はてなキーワード: タブーとは
「嫁に浮気がばれて家を追い出された(T_T)今からそっち行く」
って突然メールが来たwww
あーあww私達の関係オワタなwww
とりあえず「こっちくんな」って送っといた
今すごい動揺してる。
彼は奥さんに、「離婚だあああ!!」と泣き叫びながら包丁を突きつけられたそうだ。
そりゃそーだ。3人目の子供が生まれた日に、20の小娘に中田氏しまくってたんだぜ?
最低な男だ。そしてそんな男に本気で惚れきって、若さを武器にたぶらかしてる女はもっと最低だな。
それにしても奥さんが不憫でならない。何も悪いことしてないのに。
私と同じか、それ以上に彼を愛してたのに。亭主関白な彼のために尽くしてたのに。
毎日おいしい料理を用意して、毎日きれいに掃除洗濯して、3人の子供の面倒も見て、彼の身の回りの世話もなにからなにまでしてあげてたのに。
「浮気じゃないだろうか、いや疑うなんて彼に悪い、きっと私達のために一生懸命仕事してくれてるはず」とか思いながら、
そんな疑念を振り払うために家事に没頭したり。全くの想像ですけど。
包丁の向けられた先は彼ではなく、彼の中の私だったんだろう。
今は私を憎んでるというよりは、生理的な気持ちの悪さを感じてるんじゃないだろうか。ゴキブリに対する嫌悪感と同じ種類の。いや別に私が自分をゴキブリ以下の存在だと卑下したい訳じゃないんだけど。いやしたいけど。でもなぁんの意味もないよねぇー。
ひょっとしたら幽霊に近い恐怖かも知れないね。なんでバレたのかは知らんがメールでも見られたんじゃないの。あーだとしたら私の顔も見られてるかも。まあそれはともかく、彼女には限られた情報しか渡ってない訳で、彼女にとって私はすごく得体の知れない存在のはずだよね。うわあ怖い。気持ち悪い。誰だお前は!?ってふつーは思う。
3人のお子さんも、両親のただならぬ雰囲気を察して怯えてるだろう。今日土曜日だしね。包丁見ちゃったら確実にトラウマだよね。大きい子は中学生だから、なにがあったのか感づいてるかも。
4人の家族はなんにも悪いことしてないのに。あまりにも可哀想すぎるよね。
彼も彼で奥さんに小さな不満はあったんだろうが、まーこれはちょっとひどすぎるね。とにかく今の私には、彼が反省して私と別れ、家族を本当に愛してくれるよう祈るしかない。
じゃあ私の話をしよう。お前らこっからが本番だぞぉー。
上の話は罪滅ぼしのつもりかなんかだよね。こんな話をしたところで許される訳でもなんでもないのに、ていうか私は言い訳をしたいだけなんでしょ?
増田で懺悔したらなんかいいことでもあると思ってるの?叩かれるだけですけどwwまあでも私ドMだからねー。叩かれたいのかもしれないね。
私は未成年のうちに飲酒喫煙をしたことがない。信号無視は出来ない。当然万引きやチャリパクったりとか出来る訳もないwww
校則違反も出来ませんでした。とにかく、世間の規則を破ったりタブーを侵したりして、非難されるのがすごく怖い。「悪いこと」が殆ど出来ない。
だからと言ってそれらの「悪いこと」が平気で出来る人を嫌ったりとかはなくて、むしろへーすごーいうらやましーいって感じ。
そんな頭の固い人間が不倫って超予想外。そもそも私には長年付き合ってる彼氏がいて、一生そいつだけを愛して生きるんだと思ってた。
あとね、私は、人を非難することが出来ない。どんなことをされても、申し訳なさそうな顔で「ごめん」と言われたら、許さざるを得ない。
そんな感じで当時の彼氏に私は使われていた。いや、彼は悪いやつじゃあないんだぜ。でも無意識に私を頼って、使って、振り回してたんだよね。私がにこにこ笑って、なんの文句も言わないから。
私の不満は溜まっていったよ。それでも文句は言わなかった。最初はよく言ってたんだけど、彼も彼でちょっと頭が悪くて、私の指摘を理解することが出来なかった。数年後に「あの時言ってたことが今分かったよ!あの時はごめん!」とか言われたりするんですが、まあその頃は私がちょっとやんわり文句を言うだけでもすぐキレられてたので、私はぜーんぶ妥協することにした。それがいつしか習慣になり、自然にドMに調教されていったりとか。
まあでも不満は募るわけ。ごくごくたまーに人に愚痴ると「その扱いはねーよwwwやばいから今すぐ別れろ」とみんな口を揃えて言いました。私もこれはやべえと思ってたけどでも、彼とこれからもこのまま付き合ってれば、「次の人」を探す必要がないじゃない。とにかく自己評価が低いので、私を愛せる人間は彼以外いる訳ねーよと思っておりました。
そしてこの不倫男ね。この人は私の一回り以上年上。個性と才能を強烈に持った人で、ずっと私の憧れでした。ストーリーを作ったり絵を描いたり、まあヲタ業界なんですが。でも家庭があることも知ってたし、私にとっては手の届かない、雲の上のような存在でした。
で、あるとき「今度作る話の登場人物のモデルにしたい。君の事色々教えてよ」と言われ、私歓喜。憧れのあの人とお近づきになれる!!でもねーそもそも私は、ヲタ丸出しで友達もロクに作れなかったし、自分のことを誰かに話すことが全然出来ない子だったんだよ。精神科医にも言えなかったんだぜ?お前病院通う意味ねーだろっていうwwww
うんメンヘラだよ。でもなんだかんだ言ってみんな夜寝るの苦手なんだろ?仲間なんだろ?え違うの?まあいいや。
とにかくね、普段全然人と話すの苦手な癖に、多分誰かに自分を知って欲しいって気持ちは強くて、このときは「いいシナリオを書くためだから!」という大義名分を脳内で繰り返し、とても饒舌に自分の生い立ちを話したのだよね。親について、友達について、学校について、彼氏について。
まあなんかそしたら自分自身でもなんか自分を見つめなおしてしまい、話しただけなのになんか色々自分のことについて気づいたりしたんだよね。なんという名カウンセラーwww
そして彼は私の必死ぶりを見て「こいつ確実に俺に惚れてるじゃねーかwww」と気づく。憧れだけど実際はかなり前から惚れてたんだね。でも私には彼氏もいたし不倫なんぞしてたまるかwwっていうのもあったし、好きとかじゃないから!違うから!と無意識に自己暗示をかけ続けていたのであった。
しかしその後、私は彼の誘いにホイホイついていって、寝た。ちんこでかかった。「そんな冷たい彼氏より俺の方がいいだろ」とか言われて、まあ一夜限りの関係だしwwセックス中だしwwとか思って「うん(*'ω`*)」って言ったらいつの間にか恋人だということになっていた。おいおい待てそれはまずいだろ、ていうか恋人ww愛人の間違いだからwwって思っても、だって私優柔不断だしかなり好きだったし!言えなかった!それに据え膳食わぬは恥って言うじゃん?だめ?どう見てもテラビッチですよねーwww
それでね、気がついたらお互い本気で恋愛になっていた。私は長年付き合った彼を捨てた。これは未だに正しかったのかよく分からない。
ピル飲んでたので、度々お泊りして中田氏し放題。でもね、男性諸君、ピル飲んでる子とするときも出来ればゴムつけたほうがいいよ。性病も怖いし、ピル飲み忘れてたらどうしようとか、どうしようもなく怖くなるから。彼がどう思ってたかは知らんが、私はおmんkから垂れる精液を見る度にどうしようもなく恐ろしくなった。
それでも彼に頭を撫でられたり、腕枕してもらうのがたまらなく好きだった。
私、多分大人にあんま褒められてこなくて、叱られてばっかりだったんだと思うんだよね。親の愛に恵まれなかった子よりはマシなんだけど、だから年上の人に褒められたり愛されたくなって、憧れを持っちゃうんだと思う。中学生のとき、先生に変に憧れを持ったりしたけど、それもそういうことだったような。今思うとねー。
もうコンプレックスを埋めるためだから、必死。べったべたに甘えてた。彼が引くぐらい。でもそんな私をますます可愛がってくれて、嬉しくて仕方なかったなあ。
でも、彼は私と会うとき以外はずっと指輪を身につけていた。たまに指輪を外し忘れてて、その左手を見る度に私はそのまま線路に飛び込みたくなった。
まあなんかそんな感じで、愛されるのが嬉しくてたまらない反面、尋常でない罪悪感に苦しめられることとなった。
そして今日ね。そうかあ。別れるんだなあ。突然で心の準備出来てないよ。
でも、いつこうなってもおかしくなかったんだよね。
本気で愛しちゃってたなあ。辛いねえ。
でも奥さんはもっと辛いんだよねー。
私は心底私に死んで欲しいが、本当に死ぬと奥さんを傷つけてしまうことになるよね。だから出来ない。
奥さんには幸せになって欲しい。
私には地獄に堕ちて欲しい。
地獄っていうのは罪人のためにあるんだろうな、多分。死後の永遠の苦しみが手に入れば、罪が軽くなったような錯覚を受けることが出来る。
それにしても私ってば、なんという喪女+ビッチ=メンヘラ女≒ヤンデレwww
全く、明日からどうやって生きよう。
なんかなんにもないって感じー。
小学校では特に何もなかった。
中学校だった。問題は。
自分は特に何も変わらなかった。変わらなかったからこそいじめられたのかもしれない。
同年代の女子は中学に入ってからやけに垢抜けはじめた。化粧は禁止だが、皆していた。私は興味がなかった。オシャレというものに興味がまるでなかった。髪の毛も、可愛いピンをつけたり妙に凝った髪型にしたり地毛だと誤魔化せるレベルくらいにこっそり染めたりすることなく、単なる黒髪のショートカットだった。
何故か女子たちの多くが、給食を残していた。当時不思議だったがあれはおそらく「少食なのが可愛い」ということだったんだろう。ちょうど第二次性徴期である。女の子らしさみたいなのを意識するようになった彼女らは、何故だかそれを少食に見出してしまったんだろう。がそれは今わかったことで、当時はなんで残すのか、疑問だった。成長期なので腹が常に減っていた。
自分は全部食べていた。寧ろ、おかわりすらしていた。おかわりをするのは男子が数人と、女子では私くらい。
私がおかわりしたりしてると「よく食べるねー○○さんwww」とやけにニヤニヤしながら言われた。
その時は「うん、おいしいから」とか言っていたのだが
それから「すげーくってるw食欲魔人だw」とか「デブの○○さーん」「ブスきめぇーwwww」とか男子に言われるようになった(私の当時の体重はごく普通であった)。
女子からも「よく食べるねw私達には無理w」と言われケタケタ笑われたりした。
何で給食を食べることでこんなことを言われるか分からなかった。
私はバカ正直に、「給食を全部食べるのは普通のことじゃないの?なんでそれで食欲魔人とか言われなきゃならないの?おかわりだってそんなにしてるわけじゃないし、あんたたち(男子の事)だってしてるじゃん」と言ったが、「なんか魔人が喋ってるwwww」「ブスはしゃべらないでくださーい。ブス菌がうつりまーすwwwwww」と言われて終わりだった。話がまともに通じないと流石に悟り、それからは黙っていた。
「うげーっ。(吐くマネ)きもちわるうー!」と唐突に言われたり「こいつ屁こいただろ!きったねーの!」(こいてない)と言われたり、机にうんこの絵を描かれたり(小学生か…)。風邪をひいたとき鼻をかんでたら「きたねぇー!おいこいつ鼻水かんでんぞ!!」と言われたりした。当時は何故か鼻水を教室でかむというのがものすごいタブーだったのだ。かまずにすすったりそのまま飲み込んだりしてやりすごし、時折トイレで鼻をかむ、というのがトレンドだった。鼻をかむというのがなぜか物凄く汚い行為だとされていた。のみこんだりするほうがよほど汚いだろ、と思うのだが。
先生は頬杖ついて窓を見て見知らぬふりをしていた。
親に言おうかと思ったが、「実は学校でブスだのデブだの言われてます」なんていうと親は絶対ショックを受け悲しむだろうと思い、黙っていた。そんなこといったら「あんたはデブじゃない、ブスじゃない」と言ってくれそうだったので……それが嫌だったのだ。なんだかそういう言葉を聞いたら自分が惨めになるような気がしていたのだ。
それでも私は給食を食べた。おかわりもした。
給食を残せばいじめられることもないのだろうかと思ったが、「でも給食費はうちの親だって払ってくれてるんだし、だったら元とらないと損だろ。こんなクズのやつのために、給食我慢して残すなんて嫌だ」と思い食べ続けた。給食、うまかったんだよな。単に腹が減ってただけかもしれないが。今でもその影響で麦飯を食べたり瓶の牛乳を飲んだりしている。
食べ続けていたら、秋も深まった頃、私のほかにもおかわりする女子が出てきた。
その子はクラスでも人気の子だった。女子の中でもっとも垢抜けたグループの更に頂点にいるような子。勿論男子ともよく話すしクラス内をしきったりもしていた。
「えー、何、まさかおかわりするの!?」と他の女子に言われたその子は、「いや、今日は、カレーだから。カレーだからね。カレー大好きなの私」と弁解しながらカレーをよそっていた。
私もその子の後に続きカレーをよそおうと待っていたら、おたまを渡されるときに、「だって、美味しいんだから、食べたいよね。別に食べてもいいじゃんね」と言ってきた。私はその子と事務的な会話以外したことがなかったので驚いて「うん、いいと思う」と言うのがやっとだった。その子は「おかわりかよー豪快だー」とちょっぴりからかわれつつカレーを食べていた。
それから、その子が食べたことによって徐々に給食をおかわりする女子が増えてきた。
男子も増えた。
中学生とは単純なものだ。
私に対するいじめも、時折クラスの入り口で肩がぶつかったりした時などに「うわっ…」と顔をしかめられたり帰宅するとき階段上から「バーカ!」と言われたりくらいのものになった。
クラスが変わると特にいじめもなくなり、高校へ入ると完全になくなった。
あのとき「いじめ」とかあんまり意識してなかったけどあれは今思うといじめだった気がする。
まあこんなレベルでは「世にはもっといじめられてる奴がいるんだ、叩かれたり金とられたりしてるんだ、そのくらいでいじめとかいうな」と言われるかもしれないが……
http://anond.hatelabo.jp/20081019142016
男の人のそういう反応ってさっぱりわからん。なんか、大変なんだね。可哀想だ。
もちろん知識としては「男性に過去の性絡みの話をするのはタブー」ってのは知ってるし
特に言いたくてたまらないわけではないから言わないけど、正直この反応の激しさに驚いた。
そりゃ相手の過去も気になるっていえば気になるし、それが身近でしょっちゅう顔を合わせる人だったり嫌いな人だったりすれば
嫌度も上がるけど、でも昔の話じゃん。
「あいつは昔の男で結局別れてるんだから、今の男(もしくは最終的な結婚相手)である自分のほうが上」って思えないのかな。
不倫とか社会的に問題のある行為を相手がしていたってことにもダメージ受けたりするけど、
まあ、若くて分別がつかなかったり感情のコントロールが効かなかったころの過ちとか思えないのかな。
本当に愛してるの?って思ってしまう。
まじめに疑問というか、不思議だ。
んでもさ
って感じなんだが。
小中は言わずもがな。
高校だってさ。普通に学校通って部活やってーってやってたら、普通に過ぎる。普通に過ぎるって言い方変だけど、なんていうのかな。付き合うために、色々な行動を敢えて起こさない限り、高校も、大学も、普通に過ぎてしまうものじゃん?
だから、私からすれば、付き合ったり、セックスしたりしてる人たちが、「そういう行動を敢えて起こした、特殊な行動を敢えて起こした人たち」であって、普通に生きてたら、まず、セックスなんてする機会ないと思うんよ。
ただ、「そういう行動を敢えて起こす人」が、結構たくさんいるだけで。
相当美人な子とかだと、どんどん告白されるのかもしれないけど(でも、漫画じゃないんだし、美人でもそんなにバンバン告られるってのは無いみたいだね。友達がそうだった)。
とにかく、処女ってのはさ、「わざわざ処女になるために何か特殊なことをしてきた」わけじゃないんだよね。
あくまでセックスとかしてきた人が、そういう行動を敢えて起こして非処女になっただけで。
考えたら当たり前のことで、生まれたときはみな処女・童貞なんだから、敢えて何かしない限り、非処女、非童貞にはならないわけで。
だから逆に、なんで皆そんなにセックスしてるのかって驚きの方が大きい。いつの間にしてるの?と。
皆そんなにセックスしたいか?なんでそんなにしたいの?性欲処理的な意味だったらオナニーでいいわけだし…。
逆に言うと、わざわざ男女ペアを作ってセクロスに励むというのは、性的処理以外の意味がそこにあるからなんだろうけど、それがよくわからない。
それとも、皆単に「付き合いたい」のであって、どうせ付き合ったんなら、セックスもしちゃえばいいやって感覚なんだろうか?
だとすると今度は、なんでそんなに皆付き合いたいのか?って問題が発生する。
いや100人中20人くらいがそういう人だっていうんなら別にいいけど、ほとんどの男女がそんな感じだから疑問。
本能問題で解決することなのかなー。恋愛って本能ではないし……。
というかそもそも22歳で処女ってそんなに珍しいことなんだろうか?結構いるんちゃうかな。どうかな。
処女は大事にして!っていわれる反面、そのまんま大事にしちゃったまま30くらいになりゃ一転して「キモい」と引かれたり。
童貞はネタになるけど、処女ってネタに「すら」なれない感じ。腫れ物扱いというか。
22歳で処女って、言うほど珍しくないと自分では思うし、個人的に恥ずかしいとかそういうことは思ってないけど、でも確かに「あぁまだ処女だよ」とは公言できない雰囲気はある。(まあそんなことわざわざ言う気もないから別にいいけどw)
童貞だと、「童貞だ」っていっても「お前まだ童貞かよw」で笑ってネタにできちゃうくらいの軽さがあるってーか。
処女は、その辺なんか妙に重くて、「お前まだ処女なのかよw早く誰かつかまえろよw」ってネタにできない感じ。
よくネタにされたりするから、童貞の方が「恥ずかしいってバカにされる」て思いがちだけど、個人的には逆だと思うんだよなー。
処女は、重すぎて、ネタにすらできない感じなんじゃないのかな。それは「それだけ、早く捨てないとヤバいってこと」って意味だけじゃなく(それもあるんだろうけど)処女という話題自体になんだかタブー感があるというか。
単に、女性の性についてはまだちょっと世間的におおっぴらに手をつけられない、みたいな話なんだろうか。
この重さが、「大事にして!」といわれたり、裏返って「え、まだ、処女なの…」と引かれたり、っていうのに繋がるってことなんだろーか。童貞は処女に比べると軽いから、割りとあっさり「ソープにでもいって捨てろ」と言われたり、30で童貞ですといっても「お前まだ童貞かよw」で済むみたいなところがある。
といって、重いからダメとか、軽いからいいとかいう話でもなく、どっちも一長一短あるんだろうけど。
でもこの処女の独特の重さはちょっと面倒くさい。
わざわざ処女になるために処女になったわけじゃなく、自分は何もせずただ過ごしてきただけなのに、いつのまにか重っくるしい属性がついている。それがなんか、少しだけ面倒。
……あぁ、だから「早く捨てたい」って思う人がいるんだろうか。
人に「良い」と思われたことが無い。ほぼ確信している。少なくとも「良い」と思った旨がこちらに伝わる類のものを持っていない。多分可視化させてはいけない部分で秀でてる部分はあると思う。スケープゴートっぷりとか。可視化しかけたら、「そんなのが良くったって、ねえ」「そもそもそれって良い悪いじゃないし」みたいな感じでそつなく押し込められる。「良い」ものの埋蔵場所が自他共にタブーがらみである認識があるみたい。
審査・試験っぽいもので「及第点」を取ることはある。でも魅力とか誰かの琴線とかそういう方向の、人に直接作用するような「良さ」は今のところまだ発覚していない。少なくとも自分で言及できるような類のものは。
何かしらのご縁で「私たちいじめとかしませんから、ハイソですから」って色合いの集団に身を投じて過ごしていくとなると、潤滑剤としての褒め合いが必要になる。社交辞令とそこに毛がもじゃもじゃ生えた類のあれ。そういうとこに自分みたいなのが混じると、排斥されるんじゃないかと予測されるかもしれないけど、これまたぎっちょんちょん。如何にしてこの駄目なとこしか見当たらないターゲットを褒め上げるか、というテクニックの競い合いが白熱して、すごいことになったりする。そういう集団内ではそれはそれは空虚に褒められまくる。
そしてそのまま過ごしていると、主に褒められたい念を内に秘めてる人から「あんた褒められたくてそんなポジションにいるんでしょ」みたいな野次を明暗関係なく飛ばされる。内に秘めたる思いは空虚にすらビビッドな彩色を施すみたい。こちらとしては集団に引っ付く理由は別のところにあって、良くないことを無理やり良いように言われるのはしっくりこないどころか時としてたいそう気持ち悪いし、言った相手も閻魔様に舌抜かれる危険性を孕むし、そういう褒め褒められは集団内に平穏にとどまるためのやむを得ないリスクとしてしか捉えられない。隣の芝生ブルー。そしてその誤解もまたリスクとして積まれていく。
リスクが許容範囲を超えてあちこち蝕んできたら、集団から身を引いて心身修復タイムに突入する。野次を飛ばした人はこれ幸いと後釜にすわろうとするんだけど、いくらでも良いとこある人褒めたってテクニックは競えないからいまいち白熱しない。人に自律的な悪意を飛ばせる人って、どっか別のとこで良さ確立させ済みで足場のしっかりしてる人が多い。良い所を良いと言うだけで済む人は、あっさりシンプルイズベストになる。退いた人が何故あんなに褒められていたのかが分からない当人は不服かもしれないけど、それがさしあたり一番失礼の無い、美しい振る舞いだからしょうがない。その人の頭上なり股下なりを素通りしていく褒め言葉は、顔面にべちんとぶちかまされる貶し言葉とはまた違った切なさがある。感じさせずに済むならそれに越したことは無い切なさ。
蝕みがマックス状態の時はいつも思うんだけど、恵まれてなくてかつ恵まれてる。適当な枠組みで恵まれてる方をメタい方に割り当てて、自分と過去もしくは未来の集団の平安を保っている。この恵まれ方も埋蔵してる部分だから、掘り返したら徳川様の祟りが起こる。そんな共通認識がどこかにある。集団を離れてなお集団に属している。しかもかなりポジティヴなこころもちで。
その場所に一匹狼はいない。
見た目キモい人が多いよね。
これは誰もが思ってることだと思うけど、それをプログラマ間で口にするのはタブーとされている。
プロスポーツ選手なんかは不思議と競技ごとに顔の系統が似ているけど、それと似たようなものかな。
それにしてもなぜプログラマにはイケメンよりブサイクが多いのだろう。
頭ばかり使ってると顔つきが悪くなるというけど、それを証明しているようでもある。
もしくは、ブサイクである、またはキモいことがプログラマの素養として重要なのかもしれない。
キモい→嫌われる→友達がいない→一人の遊びに没頭する(できる) みたいな。
顔だけじゃなく、性格も自己中だったり、八方美人だったりとあまりよくなく、しゃべり方もイラつくことが多い。
でも第一線で活躍しているプログラマは嫌悪感を受けるような顔や性格の人は少ないと思う。
プログラミングでお金を稼げるようになることが重要なのかもしれない。
見た目キモいプログラマは金になるコードを書いていないっていうのはけっこう正しい仮定だと思う。
金になるコードというのは書いていて楽しいものじゃないかもしれないけど、
最高に楽しんでお金も稼げるなんてことはなかなかないと思うし。
日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。
創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。
しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織の宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在は日蓮正宗と創価学会の関係はありません)。
そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。
戦時中の宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教も危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神的指導者として処刑されてしまうわけです。
いずれにせよ、政治の実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔な存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。
このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕・起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム・軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会・公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。
戦後、民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会のナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。
戸田は敗戦後、学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。
折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世帯折伏」を実行するよう呼び掛けます。
とほうもないように見えた計画でしたが、戸田が1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。
強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本の人口構造の転換に求めることができます。
農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。
そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。
こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長の戸田はまず1955年の統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。
これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田は政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗の開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。
1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員の社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。
折しも創価学会は特に左翼・革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼・革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会や学会員の社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。
いろいろ言われているように、戸田が国立戒壇、要するに僧侶に日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。
しかし戸田は学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年の衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。
この間、会長は池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選で公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。
この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さで頭角を現わすことになったのです。池田の会長就任は実に32歳の時です。
そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院の議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音(民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。
こうして創価学会と公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。
公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。
しかし1969年、公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。
このとき活躍したのが、当時自民党の幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。
自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者・市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党か共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。
さて、田中角栄は地方への「利益誘導」政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。
もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党=田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派と公明党、学会の関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。
また1972年には、竹入義勝・公明党委員長が首相となった田中の依頼を受けて訪中、田中訪中→日中国交正常化の地ならしを行っています。
さて、「事件」でバッシングされた公明党と創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会と公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙で議席を半数近くまで落とします。
もちろん公明党と創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田と創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日の池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。
また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。
学会・共産党は支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中のファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家の松本清張で、彼は池田と宮本顕治・共産党委員長を引き合わせ、この学会・共産党の「同盟」を実現させたのでした。
もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党は学会なしには存在し得なかったからかもしれません。
また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。
結局、これで公明党はイメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。
結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党の顧問弁護士が宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党と共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。
新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党→新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。
1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。
1992 年、公明党と民社党は社会党が議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党が田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。
また1980年代から地方議会でも公明党が都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党は連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。
公明党の与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕・起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄で逮捕される国会議員も出てしまったといえます。
もっともこの不祥事には創価学会・学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党の国会勢力は1989年の参院選では前回比1議席減、1990年の衆院選では11議席減となっています。
1993 年、総選挙で自民党が過半数割れすると、公明党は非自民・非共産の連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。
その後、公明党は小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員と参議院議員の1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。
結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。
その後、旧公明党の衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在の公明党が誕生することになります。
新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党の誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。
こうして小渕内閣(小渕首相も田中派を源流)のとき、公明党は自民党と本格的に連携、地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党が2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上の自公連立政権がスタートすることになります。
そんななかで小泉政権が発足。公明党は小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民に政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。
しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会を母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。
また先のページで述べた「地方:自民、都心:公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。
微妙になりはじめた自公連立、公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。
この間、創価学会会長だった池田は1979年、日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在の会長は原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長が創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌・新聞などをみても明らかです。
「政教分離」をした今、創価学会は公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員が公明党や公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。
ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会の壮年部長は読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会は公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。
公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員は学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会は公明党なしでもやっていけるが、公明党は創価学会なしにはやっていけないわけですから。
さて2008年で池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会副理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。
いずれにせよ現在の創価学会の組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。
※人名について一部敬称略とさせていただきました。
ずいぶん前に好きになった人が彼氏とお泊まりデートしてるので悶々として好きになった人との馴れ初めと顛末を書き殴りました。
特定が怖くなって全部消したのですがふと思い立ったのであの続きを書きます。
誰も覚えてない?
別にいいです、書き殴らせてくださいな。
前回のあらすじ
あるコミュニティで素敵な人と出会った。
何だかんだでその人が好きになり、出会って2ヶ月ちょっとで暴走して告白→玉砕→実は彼氏が…の最悪コンボ
それでも彼女が好きな私は精神的安定のために彼女をアイドル化&仮想の存在を愛するという代替行為に出る。
それから数ヶ月、未だに貴方のことが大好きです。だけど貴方は彼氏とお泊まりデート中。悶々
悶々しすぎて書き殴り→キモイという賞賛多数→誠にありがとうございました
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数週間くらい前、彼女が私達がいたコミュニティーからいなくなった。
朝起きて何となく彼女のページを見たら404だった。眠気が一気に吹き飛んだ。
必死になってログを漁ると彼女が辞めた顛末の欠片があったので読み解き何となく顛末を理解した。
現実がその顛末通りであると推測するとある一つの疑念が湧いた。
もしかしたら彼女がここを辞めた一因は私にもあるんじゃないか、と…
彼女はコミュニティのアイドル的存在だった。みんなが彼女のことを愛していた。
私も前述の理由で熱狂的に彼女を愛し、あがめていたと思う。
だが、それは彼女が望んだものだったのだろうか?
彼女はコミュニティでそんな立場になることを願っていたのだろうか?
もしかしたらそれが苦痛になっていたんじゃないだろうか?
ある阿呆の思わせぶりな一言のせいもあってその疑念はより大きなものになっていった。
こういうときはクールになるべきなんだとは思っていたけど、実際はパニック状態。かっこわるい。
更にかっこわるいことに彼女にメールを送った。クールに状況確認のメールを送ろうとしたのだけど実際は
「僕もしかしたら悪い事したかもしれません。ごめんなさいごめんなさい」と言う我ながらキモイ内容。
メール送信後パニック状態は消え、彼女が居なくなったという事実だけが重くのし掛かってきた。力なく地べたに座り込んだ。
有明でお祭りやってたような気がするけどそんなのに行けるような気分じゃなかった。
昼も食べずにボンヤリとしているとメールの着信音がした。彼女からだと言う期待半分、どうせゴミメールだろうという諦め半分
確率から行くと後者なのだけど今日は奇跡が起きた。彼女からだった。
まず辞めた理由が簡潔に書かれていた。
「辞めろと言われたから辞めた」、と
そして怒られた。そんなに自分を卑下するな。悲しくなる…と
彼女の優しさに泣いた。心の底から泣いた。
それから二三やり取りをしてだんだん冷静さを取り戻してきた。
冷静になった頭で考えると再び疑念が湧いた。本当にそれだけが理由なのだろうか?
彼女が辞める数日前、毎日いつもコミュニティに現れる彼女が一週間近く現れないことがあった。
心配になってメールを送ると「ちょっと色々と…」みたいな返事が来て程なく彼女は戻ってきた。
それから辞めるまでの数日間、彼女は明らかに無理をしていた。多分誰が見てもそう思えていたと思う。
「辞めろと言われたから辞めた」はトリガーでしかなかったと思う。
裏に何かあったのだと思うのだけどそれを知る術はもう無い。私が無理に聞いても答えてはくれないだろうし、そんな資格は私にはない。
これを欠いている間に当時のメールのやり取りを見直した。本当に十数日しか経っていない。もう数ヶ月前のように感じていた。
コミュニティは今も続いている。まるではじめから居なかったかのように彼女がいなくなったことについて誰も何も言わない。
ここにいるのも自由、立ち去るのも自由。そんな世界だからなのか、はたまたタブーなのか…
その後も此処に新たな人物がやってきてはコミュニティは賑やかさを絶やさずにいる。
私はと言うとぽっかり穴が空いたような気分が今も抜けずにいる。そりゃそうだ、十数年ぶりに好きになった人がいきなりいなくなってしまったのだから
繋がりが一つ、しかも最大の繋がりが無くなってしまったのだから…。
一応メールやメッセのアドレスは教えてもらっているけど正直、メール出しづらいし話しかけづらい。
元々非コミュで引っ込み思案な性格なのもあるけど、どんなこと書いたらいいのかどんなこと話したらいいのはわからない。
数回メール送ったけど、固っ苦しくてつまらないメールだったと思う。非モテ非コミュのダメさここにあり、と言うやつだろうか。
好きなのは今でも変わらない。だけど、何をどう話したらいいかわからない。
そういえば、彼女は遠くに住んでいる。それこそ飛行機で行かないと行けないほどに。
そんな彼女の元にオフ会と称して行こうと企んでいた。他にも理由はあるのだけど最大の理由はこれだった。
いつぞやそれとなくその旨を話したのだけど、その時は「予定が合ったら良いですよ」みたいなことを言ってくれた。
その時はこんなことが起きるなんて思いもしなかったので時が来たら実際に行って会っていたと思う。
しかし、実際はこうなってしまった。彼女はもうコミュニティにはいない。
もしコミュニティにいたならオフ会、と称して行くことができた。しかし今はただ彼女に会いたいから行く、ということになってしまう。
それでも、私と会ってくれるだろうか…?
そもそも会ってよいのだろうか…?
予定しているのは11月。飛行機の予約を考えると今月後半までには決めなければならない。
やっと観た。 期待しなかった分,落胆も少ないが,記号,記号,記号にあふれている世界だ。
同性愛者のマイノリティさについては今日,誰もが認識しているしタブートピックというほどでないにせよ,パーティ会話では取り上げられないぐらいの後ろめたさがあることは現実だろう。
このドラマに登場するレズビアンたちは個々の問題を抱えているが,それはストレートらにも共通する問題も多い。特に恋愛絡みのことは。しいて挙げれば,レズビアンカップルが子どもを持とうとする際の精子を提供する男探しの煩雑さと,片方が黒人と白人のハーフであるがゆえに生じる差別問題、共和党員の両親へのカミングアウトへ到るまでの葛藤ぐらいである。
最もショックを受けたのは,身体は男だけど心は女という白人の青年リサ(自分で名づけた名前)の登場する回だ。彼/彼女は,特別な才能に恵まれているわけでもなく見た目はごくごく一般的なアメリカの青年という態だが,バイセクシャルのアリスに心性はそこに登場する誰よりもレズビアンであると指摘される。
アリスは,レズビアン同士の絡まり合った関係性にやや疲弊してしまい男と女の単純なセックスを求める。
船上のレズビアンパーティで,二人はセックスしそうになる。リサは疑似女性器を装着しようとするが,そこをすかさずアリスが
「Well, because you're a man. You know? You've got the real thing. なんで,男なんだからあるじゃない本物が。」
と言う。
リサは
「That's not how Iwant to make love to you .あれでアリスと愛し合いたくない。」
と,拒絶する。しかしアリスは
「That's how I want you to, okay? あたしは本物がいいの。」
と,言い放ち,さらに拒否するリサに対して,強引にセックスする。
これはレイプではないのだろうか?合意の上とは言えないだろう。
この場面に私は強烈な不快感に襲われた。
女たちは,しばしば声高に男のマッチョな自己顕示欲を批判し蔑むが,それと同じことをしているアリスに対しては何の批判もない。アリスの独白にさえも。事が終わってから,やけにセンチメンタルな風に佇むだけである。この作品はスタッフも全て女性とのことだが,誰も自分の痛みにだけ敏感なことに,「否」を唱えるものはいなかったのだろうか。身体は男で心は女のリサの痛みに語る場面は物語の本筋とは異なるからだろうか。性的に最も弱者であるリサの姿が訴えるものは,道行く行進の列の前に居る老婆の嘆きと同じくらい無力だ。
アリスはその後自宅に招いたストレートの男を前に,リサが男に向かって
「I'm her lesbian lover!(恋人なのに,レズビアンの)」と言う。そしてストレートの男が部屋を出て行くと アリスはリサを罵倒する。
「You know,Imean, you do "lesbian" better than any lesbian Iknow. okey?見た目は男でもどんな男よりもビアンビアンしてる!」
「I dont want a lesbian boyfriend . I'm sorry. 悪いけど私は見た目が男のビアンの彼氏なんてほしくないの。」
「I want a boyfriend who's straight or Iwant a lesbian who's a girl. ストレートの男かレズビアンが良い,女のね。」
そして二人の関係は終わる。
その後,リサは登場しない。
自分がヘテロなのかバイなのかホモなのかを自問する機会は,ヘテロである限りはそうそう悩むことはない。
愛するという,人間として一番美しい行為となり得ることの前に立ちすくむ者たちがいる。
こういった状況を描くドラマを観たい。
リサが全身を整形手術して姿かたちが女になれば,この問題は解決するのだろうか。
だとしたら,なんとかなしいことだろう。
女の身体を持って生まれたレズビアンは,マイノリティであってマイノリティではない。
チラ裏。
昨夜、好きな女性にいつものようにメールしたんだ。「よく考えたら同い年だな」って。
そしたら、返事がこなかった。
やばい! 女性に年齢の話はタブーなのか! 同い年でもタブーなのか!
焦ったよ。
続けて、あーだこーだと言い訳がましいメール送るのも、うっとおしいじゃないですか。
もしかしたら、すでに寝ててメールに気づいてないだけかもしれないし。
でも、朝になってもメールがきてなくて、あー、やべー、マジやべー、って部屋ん中をむやみにウロウロしたよ。
今んところ、メールだけがつながりだからさ。メール切られたら次会える時まで縁カウントが無いわけですよ。
この一通は1キロバイトにも満たないメールだけど、私にとっては大きな一通なんですよ。
でもまあ、些細な文面ミスで出会いが消える事なんて、よくあるからなー、また次がくるまで我慢するかー、とか自分をなんとかごまかして、さっき昼飯を買いに行ったわけですよ。
食欲なんて無いけどさー。やつれた男ってみっともないやん。食べなきゃなー。
で、さっきボソボソとメンチカツ弁当食ってたら、メールがきた。
もうね。なんかもう感情が揺さぶられすぎて涙がうっかりこぼれた。
27の大の男がさ。普段は「クールすぎる」とか「知性派」とか「インテリヤクザ」とか言われてんのにさ。
女一人のメールが来るかこないかで、メンチカツかじりながら泣いてやんの。
ああ、もう好きなんだなあ。どうしようもないぐらい好きなんだなあ、って思った。
恋愛は、前の恋愛がいつだったか覚えてないぐらい久しぶりだけどさー。
ホント、イライラするよね。疲れるし、やってらんない。
裸になって触り合いしてるときは二人とも興奮しまくり。
俺も尋常じゃないくらい硬くなってヤバかった。痛いくらい。
でも、いざ挿入ってなったら彼女の表情が一気に苦しそうになって
血もたくさん出ちゃって「痛い……痛い……」って呟くし
途中で萎えちゃって最後までできなかった。
そしたら、「ごめんね」って泣き出しちゃって……。
それでもう怖くなって彼女とはできなくなった。
俺も誘わないし、彼女も何も言わないし……。タブーができた感じ。
それで、10歳くらい年上の、
思い切ってそのことを相談してみた。
色々アドバイスをしてくれたけど、
エッチが始まってからのテクニック的なことばっかりで、
あんまり参考にならなかった(エッチを始めるまでがもう無理な感じだから)。
それで俺はエッチでイッたことなかったら
「気持ちいいエッチがしてみたい」って漏らしたら
「私とする?」みたいな感じになって
そういう風に甘えてみたかったからエッチした。ちゃんとイケた。気持ちよかった!
実は俺は、彼女と付き合うまではその人のことが好きだったけど
年も離れているし、関係が壊れて会えなくなったら嫌だからそういうの出せなかった。
そうこうしてるうちに彼女と良い感じになったから、彼女と付き合った。
彼女のことが本気で好きになったから、その人への恋愛感情は薄くなった。
でも、エッチしてまた好きになった。
だからもう、今ぐちゃぐちゃでわけわかんない。
どっちも止めるの嫌だし、もうどうしたら良いんだろう……。
あんただけでなくApeman支持者全員に言いたいのだが、「比喩の適切性」というのがそれほどまで強く求められるという価値観は社会的に一般的ではないよ。たとえば「産む機械」騒動というのがあったが、あれも話の構造としては似たようなものだ。そして、「産む機械」という言葉を比喩と断ってでも使ってはいけないという意見はさほど広く支持されてはいなかったはずだ。少なくとも、比喩に目くじらを立てることに懐疑的な人間は多くいた。そのことには注意を喚起しておく。
当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。
あんたらはそういうことを言うが、あれを「女性性への揶揄」と読むのは勘繰りが過ぎると思うし、仮に女性性への揶揄だとしてもどういう含みになるのか俺には理解できん。
現地でトリアージに当たった医師が専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。
福耳先生という経営学の専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?
あんた、学部生かなんかだろ。「専門性」ってものがわかってない。ある意味では過大評価してるし、ある意味では過小評価しすぎてる。
たとえば、俺が数学の話をちょっとしたら俺の専門が数学だと断定したが、俺が披露した程度の知識はたとえば経済学においても常識レベルの話だ。そもそも、あの話は普通は工学に分類するものだが。
そういう意味で、あんたは「専門性」を狭くとらえすぎている。トリアージの話が経営学の話と極端に乖離しているように誤解しているのはたぶんそのせいだろう。
一方、専門家は自分の専門以外の分野では素人だ。福耳氏も医者氏も倫理的判断においては専門家ではない。もっと言えば、そんな専門家などいない。倫理学や宗教学はやや近いが、それであってさえ「倫理」や「宗教」という現象を説明しようという営みだ。従って、この件の倫理性に関する判断で、福耳氏がどういっただの、あるいは医者がどういっただのという意見は一当事者の主観以上の意味がない。
じゃあ、その「平易な言葉で過不足のない説明」を抜き出してみてくれ。それはいったいどこにあるんだ。あと、自分を基準にして物事の難易度を測るのはやめた方がいい。あんたはいい意味でも悪い意味でも特別な存在ではないから。
俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?
あんたの話題の設定が曖昧すぎて何とも言えない。だからあんたのゲームの比喩については答えようがない。
露悪的にユダヤ人を描いたのであればそりゃもちろん問題があるだろう。だが、本人の内心に秘めていたはずの秘密が何らかの形で暴露されてしまったとかいうケースならそれはよくわからない。
似たような話として、ワーグナーの話がある。ワーグナーは死後に作品をナチスによって政治利用された人物で、イスラエルでは現在もタブーなのだが、彼が本当に反ユダヤ主義者だったかどうかはグレーゾーンとしか言いようのないところだ。
で、ワーグナーの曲をイスラエルで敢えて演奏したバレンボイムという音楽家がいて、非難を浴びたことがある。そしてバレンボイムは自身がユダヤ系のイスラエル人なのだ。
つまり、ちょっとのことで話の性質は変わってくる。一般的にああだこうだと言うことはできないだろう。ワーグナーとバレンボイムの件などは、もはや当事者の主観の枠内だけで話を付けるしかなかろうと俺は思う。程度の差はあれ、ゲームの問題(テトリスであろうと囲碁・将棋であろうと)にも似たようなことが言える。
ついでに言うと、俺は戦争ゲームが好きではない。たとえば、信長の野望や三国志には抵抗があるし、大戦略などは頼まれてもやりたくない。ホラーも嫌いだ。一方で、ドラクエやFFや囲碁・将棋はむしろ好きだ。こういう好みはあり得ることだと思うが、ただその線引きに倫理的な必然性があるとも思えない。単なる俺の主観だ。
そういうことから、ゲームの件にせよトリアージの件にせよ、「これが絶対正しい、これが絶対間違い」なんてことは言えると思っていないし、トリアージを比喩に用いるのは言語道断不届き千万という言説には強く反発を覚えるのだ。
俺は「左翼」という言葉を使っていないし、「人文系」という言葉は「今までのお前らの説明は高踏的な人文系用語の羅列と、過度に込み入った構文によるはしょった説明ばかりでとうてい理解できん」という一文で一度使ったのみだ。そして、「高踏的な人文系用語」を羅列する人間は別に人文系に限らんよ。俺も一時期やってたことがあるしな。
そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場の医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。
終わってない。当事者がどう考えようと問題が消滅したことにはならない。少なくとも俺は、福耳氏は謝罪すべきではなかったと思っている。もっとも、福耳氏の立場なら、理非はどうあれ謝罪しておかなければ実害が及びかねなかったから、それはそれで仕方のない判断だとも思うが。
何度も言うが、デリケートな例を持ち出してはいけないという根拠はどこにあるのだ?不快感を覚える人間がいるかも知れないというのは理解できる。だが、不快感は倫理的判断の根拠にはならないぞ。
ついでに言っておくが、俺はトリアージに近い扱いを受けたことがある身分だ。
俺は阪神大震災で負傷した。全治十日程度の怪我だったが、しかし命に別状はなく、相対的には軽傷と言ってよかった。そこで、病院に行ったところ、俺の治療は徹底的に後回しにされ、重傷者ばかりが優先的に治療されていた。そして、包帯が不足していた当時、俺は包帯を没収されてガーゼと絆創膏だけで我慢させられた。当時は包帯を洗濯して使っていたのだ。
俺はまだガキだったが、それでもこの判断には感銘を覚えたものだよ。俺は不利益な扱いを受けたにもかかわらず、な。
表現の自由が徹底されているというか、宗教的、文化的な道徳観念が発達しなかっただけだとおもうがね。
別の言い方をすれば、イスラムやキリスト教のような抑圧的な文化背景がなかったとも言える。
だから、他国と比較すれば比較的タブーは少ないため、やれるネタも自然と多くなってくるのは確かに増田の言うとおりだと思う。
しかし、それは日本がたまたまそういう文化的背景にいるおかげであって、表現の自由が徹底されていると考えるのは他国から見たら違和感覚えると思うぞ。
韓国人が、
「ウリナラは表現の自由を徹底しているから日王(天皇)批判もできるニダ! 日本猿哀れwww」
とか言ってたらなんとなく腹立つでしょ?
少年犯罪発生率の変動と経済の浮沈に負の相関があるという話が一時期ハテブをあつめたことがある。つまり、
景気が悪いときには少年犯罪が多い
ってこと。俺はこれを相関だと思ったのだが、テキストを書いた人は因果だと思ったらしい。だから、「少年犯罪を減らしたければ、教育改革じゃなくて経済をなんとかしろ」ってことを言っていた。おれ自身は、これには同意しかねる。窮する→犯罪、ということをしないような人間を育てるのは正しいように思う。犬じゃないんだから。腹へっても噛み付いてはいけません。というのがそんなにおかしなことなのか?窮したら犯罪を起こすやつがいる。だから、経済を豊かにして犯罪を減らせ、ってのは、俺が考える豊かさとは反対の方向を向いている。
ま、それはおいといて。
因果と相関の話。さっきの話は俺は相関だと思った。少なくとも、これまで読んだ同様のテキストの中にはっきり「相関ではなく因果」であると根拠を示したものはなかった。直感的には因果であることは同意できるけどね。腹減ったからパンを盗みましたってんだろ? わかるよ、その言い訳。
でも、根拠がはっきりしていない以上、これはひっくり返せるよね。
少年犯罪が多いときには景気が悪い
なんだ、簡単だ。景気が悪いのはガキが犯罪を犯すからじゃないか。取り締まれ。しょっ引け。厳罰を与えよ。
おれ自身は(少年犯罪にもっと厳しくという意見には同意するものの)、「景気が悪いのは少年犯罪のせい」ってのには同意しない。だけど、根拠がないのはその逆(景気が悪いから少年犯罪が多い)と同じだろう。
さて、これもまだ枕なんだが。相関と因果は違う。だけど、相関があるとすぐに因果があると思い込むやつらがいるよな。で、これを見て、ふと思ったわけよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080805
2008年08月06日 xevra 喫煙者はメンヘルで薬物中毒患者という事が実感できるエントリ。犯罪者の喫煙率を取れば滅茶苦茶高いに違いない。しかしこれはタバコ業界の最大のタブー。絶対に取らせない。この数字が取れれば社会は平和になるのに
上の少年犯罪論法から言えば、「犯罪が多いのは喫煙者が多いからだ」ってことも言えるよな。あるいは「喫煙者が多いのは犯罪者が多いからだ」とも。後者は面白くないが、前者はブログのネタくらいになると思うのよ。すごい時代が来るぞ。「犯罪を減らすために喫煙者を取り締まれ!」。あるいはこうか。
「あなたの安全のため、吸い過ぎに注意しましょう」
↓このエントリーにびっくり
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1
正直、ちょwおまwww消されるぞwwwwwと思った。
というのも、こういう事を言うやつは資本家の手先であって、一緒に働く仲間を売る行為であるとして確実に攻撃対象というか酷い目に会いかねない考え方である。というような雰囲気の団体は今の世の中であっても、たくさんあるからだ。いわゆる気合の入った、御用組合ではない、しっかりとした組合組織からはそう取られるだろう。消されるとかそういうのは"半分"冗談だとしても。
個人的には、d:id:fromdusktildawn氏の書いた内容には概ね同意なんだけど、いわゆる氷河期とかロスジェネとかそういう人達には、ガチ組合が必要だと思う。実際、そういうガチ組合はしっかりと少ないながらも存在していて、本当に労働者の味方になってくれている。今は組織力が落ちているから日本全体としては影響力はそうでもないかもしれないが、そういう組合があるからこそ、業務の安全が伴っていたりする事もある。だから100%否定してくれるなと思う。
fromdusktildawn氏という人が実際にどんな人かは知らない。年齢もどうやって生活しているのかもしらないが、この人はどれだけ経営者と労働者の事を知っているのだろうか。マッチョ的感覚から書いているのならそれはちょっと違うと思う。氏の考えが、現実には大切な考え方であったとしても、もう少し踏み込んで言いっぱなしにしないで書いて欲しいなあ。
この関連の話は、出来れば引き続き書いて欲しい。恐らく、反論は少なからずあるはずだ。今まで喰いついてきたような連中とは全く別の人達が喰い付くはずだ。ある意味、今まで喰いついて来た連中は全て雑魚。このエントリに喰いついて来る人達ほど大きな相手はいないだろう。
オンライン上で、fromdusktildawn氏のエントリを見て正面から、反論してくる組合の人はいるだろうか。
いないとすると、本当に日本の組合は終焉を迎えているとしか思えない。
個人的には、トラの尾を踏んだのではないかと思ってるんだが・・・
割とたくさんいると思うよ。でしゃばったらめった打ちの予感がするからひっこんでる(その辺の話題に絡まない)だけで。
感じるところあったので増田にかいてみる。ちなみに、自分も医者で30代前半で地方住まいで20代の彼女がいる。
同様の経験はないが、近ごろ、独立した3名の医師から、この医者が言ったのとおなじような発言をきいたことはある。こうやって嫁さんに反撃しろというわけで、うちの業界で流布しているのかもしれん。わたしがきいたのは、もっと直截的で次のような感じ;私28歳、彼30歳です。付き合って1年になり、先日、結婚した場合の結婚後のお金の分け方についての話をしました。
彼は医師で月の手取りは100万円ほどなのですが、家計に20万円、二人の貯金に30万円、彼の小遣いが40万円、私の小遣いが10万円にしようと彼が提案しました。
わたしは彼の取り分が多すぎると反論したのですが、彼は
「俺が必死で勉強していた間、男と遊んでいた君が、俺の収入に対し同等の権利を主張するのはおかしい。それに俺は女として一番価値がある頃の君を全く知らない」
と言いました。彼は女性とつきあったのは私が初めてで、私は彼の前に5年ほど付き合った彼氏がいました(そのことは彼も知っています)。
給料の配分などはどうでもいいのですが、彼のこの発言が頭から離れません。
彼はどちらかというと倹約家で、貯金は2000万円ほどあるということなので、結婚後の貯金目的で厳しめにこのようなことを言ったのかもしれません。
でもつらくて食事がのどを通らず、夜もあまり眠れません。
もし同様の経験をされた方がおられましたら、何かアドバイスいただけないでしょうか。
いずれもマジで嫁さんにいっているわけではないようだったが、完全に融和的な関係の中であっても誤解されかねない発言だろう。まして、結婚前の彼女にねえ。君の人生のハイタイムは20代前半だっただろう、これからは女としての価値はさがる一方だ。逆に、自分はこれから医師としてキャリアも積むし、収入もあがる。どちらに価値があるかはあきらかだ。
わたしは、この医者が、多くのレスで指弾されているように「お勉強ばかりして人間性がなっていない」とはおもわないし、はてなの人びとが揶揄するように女のほうがカネ目当てともおもわない。うちの業界は人あたりはまろやかでも実際には亭主関白という輩が多いので、それにくらべるとこの医者は「合理的」な話しあいができるだけマシだとおもう。(ま、臨床医はリーダーシップが命だから亭主関白が多いのはしかたないんですけどね...)
それでも、この医者の発言には賛成することができない。理由は3つある。
まず、無常観が足りない。未来ってものはそんなにコントローラブルじゃないとおもう。
30歳で手取り100万というのは、同世代の医師としては上位1/3にはいる収入だろう(たぶん全体の中央値は月70万くらい)。わたしもそれくらいだったから感じはわかる。常勤にくわえて、かなり意欲的にネーベン(当直アルバイト)をかせがないと到達できない感じ。それだけがんばっているのだから、収入に対する強い思い入れがあるのだろう。実際、あとにでてくるトピ主のレスにはこうあった;
おおー、わたしとまったく同じ生い立ち&現況じゃないか。他人とはおもえんよ、最後の一文を除いて。彼はお金に対する執着心は強いです。実家が貧しく、学生時代も奨学金とアルバイトでやりくりしたそうです。医者になってからは親に仕送りもしています。彼の小遣いの大部分は貯金にまわると思います。以前に貯金の目的について聞いたのですが、何かあった時、責任のとれる人間でありたいからと言っていました。
人は言葉では何とでも言えるからと。現在彼は月15万で生活しているようです(東北の田舎のなので家賃は安く補助も出るようです)。その大事なお金について私が口出ししたからガツーンときたのだと思いますが、ガツーンが少々大きすぎました。
わたしもお金への執着心は強いほうだが、それは収入に対する執着だ。自分の両親の見苦しいケンカの9割は父親の経済能力の問題からきていたので、安定収入だけは死守せねばならんとおもっている(収入より大事なものもあるけどね)。
しかし、支出はどうでもいいよ。奥さんでも親でもつかいたい人が勝手につかえばよろし。お金の遣い方に口をだされてガツーンというのは支出をも死守しようとしている姿だ。医者やってたら知ってるだろう、年収なんて、職場の異動により、ウン百万単位で増減する。人間何歳で死ぬかもわからんってこともよく知ってるだろう。医療制度改革で医者の収入だって頭打ちだ。だからこそ支出をも管理したいって? いや、それはどうかな。
わたしのモットーのひとつは「3年以上先のことは予測できないし、すべきでもない」である。この不確実な未来にどれほどの掛け金を積み増すべきなのか。収入は過去からの贈り物だが、支出計画は未来との契約だ。未来にそこまでの蓋然性をもつことができない以上、支出については深くかんがえても無意味だ。結果、いきなり貧窮問答歌になったってかまわないよ。医師免許があればいくらでも再起を期せる。安定収入に二度と復帰できないなんてことはない。医者業界のドブさらいみたいなアルバイトをたくさん実体験したわたしが断言する(笑)。奥さんだって働けるだろう。そんなわずかな時期と可能性にそなえるために目の前の楽しみを見棄てるなんてリーズナブルな発想とはおもえない。だいたい、わたしがかせいだカネは家族で利用されるべきものであって、わたしだけのものではないしな。
栄枯盛衰生病老死はままならないわけで、わたしたちにできることは落ちぶれたときの腹をくくっておくことだけなんじゃないの。裕福でない家庭の出身であれば、しばらくパンの耳生活でも耐えられるだろう。現在の支出によって未来を律しようとするのは、神ならぬ人間の悲しい錯覚だよ。
(なお、そんなに収入があがりつづける自信があるんなら貯金なんて不要じゃん、という論理的な反論も可能だw)
ふたつめは、女性のハイタイムは20代じゃないかもしれないということだ。若けりゃいいというものではないかも。
ものごとには旬がある。とれたての甘エビはたしかに美味いが、サバは〆てから1日弱おいたほうが身がほどけて絶品になる。シイタケは乾燥させて熟成がすすんだころがいちばんうまい。なんでも新鮮なほどよいというものではない。
女性ではどうか。さすがに、初体験の相手として60代の女官をえらんだ光源氏の域には達していないが、20代前半こそ最高だという考えにはなじめない。30代男性の視点からいって、10歳も下とつきあうのは「めんどうくさい」という感覚が多数派ではなかろうか。精神年齢が同じくらいの人かちょっと上くらいがもっともしっくりくるようにおもう。もっとぶっちゃけた話、性的な深化は男女ともに30代くらいが最初のピークと推測されるので、若い女の子の利点はピチピチのお肌くらいかもしれん。それならソープへ逝け(by 北方謙三)ということである。ここまでは男性視点の話。
さらに、女性の視点をふくめて書けば、人間としての変化はとどまることがない、というのがある。これは男女を問わない。若いころには若いころなりの良さがあり、年を重ねるとそれなりの良さが出てくる。四季にも春夏秋冬それぞれのよさがあるが、春がなければ夏はないし、冬きたりなば春遠からじだ。サバやシイタケの食べごろは1回こっきりだが、人間の見どころは四季のようにうつり変わる。要はいっしょにいてまだ見どころがあるというのが大切なのであって、それを決める因子群は年齢をこえたところにあるのではなかろうか。
この医者はそこのところがまだ理解できていない。20代前半で女とつきあわずに勉強していたことは人生の喪失でもなんでもないし、20代前半で彼氏がいた女性が人生の貯金をつかいはたしたわけでもない。だから、この28歳の看護師さんも、人生を否定されたような思いにとらわれることなく、はじめて女性とつきあった彼に人生の彩りをそそいでともに歩めばよいのではなかろうか。
長くなってきたが、この医者の発言にうなずけない最後の理由は、彼のデリカシーの不足である。それを言っちゃおしめぇよというやつだ。
夫婦のあいだで収入や社会的地位の差が歴然としてあるとき、そのミゾに対する配慮義務があるのは収入や地位の高いほうである。年齢や家柄についてもそう。医師と医師でない人が結婚するときは、一般的には収入の差が大きい。そういうときは医師側は細心の注意をはらうべきだ。あほの子とかトドとか言うぶんにはただのケンカだが、「誰に食わせてもらってるんだ」的な捨てぜりふは相手の実存を否定してしまうことになる。そんなことは相手にもわかっているのである。でも、そこを衝かれると積み上げてきたものが崩れる。言ったほうと受けとるほうとでここまで重みが非対称な言葉もめずらしいのではなかろうか。そんなわけで、はてブの人びとが「カネ目当て女!」などと言うてるのはちょっと違う気がする。(特に看護師さんはいろいろな経済的バックグラウンドをかかえていることが多いので、この種の決めぜりふはタブーだろうな。)
いきなり私事になるが、わたしの彼女のよいところは、ケンカをしていても「致命的なひとこと」(あるいは捨てゼリフ)を回避してくれることだなあ。男女は別人格なので、あわない面もあればケンカすることもあろうが、致命的なひとことを回避して、あとはうまく収めてやっていけば、それなりに楽しめるような気がする。
※はてブで指摘があったけど、源氏の初のお相手は葵の上じゃないかとのこと。すんません、勉強しときます。
※id:ululun氏から妥当なコメントがあり、表題を修正。(22:07)
※はてブで再指摘:"この女性の価値が下がるうんぬんって、有名なコピペ"。へえ、そうなんだ。これ考えた奴は天才だな(悪い意味で)。(7/14 14:28)
※医師でもこんな高給ありえないとの指摘ちらほら。そうかなあ。精神科の当直なんてまったく呼ばれずに一晩40k、週末2日で180kなんてままあるのだが。当直先えらべば月100は十分可能。ただ、世帯をもったあとにそれを維持できるとは思えないのは確か。(7/14 14:35)
と言っても実際子供を産み育てるのは社会貢献になってるんだからしょうがないでしょ。
(不良になるかもとか犯罪者になるかもとか、アホな反論はやめてくれよ)
確かにひどい記事らしい。それに怒ったり批判したりするのもうなづける。
しかも毎日がつぶれるまでやると書いている人も多いみたいだ。
だけど毎日を潰そうと頑張ってる人たちは何が起きるかまで考えてるんだろうか?
結論から言うと毎日はつぶれない。理由は二つある。
一つ目だが、行政は大型倒産はもなんとしても回避するから。大企業がつぶれるとき、本社の数千人が失業するだけでなく配下にある全国の新聞販売店まで連鎖的に倒産してしまうから、これは社会問題となる。
二つ目は、大手マスコミがつぶれるというのはまずいと考える人たちが社会の各分野でたくさんいる。数え上げるときりがないけど、潰さないようにさせる力をもった人たちだ。
でも、もともと毎日は経営状態はかなり悪い。わかりやすい例として図書館で他紙と見比べてほしい。記事は読まなくていい、分厚さを見比べてほしい。毎日はダントツの薄さだ。日経なんかは一面広告を載せる数合わせのために記事を量産しているほどだが、毎日はスポーツ新聞に毛が生えた程度の量でしかない。これだけでも毎日の危機がわかるはず。
では、これ以上経営状態が悪化した場合、何が起きるだろう?
経営陣は交代するかもしれない。これは望ましいことだ。だが、もう一つ不可避のシナリオがある。
それは創価学会が資金援助をして、毎日が実質創価の傘下に入ってしまうことだ。
自力再建が無理なとき、現在既存のメディアも新興メディアも毎日を吸収できるだけの余力はない。外資は可能性があるが、これも以前のマードックのときのような摩擦があってすんなりいかない。
衰退気味のメディアである新聞のしかも経営の悪い会社に対して持続的に協力でき、しかも毎日に充分すぎる魅力を感じるのは創価学会だろう。
今でも創価との関係が強いのだから、実質傘下におさめるときはスムーズに進行できる。しかも、創価を止める力をもったグループは存在しない。
ネットを見てる人は騒いでいるが、今回の件はおじさんやおばさんのような一般人はほとんど知らない。
つまり創価が実質傘下に収めたとしても市井の一般人が気づくことはない。気づかないうちに論調は変わり、見えないタブーが紙面を覆う。
これからのスクープは赤旗のみになるんだろうか?赤旗のスクープは読んでて面白いけれど、世間への影響力が皆無に等しい。
批判は間違えていないけれど、結果として創価のメディアが一つ増えるだけだ。潰せ潰せと安易にがんばってしまうともっとひどいことが待っている。
関係ないけど、入社試験は案外面白いので貼っておく:http://www.mainichi.co.jp/saiyou/examination/index.html
朝からニュースで「クレームがひどい、なんでこんなに自分勝手な人が増えたんでしょう」とか言っててむしょうに腹が立ったので書いておく。
マスゴミって煽って思考停止するようなださい態度は取りたくないので。
ググってみたがぱっと見えるところにクレームが増加したかどうかは統計がでていない。でていたとしたら教えてほしいしいし、そのクレーム増加が自分勝手な人が増えたといえる証拠にはならないだろう。
クレームが増加したと仮定しても、それがなぜ起こりうるかといわれれば、それは自分勝手さではなくシステムの問題と識字率の問題じゃないだろうかと考える。
クレームが起きたのは役所だったらしいので、役所、それから商品についてのクレームを想定して書いておく。
一つはシステム。ユーザビリティとかユーザインターフェイスの問題で、消費者や利用者が扱う部分を単純化するだけでクレームは非常に減るはず。役所であれば手続きの簡易化。企業であれば一概には言えないが、商品の単純化。携帯電話などは契約内容の単純化が考えられる。説明も簡易化。
それによってまた別の層のクレーマー(たとえば商品であれば物足りない技術者層)は増えるかもしれないが、クレームをなくすことは考えない。減らすことを考えるとしたらこれは有効じゃないかな。
もしそれでクレームが変わらないようであれば、それは商品とかシステム自体に問題があると考えていい。そこはつくった側が責任をコミットしてくれなければどうしようもない部分ではある。
二つ目は識字率。技術者層からクレームが来ると言ったが、クレームは意外と頭がいい人間が行うのではないかと思っている。仮説に仮説を重ねて申し訳ないが、個人では統計など取りようがない。
だが、識字率が上がることで、自分への処遇が適切なものかどうかは判断できるだろうし、識字率があがると無根拠なタブーを破るという統計もあるっぽいし。
今までは庶民はアホだからと言って対応していたお役所待遇が識字率が上がることで急に理解できることも考えられる。
だから、クレーマーの増加量と大学進学率を比べて見るのも面白いんじゃないかなと思った。
と言うかデータをくれ。
10:25 追記
テレビで言及していた記事は確かこれだったと思う
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080702-OYT1T00154.htm
ブコメに対して、企業一社一社の対クレーム処理の費用を調べてもいいが、それが「自分勝手によるクレーム」の量と一概に相関があるとは考えられない。対クレーム処理費用の推移なんかを見ても同じで、企業が大きくなれば活躍の場も増えるし顧客の絶対量も増える。クレーム量も当然増加するわけで、信頼性のあるデータとは言えない。
で、質についても言及していなかったが、昔からたちの悪いクレーマーは一定数いただろうに、報道の増加だけでクレーマーだモンスターペアレンツだと言って回る態度がそもそも気にくわない。そのうちアルファクレーマーなんてのができそうな勢いだ。
気にくわないが、それに対してロジカルに説明しないと誰も納得しない。だから書いた。
13:55 追記
個人的には「クレームの増加=自分勝手な人間が増えた」とモラルの問題にしてしまうマスコミの態度を批判したい。
むしろアフォーダンスの立場からはシステムの問題だよね、システムがいいというのであれば理解力の問題だよねと言ったつもり。
クレームがある/ないの二値の話ではなく、クレームとモラルの相関に対してほかにどのような影響を及ぼす変数があるかを考えたい。
アメリカや中国でクレームが増加しているというデータがあるならそれを示してくれればいいし、それを識字率と照らし合わせておまえの理論は違うんじゃねえの?と示してもらいたい。
そしたら安心して寝ることができる。
ちなみに技術によってクレームの質が変わったというのは考えるべき点かなと思う。
車の普及が10年前の状態だったら役所にむかついたから車でつっこもうなんて考えても実行しないだろうし。