したら、
急ぎじゃなければ私じゃなくてもいいことだったので、とりあえず対応して終了した。
次は留守電。
携帯メール数十通のあと、メールに反応しなかったのに業を煮やしたのか、今度は電話をかけてきた。
留守電がいっぱいになるほど伝言を残して、最後のほうは涙交じりで「どうして出てくれないのぉ!」
何かあったのかとあわてて電話したら、なんてことはない、いつでもいいような内容で。
とどめに直接訪問。
昨日は用事があって出かけていたのだけど、帰ってきたらドアの前でうずくまる彼女。
オートロックは住民のあとをついて抜けてきたらしい。
がちがち震えているのでとりあえず家に上げてあったまらせて、どうしたのか聞いてみたら、
「お天気よかったから遊びに来たかったの」
正直、ちょっとどこかおかしいんじゃないかと思えてきたですよ。
ふつうにおしゃべりしている分にはなんてことないんだけど。気味が悪い。
友達にも相談してるんだけど、友達にはいたって普通の対応をするらしくて。
それともこれってそんなにおかしくないことなのかな? 私の受け取り方がおかしいのかな?
昔、中学の同級生Aから2年ぶりくらいに電話がかかってきて、会うことになった。約束場所のファミレスにはAと、知らない
お姉さんが隣に座ってて、勧誘スタート。お姉さんはその宗教に入って魚の目治ったんだって。それは多分併用して使ってた魚の目コロリのおかげだと思いますけど。と告げて、同時にいりませんって言ってさっさと帰ってきた。
バイト先に中学の時の同級生Bがやってきた。クラスメイトだけど口を聞いたことがなく、俺だよ俺!って言われてもさっぱり覚えていない。3時間後、店を閉めて外に出たらBがこの糞寒い中突っ立ってた。よ、一緒に帰ろう!って。若干気色悪いなこの人って
思いながらも仕方なく一緒に帰路を辿る。アドレス教えてよって道中言われたので彼のだけ聞いた。そのまま一生送らないつもりだった。しかし運の悪いことに、長く私が付き合いを続けている同級生CとBが地元の駅でウッカリ鉢合わせた。
そして私とCが旧知であることを聞き、私にアドレスを送るようCに伝言を頼んだらしい。仕方なく送信した。
その後4回Bから一緒に飲もうってメールが来た。5回目に仕方ない、行くか、って思った。電話がかかってきたので日にちを
打ち合わせる。場所は、彼の先輩が経営している店がある!と彼が言い出した。顔割が利くんだそうだ。
その時はまぁ2時間くらい耐えればいいんだよな、って思って頷いたけど、今になって急にAのことを思い出した。
また宗教勧誘じゃないのかな。ていうかその店は本当に危なくないのかな。
中学の同級生だけど相手のことは何にも知らない。中学時の友人さえも被ってない。警戒しすぎなだけだけど、よく知らない男とよく知らない店に二人飲みにいくって平気なのかな。バイトや大学や高校の知り合いの男性と飲みにいくのとはまた事情が違うんだ。
どうせ私は一杯もアルコール体質的に受け付けないんだから、普通のお店にしてもらっていいかなって今から頼もうか…
それとも5回目の断りをするか。でも警戒しすぎなだけな気もする。
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html
http://72.14.235.132/search?q=cache:http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html&hl=ja
以下、わかりやすく翻訳しても長くて読みにくいのは変わらないので自分の読み取った結論を3行で書くと。
まあ、2ちゃんねるアニメ板界隈ではそれほど新しい主張ではないな、と翻訳しおわってから思ったけど。
では。
まあ、原作至上主義って言ってもいろいろ視点はあるよね。
「原作至上主義」って、これらの問題が混ざり合って出来てるよね。一応仕事だからこんな話があるのは知っていたけど、正直気にしだしたのは、noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったのエントリに煽られたから。日だまりスケッチ×365とかかんなぎとかに関して「原作とアニメのあいだ」とも呼ぶべきものが問題にされていて興味深かった。世の中わかった気がした偉い人が「統計学的な分析」とか「メディアが違うことを無視した分析」してるけど、この人は誰だかわからない、ってことは別にしてとても興味深いよ。
自分なりにまとめると、id:noir_kが「原作至上主義」について言ってることは、
ていうことだよ。
なので、この人の言いたいことはともかくとして、自分もその流れで「原作至上主義」について考えてみるよ。
「批評」って、見る側がするものだと思われがちだけど、作る側もするんだよね。作る側の批評というのは、過去のアニメ作品とかアニメ以外の作品について、「批判」することなんだけどね。ガンダム・エヴァンゲリオンはもちろん、アニメ以外のテレビ番組とか、ネットとか映画作品とかゲームとかコミックとか小説新聞美術作品とか、そのへんを「批判」するってこと。
みんなわかるとおり、今アニメを作る側の「批評」ってこんな感じだよね。
また、この辺が「新房昭之」「山本寛」あたりから始まる、ってのもみんなわかると思う。
まあこのへん「批評的な営み」って言うのかな、これ、
という流れを「忠実に反映」してると思うよ。
ちなみに、引用のうち、実写映画の技法、特に画面の構図とか物語の構成とか色合いとか撮り方編集の仕方に関する演出とか、に関するものは、それ出来るところが先にやったもん勝ち、っていう実情があるよ。
今はメディアミックスの時代だから、アニメ作る側も、原作とアニメを同じものとして作ることが求められている。でも原作とアニメって、片方は印刷したもの、片方は画面で音がついて動くものとして別のものなんだから違うものとして考えようよ、ってid:noir_kが「原作至上主義」に対して言ってることってなかなか良い意見だと思うんだ。
これらは仕掛けとして考えれば同じもので、見る側作る側はこの仕掛けを通じて共犯関係になる。そして「原作とアニメが同じものとして作られるものだという空気」が、これらが、なにかを考えて作られたものだな、とみんなに思わせる目印になっている。この目印を越えて、今のアニメの演出が進むことで、アニメを作る側も見る側も、新しい批評が出来るとわたしは思うよ。
こう書くと、ストーリーって重要な要素を忘れているのではないか、と言う人もいると思う。ただ、ストーリーって編集という演出の産物なんだよね。で、ストーリーは「ある内容」を「どう語るか」にあるわけだけだけど、「ある内容」ってもともと5から20個くらいのパターンしかないから、そこを評価しても仕方がない。「どう語るか」は批評の対象になるかも知れない。ニューヨークの9.11テロを題材にした物語は無数にあるけど、それをどの視点からどのように語るかということが重要だということ。うっとうしく社会学で語ると、これが「批評空間」世代と「東浩紀━宇野常寛・ゼロ年」世代の差異だということ。後者はおもいきり戦略的に「物語論」へと反動的に回帰しているように思われるし。言い換えると、「表現論」派と「物語論」派がいるよね、ということ。
世代が新しくなってるから、「表現論」派の肩身がきわめて狭くなるのは当たり前だよね。現に、自分は「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「表現論」的な演出を自粛した作品だと思っているし、そのあらわれとして「物語論」派から支持を集めることに成功してるし。そして、このアニメは2008年を代表しうるアニメだからね。
アニメって、他のジャンルと比べても忘れられる度合いが例外的なほどに高いように思う。半年前のアニメさえ鮮明に思い出せないことの方が多い。これは何故だと思う?
それは、異常なまでに「物語」と「登場人物」(声優とか声優の演技のしかたも含めて)が似ていて、なんか同じものの繰り返しになっているから。
アニメ以外の、コミックとかゲームはよく知らないんだけど、コミックを例に取ってみようか。まあコミックも簡単なパターンで作られているようにみえる。でも、「美術と小説に関して明らかに規範的なテクニックを持っているのにもかかわらず、下手くそな画で馬鹿げた物語を語っている」漫画家が確かに存在しているのね。おまけに、存在しているのみならず人数も多い。
けれども今の時代、経済構造の都合でアニメ業界はそれができない。「原作のないオリジナル作品が作れない」っていう意味ではなく、「オリジナルなものが抑圧される」という意味で。俗っぽい例えだけど、「優れた直木賞」は受け入れられても「中途半端な芥川賞」は抑圧されるということなんだよね。だから、ほとんどの作品が忘れられていくのは当然の事態なの。(より正確に言うのなら、「直木賞」と「芥川賞」の差もなくなっているし、アニメの歴史の問題というより、今アニメを作る人が信念を持って「特化」しようとすると、淘汰されるということかな。でも「特化」なんて言えるようになったのが90年代に入ってからのことなので、奇妙なねじれがあるようにみえるんだよね。この「ねじれ」を作家主義が引き受けたこと、そしてインターネット社会が同時的に誕生したこと、これが、「アニメーションの歴史におけるヌーヴェルヴァーグ」〈山本寛の談〉と呼ばれる事態なのかな、とわたしは考えるよ。)
現代のメディアミックス時代における、アニメ作る側の「原作至上主義」、インターネット社会におけるアニメ見る側の「原作至上主義」。
相対主義を標榜するほどナイーブでもないので私見を述べると、どっちも間違ってる。
アニメ作る側がいくら「原作」を「模倣」しようが、メタフィクション・パロディ・引用・自己言及、そして実写の早い者勝ち引用ゲームからは抜けられない。アニメ見る側がいくら「原作とアニメはこんなに似てる」と言おうが、根本的にそれは異なるものだから。根本的に違うものなので、いくら似てると言っても意味がない。それとも、類似点を言っていればヘーゲルの時代に戻れるとでも思っているのかしら。
ヘーゲルは小説のことを「市民社会のブルジョワ的な叙事詩」と定義した。要するにアニメの場合、「表現論」派に対して、世界の全体像の提示を旨とする「物語」派が復権するということは、奇しくもヘーゲルへの回帰をも意味するということ。言い換えればこれが「市民社会」論・「公共性」論・「安定的な社会秩序」を懐かしむことにつながると言うこと。でも、懐かしがって出来た物語は「秩序の混乱・解体→回復」という説話の構造でしかないし、その物語は「売れる=消費される」社会の現状維持的な肯定。果たして、それでよいの?
ひっそりと深夜に放送されるアニメを作るのも見るのもまっぴらごめん、と言う態度は適切だし、ましていい大人、常識的な社会人が、という話なら正しい振る舞いでもある。
ただ、昔の人が反語的に言うような、アニメがステータスシンボル(「オタクのしるし」とか)以上の存在価値を持ち得ないという議論は、あまりにも不毛で、杜撰で、素人じみている。富野由悠季まで戦略なしに不意に言うのを聞くと、断固として反論する必要があると最近思っている。そして逆に、圧倒的な「アニメ≒コミック」表現に関する戦略性(プレゼンテーションと歴史的な文脈づくり)で欧米諸国を震撼させた村上隆のような現代美術家に対しても、最近では諸手を挙げて肯定することは出来なくなっている。
富野のペシミズムと、ペシミズムの盗用により現代美術世界で名だたる作家となった村上隆。
なんにせよ、この2人が、行き詰まっている現状でぎりぎりの戦略をとっていることは胸を打つ。この固有名詞が、アニメにやってくる。決して2人とも現状を抜け出すことには成功していない。2人ともテクニックはあるけれど、状況を突破するほどの何かを示してはいない。
でも、新房はテーマとの暴力的な遭遇(西尾威信の小説のアニメ化)によって現状を何とかしようとしており、山本はアニメ作りと同時に言論活動を展開することで、自己弁明しながらも新しさを模索しているようかのようにみえる。
そして、まちがってもそれらは、『ef -a tale of melodies.』(※監督:大沼心、監修:新房昭之)や『かんなぎ』のような作品で実現されているとは思えない。両者で見るべき点は、妥協および「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽ること」以外にないのではないか。
けれども、「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽る」というとき、その恐怖心こそが、富野や村上には見いだせないものであって。
くだらないテーマの指摘とか、原作とアニメが違うだとか、ありふれた技法を指摘するだとか、歴史的にあれと似ているとか、そんな指摘は新房や山本が恥じらいながらも表現しようとしているものにまるで追いついていないのよ。
とても腑に落ちた。ホントにパソコン通信時代は、オタクorオタク同然しかいなかったね。一般人は3%以下しかいなかったように思う。
自分はどっちかというと、かなり一般人よりの人間だった。とはいえどちらかといえば非モテだったけど。
でもオフ会で合った女の人は片っ端から口説きまくってたなあ。まわりの男があまりにもさえない男ばかりだったせいか、性的な意味で仲良くなれた女性は20人くらい。これはパソコン通信無しでは得られない成果だったな。当時はネットで女の子に声をかけて仲良くなってしまうという手法はほとんど知られていなかった。その頃は、テレクラが下火になっていった時代、テレクラが牧歌的な時代から、金のやり取りが発生してくるようなつまらない場所になりつつあった時代だ。
自分は、伝言ダイヤルで知り合った女の子にパソコン通信を教えてもらった。会社からリース切れのPC-9801RAを貰ってきて通信ポコって変な名前のモデムを買ってnifty始めたっけ。
もうホント入れ食いだった。自由な時間に恵まれた仕事だったせいもあって、あちこち出向いてはいろんな事したなあ・・・北は宮城県、南は福岡県まで出向いた。増田が書いていた事をそのまんま話をしていた女の子もいたよ。非モテのはしりだったのかな。そのワリには結構、遊んでたみたいだけど。
オタクも多かったけど、女の子目当てで遊んでいる男も結構いたよ。でもだんだんと遊び目当てで参加してくる人が増えてきて、自分みたいにいまいちぱっとしない男が遊べる場所じゃなくなってniftyからは立ち去ったな。
次はyahooのチャットとか、ネットミーティングで遊んだな。それもだんだんソレ目当てが増えて面白くなくなる。
そこらへんで2ちゃんねるが出来て、また遊んで、オフ板が出来て、なんだかすごい事になったな。だけどオフ板も出来て少ししてからはやっぱり人が増えてダメになった。
もうその辺りでカラカラになってしまったので、もう遊んでいないが・・・
今となっては当時の知り合いなど誰もいない。遊び好きな連中は今、どこで遊んでいるんだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20080830050957 を書いたものです。
それなら良いですね。まさかプライベートのメールアドレスじゃないだろうな、と一瞬冷や冷やしちまいましたよ。そんなことなんかしたら、毎日のようにメール攻勢ですよ。毎日話を広げづらい長文日記メールが届きますよw
「あなたを好きになる事なんかないけどね」かぁ。そんな台詞、言ったことがないですよ。ぐー、なんか「上から目線」な感じがして言いづらいな。。。言ってて「は?お前何様?!」と自分をどつきたくなりそうです。
いや、それくらい言ったほうが良いですよ。他の人も言っていますけど、相手は鈍感非モテなんだからはっきり言わないといけません。ただし言い方ですが、「あなたを好きになる事なんかないけどね」っていうのは、冗談っぽく言うのが良いのです。そうすることで、相手は冗談とも本気とも取れなくなり、両方の気持ちを想定しながら混乱します。相手は「俺、何か悪いことしたかな」と疑心暗鬼に陥ります。そうなればこっちのもの。その後は、気持ちのない素振をどんどん見せていけば良いのです。軽く冷たく無視をしても良いでしょう。それが、まさしく「真綿で相手の首をじょじょに絞めていく」意思表示なのです。
あと、相手の好意をどんどん削ぐ方法もあります。これも、2ヶ月前くらいに実際体験したことなので、効果はあると思います。
例えば、電話番号を教えたり、プライベートのメールアドレスを教えたりします。「一緒にどこかに行きましょうか」など、その気もないのにそういう「会話だけ」を交わします。実際行っちゃだめですよ。あと、同じSNSなんかに参加するのも良いですね。モバゲーとかmixiとか。
多分電話攻勢やメール攻勢があると思いますが、あまり相手にしないで適当に距離を取ります。デートについても、理由を付けて断り続けてください。(相手のあなたに対しての気持ちを)生かさず殺さずで。やがて、相手のこちらに対する電話やメールの頻度が下がってきたらもうチャンスです。
※ SNSに入っている場合は、見ず知らずの適当な男性ユーザーと楽しんでいるように見せかけておきましょう。顔写真を上げているような勘違いイケメンとか、SNSには絶対いるホストなどと軽く遊んでおいても良いと思います。ただし、本気にならないように。あくまでこいつらはダミーです。男の嫉妬心を煽るというわけではないのですが、「俺以外の男と仲良くしてる。それもヤリチンのイケメンと。俺にはメール返さないのに…」と、相手の気持ちを落胆させてください。突然、SNS上のお友達関係を切っても良いと思います。
つまり、「仲良くなれるかも?と相手に期待を抱かせておいて、一気にどん底にまで突き落とす」というやり方です。これは結構効きますよ。僕がこれをやられたときは、一ヶ月くらいかなりモヤモヤしましたもん。「夜中に『寂しい』って電話くれて3時間くらい喋ってたのに、何でいきなりこんなに放置するんだろ」って(もっとも、僕のほうも電話を一切しなかったのもあったんですけどね。ちょっと連絡の間が空いたときに「電話くださいねー」ってSNSの伝言板に書かれていたけど、そんなの社交辞令でしょ、と。それに僕、電話が大嫌いなんで)。
とにかく、自分に降りかかる火の粉は冷酷になってでも振り払わないと、後で自分が困るということです。ただし、残忍になってはダメですが。残忍になると、今度はあなたが酷い目に遭います。僕はどちらかというと火の粉だし、こういうことを何度も経験し傷付いたことで自分が「非モテ」であると自覚することができました。今では仙人(増田の記事で過去にこの表現が出てきてから気にいっている)を目指して日々努力しています。
あなたに付き纏っている男が、自分は非モテであることに早く気付くと良いんですけどね。これ以上彼を悲しませないであげないよう、そして自分のためにも冷酷になってください。がんばって!
まぁね??、「時間ないから!社内システムだから!」でヌルーされる可能性は十分にあるよね。
もしくはバグ報告受けた開発側の担当者が「SQLインジェクション?何それおいしいの?」って状態だったら、何事もなかったものとして処分されるかもw
実証コード添付で投げるのが一番理想だが、そんな事を本番環境でやったら牢獄行きになる罠
# や、誇張じゃ無しに今のバイト先は「不正アクセスです><」とか言って迅速に警察に通報してくれそうな所なんです(汗
ここまで書いてふと思ったけど、社内でしか使わないシステムに脆弱性が見つかった場合、どんな体制だったら理想的なんだろ?
脆弱性を報告した人に「修正したかどうか」のレスポンスがあれば(自分的には)ベターだけど、
でかい企業だと伝言ゲームをしている最中に有耶無耶になってしまいそう。
という流れでした。
参加した計5名の増田、対応してもらったはてなオフィスのみなさん、ありがとうございました。
じぇいこん社長が結構時間とって話してくれたのが、すごい印象深かったです。ユーザとしてはかなり偏っているのであそこで話した内容が役に立つか疑問です(でも、もう一人の増田の方が偏ってるってば)。へっぽこPerlerなので、なま直也氏に会えたのがうれしかったです。写真掲載許可をもらってきたので、写真入オフレポを公開する予定です。こんなところで。
で、宿題の件。
これ以上はスタッフに直接おたずねください。幹事は、個人的に対応して欲しいとの要望を持っておらず、伝言をしてきただけなので。
問題箇所を指摘してとお願いしたのですが、指摘して頂けなかったので、伝言は無理です。あしからずご了承ください。増田の担当者の有無は確認してきます。