はてなキーワード: カレッジとは
日本語でもできない、っていうから別の問題かもしれないけど。
・新聞も大まかに読める。
「大体」「大まか」ってどのくらい? 分からなかった単語、フレーズを正確にスポットできる? つまり、「××」っていう単語がわからなかった、と認識して後で辞書を引ける? 自分は「どこが分からなかったかがちゃんと分かる」までにひとつ段差があった感じなので。スポットできてない時って、ちゃんと聞けてなくても聞けたところだけつないで何となく分かる気になってることがある。
裁判ものは独特の単語や言い回しを知らないとどうしようもないので、その手の映画を見まくったり小説を読みまくるしか。
発音についてはちゃんと習えば改善される。自分一人の力だと限界があると思う。ちゃんとした文章も、書き方のコツというのはあって、習うことができる。この2点については、もし英語圏にいるならコミュニティカレッジなんかでintermediateとかadvancedのESLのコースを取ってみるって手があるんじゃない?
その親とか熟練工から教わることはできるからね。
「中国はここまで発展しました!片側六車線道路作って、これから来る車社会に備えました!」
と大はしゃぎ。
俺は無知だから「へー」っつって、ツアー参加の老人たちは「凄いねー(棒読みなんだけどガイドには解らない)」。
あとでこっそり棒読みの理由を聞いたら、
「片側六車線って両側で12車線だろ、信号とか通行人、どうすんだろって話し。日本だったら地下に遊歩道作るけどね」だって。
あと別件で
「中国が物作り大国と呼ばれるようになっても少しも脅威ではない。
例えばネジ山1mm程度のネジがあるだろ、その頭が潰れた場合、本体隣に同じ大きさの穴を開けて新たにネジを嵌めて、頭が潰れたネジを取り外す技術ってのがあるんだ。中国がそれを出来るようになったら日本は危ない」
だって。
そういう集約された知の有無は、俺のような無知者の存在とは、それほど関係ない。
そもそも中国で大学というのは単科大学(カレッジ)であって、総合大学は最近になってようやく作られるようになったんであって、まぁスペシャリストはいてもゼネラリストはまだまだ育っていない。
日本は方針として(実態はともかく)ゼネラリスト育成に力を入れすぎてスペシャリストの存亡が議論されている。
まぁそういう感じだ。晩飯食ってくる。
72年生まれだが76年生まれが怖い。
若い人が怖い。なんか優秀な人がたくさんいる。
優秀すぎてディスカレッジさせることすら出来ない。
できるヤツは、いくら足引っ張られてもあがってく。
自分でも分かってるじゃん。
あと、そうやってあんたをディスカレッジしようと
画策してるやつもたぶん居るって事だなw
83年生まれだが、86年生まれが怖い。若い人が怖い。なんか優秀な人がたくさんいる。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
きっと、いいところに論文たくさん書いて、俺を抜かしていくんだ。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
無能が俺が生き残るには、ネガティブな発言をたくさんして、下の世代をディスカレッジさせるようにしないと。それが、正しい生き残り戦略だ、と俺は思っている。上の人間のディスカレッジに負ける人間は、結局のところ、優秀じゃなかったのだ。だから、一生懸命、下の世代をディスカレッジする。
Dunkan Black の The Theory of Committees and Elections に載っている、C. L. Dodgeson の投票理論についての業績の紹介が面白い。この本は 1998 に K. Arrow 以降の展開について増補した新版が出ているが、私が持ってるのは 1966 年あたりのもので、序文に Arrow の業績には触れないと書いてある。
おぼつかない英語力で読んだ限りでは、どうもオックスフォードの学部入学以来クライストチャーチ学寮の終生の住人であった Dodgeson は学内での決め事の改善を目的として独自に投票の理論を発達させたらしく、Condorcet らの先行研究はおろか、(統計の父といわれる) Galton らの同時代の研究も参照していなかった。Black が主張するその論拠というのがひどくて、ともかく彼は文学は読んでも同業者の業績を読まなかったし(とは E.T.Bell の主張)、Condorcet らの業績の含まれているクライストチャーチ唯一の(当然フランス語の)蔵書の封は(WW2後と思われる調査当時に至ってなお)切られていなかったとか、もういったいどんだけ引きこもりなんだよと。本当に絶対に見てねーんだろーなー?
それでも彼の(現存する唯一の、彼自身の所有していた)パンフレットには Condorcet の条件と同じものが現れていた。つまりこれは独力で同じ結論にたどりついたということだ。
なお Dodgeson は行列式の著書をものしたのち(これは『アリス』の次の本も、と所望した女王に献呈されたという真偽不明の笑い話があるくらいでよく知られている)、記号論理学の初期の研究にのめりこむ一方で初等課程向けの教科書ばっかり書いていて、要するに数学の研究者としては時代に先駆けすぎている上に怠け者であったようだ。
ちなみに Liddell 家(Alice の家族)の話も書いてあって家族ぐるみのつきあいだったとか、投票の理論の動機に連なる経緯も書いてあったのだが理解できなかった。
もちろんこんな面白い話は『きめ方の論理』には載ってなかった(‥っと思う、手元にいまない)。なぜかというと、Dodgeson の研究は後世に引き継がれることがなかったからだ。論理学の研究にしても、パズル的なものだったようで、Dodgeson を Frege あたりが参照するようなことはたぶんなかったのだろう(Smullyan は確実にネタにしてそうだ)。
面白さの質は Wittgenstein の火かき棒事件の顛末とか、そういうものに似ている。正直読んでいてアニメ「R.O.D.」の登場人物、読子さんの気分がちょっとわかった気がする。社会的選択理論はこの際どうでもよい。書痴に対する最悪の部類の釣り針であると思った。おそらく英国のカレッジ文化そのものがそうなのだろう。
知り合いの美大卒の人がいうには上位の美大に入れないならあまり美大に入る意味は無いといってたけど、まあ専門学校よりはアドバンテージはあると思うよ。
ただお金もかかるし受験のためにデッサン予備校に1,2年通わないと難しいだろうけど。あと美大に入って凄いがんばると大手にもは入れる可能性は大きくなってくると思う。大手は依然として大学信仰が根強いので(ただし上位の大学のみ)。
あとは1年制とか2年制の専門学校に入って死ぬ気でCGばかりやる方法だけど、意欲的にやってれば結構いけるんじゃないかな。ただ学校によっては生徒の半分もCG業界で就職できないから気をつけてね。知り合いの会社ではデジタルハリウッド校やWAOクリエイティブカレッジの生徒が増えてきている。
美大と専門以外の方法だけどCGなどのデジタルばかり扱っているデジタルハリウッド大学。このあいだ出来たばかりの特殊な大学なんだけど、出来たばかりでまだ卒業生がいなくて未知数すぎる。会社のバイトの2人がここの大学で、結構出来る2人だよ。(これは大学というよりもその人の特性なんだけど)
技術的の事が好きならプログラム情報系のある大学に入ってc++とかスクリプトでCGのプラグインなんかを趣味で書いて、更に美術部に入るっていうのは相当使えて面白い人間が出来ると思う。
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
多分出来た。
(※脱ヲタ=服に気を遣うようになった、程度だと思ってほしい。ヲタ趣味は捨てないほうがいいよ。捨てる方がださい)
以下、夏限定だからあしからず。
(季節だけでまるまる一エントリーとっちゃうからね)
いかに「普通」「おしゃれに無関心ではない」ようにに見えるかをとことん追求したので
「普遍性」という面では全く持って負ける気がしない。
残念ながらカジュアル限定なのでそこは勘弁してくれ。
「街を普通に歩ける」
「後ろ指指されない」
「『いつも●●着てるよね』と言われない」
「違和感のなさ」
あたりが重要だと感じたからほんと初歩の初歩だと思う。
で、これからまとめるにあたって「アイテム」だの「トップス」だのといった用語は避けて書く。
ポイントをまずまとめる。
有線度を不等号使うと
1>>>>>2・3・4・5>6>7
て感じかな。
1は最低条件。
これは自身の経験から確信を持って言えるが、2・3・4・5さえできれば
では個々を。
靴はコンバースオールスターでもいいけど、かぶりやすいのでもし気になるなら個人的にはアディダスのカントリーあたりを勧めるからそれ履いてオサレっぽい美容院行け(まともな靴持ってる奴はごめんな)。会話絶対きょどるけど気にするな。行かないと一生そのままだからな。俺が保証する。普通に茶髪(染めてると分かるくらいの)にしてもらえ。黒髪は痩せてて綺麗な肌じゃないとほんときつい。
あ、太ってる奴いたらごめんな。痩せてから読み直してくれ。実はダイエット経験もあるんだが食ったもののカロリーを「必ず」記録するってのを習慣化すると自然と「間食しなくなる」からな。あと朝>昼>夕と食う量減らしてな。夕食は野菜スープ大量に食って茶漬け一杯。数ヶ月で10キロ勝手に痩せてたからな。間食したらアウトな。あ、話がそれた。
そのまんまだな。
ならなんでもいけるはずだ。カバンも同様。
あーそりゃ例外もあるからね。
例外だらけで経験で痛い目みたりしないと覚えないのが面白い。
紺とか紫のスニーカーは案外難しいからね。でも基本はそれ。
そのまんまだな。
もう全部スニーカーでいいよ。
買うのは白(レザー)と白(キャンバス地)と黒(バンズのオールドスクールとかいいんじゃないかな)
まあ、「白系二色+黒系」とあればかなり着回しが効く、
かつ白系も素材(もしくは大きさ)を変えると幅が広くなる、て感じかな。
余力が出来たら茶色とかグレーもあるとオサレっぽいよ。
例で挙げたのは定番も定番、「似合わない奴はいない」レベルの神靴だけだから
履いてる奴も多いでしょ?
だから、もしかぶるの嫌ならかぶらないの買えばいいと思うよ。
それだけでオサレっぽいからいいと思うよ。
帽子はキャップとキャスケットとニット帽で色はグレーとかカーキとか茶色とか紺とかヒッコリー模様がいいと思うよ。キャップはメッシュキャップもあればいいと思うよ。だいぶ疲れてきたよ。
白っぽいのと黒っぽいのがあればいいと思うよ。
茶色で革製とか超かぶりやすいから要注意だからファッション誌の特集とか読めばいいよ。
(ファッション誌なんかをイケメンの店員から買うのは難しいと思うからおばあさんかおっさん店員のいる店で買おう。デイリーヤマザキとかマジお勧め。あ、ファッション誌はできるだけ早い段階で買った方がいいな。普通にスマートとクールトランスとファインボーイズあたりが内容・表紙の買いやすさともにいいと思うよ)
カバンだけで一エントリー書けるから後日書くかもしれないと思うよ。
色は夏なら薄いほうがいいかな。
かといって白が増えすぎるとツマランので近い色を色々買うといいと思うよ。
以下、あくまで夏の色です。
(このエントリーは全体的に「●●も●●で合わせたら●●だよー」とかいう意見がいっぱいあるだろうけどごめん細かく書くと本みたいになっちゃうからしんどいからやめるよごめん!例外も多いけどまずは基本を熟知しないと違和感のある色合わせ・サイズ合わせしてしまうから危ないんだよ俺がそうだったもん)
あ、ズボンはね。
普通に街歩いてて「一番よく見る」「一番違和感がない」のをよく観察して似たようなの買えばいいよ。
迷ったらそこらへんのジーンズ屋で「リーバイス501の細めのやつもしくは505ありますか」と言えばいい。
よく分からなかったら「普通」「細め」「派手ではない」あたりを強調しておこう。
あえて言えば一つはワンウォッシュでもう一つは「軽め」の加工が入ってるやつにしよう。
どっちも細いほうがいい。最初は。スキニー(めちゃくちゃ細い)はやめとけ。
他は冒険しないと覚えないかもな。それについては後日書きたい。
反響があれば。ないなら書かない。
で、これらの要素をできるだけかぶらないように買うのが面白いし難しい。
そりゃね、
白だけで「ラグランのやつ」「ボーダーのやつ」「ストライプのやつ」
グレーだけで「ラグランのやつ」「ボーダーのやつ」「ストライプのやつ」
て揃えられたらいいんだけど金あればね。ないなら違う色を新たに買うときに形状とかも変わったのを買う、とかするといい。
めんどかったら全部「ふつーのTシャツの色違い・模様違い」とかでいいよ。
まあ、上述の通りだな。
まあ、すげえ目立つのな。どうしても。
その色に全体が食われてしまうのな。
「赤がうるさい」なんて俺は個人的によく使うな。
貧相だからな。
あと暗い表情をしないことも付け加えておこう。かといってニタニタはきもすぎるのでしない、
つまり楽しい予定があれば自然といい顔になるがそれを「意図的に」作ることもできる。
まー俺も一人を楽しめるようになってからだな表情が明るくなったのは。
ファッション自体が楽しくなればそうなるから好循環なんだけどね。
ちょこっと追記した。
最後に一つ。
高級感のない顔がちょっときれいめな格好すると必ず違和感を感じるから注意な。
フォーマルな場なら仕方ないんだが、普段着では顔にあったもしくはキャラにあった服装を模索しておこう。
よくわからんならググったら腐るほど出てくるからな。
個人的には「その人にあった格好」をしてるのがオサレだと思う。
あくまでカジュアルな場だけどね。
1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51
「ちょっと」を毎日。
- 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
- 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。
- 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。
- 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。
- とにかく結果を焦らない。落ち着けって。
- 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。
- ちょっとだけやる。「ちょっと」が超大事。
- ダイエットしようと思って、いきなり5キロ走るから辛くなる。初日は着替えて玄関出るところで終了。
- だけど、やろうと思ったらその日のうちにやる。絶対やる。1歩踏み出すだけでいい。
- 今日行動を起こさないと、ゴールにつくのが1日遅れるよ。
- あんまり遅れると、そのうち門が閉まるよ。
バイオリズムに逆らわない。
最初にここまで読んだとき、よくあるポジティブ・シンキングのメソッドの一つだと思った。それで長すぎるので読むのやめたのが、何時の間にやら4桁に達するブクマがつくお化けエントリになっていたのであった。
実録・自己責任教の信者たち - HINAGIKU 『らめぇ』は元エントリも、それに異を唱えるd:id:fromdusktildawnもひとしく自己責任教であることには違いがないと喝破している。
なるほど、どちらも「成功するためには何をすればいいか」ということを問題としている。そして、guri_2の「地道な努力」とfromdusktildawnの「効率的な、正しい努力」のどちらが正しいのかはかなり哲学的な問題であって、一意の答えがありそうではない(というか、fromdusktildawnの言う努力も本人が考える以上に地道なものである。「最小の努力」などと言っておきながら、「意識を研ぎ澄まして」、「目を皿にして」チャンスを捕らえろ、などという。結局たゆまず努力するしかないのだ)。
さて、guri_2のエントリに戻って、先の引用の部分以降を読んでいくと、いきなり
気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。
とあって、驚く。「イメージと現実をごっちゃにしない」はずではなかったのか。日照りが続くのは自分たちが神様に生贄を捧げていないことが原因、って原始人かよ!
その後の「何かのせいにしない」も、全ては自分のせい=自己責任ということになるだろう。
それにしても「とりあえず100万円は貯めておく。余裕が出る」と言っておきながら、y_arimのコメントに応答して、
ただ、月並みですが電気ガス水道をたびたび止められ、狭い部屋で共同生活しながらも夢を追いかけている友人を見ていると、デッドラインはいくらもで下げられるのでは、と思ったりします。
というのは何なのか(実は見当がついているのであるが、ここでは言わない)。そのほか、アドヴァイス間の矛盾が多々ある。
さて、それでもコメント欄やブクマには「勇気がでました」という反応が見られる。それ自体は良いことである。こうした自己責任教がどうして人をポジティブな気持ちにさせるのか。
アル・ゴアの『不都合な真実』を見た人は「不都合な真実」を見せ付けられたにも関わらず、絶望は感じなかったのではないか。それはゴアのエンカレッジメントの上手さがある。深刻な環境破壊の現実にも関わらず、ゴアはフランス人権宣言、リンカーンの奴隷解放、ロシアの農奴解放、ガンジーの非暴力主義による植民地解放運動などを引き合いに出し、「人間はこれまで不可能と思われてきたこともやってきたじゃないか」という。こうした楽観主義が観客を勇気付けるのだ。つまり、人間には環境問題に取り組む「責任」もあるが問題を克服する「能力」もちゃんと備わっている、「能力」があるからこそ、それに応じた「責任」を負うのだ、ということを指摘する。
同じような現象がguri_2のエントリにも見られる。つまり、エントリに勇気付けられた人は(エントリを見るまでは勇気がなかった人であり)、そこに自分の底力、潜在能力があることを発見したのである。「自分はまだまだ頑張れる」のだと。自分に自分の人生をコントロールする能力あるからこそ「人のせい」にはしないのだ。
逆に考えてみよう。自分のおかれている立場が自分以外の「何かのせい」だとすると、それをコントロールする能力はないし、そのことに本人が責任を負う必要は無い。誘拐犯に拉致され監禁された人間が、脱出できない自分が悪い、とか「もっと注意して歩いていれば」などと考える必要がないのと同じことである。
ところが、最近では(イラク邦人拉致事件で明らかになったように)上記のようなケースにすら、自己責任を適用しようとするのである(性犯罪被害者への「夜道を歩いていたのが悪い」というような、セカンドレイプはそのはるか以前からあったが)。
ここにguri_2の問題点がある。「何かのせいにしない」、「自分が原因です」は無前提に使用できる言葉ではないのだ。
何か重大な不幸がその人を襲ったとき、「自分が原因だ」、「自分が悪い」と考えること、それは普通ネガティブ・シンキングというのではないか。「自分の家族が不幸せなのは自分が原因だ」、「自分のチームが成果を出せないのは自分が足を引っ張っているから」、「子供が難病にかかったのは自分が墓参りを怠ったから」……。こういった思考法が容易にうつ病や自傷行為・自殺、カルト宗教への入信といったさらなる不幸をもたらすことは想像に難くない。もっとも、guri_2は「そんなときもあるさ」(これは明らかに失敗を何か運やツキのようなもののせいにしているのだが)とか「できないことが多くてもくじけない。続けていれば必ずできるようになる」、「だってオレも↑これの9割方できてないもん」という安全弁を用意してはいる。
しかし、無制限な自己責任論が過剰に自己処罰的な傾向を生み出すということにはもう少し敏感であるべきではなかったか。テレビドキュメンタリーに登場する若年ホームレスやネットカフェ難民が一様に抑うつ状態にあって「自分が悪かったからこうなった」と発言するのをguri_2はどう見ているのだろうか?
俺さー芸人になったらさぁー相方見つけてさぁー「マルチチュード」っていうコンビ 名でデビューしたいんだよねぇー。「どうもー!マルチチュードでーす!」みたいな 感じで出てきて「ネグリ君一号でーす!ネグリ君二号でーす」とか、もしくは「どう もーマルチチュードネグリでーす。ハートでーす」みたいな感じでさ、基本的にネタ は左翼パロディネタばっかなの。 で、たまに真面目な政治批判を繰り広げつつもシリアスになり過ぎないっていう ね。ってことで相方は相当教養のある人じゃないといけないわけだけど、悪くないと 思うんだよなぁー。あと妙にアカデミックなネタとかね。「ききききさまぁー!!さ ては修正主義者だなぁ!!」とかさ、そんな感じ。 分からない人さっぱり分からないみたいな。で、この修正主義者ってのも実際はAVに モザイクは必要か否かみたいな議論をペダンティックな語り口調で進めていくんだけ ど、相方が「やっぱり倫理的にモザイクは必要である」なんてことを言ったときに、 さきほどのツッコミを俺が入れるわけ。 ただボケ突っ込みっていう役割は無しで、基本的に両方ボケて突っ込む感じね。別に 笑い飯のパロディとかじゃなくて。悪くないと思うんだよなぁー。あとは相方だけな んだよなぁー。あとハワード・ジンのソーホーのマルクスを下地にしたマルクスとバ クーニンの言い争いをネタでやるとかさ、悪くないと思うんだよなぁー。アイデアは いっぱいあるんだよねぇ。世界の左翼テロリスト集団カルトQとかね、片方が司会者で 片方が回答者で、プロジェクターかなんかに世界の左翼テロリスト集団のロゴを出し て早押しとかさ、もう絶対テレビ放送無理みたいなネタばっかなのね。あと日本共産 党ネタとかもいいかもね。すげーシニカルに繰り広げていくわけ。 で、ネタを見ると日本共産党のナスティな歴史が分かっちゃうっていう、笑えて勉強 にもなるみたいなね。共産とか左翼っていいお笑いネタになると思うんだけど、誰も やってないんだよね。せいぜい思いつところだと駕籠真太郎ぐらいかな。漫画家だけ どね。拳を上に上げて「レボリュースィオン!」とかいうのを一発ギャグにしたり ね、キャッチーでもあると思うんだよね。分かりやすいっていうか。 あと過去の独裁系共産主義者を連想したネタとかね。ようは毛沢東と側近とかを想像 で演じちゃうわけ。スターリンとレーニンのやりとりとか、ポルポトと側近のやりと りとかね。あんまお笑いって放送できるできないでリミットがかかるべきじゃないん だよね。だってお笑いって表現なわけだから、作る前にセンサーシップのことを考え るなんてのは完全にリミテーションですよ。 そんな意味でも鳥居みゆきのことが心配でしょうがないわけですよ。テレビってーの に巻き込まれるとダメになりそうで。ようは本人の意思に関わらず無理やりテレビで 放送できるような感じで編集されちゃったり、全然テイストが出せないような無駄な 企画やらされたりとかさ、そういうので才能を潰しちゃいけないのね。ただテレビっ てどうしようもないからダメなんですよ。そういうのが。全然才能を生かせない。だ から本当にやりたいことをやるならラーメンズみたいになるしかないわけ。セルフプ ロデュースだよね。ようは。 で、テレビに出るのはCMとかちょっとしたインタビューとか、ようはお笑いの部分は テレビではやらないわけ。あとやっぱ本人が繊細そうだからダークなテレビ業界のや りとりに巻き込まれて精神的にダメになったりしないかな?って不安なのね。基本的 にフォークダンスの桶田がそんな感じだったらしいじゃん。精神を病んでたわけじゃ ないけど、テレビ業界にうんざりしてお笑いに興味がなくなっちゃったっていう。 本質的な人こそああいう俗っぽいものを嫌うしアダプトできなかったりするからさ、 結果的にその才能をテレビ側が生かせないどころか殺しちゃって永久に失われちゃっ たっていうようなさ、本当にフォークダンスは悲劇ですよ。もう残念でしょうがな い。あんなことを二度と繰り返しちゃいけないから、だからっつって俺が何を出来る わけでもないんだけど、基本的にお笑いファンも昔松っちゃんが書いてたお笑い指 数っつーかお笑いレベルじゃないけど、お笑いレベルが高くないと需要も低くなっ ちゃうっつーか客が程度の低い笑いを要求するようだと本物たちがテレビでやりたい ことができなくなっちゃうわけ。 ようはレベルの高いデマンドが必要ってことなのよ。だからホント、うちの妹とかも 口癖のように言ってたけどお笑いってのがブームになるとホント、質の低いつまらな い芸人ですらテレビに出られるようになってさ、で、その業界に寄りかかろうとする ダメ芸人が本当に増えるわけじゃない?で、結果的にそういう悪循環がお笑いの全体 の質を下げちゃうっていうようなさ、それって最悪だよね。 だから常に鑑賞者側はお笑いに対してレベルが高くなきゃいけないし批判的じゃない といけない。お笑い番組見ててクソつまらねー芸人のネタとかで笑ってる客とか見て るとぶっ殺してやりたくなるんだよね。ホント、その存在自体が邪魔だから死んでほ しいって切実に思うもん。 それっていつも書いてる音楽シーンとかに置き換えることが出来るんだけど、基本的 にやっぱね、レベルの高い鑑賞者っつーかデマンドが無いと、本物を発信してる側の 活動場所がなくなっちゃうんですよ。それが一番マズイのは、本物の活動場所が無く なることで、才能が失われちゃうってことなわけ。ところでエレクトロニカとか前衛 系に言えることだけど、なんだかんだですげー排他的で若手育成みたいなのやらない じゃない? で、有名レーベルはいつまで経ってもベテラン勢の作品ばっかリリースし続けるって いうさ、ああいうプログレッシブな音楽やってるように見えてレーベルの体質が保守 的だとね、それ自体がダメになるのよ。つまらなくなっちゃう。 ただ大半のレーベルはそういったことに意識的じゃないから勝手に腐っていくんだけ ど、例えばさ、ELMAって昔、ちょっと関わりがあった鳥取でノイズやってる人なんだ けど、未だにこの人以上のハーシュノイズって聞いたことないんだよね。はっきり いってハーシュって意味だと今のメルツを平気で越えてるし、クオリティは世界レベ ルなんだけど、なんで大手のレーベルから何かしらのコンタクトが無いわけ?マイス ペースとかあるんだからさ、誰かは見てたり聞いてたりするわけじゃない?で、なん でELMAの新作が割と有名な電子音楽系のレーベルから出ないわけ?ELMAが無理だっ たらSMKなんて絶望的ですよ。はっきりいって。もう嫌なのね。ああいうの見てる と。ELMAみたいなのが有名にならないこの現状。 なんなのよ?みんなの耳は節穴か?ちゃんとみんな音をちゃんと聞いてるんだろう か?全くさぁーホント、ちゃんとした芸術家達が本当に食えない時代になってる なぁーって思うよね。いつの時代もそうだったかもしれないけどさ。 俺に金があったらホント、最高のレーベル経営できると思うんだよね。経営っつーか まぁ人材発掘ね。経営は他に任せたほうがいいや。経営っつーか運営っつーか。とこ ろで岩村学って今、何してるのかな?全身にニートっつーかヒモみたいなオーラがあ ふれ出てた人だったけど、ああいうヒモ系の作り手って嫌いじゃないんだよね。ミラ ノ在住っつって何して食ってるの?っていうああいう雰囲気。 あのなんだっけツジコとかとやってる青木だかなんだかってやついるじゃん?あいつ もすげースポイルチャイルド系の雰囲気出てていいんだよね。音楽的にはさっぱり好 きじゃないけど人間の雰囲気が好き。ああやって親とか愛人から金をもらってやって ける連中はいいけど、そうじゃない人達も大勢いるわけだから、アートシーンっての がそういう人達のケアをしてあげないとダメなのよ。それは国が保護しないとダメだ と思うね。 ニューヨークってそういうシステムあるらしいじゃんね。まぁ相当限られてるとは思 うけど、でも無いよりはマシでしょ。基本的にでもそんなのね、文化の一つなんだか らシリアスに保護しないとダメよ。保護っつーかサポートっつーかアーティスト達が やっていけるようなシステムが必要なわけ。 ところで今朝、なんか妙に呼び鈴が鳴ってるような気がするなって思ったら案の定、 誰か来てたんだけど、ドアにチラシが挟まっててさ、それがエホバの証人だったの ね。しかも日本語。ようは日本人向けの勧誘をニューヨークでもやってるってこと だ。あー怖い。ニューヨークは統一教会の本場みたいな感じだけど、あんな暴力教 団、国が規制をかけないとダメでしょ。エホバはともかく統一教会なんてあんなもん 強制的な解体をさせないとダメよ。 何が言いたいのかっていうと、ラガ系の人がエホバって言うときは恐らく「ジェホ バ」って感じなヤーマンな発音になるんだろうなってキットカット食いながら思った んです。今朝。もう明らかにモト信者の証言から暴力とか洗脳があったってのが明ら かな教団があるのに、なんで国はキチガイ教団扱いをしないんだろう?あんなもんの 存在を許してたらね、よりどころの無い人達がガンガン入信して不幸になっていくん だからね、ダメですよ。禁止しないと。 こういうの禁止しないでガンジャ禁止してるんだから世の中ってのは狂ってるよ なぁー。だったらガンジャ教みたいなの作ればいいのに。もちろん名前は「ジェホバ の証人」ね。挨拶はみんな「ヤーマン」。持ってきた?っていうブリングとブリンブ リンをかけて、教団内ではみんな「ブリンブリン」言いまくってるっていう、極めて ラスタな環境にあるわけよ。とっととオランダみたいにさ、ガンジャなんて解禁す りゃーいいんだよ。どんだけの泉じゃなくてどんだけの人が救われるか分かってんの か?マジで。 ガンジャがあるだけで凄まじい境遇の人もガンジャだけを心のよりどころにして生き ていけるような人も出てくるのかもしれないのに。もちろん酒みたいに逃げになっ ちゃいけないけど、でも救われる人は相当多いと思うんだよね。労働者が「この昼休 みの一服のために働いているようなもんなんです」ってタバコのことを言うけど、こ れがガンジャでもいいわけじゃん?まぁ作業中はマズイから仕事終わりとかに「一杯 行く?」じゃなくて「一服する?」みたいなさ、酒みたいに中毒にはならないんだ し、少量でブリンブリンになれるわけだから、あれほど機能的なものはないわけよ。 全くタバコとか酒とか許してるのに、なんでガンジャが禁止されてるんだか意味分か らないよね。政府が国民に苦しめって言ってるようなもんでしょ。これは。 ところで練馬ザファッカーのさ、キラキラしているやつを総称で「ブリンブリン」っ て言うって言ってたけど、あれをガンジャトリップのブリンブリンのメタファーって のに気がついてる人少ないんだろうな。日本ってマジでドラッグについての教養が全 く無いからね。そういう意味だとアメリカは凄いよ。やっぱ歴史があるからみんな詳 しい。少なくともマリファナを鼻で吸うみたいに思ってる馬鹿はいない。ガスパンが 流行ってるとかいってさ、ああやってちゃんとドラッグに対する教育しないから馬鹿 なことするやつが増えるんだよね。ケミカル系の危険性も分かってないで乱用するや つがいるってのは教育がなされてないってことでしょ。あえて選んでケミカルやって るやつならしょうがないけど、基本的にトリップしたいんであればガンジャで十分な わけよ。 で、コークとかLSDとかの副作用っつーかダークな面を知ってればさ、明らかにあの 取ったときの「スッコーン!」って感じよりディスアドバンテージのほうが多いっ つってやらないやつが多いはずなのに、やるやつがいるってのは問題だよね。さっき も書いたように、ちゃんと知識があってやってるなら選んでやってるからしょーがな いやつになるわけだけど、分かってなくて興味本位でやってるのってマジでヤバイよ ね。 学校で「ケミカルは中毒性があって脳がダメになるから絶対やらないこと。やるなら ガンジャにしなさい」って教えれば相当ケミカルの乱用は減ると思うんだけどねー。 で、ガンジャを合法にしてタックスでも取ればさ、国益になるわけじゃない?なんて 幸せなタックスだろうね。ガンジャ税だなんて! でも分かるよ。あんな閉塞した社会で薬も酒も無いんじゃやってられないよね。だか らなんつーか若者がアノミー状態に陥っちゃってて、ドラッグに手を出すぐらいしか 脱出する方法が無いっていう、あの社会状況がマズイわけで、それはニートもネット カフェ難民も一緒でしょ。 全面的に彼らが悪いんじゃなくて、そういった人とか循環を生み出す社会構造に問題 があるわけでさ、その人達を批判するのはお門違いもいいところだよ。うちのオヤジ がこういうお門違いな批判をしているんだけど、まぁオヤジみたいな世代の人はああ いう観点でしか物事を考えられないんだろうなっていうのは凄く思うし、親父には悪 いけど、ああいう考え方をする上の世代の連中が多いから、いつまでたっても問題が 解決しないどころか、若者とおっさん世代のコンセンサスの乖離ってのがガンガン進 んでいくわけだよね。 基本的に社会を動かしてるのとか会社の上の連中とかって大体おっさん世代でしょ。 で、おっさん世代の考えが古いんで、前に書いたマテリアルカルチャーとノンマテリ アルカルチャーのカルチャーラグじゃないけど、基本的に社会を牛耳ってる連中たち の考えが古いんで、社会構造が変わらなくて、マテリアルカルチャーとの差が出てき ちゃう。だったらとっととおっさん世代は引退して次の世代に役割を任せなきゃいけ ないっつーか、そのためにも若者の雇用と雇用後の社内での教育ってのが必要なの に、人件費削減だとか馬鹿なことを抜かしてやがるから若い世代が育たないっつーか アノミー状態になっちゃう。ね? 全然難しいことじゃないでしょ。いかに社会が若者達に対して理不尽に回っている かっていうのがね、凄まじくクリアなのよ。だからニートだとか若い世代にワーキン グプアなんてのが出てくるのはある意味で必然なわけで、全部を結びつけるわけじゃ ないけど、アノミー状態というのは色々なネガティブなことを生み出す原動力になる わけだから、っつーかさっき書いたドラッグ問題も含めてね、まぁあと犯罪とかの原 因の一因でもあるよねっつーか一刻も早く環境の改善が必要なのに、なんかシリアス に取り組んでる感じがしないんだよな。 あとさっきも書いたようにおっさん世代と若者世代との意識の違いってのが凄いで しょ。で、おっさん世代は若い世代を批判してばっかいるからさ、悪循環が終わらな いのよね。すげーもったいない状況にあると思うんだよ。日本は。さっきのアートの 話も含めて基本的に社会が殺している才能とか人材ってのが凄まじく多いと思うの ね。教育は馬鹿を増やして、社会は優れた人を育てないっていうような、お金でヘド ロ買って家を埋めてるみたいな、そんな非建設的な状況がもうずーっと続いてるよ ね。 だからね、若い世代が「もうくだらねぇ。こんなのやめだ」って思うのは当然なの よ。まぁ全部の若い世代じゃないけど、でもそう思ってる人多いと思うんだよね。俺 はああいうアホな社会のおかげで批判的な目がより養われたというのもあるから、 まぁ日本社会ってのは究極的な反面教師だったし、今でもそうであるわけだけど、 まぁでも俺も逃げ切れたわけじゃないからいまだに怖いんだよね。 杉並区が中野区を飲み込むかのごとく、日本が俺を侵略してきそうで怖いのね。だか ら俺は逃げ切らなきゃいけない。うわー怖い。マジで。常に走ってるような気分だ。 そう思うとランナウェイ。ましてや日本って侵略が十八番だからね。そういえば社会 学の先生がまぁ話の文脈のディティール書くと面倒なんでやめるけど、人種のキャラ クターっつーか歴史を語るときに「日本はまた特殊な国なのよね。しょっちゅう戦争 してた国だから、バトラーの血があるでしょ」みたいなことを言っててさ、これは別 に日本の侵略戦争のことじゃなくて、恐らく戦国時代のことを言ってたと思うんだけ どでもあれだよね、日本人って平和を愛する民族だなんてあくまで戦後の話で、実際 は凄まじい血みどろの歴史がある国なんだよね。 日本って。だから全然なんつーか農耕民族でもなんでもなくて、みんなウォーバト ラーだよね。みんなじゃないけど。そういう見方ってのを全然してなかったから、 ちょっとパラダイムが変わったね。俺の中で。ようは俺の中で日本人って民族的に野 蛮っていうイメージが無かったんだけど、でも野蛮っつっちゃー野蛮だよなって思っ たわけよ。 まぁ武士とかサムライとかっていうとかっこいいかもしれないけど基本的に戦士じゃ ない?戦士=野蛮ってわけじゃないけど、でもまぁ平和的ではないわな。ようは戦 士っぽい血を引いている部分も相当あるというのには全面的に先生に同意だなって 思ったんだけど、やっぱこれって教養のある西洋人からの観点じゃないとなかなか見 えてこないことなのかなとか思ったわけね。 そう思うと今後が楽しみでしょうがないな。どんだけパラダイムが広がっていくんだ ろう?あー楽しみだぁー。まずその前に算数やらないといけないけどさ、でも楽しみ だよねぇー。でもあれだよ、やっぱさ、客観性ってのが重要で、いくら自分が色々な ことに懐疑的で批判的な人間であっても基本的に日本人について悪く考えたりしない わけだけど、この社会学の先生の視点というのは、事実はさておき、ようは客観的な 視点でしょ? ただ俺は日本人だからやっぱ当事者としてなんつーかあんま日本人ってことを否定し たくないっつーか良く考えたいみたいに思うところがあるんだけど、これは物凄く危 険な視点なんだよね。ようは愛全般がそうよ。恋は盲目とかいうけどさ、基本的に恋 人とかに限らず、自分が好きなものに関しては入れ込んじゃってるから批判的になれ ないし、客観的になれないんだよね。 ようは凄まじく主観的でガーッってそれに入っちゃってるっていう。それが趣味とか ならまだしも、それが歴史とかになってくるとマズいんだよね。それこそ歴史修正主 義じゃないけどさ、日本の都合のいいように歴史を塗り替えちゃうっていうさ、まぁ 昨今の盲目的なバカバカしい愛国心の台頭にも言えることだけど、客観的ではない批 判的ではない見方なんてのは大概危険よ。 やっぱ。そんな意味だとっつっていつもアメリカとの対比になっちゃうけど、こっち で勉強してて目立つのは、よく先生が特にリーディングとかの授業だと「批判的でい ろ」って言うんだよね。ようは何かを読むときでも読むだけではなくて、書き手がど ういう人間なのか?例えばアメリカの保険制度について書いてある記事でも書き手が 保守系のシンクタンクから来ている人間なら、それは保守側の意見で書くだろうしっ つーかそういう記事が実際あったんだけど、ああいう教育を幼い頃から受けていれば さ、全然違うよなって思ったわけ。 ましてや記事の書き方とかオーガナイズとかの仕方も批評するんだから。これはちゃ んとまとまってるか?とか要点がクリアかそうでないか?とかさ、俺ってまぁ中学以 来学校行ってないけど、でも中学まででこういった読み方の教育を受けてきた記憶が さっぱり無いんだよね。 勝手な思い込みだけど、一般的に日本ではこういったクリティカルリーディング的な 教育は広くは行われてないんだろうなって凄く思ったんだけど、ようは批判的である とか懐疑的であるってことは別にそれが左翼的であるってことじゃなくて、常にモノ を考えながら何かを捉えるっていう一連のプロセスの一つなわけで、そこに政治的な イデオロギーなんてないわけ。俺が左翼臭いって言われるのは本当に分かるんだけ ど、そんなこといったらニューヨークなんて基本的に左翼臭いんじゃないか?とかっ て思っちゃうね。 特に社会学なんか凄いからね。アメリカ批判も平気でするし、アメリカ政府の暴露話 とかも授業の脱線であったり、教科書にもアメリカ政府に対して相当痛烈なことが書 いてあったりするからね。それに比べて日本って何なんだ?って気が本当にしてくる ね。教科書を日本の都合のいいように改ざんするなんて愚の骨頂だよね。少しはアメ リカ見習えって思っちゃう。 ただ基本的に思うのがまともに俺の今受けてる社会学の授業ね、あれを受けてたらみ んな左翼的になるよ。だって社会学の教科書もそうだし、先生もグローバリゼーショ ンには否定的だし、ましてやナイキとかギャップとかのさ、ようはDeindustrialization とかさ、 downsizingみたいなことがガンガントピックで出てくるし、労働力の搾取な んてのがあからさまに書いてあるわけだけど、別にこれはマルクス主義とか共産主義 みたいなドグマに立脚したようなものではなくて、あくまでグローバリゼーションの 弊害の一環として、社会分析として書かれているわけだけど、果たしてんじゃあこれ が左翼的か?っていうとどうかなぁ?って感じするでしょ?左翼も何も当たり前の事 実っていうかさ、それを認識するだけのことなんだから。 ましてやアメリカのパトリオットアクトについてのまぁ割とドライな分析と割と批判 的な分析なんかも教科書に載っててさ、アメリカの教科書ってこんなにレベル高いん か?って関心しまくりだったわけよ。政府からクレームこないのか?ってぐらいなこ とが書いてあるんだけど、そこはさすがになんつーかインディビジュアルアクトに対 する自由がやっぱりまだまだ保障されているアメリカならではなのかなって気がして きて、このフリーダム具合と比べると、日本って独裁共産国みたいな感じだよなって コントラストで凄く感じちゃったね。 で、日本の保守が共産主義に対して批判してるんだからお笑いだよね。実はてめーら が一番封建的で右翼的な共産主義的ドグマを信望してるんじゃねーかって思っちゃ う。一部の保守が言ってることってツァーリズムとあんま変わらなかったりするから ね。んだったらロシアにでも亡命すればって思っちゃうよ。日本の保守見てると。あ んなの保守の風上にも置けない感じがして、ちゃんとした保守の人達が本当に迷惑し てるんじゃないかなって思ったりちゃうよね。 だからいつも俺が金玉を酸っぱくして言ってるのが、馬鹿でもとりあえず保守的でい るよりかは進歩的でいたほうがまだマシってことなわけ。馬鹿が石原をサポートする より馬鹿がデモしてたほうがまだマシ。やヴぇーな、サービス精神旺盛になってき ちゃってる。もうそろそろやめようかな。っつーかね、昔と違って書こうかなって 思ったこと全てを書けてるわけじゃないんだよね。一応、やらなきゃいけないことが あったり、占領されてる時間があったりするからさ、そういうので中断されると思考 が止まっちゃうわけよ。 で、思い出せなかったり忘れちゃったり勢いがなくなっちゃったりして、そのトピッ クについて書かなかったりするわけ。だからね、まぁ今日の分もだいぶ長いけど、で も本当はこんなもんじゃないんだよね。特に最近はウォール伝的に色々失ってること が多いわけよ。 書くべきだったのに書かなかったことってのが多いわけ。まぁいいや。でも十分だ ね。そりゃ最速インターフェース研究会のmalaさんが「誰か要約してください」って 書くわけだよね。ホント、malaさんありがとうね。 なんでため口なんだか分からないけど。で、墨滴には全然これ長くないんだよね。長 いウォール伝ってもっと長いからっつーかいきなり思い出したんだけど、16ぐらいの 時に通ってたフリースクールの同級生っつーか会ったこと無い女の子とメールのやり とりをしていたんだけど、あるとき、この子から返事が来なくなって「なんで返事を 書いてくれないんだ?」ってメール書いたら「いつもそっちの書くことが長すぎて疲 れた」なんて言われて相当ショックだったんだけど、昔からだったんだよね。 長文癖というか書いたら止まらない癖。当時、ヒノッ君っていう名前でやりとりして たんだけど「私、いつもヒノッ君とのメールのやりとりで4時間も使っちゃってるん だけど、もうアタシ疲れたの・・・」とか言われてさ、そりゃ今考えれば疲れるよ なって思うんだけど、俺って別に長く書くのにそこまで時間がかからないから、相手 の気持ちが分からなかったんだよね。 ましてや4時間もかかってるなんて想像もできなかった・・・。ジーザス!なんて こった!あと前にも書いたけどスカイプで両親と話すときもさ、ウォール伝みたいな 感じでさ、社会問題とか政治とかオヤジが割と喋れる人だから色々喋るんだけど、結 果的に一時間半ぐらい俺が喋りっぱなしで、残りの三十分を母と父が喋ってる感じな んだけど、いつもスカイプの終わり際に母が「もうそろそろね・・・終わりにしよう よ」なんて言うわけ。 そりゃあっちとしてもゲンナリだろうなぁーって思ったんだよね。1時間半も勝手に 喋られたんじゃーたまらないでしょう。だから俺からの提案で「毎週スカイプやるん じゃ、そっちも忙しいだろうから、二週間おきぐらいにしようか?」って言ったら、 心なしか両親は快諾していたような気がしたね。 だから俺は思ったね。この長文とか長い喋りを極めまくって、それこそジジェクみた いに、ゲンナリするぐらい喋りまくるおっさんになるしかないなって思ったわけ。ま してやこんぐらいのことを英語で書けたり喋れるようになればね、なかなかの進歩で しょ。やっぱ英語なんだよねー。問題は。まぁいいや。そんな感じで。誰か俺の話聞 いてくれる人いないかなぁー?大抵途中で嫌がられるんだよね。話が長いっつって。 だからやっぱウォール伝が一番の出力先なわけです。今日は革命的なオーラのまま 色々書けたんで、反革命的な投票してくださいっていうURLは載せないことにしま す。それにしてもアクセス数が明らかに増えてて不気味だわ。ただ別に見られてると かって思わないことにするわ。でもあれだもん、今日なんてのもさ、やっぱあれだ ね、俺みたいなスケールの小さい人間の場合さ、学校行く前から「アルファブロ ガー・アワードにノミネートされた人がニューヨークのコミュニティーカレッジに行 くんだ」って全てを「アルファブロガーアワードにノミネートされた人が」っていう 風に考えてたからね。「アルファブロガー・アワードにノミネートされた人が水を飲 んでいる」とか、授業の合間とかも「アルファブロガー・アワードにノミネートされ た人が嬉しさのあまり、ジェフミルズのChange of Lifeを鼻歌で歌っている」とかね、 思うにジュリアナ東京を肯定するためには、ジュリアナ系でかかってた曲の全ては Change of Lifeだったって思えばいいんだなって思った。 あとDJ Camがハゲているのは、同じような曲作りをしすぎだからということも分かっ たね。もうさ、あのなんかラップの一部分を「キュッ」って一回コスった後、リリー スして丸々ぶち込むって手法やりすぎだよね。いい加減変えたらどうなんだろう?っ て思っちゃう。 あれはやっぱあれだよ、DJのジレンマよ。ジャズが好きでも譜面書けないみたいな、 どっかから取ってくるしかないみたいな、ようはコスるしかないんだよなぁーってい うDJのジレンマよ。あのさ、ブルーノートのリミックスのやつさ、ジャザノヴァとか ありえないぐらいいい仕事してるけど、DJ精液のはヒドいよね。すげーやる気ない。 っつーかレコードで持ってるんだけど、あれ聞いてるとき「あ、笑点だ。飛ばそ う」っつって飛ばしてるのね。なんで笑点かっていうと、やる気なさげに鳴ってるワ ウのかかったミュートトランペットの音が笑点のオープニングテーマみたいだから。 みたいだからって終わるの良くない?みたいだからなんだよね、じゃなくてみたいだ から。なんか山ちゃんの嫁っぽい感じでいいよね。頭が良くない感じが。 まぁーね、実際はURLを載せないことにしますって書いたのが昨日で、それからを 今、書いてるんだけど、なんか疲れちゃってさ、恥知らずが腫れてるんだよね。基本 的に週末になってくるともう疲れちゃう。体力ないよなぁー。仕事してから学校来て る人なんていっぱいいるのに俺は学校だけで疲れてる。しかもそんな別に一日何十時 間って占領されてるわけでもないのに疲れちゃう。 今日の出来事で書くこともいっぱいあるんだけど、明日だな。今日は寝かせてくれ。 あーちょっとサービス過剰過ぎるかしら。選挙期間中っていう意識がなかなか取れな いなぁー。っつーか何気にアクセス数がすげー気になってるんだよねっつって見てみ たら明らかに増えててさ、予想以上に増えてたからちょっと不気味なんだけど、増え てるからこそあえて普段のウォール伝でいかないとなって思った。最近、ちょっと良 いこと言いすぎてるでしょ?なんか「おおー!良いこと言うなぁー」っていうような 感じのが多い。別に意識して書いてるわけじゃないんだけど、あんまらしくない なぁーとか思ったね。 たまにはズリネタのことだけで一回分書くとかさ、そういうのも無いとダメだよね。 リーディングのクラスで一人、可愛い子がいるんだけど、プエルトリコからの移民な んで勝手に「プエルトリ子」ってあだ名つけてるんだけどね。頭の中で。「あ、プエ ルトリ子来た」みたいな。俺って相当いろんな人のあだ名を頭の中だけで作ってる よ。前にも書いたけど、こっちに来てからさ、特にロードアイランドからマンハッタ ンの英語学校に至るまで、凄まじい数のお笑い芸人似のやつがいたからね。ゴリ・川 ちゃん・ますだおかだのますだ・おぎやはぎのおぎ・創価久本・あと芸人じゃないけ どエロサイトのバナーで見かける不細工な Permalink | 記事への反応(0) | 18:53
ウォール伝「生成ユーモアの企て」http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108
2007-11-08 生成ユーモアの企て。CommentsAdd Starmimisemi2007-11-08 アルファブロガー・アワードってのにノミネートされたらしいんだけど、最初、ブ ログへの書き込み見たときにまたなんかの詐欺サイトかと思ったよ。前のmyspace でのライブに出ませんか?と同じ類かと思ってたら、割とちゃんとしてたっつーか、 推薦してくれた人がいたみたいで、なんだか驚きっていうか、今日は社会学のテス トがあってって昨日も書いたけど、今書いてるのは午前なんだけど、一応、学校行 く前に教科書でも読んでおこうかとか思ったんだけど、ノミネートされてて驚きだ ったからこの時点で思ったフレッシュなことをとりあえず書いておくね。 まず推薦した人のセンスというのは恐らくアングラ系に理解がある人なんだろうな って思ったわけだけど、別に俺がアングラぶっているわけではなく、基本的に色々 カイテルとそれがアングラ志向みたいになっちゃうんだよね。ようはメインストリ ームじゃないことっつーかストリームすらないようなことばっか書いてるんで逸脱 していくっていう、まぁその結果がアングラっていうカッコつきのワードで表され るわけだけど、何を書きたかったのかすでに忘れたよ。 あ、そうそう。推薦者に「推薦していただいてありがとうございました」なんてメ ールなり書き込みをするのは白々しいので、やりたくないんだよね。前のはてなス ターと一緒で、もう心が張り裂けそうなぐらい感謝しているんだが、あんま直接本 人に言いたくないっていう。ってことで推薦してくれた人がこれまだ懲りずに見て たら、耳蝉はこのことだけでまた明日から頑張って算数とかをやる気力が湧いたっ て思っててください。 人との係わり合いっつーか特にネットでの係わり合いは極力避けているのにも関わ らず、知らない人がこういうことをしてくれると嬉しいんだよねぇー。すげー自分 勝手。ところであとこの期待ね。おーなんか凄いことになってるじゃん!とかさ、 あ、その前に、「ニューヨークのコミュニティーカレッジに通う著者」って言葉さ、 いやー文字ってのは凄いよね。こうやって文字で現れると実態と乖離したイメージ というのが文字から生まれてくるというか、読み手に連想させるんだよね。なにや ら凄い感じじゃん。 まぁコミカレ自体は凄くないけど、ニューヨークってワードがコミュニティカレッ ジの質を高めてるっていうか、オクラホマのコミュニティーカレッジだとあんまス テータス高い感じしないけど、ニューヨークってのがね、コミカレの響きを高めて るっていうか、まぁそういうのがあるわけだけど、実際は「モトニートかそれ以下 みたいな引き篭もり生活をしていた著者が、死か無理な渡米かの二択を自分の中で 勝手に迫られて渡米というか亡命を決意しつつ、なんだかんだでニューヨークのコ ミュニティカレッジに通いながら、特殊学級の算数のクラスと読み書きのクラスを 受けている生活の中で綴るポスニート的ダイアリー」みたいなね。 ただ脳を掃除するっていう表現はさすがだなって思った。ちゃんと読んではるなっ て。前にも書いたけど精液が溜まりすぎると玉が膿んだような感じになるから一刻 も早く抜きたくなるじゃん?それと一緒で脳が膿むんだよね。色々溜め込みすぎる と。だから吐き出さなきゃいけない。音もそうなんだけどね。 あ、んでね、いつも書くようだけど、留学生っつってもピンきりで、今なんて恐ら く昔みたいな、50年代とか60年代とかに留学してたようなエリート中のエリートな んてのは本当に少ないと思うわけねっつーか昔はそういうエリートしか留学できな かったわけだけどっつーのも奨学金とかね、そういうことで。 ただ今ってのは割とカジュアルに誰でも留学できるんで留学自体がたいしたことじ ゃ無くなっているわけ。ただ留学とか「ニューヨーク」みたいなカッコつきのワー ドに象徴されるようなイメージだけが先行しているものってのはね、そういった昔 から継承されてきたステレオタイプの賜物なわけですよ。留学=賢いとかエリート とか金持ちみたいな。ただ今なんて違法でバイトしつつ英語学校に通っている日本 人なんて少なくないし、VISAがキレても惰性で違法バイト続けてはや10年みたいな 人もいるわけ。 ようはね、クローズアップ現代だかで見たんだけど、就職氷河期世代ってのがよう は年齢差別とかさ、日本って雇用っつーか社会が最悪だからっつーかまぁいいや、 仕事が無くてさ、んで中国行って電話のオペレーターとかやってる人とかいるらし いけどさ、時給が日本円で300円だったかな。ただまぁ中国語をマスターするっての とキャリアアップってのもあって日本で無駄なバイトしてるよりマシってことで行 ってる人も多いんだろうけど、こういうの見るともうすでに日本が先進国だなんて いう幻想はもうなくなったなっていうのを実感するよね。 それこそ本国で仕事が無いとか未来が無いんで海外に出て条件が悪くてもまだマシ ってことで仕事をしている発展途上国から来た労働者とかとあんま変わらないわけ。 こういう人達って。俺も同じだからね。元々日本というか日本社会が大嫌いで亡命 したという理由が一番だけど、でもまず俺みたいなもんに仕事があるわけないから さ、だったら同じ苦労でもこっちで苦労したほうがマシだってことなわけで、状況 的には独裁政権の国から自由を求めて逃れてきた移民なんかと本質的には変わらな いわけですよ。 まぁ俺の場合、親のサポートがあるからこういったシリアスな移民たちと俺を一緒 にするのは失礼なんだけどね。そういう意味だとあれなのよ、ニートが上京して専 門学校通うみたいなのをニューヨークでやってるってだけ。俺の場合。だから全然 たいしたこと無い。エリートでもなんでもないし、こっちの大学なんて高校レベル の英語が出来れば誰でも入れるんだから。卒業するのは大変だけどね。ってことで 留学=なんか凄そうっていうイメージはなくしたほうがいいよ。 こういうイメージが流布してるから短期留学でもなんか得られるんじゃないかとか いって来る人が多いけど、何にもならないよ。基本的に留学の先にあるのは似たよ うな資本主義型社会で、言語が英語ってだけです。そこでまぁ行動的な人は何かを 得るかもしれないけど、それはあくまで主体あってのもので、主体性が無くて、た だなんとなく留学っつーと凄そうだからっつって留学しても何にもならないわけ。 こうやって勝手に留学に対して変な幻想を抱いちゃうってのは、留学を売り物にし ている代行業者とかによるイメージの捏造もあると思うんだけど、やっぱなんつー かそれ以前にジェネラルに留学っていうこと自体に個々が勝手な幻想抱いてる気が するのよね。ただ実際はね、来てみて、それがニューヨークであろうがロスであろ うがイメージと全然違ってたっつって心身がダメになって帰るって人も多いらしい し、何も見つけられないまま英語学校にずーっといるって人も多いし、ようはね、 状況自体が何かを与えてくれるなんてことはどこの世界にも存在しないってことな わけよ。 主体性のないやつが違う環境に行けば環境によって様々なことが変わっていくとか ね、そんなことは起こりえないわけよ。あくまでそれは主体性があった上での前に 書いたようなソーシャルインターアクションによってパーソナリティが変わってい ったり認識が変わっていったりするわけで、そこに何らかの働きかけが無いとまず 無理なわけ。勘違いしてる人達ってのは行けばそういった経験が得られるんだって 凄まじくパッシブなままなんだよね。そんなんじゃ無理。 だから中身が何も無いまま自分探しっつって世界を放浪してもダメなんですよ。自 分が無いと何も得られない。ようはその環境から感化されるような感覚とか思考と かっていう人間の意志が無いとダメなわけで、ようは日本で拾った石をエジプトと かアメリカとかイギリスに送ったところで、石自体に何も変化がないのと同じなわ け。 この石状態ってのがスッカラカンな石人間の留学先で起こるわけ。ただこれは師匠 2っぽい言い方すると自明の理なわけよ。まぁ留学に限らずだけどね。もっと狭い 話でもいいや。どっかのサークルに参加するとかコミュニティに行くとかさ、それ で変わるかもしれないっつっても、主体性が無きゃそれは、その辺で拾った石をな んかのサークルに置くだけで、石自体に何の変化も起こらないでしょ。逆に人間っ てのは変な期待するから、そこでイメージと違ったとか、なんか予想してたのと違 うとかって思うわけだけど、そりゃてめーが石だからなんだよってことに気がつか ないとダメよね。逆を言えば意志さえあれば環境なんて二次的なものなわけ。 だから前に書いたことでちょっと思うことがあったんだけど、俺ってどうやら人里 はなれた山というのに桃源郷的な幻想を抱いてるんだなっていう風に思ったわけ。 こんなくだらないゲームはやめて、とっとと隠遁生活を送りたいって書いたけど、 隠遁生活なんて別に山に行かなくても送れるんじゃないかと思ったのね。 ようは心の中に桃源郷的なイメージを持っていれば、自分の部屋が桃源郷になりう るでしょ。別にそれは瞑想しているときでもいいんだけど、頭の中にそういったイ メージがあれば、実質、環境がどうであれ隠者的な生活は送れるんじゃないかと思 ったのね。まぁ環境も大事だよ。ナチ政権下で心に桃源郷を持ってようがそりゃキ ツイよ。 まぁなんつーかそこそこの環境なら別に心の持ちようっつーか、ようはその個人の 世界観によって自分の世界なんていくらでも変わるじゃんって思ったわけで、んだ から別に山に住まなくても、山にいるようなイメージを心に持っていれば、それは 山に住んでいるのと同等じゃないかってことなわけね。ようはそこで人生なんても のにはもう達観して挑むしかなくて、心に桃源郷を描くことに人生を費やせば、色 々と克服できることって結構多いと思うのね。 それはくだらない人間関係についてかもしれないし、煩悩かもしれないし、精神病 かもしれないし、不安かもしれないし・・・。結局こういったことを解決するのっ て内面的な力しかありえないわけだよね。薬とか環境の変化でどうにかなるもんじ ゃない。何しろ人間ってのはもう文明社会に生きているわけだから、社会からは逃 げられないでしょ。桃源郷が社会に存在しないなら、自分の心に作っちゃえばいい だけの話だよね。 まとめると、ようはこれってのは青い鳥と同じなわけで、幸福なんてのは外的なも のの中には存在しないわけで、そういったものを無理やり作っちゃうのが幻想なわ けだけど、青い鳥の「本当の幸せというのは鳥かごにあった」っていうのに準える と、本当の幸福ってのは心にありってことなわけで、まぁ基本的には師匠1の教え に行き着くわけですな。心っつーと深そうだけど、ようは気の持ちようだよ。認識 ね。基本的には。あーダメだ。話が逸れた!もうあと1時間ぐらいしか無いから教 科書読むわ。 いつもこんな感じね。寸前というよりかは寸前の寸前ぐらいにならないと動き出さ ないのね。俺。あ、そうそう。パリ症候群とかさ、あと日本の馬鹿な芸能人がハリ ウッドデビューとかアメリカで活躍するみたいなことに幻想を抱いているのも、今、 書いたことの良い例ね。良いっつーか悪いっつーか。事実とは関係ない幻想という ものに振り回されるほど不幸なことはないから、とっととそんな幻想捨てちゃった ほうがよっぽど幸せになります。 ところでアルファブロガーって影響力のあるブログの書き手のことを指すらしいけ ど、なんか今回俺のブログがノミネートされたやつは2004年から開催されてるやつ らしいんだけど笑っちゃったのが、Wikiで見てみたら「日本ではFPN(フューチャ ープランニングネットワーク)というサイトが「アルファブロガーを探せ」という 企画を主催しており、ここで選出されたブロガーを指すことが多い一方で、この企 画自体の知名度の低さの問題が指摘されている。また評価の正当性、選考の手法な どにも疑問が投げかけられることもある。さらに、このサイトが選出したブログに は社会問題となりうる虚偽に満ちたブログも含まれている。」だってさ。 かなり批判的。逆にちょーメジャーなしょこたんブログみたいなのがノミネートさ れるようなコンテストだったら俺のブログなんてノミネートされないだろうからね。 「虚偽に満ちたブログ」ってまさしくウォール伝も含まれるな。基本的にこういう のを一般向けに開催していたら、まず個性的なのはノミネートされなくて、ようは アカデミー賞みたいなそれこそ虚偽に満ちたアワードになるわけだけど、逆に俺み たいなちょー逸脱したブログみたいなのがちゃんとノミネートされるなんて、なか なかいいんじゃない?幅が広くて。ネクロマンティックとスパイダーマンが同時に 出展されるような映画祭って素敵じゃん?無いけど。 ようはたぶんこれってアルスエレクトロニカみたいな感じなんだろうね。えー? Cosmosが受賞したのぉー??っつって国際的にアワードの価値が疑われるっていう、 ウォール伝はそんなCosmos的な存在かもしれないけど、逆を言えばCosmosみたい なのが賞を取るアワードってのもアリなんじゃない?とは思うけどね。 あとラッセーラのソヴァージュもなんか受賞したんだよね。えらいアワードだよな。 それこそ評価の正当性やら選考の手法に疑問が投げかけられるわけでしょ。アルス エレクトロニカ。世間の評価ってこんなもんだもんね。しょこたんブログと並んで ノミネートされてたら、「他のノミネートブログが凄いね!」っつってなんつーか 比較で凄いっていうアホな評価になるわけだけど、他がさっぱり有名じゃないわけ の分からないブログとかばっかだったら「たいしたことねーアワードだ」ってこと になるわけ。大半の人はこんな感じ。 内容も見ないでこういった表面的なところで評価するわけね。映画のアワードとか もそうでしょ。ちょー有名監督がノミネートされてたりしたら、その比較として凄 いみたいなさ、まぁ大日本人みたいなもんか。正式に出展されたわけじゃなくて、 オルタネイティブ部門みたいなので、ようはネクロマンティックみたいなのでも個 性があるっつって選考されるような枠に選ばれただけなのに「カンヌ」って名前だ けで人々が勘違いするわけ。 で、誰もディティール見ないんで勘違いしたまま、みんな「カンヌ正式出展作品」 だと思い込んだりしてるわけ。アホだなぁーって思うね。マジで。まぁーでもあれ かねーやっぱ客観的に見てもCosmosみたいなのが賞を取るアワードって何?って思 っちゃうのは分かるけどねぇー。スーパーデラックスってさ、俺がまぐれでアート リンゼイのライブの時にDJした思い出の場所なんだけど、あんときのDJはヒドかっ たな。 選曲はいいんだけどミックスがヒドかった。イカに現場慣れしてないかっつーね。 あと10分ぐらいある曲かけちゃったもんだから、勝手に客が飽きてるって思い込ん で、いきなり別の曲かぶせてミックスしたりとか、ようは精神病的強迫観念すらも ミックスに影響してたりしたんだけど、まぁーでも楽しかったなぁー。 なんつーか「選曲良いですね」って言ってくれたお客さんが何人かいてさ、人との 係わり合いも悪くないなぁーっつかさ、あの時の経験がある一つの決定的な認識を 与えてくれたんだよね。 ようは独りよがりでやってるようなオナニー的音楽をやっているのなら評価なんて 求めないっていう、ようは人に「良い」って言われたいっつーか人と何かをシェア できるようなものを作りたいんだったら、俺は音楽を作るなんて諦めるべきだって 思ったわけね。だから俺は前者を選んでいるわけだけどっつーか選んでるっつーか 前者しか選択肢が無かったんだけどね。人と何かをシェアできるような音楽なんて 俺には作れるわけがないから。 そんな意味でもウォール伝は明らかに前者的な態度でやってるんで、そもそもアワ ード的な概念と繋がりがあるわけないんだよね。やってるっていうよりかは勝手に 出力したものをネットに乗っけてるだけだからね。やってるって概念すらない。た だ今回やっぱ嬉しかったのは、こんなブログでも推薦してくれる人がいたっていう ことと、何よりこんなブログのエントリーを主催側が許してるってことだよね。 まぁ逆を言えばこんなブログのエントリーを許してるから社会的な認知が得られな いのかもしれないけど、まぁそんなもんクソ食らえでいいと思うけどね。まぁただ 他のエントリーは大半がまともな人が書いてるちゃんとしたブログばっかりだった んで、まぁ俺のブログはネクロマンティック的な役割を果たせれば十分なんじゃな いかと。 「幅の広いアワードですわね」っていう。でもあれだね、過去にはきっこさんとか 選ばれていたらしいけど、他のも色々見てみてもなんつーか社会的に見れば「反道 徳的」なものも含まれるわけで、ようはエントリーの傾向が左翼じみているとかさ、 そんな批判も聞こえてきそうだけどいいんじゃないかと。 当たり障りの無いメジャーなブログ選出したところで面白くもなんともないからね。 まぁこのアワードを擁護するわけじゃないけど、ブログって極めて個人的な考えと か経験を出力できる凄まじくインディビジュアルな媒体なわけじゃない?これは逆 にメディアじゃありえないことなわけだ。 そういった媒体のキャラクターを利用してアメリカなんかではブログでソーシャル クリティーク的なことをしていたりっていう、ようは社会へのコミットメントとい うか人への影響力があるようなブログもあるわけじゃん?それがまぁアルファブロ ガーの書くブログということなんだろうけど、日本ってこういうの少ないと思うん だよね。俺がアルファブロガーだとはとても思えないけど、ただなんつーかせっか くネットっていうセンサーシップのない媒体があるわけだからさ、もっと個々が色 々なことガンガン書いていくべきだよね。 色々な意見があっていいわけだけど、そこで議論が生まれればもうそれだけで価値 があると思うんだよね。とりあえず色々なことをネットを使って語りつくすってい うね、そういうことが出来るわけだから、個々がどんなトピックでもいいからガン ガンやっていくべきだよね。それこそメディアじゃ放送できないようなこともブロ グならいくらでも書けるわけだからさ、ガンガン書いていかないと。 それこそWilliam F. OgburnのCulture lagじゃないけど、日本ってテクノロジーの発 達が凄まじい割に、ノンマテリアルカルチャーの部分がテクノロジーの進歩につい ていってない感じがするんだよね。 ようは人間側とか社会のシステム側がテクノロジーを活かしきれてないっていうか、 テクノロジーありきの社会構造みたいなのを提唱できてないっつーか、本当はテク ノロジーの進歩なんて社会自体を変えてしまうような可能性があるわけだけど、イ マイチ日本ってのはこういうところに鈍感なような気がするね。 そういう意味だとアメリカは割とこういうところにケイパブルなのかもしれないね。 だからさっき書いたようなアルファブロガーみたいな存在が出てきたりyoutubeだとか googleだとか、それこそ社会的に影響があるようなものがガンガン出てくるし、ユ ーザーも使い方に多様性があるんだよね。でも日本って使い方に多様性が無いんだ よね。ホント、個人的な欲求を満たす目的だけに使われている気がする。 具体的な例が無くてアレだけど、言ってること分かるでしょ?やっぱいつまで経っ てもアメリカの後追いじゃダメなんだから、やっぱ民度上げていかないとダメだと 思うわけね。まぁ一概には言えないけど、経済とか文化とか教育のレベルではアメ リカとの大差はそこまで極端じゃないんだから、国民のあり方によっては、それこ そアメリカから独立できるわけよ。でも独立しないのってさ、まぁ色々と政治的な こととか経済的なこととかがあるにしても、やっぱ民度が低いんじゃダメだよね。 少なくとも俺がアメリカに来てこっちはレベルが高いって思うこと自体がアウトで しょ。それってアメリカのレベルが格別高いわけじゃなくて、日本のレベルが低い ってことなんだからさ、そりゃマズイよね。あーまた話が拡散バズーカーしてきた。 あ、んでね、今はもう夜なんだけどっつーか今日は社会学の先生がなぜか来なくて、 みんな帰っちゃったのね。っつーかこっちでは15分経ってもプロフェッサーが来な い場合は授業は無しってことらしいんだけどっつーか まぁそんなのが一般的なのかどうかは分からないけどさ、ただなんつーか生徒が独 自に当日の出席票を作って後日先生に渡すとかさ、なんつーか15分経ったからもう 次行こうってああいうクイックなディシジョンメイキングはさすがだなって思った ね。日本だったら生徒がざわざわしててみんな座ってるだけだろうなって思ったも ん。こういう差を見るとアメリカ凄いなって思うのと同時に日本レベル低いなって 思っちゃうわけだけどっつーかまぁ安易な一般化はできないけどさ、これってもう モノの考え方の差なのかなって気もするけどね。 日本は周りの様子を見て慎重で、アメリカではとっとと独自に決断して次行っちゃ うっていう。周りの様子を見て慎重でっつーとポジティブだけど、まぁ頭使わない ってことでしょ。周りに流されてばっかっていう。普段から思考力が鍛えられて無 いからすげー流動的なの。すべての行動が。これって個々がどうのってより、もう 社会の特徴っつーかさ、社会によって個々の人格とか考え方とか習慣ってのがカス タマイズされるから、そういったアホアホな行動パターンってのが社会によって作 られている部分もあると思うんだよね。 それは言語と一緒でアホアホなパターンが身につきやすい日本社会に生まれた人で も、アメリカとか他の国で育てばその国らしい人間に育つっていう、ようは日本人の DNAとか性格がどうのって話じゃなくて、社会の話なんだよね。ってことでこの話 題の流れから行くとやっぱ話が教育になるわけだけど、まぁそれは前に散々書いた からいいや。 っつーかオナニーしたいんだよね。帰ってきてからメシ作ってさ、で、アルファブ ロガーにメールしてこれ書いて今に至るわけだけど、オナニーが無いわけよ。外に 出ると色々なインフォメーションが頭に刷り込まれるからズリネタも増えるでしょ。 俺の眼鏡ってそういう意味だと妄人メガネなわけだけど、妄人と違って俺は自分自 身で妄想ネタを色々と収集してこれるから便利だよね。 あ、そうそう。今後はあれなのかな、書くたびにケツに「クリックお願いします」 みたいな、よくブログにあるさ、ブログランキングとかの投票のあれあるじゃん? あれのテンプレートみたいなのをペーストするべきなのかな?まぁ一ヶ月ぐらいだ しいいかな。俺的には読んでいる人に投票を求めるなんて反革命的だなーって思う んだけど、やらないってのもアレだから、とりあえず投票ページのURLだけ書いて おくね。 https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html あと選挙期間内は政治家みたいに一時的な注目を集めるためにセンセーショナルな ことを毎日書き連ねていくべきなのかな?で、ベストなんたらに選ばれたあかつき にはとっておきの音源をアップしちゃいますよみたいな、特典つけるとかね。ファ ンキーキンキーアップするとか。 まぁいいや。このことは忘れよう。無駄に期待するとダメだったときに残念だし最 終試験まであと二ヶ月切ったしブログどころじゃないんだよね。過剰にブログに注 意をフォーカスするのも嫌だし、そういったことをすると俺の中の革命度が下がっ ていきそうだからやめたほうがいいよね。ってことで今までどおり時間があるとき に更新していきますので投票ヨロシク。っていう落ちはどう?って感じで落ちを書 いたりさ、投票ヨロシク(結局、頼むんかーい!)とか一人ノリ突っ込みするとか ってよく文章であるけど、最近、アメリカでも一人ノリツッコミが存在することに お笑いの普遍的な価値を見出しましたね。 生成文法ならぬ生成ユーモアみたいなのが人間にはあるのかもしれないね。ユーモ アといえば今日も学校の手前ぐらいでマサさんの波が来たんで、テストが今日じゃ なくて良かったかも。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108
「逆襲のミソジニー」を書いたものです。該当記事について、若干の補足をします。
男子の「ダチ」グループの中で虐げられていた層が何故同じ男性への憎しみを抱かないのかというと、無自覚のうちに男子的なホモソーシャルを当然のものとして内面化してしまっていて、社会人になってもそうした考えが根底から抜けないからではないかと思う。前回記事で書いたような事例ではむしろ、女子よりも同性である男子の方から受ける圧力の方が大きそうなものなのだが、それを「圧力」と解釈しない(できない)心性が男性のうちにあるのではないか。
社会人になる過程で、何らかの形で独立した個人としての自立性がエンカレッジされる機会が持てればいいのだが、ムラ的な同調圧力が強いといわれる日本社会では、むしろ男性が「男子」だった時代のホモソーシャル的社会観を、そのまま大人の社会に持ち込んでいる面があるのではと思う。
はてなブックマークのコメントに「高校からは別学にいけばいい」というご意見があったのだが、男子校でも共学と同等かそれ以上のホモソーシャル的空間が男子の間に存在するとなると、どちらにしろ大学進学後にミソジニーに走る可能性は払拭しきれないものがあるような。周囲に「女子」のいない空間で、個人の女性観がどう変容していくかは一つのポイントになるかもしれないけれど、どちらにしろ小学・中学まで共学だったのなら、一緒じゃないか?という気もする。