はてなキーワード: 伝言とは
両親が認知症になり介護支援1の状態です。統括センターの相談員さんと話し合ってます。
プランがかたまって、事業所が決まりそうなので、じゃあ、その事業所からケアマネージャーさんが来るのかなと思って質問しました。
「あ、ちょっと確認させていただきたいんですが、ケアマネージャーさんはいつ決まるのですか?」
「支援1の間は、私がずっとケアマネージャーをしますが、介護になるとほかの人になります」
「ああ、そうなんですか!」
「ご不満でしたら、ほかの人に代わりますけどっ(ほぼ怒声)」
「いえ、○○さんがずっと担当してくださるのなら、それがいいですー」
その後、私が自分の病気の診断を受けるために家を空けている間に、家に来ていろいろ両親と話し合ったらしいのですが、よくわかりません。わかったことを元にいろいろ手配して、相談員さんに報告しようと電話をしたら、今ほかの電話に出ているとのこと。「こういう風にやりますのでよろしく」と伝言をお願いしました。その後、相談員さんからは反応がありません。
確かに両親は当事者ですが、認知症なのをご存じなのに、両親に連絡を取ってくるのが解せません。連絡先は私になっているはずなのに。
私、相談員さんを怒らせてしまったから、こんなことをされるのかなあと、ちょっと心配しています。
ちなみに、その相談員の方がいるところは3人体制だそうで、かなり広い地域をカバーしています。ケアマネさんは1人35人までしか対応してはいけないはずだし、月に1度の訪問も義務づけられているはず。3人なら105人までしかフォロー出来ないはずです。だから、まさか、その相談員さんがケアマネージメントをなさるとは思っていなかったのです。事業所に寄って、出来ることと出来ないことがあるわけで、うちの両親に出来ることがある事業所が見つかれば、そちらに引き継がれて、ケアマネージャーさんが付いてくれてケアプランを作成してくれるのだろうと思い込んでいた私が悪いのだとは思います。
どう話し合えば、この相談員さんとうまくやっていけるかなと悩んでいます。
何か、気がついたことがあったら、教えてください。
http://anond.hatelabo.jp/20100306172632
状況説明が簡単すぎるので、ちょっとアドバイスしかねます。ただ、部下への指示もこんな調子でなさっているのなら手がかりはあります。
なぜ指示まち人間になってしまうかと言うと「間違えたら怒られる」からです。自分から何かして、良い結果になったことがない。だから(相手がやって欲しい)と言うことをすれば間違いないと思っているのです。学校を卒業するまでにクリアしておくべきこと、と言われれば、ごもっともなのですが、その人は試行錯誤をする場が無かったのでしょう。
こういう人を教育するには、仕事を分解して、一つ一つ確実に教えて、その一つ一つのことについては、何も指示しなくても出来るようになるところまで持っていくしかありません。時間がかかりますが要領を覚えてしまえば、ミスらないので重宝しますよ。
例えば「電話を取る」(基本過ぎだとは思いますが、職種についての手がかりがまったくないので、どこの職場でも発生しそうなことを例にしてます)。「はいっ、○○です。いつもお世話になっております」等々、マニュアルを作って覚えさせ、電話がかかってきたら、とにかく彼に取らせる。もちろん、仕事の伝言の仕方なども徹底的にたたき込みましょう。電話が鳴ったら、反射的に取るってとこまで仕込めば、あとはラクチンです。ほかの仕事も今の要領で覚えてね、とにっこり笑えば身体に染みつくでしょう。もちろん、ただの例ですから、実際にはもっと難しいことを仕込んでもいいんですよ。「一つの仕事を徹底的に、自動的にやれるようになるまで」教えれば、ほかの仕事も同じ要領で覚えていく、はず、です。がんば。
そんなんでIT企業を名乗るから、やれITはブラックだとか言われてどんどん業界が
廃れていくんだろうが。
おとなしく人材派遣業をやってくれ。
いくら待っても一向に法整備される様子もないし、
この不況のタイミングでこういうIT(笑)企業がいっそのこと全部淘汰されればいい。
一昔前までは請負とはいえあんまり細かくは言われてなかったみたいだけど、
最近は実態にそぐわない法律を守らせようとする風潮が強すぎる。
お客さんと直接話をすれば1分で終わることを伝言ゲームで1時間かけさせようとする。
誰得?
俺はITの仕事をやりたいんだよ。
「ITの仕事」は好きだけど、「ITの仕事をするために必要な仕事」に時間を取られる
ことは非常に気に食わない。
爆発しろ!
au の携帯を紛失した。営業用で、いろんなところから電話がかかってくる。大変だ。
こういうとき au の携帯はビミョーな機能を提供している模様。
ソースはこれ ⇒ cdmaOneの遠隔 操作サ-ビス開始について(だいぶ古い)
かかってくる電話に、他人の携帯や会社の番号でもいいからとにかく転送したい場合。そんなとき、着信転送を遠隔で制御できる。
こうすると、自分の携帯にかかってくるべき着信が、セットした所に全部かかってくる。
設定を解除したい場合、その携帯から 1420 にダイヤルしてもいいが、下記の方法も可能。
携帯を自宅に置いてきてしまったなど、紛失じゃないときは「お留守番サービス」の ON/OFF ができる。しかも伝言の再生まで遠隔でできる。
質の向上が正当に評価されない業界で質を求めても無理だよ。残念だけど。
全国一律、どこの病院でも、どの医者でも、どれだけ時間をかけても一回の診察料、処置料は金銭的には同じ(厳密にはちょっと違うけど)というシステムを国がとる限りは。
10年以上キャリア積んでて専門医資格も持ってて年間の執刀数も相当の数切ってるような信頼おけるベテラン外科医と、
臨床研修修了直後のなりたてほやほや得体の知れない新米外科医でも、やる手術同じなら同じ値段ってのは他職種に例えて考えたら明らかに異常じゃないかな。
逆にこの制度でよくまあそこそこの質が保たれているもんだという見方もできる。
しかし実際には質の差が医師間で激しすぎるのは動かしがたい事実だし。
この状況に対処するには業界に通じた知人に、どの医者が、どの病院がまともな医療やってるのかこっそり教えてもらうぐらいしかないんじゃないかなあ。
世間の評判なんてのも本当に嘘くさいもんだよ。風評なんて多くは個人発信なんだから、伝言ゲームで無限増幅されてるだけで「実際の多数の患者の声」なんかじゃない。
昔は性風俗が今と違ってゆるかったなんて聞きます。
その根拠の多くが文献ですが
しかし、本当にそれがその時代を映す性風俗である証拠はあるのでしょうか
たとえば、西暦2100年になって学者が1990年代の日本を調べていると、どうやら援助交際なんてものがあったらしいと、資料をあされば出てくるでしょう。
しかし1990年代の女子高生で援助交際をしていた人を、僕は知りません。
テレビなんかで騒いでただけです。
今現在の女子高生の性習慣なんてものを、普通に生活していると目にすることも無いです。
どこかでだれかがそう言っている。だれかが言っているのだから間違いない。
そんな曖昧な情報伝達が、伝言ゲームのように大げさに伝わっていくことがあって、事が大きくなると言うことは無いでしょうか?
日本はサムライの国、義理人情だとか、イギリスは紳士だとか、アメリカ人は陽気だとか
その国や地域、時代を表す記号やモノ、風習がどこかやらせクサイと思います。
大学時代からの恋愛遍歴(非モテ履歴?)をつらつら書いていたら、人生の懺悔録みたいなものができあがってしまった。チラ裏失礼。
何人かに振られてから、大学時代始めて付き合った相手は自分をしっかり持っているぶれない女性だった。相当頼りなく見えたのか、程なくしてお別れを言い渡された。しかし、まだよりを戻せると勘違いし、約3ヵ月にわたって電話攻勢をかけてしまった。リアルでアクションを起こしていたらストーカーとして前歴を残していただろう。いや、電話だけでも十分ストーカーと呼んでいいかもしれない。何の言い訳もできない。
その後、もう勉強もバイトも友人関係も手がつかず、半引きこもりの風俗依存状態になってしまった。友達に助けてもらって何とか表に出て、表向き楽しい日々を過ごすなかで、サークルで次の彼女ができた。でもやっぱり前の彼氏の方がよかったみたいで、すぐ別れた。自分のストーカー気質に気づいていたので、食い下がることはしなかった。
大学を卒業し就職したが、相変わらず風俗通いは続けており、借金はかさんでいく一方。そのせいで、親にも職場にもものすごい迷惑をかけてしまった。そんななかで携帯電話の伝言コーナーで知り合った女性と意気投合、したつもりになっていた。それはデート商法だった。それに気づいたときには、もう自己破産するしか、方法は残されていなかった。
そのような状況下、はじめたばかりのネットで知り合った女性と付き合うことになった。相手は長い間不倫をしていた。重いものを抱えていた同士だったからか、不思議とうまくいった。自分の中では少しずつ結婚も考えていた。しかし、相手が前の不倫相手とよりがもどっていることが判明し、相手から別れを切り出された。1週間食事できなかったくらいショックだったけど、自分のストーカー気質に気づいていたので、ここでも食い下がることはしなかった。
その後うつ状態になり、転職したが、仕事が続かない体質になってしまい、人生のどん底を味わう。休み休み活動をして、給料は安いけど、自分に向いている仕事を見つけた。この時点では、もう不思議と、風俗に舞い戻ることはなくなった。
彼女作りはひとまずあきらめて、趣味に生きることにした。趣味の仲間が増えた。でも、仲間たちがどんどん結婚したり子どもができたりで遊ぶ機会が激減した。仲間たちが人として大きく見えるように感じられた。うらやましかった。もういちど相手探ししようかな、と思った。
失敗を繰り返しながら、年収400万円台で安定した職を見つけた。ここでやっと美容室に行き、服装を変え、ダイエット等々をしたら、いろいろなツテで合コンに呼ばれるようになった。ヤフーパートナーとか使って、何人かと会ってみたりもした。先にはなかなかつながらないけど。
なかなか先に進まないのは、しばらく「ここは給料が安いから」「ここを脱出すればうまくいく」等々、環境を言い訳にして、自分を磨いてこなかったツケだろう。
でも、いまはこんな下積み暮らしをしているのが楽しい。このあいだ、ちょっとしたきっかけで自信ができたのか、恋人がいたとき以上に気持ちが穏やかになっている。今までの人生の中で、今が一番楽しい。
趣味は相変わらず続けているが、付き合いの幅も広がっている。こんなヤツなのに親からも「いい相手見つかるといいね」と応援されている。
きっと、遅くない将来、いいパートナーにめぐり合えるはず。
そんな予感、いや確信に近いかな。
だからこそ、いままでのことにもう一度向き合って、懺悔したかった。
※一部修正:「引き下がる」2箇所→「食い下がる」
ご指摘ありがとう。いやはやお恥ずかしい。
もう五年か六年前の話。
高校生だった。夏休みだった。ある日祖母が入院した。検査入院だった。
でもその夜のうちに、「容態急変」の電話がかかってきた。電話を取ったのは母で、おれにだけ告げてすっ飛んでいった。
母がおれの部屋の戸を叩いたとき、その最中だったから。中断させられてしまったオナニーを続行した。
容態急変の意味は分かってた。薄々そのあとのことも予感していた。だけどとりあえず、途中だったし、暇だったし、他にすることもないし、親父と兄貴は何か話していたけど、おれはそこに混じるのもめんどくさかったし、
部屋に籠もってオナニーして後始末してぼけっとしてたら母親から電話がかかってきた。
「だめだった」と泣いていた。「そう」と言って切った。それから今度は親父にだけ伝えて、おれは寝た。
葬儀のときもおれは泣かなかったし、泣くじゃくる母親がおれの手を握ろうとしたけど避けた。祖母の遺体にも触らなかった。
言ってみれば人の死、悲しみとか、そういうものに向かい合う最初で(現在のところ)唯一の機会を、おれはオナニーしながらぼけっと見過ごしていたってことになるのかなと思う。
祖母が一人で死んだ夜、もしかしたら死んでいってる最中に。
そのことを思い出すだにほとほと呆れ返るし、なにか重大な間違いをしたんだって気さえするんだけど、
最低限の羞恥心のおかげで、このことは誰にも話したことがない。
一年前のちょうどこの時期、祖母が夢に出てきた。誕生日プレゼントだよと言ってなにかの鍵をくれた。
起きてからめそめそ泣いた。
期待していた役割に割り当たらなかった不満はわかるけれども。
それとも全部自分を通さないと認めない?
増田は大規模JOBには向いてないんじゃなかろうか。
システム設計という仕事は、いつからクライアント・プログラマー間で行われる伝言ゲームの伝言係になったのか。
何か俺必要ないよなー、お前らで勝手にやってくれよって気持ちになる。
今のこの案件、どうしてやる気を失ってしまったんだろう、やっぱり画面設計とシステム設計が切り離されて、裏側の動作無視して画面やデザインばっかりが進むようになったからかな。
それで俺が「なんだよこのアイコン、そんな機能聞いてないよちゃんと説明しろよ」と何度も言うことになり、じゃあお前らがプログラマーに指示出しすりゃあいいじゃん、って思うようになってしまった。
それでも「お前が望んだプログラマーだろ」って請負という名目の派遣(笑)プログラマー押し付けられて、俺はろくに使ってもいないのに「○○さん明日半日借りていいですか?」とか俺に断られてもなぁー。
その人の書いたソースコードも結局俺が直しちゃうし、なんつーんだろ、俺のやる気のなさがすべて原因なんだけれど、やっぱりやる気を削がれたってのは俺以外も悪いと思うのよ。
そもそも、案件のキックオフの時点で「システム設計は△△さん、画面設計は××さんで」とかいう話が出た時点で俺のやる気はゼロになっていたのかも。あれ、それ両方とも俺じゃなくて、そもそもシステム設計なんてできない人と社内でもそんなに評価の高くない××さんでいいの?え?それ両方とも俺がやるから俺がこの案件に必要だ、会社に残ってくれ!って話なんじゃなかったっけ。それが、プログラマーって(笑)
結局細かな動作仕様について「これどうしましょう、あれどうしましょう」って話が俺のところに飛んでくるだけで、他はなんか俺の知らないところで決まってばっかり。
「やる気がないならやめちまえ」
その知ったかぶりの中でも最低最悪なのが、はてな界隈で仕入れた知識を披露するやつだとおもう。
2ちゃんねるだと、おもしろおかしい系が多いから、二度三度楽しめるモノが多いし、毒にも薬にもならない系が多いし良いんだけど
はてなの場合、重い話が多い。
とくに半年前ピークだったガラパゴスの話
ガラパゴスが悪い訳じゃないだろうと、何度言っても、次から次にわき出てくる
はてなで、定期的に話題になってたから、新情報、新解釈を誰かが書いて、それ見た馬鹿が俺に語ってくるのだろう。
だいたいにおいて、その文章書いた人は、いろんな前提が含まれていたりする。
条件がいろいろあって、結果こうなるという考えなのだが
それを読んだ馬鹿は、そのあたりをすっ飛ばして、切れ味重視の意見でおれに伝言リレーしてくるので
大抵糞の塊のようになっている。
もうこのさいURLだけ教えてくれと思う。
なんでこんなのが人気エントリーに入ってるんだよ。はてな暇人多すぎ。
しかもブコメで文章が下手とか言われてるし。
たしかにわかりにくいと思ったが、書き換えるとまずいと思うので放置します。
頑張って読んでください。
学問って、『問いを学ぶ』ことなんだよね、きっと。
問いを『考える』ことでも『解決』することでもなくて、『学ぶ』こと。
だから、『1+1=2』と解を導き出すことじゃなくて、『1+1=2』ということを学ぶ。
でも、学ぶってなんだ? 『問いを学ぶ』ってどういうことなんだろう。
『学ぶ』
1 勉強する。学問をする。「大学で心理学を―・ぶ」「同じ学校で―・んだ仲間」
2 教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。習得する。「よく―・びよく遊べ」
3 経験することによって知る。「苦労して人間のすばらしさを―・んだ」
4 まねをする。
辞書ではこう出るけれど、私は1がどういったことを指すのか、もっと具体的に知りたいんだけどなあ。
でも、たとえ考えが帰着したとしても、結局は言語での置き換えになるのだから、単なる伝言ゲームにしかならないのかな。
あーあ。こうやって考えてしまうから、時折哲学が言葉遊びに見えてしまうんだよな。
おそらく、上記の問いの答は経験則による学習なのだろう。だから、厳密に学問に言及しているわけではない。
『学問』
1 学び習うこと。学校へ通ったり、先生についたり、本を読んだりして、新しい知識を学習すること。また、身につけた知識。「―のある人」「―する楽しさ」
『学習』
3 人間も含めて動物が、生後に経験を通じて知識や環境に適応する態度・行動などを身につけていくこと。不安や嫌悪など好ましくないものの体得も含まれる。
…………。『問いを学ぶ』かあ。分からん。
要は『問いを学ぶ』ことが私の中で『学問』と違ってきているっていうことなんだなあ、きっと。だから辞書的な意味がしっくりこない。なんにしてもそうなのだけれど。
最近の婚活ブームにより、「自然な出会い→結婚」の至上主義から、見合いや結婚相談所が見直されている傾向なのは良いことだなぁと思う。
ただし
「結婚相談所や仲人に登録したら、自分は何もしなくても向こうから勝手に理想の相手を紹介してもらえて、簡単に結婚できる」と思ったら、大間違いだ!
と声を大にして言いたい。
「何かしらの理由(容姿・性格・年齢等々)で、自力では異性と出会ったり交際する機会のない人」が
「異性と出会ったり、交際に持ち込めるようサポートする場所」なのであって、
「何もしなくても結婚できる」場所ではない
からだ。
そして、
結婚相談所や仲人のところに容姿・性格・年齢がすべてパーフェクトという人はまずいない。パーフェクトな人には結婚相談所や仲人は必要ない。
というのが現実なのである。
と思う。
まずは
なのだ。
おそらく、自分がいかに厳しい条件にさらされているか自覚できると思う。
そうやって自分の現実と向き合ってみて、「自分に合う人」と出会って欲しい。
けれども
「完璧ではないが、結構いい人」には出会えたりする
ので、「自力では異性と出会ったり交際する機会がないなぁ」という人は、是非結婚相談所や仲人に登録してもらって、たくさんの人と出会って欲しいと思う。
行動なくして結婚無し!
客先で、そうさらっと言われて、一瞬首をかしげた。
彼、最近聞かないね」
忘れてた。
この客からは数ヶ月前、クレームを受けたんだった。
よくある事だ。
電話の基本ができていない。
内容が正確に伝えられない。
電話の向こうに、頭を下げたんだった。
「まだまだ勉強中なので、ご迷惑をおかけします。
私がきちんと対応しますので、伝言代わりだと思って、お願いします。」
声のトーンがやっと静かになってこう言われた。
「お互いに若い人には苦労するね。
君が引き続き対応してくれるなら、安心した。
本当は彼には電話に出てほしくないんだが、仕方がない。
よく、勉強するように伝えておいてくれ」
配属を変えられた人間だから、けして若くはない。
(そういう人だったし、配属を変えられた人間はそうなってしまうのだと思う)
それなのに、ほかの職場の都合を、しかも客という立場なのに、そう言ってもらえて、
何度も頭を下げた事を、情けないことにようやく思い出した。
クレームになるまでの数カ月。
クレームを受けてからの数カ月。
客に我慢をしてもらっていたのだ。
そう、彼はもういない。
結局、仕事を覚えることもなく、まともに電話を受ける事もできないまま
また他の部に異動になった。
仕事はできないままだったが、古い体質の会社だからか、上司と懇親にしているだけで転々としているらしい。
顔が赤くなるより青くなった。
俺がこの客先に来たのは、もう何年も前になる。
前任者と比較され、話にならない、帰れ!と言われて、それでも必死に勉強して、食い下がった。
責任感が薄い前任者が投げ出すように任されたプロジェクトのサポートを、何の資料もないまま調べていくうちに、
俺に今更業務フローから(不機嫌にだが)教えてくれたのが、今の客だ。
半年くらいかかっただろうか。
ようやく話ができるようになった俺に、
「君が来てくれるなら安心だ」
そう、言ってくれた客だった。
社内では、仕事をしない彼が他部署に異動になって、正直ホっとした空気が流れていた。
俺も、そう思っていた。
恥ずかしかった。
無性に恥ずかしくて、情けなかった。
「また来てくれな」
客先の正門まで見送ってくれた客に、何度も頭を下げた。
だが、また異動はあるかもしれない。
彼が、移動先での仕事ができないと言い出し、またこちらの部署に戻す、という噂も聞いた。
どうなるか、何ができるかは分からないけれど、
「育てる」「続ける」ことに情熱を持てる事が、今ではどれだけ貴重なのか
忘れちゃいけないと思った。
なんでヤングな彼らは「ポスティング」なる行為に走ったのだろうね。
だって、すんげぇ泥臭くてうざったいイメージあるじゃん。いかにも若者が「安保時代のバカサヨじゃないんだからwwww」とか言って嘲笑しそうじゃん。
ま、それはさ、ともかく。
フツーね、郵便受けン中に自分が想定していた以外のモンが入ってたら不快に思うじゃない? 思わない? や、そういう人はそういう人でいいんだけど。すいません。しかし、俺は「うわっ」、ってなっちゃうわけ。で、内容を一瞥すらせず、デリヘルの型番不明なちっこいチラシと一緒にさ、ストレートにゴミ箱に突っ込んじゃうの。そのゴミ箱ってのがさ、マンション側が用意した迷惑チラシ用のヤツなんだけど、覗いてみたらまたそういうビラで溢れかえっちゃってんのよ。選挙中ずっと。ウヨサヨ自民公明民主社民共産幸福実現生長の家その他その他問わず。
で、思ったわけね。何でこんなに揃いも揃って嫌われてんのかなー、って。思ったわけね。何で俺はこいつら、というかこういうビラが大嫌いなのだろうね、って。別に俺だって宗教も政治もいうほど嫌いじゃないし、ってか今回の選挙にあたっては、選挙権もないくせに珍しく能動的に行動しまくって、まず各党マニフェスト読破、したら「そもそも政治ってなんじゃらほい」って気分になったんで岩波書店の『政治学入門』とか、敷衍してジャンはジョンでもロックじゃないルソーとか読み出して全然わかってないのに理解した気になってちょこずいて『リヴァイアサン』(大塚原作じゃない方の)を二三ページ捲ったところで我に返った。それまで溜めた経験値もリセットされた。誰も褒めてくれなかったよ……。慰めてくれるのは不定期に届くエロい夢が詰まったAmazonのダンボールだけ……。
そう。同じ郵便受けにあってもAmazonは歓迎される。だって自分で頼んだんだもん。しかし、俺は人生を通じて一度たりとも「どこそこの勧誘ビラが欲しい!」などと願ったことはない。
通販も(一応)新聞も人からの手紙や郵送物も各種料金請求書も普通、何かしら先立つの契約や相互の信頼関係があってはじめて投函される仕組みになっている。つまり、受取人に「望まれて」おり、あらかじめ「配達されることが織り込み済み」なんだ。裏を返せば受取人に「望まれていない」郵便物は明らかに異物だ。だから俺は拒否してしまう。いかにアブトロニックの効果が素晴らしかろうと、大川先生が偉大であろうと、招かざる客である以上はほうり捨ててしまう。恐るべきは、その仕分けシステムを受取人の無意識に組み込んでしまった投函ポストの魔術。
俺らはマンションの玄関先で郵便受けを「ああ、今日は待ちに待ったアノDVDの……不在受け取り票が届いているであろう日!」などといかがわしい期待で悶々としながら開錠する。勧誘DMアジメールくさやがその中に鎮座していようなどとは想像だにしない。ダストとしてINしたものはすべてノイズであり、カスであり、ゴミであり、一律にダストとしてアウトすべき障害でしかない。普段の志向/嗜好がどうの、とかはそこでは全く関係ない。ダストに中身なんぞ存在しない。単に無意味だ。一掴みで十数の紙束を一絡げにしてダストシュートへ。なんと見事なまでに洗練された取捨選択の美しさよ。
とすれば、俺自身そこまでアジビラ勧誘メールを憎んでいるわけではないのかもしれない。
ただ、「望まれない」「配達が期待されてない」ブツを分別する手間が疎ましいだけで。
気持ち悪い、と感じてしまうのは、あるいは嫉妬しているだけかもしれない。ポストというシステムに人格を否定されながらもなおも自己主張を止めない彼らに、自分の正義を貫く彼らに。
ああそうか。わかった。最初の疑問が解けた。ワカウヨは、彼らは「真実」や「正義」を突きつければ手段やプロセス関係なく、他人を説得可能と思い込んでいるのか。
ちくしょうめ。なぜ前提としての彼らの「正義」を疑わないのか。なぜなら、教師は悪だ。やつらは束縛する。なぜなら、一党独裁社会主義国家は悪だ。やつらは束縛する。児ポ法は悪だ。俺たちを束縛する。在日は悪だ。俺らが束縛されているのに、やつらは自由だ。
してみると左翼はわかりにくい。景気が悪いのは自民のせいだという。格差社会は自民のせいだという。年金問題も派遣問題も自民のせいだという。どれも社会人生活経験の少ない若者にはピン、とこない。なんとなれば、天下り官僚は宿題を忘れた子供を怒鳴りつけたりなどはしない。それに仕事や景気の話というのはどうしても「自分」を要素として含まなければ成立しない。そうなると「自己責任」というメンドクサイ勘定までいれなくてはいけない。勘定しようにも社会人生活を営なまないことには算定方法も解らない。経済も勉強しなきゃ。数学? ケッヘイ。ならば徹底して「他者」と「エピソード」のみで構成されている右翼の敵の方が信じやすい。迷わないですむ。
俺は信じられない。迷う。彼らが「ネットにこそ真実がある」と学んだように、俺は「ネットにすら真実なんて存在しない」のを思い知らされた。だから常にニュースや情報を目の前にして、いつも迷ってしまう。信ずべきか否か。教科書に出てくるような公式や定理やシステムや歴史や定説は本当に信じていいのか? 「この時計は一日に0.000....01秒遅れます」本当に?
猜疑心と躊躇は決して同世代において、彼らより俺が賢(し)いということを意味しない。大体の場合において、俺は怠惰だ。一次ソースなんてクソ食らえで孫引きに次ぐ孫引き伝言ゲームで捻じ曲げられた捏造情報が事実として流布されるなら、それはそれでかまわないとすら考えている。半分ヤケクソに近いメンドくさがり屋だ。
そうやって踏み出すことをためらっている分、「政治」に貪欲なネトウヨたちより知識において劣るだろう。っていうか俺はそもそもサヨでもない。かといって中道を名乗るにゃ定義に確信が持てない。俺はなんでこんな話をしてるんだ。
率直に言ってさ、http://anond.hatelabo.jp/20090901001358にでてきた男の子がうらやましいと思ったよ。あいつには諭してくれる人間がいる。信念を表明したことを労ってくれる仲間がいる……
目の前に使える道具があるのに、使わない手はないと思うのは間違いなんだろうか?
別にアナログを非難してる訳じゃなく、アナログより使い勝手良いデジタルな方法があるのなら、それを使うのが自然の流れじゃないかな?
例を3つほど出しているみたいなので、私なりの解釈を説明します。
これは、後でそのメモを探す場合に便利だから。
「あれ?あのメモどこいった?あれ?あれれ?」の率が格段に減ります。
まぁ、ちゃんと整理しないとメモを無くすのは紙もデジタルデータも同じ。
>・ミーティング……紙じゃなくて、ノートPCとプロジェクタ使えばいいじゃん
これについては、プロジェクタで表示したデータを、見た人に配れるのならアリだと思います。
そうでないのであれば、お勧めできません。
何故か?ミーティングだけで全て覚えてしまう人は皆無だからです。
>・伝言……携帯有るんだから、いちいち自席まで行く必要ないじゃん
伝言を携帯でやっても意味が無いように思えます…むしろ話しが伝わりずらく時間短縮になりません。
何故か?「伝言ゲーム」といえば、理由は分かりますね…言葉で発した情報ほどアテにならない物はないのです。
さらに、伝言を送る時間を気にする必要が無いため、相手に気兼ねなく送れるというのも魅力です。
メールをした事により「伝言した」という事が記録され、さらに相手には「文章で書かれた事以外の事は知らされてない」という事が明確に分かるため「言った・言わない」で口論になる事が少なくなります。
ちなみに、これは「伝言」の場合であって「緊急を要する件」の場合は電話で話す・直接話すというのは昔から変わらないと思います。
アナログなのは悪い事ではありません。
逆に、どちらかに偏る方が問題だと私は考えます。
3ヶ月ごとに「貴殿の勤務について派遣先からあったクレームについて照会したいので時間を頂けますか」といわれるのはいいかげんうんざりする。
派遣先の上司との距離が開くたびにこういうことになる。淡々と仕事してる成果は伝わらず、勤務時間外に会社にいた、とか、勤務時間中に電話してたとか、反会社的な行動、言動ばかりが伝わり、伝言ゲームの果てに査問が待っている(誰が報告しているか、というのは恐ろしいので考えないことにしている)。前回はなんと6人がかりで査問をくらった。みんな仕事してることにして外出しないといけないんだな、と思った。
今回はどんな査問、どんな罰ゲームが待っているのか。それとも、シベリア送り、じゃなかった、派遣終了、解雇になるのか。
雇用保険の給付はたぶん受けられると思うけども。
もっと危機感を持つべきなんだろうな。首になったら死ぬんだとか。
小田:もうイメージ近いからね…。へっへっへ(笑)あー、やっぱり「ありがとう」でしょう。
小田:うん…、ありがとう、でしょう。
佐野:そうですね。
小田;うん。
佐野:はい。…じゃあ、最後の質問。小田さんは人のために曲を書いてるのか、それとも自分のために曲を書いているのか。
小田:…まあ、人のためにはあんまり曲をかかないだろうね。…でも最近は、タイアップとか、そういういやらしい要素が絡んできて(笑)、要するに、ドラマをやっている人たちが発注してきてとか。でも、その、ドラマをやっている人の思いっていうがあるだろうから、できるだけそれに近く書いてあげたいな、っていう。…だから自分から、その、進んで曲を書くときは、なかなか誰かに向かって書くっていうことは、まあとにかくあんまりないですね。
佐野:まあ、自分のために書くときは作家性を重視して、で、人のために書くっていうときは、あるいは商業性を、ね、取り入れているのかななんて思って。もちろんぼくらは大衆音楽、ポピュラー音楽、エンターテイメントに接しているわけだから、誰かのこと楽しませることが、一義にありますよね。でも、そうした環境の中で、どうしても自分の作家性、アーティスト性がエゴとして片鱗に出てきてしまう。それを押さえつつ、商業性も考えつつバランスよくできる人…、仲間たちをみてるとね、様々だなあって思うんですけどね。小田さんは、どのへんで?
小田:結局、歌うのは自分だからね、その、なんいうか、商業性になんかすごくこう浸食されたようなものは、歌ってて自分がその多分気持ち良くないと思うんだよね。
佐野:そうですよね。
小田:だから、歌うときの自分を考えると、どうしてもどっかに作家性が、素直に歌うためにはね、出てくるわけで。それを無理矢理、こう、しといて…、誰かに歌わすっていうとまた別のものが出てくるかもしれんだろうけど、自分が歌う限りはそれをいつも考えて。素直に歌えるものが、まずは辿りつきたいな絶対、なんて。
佐野:(質問終了して)どうもありがとうございました。
(会場拍手)
(ナレーション、1979年「さよなら」からのオフコースについて、「生まれ来る子供たちのために」について)
佐野:「生まれ来る子供たちのために」これは1980年の作品だと思うんですけど、これはシングル曲としてリリースしようとしたときに、なんかレコード会社から文句を言われたって話、聞いたんだけど…
小田:ぼく…、ぼくは言われてないけど
小田:「さよなら」っていうのはね、別に否定はしないんだけども、でもなんか自分にとって、その、もちろんオレが作ったに違いないんだけど、いつまでも他人の顔をしているような、なんかそれこそ商業的な、なんかこう歌ったら喜ぶのかなって…。もちろん自分が歌ってて不快なことはないけども、なんかこうちょっと自分から距離があるような…。それがまあ最初に売れたシングルだったから。
佐野:うん。
小田:で、次のシングルっていうことで、レコード会社はそれに当然、それに準じたものがすごく売りやすいんだよね。あまり考えないから。「さよなら」第二弾みたいなのが一番売りやすいわけね。聞く方もけっこうそれを待ってたりするから。で、オレは…、けっこう理屈っぽい人間だから、こんなときは必ずみんなが、次の曲はどんな曲だろうって聞いてくれる一番のチャンスだと思ったから、ある種本来っぽいものを、まあさっき言ったような、同級生に聞かせるような、小難しい、問題定義みたいな、やっぱりずっとそういう生活だったから、だから問題定義をするような、…「さよなら」はあんまり問題定義してないからね(笑)
小田:問題定義をするようなのが自分が学んできた路だから、そういうのが常にあるんだろうね、こういうチャンスだし、それはそれでユニークだし。レコード会社はそこを組んで欲しいなと思ったりするんだけど、まったくそういう懐の深さみたいなのがある人なんていうのはほとんどいないわけで。
佐野:ああ。
小田:今は時代が変わってきたからね。でもまあ当時はそんなこともあって、で、何考えてんだ、みたいな。で、ぱっと聞いたときに、ああこれはこう来たなみたいに理解してくれる人はなかなかいなかった。
佐野:なるほど。この「生まれ来る子供たちのために」小田さんの中ではどのような曲として位置づけていますか? 先ほどから、なにか同世代にアピールしたい曲だったっていうふうにおっしゃってますけど。
小田:この曲に関しては、日本、っていうことを、すごく、純粋に…若いときはプライド持ちたいし。欧米はかっこいいなと思っているその裏で、なんとか日本を、本気で日本を好きになりたいっていう思いがあったりして。こういうテーマは常にありましたね。この先いつまでもこんなんじゃしょうがないだろ、みたいな。だからわりと本音の、そういうふうに思って書いた曲です。
小田:シングルとして出しててよかった、ってね、時間が経つとね。…その、シングルを出した当時は、うんともすんとも反響がなかったけれども、今年20年30年経ってから「あの曲が好きだった」とか言ってもらえると、なんかね、ああ良かったんだ、みたいな。
(小田和正「生まれ来る子供たちのために」スタジオライブ映像)
(了)
国立大学は04年度に国立大学法人化。目的ごとに細かく予算を決めていた仕組みを改め、基礎的な運営費として一括交付し、大学の裁量で使い道を決められるようにした。予算が余った際も、国庫に返納する必要がなくなった。
(中略)
政府は「骨太の方針06」に基づいて、国立大学への交付金を07年度から年1%ずつ削減している。大学側からの反発は強いものの、財務省は予算の効率運用の継続を求めるとともに、「埋蔵金」の積極的な活用を促して交付金の増額を回避したい考えだ。
「国立大学に「埋蔵金」3000億円(http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200906050446.html)」
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でも、血を流して生み出した剰余金の存在を理由に、予算をより厳しく削減されるようになるのだとしたら、経営の効率化は大学にとって今後、無駄なことでしかなくなります。
「国立大学法人の予算剰余金を「埋蔵金」と呼ぶ財務省(http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_432.html)」
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本当に財務省の小童役人の戯言がせっかくの制度を台無しにしようとしています。当初は上辺だけの行政改革の一部だったのかもしれませんが、せっかくある程度成果が出て効率化し、馬鹿げた単年度主義の予算からも脱却しようとしているのに、これでは記事にもあるように、余らせると埋蔵金として吸い上げられるくらいなら、使い切ってしまえという昔の発想に逆戻りでしょう。
「国立大学法人に埋蔵金なんてない(http://d.hatena.ne.jp/ttymry/20090607/1244382039)」
財務省が大学に余ったお金があるから補助金を増やさないようにしたいという話から、財務省は余ったお金があるから補助金を減額するという話になり、最後には財務省が大学から余ったお金を分捕るという話になってしまったでござる。
ヒロインのもつ「リセット」の能力は、厳密には時間遡行ではない。一部の例外を除き、全てのものの状態を特定時点に復元する。6月9日にリセットをかけて6月6日時点に「戻した」としても、その間に経過した3日間が消滅するわけではない。6月7日に死んでしまった人は生き返るが、これは「死ななかったこと」になるわけではなく、文字通り生き返っているわけだ。カレンダこそ6月6日に「戻って」いるが、時間軸は連続しており、6月9日に6月6日の状態を持ち込んでいる。神の視点からすると、リセット後の6月9日は本来の6月6日から6日目ということになる。
さて、能力には強弱関係があるとされている。主人公のもつ「記憶」の能力はリセットよりも強い。そのためリセット後もリセット前の情報を保持することができ、ものごとのやり直しが可能となっている(ヒロインの脳はリセットされてしまうため、彼女自身ではリセットを活用できない)。同様に主人公の友人がもつ「任意の時間に任意の相手に声を伝える」能力もリセット耐性を有する。よって彼がリセット前に発した伝言は、リセット後にも有効に伝達される。これが物語の鍵になるのだ、が。こいつが結構むずかしい。
6月7日に、6月8日に友人が特定の相手に伝える目的で伝言を発したとする。その後、6月9日に主人公たちがリセットをかけて6月6日に戻った。2回目の6月7日には友人は動機を失っていたため伝言を発しなかった。それでも2回目の6月8日には彼の伝言が届く。さて作中にこんな描写があるのだが、これを前提に考えたとき、伝言>リセットと言えるか。
神視点で考えてみよう。1回目の6月6日を第0日とする。伝言は第1日に発せられ第2日に到達した。第3日にリセットされた。第4日(2回目の6月7日)には伝言は発せられない。そして第5日(2回目の6月8日)に伝言がふたたび到達する。つまり第1日の原因行為に対して2回の結果が生じている。能力の効果に対して影響が出ているかいないかで言えば、伝言は明らかにリセットに影響されているのだ。
2つの考え方ができると思う。ひとつは、伝言は相対的に、「今からN日後」に対して送信されるという説。もうひとつは、伝言は絶対的な指定として「X月Y日」に対して指定して送信されるという説。相対説をとった場合、伝言はリセットよりも弱いことにしなければ上の現象の説明がつかない。しかしこのとき、リセットにより原因行為が消滅した(第4日)のだから第5日に伝言が届くのは不合理となるだろう。他方、絶対説をとった場合、伝言の到達時はカレンダに対して紐づいている。リセットによりカレンダが巻き戻ったとすれば効果が再度発生するのは当然と言える。これは伝言>リセットという立場と矛盾しない(リセットはカレンダに干渉しているだけであって、伝言とカレンダの結びつきには干渉していない)。問題は、基準となるカレンダをどこに置くかだが。案外、自室の壁時計を発動タイマにしているとか。