はてなキーワード: レボリューションとは
なんか週末にいきなり情報が出てきた鉄拳レボリューションですが、なんだかシステムの情報見てると
基本無料でゲームを始められるのはすごくいいと思うんですが、プレイを継続することにより
キャラが育成できてパラメータを成長させられる、っていうのが引っかかるんです。
初心者って、途中からももちろん入ってきてくれないと駄目なんですけど、このシステムだと
後から参入した初心者はプレイスキルの壁に加えてパラメータの壁にも新たに道を阻まれることになります。
そこで、ゴルフのハンディキャップみたいなシステムはどうでしょうか?
要は初めてキャラを選んだときはパラメータがブーストされた状態からスタートして、
プレイヤーのランク(鉄拳は段位でしたっけ?)が上がるにつれパラメータを削って
最終的には素体のステータスでガチ勝負するようにしたらどうでしょう?
そうすれば格闘ゲームで初心者を遠ざける元凶である「初狩り」をある程度阻止できないでしょうか?
カードを買ってキャラを新たに選択したときだけブーストキャラが選択出来て、
カードなしだと素体のまま、って状態にすれば安易な「初狩り」は抑制できます。
カードを買いまくってブーストキャラ作りまくって「初狩り」するクズはどうにもなりませんが
今よりよほどマシな状態になりませんかね?
また、初心者プレイヤーからしてみても、ハンディキャップが徐々に減っていくというのは
システムに自分が徐々に実力を認められていく感じがして、パラメータを削る際のイベントの見せ方によっては
ゲーム会社がやっと本格的にプレイヤー層拡大に向けて重い腰を上げた点については
非常に素晴らしいことだと思うんですが、格ゲーで「初狩り」の撲滅って
id:arigatouyo(http://k.hatena.ne.jp/arigatouyo/)のキーワード編集について。
+<span style="font-weight:bold;">ボディレボリューション</span> +きれいな水と空気、豊富な太陽光が必須の条件の為、沖縄県石垣島でしか生産されていない「ユーグレナ」を凝縮したところできたのが、このサプリメント。 +動植物に必要な栄養がこの生物にはあり、腸や体内の300種類以上ある酵素をサポートする。 +ビタミン・ミネラル・アミノ酸。体に必要な全栄養素をサポート!体内バランスが良い状態になれば体の働きが活発になり、身も心もスッキリ爽快♪ +【ユーグレナとは】 +ユーグレナは「β-1.5-グルカン」の高分子体であるパラミロンを多く含む希少な食品です。 +人間が必要とする栄養素を含んでいる為、20年以上前から注目されていました。 +人間にとって必要な必須アミノ酸、ビタミン類を含有し、しかも天然由来のため、体内でより効率的に働きかけます。 +またカラダの美しさを取り戻す期待のために「パラミロン」を多く含みます。 +ユーグレナは魚や肉といった「動物的栄養素」と、野菜や果物といった「植物的栄養素」を両方バランスよく含んでいる地球上でも唯一の存在として、注目されています。 +カラダを良い方向へ導くお手伝いをします。 +[http://pinku.nomaki.jp:title]
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B2%C3%CE%F0%BD%AD%A1%A1%C2%CE%BD%AD%A1%A1%C2%D0%BA%F6
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B2%C3%CE%F0%BD%AD%C2%D0%BA%F6%A1%A1%C0%D0%B8%B4
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%AE%B4%E9
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D5%A5%A7%A5%A4%A5%B9%A5%DE%A5%B9%A5%AF
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http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B2%D6%CA%B4%A1%A1%C2%D0%BA%F6%A1%A1%A5%DD%A5%B9%A5%EC%A5%F3
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%AF%A5%C6%A5%AA%A1%A1%BB%FE%B7%D7
複数の単語を空白でつなげただけの文句をキーワード登録するのがFripe&Co.氏によく似ています(http://anond.hatelabo.jp/20100121095305などを参考)。
はてなは任天堂と同じ、「娯楽産業」というカテゴリで括ることができるかもしれません。
しかし、はてなが任天堂のやり方をなぞれば成功するのか?答えは「No」です。
まず既存のコントローラーを捨てたことについて「自殺行為」と表現していますが、これは大きな間違いです。
任天堂がWiiとDSで取った作戦は「負けても絶対に死なない」でした。
WiiもDSも発表当時の常識からしてみれば、「新ハード」としては誰もが驚くほど低性能でした。
これは可能な限りコストを下げることで、失敗したときのリスクを最小限に抑えたからです。
Wii・DSはたとえ他社に負けて最下位になってもハードが売れれば収益とんとんかやや黒字、
あとは任天堂の自社開発のソフトを売れば自給自足で生存できる、そういうハード設計でした。
加えて任天堂には数年間は一切何もしなくても社員を養えるだけの資産があるといわれています。
しかし、それは飛び降りても死なないだけの圧倒的な体力があったからです。
しかしこれらはあくまで「ゲーム」です。任天堂は自社の強みはゲーム・娯楽であると考え、
一貫して「ゲーム」以上の物は作らないようにしています。(この辺りの発言はWebに有ったはずですが、失念しました)
自分の過去である「ゲーム」を捨てたのではなく、逆に「ゲーム」の定義を拡大することで、新しい事を行う。
似ているようですが意味は全く違います。
この点ははてなも真似ることができるでしょう。
はてなを丸っきり捨てるより、はてなが確実に勝てる範囲を利用して「はてな」の定義を広げることで、
『普段インターネットで遊ばない人や、インターネットに関心のない人に
インターネットが自分に関係のある物として触ってもらう』方が得策でしょう。
任天堂関連を追っている人なら気付いたかと思いますが、「自分に関係のある物」とは
Wiiがレボリューションというコードネームで呼ばれていたときからゲーム離れに対する戦略として何度も取り上げられているキーワードです。
私たちは、「"携帯型か据置型か"という区別ではなくて、ゲーム機は生活の中にいかに自然に入っていけるか否かということで考えてはどうか」というふうに、今思っています。
もちろん、ゲームの中で、日常生活とはまったく違う別の世界に没入して遊ぶゲーム…、まあ任天堂で言えば、例えば『ゼルダの伝説』なんかが典型的なゲームでしょうけれども、そういうものはそういうもので、存在価値がありますし、そういうものを待ってくださっている世界中のファンの皆様に向かって、今後も、任天堂はそういうソフトを作っていくべきだと思うんですね。
しかし、これからゲーム人口をこれから拡大していこうということを考えたときに、全く別な世界…日常とは無関係な世界で遊ぶゲームだけではなくて、日常生活の様々なテーマと繋がっていて、日常生活の中に浸透していくようなゲーム、そういうものがあることで、生活の中にゲーム機が自然に入っていくかどうかと。
まあ、言い換えれば、結果、そのテーマに多くの人が興味を持てるのかどうかということが重要ではないかと思っております。
たとえば先ほどの、えー、DSの例で言えば、なぜ脳トレは売れたのか、なぜえいご漬けは売れたのか、なぜ常識力のソフトはタイトル(『日本常識力検定協会監修 今さら人には聞けない大人の常識力トレーニングDS』)を聞いただけで欲しいと言ってくださる方が沢山いるのか、それは、日常生活と関わりがあるから…日常生活の中に自然に入っていけるテーマだからというふうに私たちは考えています。
http://n-styles.com/mt/mt-trckbk.cgi/1501
はてなやはてなのサービスに読み替えると見える物があるかも知れません。
ただし任天堂の場合、問題が「ゲーム離れ」であり、アプローチする相手にゲーム経験がある、
あるいはゲームについて多少は知られている、という前提なのに対し、
はてなの場合はサービス内容がそもそもアプローチ相手が全く何も知らない可能性がある点は注意点です。
まとめるつもりは無いので、この辺りで。
結局はてなは「はてな」にしかなれないでしょうが、未来の「はてな」の定義が
「なんかよく分からないけど便利らしいよ。」とかになってると良いな、と思う次第です。
元増田だが、
2005年当時、PS3もWiiもネットに関しては何も始まっていなかったから、消去法で360しかなかったという理由は至極納得がいくと思うのだがどうか。
それも要因としては大きいと思う。当時行われたであろうハードウェア選定の候補としては、PS2、Xbox360、PS3、Wii(当時はコードネーム「Revolution」)の四機種だったはず。コンシューマ版に求められるスペックに「オンラインでユーザ同士で対戦が可能である事」が必須だったのも想像に難くない。提示してもらったURLには興味深い記述もあったね。
かーず「Xbox 360版の開発はいつ頃から始まっていたのでしょうか?」
坂上「2005年の5月からで、ちょっとアーケード版の稼動時期(2005年7月)と被ってるんですよ。その頃からコンシューマー発売の話はありましたが、アーケード版の反応をうかがってからの方が良いこともあるんで、アーケードの稼動開始から一ヶ月くらいはコンシューマーはどういう風にしていきましょうか?みたいな感じでしたね」
ちなみに、Wiiの開発環境は2006年2月末時点で配布開始されているけれども、バージョンアップによる最終版が6月予定という情報がある。
レボリューション開発キットは2,000ドル、すでに1000個配布
http://n-wii.net/news/eid39.html
レボリューション開発キットは約2,000ドルになる見込みで、それはすでに1000個配布されているようです。
最終版は、6月までに配布される予定です。
PS3と「Revolution」のいずれも、ナムコが開発開始したかった時期(2005年5月)にはまともな開発環境は存在していなかったと考えていいだろう。つまり、ナムコ側が求める仕様を満たすことが出来るかどうかすら不透明な時期だった、と。当然、オンライン環境を検証する事も難しかったはず。
開発の敷居としては最も低いであろうPS2(アケマスはPS2互換の基盤が採用されていた)が見送られた理由については、インフラであるPlaystationBBの導入の敷居が高い点(別売りのユニット必須)や、事業そのものが既に終息傾向だったのが難点だったと考えるのが妥当だと思われる。さらに決定的なのが、2004年11月から発売されているSCPH7000番台の本体から、BBユニットのハードディスクが搭載不可能になったというのも要因として大きかったんじゃないだろうか。HDDが使えないとなれば、残るストレージはたった8MBのメモリーカードしか無いわけで、コスチュームやアイテムの配信が絶望的だったろうしね。
以上の事を考えれば、当時としてはXbox360は最適な選択だったと結論づけられると思う。ただ、国内でのXbox360の不振が長期化している現在「ドル箱商品/商法をXbox360だけにこだわり続けるべきか」という点では、PSP版の発表からも分かるように既に何らかの結論を下しているんだろう。
そういえば最近ナムコはアイマスを開発したCRIWAREで、PS3向けタイトルをいくつか(SOC4とDBZ)開発、発売しているよね。仮にPS3版が出るのであれば、先行しているPSP版との連携が可能だったりすると、アイマスはさらにもう一段階化ける可能性も出てくると思う。
あれはいつごろのことだったかな。たしか、大学二年の……夏、そう、ちょうどこんな季節じゃなかったか。
あのころ。
僕は純正の非モテで、学校も苦労して入ったけどすごく面白くなくて、サークルもなんかうすっぺらいやつらだな、ぐらいしか感じなくて、ひどくやさぐれていた。
丁度、ゼミ選択が来年にあったから、いろいろ調べてみたりとかしてるうちに、文系ポスドクの現実なんかもちょっとずつ理解して、研究の夢が凄まじい音を立てながら雪崩落ちたのもひとつの原因だったのかもしれない。
とにかく、僕はそんな状態で、ひとり部屋にひきこもって、ずっと安売りのアクエリアスなんかを飲んでた。
カーテンはずっと閉じたまま。部屋にともる明かりはPCのディスプレイだけ。そんな生活だった。
そんな僕が、あのときはてブのホッテントリに上がっていたこのエントリを見たのは単なる偶然だったのかもしれない。
いつものようにOperaでスピードダイアルに登録してあったニコニコ動画を見る前に、ちょっとチェックして、僕は、衝撃を受けたんだ。
そこにはまさに僕がいた。
このリスト;
- 「だって俺だけベリーハード設定なんだもん。残機も回復アイテムもないし敵は鬼のように強いし、やってられないよ」
- 「女と付き合う(結婚する)ことでかかるコストはこんだけ、対して見返りはこんだけ。割に合わなすぎる!」
- 「恋愛至上主義社会に組み込まれたが最後、俺たちは搾取され捨てられるだけなんだ。そんな社会に参加したくない」
- 「でもイケメンじゃないし」「でも結局イケメンじゃないから相手にされないし」
- 「俺のことなんかほっといてくれ」
- 「結局○○ですね、わかります」
- 「○○や△△の良さが判らないような人種なんて・・・」
- 「女は信用できねえ!」
- 「女は怖い生き物だ、嘘つきだし○○だし△△だし□□だし・・・」
- 「スイーツ(笑)」
は、完全に僕の口癖だった。
ひとつ付け加えるとするならば(このために僕は特定されてしまうかもしれないけれど)僕は「恋愛は性欲と友情の合力で、馬鹿どもはそれを勝手に勘違いして、崇拝しているにすぎない」って思ってたところだろう。
それにしても、これは、ひどく衝撃だった。
自分の気持ちが暴かれた気がしたんだ。そして、僕は、この試験期間と残りの夏休みを有意義に使う算段を建て始めた。
僕がとった戦略を、ちょっと説明してみたいと思う。
基本は単純だった。
これだけ。
ああ、あと、適当に服には気をつかった。
成人式のために買っていたスーツを着て、僕は適当に買った雑誌を参考に、高い服を買いまくった。
ポロシャツで\15,000ぐらいしたのはほんとうに辛かった。
それで、Built to spillやSpoonのCDが何枚買えるんだ。
そして、具体的な戦略に話を進めていこうと思う。
基本の戦略を守ったところで、コミュニケーションを行う相手が見つからなければ話にならないから、僕は、当時の環境を悪用する手段をとった。
試験期間は、基本的にひとりぼっちである非モテにとって苦痛の期間だった。
エレベータで一緒になったときに(僕の大学は山の中腹にあって、エレベータなどの移動手段なしには移動が辛い)、リア充とおぼしき男たちが、「試験期間なんて友人の量の差だよなー」なんてことを言ってたけれど、実際そうだと思う。
なぜひとりぼっちだと辛いのか、というと、ノートのコピーがもらえないからだ。
きちんと出席なんてしてない上友人もいない非モテには、そういう意味で辛いのだ。
だけど、僕はこれを悪用しようと思った。
ようは、試験前に、30分ぐらい早く行ってすわり、ぼくは勉強ができそうな人(できれば女子)におもむろに話しかけるんだ。
そして、基本の戦略を守りながら、「前回のノートないんだ」「貸してくれない?」って依頼する。
ノートも借りれて、女子とのコネクションも作れる。割と良い案だったと思う。
何回かは失敗したけれど、六割以上では快く貸してくれることが判明した。
僕はそんなにかっこいい外見をしていたわけじゃなかったからこのぐらいだったのかもしれない。
が、何人かの女子も「試験情報共有しない?」みたいな提案にも乗ってくれて、そのあと友人として連絡をとってる人も少なからずいる。
あと、けっこう男のほうが拒否る。
とりあえず。
ここで、コミュニケーションというものは、そんなに難しいものではなかったことが判明した。
というのも、僕はもともと関西人で、無理やりハイテンション状態を維持すれば、土曜の昼に小学校から直帰して毎日食い入るように見つめていた吉本新喜劇のリズムでコミュニケーションをとることができたから。
女の子を笑わせることすら、修練を積んだら出来るようになったし、自分がこの娘の笑顔を作ったんだ、と考えて、少し誇らしい気分にもなったりした。
ほんとうに楽しかった。今でもそう思う。
これは結構重要なことだった。
初めの試験の話で、何人か連絡を取る友人ができた。
何人かの女子は、これを自分が怠ったために連絡が遠くなった。後悔した。
作業に熱中している際に邪魔されるのは非常にうっとおしいことだ。だが、それで、相手が「つながっている感」を感じてくれるなら、そんなに悪いものではないかな、と思った。
当時は女子にだけ、この戦略を僕は適応した。だが、あとで気づいたが、男子にもこの考えは蔓延していたのだった。
「メールは十分以内」どこかでそんなものを読んだように思うが、一度男の先輩に普通はそうだろ、なんでお前は・・・なんて、切れられたことがあった。
これも、後々考えればわりと重要なことだったように思う。
二回生、ということもあったので、サークルによく出席しているのは、三回や四回の先輩が多かった。
そこで、僕はできるかぎりコミュニケーションをとることを意識した。
そうすると、もともと捨てるものも無かった僕は、何かに愛着を抱き、それを守るためにキモチワルい行動をすることもなかったので(たとえば、特定の女子にたいする愛着とか)、わりと気に入られることができるようになった。
二ヶ月程度はかかったように思うが、それだけの見入りはあった。
合コンとか飲み会とかにも呼ばれるようになり、先輩の顔を立てて適当にちょこちょこ動いていると、また声がかかるようになった。
また、その合コンから、初めての彼女が僕にも出来ることとなる。
当時考えた戦略というのは、こんなところだったと思う。
今羅列してみれば、まったく練られていない、そして何がしたいのかも見当たらない、と、ダメな点は多々出てくるが、それは当時の若さに罪をかぶせ、不問に付そう。それに、それでも十分に効果はあったから。
友人、というコネクションが出来れば、非コミュの鎧はすぐに剥ぐことができた――そんなことすら、考えないでよくなるんだから。
そして、人生初の彼女というものも、それを起点にできることになる。
それからは早かった。
大学在学中に、いくつもの女性と閨を共にした。そのうちの何割かには振られたが、そのうちの何割かは振った。
就活は穴場だった。可愛い子がいっぱいいて、内定が決まっても受け続け、友人みんなで可愛い子がいるところの情報を回しあった。
こいつだけは大事にしたい、俺が幸せにしてやりたい、と思った女性に振られたときは悲しかったし、
逆に自分がそう思われていてうっとおしくなって振ったこともあった。
だけれども。
今、自分に何が残ったのか、と考えると、どうにも胸が痛い。
僕は何も残してはこなかった。彼女達にも、何も残してはやれなかった。
また、彼女達が、僕に作ってくれたものも無かった。
マフラーは6本。指輪は無数。ジッポーは3つ。セーターを編んでくれた裁縫が大好きな子もいた(そしてマフラーの半分は彼女の手によるものだ)。
だけど、僕の心の奥底に何かを作ってくれた娘は、結局誰もいなかった。
その理由は、彼女たちとのコミュニケーションが、とても上辺だけに終始したためだ。
僕は、やはり愛というものが、性欲と友情の合力であり、その生物学的に正当な劣情を、美化するために名付けられたものだという直感を拭い去ることはできなかった。
ポップ・ソングは今でも恋愛を歌っている。
それを僕達が聞く時、僕達はいったい何を思い浮かべる?
私は、自分自身の思い出じゃないかと思う。そして、その思い出は、否応なく美辞麗句でデコレーションされている。
その時感じた感情は「レンアイ」に昇華され、まるで崇高だったもののように扱われる。
僕が出会った女の子達は、皆心のどこかでそういう慰めを得ていた。
だからこそ、終ぞ彼女達の中では、僕という像は、僕ではなかったように思う。
彼女達は、僕というレンズを通して、違う像を心の中に結んでいたのだ。
レミオメロンの劣化コピーであり、くるりのボーカルの劣化コピーであり、ジャニーズの劣化コピーであり、TMレボリューションの劣化コピーであり、そういう僕を通して、彼女達の理想像である幻想を。
非モテを語るあなたたちは気づくべきだ。
自分自身が作り出した、その鎧があなたの動きを緩慢たらしめていることの無意味さに。
非モテを批判するあなたたちは気づくべきだ。
自分自身の、その見えない鎧――レンアイという言葉で、または、空気を(読む|読まない)という言葉で、あいまいさを作り出し、そのあいまいさの中で自分自身を安住させていることの空虚さに。
そろそろ夜明けが近づいてきた。
願わくば、あの、昔のホッテントリのエントリから長々とはてな匿名ダイアリーで続き、otsuneとid:fromdusktildawnによってかき回され、ダンコーガイとココロンの参入を許し、はしごたんやハーブマイスター(2008年に増田論客としてデビュー)の人生をひっかきまわし、id:jkondoとid:naoyaの不和までを生み出し決別させ、2012年の現在に至るまで終りなく争われたあの……不利益な議論が終りを告げ、