やっと観た。 期待しなかった分,落胆も少ないが,記号,記号,記号にあふれている世界だ。
同性愛者のマイノリティさについては今日,誰もが認識しているしタブートピックというほどでないにせよ,パーティ会話では取り上げられないぐらいの後ろめたさがあることは現実だろう。
このドラマに登場するレズビアンたちは個々の問題を抱えているが,それはストレートらにも共通する問題も多い。特に恋愛絡みのことは。しいて挙げれば,レズビアンカップルが子どもを持とうとする際の精子を提供する男探しの煩雑さと,片方が黒人と白人のハーフであるがゆえに生じる差別問題、共和党員の両親へのカミングアウトへ到るまでの葛藤ぐらいである。
最もショックを受けたのは,身体は男だけど心は女という白人の青年リサ(自分で名づけた名前)の登場する回だ。彼/彼女は,特別な才能に恵まれているわけでもなく見た目はごくごく一般的なアメリカの青年という態だが,バイセクシャルのアリスに心性はそこに登場する誰よりもレズビアンであると指摘される。
アリスは,レズビアン同士の絡まり合った関係性にやや疲弊してしまい男と女の単純なセックスを求める。
船上のレズビアンパーティで,二人はセックスしそうになる。リサは疑似女性器を装着しようとするが,そこをすかさずアリスが
「Well, because you're a man. You know? You've got the real thing. なんで,男なんだからあるじゃない本物が。」
と言う。
リサは
「That's not how Iwant to make love to you .あれでアリスと愛し合いたくない。」
と,拒絶する。しかしアリスは
「That's how I want you to, okay? あたしは本物がいいの。」
と,言い放ち,さらに拒否するリサに対して,強引にセックスする。
これはレイプではないのだろうか?合意の上とは言えないだろう。
この場面に私は強烈な不快感に襲われた。
女たちは,しばしば声高に男のマッチョな自己顕示欲を批判し蔑むが,それと同じことをしているアリスに対しては何の批判もない。アリスの独白にさえも。事が終わってから,やけにセンチメンタルな風に佇むだけである。この作品はスタッフも全て女性とのことだが,誰も自分の痛みにだけ敏感なことに,「否」を唱えるものはいなかったのだろうか。身体は男で心は女のリサの痛みに語る場面は物語の本筋とは異なるからだろうか。性的に最も弱者であるリサの姿が訴えるものは,道行く行進の列の前に居る老婆の嘆きと同じくらい無力だ。
アリスはその後自宅に招いたストレートの男を前に,リサが男に向かって
「I'm her lesbian lover!(恋人なのに,レズビアンの)」と言う。そしてストレートの男が部屋を出て行くと アリスはリサを罵倒する。
「You know,Imean, you do "lesbian" better than any lesbian Iknow. okey?見た目は男でもどんな男よりもビアンビアンしてる!」
「I dont want a lesbian boyfriend . I'm sorry. 悪いけど私は見た目が男のビアンの彼氏なんてほしくないの。」
「I want a boyfriend who's straight or Iwant a lesbian who's a girl. ストレートの男かレズビアンが良い,女のね。」
そして二人の関係は終わる。
その後,リサは登場しない。
自分がヘテロなのかバイなのかホモなのかを自問する機会は,ヘテロである限りはそうそう悩むことはない。
愛するという,人間として一番美しい行為となり得ることの前に立ちすくむ者たちがいる。
こういった状況を描くドラマを観たい。
リサが全身を整形手術して姿かたちが女になれば,この問題は解決するのだろうか。
だとしたら,なんとかなしいことだろう。
女の身体を持って生まれたレズビアンは,マイノリティであってマイノリティではない。
その作品は知らなかったし、今増田で文章を読んだだけだけど、その場面はレイプを意図して描かれていると思うよ。だから、製作者も見る者もその行為の暴力性に思い至っていないと思...
マイノリティーであるからマイノリティーに優しいとは限らない。というよりそうでない場合も多い、よね。マイノリティーの痛みを知っているなら優しくなれそうなもんなのに、むしろ...
はてな利用を今ひとつ理解していない節がありまして果たしてこれが良いのかどうかわかりませんが、生まれて初めてソトに向かって書いたものにコメントくださりどうもありがとうござ...