はてなキーワード: ディアとは
番組内容
原子力か太陽エネルギーか~ハバート米21世紀エネルギー委員長に聞く
番組内容第1部「スウェーデンが地下岩礁に核廃棄物貯蔵所」・第2部「アメリカは太陽熱発電」・第3部「ドイツ人はいまだに核嫌い」・第4部「原子力発電政策がないアメリカ」・第5部「原油高をもたらすオバマエネルギー政策」
出演者【司会者】日高義樹【ゲスト】米21世紀エネルギー委員会委員長カレン・ハバート、米太陽発電協議会会長ジュリア・ハム、EU委員長エネルギー政策顧問クローディア・ケムフェルト
番組概要原油の値段が上がりつづけ、1バレル200ドルを超すという予測まで現れるなかで、世界的に原子力発電所の建設ラッシュが始まろうとしている。地球温暖化の原因になる物質を放出せずに大容量の電気を得ようとすれば、いまや原子力しかないという考え方が強くなり、急進的な環境保護勢力のグリーンピースまでが賛成に回っている。
番組概要つづきいっぽうアメリカのオバマ政権は、長期的なエネルギー源として太陽熱発電を、全力をあげて推進している。将来のエネルギーについて世界の指導的な国々がどう考えているか伝える。
●日刊
[文]日高義樹のワシントンリポート「次世代エネルギーの主役は太陽?原子力?」
●角川
02/14(日) 後04:00 >> 後05:15 テレビ東京
出演者/日高義樹
そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供に砂嵐を見せるか民放の馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿なテレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。
だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。
ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家の人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。
で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京の都心のカフェで小一時間耳をすませていると、その地元のクリスチャンのコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶の言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。
それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分のモチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。
書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実の歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎてよく分からん。
福音派はアメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義は悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派が政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教(福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分にボーン・アゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。
最近のアメリカの福音派の政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党のオバマが政権取ったし、アフガンもベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイの結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教的荒しが日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語版ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディアの編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタクが絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディアは悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。
http://anond.hatelabo.jp/20091117080828
埃がつもる(ほこりがつもる)とは、今の多くの天理教信者、天理教組織の状態。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%9F%83%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8B
756 神も仏も名無しさん[sage] 2008/10/23(木) 17:48:33 ID:Y/nDKKn6
天理教でよく使われる概念として、「因縁」というものがある。意味は言葉どおりである。悪い「因縁」を良い「因縁」に変えることが、信者の目標である。
2ch 真如苑63 701-800 - 真如苑 被害状況 まとめページ - livedoor Wiki(ウィキ)
http://wiki.livedoor.jp/semicircle/d/2ch%a1%a1%bf%bf%c7%a1%b1%f163%20701%2d800
悪い「いんねん」を良い「いんねん」に変えることが、信者の目標である。「いんねん」は生きている間にも増える。これを「埃がつもる」という。
http://atpedia.jp/matome/%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%93
まず第一点は、人間というものは生きている限り埃と無縁ではありえないということです。「新建ちの家」とはまだ人の住んでいない家で、このような家にも埃がつもるということは、人間が何もせず、じっとしていても心に雑念が去来してくる、人の住んでいる古い家ともなると、つまり人間が一日中忙しく行動していると、どれだけ多くの埃をつむかわからないということ、また「新建ちの家」は埃のない家ですから、それを聖人君子、悟りを開いた人、解脱した人と考えますと、そういう人でも埃とは無縁ではないことを教えられているように思われます。また「目張り」は外から埃が入らないようにするためのものですから、「目張り」をするということは、人間の心を誘惑する物、財産、名誉、地位等から離れること、つまり出家して俗世間との接触を一切たつことが意味されていると考えますと、「目張り」なしで生活をする、社会において人、物にとりかこまれて生活すると、どれほど多くの埃をつむかわからないということを教えられているのではないでしょうか。
これは正しい説明だとして、
この説明が誰の発言なのかが不明。
何となく書いた。
書くには都合が良いのだろうけど、何百万年前とか何億年前とかいう言い方だとタイムスケールがある意味分かり難い気がした。
ってかくと、わかり……やすくないな。
新規IC買う→厨デッキ使う→品orlv10に上がったらIC捨てて最初に戻る
かれこれ半年くらい同じサイクルを繰り返している。何も残らないと分かりつつも。
何よりストレス発散に最適。
同じ狩り同士で負けることもある。負けたときは無茶苦茶悔しいけど
軽く酒飲みながらやっているので(ミネラルウォーターのPETに焼酎入り)、
次の日には忘れる。
三国志大戦では忠義全盛期で丞相。
一時期真面目にやりすぎて(誰もが経験すると思うが)、まさにATCG廃人になりかけてたが
位やRPの自己ベスト突き詰めるより、勝ったほうが楽しいしね。
対戦相手に罪悪感はあまりない。
こういう人間が多からずいると分かってコイン入れてるんだろうし。
パチンコは未経験だけど、勝ったときには同じような快感を味わうんだろう。
一流(といわれる)大学を出て、一流(といわれる)企業に努めている。
ワークライフバランスは極度にワークに傾いて、仕事のストレスも少なくない。
ここまで相手を考えない一方的な快楽はそうないと思う。
なんでみんなやらないんだろう。
つい昨年までビジネス情報界で流行した新造語は「CHAINDIA、チャインディア」だった。
印度と中国の興隆が世界経済をダイナミックに変えるという楽観的見通しから来ていて、実際に同題名の本がベストセラー入りしていた。
CHAIWANも、チャイナと台湾を足して二で割って造語。しかし、台湾では誰も国にしないので、これはひょっとして日本のジャーナリズムだけに通用する造語かも。
さて不況入りした台湾経済は未曾有の失業者をだして、日々、馬英九政権を困惑させているが、打開を図る一環として大陸からの観光客歓迎、人民元通用という画期的政策に加え、大陸からの資本投資を許可する方向にある。
てんで話は逆さまである。台湾企業が六万社、大陸に投資した金額は公式統計でも2000億ドルを突破している。現実には5000億ドルとも言われる。
今度は中国大陸からも、台湾へ投資して貰いましょう、と路線変更。馬政権は『大陸地区人民来台湾投資許可辨法』をすでに制定している。
最大野党の民進党は、このなかにある第六条『防衛条項』を問題化し、「もし中国の軍系列企業138社が、国策を秘めて台湾へ投資した場合、どういう対応がとれるのか」として、下記の軍企業の投資は完全に禁止せよと要求している(自由時報、6月12日号)。
中国兵器装備集団公司
水資源の森林地域が中国資本の買い占めの対象となっている。不動産のまとめ買い、とくにベイエリアではマンションの五十、六十戸を中国系資本が「まとめ買い」している。現実に池袋北口など、全国各地にはニュー・チャイナタウンの出現。
日本のなかで、とくに先端技術をもっている中小零細企業がつぎつぎと狙われるわけだが、スパイ防止法もない日本に抜本的対策はあるのか?
なにが「娘(ニャン)type」だ!!ふざけんな!!
はっきり言って危機感がねぇんだよ角川に。
最低だな。そもそもNewtypeって言ったら、「ディア」や「ジュ」よりも硬派なのが売りだろ?
高いレベルの雑誌を今までみたいに造ってれば、読者はちゃんとついてくるんだよ!!
だいたい、表紙が「なのは」ってなんなんだよ!!エロゲオタに媚売ってんじゃねえよ。
よくもまぁあんなの表紙に持ってくるよな。
なのはって「天地無用!」における「プリティサミー」みたいなもんだろ?
かってにやってろって感じだな。Webで表紙見たけど「誰?」って感じだし。
わけわからん萌えアニメの記事ばっかり掲載されてるんだろうな、資源の無駄遣いじゃね?
いまさら感が拭えない感じはするけど、これだけは言わせてくれ、
しいたけ。
思うところあってここ一ヶ月くらいまたidで日記を書いてみた。
で、はてなは以前とは全然違うんだなぁと実感してしみじみした。
基本的に自分が「はてなっていいな」って思っていたところが失われていた。
以前はどんな内容の日記でも、更新してなくても毎日十数ヒットはキーワードリンクから人が来た。
どんなに弱小な無名なブログでも読まれている、繋がっているという実感が得やすいのがはてなだと思っていた。
けれど、一ヶ月くらいやってみたところ、キーワードリンクから人が訪れることはほとんどない。
ウィキぺディアが有名になったからとか、グーグルでの検索結果にスパムみたいにたくさん出てくるからとか、
そもそも気になる話題のキーワードでも単語一つだけ入った日記読んだって欲しい情報は手に入らないからとか、
いろいろ理由はあるんだろうけど、とにかくもうみんなはキーワードで他の日記を見に行くというようなことはしないようだ。
気になる話題に意見を言いたい時はトラックバックしたら誰かが意見を読んでくれた。
それは話題を集めている記事であればあるほど人が見てくれて反応してくれた。
そうやって多数の意見を精査して判断を下すのがはてなーだと思っていた。
しかし、今はトラックバックしてもほとんど読まれない。
みんな話題を集めているその記事だけ読んで、反対意見や他の意見には興味ないようだ。
正直、ここが一番驚いたかもしれない。はてなってところは必ずと言っていいほど
トラックバックをしたらブログ主が反論なり何なり反応してきて、そこからさらに活発になった。
でも、今はトラックバックしても当然のように無視されて、淡々と次の日記を書いていた。
どうやらトラックバックを議論やコミュニケーションだとは思っていないらしく
たぶん「なんかリンクされてるよ」くらいにしか思っていないんだろう。
一ヶ月やっていて運良く何個かはてブされて注目エントリーに上がったことがあった。
以前は注目エントリーに上がったら本当に注目されてアクセス数も目に見えて上がったけれど、
今回上がってみた時はほとんど変わらず微増しかしなかった。
はてブを使っている人が多くなってちょっと上がったくらいじゃすぐ流れるというのもあるし、
おそらくみんなはてブ経由で見る時は何十、何百と注目が集まってるのだけ見て、
十いくつや一桁だけのはてブは見てないんだと思った。
結論として、もうはてなをこだわって使う理由はないんだなと思った。
自分は何年もはてなを使っていて、たまにはてなの内輪性や閉鎖性が嫌になったりもしていたんだけど
結局、はてなに戻ってきていた。それははてなは他に比べて読まれやすく、意見や反応が得やすく
キーワードリンクやはてブから人が多く来て、良い記事さえ書ければ注目されたからだ。
しかし、今は上に書いたようにキーワードリンクをたどって見るような人は全くいないし、
トラックバックしてコミュニケーションを活発にする雰囲気も失われた。
どこにでもあるランキング上位だけが見られて他は全く見られないという状態になっている。
自分は以前にアンテナやRSSに入れてくれている人がいたからまだ良かったけど、
今からやろうという人にはてなでブログを開く特別のメリットというのはないだろう。
以前はあった。無名でも反応が得られ、コミュニケーションができた。今はできない。
http://anond.hatelabo.jp/20090307004125
音楽だけに限った話じゃなくて、なんでも無料で享受できるという発想は、
単純に「労働に対しての対価」という価値観がないんじゃないか?
「購入厨」とか言い出す頭にウジのわいた小学生じゃないんだから、
無料でDLできるからとか、払う価値がないから払わないとかじゃなくて、
こちらが「モノ」を入手する対価を支払うのは、当然のことだろう。
その提供する「モノ」を作るのに、時間や金がかかってるわけだ。
ニュースだって、記者があちこち取材して記事を書いてるわけで、
音楽なら楽器から始まってレコーディングの機材、スタジオの代金、
CDならプレスする代金。流通コスト、ジャケットのデザイン料がかかってる。
そして何よりミュージシャンへの利益が確保されなければいけない。
だから、無料で手に入れられるべきではない。
無料の場合は、あくまで「広告」としてそれを配布しているのだと気がつくべきだ。
と、ここまで書いてフリーソフトのことを思い出した。
今これを書いてるのはsakuraエディタだし、ブラウザはfirefox、メーラーはThunderbird、
画像の閲覧はIrfanView、たしかに「無料でDLできるもの」ばかりだ。
そうなると無料のモノが有料のものを駆逐する、というのはあながち間違いではない気もしてくる
(とはいえPhotoshopやFLASHは買い続けることになるだろう)。
ただ、いくら無料だとはいえ、最低限感謝の気持ちは忘れたくないし、
Wikiペディアのように寄付を募っていれば、寄付することは、忘れてはいけないことだと思う。
「金」っていうのは、誰でも使える、何にでも使える、便利な感謝の気持ちを表す道具なんだ。
普段だったらスター付けてお礼代わりにしてたのですが、増田だとそれが出来ないので、かなり蛇足になりますがちょっと書きます。
批判的な意見ばかりとりあげますが、別に反論したいわけじゃないので、そこんとこよろしく。
まず、id:next49さん。
http://d.hatena.ne.jp/next49/20090223/p2
と、そのリンク先も拝見いたしました。特に、
http://d.hatena.ne.jp/next49/20081019/p2
は、もう自分のこととしか思えませんでした。つか、別に私が言及することもなかったみたいですね。
b:id:he-na-he-na この人は何のために院までいったんだろうか?
b:id:chnpk なんか全然知らない世界なので余計なことはいいたくないが、なにしに大学院なんて行ったんだろうというのが気になった。
はてブを見た後で自分の文章を読み直して、あ、これじゃ確かになんで博士課程に進んだのかさっぱり分からんと思いました。本題とは関係ないと思って書きませんでしたが、博士過程に進んだときのことも書いておいたほうがよかったですね。いろいろと複雑な事情もありますが、端的に言うと博士課程進学時に研究室を変更したからです。やっぱり変なプライドもあって研究から逃げたと思われるのもいやだったし、研究に対する興味自体がなくなったわけではありませんでした。単に教授とうまくいかなかっただけです。
研究室を変更したときは、
「やっぱり前のボスは、今のボスに比べるとやっぱ嫌なやつだったなぁ。」
とか、
「まぁでも人間関係なんだから人と合う合わないもあるよな。たまたまボスと私の相性が悪かったんだ。」
とか思ってましたが、今考えると単に私が未熟だっただけですね。たぶんどこの研究室でも同じことになってたような気がします。ただ、悪循環の中でうまくいかなったボスとちょっと距離を置いて、研究環境を変えてみたというのは結果的にはよかったと思っています。
たぶんどこでも、卒業研究は1年、修士が2年、博士が3年なので、それぞれの過程の途中で研究室を変わるのはなかなか難しいのは分かります。でも、それぞれの過程が終わった段階で研究室を変わることは、もう少し積極的な理由として、研究に対する視野を広めるという観点からも、もっと推奨されてもいいと感じています。私の場合、大学院進学時も所謂「学歴ロンダリング」をしているし、博士号取得後も同じ研究室に留まらず居場所をコロコロ変えてます。ちょっと乱暴な議論だけど、学振PDなんかは明示的に研究室を変更することを推奨しているし、最近転職が流行ってるのも同じような理由だと思っています。
b:id:puchiban なぜやる意味のわからないことをずっとやり続けられるのかが不思議。なんのためにお金と時間を使って大学院にいるのだろう?意味なんて見けるか、教授に聞けばいいんじゃないの?と思ってしまう。
b:id:haru666 研究の目的が理解できてないって、空気嫁よ…。それが出来ないと何も物にならないんじゃないかね。僕の周りにもいるが、居ても邪魔になる。判断基準が育たない奴っている、でもそれを伝える事もまたアレだしな。
b:id:kkobayashi 研究が面白いかどうか、少なくとも面白そうかどうかも分からずに研究室に入る理由が理解できない。「単位取りやすいから」的な理由で入ったのだとしたら、いくら説明しても時間の無駄な気がする
b:id:y-kawaz そんなもん大学で教わるものじゃないだろう?それが分からないような人は院なんていかずにとっとと就職でもしてればよいと思うよ、自分の為にも周りの為にも。
b:id:minoru-n ”間違ってることが分かっている”ならその部分を直して再度教授に問いかければいい/自分で勉強するってそういうことでしょ?やることやってないで何を言っているの?
b:id:lestrrat 言われたからやってるんだ、って人はなんで大学院言ってるんだろう。大学院って義務教育だっけ。見切りをつけるのも自分の責任なんじゃないかなー。
もうほんとその通りだと思います。でも、ちょっと言い訳を。
分野によると思うのですが、私の分野だと、科学が発展しすぎちゃって最先端にたどり着くまでに大学教育だけでは間に合わない、ということがあります。修士課程入ったばかりだと研究会出ても宇宙語にしか聞こえない人がほとんどだったりします。ぶっちゃけると、大学卒業時で分野の研究の意義が本来の意味で理解できる人は皆無です。たまに超優秀な東大生にそうゆう人がいますが、数年に1人のレベル。それじゃ人が足りなくて、私みたいに無自覚でよくわからんけどなんか面白そうって理由で研究始めた人、もうちょっとモラトリアムでいたい、という人がある程度人数いるから日本の最先端の科学は保たれてるという側面があります。
「研究の意義の理解」も先の「背骨」の話もいろいろ段階があって、単純に分かってる・分かってないの○×問題じゃないので、ちゃんと議論すると長くなりそうだし言い訳はこれくらいにしておきます。
b:id:lisagasu 自分でものを考えることを教えるって、大学の先生の仕事じゃないよ。
b:id:rajendra 大学院の先生ならボクに自立心をインストールして下さい的な話。
b:id:takeshiketa 「背骨を与えきれない貴方は教職として能力不足」ってこと?なんかおかしい気がするなぁ。商品を買うんじゃないんだからお金出して通ってるだけじゃ駄目だろうし、在学中に完璧になる必要もない。ていうか大学だぜ?
b:id:RM233 背骨を形成するパーツを与える、くらいじゃないかな大学の先生に要求されるのは。それができてない先生もたくさんいるのは事実。でも背骨を丸ごとくれっていうのは酷だよ。
すみません。書き方が悪かった。あれじゃ誤解されても仕方ない。
ブコメで補足してくださった方もいるけど、大学の教育ってのは「背骨」を与えることなんだから、教育者としてはそれが達成されなかった理由を学生の責任に転化しないで欲しい、というのが私が言いたかったことです。たくさんの学生を教えれば中には理解できない子がいる。それは仕方ない。でも、そこで先生が「わからないのは本人のせい」、とは表立って言わないで欲しかっただけです。だから、辛抱強く、と書きました。
b:id:metamix お金払えばなんでも身に付くというわけでもあるまい/教授なんて元記事の人くらいのドSでちょうどいいと思う、個人的には。人が育つには適度なプレッシャーは必要。
プレッシャーはあってもいいけど、フォローは大切だよね。筋トレと同じ。
b:id:yoshiyoc 教授が学生・弟子を取るのは、新しいアディアを「盗む」ため。一方、学生・弟子も教授の権威などの恩恵にあずかっている。ただし、教授は寝首をかかれないように、弟子に自分の研究能力を見せつけないといけない。
これは明確に反対しておきます。学生にとって教授は、いつかこえなきゃならない壁です。幸いにも私の周りには弟子のアイディアを盗もうとしている教授はいません。そもそも教授なんてほとんどが終身雇用が保証されてるんだから、本人が成果なんて出す必要ないと思うんです。すくなくとも私がいる分野では、教授は学生が出した論文数を含めて自分の教育成果として評価されます。だから、教授は、人の成果盗んで自分で論文書くくらいなら、アイディアをどんどん提供して学生にどんどん論文書かせた方がみんな幸せになるようになってます。そうでない分野もあるらしいと聞きますが、それがよいとは思えません。
すまんね。自分のブログで書くと全然アクセスないのでスルーされるから。あと、こうゆう発言するとそれが付いて回るのがいやです。だって博士号持った人だと分かると、おっぱいおっぱい(AA略)、とか書けなくなるじゃん。書いてるわけじゃないけど。
b:id:carrion-crow 自分には教授が皆その研究を重要で素晴らしいと思っているかどうかについて、増田氏ほど確信は持てないけど
自分の研究がいかに素晴らしいかを説明できない人は、教授としても研究者としても失格だと思う。本当に素晴らしいと思ってるかどうかは知らんけど、少なくともそれを人に伝えられないようだと、現実的に研究費や研究室のポストを取って来れなくなるから困るんじゃないかな。
あと最後に、
http://anond.hatelabo.jp/20090223115758
ありがとうございます。
編集ページに「はてな記法が一部使えます」って書いてあったのですが、[URL:title]記法だとリンクにならないし、そもそも「一部」ってどれのことなんだよ、と思ってました。ちゃんと伝わったようで安心しました。
http://anond.hatelabo.jp/20090211164906
とりあえず、元増田はメディアリテラシーって言葉を覚えた方がいいね。マスコミに依存するのとマスコミを利用するのでは全然意味合いが違う。
元増田の指す「マスコミ」がどこからどこまでを指しているのかイマイチ分からんけど、興味あることだったらニュースを聞く以外でも、ネットや本で調べるなり人の話を聞くなりメディア同士の反応を比較したりなどより自分なりに情報を咀嚼して活用する事ができる。マスコミと個人、どっちが情報をたくさん持っているかとかそういう話ではない。その情報を如何に解釈し活用するかという利用する側の問題だ。
それに今は掲示板とかブログとかでネットがなかった時代より大分気軽に情報交換ができるようになっている。だからこそ「マスゴミ」という用語も頻繁に見かけるようになったわけだ。もし、今の環境で何も情報を得られないというのなら、それは元増田の努力不足以外の何物でもないな。
いわずと知れたネットスラングである。
女性誌、特に女性向けファッション雑誌に多く見受けられるバズワード的なキャッチコピーを用いたマーケティング戦略にマインドコントロールされているかのような一部の人たち(主に女性)を揶揄するインターネットスラングである。
(略)
転じて、女性誌に限らずマスコミの恣意的な報道を鵜呑みに信じる者、メディア・リテラシーのない者、ひいては流行・快楽ばかりを追従し、一般常識や知識やモラルが欠如した若年女性を総称して指す風潮にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%84%EF%BC%88%E7%AC%91%EF%BC%89
噛み砕いて言うと、「おいおい。マスメディアの戦略がつくった流行にのせられて菓子をスイーツとかいってんじゃねえよ(笑)」
という揶揄から始まり、
「こういうマスメディアが作った流行にほいほい乗っちゃう女って言うのはやっぱ頭ゆるいな(笑)」という種類の揶揄に繋がるのである。
女性誌が考えそうなキャッチコピーを利用して「マスコミに踊らされる女性を馬鹿にする」ことなんですね。
これを初めて知ったとき、私は「言いえて妙だなw」「なるほどねw」とかなり感心したものです。
というのも、確かに日本の女性ファッション雑誌の競争は激化しており、
より訴求力を高めるために情報の新鮮さや、感性に訴えるようなキャッチコピーが必要とされているのでしょう。
でもそれは単に女性が情報リテラシーが低いということを指すものなのでしょうか?
逆に言えば、ターゲット層の女性が感性の鋭さをもっており、情報を感性で取捨選択できるという言うことを指すのではと思いました。
(もちろん、スイーツ(笑)に代表されるような、“踊らされている”女性も確かにいることは私も否定できません)
時に「論理的でない」ことを男性は嫌がりますが、女性同士は感性・ニュアンスで事足りる場合があります。
どちらが高度なコミュニケーションだとは、一概には言えないとおもいます。
というより、ジェンダーが絡むと問題がややこしくなるので、「男は」「女は」という不毛な議論はやめておきましょう。
「スイーツ」
私は個人的にこう思います。
「スイーツは単なる西洋菓子でもデザートでもない、スイーツなんだ!」
つまりですね、「なんだよ、スイーツって。別にお菓子とかデザートとかで良いじゃんか。なんでわざわざスイーツとか言うの?」
という方に異論を唱えたいというわけです。
女性風に言うと、
「じゃぁ、なんでスイーツって言っちゃいけないの? “お菓子”とスイーツって、違うじゃない?」 ってね。
メディアを読み解くことからはじめてみましょう。
朝日新聞社「AERA」で1990年代には初出している。しかし女性向けに書かれたものではなかった。
現在の「スイーツ」と同じような意味で全年齢層に向けて書かれたのが、
2002年6月23日 朝日新聞朝刊 『アジアンスイーツ(ランランランキング)』
このころ(2002??2003)を境に、スイーツを関する記事が増えてきた。
また、自由が丘にあるスイーツテーマパーク「スイートフォレスト」ができたのもこのころ。
そしてスイーツ(笑)論争のターゲットにされる、『CanCam』(小学館)
こちらが残念なことにデータベースの範囲外で調べることはできなかったのです・・・。
(初出情報をお待ちしております。)
甘いもの。菓子、特に洋菓子をいう。【1990年代後半から】一般に使われるようになった。
[補説] sweetの複数形。
とある。
な、なに!1990年代?!
筆者は87年生まれなので、小学生のころには既にスイーツは一般的だったようだ。
(本当に?)
では、ネットスラングとして使われたのはいつごろなのだろうか?
筆者は2ちゃんねるを利用しないので、過去ログを検証することはできないので、聡明なネットユーザーの方にお任せしたい。
(まとめサイトなど初出と思われるものは存在しているのでしょうか?)
一応「バカ女語のガイドライン」というスレ?が初出なんでしょうか。(そうすると2007年?!意外と新しい)
しかし、少なくとも5年前まではスイーツ論争などは起こりえなかったのではないかと考えますね。
10年前に「ちょwwwスイーツwwww」なんて考えられないことです。
(そもそもインターネットはそこまで普及していないでしょうね)
しかし、90年代から使われてきたはずの「スイーツ」が、なぜ「バカ女の代名詞」として使われてきたのでしょうか?
90年代以降といえば、
・インターネットの普及
が相まって、それまで問題にされてこなかったような女性の特質が揶揄されるようになったのでしょうか?
この辺はよくわかりません。
で、本題に入りましょう。
女性が「スイーツ」というとき、それは大まかに言うと「西洋菓子」の事を指す。しかし、厳密に言うと西洋菓子でもないんですね。
感覚が鋭いかれらは、属するコミュニティの間でより微妙なニュアンスで物事を伝えたがるのです。
既存の形容詞だけでは言い表せない、微妙なニュアンスを伝えたい欲求があるのです。
同性同士結束したコミュニティを作る傾向にある女性は、(私の周りでは派閥抗争とかしていました。)
こうした「微妙なニュアンス」を感じ取る能力に長けています。 浮気などに勘が鋭い女性もいますね。(これは関係ありませんが。)
つまり女性が「スイーツ」とあえて言う場合には、マスメディアの戦略をある程度考慮しても、
それを選択した時点でまるで異なったニュアンスを感覚的にかぎ分けて使っている可能性があるのです。
この可能性を鑑みて、知り合いの女性たちにインタビューしてみたら、
スイーツにかんしては、「高級製菓」の事を指す傾向がありました。
“高級”の間は人それぞれですが、
「不二家はスイーツにはいらない」「コンビニ菓子ははいらない」「パティシエが作ったもの」「スフレやマカロンなどフランスの系譜のもの」「和菓子も入る」
など個人の線引きはあるように思います。
つまり、彼女達にとって「スイーツ」≠「菓子」であり、感覚的には別物なんですね。
もっと広い範囲で聞いてみるとおもしろいかもしれませんね。増田のみなさんはどこで線引きしますか?
「そもそもその感覚こそ、マスメディアに作られたものなんだ!」という人もいるかもしれません。、
そのことを全否定するつもりはありません。多かれ少なかれ我々はメディアの影響を受けているものです。そうでしょう?
しかし彼女達にとっては「スイーツ」は「菓子」でも「デザート」でもないようだということを主張して、駄文を終わらせていただきます。
豆知識(蛇足)
お菓子、という言葉は漢字が示すように昔は果物のことでした。実はイギリス英語(w)の「デザート」にも同じような意味があります。
481 カメラマン(神奈川県) 2007/09/16(日) 20:50:44 ID:NjKrPG440
ミリオンダラーベイビー:女版はじめの一歩。ボクシングで成り上がるサクセスストーリー!!
ダンサーインザダーク:弱視の女性と息子との日常を描いたほのぼの感動作!!
ジョニーは戦場へ行った:戦争でのランボーの如きジョニー活躍を描いた痛快アクション!!
レクイエムフォードリーム:夢見がちな4人の若者の生活を描いた笑える能天気コメディ!!
ディアハンター:鹿狩りのオラが戦争に連れて行かれただ、田舎の男たちが巻き起こすはちゃめちゃ大騒動!!
震える舌:娘が風邪をひいた!?お父さんと娘の爆笑闘病記!!
真夜中のカーボーイ:田舎から出てきたカーボーイが都会とのギャップにドジするコメディ!!
ジェイコブズラダー:ジェイコブが梯子に登るただそれだけの作品!!
ファニーゲーム:凸凹コンビが幸せな家族に巻き起こす大騒動コメディ!!
ボーイズ・ドント・クライ:自分を男と偽る女性、そんな彼女を仲間として迎え入れる話。
ドッグヴィル:とある町に迷い込んだ孤独な少女を優しく開放していく心温まる物語。
ライフ・イズ・ビューティフル:家族の絆を描いた愛と笑いのハートフルコメディ。
そもそも積極的に廃止するメリットが無い。せっかく奇跡的にも千年以上続いてる王族なんだもん。どこの国に行ったってそんな家系は滅多にお目にかかれんよ。
一応つっこんでおくが、「家系図が歴史的検証に完全に堪えるか/ずっと直系血族で続いているかどうか」は疑問。
参考:万世一系(wikiペディア)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%B8%96%E4%B8%80%E7%B3%BB
まあ万世一系を宣伝することのメリットやらもあるんだろうから否定はしないけど、万世一系を信じ込むのは信仰の領域の問題で科学ではない。
あと
そういう報道をすると『うるさい人たち』が来て面倒だから。
中学教科書において必修とされていた二次方程式の解の公式を、作家である自分が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」と言った(この後、夫の三浦朱門(後の文化庁長官)が教育課程審議会で削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなった)。
すげえwwwwww
たった一人のキチガイが国力どんだけ低下させたんだwwwwww
…これは「正しい」とか「間違い」とかいうことじゃなくて、「好み」の問題
音楽を聴いていても聞き所は人によって違う。
たとえば自分と周りの人間は
(自分=楽器はかじったくらい。子どもの頃ピアノ、兄弟=ギター超うまい、友人=元吹奏楽。一時自分と一緒にお遊びバンドをやってた。、相方=楽器とか全然。音楽も普段聴かない)
というスペックなんだけど、考えてみるとこんな感じみたい。
自分「リズム>声調>歌詞>メロディ」的。 得意:ポップス、ロック 苦手:クラシック系
兄弟「ギターの技巧>音色>バンドの調和>メロディ」的? 得意:ギター系全般クラシックも 苦手:ヒップホップ
不思議というべきか、当然というべきか。
で、読むものについても似たような意見の相違はあるわけで、有名どころでは芥川龍之介と谷崎潤一郎が真っ向からやりあった「小説の筋論争」(参考:「文芸的なあまりに文芸的な」wikiペディア)なんかがある。簡単に言えば
谷「筋がなくて小説と言えるかぁ!」
という話。下の増田を読んでつらつらとそんなことを思い出したりした夏の朝。
http://www.kotono8.com/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
一連の投稿を読み、しばらく泣いていた。単純に書き込み主に同情して、泣いてる間は被害者の事は頭に思浮かばなくて、書き込み主が可哀相とだけ思っていた。